法則 悟りを直接言及出来る言語は存在しない
だからと言って釈迦が悟りを説かなかったという訳ではない
ただ読むだけやなくて一つ一つの言葉を意味が判るまで深く熟考せんと見えて来んて
原始仏典読んだら次は龍樹と小乗の法論を意味が判るまで熟読→改めて原始仏典を読み直す
この作業を繰り返さんとせっかく何かを掴んだとしても逃げてまう
例えるなら逃げ水に追いついたら美味い水が有る言われて 愚直に信じて追いかけたら ホンマに美味しい水が湧く泉が有って不死の水を飲めるという話や
普段自分が現実や思てる事が幻で幻や思てる事が真実かも判らんで?