「唯才是挙」を念頭に国造りをした、魏の曹操孟徳は、儒教の祖である孔子の末裔の
「孔融」を、大衆の面前で処刑したのぢゃ。もともとは孔融も、曹操の配下であり
それまでは古い仕来たりに習って、儒教文化の第一人者、正統な継承者として扱われたが

そこは実力主義の曹操ぢゃ。その時代における儒教道徳の中核に立つ者は許すまじ、と
難癖つけて処刑の場に引き摺りだし、孔融はそこで長い時間を掛けて苦しめられ
最後に首を刎ねられたのぢゃ。孔融は処刑の際も、儒教道徳について語っておったらしい

あぼーん (-人-) ♪