∞ノノハ∞
川^〇^ハレ各宗派で諸法実相の見解の違いがあると思いますが

晃たんに以前教えてもらった日蓮さんの御書に諸法実相抄(御書 664頁)があって

寿量品の文底から日蓮さんは
>実は凡夫の上におけるところの三身をもって『如来秘密』というのであると仰せなのです。


>「『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり』という御文ですが、
これが付嘱の本門の上からの大聖人様の独自の解釈です。
これは大変な御文です。つまり寿量品の文底たる付嘱の本門から体の三身・用の三身を立て分けるときには、
実は凡夫の上におけるところの三身をもって『如来秘密』というのであると仰せなのです。

全訳 如来寿量品第十六
http://chances.life.coocan.jp/aokyoukan/17.htm

>如来ははっきりと三界の本当の相を見通すことができるからです。
すべての変化するものごとは、その奥にある本質においては、
消え去ったり現われたりするものではなく、
また、この世に存在するとか滅びるとかいうものではないのです。
すべてのものごとは、確かな実在と見るべきものではなく、かといって虚空と見るべきものでもなく、
また、普遍的な存在と見るべきものではなく、かといって変化のみにとらわれて見るべきものでもないのです。
このように如来は、三界に住んでいる人間の見かたを超えており、ものごとの本当の相を明らかに見きわめて見誤ることがないのです。
 ところが、諸の衆生には、さまざまな性質があり、さまざまな欲望があり、
さまざまに違った行ないをしており、さまざまの考え方を持ち、ものごとを自分のものさしではかっている。
わたしは、そういう衆生にそれぞれに、善いことをする根本を養わせようと思うので、過去の事例を持ち出したり、譬え話をしたり、
適性なことばを使ったりして、さまざまに真理を説いてきたのです。
そして、そのような仏としての活動を、いまだかつて少しも休んだことがないのです。
 このように、わたしが仏に成ったのは無限の過去からであり、これから先の寿命もまた無限であり、
そして、常にこの世に存在していて滅するということはないのです。