>>224
>外道は私ではなくあなたですよ。
>「心の安定」=禅定=三学の「定」です。

三学の定で得られる心の安定はあくまで入定している間だけだ
定から出たら心の安定は失われ消えてしまう
そんなことは既知だと思うのは釈迦がアーララカーラマから離れた
事実がそれを如実に物語っているからではないのか
しかしそれだけで戒定慧が揃うことで解脱は達成されるのはどうしてなのか
説明できないだろ

解脱とは涅槃とは何か を知らないからこんな愚考が出るのだ
今流行りの切取り解釈だから未だに解脱を知らず心の安定を
アウトなんて言う
経典のいたるところに記されている心の安定を示す言葉は
恐怖なく顛倒することもないのは案ずるはずの迷いが無いからで 
そうなれば心は動揺することなく不動となり安定を得る
つまり結果として苦を克服したからとなる
しかしこの現世で得た解脱は 最後の肉体を有しているから
業報もまた現世的制約も受けるが 解脱者が第二の箭を受けることはない
根源的な理解力で臨まないから心の安定をアウトなんて言うように
解脱すら論理的に把握できなくなるのだ
煩悩を止滅できないから肉体が滅んでも煩悩という負のエネルギーが
新たな五蘊を構成する
それは別な場所に転生するということだし
煩悩を止滅して同時に負のエネルギーも消滅したら新たな五蘊を構成しようがない
その状態こそが 生ぜず 生じないから死せずとなる
つまり縁起の法が及ばない世界とアビダンマが解することができた
これを縁起の滅としたが 三世からみたら消えたと見えることを意味しているのだ