なぜ、わからんかと言うと
身も心も放ち忘れるなどという瞑想的な意識である時に
それはそれで
ある一定の期間、苦悩のない状況になることはある

だから、その苦悩のない状況にある事が、よいことであるのは間違いないのだが

そうなると、そのような修行の成果のようなものによって、苦悩の減った状況が、これがよしとすると

そーなった場合は、じゃあ、ほかの人もこうするべきのようなものがあるような気もせんでもなくなってくるというか

これこれ、こうすればよいのようなものが出てくると

条件が加算されるので

あるものが、あるがままで完璧ではないかということと矛盾してくるのだなあ

(*´・д`)-д-)))ソゥソゥ