>>615
>昭和54年2月4日、それは阿含宗創建の翌年のことであった。
>京都東山花山の、総本山道場建立予定地において、
>「節分星まつり大柴燈護摩供」奉修中、一陣の霊気が結界内を
>走ったかと思うと、突然、焚き上げている大護摩の火炎が、
>巨大なホトケのご尊体と変わったのである。
>その炎の高さは、およそ六、七メートル、それまで、
>風速七、八メートルの山風に、右に左に大きくゆれていた火炎が、
>一瞬、ピタリと静止したかと思うと、突如、如来のおすがたを
>あらわしたのである。その寸前、修法中のわたくしは、思わず、
>あ! と思ったのである。というのは、そのとき、
>燃えあがっている火炎の火のいろが、一瞬、変わったからである。
>それまでの赤みを帯びたふつうの火の色が、輝くばかりの黄金色と
>なったのである。あ!と思ったつぎの刹那、火炎がピタリと静止し、
>巨大なホトケの尊形となった。……次の瞬間、火はもとのいろに
>もどり、ごう″と吹く山風に大きく揺れ、なびいていた。その間、
>およそ二、三秒、わたくしは、残念だと思った。
>結界内にはおよそI〇〇人を越す山伏が厳修中であり、
>結界の外にはおよそ一万人ちかくの参詣者が、お護摩の火をおがんで
>いる。しかし、いずれも霊眼を持たぬ悲しさ、おそらくこのホトケを
>、それと拝した者は一人もおるまい。まさしく法爾無作のホトケと
>確信するが、拝したのはわたくしI’人というのでは、どうにも
>ならない。心から残念だなと思った。修法が終わって道場に帰り、
>ご霊示を仰いだ。「われは応供の如来である。供養を受けるぞ」
>というご霊示がさがった。

桐山靖雄さんて、作り話がうまいね!