阿頼耶識がなくなったら生活できないという感覚には笑った。

そもそも仮設された阿頼耶識は
規定では、我々が認知できない微細なものだ。
その阿頼耶識を絶対化するあほうだからこそ
覚者のありがたい言葉を理解できない。

まことに勿体ないというか、憐れなものだ
仏には会いがたいと佛教に説かれている通りだ