何を『平等』というのだろう。
我も等し(特別でない)ければ、
涅槃も等しいと考えることだ。
何故ならば
我も涅槃も、この二つは皆
『空』であるからなのだ。
では『空』とは何なのだ。
『空』とは
名前が有るのみ、それが
『空』なのだ。

このような
内外の二法(二事)は、決まった性質を持たない。
ここに
『平等』という事を知れば、もう病むことも無くなるだろう。
ただ
『空』に取著する病のみは残るが、その
『空』病もまた
『空』であるのだ。』と。

維摩経 菩薩の病より

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