>何モミナ依他如幻の法ナレバ、カリソメノ相モ重々ノ相用アリ
鎌倉時代の法相の良遍の「唯識大意」ですよ、それ。

種子ト申シ候ハ、色心ノ諸法ノ気分ナリ。
色ニモ心ニモ各実法アリ仮法アリ。
其ノ中ニ実法ハミナ種子ヨリ生ジテ種子ヲ薫ズ。
今此ノ心王・心所・色法ノ中ニハ実法アリ、仮法アリ。
何モミナ依他如幻ノ法ナレバ、カリソメノ相用ナレドモ、
カリナル中ニモ重々ノ相用アリ。
カルガ故に己ト種子アルホドノ法ヲバ実法トス。
其ノ実法ノ上ニワキテ出シテ別ノ体ナキ物ヲバ仮法ト云フ。
仮法ト無法トハ替テ候ナリ。
ツヤツヤナキ物ヲ無法トス、実アルニモ非ズ。又ツヤツヤ無ニモ非ズ、
カリソメナル法ハ仮法ト云フ。
先ニ申ツル遍計所執ハ無法ニシテ候ガ、
仮法ハ依他起ノ中ニヒラケル法ナレバ、無法ニハ非ズ。

つまり、論旨は
「種子はタイムラグがある異熟果なので、仮有というかりそめの現象界にあって
別時に熟して現象するという性質を持つので、仮に実法と名付けた」
ということであって
大山君のように「仮有の中に実法がある」と実体化して
覚者の如実知見を否定したら、誤読にもほどがありすぎ。

大山君は佛教語を理解せず丸のみしているだけのダボハゼですね