「轅が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「軸が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「輪が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「車体が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「車棒が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「軛が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「輻が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「鞭が車なのですか?」
「しからば大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛・輻・鞭[の合したもの]が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「しからば大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛・輻・鞭[の合したもの]の外に車があるのですか?」
「尊者よ、そうではありません」

「轅に縁って、軸に縁って、輪に縁って、車体に縁って、車棒に縁って、
「車」という名称・呼称・仮名・通称・名前が起こるのです」

欠いているという話ではなくて
依って現象しているという話ですよ、大山君。
佛教をなめすぎ