もうなんねんこのようにふりまわされて生きてるのだろうか。
私は本で読んだ坐禅や瞑想の基本的な事は入門書で読んでいたのに?
基本的な最初の気が散らない訓練もしなく次次と先先で修行3日でマスターがまだまだなのに
修行理解しましたと新しい野本で読み。ヨーガ仙道の船頭さんに迷い出て結局何やつているのか自分でもわからない。

その前に何故修行しなければいかんのか遊び回ったほうが楽.
必要な時やれば良いと修行避けている。ぽ師匠に気が散っていると頭殴られたけど?

やりかたの基本はコツコツ実行でしょう。理屈では解っているのだが.
静かな所で気が散らない様に色々な頭の思いの蝋燭の火を息を整えて消すんでしょう。
基本の基本は空のコップから水空(から?)始める。
そこに一念のエネルギーをこんこんと根気よくそそぐのかも?

それでエネルギー溢れたらジョウロで妄想世界
いや瞑想世界に放水すれば三昧に行きつけると根本経典に書いてあった。

あまた本の思いで実行は?実行はあしたからいや明後日から要するにいまやる気が無い
色々やる事が多い。明日も明後日も永遠に未だ来ない。未来に巡り合いたくないのか??
ミストラル