幼稚園児大山chanのための特別講座

「悪い行為をした人は地獄に、
善の行為をした人びとはよいところ(善趣sugati)に
生まれるであろう。」という教説が
実は正しくないのです。ウソです。

地獄も天界(善趣sugati)もありませんが、釈尊当時の民衆はみんな信じていた。
そこで、釈尊は民衆の生天したいという正しくない心情に寄り添って、
止悪修善という正しい教えを説かれたのです。

覚者野良さんの
「正しくないことをして平安になる人もいれば」も釈尊と同じです。
世間から称名念佛なんて、くだらん、ただしくない仏教だと非難されても
(実際に歴史を見ると専修念仏は既存佛教から正しくないと論難されてました)
称名念佛で平安を得る人があるということです。

また「正しい」ということ自体が分別であって、
佛教の真理は、「正しさ」を超えたところにあるのです。
ぼく、わかりましたか?