難しいなあ
なんで思考を止めなきゃならんと言われても
思考を止めるというより、思考が、わたしであると錯覚してるのを解除するためなんだし
実際には思考はなくならないし
やってることは思考、まあ、思考というより想いが次々沸いてくるのを連続させずに、そこでプチプチ切ってるだけなんだよな
だいたい実践を十分してないものに、どのように説明したらいいのか、わからん
神様が与えたものというなら、生老病死、愛別離苦、嫌なものに会う苦、求めて得られぬ苦、五蘊盛苦なども、自然な状態だから、その苦しみも受け入れるしかない

不思議に思うのだが、なぜ、覚者たちは、あんなに明確な返答ができるのだろうか

思考してないのではなかろう

思考は働いているだろう

空海でも、道元でも、親鸞でも頭脳明晰であるし
グルジェフも、マハルシも、非常に的確にアドバイスしておるし
キリストも、他の聖者たちも

考えることができなきわけではなかろー