さとりに深い浅いを比較するような事はありません。
恐縮ですが、わたしの場合は、隻手の音声(せきしゅのおんじょう)と言う公案に取り組みました。
そして、片手の人がたたく拍手の音を聞き、庭前の柏樹(ていぜのはくじゅ)、倶胝堅指(ぐていじゅし)、と矢継ぎ早に透(とお)りました。

だけど、逆に無字の公案が、わかりませんでした。
師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)ですから、佛の有無を問うばかばかしさに、付いていけなかったのです。
次に有無を問うているのでは無い、片手の拍手を聞くのだ、とわかりました。
ある臨済宗の住職様が、言います。 隻手と同じ、だよ。
有を何故、無と言うのか。 無と言う言葉に何の意味もなかったんだと、分かって、システマティックな禅の一面だな、と、思いました。

白隠さんも与えられた無字の公案になかなか透らず、のちの白隠のお弟子さんも途中で死んだりして、なかなか通らなかったのだそうです。
白隠さんの墓石の周りには、そうしたお弟子さんの墓石が囲んでるのだそうです。
道の途中で倒れたとしても、さとりへ方向を定めていたので、さとる、さとらない、はなんら関係ないと思います。
白隠さんの隻手の音声と言う公案を作り与えたところお弟子さんが、初関をよく透ったそうです。
それならば、と、白隠さんは多くこの隻手の音声と言う公案に弟子たちを取り組ませたと言います。

禅は、さとるまでの道が長くて、遠い。 わたしの例で恐縮ですが、祖母との読経が、4歳ぐらい。
次に小6の頃、わたしの胸には、ぴかぴかの金の仏像が立っている、と見えたこと。
高校の頃、法華経の不思議な力、超能力ともいえる力を発揮して全国行脚をし、教団の長である僧と出会った事。
30を過ぎた頃、仏教書を読み漁ったこと。
さとりに至るまで、30年ぐらいの年月が、飛び去っていたことになります。
34歳か、33歳までは、さとりたい、と思いました。 おしゃかさまが、それくらいのお年でさとられたそうです。
さとれば、さとったから、さとりを求めない、のです。
さとりは奥が深いと思うことはしきりです。

また、公案は、1700則もあるといいます。
初関を透る事が、難しいのです。 透れば、祖佛祖師方と供に手を把って供に歩み行く、と言います。