例えば、和智は、身長180cm、体重90kg以上の、巨漢の男である

そのような男は、ムリに内向的に成らずとも、ちょっと大声を出すだけで
周りが威圧されてしまい、何かとワガママが通ってしまうのぢゃ。そして和智はよく
周りに恐れられていた。性格も他人を冷やかすのが好きぢゃし、兄弟や友人は
和智を前にしてホトホト困っておった事ぢゃろう。そして、何度もこう言われたのぢゃ
「恐い」「アイツも怖がってるよ」「闘気が出てるよ」「狼に変身しそう」などなど

そのような大柄な男でも、中身はやはり同じ人間である。よって、怖がられる事で
自分が知らず知らずのうちに得してばかりでは、精神面が疎かな状態に甘んじてしまう

そのような想いから、出来るだけ自分の威圧感を消して、物腰柔らかくしてみよう
そしてチビどもの話しを聞いて、自分なりにその言葉を吟味してみよう。そうすれば
いつかこの、落ち着きどころのない心も、収まりどころが見つかるのではないか?という
そのような想いが芽生え、それがそのまま「真理探究」に繋がっていき仏教に向かった

しかし、そこからが徐々に徐々に、苦悩が溜まっていくばかりの悲惨さが増す数年が続き
人間という生き物の「図々しさ」「ご都合さ」ばかり感じて、人間不信、社会不信
あらゆる物事に対する「疑念」ばかり増していき、極まった時は、自殺も考えたのぅ

信念だけは貫き通した。一発殴って黙らせれば、その苦悩だけは晴れるであろう状況でも
平和のためではなく、とことん真理探究のために「非暴力、対話、言葉の吟味」で通した

これをもし女でやるならば「女の涙を見せない」や「他力に拠らない」など、自ら孤立し
不利な状態を自ら作り出しての、真理探究となるぢゃろうか?損得観念は当然に放棄ぢゃ

それで、何で?何で?の自問自答の日々を過ごすのぢゃ。一捻りできる相手でも
あくまで精神のみで向き合い、家に帰れば、その対話内容を思い起こして吟味する
自分の中で沸き起こる疑念が有れば、それとひたすら、何で?何で?で向き合う
その状態で、仏教関連のさまざまな本も読んだ。仏どもの言葉が身に染みるようだった

実に堅苦しく、自虐的で、辞めれば良いのに、やって酷く辛くなり、ドラッグがあった