自分が無い…この状態を「無我」というが
これを仏教の悟り…理想状態と勘違いするのは
早計だろうと思う…

たしかに三法印の一つに無我はある
仏教の根本教条の一つと考えられがちだが…

「無我」と説いたのは、仏教から見た当時の外道の様子を
指し示してのことではないだろうか?

自分の考え無しに、世の中のバラモンの常識にとらわれて
洗脳されてる世間の様子を、総じて「無我」と批判したのでは無いか?

かえって、法華経を説いた釈迦牟尼仏は、永久不変の
「我」を寿量品で示した…これは「無我」とは相反する思想、教義となる

「無我」だから仕方ない…と自分を諦めてしまうことが
仏教ではないと思うし、もしそうなら
なんて仏教はツマラナイんだろうか…と思ってしまう