あるがままっていうのは、円環的な認識の回帰があってのあるがままであって、一旦はあるがままはあるがままに非ずという否定、空じられがあってこそ、あるがままなんですけどねぇ。

まぁ、流石に煩悩障や所知障が滅するまではいかなくとも、止まったところ、薄まったところ、それ相応に空じられたところで観ぜらるありのままって体験の積み重ねが大事だと思うんです。