>>862 神も仏も名無しさん 2019/06/19(水) 15:01:00.31 ID:3DIVxJEH
>本年3/14に北陸加賀道場でも念力護摩を焚いてるみたいですね。

ここで私の意見をまとめたいと思います。まず来年の1月3日に京都旧道場で焚くという念力之護摩は初伝とは謳っていません。
1月3日の念力之護摩の情報の根拠は>>580に貼った画像のチラシがなんですが、これには初伝ともなんとも書いていません。
初伝と謳ったのは先月の関東別院での護摩です。
そして関東別院だけでなく、京都でも北陸でも50周年を前に前哨戦とでも言うべき 念力之護摩次第に従った初伝の護摩を焚いているだとすると、
来年の1月3日が結局また初伝でいいはずがない。
これが来年の1月3日になって今年は50周年だから記念すべき年だから、念力之護摩を焚いてみようかと訝しく初めてこれに取り組み、
まずは初伝から取り掛かるというのならばまだ何となく分かる気がするが、こうやって1年前から準備をしているのです。
本番が初伝で許されるはずがない。
そもそも初伝を教える、伝法するというのならわかるが 、導師が初伝だけでやってみるというのも理由がわからない話です。
何を出し惜しみしてるんだか?
それとも自分は初伝しか習っていません、だから念力の護摩なんか焚けません、でも開祖が50年前に念力の護摩を焚いたのだから
それの真似事でもしてみようかというオナニーをしたいというつもりなのか?
そうでないならば やはりこれは初伝でいいはずがなく もっと進まねばならない。
と言うか初伝より進んだ中伝でも何にしてもそれって一体何の違いがあるの? 初伝などの作法でやったら普通の護摩とどういう違いがあるの?
なんか功徳に差があるんですか?そこのところをはっきりしてほしい 。
つまり結局念力の護摩なんてものは本当に念力で火を出したように見せないと意味がないんです。
初伝も中伝もくそもない、奥伝で火を出せ。
そうしないと何の意味もないよと言いたいわけです。