お前らが「宗教」と言ってるモノは宗教ではない件について
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大体が、「宗教とは人々を救う教えのこと」とか「神様が人を導くという思想」なんて言ってるが、
それはキリスト教の話だ。
そしてキリスト教は全てのカルトの原型であって、厳密には宗教ではないと言える。
キリスト教の連中は、絶対に認めないが、キリスト教以前の伝統的宗教は、
社会の規範
という側面がある。
しかし、キリスト教は先ず「神と自分の契約」があって、社会は二の次となる。
この個人主義から独善的排他主義が生じて、「他の宗教は石木を拝む馬鹿げた迷信」なんて傲慢な妄想が生じる。
そしてこの点だけを見るなら、お前らも共産主義者もバカカルト信者も全く同じ考えだろう。(笑)
だから、お前らは並べてキリスト病と言える訳だ。(笑)
(^。^)どうも、承の字です。復活しました。(笑) アインシュタインは唯一神を信じていないし
宗教にも否定的
ただスピノザの汎神論には強い影響を受けた 視点というのは、非常に重要で、
意識してある程度の訓練をしないと一つの視点からからしか見えないし、
当然ながら、その視点からは絶対に見えない事もある。
例えば、カルトの物語からの視点になると、論理的な思考は無理になるし、
物理学者からは所謂「精神世界」(笑)なんてものは、「愚かな迷信」にしか見えないわな。
同様に、「私の本質である霊」という観念を植え付けられた視点からは、
縁起して仮に設けられた存在という概念が理解出来ずに、何らかの核を想定する訳。
共産主義というエセキリスト教についても同様。
で、見えないものは考えられないから、そこで躓くのは時間の問題でしかないわな。
こうした視点の差違、不可視の存在は全体としての流れを形成していくわけ。
現存する視点なんてのは、幾つかのパターンの組み合わせでしかないからね。
こうした流れと、現実社会の動向と、そして霊的な流れとを俯瞰すれば、
前に書いたような「ある程度の推測」は可能となる訳だ。
(^。^)こういう話をすると、「判ってる」つもりで全く理解出来てないトンチンカンが出てきて笑わせてくれるんだ。(笑) ニューエレメントリーパーティカル アクシオン、今後の展開が超楽しみ。(笑)
(^。^)まぁ、続報が入る頃には忘れてるんだろうが。(笑) >>270
このスレで既に書いてある内容の質問には一切お答えしませんので、
当スレでの俺の書き込みの論旨を踏まえた上での質問、
又は、アンカーつけて何がどう論理的に破綻してるか、
を書くようにしましょう。
(^。^)そんな暇無いね、という方は、他のスレで遊んで下さい。(笑) いやそんな暇ないけどさ、君らが宗教否定してる理由ってアインシュタインが否定してるからなの?
それ宗教やってる人と言ってること全く同じだからね? >>272
だから、他所のスレでやれって言ってんだろうが。(笑)
(^。^)こっちもお前らの妄想に付き合う暇はねーんだよ。(笑) アインシュタインはスピノザの「宇宙の統一原理としての神」を進行していた
大昔のプラトンやらソクラテスなどとおなじ >>267
アインシュタイン自身が宗教を肯定してるのに
よく勝手に否定的とか言えたね 一神教と多神教があって
それぞれに正しさと不完全さがある
そこで上位互換の概念を言語化しなければいけない
それが汎神論
全一の宇宙観 アインシュタインは「すべての組織された宗教に反対」と言明する。
それは無神論者であることを意味しない。
彼の目指す「真の宗教人」とは、死も生も恐れず、
盲目的な信仰を持たず、自分の良心だけを信じる。
そうすれば、周囲の出来事を観察し、判断するための直感、
さらに「自分が無限の知恵の海岸の一粒の砂にすぎない」
と悟る謙遜を身につけることができる。
そこに「宗教と科学は調和する」可能性があると語るのだ。
科学と宗教の関係は何度もここで出てきてるよね 宗とか教という言葉は、古くから中国仏教において使われる。
名(経典の名称)
体(経典の構成内容)
宗(教説の真髄)
用(経典の効用)
教(教説の指示)
宗は教によって指示されるべき真髄(要点)のこと、
教は宗を表示する文字や文句のことと解釈され、
仏教の要点を表示する言葉という意味に至っている。
宇宙・現象世界にもともと備わる ≪仏性≫の磐石なる基盤に
上に立って金剛不壊の安定した人生を築く。
こうして法報応の三身が一つになって、
一身即三身、三身即一身の境涯が達成されていく。
大乗仏教では、仏性とか仏というのは、
このように「三身」という形で便宜上、機能上、
三分割して捉え、さらにそれを一つに具足させて
「一つの仏身」を形成する形で考えるのである。
ヨガは「Yuj(ユジュ)〜軛(くびき)をつける〜」
という意味のサンスクリット語(古代インド語)が語源
ココロとカラダを結びつける、人と人とのココロを結びつける、自分と宇宙、
あらゆるものを「つなぐ」「結びつける」「統合する」ということを意味しています
あらゆるものと対立することなく調和や協調が保たれ状態
そしてそれが目指すべき境地であることをヨガは教えてくれます
ラテン語「religens(注意深い、没頭した:ラテン語で「re-」は“再び”)」は
「繰り返し繰り返しそれに戻ってくる」ことを表し、
この態度が名詞「religio、religion(献心、良心、不安、勤行、拘束力)に表され、
英語religion(宗教)の語源となった。
また、この語尾に-ous(〜に満ちた、の意)をつけた
ラテン語religious(献身的な心配りに満ちた)から、
英語religious(宗教的な)が派生した。 繰り返すが、晩年にアインシュタインは哲学者に出した手紙で、
「神は人の弱さが作り出した迷信」
というようなことを書いている。
そもそも、アインシュタインは物理学者なので、一貫した宗教観なんてものは、必要無かったわけ。
そして名言なんてものは、世間受けした言葉なので、本人の言葉ですらない場合すらある、いい加減なもの。
その名言で「アインシュタインがー」と権威付けしたい連中がいるが、
これ等は先に触れた宗教を道具にしてる連中。
中身が無いから、権威や雑学でコケオドシしてる、チンピラのようなもの。
(^。^)底辺チンドン屋のコスプレオヤジとかが何を言おうが、
果てはアインシュタインが何と言おうが、
このスレの話には関係ないので、宗教屋さんやその手下のチンピラは余所でやってね?(笑)
あんたらと違って、此方は真面目な話してるんだから。(笑) どんな条件であれ、私には確信がある。
神は絶対にサイコロを振らない。
信仰のない科学は不完全だ。
科学のない信仰は盲目だ。
何も考えずに権威を敬うことは、
真実に対する最大の敵である。 自分は無神論者ではない
無神論を熱狂的に支持することは、
神を絶対的に信じる宗教の態度と同じもの 今日の科学が神の存在を証明できないのは、
科学がそこまで発展していないのであって、
神が存在しないのではない。
人間の五感は限られており、
神の存在を感じることはできない。
科学も神の存在を否定はできないのであるから、
われわれは神の存在を信じるべきである
擬人的な神(キリストとかブッダとか)
を据え置くというレベルの宗教を
超えた場合に、
第三の宗教体験が存在する。
「宇宙的宗教感覚」と呼ぶこととする。
この感覚の中では
擬人的な神の概念は全くないし、
体験したことのない者に
この感覚を説明するのは難しい。 >>277
真言宗の本尊は、仏教の太陽神とも言うべき「大日如来」です。
大日如来は「永遠不滅の真理そのもの」であり、
全てのものを作り出す存在です。
そういう意味で、キリスト教などの「神」や
汎神論(全ての物体が神そのものであるという哲学)
とも共通するところがあります。
一方で神仏習合の立場からは、神道の太陽神である
天照大神と同一視されることもあります。 なんか、密教を何一つ知らないド素人さんがバカな聞きかじりを垂れ流してますが、(笑)
無知蒙昧というのは、実に哀れなものですな。(笑)
まぁ、世の中にはチンドン屋とか売国テロリストを崇拝してる人もいるし、(笑)
どんな馬鹿げた信仰もその人の自由ですからね。(笑)
(^。^)それとも、俺の事を知ってて笑わせに来てるのかな?(笑)
でも実際、そーゆーバカな人達が居るからね、良くないよ、そーゆーの。(笑) いわゆる”全一の宇宙観”に照らせば、密教は典型的なそれである。
宇宙に存在するものは全て大日如来そのものであり、
すべての諸仏諸菩薩は大日如来から派遣されたものと捉えます。 イエス・キリストの十二弟子の一人トマスは、
インドへ伝道に行き、達磨(トマ)とよばれ、インドで殉教したと伝えられています。
龍樹が授かったとする大日経も、その内容は
太陽崇拝、バラモン教、キリスト教、ゾロアスター教
などの影響を受けた混合宗教であることが、歴然としています。
空海は「潅頂」(キリスト教で言う洗礼)を受けましたが、
彼には「遍照金剛」という潅頂名が与えられました。
「遍照」とは"広く照らす"の意味で、これは聖書「マタイの福音書」五章一六節の、
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」
の漢語から取ったものだと言われています。
空海は、仏の悟りの世界は、衆生である実践者の心の中にあると説き、
自ら自己の心を見詰め、磨きあげることで
法身大日如来の世界に到達できると説いている。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は胎蔵界大日如来であり、
豊受大神は金剛界大日如来であるとする。 正直に言うと、いまただの「情報」を提供しようとしてる系の活動者はババを引くと思ってるよ。
ありふれてるからね。
これから必要なのは、情報にあふれたとこに投げられる「情報」ではなくて、
あふれてしまった情報を整理して分かりやすくしたり、
どの情報を信じたらいいのか導いてあげる「宗教」だよ。 教主を本尊とか、灌頂は洗礼だとか嘘を垂れ流してますが、
仏教ではそうした虚言を罪としてますね。
まぁ、君らは宗教を自己満足や虚栄心を満たすだけの道具としてしか扱ってないので、
今は楽しいのかもしれませんが、
その業は後々、響いてきますから、楽しみにしていて下さい。(笑)
(^。^)何も知らないというのは、本当に幸せな事ですねぇ。(笑) 人間の論理的体系で神の存在の証明はできないという主張は、
ゲーテルの定理を待つまでもなく、2500年、もしくは、2000年前に
既に仏陀やイエス自身により、しっかりと主張されているのです。
イエスや仏陀以前のユダヤ教やバラモン教が、
論理体系中に明らかに矛盾を孕んでいたことに対して、
彼らの主張には矛盾が存在しないことは、
直感的に我々は認識することができます。
現在の多くのキリスト教会、仏教宗派の「宗教的」主張
ならびに行為は、単に儀式的な主張であり、
宗教的には、イエスや仏陀自身が否定した、
「カルト的」な「神」や「仏」の説明で終始しています。
ただ、これは、彼ら牧師や僧侶の不勉強の結果であって、
これらの宗教そのものの本質的な問題ではないと思っています。 全ての物事は結びつき関係している
私たちは大海の波の一つ一つ。
波のそれぞれは独立しているように見えても、大本ではつながっている
すべては我が身の上のこととして他者の悲喜をわが悲喜とし
あるあらゆる生物を自己と等しく見る人こそ
完全なヨーギー(真理の実践者)である
すべての宗教、芸術、科学は、同じ一つの木の枝である
現代社会はこの”全体性”の理を殆ど理解せず、
独断的な分離・分断化(”断片化”)の思考が未だ
圧倒的に支配的であり、その悪影響が健康問題、環境汚染、
政治・経済的混乱など社会全般に及んでいる >>291のような「ボクは本当の仏陀やキリストの考えを知ってる」やつ
とか、
>>292のような、お前は何処の何様だと言いたくなるような視点でしか語れない連中というのは、
カルト教祖とか宗教詐欺師とか精神異常者だけなので、関わらないようにしましょう。(笑)
こうした連中は、既に何回も書いてるように、
反社会的で排他的独善主義者なので以下略。(笑)
(^。^)これはこれで見てて面白いからまた暫く放置することにします。(笑) >>289
間違いない
情報弱者の宗教家は多いと思う
宗教は外から情報を仕入れるのが定跡
アブラハムもヤコブもヨセフもモーセも釈迦も
イエスも龍樹もマホメットも玄奘も空海も
自ら情報を取りに行って「選別」した
そもそも取りに行かないのは論外だな >>1
その逆もまた真なりでしょ
集団から個人が始めに在りき
なんてのは妄想の類いです
独善的排他主義は集団が起すものであって
個の場合に於いては出会いと別れがあるだけです
そもそも個の尊重無くして集団の尊重など有り得ません 情報を好んで食うやつ、大食いのやつこそが
宗教家の素質があるんだと思う
「牧師」とか「僧侶」になるって意味ではなくてね >>295
えー、「集団から個人がー」とありますが、
これは「集団の中から個人が主義思想を唱えることは妄想の類い」という意味で宜しいのでしょうか?
次に「ー主義は集団がー」とありますが、
これは「集団が何かの主義を考え出して、それを個人が学ぶ」という意味で宜しいのでしょうか?
更に「個人の尊重ー」とありますが、
これは前の「集団が主義を考え出して、それを個人が学ぶ」というのと矛盾してるのは理解出来ますかね?
集団は個人の集団なので、「集団の考えを個人が学ぶ」なんて事はあり得ませんし、
個人を全く尊重していませんよね?
(^。^)えー、日本語を理解してないのか、何らかの障害があるのか、ギャグのつもりなのか判りませんが、
迷惑なので、今後は書き込みを止めてください。 チベット仏教徒である瞑想者が瞑想のピークに近づいたら、
そのことを合図で観察者に知らせることで、
深い瞑想状態のときの脳の活動を計測する。その結果、
上頭頂葉の後部(頭頂連合野)の活動が低下していることがわかった。
このことは、たいへん興味深いことだという。
なぜなら、頭頂連合野はいかなるときも活動を続けている
ということがわかっているからだ。
そこの活動が低下したのである。
瞑想者たちが語るそのときの意識状態の表現と一致している。それは、
「自分が、存在するすべての人、全てのものの一部になったように感じる」
「時間を超越し、無限がひらけてくるような感じ」
という言葉からわかる。
意識が静まって、不安、恐怖、欲望など日常に心を占めている
雑念を捨て去った後に残る何かこそ、本来の自分であり、
これは孤立した存在でなく、万物と分かちがたく
結ばれているという直観であるという。
この実験は8名のチベット仏教徒に行い、その後、
フランシスコ修道会の修道女が祈りをささげているときの状態を同じ方法で調べた。
その結果、祈りによって深い宗教的境地に達したときの脳には、
瞑想中の仏教徒と同じ変化が起きていた。
仏教徒との違いは、「触れられるほど近いところに神がおられる」
「神との合一」などと表現することだ。
仏教徒は、自他の区別がなくなる体験であり、
修道女たちは、人格神のイメージや表象は残っている。
神との合一という体験が脳内の体験であるからと言って、それは、
神の存在を否定するものでも肯定するものでも、いずれでもない。 ダライ・ラマは、仏教と科学との対話には
両方にメリットがあるといわれます。
仏教徒は科学の発見を取り込むことにより、
人間世界をより明確に理解できます。
一方、科学者も仏教の心に関する深い知恵を知ることにより、
認知科学、神経科学、心の科学の分野で役立つというのです。
もし、科学の証明した事実が仏教の教えと矛盾するのなら、
教えの方を変えるべきだと主張される柔軟で謙虚な姿勢には敬服しました。
これは真理を求める真摯な姿です。
しかし、いまの科学で解明できないから真実ではない
という考え方は、明確に否定されました。
科学で分からないことは無数にあります。
この態度は、真の科学者の態度と一致します。 元科学者でチベット仏教に出家したフランス人の方です。
みんな、さぞすごい数値が出るだろうと思っていたら、
最初は平均的な数値だった。
しかし、“瞑想”してから計測し直すと、
測定針が振り切るほどの数値を示したんです。
このマチューさんが行った“瞑想”こそ、
マインドフルネスで言う、“いったん止まる”ということ。
そこから慈悲の瞑想をすることで、
針が振り切るほどの幸せにつながっていったんです。 アブラハムは多神教まっただなかの時代に一神教を独自に導き出したんだよ
その手法は当時信仰されていた月や太陽や金星が全く同じ動きしかしないのをみて
「これが神であろうはずがない、神ならば自分勝手に動き回れるはず」と考えたからだと
つまりそれらを制御するより高次の「神」がいると考えた
当時からすればありえないレベルの革新性 >>303
多神教、というのは第三者目線の話でな。
ヒンドゥは多神教とされるが、普通の信者はその一柱だけ信仰してるし、
日本の神社でも、主神と配祀神が共に祀られてても、主神が信仰の対象なのが普通。
前にも書いたが、各々の神の統廃合が人の都合で決められて多神教と成ったというのが通説。
つまり、多神教しか無かったなんて時代は無いし、
油ハムの革新性なんてものも、欠片も無いわけ。
其所に有ったのは、単なる独善的排他主義であり、
それは民族の団結という目的からは当然の選択でしかなかった。
また、日本でも、アラハバキ神こそが正統な神、とした偽書が書かれてるし、
他にもソクラテス等、同様に神を設定した人は多くいた。
ユダヤ教というのは、確かに成功した稀な事例だが、人類史で最初というのは君達の単なる願望でしかない。
(^。^)というか、聖書にも複数形で神々とした箇所がある位なんだから、
最初から現在の唯一神だったとするのはウソっぱちだしね。(笑) >>304
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%A9
天と地の主よ、大地はまだ存在しませんでした。
主がそれをもたらされたのです。
日光はまだ存在しませんでした。
主がそれをお創りになったのです。
曙はまだ存在しませんでした。
主がそれを創造されたのです
シュメールの時代にこれを書いたのがエブラの王エブリウム
つまりイブラヒム、アブラハムだ 宗教とは公のための救済ではなく、商売のための娯楽になっている
利益のためには血眼になって、新しい言葉や概念を市場に送り出す
購買心理をあおるには、目先をかえて新概念をドンドン作る。モデルチェンジをはかっていくのだ
アセンション、レプタリアン、副守護霊、○○祈願、宇宙波動、パワ−スポット・・・・
需要をかき立てるには宣伝しかない。人々の欲望を刺激する宣伝によって昔の宗教用語を使っていては恥ずかしくて仕方がないという雰囲気をつくり出すのだ こうして、宗教家が経済的に発展すればするほど、それを崇める依存心の強い凡人たちはめまぐるしく、せわしく、貢ぎ続けなければならない仕組みになっている
新宗教で、正しい道は低俗な情報娯楽化し続け、過度の情報インフレによって、
過去の正法は埋もれていく、ということも感じられてきたと思う
現在の宗教は低俗化された商業的活動であり、いわば聖者や神を使って、自己の欲望を果たそうという荒廃の世といえるだろう 現代人の精神性への興味は、個人の自由主体性の確立などという理念は忘れられて、
個人は、単に宗教団体やスピリチュアル屋のあやつり人形と化している
こうして、生産された有形、無形のスピリチュアル商品は、消費者の欲望を刺激させて、これを消費させるため、
開運商法や神秘体験の名の下にあらゆる宣伝戦を展開する
こうして宗教は、主体性のための修練ではなく、欲望のための依存に変わっていった
しかし、人間の限りない欲望を助長するような組織というものは、ゆきつくところは破滅であり、末代までの恥になってしまう >>305
そのウィキにも書いてあるが、三千年前のエブラは多神教で、その文章はその中の一柱を讃えたもの。
ユダヤ教への影響は当然あったろうが、カルデアのウル産油ハム云々はなんの根拠もない語呂合わせだろ。(笑)
(^。^)アホか。(笑)
>>306ー308
このスレの論旨と関係ない話は、他所でしましょう。
(^。^)お前も305と同じくアホだな。(笑)
マジでアホしか居なくなったな、宗教板。(笑)
次もアホなら、もう書き込み辞めるか。(笑) >>309
そんな神は存在しなかった
太陽やら月やら農耕やら大地やらを神としてたんだからな
それらすべてを神が作ったとしてるエブラタブレットは異質で、これがアブラハムの起こした宗教
それまでは偶像にまみれていたがアブラハムは違った考えをしていた >>310
「そんな神は居なかった」「神としていた」
あんたは自分の都合の良い話だけ見てて、他人の話を否定するから、こんなバカな事を書いてても疑問を持たない。
なんのソースもなく、ただ下らない、しかも伝聞の妄想を繰り返す連中にはうんざりだ。
もう、宗教板も辞めるわ。
あとはお前らが好きにしろや。
(^。^)じゃあの。(笑) 「神に従うということは、
牧師に従うということだ!」
と牧師が言っている教会があります
什一献金の強要もありました
カルト宗教ですか? >>308
>こうして宗教は、主体性のための修練ではなく、欲望のための依存に変わっていった
どの宗教も、いつの時代も、
最終的にここに行き着くよな >>313
間違いない
確実にカルト
まさに宗教の本質を見失った破滅へ向かう組織 659 名前:神も仏も名無しさん :2020/04/12(日) 21:03:15.53 ID:5iHT9Svl
先生が久しぶりに予言を出したよ。
コロナは国内では8月に、世界でも来年2月に終息するらしい。
今、世間一般で言われてる終息予測よりも1年早いから、もし当たったら結構すごい。
ワクチン開発が革命的に上手くいくのかね? お知らせ
はてなブログでこれまでの論を纏めて書く予定です。
「syoukyouronzya」というIDにしましたので、
何ヵ月後になるか分かりませんが、そのうち公開しますん。
(^。^)真面目な話しかしない予定なので、基地外のお前らは来ないように。(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています