お疲れ様でした
質問者さんは勤勉な人ですね

二つの欲求は聖書でも通奏低音で流れてますね
キリストの神への欲と肉の欲のモチーフ
肉の欲は荒野の誘惑で断ち切られますが、隣人愛の欲は最後までキリストを苦しめる

幸福が最後に与えられる休息、について僕的には
幸福は今生じるもので、将来生じるほげほげではない(ある意味で)、とは思ってます

時制が関与するやや、ややこしい話なので詳細は割愛しますが、意思した時点で実現してる、あとは時差、その時、未来に得られる幸福は、今の時点で存在し、時差により、その今の幸福の成長、成熟した形式での幸福を後から得られる

その意味で、形相は質量に宿っており、その形相+質量を今味わうのだから、幸福は常に今にある、と捉えてます