真理の件だけど、真理内在論と真理顕在論の視座があるのでは?

内在論では隠された真理を考察や修行等により明らかにしていく手法で、苦行時代のお釈迦様がそれに該当すると思います。
また、顕在論では真理は既にありのままに自身や外境に現前しており、真理を挟帯しそこから得られた智慧をはたらかせる方法で、これは仏教一般に当て嵌まると思うんです。

真理を対象化(言語化)すると挟帯から外れてしまうという意味では、言葉は真理を表さないって事なのでしょう。

真理を絶対的普遍性として紐解くと、仏教では空(欠いてるもの)ってなるのだと思います。
…もっとも欠いてるものですから、知りようがありませんw

その空という絶対的否定から顕在してるのが妙有、我々の世界であり真理ではないんでしょうかね。