法の世界の不思議さ、法の世界の厳しさということでしょうが、そもそも桐山密教などに惹かれるオカルト好きにとっては、
こういう世界を関心を持つのかもしれません。
本来法というものは真理ということです。
これは法律でもそうですし、仏法にしてもそうです。
だから真理というものは普遍性を持つのだから、 それは必ず論理的でもあり、理解納得できるものです。
釈尊もまた自分の頭で考えて理解することを 奨励している。
ところがこういう摩訶不思議な法の世界、厳しい法の世界というのはそんなことを受け付けませんね。
問答無用で守るしかないと言う。
オカルト好きの皆さんオカルト好きだった皆さんはそろそろこういう考え方から卒業した方が良いのではないかと思います。