X



トップページ心と宗教
1002コメント1114KB
【イエス】み言葉と共に【キリスト】Part1
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0053ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:25:49.42ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
6ろんぎぬす2019/03/08(金) 21:03:07.91ID:yHr1SsRb
キリスト教で主日である日曜が
安息日である土曜から取って代わった理由を述べている箇所を
新約聖書続編というべき使徒教父文書から紹介

講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
バルナバの手紙 佐竹明訳 四一
p74
15章
8節 さらに主は彼らに、「わたしには、
あなたがたの新月の祭と
安息日とは我慢がならない(イザヤ1・13)」
と言っておられる。
彼がどのように言っておられるかに注意をするように。
つまり、わたしにとって喜ばしいのは
今の安息日ではなく、わたしのつくった安息日であって、
その日には、わたしはすべてを休み、
第八日目のはじめ、つまり別の世界のはじめを
作るであろう、(と言っておられるのである)。
9節 それゆえにわたしたちも、
イエスが死人の中から復活し、(人々に)あらわれて、
天に昇った第八日を祝うのである。

講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
2 マグネシアのキリスト者へ p169−176
9章 1節
それでも旧い生き方で暮らしていた人々が
希望の新しさのもとに至り、
もはや(ユダヤ教の)安息日(土曜日)を守らず、
むしろ主の日(日曜日。キリストは日曜日に復活した)
を守って生きるなら−主の日に私達の生が、彼を通し
また彼の死を通して、立ちあらわれたのです。
これを否定する人達もいますが。
しかし私達はこの秘儀を通じて信仰を得たのであり、
そしてだからこそ私達の唯一の師イエス・キリストの
弟子とされるために、忍耐しているのです。
0054ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:26:32.11ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
118ろんぎぬす2019/03/13(水) 17:08:49.06ID:9sfurtzi
キリスト教が大切にする「復活」と「八」という数の説明 1

>6
> 第八日目のはじめ、つまり別の世界のはじめを

ギリシャ正教 高橋保行 講談社 文芸文庫 本体1050円+税

ギリシャ正教の儀礼
5 時の礼儀
日曜日はキリスト復活日
p214
ロシア語で日曜日を今でも復活日というが、
これは暦の中で日曜日が
祭の日をしるす赤い数字で表記されるのと関係がある。
時の礼儀の中で、毎週日曜日は、
昔からキリストの復活を祝う復活祭の日である。
これは、時の礼儀が初代教会から伝承している古い遺産のひとつである。
復活祭は年に一度行われていただけでなく、
毎週の日曜日にも行われていた。
・・・。
主日と第八日という名称の意味は、
日曜日を週の最後において考えるときに明確になる。
主日は、
旧約聖書の中で神を主とよぶところからもわかるように、
神の日である。・・・
p215
第八日という名称は、八という数字に重要な意味が託され、
周期に方向性を与えるものとなっている。
聖書の中では、数字に意味が託されることがしばしばあり、
八という数字は、永遠、来世、天国、神の国という意味をもっている。
これは、天地創造をあらわす数で、
この世が完璧で善であることを示す七に、
唯一の神をあらわす一を加えたときにできる。
・・・。
0055ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:27:09.81ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
119ろんぎぬす2019/03/13(水) 17:09:59.13ID:9sfurtzi
キリスト教が大切にする「復活」と「八」という数の説明 2

>6
> 第八日目のはじめ、つまり別の世界のはじめを

正教会の祭と暦 クリメント北原史門 ユーラシア文庫2 群像社
 本体900円+税

第8章 復活大祭と復活祭期
主日
p72
・・・。
正教会ではこの世を「『第七日』の継続」と捉えます。
そして、日曜日は天地創造(巻末用語解説参照)が
始まった日として「一日」ですが、
同時に七日目である土曜日の翌日として「第八日」でもあります。
だとしますと、「第八日」は「来世」(この世の終わりが来た後の)を
意味するものとなります。
この世の始まりでもある一日であり、
来世を意味する第八日でもある主日(日曜日)に
ハリストスの復活が啓示されたことは、
この世に生きる人々の生命が新たに創造し直され、
来世に復活する者として創りかえられたことを示すものでもあります。
こうして主日は、この世と
来世における復活の生命まで思い起こされる「小復活祭」と言えます。
0056ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:27:53.55ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
404ろんぎぬす2019/03/19(火) 19:20:16.06ID:K4XfRdZR
カトリック教会のカテキズム カトリック中央評議会
 第3編 キリストと一致して生きる
  第2部 神の十戒
   第3項 第三のおきて
p638
2 主日
「今日こそ主のみわざの日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう」
(詩編118・24)

新しい創造である復活の日

2174 イエスは「週の初めの日」(マルコ16・2)に
死者の中から復活なさいました89)。キリストの復活の日は、
「初めの日」としては世界創造を想起させます。
安息日の後の「八日目」としては90)、
キリストの復活によって開始された新しい創造を示します。
キリスト者にとっては、あらゆる日の中の最大の日、
あらゆる祝日の中の最大の祝日、
主の日(ヘ・キュリアケー・ヘメラ η κυριακη ημερα)、
「主日」となりました。
p639
「太陽の日にわたしたち全体は集会を催します。
〔ユダヤ人の安息日の次の日であり、初めの日でもある〕この日は、
神がやみと物質を変えて世界をお造りになった最初の日であり、
また、わたしたちの主イエス・キリストがこの同じ日に、
死者のうちから復活されたからです」91)。
0057ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:28:45.01ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
405ろんぎぬす2019/03/19(火) 19:21:06.62ID:K4XfRdZR
>404 つづき

p639
安息日の完成である主日

2175 主日は、安息日とは明白に区別されます。
暦の上で は毎週安息日の後にやってくる日ですが、
キリスト者にとっては
安息日のユダヤ教的な儀礼に取って代わるものです。
主日は、キリストの過越のうちに、
ユダヤ教の安息日に込められた霊的真理を完成させ、
神のもとにおける人間の永遠の休息を告げるものです。
事実、モーセの律法によって定められた儀礼は
キリストの神秘を準備し、そこで行われていたことは
キリストにおいて成し遂げられる
幾つかの出来事を示す前表だったのです92)。
「古い生き方で暮らしていた人たちが、新しい希望に移り、
もう〔土曜日の〕安息日ではなく、
主の日を守って生きるとしたら、わたしたちは、
どうしてイエスなしに生きていかれましょうか。
主の日に、わたしたちのいのちがイエスを通して、
また、その死を通して現れたのです」93)。

2176 主日を祝うということは、
「神がすべての者に共通に与えてくださる恩恵について考え、
目に見える形で神を崇敬する」94)という
人間の心に刻まれた倫理的おきてを自然に守るということです。
主日の礼拝とは、旧約の倫理的おきてを果たし、
毎週、創造主とその民のあがない主とを祝いながら、
その周期と精神とを踏襲することです。
0058ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:29:39.29ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
406ろんぎぬす2019/03/19(火) 19:21:52.97ID:K4XfRdZR
>405 つづき



p646
88) マタイ12・5、ヨハネ7・23参照。
89) マタイ28・1、ルカ24・1、ヨハネ20・1参照。
90) マルコ16・1、マタイ28・1参照。
91) 聖ユスチノ『第1弁証論』
(S.iustinus,Apologia,1,67:CA 1,188[PG 6,429-432])。
92)  一コリント10・11参照。
93) アンチオケの聖イグナチオ『マグネシアの信徒への手紙』
(S Ignatius Antio-chenus,Epistula ad Magnesios,9,1:SC10bis,88
[Funk 1,236-238])。
94) 聖トマス・アクィナス『神学大全』
(Sum-ma theologiae,2-2,q.122,a.4,c:Ed.Leon.9,478)。
0059ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:31:11.70ID:ncB09uya
673ろんぎぬす2019/05/06(月) 14:50:39.97ID:C4c2YCOO
ジャン・ダニエルー キリスト教史 1 初代教会 平凡社
上智大学中世思想研究所 編訳/監修 定価:本体1,553円(税別)

第4章 エフェソス、エデッサ、ローマ
p110
・・・エイレナイオスという第一級の証人がある。
彼自身アジア州の出身であり、ヨハネの弟子のポリュカルポスの
知り合いであったが、・・・。
そしてポリュカルポスとパピアスはこのヨハネの弟子であった。
・・・
p111
・・・。ここで、イグナ
p112
ティオスが言っている「古めかしい作り話」という言葉は、
千年至福説的待望を指す典型的表現なのである。
キリスト教徒は安息日ではなく主の日を守るべきであり、
イエス・キリストを語り、同時にユダヤ教の宗規に従うことは
矛盾であると彼は言っている。・・・
p113
・・・。『黙示録』やイグナティオス、パピアス、ポリュカルポスの
「手紙」を通して、アジア州における
いくつかのキリスト教団の拠点の実状をかいま見ることができる。
その第一の町はエフェソスである。ヨハネはここで彼の生涯を終わった。
彼が『ヨハネの黙示録』(二:一 − 八)でまず最初に
呼びかけているのもこの町である。・・・
・・・ユダヤ・キリスト教異端派を
エフェソスの町が憎んでいると述べている。しかし同時に
エフェソスの町がはじめの頃の熱意を失ってしまったことを非難する。
三〇年後にも、イグナティオスは
あいかわらずエフェソスに第一の地位を認めている。
彼はエフェソスが
あらゆる異端から免れていることを称讃しているのである。・・・
・・・。二世紀に入ると、スミュルナは<監督>ポリュカルポスを得
p114
て、特別な重要性を持つに至るのである。
彼は一一〇年には<監督>になっていた。というのはイグナティオスが
ローマへの旅の途中スミュルナで彼の客となっているからである。・・・
・・・エイレナイオスの証言のおかげで、
いろいろなことが知られている〔教会史X.20.4-8〕。
そしてポリュカルポスは・・・一一五年、殉教することになる。
彼の死については『ポリュカルポス殉教録』(ActaPolycarpi)が残されている。
0060ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:33:23.69ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
92ろんぎぬす2019/03/12(火) 19:59:25.34ID:SHQv64Vy
毎日のミサ 2019年2月号(通巻第361号) 
カトリック中央協議会 定価(本体四一八円+税) 

今月の教会暦(目次)
23日(土・記念・赤)聖ポリカルポ司教殉教者・・・84
p84
ポリカルポは使徒たちの直弟子であり、スミルナの司教であった。
彼は、殉教の地に向かって旅行を続けたアンチオケのイグナチオを、
スミルナであたたかく迎えた。後に、復活祭の日付の問題について
教皇アニケトゥスと話し合うためにローマに赴いた。
一五五年頃、スミルナの闘技場で火刑により殉教。
(『毎日の読書』より)
朗読 黙示録2・8−11、ヨハネ15・18−21


毎日のミサ 2018年10月号(通巻第357号) 
カトリック中央協議会 定価(本体四一八円+税) 

今月の教会暦(目次)
17日(水・記念・赤)聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者・・・61
p61
イグナチオはペトロの二代後の司教としてアンチオケの教会を治めた。
野獣の餌食となる刑を受けるためにローマに護送され、
一〇七年にトラヤヌス帝の治世のもとで殉教した。
ローマへ向かう旅の途中で、各地の教会に七通の手紙を送り、
キリスト、教会の構造、キリスト者の生活などについて優れた教えを説いた。
アンチオケではすでに四世紀から、この日を彼の記念日として祝っていた。
(『毎日の読書』より)
朗読 フィリピ3・17〜4・1、ヨハネ12・24−26
0061ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:36:44.79ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
94ろんぎぬす2019/03/12(火) 20:02:55.13ID:SHQv64Vy
新約聖書続編というべき使徒教父文書から紹介( 忘備録 )


講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]

目次
 解説 四五五

「イグナティオスの手紙」解説 八木誠一
p465
 イグナティオスはシリアのアンティオキア第二代の監督であった。
トラヤヌス帝(在位九八 − 一一七)下の迫害のとき、
アンティオキア教会の責任者として逮捕され、
十人の兵士によりローマに護送されて、野獣と闘う刑に処せられた。
殉教は一一〇年のことであったと伝えられる。
 イグナティオスはローマに赴く途次、各地の教会の人々に会うことが出来た。
そして小アジアのスミルナから、エペソ、マグネシア、トラレス(以下小アジア)
および行先のローマの教会に宛てて書簡を認めた。
さらに小アジアのトロアスから、同じく小アジアのフィラデルフィアと
スミルナの教会へ、またスミルナの監督ポリュカルポスに宛てて手紙を書いた。
これが殉教者の七書簡として知られている、イグナティオスの手紙である。

「ポリュカルポスの手紙」解説 田川健三
p468
 ポリュカルポスが書いたと言われる多くの書簡のうち、
今日残されているのはここに訳出したピリピ人への書簡のみである。
ポリュカルポスは二世紀前半の人物で、スミルナ(今日のイズミール、
トルコ西海岸の大きな港町)の司教であった。
イグナティオス(本巻に収録)とは親しい関係にあり
(特にイグナティオスのポリュカルポスあての書簡参照)、
そのイグナティオスが殉教の死をとげる時に、
自分の教
p469
会(シリアのアンティオキア)のことを
「使徒的人物であり・・・・・・真実で良い牧者たる」ポリュカルポスに
託した、と言われている(エウセビオス『教会史』V三六・一〇)。
0062ろんぎぬす2019/07/21(日) 14:37:27.17ID:ncB09uya
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
93ろんぎぬす2019/03/12(火) 20:01:44.62ID:SHQv64Vy
新約聖書続編というべき使徒教父文書から紹介( 忘備録 )


使徒教父文書 講談社 文芸文庫 アC2 荒井献[編]

 十二使徒の教訓 デイダケー
 バルナバの手紙
 クレメンスの手紙 コリントのキリスト者へ(T)
 クレメンスの手紙 コリントのキリスト者へ(U)
 イグナティオスの手紙
 ポリュカルポスの手紙
 ポリュカルポスの殉教
 パピアスの断片
 ディオグネートスへの手紙
 ヘルマスの牧者

 イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
  1 エペソのキリスト者へ   p157−168
  2 マグネシアのキリスト者へ p169−176
  3 トラレスのキリスト者へ  p177−183
  4 ローマのキリスト者へ   p184−191
  5 フィラデルフィアのキリスト者へ p192−198
  6 スミルナのキリスト者へ  p199−206
  7 ポリュカルポスへ     p207−212
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況