悟っていれば、仏教は言葉の解釈が広がり、ああ言えば、こう言う状態と捉える
それは経典の言い足りなさ、誤解を生みやすい状況に原因がある
言葉は正しいか?ではなく、どう解釈してるか?である
経典に真理は無い
見えるのは真理を指す指が見えるだけ
しかも、その指は非常に見えづらい

現実を通し移ろう因果を捉える積み重ねをすれば悟りに近づけるかと
大きな壁は、脳の生理現象が必須な事
開眼という言葉が当てはまるほど、突然思考メカニズムが変わる

もちろん悟りがゴールではない
どう自分と折り合いつけるか?は人それぞれ
ただ仏教は諦観
現世に課題解決手法を持たない
出家して現世から隔離する理屈になる