お釈迦様が説いたことが仏説であって、真理だと思われる説法を仏説だということにしてはいけないと思うんだよなぁ。
原始仏典でさえ、お釈迦様の教えそのものを直接に伝えているとは言いがたいのだから大乗仏教のお経が全部偽物である可能性は高いよねぇ。
やっぱり、仏教は心で感じるものだという意味の「不立文字(ふりゅうもんじ)」が正解なんじゃないかなぁ。
つまり、行間の「なぁ」や「ねぇ」に真理があると思うんだよなぁ。それが 柔軟心(にゅうなんしん)だと思うんだよねぇ。
悟るためにはまず、「ごめんなさい」と「ありがとう」という素直な心から入るべきなんじゃないかなぁ。
余計なプライドは捨てて、みんなに心を開いて生きていきたいなぁ。
それと、人の心が読めるっていうのはつらいねぇ。