物事を感覚的に大雑把にしか捉えていないというのは、妖怪ヨル公さんの六神通の話もそうです。
釈尊は六神通を持ち、神通力も示すわけです。これはこちらも絶対に否定などはしません。
ただこの人は、釈尊が神通力という超能力を示し、桐山さんも阿含宗で超能力を標榜しているから
そこに共通性を見出しているという、ただ単にそんな単純な構図でしか見ていないのです。
物事というものはもっときちんと細かく見て行かねばなりません。
ならばその神通力とはどういう内容なのか?
ちなみに密教でも法力というものがありますよね。 効験の力であり、現世利益の力も示すわけです。
まあこれも法力というように一種の超能力みたいなものといえます。
ならばその神通力と密教の法力はこれは同じもののか、まぁそういうことから 考えていかねばなりません。
それに対しては今回は省きますが、我が今を示している念力の護摩の話はそれ以前の話なのです。
桐山さんは確かに超能力を標榜しています。
じゃあ超能力を標榜すればそれは正しいのかと言うとそんなことはありません。
世の中は実は超能力もないのに自分では超能力があるなると世間を欺く詐欺師というものがいて、
桐山さんはまさにそれだと言っているのです。
だから私は超能力があるかないかなんてことは問題にもしません。
それはあるかもしれないと思っております。
しかし桐山さんの示すそれだけはこれってインチキじゃないの?手品じゃないの?とこの視点で述べているのです。
もちろん世間の全ての超能力がインチキであり詐欺ではであるなんてことは言いません。
ただ超能力の中には残念ながら一部そういうインチキ詐欺もあるのが現実ですよね。
そして桐山さんの場合はよりによってその一部のインチキ詐欺である根拠を示しているのがこのスレです。
そうなるともはや仏教以前の話なのです。
そして念力の護摩がインチキ手品の詐欺だとしたら、もう全てが崩壊します。
念力の護摩なんてまだ阿含宗を標榜する以前の昔の話じゃないかなんて話は通用しないのです。
なぜかと言うと 阿含宗というのは その念力の護摩の嘘を正直に認めてを訂正していないからです。
訂正というのは、実は私は昔はインチキ宗教詐欺の手品の念力の護摩なんてものを超能力であるかのように示しました。
でもそれは嘘ですので、私はこれからこれを謝罪反省して、訂正して否定します 。
そして始めたのが阿含宗です。
このように表明しなければならないのです。
昔の念力の護摩を正直に嘘だと認めず何で阿含宗なんてものが標榜できるのか?
そして現在の和田さんを中心とする阿含宗も依然として昭和45年の念力の護摩を本物の超能力であるかのように示しているのだから、
こんな嘘は仏教者として許せることではなく、阿含宗なんてものは語る価値もないのです。
だから今 論じている念力の護摩という話は大変重要なものです。
念力の護摩が嘘であれば阿含宗は全部崩壊します。