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--佛教論議の伽藍スレ-- 第四巻
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 03:00:13.20ID:pS7QGcmv
仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。

-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
   2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
    (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう)
   3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。
   4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
   5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。
   6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
    (1950年の世界仏教会議にて決議した)
   7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
   8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
   9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2の戒律と資料リンク)を変えないこと。厳守!!
 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。
0002神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 03:03:56.73ID:pS7QGcmv
-----当スレッドは-----
過去の2ch『原始佛教』、『仏教議論スレッド』シリーズを継承したような良スレになることを期待します。
投稿する方はスレ主である私(宝珠真範)の指示に従い、必ず当スレの“戒律 ”を厳守のこと。
違うことをしたいという方は、どうぞ他スレでお好きにして下さい。

また、当スレは同時に『質問箱』の機能も合わせ持ちます。
質問に関しては、仏教関連ならば気軽に大乗も含めて祭祀や葬儀、等々...何でも構いません。
解答や情報をお持ちの方はどうか質問者へ親切に教えてあげて下さい。
尚、複数の異なる解答があった際には質問者の方の判断にお任せします(参考程度にどうぞ)。
-------------------------------------------------------------------------------------
前スレ
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/
過去ログ保管庫
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
Wikipedia ― Category:仏教
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
http://ci.nii.ac.jp/
 http://sc.chat-shuffle.net/
 http://www.inbuds.net/jpn/index.html
 http://www.totetu.org/index.php?id=523
パーリ三蔵
http://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
 http://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
 http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
0003ひきこもり小学生です(=゚ω゚=)垢版2019/01/29(火) 10:01:01.95ID:ttLY0DVm
たまにルージュと名のる仏像に似た人が夢に出てくるんだよ✨難しい話を聞かされるけど理解できない・・・(;´Д`)ナニモノですか〜
0004承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/29(火) 11:59:53.33ID:aeuoAgG0
>>3
その「難しい話」というのは、具体的にどんな内容でしょうか。
支離滅裂なものや実現性のないものなら、神社などでお祓いしてもらいましょう。
現実に立ち向かえとか、何処かの石を動かせなどの実現可能でめんどくさい話なら、犯罪でない限りですが、ためしにやってみては?

(^。^)もし、仏教の教学的な内容でしたら是非、詳しく書いて下さい。(笑)
0005ポッタン師垢版2019/01/29(火) 12:07:50.16ID:Fs2R5IEb
それは解脱である。
0006おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 13:31:03.10ID:pS7QGcmv
 
ID:ttLY0DVm師匠にとって
『難しい話』なので
それゆえに

仏教の教学なのか?どうか?もわからない。とか?

(おじゃるも、仏教のことも、わかってないけど…)
0008おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 13:43:54.01ID:pS7QGcmv
 
>>ルージュと名のる仏像に似た人が夢に出てくる☆難しい話を聞かされる
 ↓
>それは解脱である
 ↓
「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い
この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる
変性意識状態(altered state of consciousness, ASC)

のことかしらん? おじゃる?
0009おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 13:57:29.92ID:pS7QGcmv
 
> がーてい がーてい  ぱらさんがーてい

よく
そんな難しい言葉を覚えていられまつね?
おじゃるなら
記憶力が悪いので
起きたら忘れているので おじゃります m(_ _)m

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C
般若心経(はんにゃしんぎょう)
羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶

http://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya19.html
真言宗豊山派 もっとい不動 密蔵院

訳してはいけない真言
訳してしまうと、意味が限定されてしまうし
言葉としての力も無くなってしまうと考えられています

とはいえ、内容だけでも知りたいと思うのが人情です
そこで梵語の読み方と、一般的な訳をご紹介しておきます

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ

http://microsamgha.com/2015/11/21/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF%EF%BC%92%EF%BC%91/
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
0010おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 14:13:10.07ID:pS7QGcmv
 
> (;´Д`)ナニモノですか〜

般若心経を語る
動物霊が取り憑いているかもしれないでつね?

たとえば
承狂元密教僧とかに
成仏供養法とかを修法してもらいましょう!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
加持(かじ)

密教においては
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

因と縁の双方の縁起が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる

ということであるらしい おじゃる?
0011承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/29(火) 14:22:28.86ID:aeuoAgG0
>>7
「般若心経」でYouTube検索すれば出てきます。

縁のある方が祈ってるんですね、心配されてんだ。
今は登校しなくても勉強できるから、ご両親とよく話あって、登校するか、学校かえるか、ネットなどで通信教育受けるか、不登校の子供を集めて教育してるNPO 探すかなどして、
不登校を解決できれば、そうした夢も見なくなりますよ。

(^。^)たぶんね。(笑)
0012ポッタン師垢版2019/01/29(火) 14:42:57.65ID:Fs2R5IEb
10.9.バカ丸出し、である。大爆笑である。悟ってから言え。
0013神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 14:45:44.78ID:XvoiLOfL
水木しげるが晩年、古代出雲の神様が夢に度々現れて、
「わたしたちの事を日本人に忘れないように、知らせてくれ・・・」
と度々メッセージしてきたそうだ。
で、水木しげるさんは、丸々一冊その出雲の神様についてマンガ化している。
0014おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 14:49:17.33ID:pS7QGcmv
 
不登校を解決できれば?

コテの
[ ひきこもり小学生です(=゚ω゚=) ]
のところを、見ていませんでした

失礼いたしました スマソ m(_ _)m

とりあえず
創価学会の信者の方々とかの場合は
般若心経(はんにゃしんぎょう)
がーてい がーてい  ぱらさんがーてい

とかは唱えないと思います

(創価信者の方々も周りに
  たくさんいるかもしれないけど、とりあえず)
一応、念のため
0015神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 14:53:07.87ID:XvoiLOfL
ルージュ←なぜフランス語の「赤い」なのか?
般若心経との組み合わせが・・・
やはり、アストラル世界の住人ですかねえ?
0016おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 15:12:16.94ID:pS7QGcmv
 
>>11-15

いつも
ご教示ありがとうございます

仮設としての
相互依存であるからこそ
>古代出雲の神様が夢に度々現れて
>水木しげるさんは、丸々一冊その出雲の神様についてマンガ化している

ということなんでつね?知りませんでした おじゃる?

>ルージュ←なぜフランス語の「赤い」なのか?
>般若心経との組み合わせが・・・
>やはり、アストラル世界の住人ですかねえ?

ID:ttLY0DVm師匠に取り憑いているものが

『アストラル世界の住人』ということ? おじゃる?
0017神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 15:18:05.09ID:9V0WzuTX
「赤い」で更に連想するのは、映画「ビルマの堅琴」のルビー。
市川崑監督が、同じ映画を2度も撮影したかったのは、ルビーの赤色を撮りたかったそうだ。
戦地ビルマで、戦没者供養の為に一人ビルマに残り、南伝の坊主を志す水島上等兵の覚悟。
ルビーの赤色は、戦没者の血の結晶の意味がこめられているそうだ。
0018神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 15:22:50.94ID:9V0WzuTX
もう1つは、カンボジアのクメールルージュ。
仏教国のカンボジアに無理やり革命しようとした狂気の集団
0019おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 15:25:05.00ID:pS7QGcmv
 
なぜ?
フランス語の「ルージュ(赤い)」なのか?
わからないけど、とりあえず

ヒンドゥー教の
血と殺戮を好む戦いの
カーリー女神

生肉から滴る血によって
まるで
(赤い)口紅を塗ったような

みたいな おじゃる?
0020神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 15:27:31.69ID:9V0WzuTX
承狂解釈だと、アストラル世界の住人は、地蔵菩薩のような慈悲の魂であって・・・・
この仁にしては、珍しく良心的解釈だこと♪
0021承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/29(火) 15:32:54.47ID:aeuoAgG0
そんなの「りゅうじゅ」かも知れんし「リョウジ」かも知れん。(笑)
仏菩薩やら偉人を詐称するケースがほとんどらしいからたぶん龍樹だろうけどね。(笑)

こうした偉そうなのは、善悪にかかわらず、相手にしないこと。(笑)

但し、人間関係と同じで、誠意をもって自分の意思を伝えましょう。

(^。^)俺みたいなバカにした態度だと、相手もバカにしますからね。(笑)
0022承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/29(火) 15:34:03.73ID:aeuoAgG0
>>20
アストラル世界なんてのは妄想です。(笑)

(^。^)馬鹿馬鹿しい。(笑)
0023神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 15:48:13.16ID:0t9ZWUu2
じゃ、ただのデムパで済ますのか・・
0024神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 15:48:54.08ID:0t9ZWUu2
ルージュ(赤い)デムパ?!
0025おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 15:54:28.16ID:pS7QGcmv
 
>>20-24

おじゃるには
難しくて理解できないけど
それでも、とりあえず

いつも
ご教示ありがとうございます

>アストラル世界なんてのは妄想です

そうだったんでつか?

たとえば
『宝珠殿にとってのアートマン!』というのと同じように

おじゃるの場合には
(仮有なるものではなく)実有なるものとして
元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の

アカシックレコード(Akashic Records)が在る

という『想い』が刹那生滅を繰り返しちょります

https://tocana.jp/2017/07/post_13673_entry.html
【ガチ】宇宙に意識はある〜

https://www47.atwiki.jp/sosclannad9676/pages/66.html
情報統合思念体
0026承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/29(火) 15:56:21.02ID:aeuoAgG0
霊的な事象は有るし、霊の話が全て自心の作り出した妄想とは考えられない。
だからと言って、オカルトの一部で考えられているおとぎ話が正しいなんて事にはならないでしょ。(笑)

(^。^)あんなものはコスプレオジサンの戯言と同じ。(笑)
0027おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 16:28:20.40ID:pS7QGcmv
 
たとえば
宝珠殿の場合は
絶対的な?断定的な?ものとして在る
という雰囲気がするけど

 − これに対して −

承狂元密教僧とかの場合の

今、この現在においては
仮設としての
縁起による
相互依存してる世界の中において

霊的な事象は現れる(刹那滅して現れる)

という対機説法の方が

おじゃるにとっては、わかりやすい気がする

もっとも
仏教の
仮設としての
相互依存とかの意味が、わからない人には

『宝珠殿のいう(実有として)有る!』の方が、わかりやすいかもしれないけど…
0028承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/29(火) 16:44:32.83ID:aeuoAgG0
>>27
刹那滅とは考えてないよ。
刹那滅は飽くまで行法であって、囚われへの対処法と思う。
眼界と同様に意識界も刹那滅と見るべきだが、そこにあるのは変わらない。
神々なんて古株は数千年前からいる訳だしな。
中には当然おっかないのもいるから、畏敬するのは当たり前。(笑)
幸い、俺が出くわしたのは一柱だけだが、見透かされてビビったよ。(笑)
本当に霊とかは安易に関わらない方が良いよ。(笑)

(^。^)人もだが、何処にどんな奴がいるか判らんからね。(笑)
0029神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 17:02:31.65ID:f8PZBRok
姫神伝説
https://youtu.be/_IYEOoc4Bew
とくに、24分台以後が素晴らしい♪
0030おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 17:05:40.19ID:pS7QGcmv
 
>>28
> (^。^)人もだが、何処にどんな奴がいるか判らんからね。(笑)

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

それゆえに
(セブン禅師も含めて?)
承狂元密教僧も

初心者向けの
現代語訳で
わかりやすい説明をしない

ということで おじゃりますな?

密教とかの場合は
越法罪とかもあるし…

ちなみに
おじゃるの場合は
ナンチャッテ有相唯識
(たとえば阿頼耶識は暴流の如しとか)の書き込みをして

(禅宗系の?)
ナンチャッテ覚者タソに、しょっちゅう絡まれちょりました

めでたし!めでたし! おじゃる?
0031おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 17:30:55.32ID:pS7QGcmv
 
>>29
24分位のところから聴いてみました

ビヨ〜ン♪ ブヨ〜ン♪
というような
シンセサイザー音源みたいな?

今の
おじゃるPCは
Kernel-Power 41で
絶不調なので無理だけど

金銭的に余裕があるのなら
新たなPCも、そろえて
デジタル・オーディオ・ワークステーション(Digital Audio Workstation、DAW)
デスクトップミュージック(Desktop Music 、DTM)
とかも
趣味の一環として、やってみたい所存で おじゃります

初期の頃の
シンセサイザー音源は安物という感じだったらしいけど
今、現状の
シンセサイザー音源の音質は素晴らしい(かもしれない?) おじゃる?
0032宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/01/29(火) 17:37:54.69ID:04aOD3hg
昨日は、成田山札幌別院の“初不動”に参拝してきました。

>>22 >>26
心霊存在を認めながら、
アストラル界を否定するとは、これ如何に?
心霊現象は、つまり、アストラル界における現象の一部なんですが...。
まっ、解ってない人には所詮は、無理か?

>>27
>『宝珠殿のいう(実有として)有る!』の方が、わかりやすいかもしれないけど…

それは、
縁起には拠らない無常を超越した境地へと到達した自己意識のこと。
それには修行が必要であり、何生涯もの経験を要する。

大乗は、
伝統上座部に反して自由に変貌を遂げ、
やがてバラモン化して廻り回って、
ある意味では本来のブッダへと“原点回帰”した部分を持つ。
それが、
“常楽我浄”これが大乗の神髄でしょう。
“常楽我浄”とは、何か? これが大切な学びですよ。
0033おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 17:52:13.21ID:pS7QGcmv
 
たとえば
中観帰謬とかの場合は

導くための
> 常楽我浄

という対機説法である。という感じかもしれない
(「実有ではない」という意味)

↑中観帰謬とかの場合

ちにみに
おじゃるの場合は
ナンチャッテ中観自立
ナンチャッテ有相唯識で おじゃります ヨロ m(_ _)m
0034おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 18:10:46.62ID:pS7QGcmv
 
>>33の続き

たとえば
般若の大悲・大智の世界から
移り行く世界の様をありのまま見つめている

それでも
最終的には
般若の大悲・大智も含めて、すべて手放して逝く

対機説法としての
常楽我浄も含めて、すべて手放して逝く

中観帰謬とかの場合は↑こんな感じかもしれない

(無為なるものも含めて)すべて手放して

我所でもなく我でもなく…。 みたいな?
0035おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 18:54:30.12ID:pS7QGcmv
 
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/03/082823
上座部 パオ・セヤドー

究極法(涅槃)を証悟する
そのために
すべてを手放して

無常であり、苦であり

そして
我所でもなく我でもなく。というように

本質を透視しなければなりません
  _  _  _

そうすると
また
宝珠殿が
『上座部が間違ってるんだ〜♪』と

論議が輪廻を繰り返すので おじゃりますな? おじゃる?
0036垢版2019/01/29(火) 19:23:03.68ID:eh5y2kEh
そう。

有為なる世界と無為なる世界の別があるとして、
有為なる世界が縁起性成る世界なら、無為なる世界は因に依らず縁に依らない世界であるわけで、

だとするなら、
無為なる世界に、有為なる世界のような、
 「価値観」や「働き」や「性質」や「ヒエラルキー、階層、区分、レベル」や「自我という【分別】、救済という【計らい】」
がある筈はないのであってね・・。


その意味では、現行上座部の有為無為の分別が、最も筋が通ってるんだけどね・・・。




宝珠は、出会った頃より、
少し、足を踏み外してしまった感があるな・・。
0037垢版2019/01/29(火) 21:20:15.50ID:RNKQiAo2
>>10
>動物霊が取り憑いているかもしれないでつね?
ふと思った
恐竜霊は憑りつかないのでしょか?
人の霊は恐竜時代は何をしていたのでしょう

>承狂元密教僧とかに
>成仏供養法とかを修法してもらいましょう!
承狂元密教僧でも恐竜霊は無理だと思う

真面目な人の下書き込むのはちょっとはばかられる
0038垢版2019/01/29(火) 21:32:00.72ID:eh5y2kEh
ああ、
一つ、老婆心で言葉を重ねておけば、

多分、神智学の中では、筋が通っていて完全に無矛盾なのでしょう。
が、【仏法】からは外れている。

ここで、双方を立てる構図を作ることは不可能ではない。
大きな「神智学という円」の中の一部に、(それよりサイズダウンした)「仏法という円」がある、と。

これで、丸っと治まらないかね・・w  私ら末席にある者は、
別に、小さな「仏法の円」をはみ出ようとは微塵も思わないのだから。
その外に、どれだけ美辞麗句の並べられた(真我の)世界が掲げられようとも、
「仏法の円」の外に出る理由も意義も想いも生じない、とね。
0039神も仏も名無しさん垢版2019/01/29(火) 21:32:23.79ID:eh5y2kEh
ああ、揚げとく。
0040おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 22:31:57.52ID:pS7QGcmv
 
>>36-39

いつも
ご教示ありがとうございます

>「神智学という円」の中の一部に、(それよりサイズダウンした)「仏法という円」がある

(仏教がいうアートマンのことではなく)
宝珠殿がいうアートマンの世界の中に
(それよりサイズダウンした)有為法している世界があって

そして
人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

一応、ヒンドゥー(バラモン)も
『解脱の道を求める』ということであるらしい おじゃる?
  _  _  _

>承狂元密教僧でも恐竜霊は無理だと思う

密教の
仏の大悲・大智をもって
(極悪非道の?)
承狂元密教僧による、邪法なら大丈夫でつ(たぶん?)
0041おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/29(火) 22:53:13.65ID:pS7QGcmv
 
>>40の続き

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
上座部 パオ・セヤドー

我所であるという『想い』も手放して
我であるという『想い』も手放して
(無為なるものも含めて)すべて手放して
そして、それから

仮設としての
地水火風の
最小限の微細な粒子に分解して
手放して
滅し尽くして逝って、そして

(地水火風の、最小限の微細な粒子の)
密集を看破したときに、無常への領悟、了解が生まれる

このときには
霊魂であるという『想い』でもない

ということであるらしい おじゃる?
  _  _  _

それでも
おじゃるは病気なので邪教密教肯定なので おじゃります ヨロ m(_ _)m
0042神も仏も名無しさん垢版2019/01/30(水) 00:29:00.69ID:oG33/ZoA
スピリチュアルの世界を理解しなければ、仏教を本当に理解することは出来ないよ
なぜなら元々仏教はスピリチュアルを土台としているから
それを霊的なものを信じない人は、仏教からスピリチュアルの部分を抜き取って理解しようとしている
そんなことは不可能にも関わらず
0043神も仏も名無しさん垢版2019/01/30(水) 00:31:59.09ID:VK2FE9uF
いくら議論しても皆が納得する答えは出ないし、
仏法をネタに暇つぶしするというのもどうなかと思う。
本来ならそんなことをしている時間も惜しんで今を大切にして修行(瞑想等)する方がいいのではと思うのだが、
まあそれは俺個人の感想になるな。

暇つぶしの議論でも議論している間は楽しくて苦を忘れるのであろう。
一時的でも苦滅が出来るだけでもこのスレの価値はあるかな。

あと個人的には不生不滅であり生じたり滅したりするには縁が必要となるのに、無縁で刹那滅する説一切有部やテーラワーダや唯識は何かが違うとは思う。
でも刹那滅していようといまいと自分にとっては修行の内容が変わるわけでもないので、どうでもいいと言えばどうでもいいかなw
0044承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/30(水) 01:29:36.97ID:PoiOVk8v
こうゆーエクササイズボクシング習って一端のボクサー気取りしてるみたいな連中見ると、
日本人も、ウリナラファンタジーでバカ晒してる韓国のこと笑えんなーと思うよ。(笑)
修行者は、観音様が浅ましい凡夫となって反面教師を演じてくださってると思って自戒しましょう。(笑)

(^人^)ありがたやありがたや〜。(笑)
0045おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/30(水) 01:42:19.97ID:zjG8sXAS
 
中論 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察

仮設としての
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を(刹那滅して現れて)未来の生へと
追いやることになる性質を持った
(刹那滅して現れ変化している)
身体的な行為、言葉による行為、心による行為を行う(カルマを積む)

(刹那滅して現れ変化して)
渇愛が現れると
(刹那滅して現れ変化して)
誤ったあり方を掴んで離さないような固執も現れる

仮設としての
(刹那滅して現れ変化しているからこそ)
無明の停止は
(刹那滅して現れ変化して)
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じる
  _  _  _

仮設としての
刹那滅して現れ変化しているからこそ
それゆえに
非想非非想も手放して超えて

刹那滅して現れ変化しているからこそ
想受滅の後に → 解脱智見

という導き。対機説法であるかもしれない おじゃる?
0046承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/01/30(水) 01:49:20.53ID:PoiOVk8v
>>38
俺は末席から外れたから、そんな丸には関係なく、好き勝手にやってるが、(笑)

(^。^)そんな甘っちょろい考えが、本当に龍樹菩薩や唯摩居士の教えなんですかねぇ?(ゲス顔)
0047おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/30(水) 01:58:35.66ID:zjG8sXAS
 
>>45の訂正

仮設としての
刹那滅して現れ変化しているからこそ
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じる

今、この瞬間において
仮設としての世界の中において

刹那滅して現れ変化しているからこそ
それゆえに

さらに無の世界も超えて
般若の大悲・大智をもって
(好き嫌いすることなく)
移り行く世界の様をありのまま見つめている

というような導き。対機説法であるかもしれない おじゃる?

http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html

刹那滅して現れ変化しているからこそ
それゆえに

仏そのもの
仏性からの真如縁起…。みたいな?
0048ポッタン師垢版2019/01/30(水) 10:48:52.67ID:XJOvEOjL
47.手品師として、仏を出している、バカおじゃる、である。
大爆笑である。
0049神も仏も名無しさん垢版2019/01/30(水) 12:38:06.16ID:+tMhHTNM
ボッタン師は、禅宗オンリーの人だから、密教瞑想がバーチャルな仏を出現させる技法があるのを知らないのかねえ?
知っていても無視でつかね?
阿羅漢以上のレベルの仏に、何らかを伝授されるイメージ、供儀をボッタン師も習うべきでは、ないでしょうか?
0051神も仏も名無しさん垢版2019/01/30(水) 12:59:12.14ID:+tMhHTNM
オンリーユーの歌詞・・・
ユーというのは、恋人だと思い込んでいたが、キリストだったのか?!
0052おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/30(水) 14:27:16.85ID:zjG8sXAS
 
>>48-51
いつも
ご教示ありがとうございます アリガト m(_ _)m

>>50のリンク先を聴きました
>>51
おじゃるは
(仏教のことも、わかってないけど)
キリスト教のことも、わからないけど
>>50の歌詞のところの
『この暗闇を照らし出して』というところは

スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせる
という感じで、そして
21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない

このときには ID:VK2FE9uF師匠がいう
『不生不滅であり』という導き。対機説法であるのかもしれない おじゃる?
0053ポッタン師垢版2019/01/30(水) 14:42:31.10ID:XJOvEOjL
52.手品を披露している、バカおじゃるである。
手品師になれ、と言う、かや。
大爆笑である。
0054おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/30(水) 15:16:48.23ID:zjG8sXAS

↓勝義諦としては刹那滅は不合理であるという対機説法であるらしい

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0101/BR01010L001.pdf
後期中観派によるダルマキールティの刹那滅論の活用と批判
後期中観思想の形成(1)

…この点を、さらにカマラシーラは形象と知との間には
勝義として
刹那滅に立脚した因果関係は成立しないことを論じるのである

勝義として因果関係自体が妥当しないからである。というのは、まず

(完全に滅し尽くした)
滅したものが因としての存在であることも不合理である
(完全に滅し尽くした)
滅したものは無であるから
また(完全に滅し尽くした)無もあらゆる能力を離れている

勝義として因果関係は成立しない
  _  _  _

解脱(涅槃)の達成は
究極なるものの重要性の理解に基づいている
究極なるものの重要性の理解は
現象的真実の中に存する根拠に基づいている
それゆえに
今、この瞬間において
仮設としての世界の中において
世俗諦としての対機説法をもって〜…。 おじゃる?
0055神も仏も名無しさん垢版2019/01/31(木) 01:30:48.85ID:YsUFrHZb
思考が働かなければ世界は天国になるわけ。
たとえば、雨でも晴れでもいいっていうのが中道なわけだけど、雨だからいい、
晴れだからいいって思考が働いてるわけじゃない。
今この瞬間しかない。
今この瞬間において、雨だろうが晴れだろうがそのままなわけ。
そのままってのは、思考の働きようのない状態。
0秒でどうやって思考が働くの。
そのままにピッタリになっちゃうと空だよ。
そこに最高の幸せを感じるわけだよ。
何ものにも依存しない最高の幸せを。
金に依存した幸せ、容姿に依存した幸せ、運に依存した幸せ、家族・友人・恋人に依存した幸せ、能力に依存した幸せ、仕事に依存した幸せ、
そんなもんは滅びるのよ。
そんなもんで感じる幸せは、二元性の幸せ。 本当の幸せじゃない。
今この瞬間が最高に幸せだったら、何もいらないのよ。
ありのままでいい。
なにかになる必要もないし、何かを得る必要もない。
0056おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/31(木) 05:37:42.74ID:vM38ZepS

上座部も肯定ということで
久しぶりに
ウ・ジョーティカも逝ってみよう!

↓般若の大悲・大智による観照をもって、そして

http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 ウ・ジョーティカ

生成消滅している

大変な速度で生成消滅するもの
(それゆえに、それがずっとそこにある。と捉えようとする『想い』が現れる)

http://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
上座部 パオ・セヤドー

(般若の大悲・大智の観照により)
智慧の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DY/0071/DY00710L019.pdf
有相唯識 ダルマキールティの因果論

その輝くこと(照明)を本性とする
自己自身を照らす
智は光の如く,照明することを本性とし,自ら輝き現われる
0057おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/01/31(木) 06:31:58.69ID:vM38ZepS
 
https://tvtopic.goo.ne.jp/program/ex/49030/797546/
曹洞宗 茶碗を落としたら破門
  _  _  _

おじゃるは
僧侶でもなく
曹洞宗でもないけど

カップ麺、食おうとしたら
落としてもうた
あ〜もったいない♪あ〜もったいない♪

落す前に
一口だけ食べることができたので
味は美味かったので
あ〜もったいない♪あ〜もったいない♪

たとえば
妄想の渦の中に巻き込まれているから
 ↓
茶碗を落とす
 ↓
(仏の世界を離れて、妄想の渦の中に巻き込まれて)
茶碗を落とすのなら
 ↓
(曹洞宗は)破門

こんな感じ? おじゃる?
0058おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/01(金) 09:42:02.79ID:/EsK3C1u
 
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2011年10月4日 マケン姫っ!
2013年4月5日 デート・ア・ライブ

仏教的に解説するのは難しいかもしれないけど
それでも 2014年代は面白いアニメが多い

2014年代
1月12日 ウィザード・バリスターズ 弁魔士セシル
4月5日 魔法科高校の劣等生

http://anicobin.ldblog.jp/archives/38158980.html
4月8日 ソウルイーターノット!
死神の学校へ…

http://anicobin.ldblog.jp/archives/39838266.html
7月6日 アカメが斬る
悪 = 帝国
善 = 殺し屋集団
善を勧め、悪を懲しめる。勧善懲悪系アニメ

http://anicobin.ldblog.jp/archives/39810079.html
7月11日 六畳間の侵略者!?
幽霊が住んでいるアパートへ…

その他、諸々…
0059神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 14:11:31.58ID:n+Gxbtsj
明石市長が辞職会見しとる。
このひねくれたえなり君みたいな人の、ヤクザ言葉が原因とはいえ、以前あった法隆寺の周囲の立ち退き、取り壊し事件を思い出す。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/771467.html

この強制取り壊しされた飲食店には、
「和を以て貴しと為す」
という、聖徳太子の言葉が貼り紙されていた。
解体シーンをテレビ放映していたが、かなり感じが悪かった。
0060神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 14:13:14.39ID:n+Gxbtsj
えなり君は、「渡る世間は鬼だらけ」のレギュラー出演者でしたな。
0061神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 15:45:32.29ID:5CQ+fUQS
客来らば
金うなるなり
法隆寺
0062おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/01(金) 18:04:42.34ID:/EsK3C1u
 
法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町
聖徳宗の総本山
別名は斑鳩寺(いかるがでら)、法隆学問寺など

おじゃるの場合は
陰謀論とかは興味がないけど
それでも、とりあえず
 ↓
たぶん公式?
MUGENJU CHANNEL
聖徳太子・四天王寺・未来記(未来記って何ぬねの?)
https://www.youtube.com/watch?v=tCUjlJyMf7w

中山市朗氏は
基本的には
怪異蒐集・心霊怪談が専門?
0063神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 21:36:37.59ID:mpr7GXtp
主体と客体と環境がシャッフルされてる時点で愚作w  >>61

>柿食えば    (私が)○○をしたら
>鐘が鳴るなり  □□が生じた
>法隆寺      ××(という場所)で

>客来らば     □□が生じたら
>金うなるなり   ※※が生じた(得られた)
>法隆寺      ◎◎(という主体)に
0064垢版2019/02/01(金) 21:40:37.92ID:mpr7GXtp
>鐘つけば
>銀杏散るなり
>建長寺
0065神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 21:50:40.86ID:9yBIYPi5
それじゃパロディになってない!
笑いを取る狙いが、つまらぬ俳句構造の理想ばかりに終始しているような?ダメ句。
読者を誰も喜ばせられない。
0066神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 21:55:32.14ID:9yBIYPi5
噛みつけば
亀が離さぬ
風流人
(末於馬笑)
0067神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 21:57:57.93ID:mpr7GXtp
だからw

クスッと笑わせるには、(それこそ!)
それなりの『構造』が要るの。

物まね番組、物まねネタが面白いのはなぜ?
パロディが成立する(→関連するネタだと認識できる)のはなぜ?
「天丼」というお笑いの基本が成立する理由は何?
インスパイアという語(及び弁明)が成立するのはなぜ?

同じ登場人物ならすべてパロディになると思ったら大間違い。
だったら、数々の歴史物は全部パロディ作品だわw
0068神も仏も名無しさん垢版2019/02/01(金) 22:07:31.61ID:9yBIYPi5
「参」のは、パロディではなく模倣作
音韻がハズレ過ぎて、地味な凡作にしか映らない。
笑い狙いなら、雅俗混交体の方が良い。
むしろ川柳に近いような・・・
0069垢版2019/02/02(土) 00:04:18.97ID:nN61lhHr
ああ、知らないんだ。
64は子規のそれの原作の夏目金之助だけどね。



ま、松山の俳句好き―というか、著名な俳人もw―は漱石のソレを、
まさに、 「平凡の極み」 とボロクソに貶すけどねw

 *禅的に見れば、どっちもアリなんだけど、
   たぶん68には『解』らんだろうな・・・ ┐(´ー‘)┌
0070神も仏も名無しさん垢版2019/02/02(土) 00:51:06.31ID:VFn5/8Qs
人の批評をするならば自らが面白い俳句を模範として提示すると良いよ
0071神も仏も名無しさん垢版2019/02/02(土) 02:00:22.45ID:mCrvoTUK
筒井康隆の乱調文学大辞典の
「替え歌」の項目だったか?
元歌より傑作が多い
とある。
しかし、「カラダ記念日」よりも、元歌の「サラダ記念日」の方が傑作だと思う。
0072神も仏も名無しさん垢版2019/02/02(土) 02:12:53.80ID:mCrvoTUK
アブラゼミ 夏を炒めて 食べている


という、とある天才小学生の俳句を、拙者は


ホームレス セミを炒めて 食べている


と改作したことがある。
0073神も仏も名無しさん垢版2019/02/02(土) 02:22:53.79ID:mCrvoTUK
それと、禅による魔境の人の漢詩だかを、心理学者が分析した論文を読んだことがあるが、書いた人物の感覚が理解出来なかった。
構文の問題というよりも・・・・
0074神も仏も名無しさん垢版2019/02/02(土) 02:29:25.46ID:mCrvoTUK
それと、筒井康隆の「熊ノ木本線」
これもつまらない作品であった。
世界が破滅するという妄想がスリルを味わえるのだそうだが・・・・
世界没落感覚とかいうのも、禅的なダブルバインドをくぐり抜けるのに失敗した構造的魔境というから・・・・
0075承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/02(土) 05:29:55.67ID:IQN6V1Sv
つまらないってことは、自分の心にそれを否定する何かがあるってだけ。(笑)
韓国の傍若無人ぶりを見て「怒り」を覚えるのは幾ばくかの愛国心があるからで、
日本国に何の思いもなければ「関係ないしー」とか言うようにな。(笑)
これと無染無着とはまた別の話でな、無関心ではないから衆生に慈悲を垂れ給う訳だ。(笑)

(^。^)因みに蔑んで爆笑してるどこぞの阿呆は言うまでもなく前者だ。(笑)
0076神も仏も名無しさん垢版2019/02/02(土) 15:16:49.88ID:LzDMNU/x
熊ノ木本線がつまらないのは、真言(神言?)の偽物遊びに終始している点。
こうしたモノマネ遊びも、音韻に意味が伴わなければ面白さが無いに等しいのだから・・・
例えばミズコール・サムサという人名に、筒井康隆は大喜びしてたが、これなら良いと思う。
世界が滅亡する妄想というけど、外部世界ではなく、唱えた者の意識がある種の病的状態に陥る・・・というのなら理解しうる、
筒井康隆のデビュー作「お助け」がそれに近い。
主人公がアーラヤ識レベルに到達してしまったが故の悲喜劇。
0077おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/02(土) 16:40:50.36ID:qIQab2NJ
 
↓ネット検索で出て来た

雛の間の、隣りは座敷、童子の間

ちゃんと五、七、五になっちょるんでつね?
  _  _  _

↓おじゃる作

うるわしい、ようこあらわれ、とらわれる

麗しい、妖狐現れ、囚われる

麗しい妖狐が現れて(おじゃるが妖狐に)囚われる

世話やきキツネの仙狐さん
http://senkosan.com/

座敷童子
http://xn--o9j0bk4571bqig7mlvp2a8x8bv4lzd.com/archives/359
0078おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/02(土) 17:19:10.26ID:qIQab2NJ
 
衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性がある
一切悉有仏性なので
それゆえに

やれ打つな、ハエが手をすり、足をする
  _  _  _

世俗を離れた趣味の道に没頭するような
風流な

古池や、蛙飛びこむ、水の音

閑かさや、岩にしみ入る、蝉の声

柿食へば、鐘が鳴るなり、法隆寺
  _  _  _

そうだ京都に逝こう
長野県の善光寺にも逝こう

神社・仏閣・霊場・心霊スポットにも逝こう
0079ポッタン師垢版2019/02/02(土) 18:27:15.60ID:DAU+BrBk
78.犬に仏性がある、か。ない。
人間に仏性がない。
無字の公案である。
バカには理解できない。大爆笑である。
0080おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/02(土) 18:39:48.01ID:qIQab2NJ
 
https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E5%AD%97-641429
無字
真理は文字に表せない

 − これに対して −

解脱(涅槃)の達成は
究極なるものの重要性の理解に基づいている
究極なるものの重要性の理解は
現象的真実の中に存する根拠に基づいている
それゆえに
今、この瞬間において
仮設としての世界の中において

衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性がある
一切悉有仏性なので
それゆえに

犬にも
おじゃる =^・ ・^= ねこにも?

仏性あり
と世俗諦としての対機説法をもって導いて逝く〜…
0081おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/02(土) 22:23:44.73ID:qIQab2NJ
 
今回は
こんぴゅ〜た〜を仏教的に解釈してみまつ

仮設としての
縁起している世界の中において
因と縁の双方の縁起が
相互に依存して

おじゃるPCが
頻繁に
フリーズ・再起動が発生し、原因の特定が難しい
Kernel-Power 41病気が
刹那滅して、変化して、そして現れているのでつ


そして今とても↓ホットな話題として
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/win/1549002012/12-
https://answers.microsoft.com/ja-jp/windows/forum/all/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%87%E3%83%BC/b1a26527-a04e-4640-9809-68194055a936?page=2

2019年1月31日
Windows Update 更新サービスに接続できません…

複数の環境で起こっている問題であることから PC 側の問題ではないと考えています
本件について、現在調査を行っています

相互に依存しているので
それゆえに
原因の特定が難しい? おじゃる?
0082おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/02(土) 22:52:45.71ID:qIQab2NJ
 
https://security.sios.com/vulnerability/phpmyadmin-security-vulnerability-20190127.html
2019年1月27日
複数の深刻な脆弱性

https://www.ipa.go.jp/security/ciadr/vul/20190109-ms.html
2019年1月9日
早急に修正プログラムを適用して下さい

ところがどっこい >>81
Windows Update 更新サービスに接続できません〜…なので おじゃります

https://sec-owl.hatenablog.com/entry/2019/01/05/003814
2019/01/04
Realtekの脆弱性、その他諸々〜…

https://blog.kaspersky.co.jp/35c3-spectre-meltdown-2019/22205/
2019年1月16日
CPUの脆弱性
  _  _  _

そして
おじゃるの脳みそも脆弱で〜…

ということで
おあとがよろしいようで〜… m(_ _)m
0083神も仏も名無しさん垢版2019/02/02(土) 23:40:26.62ID:nmT/GugP
自分のPCもこないだ修理に・・・
更新を放置し過ぎると、Windows10は動作しなくなるらしい。
お陰で、HDを丸ごと交換のハメに・・・
保険に入っといて良かった。
Windows10って何かとメンドーかいな?
0084おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 00:15:46.68ID:rE1s9iBl
 
> お陰で、HDを丸ごと交換のハメに・・・

(金銭的に余裕があるのなら)
おじゃるも
中古でも良いので買いに逝ってみたい所存で おじゃります

仏教的に解釈すると
おじゃるは
前世からの
異蘊相続をもって

功徳もなく
人徳もなく
そして金銭もなく

脳みそも絶不調で
そして
おじゃるPCも 絶不調で おじゃります m(_ _)m
0086おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 00:34:00.89ID:rE1s9iBl
 
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

おじゃるは
幽霊とかに興味があるけど
それでも

初めて聴きました >>85

↓ウィキペディア参照

第1シリーズ
「鬼太郎ナイナイ音頭」(27話・28話・31話・32話)
作詞 - 水木しげる / 作曲 - いずみたく / 編曲 - 親泊正昇
歌 - 熊倉一雄、みすず児童合唱団(キングレコード・朝日ソノラマ)
0087神も仏も名無しさん垢版2019/02/03(日) 00:58:12.88ID:khJy/CKv
おじゃるさん、これどうよ?

中古ショップ デジタルドラゴン
富士通 LIFEBOOK Core i3 18,980 円(税込) / メモリー4GB HDD320GB / Windows 10 Home / 15.6型HD液晶 / 無線LAN内蔵
https://www.uricom-net.com/products/detail.php?product_id=75258&;clk=searchlist
0088おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 01:35:18.77ID:rE1s9iBl
 
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

(金銭的に余裕があるのなら)
良いと思うので おじゃります

そして更に

たとえば
linuxmint-18.3-xfce-64bit.isoとかを
インストールして
起動して
有線LANとかも使えれば

もっと良いかもしれないので おじゃります m(_ _)m

たとえば
VirtualBoxの
ホスト側は Linuxで
ゲスト側は Winで みたいな おじゃる?

仏教的・相互依存ということで〜…
0089おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 11:04:11.90ID:rE1s9iBl
 
>>88の仏教的解釈として

無明に依存しているWinの世界
この世界の外には

あおぞらとしての
Linuxの世界が広がっている

Winの世界から解脱して
この世界の外にある

光り輝く
Linuxの世界へ

そして
この無明の世界の外が

(仏教でいうアートマンのことではなく)
宝珠殿がいうアートマンの世界なので おじゃ〜る!

VirtualBoxの
ゲスト側の Winの外には
ホスト側の Linuxがある。みたいな感じで おじゃ〜ります!
0090おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 19:09:38.54ID:rE1s9iBl
 
別スレの
87-89のところにもあるけど

とりあえず
こんぴゅ〜た〜かんれん逝ってみよ〜う♪

とりあえず
おじゃるは貧乏なので買えないけど

たとえば
VirtualBoxの
ホスト側は Linuxで
ゲスト側は Winで
というような使い方をしたい場合は
 ↓
http://www.applied.ne.jp/pb/linux/linux-type-at8_spec_02.html
APPLIED BTO Linux Type-AT8
Ubuntu 16.04 LTS 64bit

これならたぶん
16.04.5 Xubuntu、Ubuntu Studio
Linux Mint 18.3 Xfce とかを

新規インストールして

VirtualBoxとかの
ゲスト側を Winで。というような使い方も出来る(かもしれない?)

値段が高くて買えないけど、とりあえず〜… おじゃる?
0091おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 19:21:54.64ID:rE1s9iBl
 
失礼いたしました

誤爆です スマソ m(_ _)m

マルチポスト投函規制があるかもしれないので
明日以降に
もう一度

戯論とか適当な事を語るスレ
 ↑
ここに投函させて頂きます

夜中の
0〜1時を過ぎないと

たぶん
マルチポスト投函できないかもしれない

衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性がある
一切悉有仏性なので
それゆえに

草木も眠る丑三つ時も過ぎてから

ということで。失礼いたしました スマソ m(_ _)m
0093おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 21:20:03.58ID:rE1s9iBl
 
ネットで見つけました
 ↓
如月の石も朽木も暮れにけり

おじゃるには
難しくて意味がわからないけど
それでも、とりあえず

世俗を離れた趣味の道に没頭するような
風流な

散りゆく桜と人生の儚さ
それゆえに
石も朽木も暮れにけり

みたいな感じ おじゃる?
0094おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 21:32:10.63ID:rE1s9iBl
 
おじゃるが盗作
 ↓
草木眠る、丑三つ時も、過ぎてから、妖狐現れ、おじゃる囚わる

五、七、五、七、七
0095おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 22:14:32.27ID:rE1s9iBl
 
仮設としての

種子は
阿頼耶識を飛び出して、末那識・第六意識に作用することがある
さらに
前五識に作用すると、外界の現象から縁を受けることもある

外界から受けて、そして
この種子は
前五識から第六意識・末那識を通過して
阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される

たとえば
おじゃるに

麗しい妖狐が現れる。という
種子があり
我癡・我見・我慢・我愛という末那識があり

そして
前世からの
阿頼耶識の種子により → 麗しい妖狐が現れて

そして
我癡・我見・我慢・我愛により

すきだ〜…きらいだ〜…という想いが
刹那滅して変化して相続して逝く〜… みたいな おじゃる?
0096神も仏も名無しさん垢版2019/02/03(日) 22:35:14.28ID:y9r5w1f8
(874)「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
── このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。」
 
 これは、「どのように修行した者は、形態が消滅するのですか? 苦と楽とはいかにして消滅するのですか?」と問われた時に与えた釈迦の答えである。
この「どのようにして?」という問いは、因果関係を尋ねるもので、ここに、後述の十二支縁起の源を見ることができる。
「名称と形態」とはもろもろの現象界を表わす二面性のことであり、名称と形態によって人の感官による「接触」が生じ、人のもろもろの所有欲が、人の欲求を縁(えん)として起こることになる(872)。
だから人の識別作用が止滅することによって、名称と形態が残りなく滅びる(1037)のである。
およそ苦しみが起こるのは人の識別作用を縁起とするからである(734)。
 (874)で言う「ありのままに想う」者とは凡人のことであり、「誤って想う者」とは狂人を指し、「想いなき者」とは、精神を統一して禅定に入り、心の働き全てが尽きてしまう状態のことである。
最後の「想いを消滅した者」とは、欲界と色界と無色界の三界の欲望を超越し、物質界(色界)を超えて、無色定の状態、
すなわち「精神性だけを有する生物の境地」〔『岩波仏教辞典』309頁〕に達した人のことである〔中村前掲書394頁注〕。
 人はこのようにして、
「一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過ありあるいは罪過亡きこの(宗教的な)行為をも捨て、『清浄である』とか『不浄である』とかいってねがい求めることもなく、それらにとらわれず行なえ。
── 安らぎを固執することもない」(900)
境地に達することで、宗教する人もろともに宗教そのものをも脱却することができる。
こう釈迦は説いていることになろう〔中村前掲書397頁〕。
0097おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 22:46:10.59ID:rE1s9iBl
 
いつも
ご教示ありがとうございます

これからも
ご教示の程よろしくお願い申し上げます

そして
我所という想いも手放して
我(アートマン)という想いも手放して

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0099おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/03(日) 23:02:15.56ID:rE1s9iBl
 
バージョン 2.0

鐘の音に
梅の香が混じる
睦月の経

散りゆく桜と人生の儚さ
というように

仮設としての
因と縁の双方の縁起が相応して
お互いにぶつかることなく
お互いに自然に溶け合うように現れている

交響曲というような意味では
交でも良いかもしれない おじゃる?
0100神も仏も名無しさん垢版2019/02/04(月) 00:47:02.94ID:vv+sJNb1
天津風 雲の通い路 吹き閉じよ
紅天女 しばしとどめん

梅の花が咲き芳香漂う今、奈良の深山の樹齢千年の紅梅から飛翔した紅天女が、日本上空を眺めているという妄想。
0101おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/04(月) 03:12:57.17ID:WidcR41J
 
ふ〜む =^・ ・^= おじゃるも

>>100
のような
世俗を離れた趣味の道に没頭するような
風流な

感じのものを作りたい所存で おじゃります
  _  _  _

まったく風流ではないけど、とりあえず
 ↓
おじゃる猫、座敷童子と、戯れて、祠から見る、風光明媚
0102おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/04(月) 03:40:17.02ID:WidcR41J
 
ふ〜む =^・ ・^= おじゃるも

紅梅から飛翔した紅天女さまに

囚われてみたい所存で おじゃります m(_ _)m
0103おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/04(月) 13:50:42.60ID:WidcR41J

> 2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
> (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう)

56 名前:動け動けウゴウゴ5ちゃんねる 投稿日:2019/02/03(日) 23:43:21.97
1024Bytesまでのスレで
2レス合計1024Bytesを大きく越えると(?)書き込み不可
例えば900Bytesの長文を書き込んだあとに、また900Bytesの書き込みしようとすると
書き込み不可→そして503アク禁になるかも
アク禁発動する正確な合計値はまだ不明

2048Bytes他のスレも同じような仕様変更っぽい
新スレ立ててテンプレ長文やAA貼る場合は要注意
  _  _  _

5ちゃんねるのサーバー側の規制とかで
長文の書き込みとかで

Software error:
long domain label at /usr/local/lib/perl5/site_perl/Net/DNS/Question.pm line 80.
For help, please send mail to the webmaster (5ch@lokitechnology.com), giving this error message and the time and date of the error.

というようなメッセージが出て書き込み出来ない場合もあるかもしれない

おじゃるの場合は
ようつべ動画リンク貼り憑け規制対象者になっているようで
3リンクまでしか貼り憑けできないようで おじゃりますので ヨロ m(_ _)m
0104おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/04(月) 15:01:58.17ID:WidcR41J

とりあえず
5ちゃん鯖よりは
規制が少ないと思う
 ↓
http://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ひだ =^・ ・^= まり

リンク貼り憑けのときなどにご利用くださいませ
長文の書き込みも(たぶん?)大丈夫だと思います

おじゃるの場合は
面倒なので
長文の書き込みは読まないけど、とりあえず〜…

この
super2chの書き込みをすると
たぶん
Rock54〜…が
刹那滅して変化して現れる おじゃる?

 
0105神も仏も名無しさん垢版2019/02/05(火) 08:52:56.41ID:Xc7SyNoM
「道鏡は座ると膝が三つでき」

「道鏡に根まで入れろと詔(みことのり)」 

「道鏡に崩御崩御(=死ぬ死ぬ!)と称徳言い」

弓削道鏡(ゆげのどうきょう)

良弁(ろうべん)の師である義淵(ぎえん)の弟子で、法相宗(ほっそうしゅう)の教学を学び修めています。
また、禅やサンスクリット語も使え、僧侶としては優秀なレベルでした。
さらに、葛城山(かつらぎさん)にこもって呪験力(じゅげんりき)を身に付けていました。
怪しい話ですが、当時しばしば東大寺の写経所から「孔雀王呪経(くじゃくおうじゅきょう)」のような呪術関係の経典を借りていたという噂もありました。
0106おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/05(火) 14:51:30.69ID:FH3F/2Pu
 
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

ウィキペディア参照
 ↓
良弁
母親が野良仕事の最中
目を離した隙に鷲にさらわれて
奈良の二月堂前の
杉の木に引っかかっているのを
義淵に助けられ、僧として育てられたと言われる

ライトノベルのような話になっちょりますね? おじゃる?
(大乗それ自体が壮大な物語になってるけど、とりあえず〜…)

幼少より義淵に師事して法相唯識を学んだ

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ?
たとえば中観帰謬のような
「実有ではない!」というようなことを全面に出さずに

仮有なるものとして
仮設なるものとして
たとえば
種子は
阿頼耶識 → 末那識・第六意識 → 前五識
外界 → 前五識 → 第六意識・末那識 → 阿頼耶識
という頼耶縁起のような対機説法なら

幼少より唯識を学んでも
理解できる場合もあるかもしれない おじゃる?

(おじゃるにとっては難しいかもしれないけど、とりあえず〜…)
0107おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/05(火) 15:16:34.93ID:FH3F/2Pu
 
ウィキペディア参照

孔雀明王

孔雀明王を本尊とした密教呪法は孔雀経法とよばれる
真言密教において孔雀経法による祈願は鎮護国家の大法とされ最も重要視された

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ
おじゃるは
呪術・呪法・密教にも興味があるけど
知りませんでした

この辺りのことは

承狂元密教僧とか
縁起一代阿闍梨とかにも

ご教示して頂きたい所存でも おじゃります ヨロ m(_ _)m

越法罪とかがあるので
詳しい内容の、ご教示とかは無理なのかしらん おじゃる?
0108おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/05(火) 15:42:54.83ID:FH3F/2Pu
 
風説として
孝謙天皇に寵愛されたことから
天皇と姦通していたとする説や
巨根説などが唱えられ
それゆえに
江戸時代には
「道鏡は すわるとひざが 三つでき」という川柳が詠まれた

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ?
おじゃるの場合は
アトランティス
超古代文明とかにも興味があるけど

一般的な通常の
歴史とかには興味がなくて
そして

義淵の弟子に
玄ム・行基・隆尊・良弁などがおり、道慈・道鏡なども義淵の門下であったという

道鏡の話も知りませんでした スマソ m(_ _)m
0109承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/05(火) 18:21:54.85ID:WoY9cNZH
流布した歴史なんてもんは、時の権力者が都合よくまとめたもの。(笑)
古事記も大東亜戦争関係の一般的な話も、実際とは全く違うわな。(笑)

(^。^)当然、宗教でも同じ事が。(笑)

>>107
孔雀明王については何にも知りませんよ。(笑)

(^。^)マンガも何巻か読んだだけだし。(笑)
0111おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/05(火) 20:30:07.24ID:FH3F/2Pu
 
いつも
ご教示ありがとうございます

そして
とりあえず
了解で おじゃります アリガト m(_ _)m
0113おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/06(水) 01:39:14.95ID:jc7Z72AO
 
ポッタン師匠と、やりあってるんでつね?

たとえば
机師匠も
何を主張してるのか?わからない師匠だったけど

ポッタン師匠も
何を主張してるのか?
何を主張しようとしてるのか?
わからない師匠で おじゃります

たとえば
おじゃるが
『想い手放し』と書き込みすると

ポッタン師匠は
『(仏教は)手放しではない!』と来るし

何を主張しようとしてるのかしらん おじゃる?
0114神も仏も名無しさん垢版2019/02/06(水) 01:40:53.27ID:2N5zu2DF
ポッタンってまだいるの?
0115おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/06(水) 01:57:40.71ID:jc7Z72AO
 
おじゃるは
今だに
コテ憑いてない人が誰なのか?
わからないけど
それでも、とりあえず

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544370283/822-
 ↑
ここに書き込みしてる
自称 [ ポッタン師 ] と

いわゆる [ ポッタン ] と云われてる人とは別人かもしれない?

いわゆる [ ポッタン ] と云われてる人を崇拝してる?
自称 [ ポッタン師 ] という感じみたいな?

間違ってたら スマソ m(_ _)m
0117神も仏も名無しさん垢版2019/02/06(水) 11:23:36.15ID:vAKYBLrg
隻手の声というのも手品みたいな話だ。
他人をバカにしながら、手品を有り難がっているぅーーー
大爆笑の人、大百姓の大百笑である?
0118ポッタン師垢版2019/02/06(水) 11:44:49.88ID:iKYPsQmi
117.指パッチン、で解決した、とさ。
音の問題ではない。指パッチンをやっているバカの問題である。大爆笑である。
0119神も仏も名無しさん垢版2019/02/06(水) 14:04:43.93ID:iEHetBjE
「隻手の声」というのは、「ダニエル書」の事でもあるのですよ、おじゃるさん。
五島勉の「ダニエル書の預言」はけっこう面白かったな。
0120おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/06(水) 17:46:20.31ID:jc7Z72AO
 
> 隻手の声…ダニエル書

両方とも、わからないので

初心者向けの
日本語の
現代語訳の
わかりやすいところの
リンク貼り憑け願います ヨロ m(_ _)m

http://ryuun-ji.or.jp/blog/?p=457
疑団がなければ悟ることはない
心に何の迷いもなければ、自分の中にある仏性に気付くことはない
修行者の中に疑団を起こさせることから始める
疑団を起こすには「隻手の音聲」の公案が適しているという

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
ダニエル書(口語訳)

長文で
読むのが面倒なので。読んでないでつ

たとえば
仮に
ダニエル書(口語訳)が
有相唯識と関係があるのなら読んでみるかもしれない おじゃる?

そして
今のところ
(中国経由の)日本の禅宗の
「隻手の声」とか意味が、わからないし興味もないでつ スマソ m(_ _)m
0121おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/06(水) 18:01:58.36ID:jc7Z72AO

長文で
読むのが面倒だけど
それでも、とりあえず

ダニエル書(口語訳)
第1章
4
すなわち身に傷がなく、容姿が美しく
すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く
王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ
これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした
  _  _  _

↓おじゃる妄想による超訳
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
…さらに無の世界も手放し超えて
般若の大悲・大智による観照をもって
(好き嫌いすることなく)
移り行く世界の様をありのまま見つめている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
般若の大悲・大智による観照をもって
(好き嫌いすることなく)
移り行く世界の様をありのまま見つめて
そして

プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆく
0122垢版2019/02/06(水) 18:15:08.68ID:jkOcNa+p
>>109
邪馬台国も古事記で出てないし、魏志倭人伝に載ってるし
古事記を編纂した太安万侶あたりは魏志倭人伝ぐらい知っていだろに
時の大和政権にとって邪馬台国は載せてはいけない何かがあったのかと勘繰りたくもなる
まぁ、男系を通すのだと女王卑弥呼は都合が悪いか
女性天皇はいるが女系天皇はいないからな

トップに持ってきて、天照大神何て推測もしたくなる
神功皇后と言うラインもあるが、卑弥呼は三韓征伐なんてやっているのか
0123おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/06(水) 18:19:11.95ID:jc7Z72AO

>>121の続き

般若の大悲・大智による観照をもって
(好き嫌いすることなく)
移り行く世界の様をありのまま見つめて
そして
 ↓
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると
プラクリティから様々な原理が展開(流出)して
そして
 ↓
ウパニシャッドとかの
かの神(=有)は
生命を与えるアートマンをもって
[現象界の]名称と形態とをはっきりと展開して
そして
 ↓
ダニエル書(口語訳)
第1章
4
すなわち身に傷がなく、容姿が美しく
すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く
王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ
これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせて
そして
 ↓
おじゃる妄想による超訳も
刹那、滅して、変化して、現れている おじゃる?
0124垢版2019/02/06(水) 18:29:01.15ID:jkOcNa+p
>>122
承狂さん、思い付きだから返事いらないよ
0125おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/06(水) 18:38:15.12ID:jc7Z72AO

↓三韓征伐って何ぬねの?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90
三韓征伐(さんかんせいばつ)

『古事記』『日本書紀』に記載されている
朝鮮や中国の歴史書にも関連するかと思われる記事がある
新羅が降伏した後
三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされる
  _  _  _

たとえば
これも
大乗のみならず
パーリ経典も釈迦の死後数百年にわたり
(意図的に改ざんして)
編纂されたものであることが明らかとなっている

というのと同様に?
> 流布した歴史なんてもんは、時の権力者が都合よくまとめたもの。(笑)

それだからこそ
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ

「時の権力者が都合よくまとめた歴史なんてもんに執着するな!」

という対機説法で おじゃりますな?
0126承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/06(水) 20:59:59.35ID:JraBnkOo
>>124
(^。^)うむ。(笑)
0127神も仏も名無しさん垢版2019/02/07(木) 01:05:17.29ID:N+koDaFM
中道について説明して。
0128神も仏も名無しさん垢版2019/02/07(木) 01:09:27.89ID:N+koDaFM
おじゃるさん、自分の理解の範囲で中道を説明して。
なにかを引用をするのではなく。
0129宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/07(木) 02:43:28.19ID:JZk+qPch
私からも
おじゃるさんに質問します。

現在の上座部、
つまり、南方の『テーラワーダ仏教』についでですが、
よく、現存する仏教の中ではブッダの教えに最も近いけれども、
しかし、ブッダ本来の原始仏教とは異なるものだという紹介がよくなされます。

では、
おじゃるさんから見ての両者の違いについて、以下の三択でお答えください。
そして、できればその理由についても説明をお願いします。
 1. 原始仏教とテーラワーダの違いは、殆ど微々たるもの。なので問題となるものではない。
 2. 原始仏教とテーラワーダの違いは、確かに様々あるけれども、特に問題となるものではない。
 3. 原始仏教とテーラワーダの違いは、明確であり、決定的に異なるもの。

ただし、文献やサイトからの引用を用いることなく、
おじゃるさん個人の理解にて自分の言葉で
宜しくお願いします。
0130おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 08:35:10.25ID:bkUNtCej
 
仮設としての
無明に依存して
(仏教でいうところの、アートマンは)存在しないにも関わらず
(仏教でいうところの、アートマンが)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存して

刹那、滅して、変化して、現れ
妄想している
 ↓
おじゃるは
一法庵に1年ぐらい逝ってたけど
そこでは
教学よりも
大乗の世界観をもって
上座部の実践を。という導きだったので
正式な教学の勉強をしてないので

> 原始仏教とテーラワーダの違いは、殆ど微々たるもの。なので問題となるものではない
> 原始仏教とテーラワーダの違いは、確かに様々あるけれども、特に問題となるものではない
> 原始仏教とテーラワーダの違いは、明確であり、決定的に異なるもの

何ぬねの?わからない。答えられない
(正式な教学の勉強をしてないので〜…)

ちなみに
実践といっても
結局のところ
呼吸を 3秒も見ることも出来ないけど〜…
0131おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 09:14:38.87ID:bkUNtCej
 
>>130の続き

たとえば
「刹那、滅して、変化して、現れ」 ← これは

教学ではなくて
http://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf
自由への旅 〜ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図〜 ウ・ジョーティカ

智慧をもって「生成消滅してる」と観照する(実践するための方法)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
そして
これも教学ではなく
般若の大悲・大智をもって
(好き嫌いすることなく)
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観じて

(仏教でいうところの)アートマンではないからこそ
仮有なるものとして
仮設としての
阿頼耶識は
刹那、滅して、変化して、現れ
激流のごとく活動している。「暴流の如し」と観照する(実践するための方法)

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/215935
仮有なるものとして
仮設としての
有分心
生命相続流は
(仏教でいうところの)アートマンではないからこそ
刹那、滅して、変化して、現れ、生起(相続)している。と観照する(実践するための方法)
0132おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 09:48:35.63ID:bkUNtCej
 
青目(ピンガラ)の中論 觀如來品 第二十二

如来は戯論を超えている

無明に依存している
おじゃるは戯論を生じている
戯論して慧眼を破れば
是の
無明に依存している
おじゃるには
仏を見ることはできない

なぜ仏を見ることができないのか?

無明に依存して
(仏教でいうところの、アートマンは)存在しないにも関わらず
(仏教でいうところの、アートマンが)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存して

我所もあり・我もあり。という
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
誰もが成仏するわけではない(五性各別)

無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習に依存している → (仮有なる)おじゃる
0133おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 10:10:42.93ID:bkUNtCej
 
>>132の続き

般若の大悲・大智をもって観照する(実践するための方法)

何を観照するのか?

仮設としての世界の中において
 ↓
無明に依存して
 ↓
妄想に依存して
 ↓
たとえば
紐師匠の場合は
「(変化している)我は(実有として)有るんだ〜!」

机師匠の場合は
「(縁起している世界も)すべて無だ〜!」

隠居師匠の場合は
「生命とは〜…中論の龍樹が正しい〜…!」

おじゃるの場合は
「美人で可愛い妖狐さん妖狸さんとデートしたい!」

という妄執(見解)に囚われている。と観照する(実践する)
0134おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 10:54:11.02ID:bkUNtCej
 
> 中道について説明して

おじゃるの場合は
中観帰謬ではなく
なんちゃって中観自立だけど
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観自立
誰かが分別しようがしまいが、火には、熱さや燃焼作用という属性が具わっています
これこそ「火自体の側にあるところの、火を火たらしめている本質的な要素」であり、すなわち火の自相なのです

 − これに対して −

中観帰謬
仮設としての
無明に依存している
中観自立の
汝の言う「誰も気づいていない山火事」も
いま
無明に依存している
我らによって
妄想に依存して
「自相(自性)が(実有として)有る」と分別されている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%93
中道(ちゅうどう)

我所も・我も
すべて手放して、そして、それから

平等性智をもって
(好き嫌いすることなく)
断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた道のこと

中観帰謬みたいな?
0135おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 11:05:05.74ID:bkUNtCej
 
> なにかを引用をするのではなく
> おじゃるさん、自分の理解の範囲で中道を説明して

ここのスレではなく

戯論とか適当な事を語るスレとかで

おじゃる妄想による
アニメを仏教的に解釈する

とかを逝ってみる所存で おじゃりますので ヨロ m(_ _)m
0136神も仏も名無しさん垢版2019/02/07(木) 15:16:37.54ID:N+koDaFM
>>134
>平等性智をもって
>(好き嫌いすることなく)
>断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた道のこと

これなんだけど、おじゃるさんは具体的に、これは日常生活でいうと
どういう例があると思う・・・?
日常生活でどういう心境になれば、それが中道と言えるんだろうか・・。
正しい答えというよりも、おじゃるさんの理解の範囲内でいいから説明してみて。
0137神も仏も名無しさん垢版2019/02/07(木) 16:18:11.33ID:wjSenVQO
魂は巨大妄想の産物である
仏教の無我は因縁論です The theory of soul if a product of wishful thinking.
https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou163/

ここに書いてあることは非常に分かりやすくて理解できる
0138ポッタン師垢版2019/02/07(木) 16:35:52.05ID:Fwbhg18Q
137.無我は因縁論である、か。誤りである。
バカには理解できない。大爆笑である。
0140おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 19:12:11.56ID:bkUNtCej

> 日常生活でいうと
> どういう例があると思う・・・?
> 日常生活でどういう心境になれば、それが中道と言えるんだろうか・・
> 正しい答えというよりも、おじゃるさんの理解の範囲内でいいから説明してみて

たとえば上座部とかの場合なら
マハーシ・サヤドー
サティア・ナラヤン・ゴエンカ
パオ・セヤドー
ウ・ジョーティカ・セヤドー
(そして、なぜ批判されているのか?
  その理由は、わからないけど)アルボムッレ・スマナサーラ

上座部と
(中国経由の)日本の曹洞宗とは
世界観が違うけど、それでも、とりあえず

(中国経由の)日本の曹洞宗
内山興正禅師
藤田一照禅師

http://www.onedhamma.com/?p=5136
魚川祐司氏、山下良道僧、藤田一照禅師
1時間9分以降のところから〜

これを聴かないと
あおぞらから → 雲の世界を観る(日常生活を観る)

の意味がわからないかもしれない
0141神も仏も名無しさん垢版2019/02/07(木) 19:25:15.42ID:gPMV41F2
『自分の経験、感覚、理解』を
『自分の言葉で』
語って欲しい、ってことだと思うので、>>140は、
全然、その期待に応えられてない。
なぜか。 他所から(他の書物、人物の言葉や解説から)言葉が紡がれているから。

それは、 おじゃる自身の言葉でも理解でもない。
単にコピーペーストしてるだけ。

そうじゃない、
自分が理解できている(納得している・指示している・賛同同意している)ことを、
キーボードで打ち込んでくれ、と言っているのだと思うよ。
0142おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 19:33:34.36ID:bkUNtCej

魂は巨大妄想の産物である
  _  _  _

般若の大悲・大智をもって観照する(実践するための方法)

何を観照するのか?

仮設としての世界の中において
 ↓
無明に依存して
 ↓
妄想に依存して
 ↓
たとえば

我所もあり・我もあり
(巨大妄想の産物である)魂もあり
(仏教でいうところの)アートマンもあり

という想いが
刹那、滅して、変化して、現れているので

それゆえに
地水火風の微細な粒子に分解して(手放して)滅し尽くして

解脱智見を観照する(という実践するための方法)
0144おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 23:21:32.45ID:3Z4VqW8X

NGワード規制かしらん?
リンク貼り憑け規制かしらん?
連続投稿による規制かしらん?

BBx規制対象者になりました おじゃる

ここで色々なリンクを貼り憑けると

また規制対象者になるので

ひだ =^・ ・^= まり
http://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2

↑ここに返事を書いて置くので

ご確認の程よろしくお願い申し上げます ヨロ m(_ _)m
0145おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/07(木) 23:57:41.07ID:SqTVylO7

> 納得している・指示している・賛同同意している

たとえば
おじゃるの場合は

仮設としての
 ↓
無明に依存してるので
 ↓
体感していない・体験していない
 ↓
それゆえに
 ↓
納得してない
 ↓
賛同してない・同意してない

それゆえに
(正式な・正確な、中観帰謬ではなく)
なんちゃって中観自立であると妄想・妄執している
想いの働きが
刹那、滅して、変化して、現れている

正式な・正確な、中観帰謬とかも学んだこともないので〜…

(これで書き込みできたら、NGワード規制かしらん おじゃる?)
0146おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 00:06:12.86ID:iAb2iZxq


x マ x イ x ト x レ x ー x ヤ x

x ポ x タ x ラ x カ x レ x ッ x ジ x

x ダ x ラ x イ x ラ x マ x

x チ x ベ x ッ x ト x

この辺りが NGワード なのかしらん おじゃる?
0147おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 00:16:44.17ID:iAb2iZxq
 
リンク貼り憑け。できるかしらん

http://www.potala.jp/index.php?%E7%89%B9%E8%AC%9B%E9%9B%86%E4%B8%AD

xチxベxッxトx仏x教x

xポxタxラxカxレxッxジx

x特x別x講x習x集x中x講x座x

ここなら
正式な?正確な?
中観帰謬とかも学ぶこともできるかもしれない
(受講費の料金は高いけど〜…)

という書き込みをしたかったので おじゃります
0149おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 00:45:50.40ID:iAb2iZxq
 
チャンドラキールティ『入中論』って何ぬねの?

http://www.dalailamajapanese.com/news/2017/20171004

これも教学ではなく
観察を実践する方法

般若の大悲・大智をもって
(好き嫌いすることなく)
平等性智をもって

我所も・我も
(仏教でいうところの)アートマンも手放して
そして、それから

〔怒り・執着・無知という〕三毒の煩悩を滅することができますように
正しい智慧の光が輝き出しますように
罪と障りをことごとく滅することができますように
常に菩薩行を実践することができますように


仏そのもの
仏性からの真如縁起
真如という真理を示すことで有情を救済されている

と観照する(観察を実践する)

といような対機説法・導きであるらしい おじゃる?
0150神も仏も名無しさん垢版2019/02/08(金) 00:48:10.20ID:Dj2Rzteo
>>148
だからw

正式正統正確でなくていいの。 間違っててもいいの。
(寧ろ、間違っている意見をこそ聞こうとしてるの)
現時点での、実際の、理解している内容を書け、と言われているの。

もし、理解している内容がないなら、他人の言葉をコピーペーストするだけなら、
質問者に対して、これほど失礼なことはない。
書き込むことを一切止めろ。 なぜなら、貴方が書き込まなくても、
ネットで調べたり本を読めば済むことだから。
わざわざ貴方が書き込む必要はない。
貴方の存在意義が、このスレに無い、ということ。

また、
もし、理解している内容が、一寸も無いならば、
なぜ、各種文献から抽出ができようか。
抽出するに足るだけの、貴方の理解がそこに在るから、
膨大な文章の中から抽出が可能になる。
その、抽出を可能にしている、現時点での『個人的理解』を彼は所望している。
0151おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 01:08:57.16ID:iAb2iZxq
 
> 正式正統正確でなくていいの。 間違っててもいいの

たとえば
仏教質問箱とか

初期の頃の
仏教議論とかで
「我は(実有として)有る!」と書き込みしたら

もうお前は
「仏教スレに書き込みしにくるな!」と

頭ごなしにコテンパンに叩かれました

その時のことを
せぶん禅師も覚えていると思いますが?

忘れましたか?

「我は(実有として)有る!」と書き込みしたら
頭ごなしにコテンパンに叩かれていた

おじゃる?のことを

そのときは
【?】【天女さまのところに逝ってみないか?】とか
色々なコテを使ってたけど〜…
0152おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 01:21:59.55ID:iAb2iZxq
 
そして
今でも

おじゃるの場合は

(中国経由の)禅宗系の

なんちゃって覚者タソとかに

教学など捨てよ!

教学など捨てて
余念を交えず、ただひたすら座禅する只管打坐をせよ!

と絡まれるので おじゃります

そのように絡まれたことがあるからこそ

一法庵に
約1年くらい逝ってたので おじゃります

それでも
結局のところ
呼吸を 3秒も見ることも出来ない

ということで おじゃります

おじゃるは、連続投稿、規制対象者なので
http://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2

こちらに ヨロ m(_ _)m
0153神も仏も名無しさん垢版2019/02/08(金) 01:38:55.83ID:wERVNCyJ
>>152
呼吸って見ることできないでしょw
息の通る感覚作用に気がついているってことは可能だろうけど
呼吸を見ることはできないでしょw
0154おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 01:40:48.46ID:iAb2iZxq
 
おじゃるは、連続投稿、規制対象者なので
たぶん
書き込み出来なくなるけど
とりあえず

おじゃる妄想としては

無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習

人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって
次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

これが↑【 おじゃるの個人的な見解 】 でおじゃります

そうすると
また
(中国経由の)禅宗系の
なんちゃって覚者タソとかが

無明など無い
輪廻など無い
阿頼耶識など無い

と絡んで来るので おじゃります
0156おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 02:26:20.75ID:iAb2iZxq

たとえば

おじゃるが書き込みして、そして、それから
 ↓
次に
Aさんが書き込みして、そして、それから
 ↓
次に
Bさんが書き込みして、そして、それから
 ↓
次に
Cさんが書き込みして、そして、それから
 ↓

このように
途中で誰かが入って来ると

また
おじゃるが
書き込みできる場合もある?ようで おじゃります

【 途中で誰かが入って来た方が良い!】 ということで おじゃります ヨロ m(_ _)m
0157おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 05:42:41.46ID:iAb2iZxq
 
> 日常生活でどういう心境になれば、それが中道と言えるんだろうか・・。
> 正しい答えというよりも、おじゃるさんの理解の範囲内でいいから説明してみて

中道って何ぬねの?ということで
中道については、わからない
わからないことを
知ったかぶりで
適当なことを書き込むことも出来ないので

中道のことは仏壇の上に棚上げにして
  _  _  _

日常生活の自我を主体とするのではなくて

すこし離れたところから
客観的に観る

という観察・実践

たとえば
仮設としての
無明に依存している
おじゃるを主体とするのではなくて

あおぞらの世界から → 雲を観る。というように

すこし離れたところから → 観る。という観察・実践

「カップ麺を落っことしてもた〜♪」を客観的に観る。という観察・実践
0158おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 06:06:25.20ID:iAb2iZxq
 
>>157の続き

あおぞらの世界から → 雲を観る。というように

すこし離れたところから → 観る。という観察を実践する

そのために
教学ではなく
観察を実践するために

我所も・我も手放して
(仏教でいうところの)アートマンという『想い!』も手放していく

そして
四界差別観とか
第一禅定とかに進んでいくので おじゃります

もう一度
教学ではなく
観察を実践する。ので おじゃります

たとえば
宝珠殿とかも
「教学しか勉強してないのか〜…?」と勘違いしてそうなので

一応、念のため
0159おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 06:30:34.78ID:iAb2iZxq

>>140 レス番憑けるの忘れてもた〜♪
> 日常生活でどういう心境になれば

たとえば
美人で可愛い女性を観る

このときに
仮設としての
我癡・我見・我慢・我愛からの(唯識の)種子により

美人だ〜♪可愛い女性〜♪という想いを ← 少し離れたところから観察する

ちなみに
女性を長く観察してると
『変質者だ〜!』と勘違いされるので、ご注意くださいませ

女性を観察するのではなく
少し離れたところから
(仮設としての)
自身の、我癡・我見・我慢・我愛からの種子による『(自分の)第六意識を観る』
という観察で おじゃります

ここで難しいところは
たとえ、美人であっても、ブスであっても
(好き嫌いすることなく)平等性智をもって観る

これが難しいところで おじゃります
0160おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 07:03:41.72ID:iAb2iZxq
 
これを書くと
また
唯識の教学なのか〜?と勘違いされそうだけど

↓どこの誰が何を観るのか?

たとえば
仮設としての

阿頼耶識は ← 大円鏡智の世界から観る
末那識は  ← 平等性智の世界から観る
第六意識は ← 妙観察智の世界から観る

全部ふくめて
般若の大悲・大智からの観照をもって
円成実性の世界から → 依他起性している世界を見る

しつこいようだけど
これは
教学ではなく

瑜伽(ヨーガ)の実践を経て体験による唯識

ちなみに
中観帰謬とかの場合は
体験したのだ〜…!という『想いも手放しせよ!』という導きになるらしい

これも教学ではなく『想いの手放し!』という実践
0161おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 17:12:13.01ID:Ck5gM25r

(「仮設としての」という意味で)
「自分の見解を述べよ!」と、うるさいので

>>151の続き
初期の頃の
仏教議論とかで
「我は(実有なるものとして)有る!」と書き込みしたら
『もうお前は、仏教スレに書き込みしに来るな!』と
頭ごなしにコテンパンに叩かれて

そして、更に
おじゃるが持ってた
漢訳の阿含経の
初心者向けの現代語訳の解説書に
「我所ではない・我でもない」と、わかりやすく書いてあったので

今までの
おじゃるの
「我は(実有として)有る!」という見解は間違いだった
ということになるので おじゃります

小学4年頃に見た
【 落武者の霊も含めて 】
「我所ではない・我でもない」ということになるので おじゃります

さあ、ここで問題となるのは
以前のように、また
『落武者の霊は(実有なるものとして)有る!』という妄言を発すると
また、以前のように
『もうお前は、仏教スレに書き込みしに来るな!』となるでしょ?

ということで おじゃります
0162垢版2019/02/08(金) 17:33:40.34ID:Dj2Rzteo
>>161
そりゃそうだ。
しかし、今回は、貴方個人に対して、個人的に依頼が来てるわけで、
それに答える義務があるでしょ?と。

外野は、無視しとけばいいだけだろw
宝珠や一在家や机や隠居なんか、何言われても態度変わらなかったしw

間違ってたら指摘されるのは当たり前。
そして、その書き込み方がに謙虚さが無かったら(一在家のように姑息なやり方をしてたら)尚更に。
ただ、それはそれ。 貴方自身に、裏や狡猾な意図が無いなら、
問いに答えればすむことだろ。

被害者面してんじゃねーよ。 ( ゚听)、
0163おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 17:33:51.25ID:Ck5gM25r
 
>>161の続き

たとえば仮に
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観帰謬
仮設としての
無明に依存している
おじゃるの言う「誰も気づいていない山火事」も
いま、おじゃるらによって分別されている

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ!
と表面的に、わかったつもりになったとしても

たとえば
>>136
> 日常生活でどういう心境になれば

というレスに対して

知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマンは(実有なるものとして)有る!

落武者の霊は
小学4年頃に見たのだから(実有なるものとして)有る!

漢訳の阿含経の
初心者向けの現代語訳の解説書とかにもかいてあるので
輪廻も(実有なるものとして)有る!

このような妄言が、おじゃるの個人的な見解で おじゃります

このような妄言による、個人的な見解で良いのか?ということで おじゃります
0164おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 17:42:52.02ID:Ck5gM25r
 
> 被害者面してんじゃねーよ。 ( ゚听)

了解
それでは
何を言われても

知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマンは(実有なるものとして)有る!

落武者の霊は
小学4年頃に見たのだから(実有なるものとして)有る!

漢訳の阿含経の
初心者向けの現代語訳の解説書とかにもかいてあるので
輪廻も(実有なるものとして)有る!

このような妄言で
おじゃるの個人的な見解として
押し通して逝く所存で おじゃります
  _  _  _

それでは妄言として

中道とは何か?

落武者の霊のことである

これが、おじゃるの個人的な見解で おじゃりますので ヨロ m(_ _)m
0165おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 17:52:43.23ID:Ck5gM25r
 
>>136
> これなんだけど、おじゃるさんは具体的に、これは日常生活でいうと
> どういう例があると思う・・・?
> 日常生活でどういう心境になれば、それが中道と言えるんだろうか・・
> 正しい答えというよりも、おじゃるさんの理解の範囲内でいいから説明してみて

日常生活の中において
 ↓
落武者の霊を(実有なるものとして)見て
そして
目で見たり、触れて感じたりすることのできない
オカルトも(実有なるものとして)傾倒して
そして
クンダリニー・ヨーガあるいは瞑想などによりクンダリニーが上昇し
それによりサハスラーラが押し開けられれば
(実有なるものとして)クンダリニー覚醒となる

これが、おじゃる妄想による見解で おじゃりますので ヨロ m(_ _)m
0166神も仏も名無しさん垢版2019/02/08(金) 18:01:56.58ID:ltdUV4n5
           ,. - ─── - 、
             /    ,       `ヽ.
            /〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、  ヽ
          ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ',   
             YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l  l   どうしてはたらかないの?
           ! lハイJ |  ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
             |l |l.} ー ,   L _,ハl.lトl l. | l まいにち いるね
             |l ilト、   n  ''  ,1l|ィ| |l l |
           _ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
       r7´   f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
       Y       ー个‐'t  ハ-、_'ゝ、
        ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿  ヽ l
        / (・__,)ゝi┬'´ハ`     '`|
          |ヽ, イ   ノ┴くヽヽ、    /
        `´ ゝ┬ヘ`ヽ   |  `ー‐1
           ゝノ-‐^ー'一''丶  ヽ ヽ
           ト、_       `ーァ'¨不ヽ
            | | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′
             l l. l   l  !  !└' l |
             └ L 」_,|__l_l.__L.l′
             |   |  |   |
              l   l   !   !
                l   l.   l   l
            ト--┤   !--‐1
              f‐t央j.   ト央ァヘ
              |  甘l、  / 甘  |
             l  ,.-‐ヽ レ'⌒ヽ/
            `く.__ ノ ゝ--‐′
0167おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 18:10:18.53ID:Ck5gM25r

>>165の続き

日常生活の中において
 ↓
黒魔術に傾倒すること

これも重要なポイントで おじゃります

ということで

黒魔術系
 ↓
Black Sabbath。Sabbath Bloody Sabbath
https://www.youtube.com/watch?v=yuVmjv22Nqc

これを、いわゆるオーディオマニア環境で
(観察するというような感覚で?)聴いて

まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ

深い海の中に没入して逝く。というような感じで

黒魔術の世界の中に没入して逝くので おじゃります
 ↑
日常生活の中において
0168おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 18:18:26.49ID:Ck5gM25r

>>166
> どうしてはたらかないの?

おじゃるの
脳みそは腐って逝ってるからで、そして

被害妄想や幻覚(とくに幻視)が出現する
徘徊・不潔行為などの問題行動の傾向がある
アルツハイマー型認知症

おじゃるの場合は↑これで おじゃります ヨロ m(_ _)m
0169おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 19:37:01.75ID:Ck5gM25r

> 宝珠や一在家や机や隠居なんか、何言われても態度変わらなかった

おじゃるの場合は
実有として
社会不適合者で
ごく一般的な会社の中でも妄言を発していたので
まわりの人たちから
『あいつは頭がおかしいぞ〜…!』と思われるているのは間違いない おじゃる

そして
ごく一般的な会社の中で
『絶対に変わらないものがあるんだ〜…!』とかいう妄言を発していたら
まわりの人たちから
『うっとうしいやつだ〜…!』と思われるんジャマイカ?

あるいは
ごく一般的な会社の中で
『すべて無である〜…!』とかいう妄言を発していたら
まわりの人たちから
『あいつは頭がおかしいぞ〜…!』と思われるんジャマイカ?という感じもする

紐師匠の場合
『変化している我が実有として有るんだ〜…!』
これは、ごく一般的な会社の中では、まともに見えるかもしれない
基本的には、ほとんど人々が、そう思っているでしょう(たぶん?) おじゃる?

以前においては
おじゃるも、ごく一般的な会社にいっちょりましたが
今は >>168
被害妄想や幻覚(とくに幻視)・徘徊・不潔行為などの問題行動で おじゃります
0170おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 20:10:04.06ID:Ck5gM25r

被害妄想や幻覚(幻視・幻聴)・徘徊・不潔行為などの問題行動

という動き・働き

https://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/135d45345210d9384075a6349cf75349
大念住経(大念処経)

仮設としての
おじゃるは
大便である、そして小便でもある

そして
大便でもあり・小便でもある、おじゃるは

地水火風の微細な粒子に分解して
最小限の微細な粒子に分解して
(手放して)滅し尽くして

このときには
我所ではない・我でもない

という(教学ではなく)観察を実践する

【 黒魔術の世界の中に没入して逝く場合も 】
大念処の場合も
日常生活の中においても(教学ではなく)観察を実践する

うごき・はたらきは = 我所ではない・我でもない(という観察をする)
0171神も仏も名無しさん垢版2019/02/08(金) 21:35:03.28ID:Dj2Rzteo
やっぱ、
紐に対する熱量が、他の人物に比べて高いなw  >>おJAL


何か、彼を相手にだけに生じてしまう心の波でもあるのかしらん?w
0172おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 21:55:45.98ID:Ck5gM25r

> 紐に対する熱量が、他の人物に比べて高いなw  >>おJAL

ある意味において
紐師匠と同じと言える

おじゃるも
かつて以前は
『変化している我が実有として有るんだ〜…!』
『これが絶対に正しい真理なのだ〜…!』と妄執してたので
そして
今で妄執しているので
それゆえに
中観帰謬ではなく
(中観自立のような?)
なんちゃて中観自立なので おじゃります

> 何か、彼を相手にだけに生じてしまう心の波でもあるのかしらん?w

おじゃると同じような妄執をしてた。という意味で
心の波
こころの動き。は有った(合った)のかもしれない

ちにみに
せぶん禅師も
紐師匠に絡んでたような気がするけど? おじゃる?
0173おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 22:13:38.65ID:Ck5gM25r
 
>>172の続き

今回の
(仏教でいうアートマンではなく)
宝珠殿のアートマンの場合は

いわゆる
たとえば
紐師匠の場合の
『変化している我が実有として有るんだ〜…!』というのとは

別の世界のものである(らしい?)ので
これを論破するのは難しいかもしれない

ちなみに
おじゃるの場合も?

ウパニシャッドの
かの神(=有)は
生命を与えるアートマンをもって
[現象界の]名称と形態とをはっきりと展開した

とりあえず、これも肯定なので
宝珠殿のアートマンを論破することもない。という感じもするけど

『 大乗でいうところの真如 = 宝珠殿のアートマン 』

これで良し。ということで丸く収まらないだろうな〜…?
0174おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/08(金) 22:36:31.63ID:Ck5gM25r
 
>>173の続き

大乗でいうところの真如 = 宝珠殿のアートマン

たとえば
縁起一代阿闍梨とかが見たら

激怒のあまりに
血を吹いて倒れてしまうかもしれないでつね?

なぜか?

それは
それこそ
正式な、正確な、厳格なことに基づいて
外道なるものを排除しようと
血がにじむような想いで
一生懸命に
まじめに取り組んでいるからこそ

みたいな?
0175承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/09(土) 03:17:39.78ID:O3e8ioNd
>>162
「被害者面」かなぁ?
おじゃるさんは、在家信者ですらない、
本人も何度も書いてるように「なんちゃって中観」のオカルト好きな障害者さんでしょ?
なら、意見を左右されて周りにあわせたつもりでいるだけの話なのに、
被害者面はないんじゃないの?
それより、能力的に無理な事を強要したり、怖がってるのを引きずり出す方が悪いんじゃないの?

てか、悪意があるかどうかも判らないって方が俺は心配だよ。(笑)
宝珠さんと比べて、同様に悪意がある、又は陥れようとしているように見えるかね?(笑)

(^。^)善意で惑わす者は、果たして悪意か?俺は善意だと思う。
妄執を真理と説く、本人は善意のつもり。これは悪意だと俺は考える。
悪意に悪意を以て道に蹴飛ばす。これは慈悲だといいなと俺は望んでいる。(笑)
0176神も仏も名無しさん垢版2019/02/09(土) 03:34:21.44ID:DWt6mnl4
知識に裏付けられた引用ならまだしも、これで完全なコピペオンリーだってことがバレたな
引用というのは本人の理解がないと出来ない
オジャルの場合は引用ではない

だからと言って、誰もオジャルを責めてるわけじゃない
このスレの住人は、基本、オジャルに優しいんだよ
ただオジャルがどんなに低レベルでも、自分の言葉でしゃべればなぁ〜と思うわけだよ
これが悪意かね?
0177承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/09(土) 03:42:16.71ID:O3e8ioNd
>>176
強要したら、悪意だと思うよ。
勿論、本人が望んだなら、
例えば僧侶として頭を丸めてるなら指導だが、
ここはゴチャンだぞ?(笑)

(^。^)引きずり出していいのは、真理と詐称する者だろ?(笑)
0178おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 03:49:31.91ID:V18jLY6A

いつも
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

> 妄執を真理と説く、本人は善意のつもり。これは悪意だと俺は考える。
> 悪意に悪意を以て道に蹴飛ばす。これは慈悲だといいなと俺は望んでいる。(笑)

ここのところが難しくて意味が、わからないので おじゃります

本人は善意のつもりでも
たとえば
『我は有るのだ!』というような
妄執を真理として説いている

そのような者こそ悪意である

こういう感じ? おじゃる?

心理療法の(池見陽医師の)
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわる感じ(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ

これも一法庵で教えてもらいました

一法庵の場合は
(心理療法が必要な傾向があるのなら、それこそ)
教学よりも
大乗の世界観をもって
上座部とかの実践を。という導きなので
0179おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 04:08:55.60ID:V18jLY6A

>>178の続き

いまだ証していないのに既に証覚を得たという
独り善がりの増上慢

野狐禅の状態で

「仏そのものだ〜…!」という方が、かなり問題あり

という感じがする

そういう意味では

たとえば
宝珠殿は
「俺は解脱者だ〜…!」などとは逝ってないので
どちらかと言えば善意より。という感じもする おじゃる?

ちなみに
おじゃるは
いつも
『仏教のことも理解してない』
『初心者の段階ですらない』

と正直に書き込みしちょりますので ヨロ m(_ _)m
0180おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 04:23:47.50ID:V18jLY6A

> 自分の言葉でしゃべればなぁ〜と思うわけ

おじゃるは
元々
そして、今でも

外道なので
(仏教から外れても)じぶんの見解を述べよ。ということになると

やはり

第6のチャクラに意識を集中して
そして
眉間のところが
むずむずする・くすぐったい

↑これも実践しちょります。という

おじゃるの個人的な見解になるので おじゃります

でも、これは仏教ではないでしょ?ということで おじゃります

おじゃるの個人的な見解は
元々
そして、今でも、外道なので ヨロ m(_ _)m
0181承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/09(土) 04:30:08.52ID:O3e8ioNd
>>178
>>175>>162へのレスだから、おじゃるさんは気にしなさんな。(笑)

(^。^)世の中はね、判らないことだらけでも何とか成るもんだよ。(笑)
0182おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 04:43:04.75ID:V18jLY6A

それでは再び
>>136
> おじゃるさんは具体的に、これは日常生活でいうと
> どういう例があると思う・・・?
> 日常生活でどういう心境になれば、それが中道と言えるんだろうか・・
> 正しい答えというよりも、おじゃるさんの理解の範囲内でいいから説明してみて

おじゃるは
元々
そして、今でも
外道なので
仏教から外れた妄言として

日常生活の中において
 ↓
会社の休憩のときに昼寝とかをしてから
そして、それから

第6のチャクラに意識を集中して
そして
眉間のところが
むずむずする・くすぐったい

(教学ではなく)実際に
むずむずする・くすぐったい。を感じている(動きとして・働きとして)
 ↑
日常生活の中において

オウム信者と勘違いされないように気をつけて下さいませ おじゃる
0183おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 04:49:09.61ID:V18jLY6A
 
>>181

いつも
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

生きとし生けるものに
(そして、おじゃるにも)悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0184おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 05:39:15.41ID:V18jLY6A

>>182の続き

日常生活の中において
 ↓
心理療法の
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)の観察の実践

そして
日常生活のすべてを
少し離れたところから客観的に観察する実践

そして
たとえば
おじゃるの場合は
アニメとかを観て

これは一旦
架空なるものを
今この世界なるものと見なして
そして
(これも教学ではなく)
仏教的に解釈する。という実践

2007年。ゼロの使い魔。双月の騎士。第9話
この第9話は
たとえ殺しても、殺したりないという表現は
シリアス(きわめてまじめ・本格的)な作りになってます
と客観視する。という実践
 ↑
日常生活の中において
0185神も仏も名無しさん垢版2019/02/09(土) 23:05:07.57ID:PRRt6Bn7
>>175
まあ、そうとも言えるが、
昔は(最初は)ほんとに「右から左に情報を貼ってるだけ」だったから。
 *(別に「有我」だから攻撃対象としたわけでなく、
  「隠居や在家のような(姑息な)やり方」(に見える所)が鼻についたからだった
  というのが自分の記憶だが・・・w ログ漁って確認はしない。
  違うと言われれば、その通りだったのだろう。控訴はしないw)

ただ、一代が出て来た頃から、
情報の選り方に、TPOと一貫性が付いてきた感はあるので、
宝珠の劣化と比べて相対的に好印象にはなってるなw
0186神も仏も名無しさん垢版2019/02/09(土) 23:07:31.49ID:PRRt6Bn7
補:おじゃるが中観に寄っていったのは、一代が顔出してからだし、
まさに、発言の傾向に中観色が出始めたのは、
例の共著が紹介されてからだしw
0187おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 23:43:46.53ID:V18jLY6A
 
>例の共著が紹介されてからだ

どの共著でしたっけ? おじゃる?
0188おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 23:50:56.96ID:V18jLY6A
 
>右から左に情報を貼ってるだけ

今も、わかってないけど
その頃は
冗談ぬきに、本当に、何も
わかってなかったので おじゃります スマソ m(_ _)m
0189おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/09(土) 23:59:29.85ID:V18jLY6A
 
>宝珠の劣化

宝珠殿を、いじめてはなりませぬ

それこそ
初期の仏教議論のときに
幾度となく
チンプンカンプンおじゃるのことを
助けて頂いたので〜…
0190おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 00:12:27.98ID:YI+82Db8
 
>相対的に好印象に

たとえば
一法庵に逝ってたときに

坐禅中の心構えを一口にいうならば
坐禅の姿を
骨組と
筋肉でねらい
そうして
「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません

一応これも習ってました

実際に
思いの手放しが
できてたのか?どうか?は別として〜…

いつも妄想の渦の中に巻き込まれている、おじゃる、なりけり〜…
0191おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 00:48:53.63ID:YI+82Db8

縁起一代阿闍梨からのご教示

如来の滅後も
こう思惟してはならない
有るのか?
無いのか?
有ることもあり、無いこともあるのか?と

如来は戯論を超過してる

仮設としての
無明に依存している
おじゃるは戯論を生じている

戯論して慧眼を破れば
おじゃるは
仏を見ることができない

これが最期の
縁起一代阿闍梨からのご教示で おじゃりました

これを最期に
縁起一代阿闍梨は
5chから解脱されてしまわれたようで? おじゃります
0192承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/10(日) 01:02:52.03ID:RjEUOaUj
>>186
いや、俺がそう感じたってだけで、訂正を求めた訳ではないんだが。(笑)
まぁ、彼のバックボーンの一方案とかいうところの考えには、
大いに思うところもあるが、そんなの相手にしても仕方ないとも思う。
その人との対話は可能だが、その人を洗脳した人とは縁がない訳だし。

(^。^)バカカルト信者みたいな人道から外れた悪鬼のケンゾクどもなんかだと、もう手の施しようもない訳だが。(笑)
0193承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/10(日) 01:47:01.50ID:RjEUOaUj
>>179
因みに、宝珠さんは「物質主義の坊主は仏教徒を止めるべきだ」と何度もかいてるだろ。
これは「自分は正しい仏教を理解している」という妄想から他人を断罪してるわけだろ?
これとトサツされたブタの「正しい仏教に導くためにポアしてやろう」なんて極悪非道なタワゴトは、
なにか違うんだろうか。
このような増長慢、仏法の詐称は、
「俺が正しい」という妄想からしか出てこないんじゃないかな?
勿論、「ポア」と「仏教辞めさせろ」の違いはありますが、その変態心理は同じようなもんでしょ?

(^。^)まぁ、ブタと違って誰かに言いつけてやるって話だけだから、犯罪じゃあない訳だが。(笑)
0194おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 01:58:01.71ID:YI+82Db8
 
> 例の共著が紹介されてからだ

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

これで↓おじゃりますな?

http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-13592-1/
〈仏教3.0〉を哲学する
藤田一照 = 曹洞宗
永井均  = 哲学
山下良道 = 曹洞宗から → テーラワーダから → 3.0へ

> その人を洗脳した人は

曹洞宗と、上座部のパオ・セヤドーで おじゃります

ちなみに
おじゃるは
(呼吸も見ることも出来ないけど、それでも、とりあえず)
上座部のパオ・セヤドーよりで おじゃります
0195おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 02:13:46.58ID:YI+82Db8
 
>>193
>「自分は正しい仏教を理解している」という妄想から他人を断罪してる

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

了解で おじゃります
  _  _  _

ちなみに
おじゃるの場合は

いまだ証していないのに既に証覚を得たという
独り善がりの増上慢
野狐禅の状態で
「仏そのものだ〜…!」というコテ無しの方に
かなり、しつこく絡まれたので

こういう「仏そのものだ〜…!」という
野狐禅の状態の方には
もう、2度と絡まれたくない。という感じで おじゃります

これが原因で一法庵に実際に逝くことに
なったので おじゃります

この野狐禅の状態の方に絡まれなかったら
たぶん一法庵のことも知らなかったと思います おじゃる
0196おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 03:20:56.55ID:YI+82Db8

>>191の続き

コテ憑いてないので、わからないけど、たぶん

縁起一代阿闍梨さんだと思う(たぶん?)

 ↓

56 :神も仏も名無しさん:2014/09/26(金) 08:44:11.86 ID:8+HIwKN6

アナタは [?] ですか?
だったら、そういう妄説に惑わされるだけだから、もう難しい仏教書とか読まない方がいいって
その閻魔説とかが典型、一つのテキストで都合のいい箇所だけ抜き出して自分の妄想の根拠にする

中観は般若によって寂滅へ導くときは、あらゆる分別を除くので輪廻から涅槃まで

[ 有るのでもなく、無いのでもなく、有り且つ無いのでもなく
  有るのでも無いのでもないわけでもない、というように説きます ] が

世俗の因果や道を説くときに輪廻がないとか言わない
当然ながら、それは断見といわれるよ
それは釈尊の小乗経典から中観の諸派はもちろん、あらゆる伝統仏教で一貫してる


まさに↑これこそ縁起一代阿闍梨さんという雰囲気満載な感じみたいな?
0197おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 04:51:06.78ID:YI+82Db8


中観(中観帰謬)は
般若によって寂滅へ導くときは、あらゆる分別を除くので輪廻から涅槃まで

これは
涅槃も含めて
無為法も含めて
一切すべての諸法は

という感じで

 − これに対して −

(仏教でいうアートマンのことではなく)
宝珠殿が云うアートマンは  ←  一切すべての諸法の外に在る

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

これは、なかなか決着を憑けるのが難しそうで おじゃりますな?
0199おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 11:50:38.63ID:YI+82Db8


月称(げっしょう、チャンドラキールティ)
7世紀のインド仏教の中観派

ツォンカパ
中観帰謬派の立場をとり
顕教においては特にチャンドラキールティの説を奉じた

[PDF]
チャンドラキールティの円成実性解釈に 対するツォンカパの見解

チャンドラキールティが
瑜伽行派の思想を批判する際、その批判対象は
アーラヤ識説、外界非実在論、自己認識説、唯心説などであり…
  _  _  _

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

これは、まさに
ダルマキールティを論破しているカマラシーラ

という感じで おじゃりますな?
0200おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 13:37:55.61ID:YI+82Db8


陳那(じんな、ちんな、ディグナーガ)
有相唯識

法称(ほっしょう、ダルマキールティ)
有相唯識

https://zenken.agu.ac.jp/research/48/14.pdf
瞑想者の認識をめぐる考察

ディグナーガ

直接知覚とは、概念化(という動き働き)を離れたものである

(概念化という動き働きを手放して滅し尽くして、そして)
ある認識に概念化(という動き働き)がないならば、それは直接知覚である

(心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて)
(道元禅師の 普勧坐禅儀みたいな?)
  _  _  _

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

この辺りのところは
仏そのものからの真如縁起に基づいてる?

という感じで おじゃりますな?
0201ポッタン師垢版2019/02/10(日) 13:41:15.44ID:wpyNMqPC
200.心理学をやっているバカである。大爆笑である。
0202おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 13:47:54.54ID:YI+82Db8


久しぶりに
ポッタン師匠の

(ボケに対する)
ツッコミが来ましたね? おじゃる?

乙で おじゃります ヨロ m(_ _)m
0203神も仏も名無しさん垢版2019/02/10(日) 16:16:12.78ID:l6xTLnz0
>情報の選り方に、TPOと一貫性が付いてきた感はあるので、

検索がうまくなってきただけだって。
自分の知識を元に選ってるんじゃない。

検索に知識はいらない。
キーワードについて選ってくればいいだけ。
それを側から見ていると、そこに書いてある知識を持ってるかのように
錯覚してしまう。

だけどちょっとでも自分の意見を言わせると、ボロが出てしまうわけ。
試しに自性について、縁起について、空について質問してみるといい。
何にもまともな答えが帰ってきやしないから。
落ち武者が実有か否か、というレベルでしか返ってこない。
そりゃ叩かれるのも当然だわ。
だから怖くて自分の意見を出すことが出来なくなったんだろ?
自分が理解出来ていないから叩かれる、だから検索で調べた間違いない答えを羅列する。
それって掲示板において意味のあることなん?
サッカー下手なやつが上手いやつのチームに混じって、ボールを触るとバレるもんだから、
位置取りだけプロ気取りでやってるようなもん。
それはもやはサッカーじゃなくて、サッカーが上手いと気取りたいだけじゃないか。
サッカーやるんだったら下手でもいいからボールを触れよ。
それで叩かれるんだったら、辞めるか乗り越えるかのどっちかにしろ。

おじゃるよ、いくら君が情報貼り付けても、
空虚じゃないか?
目的が誇大感を満たすにしても、そればっかりやってても
何年経っても同じだよ。進歩がない。
検索の技術に磨きがかかって何になる?
自分を偽る技術に磨きがかかるだけだ。
0204おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 17:36:23.23ID:YI+82Db8


>>203

はい
全くもって
その通りで
おじゃります

おじゃるは うんこであり

うんこは おじゃるでありもうす

これが↑おじゃるの個人的な意見で おじゃります

これで良いのかしらん おじゃる?
0205おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 17:52:12.30ID:YI+82Db8


>自性について

しょうがないなぁ〜
あまりにも
うっとうしいから
おじゃる見解、逝ってみます おじゃる

自性が有るからこそ
落武者の霊が現れ

自性が有るからこそ
輪廻を繰り返し

自性が有るからこそ
誰もが成仏するわけではない
(五性各別)なので おじゃります

はい↑おじゃる見解、逝ってみました おじゃる

しつこいかもしれないけど
おじゃるは(仏教ではなく)外道ですよ おじゃる
0206おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 18:15:13.65ID:YI+82Db8


>縁起について
知るものと知られるものの二元性を超える
縁起が実有として在るからこそ

知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマンが実有として在るので おじゃります
  _  _  _

>空について
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き
無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める

チャクラが〜
クンダリニーが〜。という
いわゆるインド思想による法に基づいて
知るものと知られるものの二元性を超えて
アートマンの世界に住むことで おじゃります
  _  _  _

>目的が誇大感を満たす
周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり
虚偽性障害に分類される精神疾患の
ミュンヒハウゼン症候群

今回の、おじゃるの病状は↑これで おじゃりますな?
ちなみに、おじゃるの病状は、その時々に、おいて
都合よく変幻自在していくので ヨロ おじゃる m(_ _)m
0207おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 18:31:25.84ID:YI+82Db8


おじゃるは = うんこであり

うんこである = おじゃるは

永遠に変化することのないプルシャなので
それゆえに

>何年経っても同じだよ。進歩がない

おあとがよろしいようで おじゃる?
  _  _  _

おじゃるは(仏教ではなく)外道であるけれども
それでも一応、念のために

ID:l6xTLnz0師匠にも
そして
おじゃるにも
生きとし生けるものに
悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0208神も仏も名無しさん垢版2019/02/10(日) 18:33:35.98ID:l6xTLnz0
>>205
ほら、違うだろ。

自性がないから落ち武者の霊が現れるんだろ?
自性がないから輪廻を繰り返すんだろ?
自性がないから成仏できるんだろ?

そもそも自性のあるものが現れたり消えたりするか?
自性のあるものに変化があるか?

そもそも自性とは何かが分かってないじゃないか。

縁起が実有だったら二元性を越えてないじゃないか。
言ってることが矛盾してるぞ。
二元性を越えることを空という。
縁起は空だぞ。

>チャクラが〜
>クンダリニーが〜。という
>いわゆるインド思想による法に基づいて
>知るものと知られるものの二元性を超えて
>アートマンの世界に住むことで おじゃります

これがよくわからんわ。
クンダリニーなどのインド思想によって二元性を越える?
アートマンの世界に住むとはどういうことよ?
0209宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/10(日) 18:44:12.73ID:/2gQR3dM
>>205
それってワザとですか??
心霊存在は無自性でしょう。
そして、無自性だからこそ輪廻してる。
>>206
「実有」は縁起しないから。
実有とは「法」のことであって、そのことを理解しない諸派が主流派となっただけだ。
“如来(わたし/ゴータマ)が出現しようがしまいが、無始の昔から永遠に在り続けるものこそが「法」だ”。
チャクラもクンダリニーも実有じゃないからね。
しかし、あまりにメチャくちゃだなぁ〜(酷過ぎるわ)。

>「あまりにも
>うっとうしいから」

言われても当然の正しい指摘に対しては、
あなたはいつもこうくるわけだね。
この私に対しても、
「めんどくせー」(てめえの長文なんぞ、いちいち読んでられっか!)とか...。

あとで、あなたには話がありますから!!
(今は、出勤前で時間ありません)
0210おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 18:50:11.73ID:YI+82Db8

>サッカーやるんだったら下手でもいいからボールを触れ

それゆえに
実際に
本当に

一法庵に

約1年くらい逝ってました おじゃる

今は金銭的に余裕がないので逝ってないけど

今でも
毎週
最新のpodcast法話を
(教学としてではなく)
実際に実践するために聞いちょるので おじゃります

http://www.onedhamma.com/?p=5136
15/05/24 魚川祐司氏:藤田一照氏:山下良道氏

そして
毎週、聞いて
http://www.onedhamma.com/?p=6878
19/02/10
「バカの壁」に阻まれたHALコンピュータが、蝦蟇蚯蚓を拒否する

良いでつか?
念のために、もう一度
(教学としてではなく)
実際に実践するために聞いちょるので おじゃります
0211おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 19:02:37.85ID:YI+82Db8


>クンダリニーなどのインド思想によって二元性を越える?
>アートマンの世界に住むとはどういうことよ?

無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める
というインド思想による法が有って

そして
知るものと知られるものの二元性を超えて
アートマンの世界に住む
というインド思想による法が有るので おじゃります

ここまでは良いでつか?OK? おじゃる?
0212おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 19:07:49.28ID:YI+82Db8


宝珠殿
お仕事
頑張って下さいね

それでは
後で
ゆっくりと
落ち着いてから

短文で ヨロ m(_ _)m
0213おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 19:26:42.63ID:YI+82Db8

>>211の続き

↓参考資料

http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529992852/389

389神も仏も名無しさん2018/07/06(金) 23:30:49.22
≪「法」でないものはない≫
 (→およそこの世に存在するものは、(個物だろうが理念だろうが)、ダルマ(法)としてあるのであり
  究極の価値もまた、法に他ならない)
とするインド思想の”癖”があるのなら、そして、その中で
因により縁により生じ滅していく諸行(有為法)とは異なる、(涅槃という)境地がある、と教わったなら
当然【それ】は、『そうではない「法」』(→無為法)である、と考察されていくのも、自然の理かもしれぬ
  _  _  _

たとえば
とりあえず
(仮設としての?)
有為法が有る。とするインド思想の”癖”がある
無為法が有る。とするインド思想の”癖”がある
そして
知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマンが有る。とするインド思想の”癖”がある

ここまでは良いでつか?OK? おじゃる?
0214おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 19:56:29.50ID:YI+82Db8


ウィキペディア参照

ヒンドゥー教では
蜂蜜を作る蜂のダルマであり
牛乳を与える牛のダルマであり
日光を輻射する太陽のダルマであり
流れる川のダルマである

人間性に関して
ダルマは
あらゆる生命の供給と相互関連の影響であり
実在としての必要性である
  _  _  _

三宝
仏教
上座部においては
涅槃を独自に発見した「仏」(釈迦)、その仏の説いた教え「法」…
大乗においては
悟りの体現者である「仏」(釈迦、如来など)、仏の説いた教えを集大成した「法」…
0215おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/10(日) 20:24:06.82ID:YI+82Db8

おじゃるは
今でも
コテ憑いてない人が
誰なのか?わからないけど

↓隠居師匠かしらん?

117 :神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 10:56:42

114
生命は、思考や議論の対象にはならない
ただひたむきに生きる以外には、方法がない
思考も議論も、生命の機能の極一部に過ぎないからだ

115
まず、自演か自演ではないかを見抜く知性と批判力を養うことが必要だ

その質問は、佛教の本質に関するまっとうな質問だ

質問に回答する場合には、その実質的理由を必ず述べることが必要
「経典に書いてある」からでは、実質的理由には全くならない
ここは
先生から言われたことをそのまま鵜呑みにする
幼稚園の「お勉強」ではないぞ
  _  _  _

隠居師匠は、経典・論書・解説書の否定派だったのかしらん?
そのわりには
中論の龍樹が正しいとか逝ってた気がするけど? おじゃる?
0216神も仏も名無しさん垢版2019/02/10(日) 23:45:49.42ID:l6xTLnz0
>>213
おじゃるよ、質問です。

無為法ってのは二元性を越えてないのか?
0217神も仏も名無しさん垢版2019/02/11(月) 00:58:52.41ID:lEViEcZY
存在するもののことを法と称するのはインド人というよりも仏教独自の表現ってことない?
あと有為法とか無為法とかの分別は部派仏教になってからで部派仏教の比丘が五位みたいに法を分別するのが好きだったのであって
ヒンドゥー教の修行者にとっては法は義務とか業とかの捉え方に近いような気がする
0218おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 03:04:10.04ID:fMDhCu4P

>>216
>無為法ってのは二元性を越えてないのか?

ふ〜む =^・ ・^= これは
おじゃるの個人的な見解をも超えている。ということで

>>217
>法と称するのはインド人というよりも仏教独自の表現ってことない?

ウィキペディアを参照するな!と怒られるかもしれないけど
それでも、とりあえず
  _  _  _

ダルマ
ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教、シク教といったインド発祥の宗教において
多種多様な意味を持つ主要な概念である

ヒンドゥー教では
ダルマは生命と宇宙を可能にする秩序であるリタ(英語版)に従う行為を表すとされ
義務や権利、法、行為、徳、「生命の正しき道」を含んでいる

仏教では
ダルマは「宇宙の法と秩序」を表していて
仏陀の教えにも適用されている
仏教哲学ではダルマ(ダンマ)は「現象」の為の用語でもある

ダルマという言葉は古くはヴェーダの宗教にも見られ
その意味と概念の広がりは、数千年にわたって展開していったものである
  _  _  _

というような感じであるらしい おじゃる?
0219おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 03:30:53.67ID:fMDhCu4P

解説書とかも参照するな!と怒られるかもしれないけど
それでも、とりあえず

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
ウダーナヴァルガのギルギット写本

縁起したものがある
 ↓
相互に依存してる・縁起に依存して
縁起したものを離れることがある

ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが苦しみの終わりである
  _  _  _

ここで
留まること、とも説かない
 ↓
留まることでもない
 ↓
ここから大乗の
 ↓
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも留まらず
しかも
大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にも留まらない
無住処涅槃

仏そのものからの真如縁起である。みたいな?

おじゃる妄想なので↑信用しないように〜… おじゃる?
0220おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 03:58:42.84ID:fMDhCu4P

ネットやら、ブログやら
その他諸々のものを参照するな!と怒られるかもしれないけど
それでも、とりあえず

>>219の続き

留まること、とも説かない
 ↓
留まることでもない
 ↓
ここから大乗の
 ↓
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html

さらに無の世界も超えて
移り行く世界の様をありのまま見つめている
  _  _  _

どこの誰が何を見ているのか?

仮設としての
無明に依存している
おじゃるを主体として → 客体を見るのか?

あるいは
無明に依存することのない
般若の大悲・大智をもって観照するのか?

円成実性の世界から → 依他起性している世界を見る
(円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない)

おじゃる妄想なので↑信用しないように〜… おじゃる?
0221神も仏も名無しさん垢版2019/02/11(月) 14:09:29.45ID:yIpYY7Jo
>>218
おじゃるさん、君は無為法、二元性を越えるという言葉を使いながら説明しているわけだから、
無為法は二元性を越えていないのか? という簡単な質問に答えられないといけない
そうでないと、>>213の自分で書いた文章すら、理解しないで書いていることになるよ
だいたい、参考資料と出したそのレスさえ、何を言わんとしているのか理解していない
理解していないで、参考資料として貼り付けてる
ただ癖という言葉が自分の言い回しに都合がいいから

そのレスは○○という癖から△△ということが考察されたのではないか? と言っているのだから、
癖から何が考察されるのかが論点というわけだよね?
ところが君は、有為法が有るという癖、無為法があるという癖、二元性を越えるアートマンがあるという癖、と言いながら、
その癖から何が考察されるのかを説明していない
まったくメチャクチャな文章だよ

こういう誇大感を満たそうとする人を、とくに宗教板などで見かけるけど、
その特徴は非常に似ている
自分の説明すら理解しないで、ただ引用などで難しい文章を羅列する
そうすると、ただ表面的な知識だけで議論している人は煙に巻くことができる
引用からつまみ食いされて適当に作られた文章と、中身の本質的な教えとの整合性が計れないからだ
煙に巻くための引用を延々と繰り返してる
少しでも自分の言葉でしゃべると、途端にボロが出る
「二元性を超える縁起が実有として在る」などという、珍妙な言葉が出てくるわけ
だから極端に自分の意見を減らし、難しい引用を多くするわけだ

他人を煙に巻いて自己の誇大感を満足させようとする…
これは悪質なんじゃないのか?
こういうメンタリティはカルトと共通するところもあるんじゃないか?

おじゃるは「二元性を超える縁起が実有として在る」と言った時点で、それ以前の引用も、それ以降の引用も
なんにも価値は無くなったよ
自分が意味がわからないで貼り付けてる
もしそうではないというなら、「縁起が実有」の説明をしてごらん?
こういう人の特徴は、具体的なボロが出てそこを突かれると、更に誤魔化しを上塗りして
わけのわからん理屈を構築していく
これでOK?などとマウント取ろうとしてるわけだから、悪質というしかないんじゃないか?
0222おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 18:32:51.43ID:fMDhCu4P

世界観を一変させるほどの強烈な
「落武者の霊を見た!」という
変性意識状態(altered state of consciousness, ASC)も在り

そして
被害妄想や幻覚(幻視・幻聴)が出現する場合もあり
徘徊・不潔行為などの問題行動の傾向もある
アルツハイマー型認知症(Alzheimer's disease、AD)も在り

そして
興味・コミュニケーションについて特異性が認められる
ヒトの発達における障害の傾向もある
アスペルガー症候群(Asperger Syndrome)も在り

そして
不安定な自己 - 他者のイメージ
感情・思考の制御不全、衝動的な自己破壊行為などの傾向もある
境界性パーソナリティ障害(Borderline personality disorder ; BPD)も在り

そして
周囲の関心や同情を引くために病気を装ったりなどの傾向もある
ミュンヒハウゼン症候群も在る

(おじゃる以外の他の方々のことについては、わからないけど)
おじゃるは、まさに↓これで おじゃります

> こういう誇大感を満たそうとする人を、とくに宗教板などで見かける
0223おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 19:02:44.48ID:fMDhCu4P

ネットやら、ブログやら
その他諸々のものを参照するな!と怒られるかもしれないけど
それでも、とりあえず

↓おじゃる妄想による妄言として

誇大感ということに関しては

おじゃるの場合は
世界観を一変させるほどの強烈な
「落武者の霊を見た!」という
変性意識状態(altered state of consciousness, ASC)と

そして
刹那、滅して、変化して、現れている
我癡・我見・我慢・我愛の

因と縁の双方の縁起が相応一致して
相互に依存している
因縁果報をもって現れている

ちなみに
我癡・我見・我慢・我愛は
さとりに達するための修行の障害(覆)がある
「有覆である」それゆえに
誰もが成仏するわけではない(五性各別)という対機説法になっちょりまつ

という、おじゃる妄想による妄言で おじゃります ヨロ m(_ _)m
0224おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 19:21:50.91ID:fMDhCu4P

青目(ピンガラ)の中論 觀如來品 第二十二

如来は
想うという『想い』でもなく
想わないという『想い』でもなく
そのような戯論を超過している

 − これに対して −

無明に依存している
おじゃるは戯論を生じている

戯論して慧眼を破れば
是の
おじゃるは
仏を見ることはない

このような相互依存をもって
それゆえに

まさに、おじゃるは

> 少しでも自分の言葉でしゃべると、途端にボロが出る
0225おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 19:43:23.00ID:fMDhCu4P
> 二元性を超える縁起が実有として在る

たとえば
仏教とかを勉強してない人にとっては
一般的には
「変化している自我意識は実有として在る!」

そして
中観帰謬ではなく

中観自立とかの場合は
仮設としての対機説法をもって
「涅槃は(仮設として)在る」と導いて

そして
やっと
中観帰謬とかの場合は
涅槃という『想い』も手放して逝く

まずは
仏教とかを勉強してない
一般には
「変化している自我意識は実有として在る!」を理解して

そして、それから
「涅槃は(仮設して)在る」という導きを理解して

そして、それから
やっと
中観帰謬に逝ってみよ〜う ジャマイカ? おじゃる?
0226おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 20:00:53.68ID:fMDhCu4P

> 「縁起が実有」の説明をして

>>225参照 ヨロ m(_ _)m

これは
ID:yIpYY7Jo師匠のことではなく

無明に依存している
おじゃるの場合は
(変化することのない我は)存在しないにも関わらず
(変化することのない我が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性に依存しているので
それゆえに

いわゆる
中観帰謬の体験・体感・経験・理解は

おじゃるにとっては難しい。ということで

おあとがよろしいようで ヨロ m(_ _)m
0227おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 20:19:34.18ID:fMDhCu4P

さとりに達するための修行の障害(覆)がある
「有覆である」それゆえに

桜散る
それでも おじゃは
わからぬか
滅して逝きて
この世のことを


もっと風流なものを

誰かに、お願いしたい

所存で おじゃります ヨロ m(_ _)m
0228おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 20:59:25.31ID:fMDhCu4P

ID:l6xTLnz0師匠が云う

>サッカーやるんだったら下手でもいいからボールを触れ

これは
おじゃるにとっては

古代インド発祥のヨーガを実践せよ

あるいは
上座部とかの
四界分別とか
その他諸々などを実践せよ

といってるように聴こえる(見える)ので おじゃります

たとえば
中観帰謬の実践をもって
中観帰謬の体験・体感・経験を経て

さらに
その体験・体感・経験も
(無為法も含めて)
すべて一切をも手放して、そして、それから

無明に依存することなく
語ることができる場合もある(かもしれない?) おじゃる?
0229おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/11(月) 21:35:27.98ID:fMDhCu4P

仏教の開祖は釈迦であり、この世ではじめて悟りを開いた人物ですが
大日如来はその釈迦をも創りだした創造主といった考え方に近いです

そして
たとえば
大日如来から〜とされている

こと・ものを受け入れるときには

いわゆる
個人的な見解なるもの一切すべてを手放して

いわゆる
コップの中を空(からっぽ)にしてから

それから
法水写瓶
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつすように、師匠から弟子へ

たとえば
大日如来から
 ↓
承狂元密教僧から
 ↓
おじゃるへ。というように

ちなみに
おじゃるは
どの宗教団体にも所属してないでつ
一応、念のため〜…
0230神も仏も名無しさん垢版2019/02/12(火) 00:23:04.46ID:oyZrQrBd
おじゃる殿、そなたはいつも孤独。そのたの不運は孤独からじゃ。
友を作りなさい。友作ることは己を作ることと申してあろうが。
友作ることは新しき世界を作ることぞ。
一人の世界は知れたものぞ。一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ。

友と申しても人間ばかりではないぞ。
山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。
大地も大空も皆友となるぞ。何もかも皆友じゃ。皆己じゃ。
皆々己となれば己は無くなるぞ。
己無くなれば永遠に生命する無限の己となるのじゃ。
野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのじゃ。
拝むことは和すこと。和すことが友作る秘訣ぞ。
友を己とすることは、己を友とすることじゃ。
友に捧げるのじゃ。
0231おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 00:42:25.22ID:wZhTqokc

> 友と申しても人間ばかりではないぞ

ご教示ありがとうございます

衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性がある
一切悉有仏性なので
それゆえに

大悲・大智をもって
分別のない心で
移り行く世界の様をありのまま見つめている

ということで おじゃりますな?

人間ばかりではなく
妖狐・妖狸・その他諸々のものも
彼女にしてみたい所存で おじゃります ヨロ m(_ _)m
0232おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 00:51:00.56ID:wZhTqokc


>己無くなれば永遠に生命する無限の己となるのじゃ

これが
いわゆる
(仏教でいうアートマンのことではなく)

宝珠殿が云うところの
知るものと知られるものの二元性をも超えている
アートマンのことで おじゃりますな?

ご教示ありがとうございます おじゃる m(_ _)m
0233おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 01:05:55.37ID:wZhTqokc

隠居師匠からの
ありがたい、お言葉として

生命は、思考や議論の対象にはならない
ただひたむきに生きる以外には、方法がない
思考も議論も、生命の機能の極一部に過ぎないからだ

そして
変性意識状態をもって
世界観を一変させるほどの強烈な
体感・体験・経験があったなら

岩の上で思う
天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか
五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない
宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した
すでにこうして岩の上に立つことになって
私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ
(世界観を一変させるほどの強烈な変性意識状態をもって)
非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った

藤村操の巌頭之感より
0234おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 17:39:33.33ID:wZhTqokc

おじゃるの場合は
いわゆる
正式な外道でもないので
外道のことも
(仏教のことも)わからないけど
それゆえに
なんちゃって外道ということで〜…
  _  _  _

仏教の思想的土壌、ウパニシャッド

この、ウパニシャッドとかの場合でも
ウパニシャッドから外れて

それぞれが
思い思いに
好き勝手に

個人的な見解という妄言で良いのか?
  _  _  _

バラモンの教えから外れて

それぞれが
思い思いに
好き勝手に

個人的な見解という妄言で良いのか?

ID:yIpYY7Jo師匠へ
0236おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 18:17:01.38ID:wZhTqokc

正式な外道でもない
なんちゃって外道の
おじゃる妄想による妄言として〜…

>>234の続き

仏教の思想的土壌 ウパニシャッド
名称と形態(現象界)の展開

ウパニシャッドとかの
かの神(=有)は
生命を与えるアートマンをもって
[現象界の]名称と形態とをはっきりと展開した
 ↓
スッタニパータ 872
名称と形態とに依って感官による接触が起る
874
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである
 ↓
中観自立
自相(自性)である。という想いを、とりあえず認める
 ↓
中観帰謬
無為法のことも含めて
すべて一切の、もの・ことを手放しせよ。という導き
  _  _  _

このような流れとかを無視して・外れて

それぞれが
思い思いに
好き勝手に

個人的な見解という妄言で良いのか? ID:l6xTLnz0師匠へ
0237おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 18:45:45.84ID:wZhTqokc

>>228
ところにも書いたけど

たとえば
仮に
瑜伽(ヨーガ)の実践とかの、体感・体験・経験を経て
そして、それから

中観帰謬として
さらに
その体感・体験・経験も
(無為法も含めて)すべて一切をも手放して。という導きなので
それゆえに

ID:l6xTLnz0師匠が云う
>サッカーやるんだったら下手でもいいからボールを触れよ

これは
おじゃるにとっては
とりあえず
瑜伽(ヨーガ)の実践とかの体感・体験・経験をせよ

と云ってるように見えるので おじゃります
0238神も仏も名無しさん垢版2019/02/12(火) 20:00:55.99ID:PKnoc0XA
自分の心を「鎮」めることは、実は意外に容易い。
問題は、

 それによって迷惑を被る人間が、必ず存在する

ということかな・・・w
0239神も仏も名無しさん垢版2019/02/12(火) 20:11:18.26ID:PKnoc0XA
補:

仏陀に、もし、苦悩があったとすれば、
それは、

  自分はすげぇ納得してるし、ベストだと思うんだけど、
  みんな、なかなか同意してくれないなぁ・・(苦笑

ってトコだと思うんだよね・・・w
0240おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 20:15:05.50ID:wZhTqokc

スッタニパータ 874
けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである
 ↓
そして
今までの
想いを手放し
いわゆる
コップの中を空(から)にしてから
それから
 ↓
教学ではなく
瑜伽(ヨーガ)の実践とかにより
 ↓
ダルマキールティ
輝くこと(照明)を本性とする
照明することを本性とし
自ら輝き現われる
 ↓
カマラシーラにより論破される
恒常な、あらゆる事物は、否定されるから
恒常な(照明)ということも、否定されるからである
 ↓
それゆえに
無為法である。という『想い』も手放しせよ。という導き

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DY/0071/DY00710L019.pdf
カマラシーラの無自性論証と、ダルマキールティの因果論
0241おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 20:26:09.47ID:wZhTqokc


いつも
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

> 心を「鎮」めることは、実は意外に容易い

おじゃるの場合は
いつでも
(仮設としての)
妄想の渦の中に巻き込まれているので
かなり難しい

という感じで おじゃります

妄想の渦の中に巻き込まれているので
それゆえに
呼吸を 3秒も見れない

たとえば
妄想の渦を、手放しているのなら
呼吸を 30分くらいは見れるらしい
0242おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 20:49:00.38ID:wZhTqokc


おじゃる妄想による妄言を

> みんな、なかなか(理解して)同意してくれないなぁ・・(苦笑

了解しちょりまつ

そして
いつも
ご教示ありがとうございます

それゆえに
生きとし生けるものにも
そして
おじゃるにも
悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0243おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/12(火) 22:04:54.76ID:wZhTqokc
 
>>235のリンク先
>邪霊に人間を襲わせている悪人どもがいる

これは↑何ぬねの?

>これから広めなければならない話題は、悪魔は神仏の振りをするという事

おじゃる悪魔が → 神仏の振りをしてるっていうことかしらん?

それでは
おじゃる悪魔が、お送りいたします

↓黒魔術系の一曲

Black Sabbath。Sabbath Bloody Sabbath
https://www.youtube.com/watch?v=yuVmjv22Nqc

これで
きょうからは
ID:x957UzKo師匠も

黒魔術系・悪魔の一員で おじゃります〜♪
0244神も仏も名無しさん垢版2019/02/12(火) 23:31:33.65ID:PKnoc0XA
ま、
黒も白も魔術系は 「リンク」 という概念(或いは事象)を基軸としてるから、
上座部系での「水瓶と糸」や、大乗(近現代日本仏教系)の「結縁紐」も、
『まったく同じ』心理的理由、精神的満足からの要請から来てるわけで、
およそ「ヒトたるもの」の業のようなもんだ。
0245神も仏も名無しさん垢版2019/02/12(火) 23:38:45.79ID:PKnoc0XA
ああ、そういえば、
黒白はともかく、魔術系(の思想、力・影響の到達)に関しては
神智学は、どう評価するんだろうね。

https://www.amazon.co.jp/%E9%BB%92%E9%AD%94%E8%A1%93-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89-%E3%82%AD
%E3%83%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4309230253/ref=sr_1_2?
s=books&ie=UTF8&qid=1549982115&sr=1-2&refinements=p_27%3A%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD
%E3%83%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
0246おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 01:23:26.13ID:RZkfvJVl
 
>>244
ふ〜む =^・ ・^= これは
おじゃるにとっては
理解するのは難しいので おじゃります

>>245
おじゃるは
神智学のことも、わからないけど

たとえば
宝珠殿の場合は
世俗においても
真面目に一生懸命にやってる。という感じがするので
それゆえに
(実有なるものとして
  あるいは仮有なるものとして)
黒魔術とかは
悪い影響を及ぼす。と捉えているような感じもする

たとえば
マスメディアとかの自殺報道に影響されて自殺が増える
というような影響が(仮設として)あるかもしれない
ウェルテル効果(Werther effect)
という、動き・働き・影響が(仮設として)ある。というのと同じように
0247神も仏も名無しさん垢版2019/02/13(水) 01:31:34.30ID:wgzHCV/T
おじゃる殿、そなたはなかなかに立派な理屈を申すが、
理屈も必要ではるが、沫のごときもの、
そなたの財産にはならんぞ。

体験の財産は死んでからも役にたつ。
0248おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 01:33:33.26ID:RZkfvJVl

↓短いリンク逝ってみます

https://hanmyouken.net/?pid=79882796
黒魔術 リチャード・キャヴェンディッシュ 訳:栂正行 河出書房新社

目次:
第1章 黒魔術師の世界
 1 魔術師の宇宙/2 模倣的魔術と魔術的リンク/3 類比と照応/4 近代の魔術師
第2章 名前と数
 1 数秘術と運命/2 数秘術の起源/3 明かされた数
第3章 カバラと魔力を帯びた名前
 1 無限の光/2 道とタロット/3 ゲマトリア/4 力を帯びた名前
第4章 賢者の石と錬金薬液
 1 錬金術の基礎/2 賢者の石の創造/3 生命の錬金薬液
第5章 占星術
 1 誕生占星術/2 世俗的占星術/3 占星術と日常生活/4 占星術と魔術
第6章 儀式的魔術
 1 儀式の準備と魔方陣/2 生贄と霊の召喚/3 闇の王たち/4 降霊術と霊的攻撃/5 低俗魔術
第7章 悪魔礼拝
 1 悪魔の起源/2 妖術/3 黒ミサ

訳者あとがき
  _  _  _

ふ〜む =^・ ・^= これはまさに
ある意味において
宝珠殿の専門書?
という感じもするので おじゃります
0249おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 01:52:51.23ID:RZkfvJVl

>>247

了解で おじゃります

これからも
ご教示の程
よろしくおねがいもうしあげます ヨロ m(_ _)m

>体験の財産は死んでからも役にたつ

おじゃるは
輪廻肯定なので了解で おじゃります

ピタゴラス
エジプトでは幾何学と宗教の密儀を学び
フェニキアで算術と比率、カルディア人から天文学を学んだという
ポルピュリオスなどの伝記によれば
ゾロアスター教の司祭のもとで学んだといわれる
さらにはイギリスやインドにまで旅したという伝説もある

ピタゴラス教団
古代ギリシアにおいて哲学者のピタゴラスによって創設された宗教結社
古代ギリシャからあるオルペウス教の影響から輪廻転生の考え方を有していた

ピタゴラス教団は特定の数に神秘的な性格を見出しており〜…
0250おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 02:15:54.81ID:RZkfvJVl
>上座部系での「水瓶と糸」や、大乗(近現代日本仏教系)の「結縁紐」も

〜布施と功徳の互酬関係で地域社会に根づくスリランカ仏教〜

信者の家か寺院にバナナの幹やココナツの葉で飾られた仮堂が設けられ
中に置かれた
舎利容器・経典・水瓶などに結ばれた
白い糸が僧侶の手から信者たちの合掌した手に渡されて
これで「仏法僧」と会衆が1本の糸で結ばれた一体となる


結縁(けちえん)
仏・菩薩(ぼさつ)が世の人を救うために手をさしのべて縁を結ぶこと
世の人が仏法と縁を結ぶこと
仏法に触れることによって未来の成仏・得道の可能性を得ること


加持(かじ)
密教においては
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

因と縁の双方の縁起が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる


安心立命(あんじんりつめい)

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

了解で おじゃります
0251宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/13(水) 14:24:04.60ID:QN8IQ3QK
おじゃるさんへ

おじゃるさんとも、
もう、随分と永い付き合いになってしまいましたが、
ここら辺でそろそろ終わりにしませんか?
つまり、“当スレから出ていって欲しい”ということ。
理由については、以下の通りです
(これを機会にハッキリいわせてもらいますから、長いなどといわずにすべて読んで貰います)。

まずは...おじゃるさん。
ここ最近で一体、あなた一人でどれだけ投稿してます?
当スレ「第四巻」だけで幾つ投稿しましたか?
以前にも何度か述べてきたように(当スレの戒律/条項2にもありますが)、
これほど次々と投稿するのならば、その内容をもっと纏められないのですか? 長文になっても別に構いませんから。
まずはそうでないと、板の容量うんぬんどころか、ただアッ、という間に1000レス投稿にて終了してしまう。
この私は、どこか他の仏教系スレのように、ただ闇雲に何百も“スレ数だけが続いてるだけのゴミ”にはしたくないのですよ。
時には、“スレ立て規制”で立て難い状況だったりすることもあるので、ただ無駄にスレが消費されてすぐ終了することは望まないのです。

そして、あなたの投稿内容についてです。
おじゃるさん、そもそもあなたの討論相手は一体、誰なのですか? 誰々と議論してます?
あなたの投稿というのは、その殆どが何かのサイト情報を読んでの感想(引用中心)であって、ただの独り言の類に過ぎないものばかりです。
そして、「単なる引用文章の提示だけだったならば、そんな投稿は要らない」と、これまで何度も七からも指摘されてるでしょう?
尚且つ、引用文については、必ず『』綴じなどして自分の文章とは区別を明確にするようにと、この私から何度も何度もいってきましたよね!
何故、その簡単なこと(基本的なマナー)ができないの? 守れない? メンドクサイとでも?

そして、ここは“議論スレ”なのですから
(このシリーズからは、やや表現を穏やかにして「論議」としましたが...) 。
議論する意志とその目的の無い人は別に投稿してもらわなくて結構ですから!
0252宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/13(水) 14:25:32.04ID:QN8IQ3QK
殊、仏教圏においては“議論行為そのものをタブー視する向き”も確かにありますけれど、
しかし、この私はそれは絶対に必要なものだと考えているのです。
何故なら、議論しないということは、自分が納得せず不満を抱えたままただ黙って従うことを意味するからです。
それではイケない! 納得せず不満を抱えた状態では従うべきではないし、不満や疑問は解消するべきものです。
実際、仏教上の史実をみても、各派同士が壮絶な議論を戦わせて、互いに凌を削り合い、
ある派はそれにより消滅したり、または別の派へと吸収されたりしながら、今日へと至ったのです。

そもそも、
この私が“スレ主”だということを忘れられては困ります。
事の始まりは、この私から仏教界に対して、それまでの無我についての常識を疑うという意味でのアンチテーゼを示したこと。
及び、邪見(断滅論/唯物論及び三世業論の否定)の蔓延る様に対する危惧に端を発しているのです。
長文であるということは、そのことについての根拠と理論を提示しているからに他ならない。
これらの難解な大問題に対して説明するのに長文と化するのは当たり前の話です。
それを読まないでいては、当然、私からの理論と根拠が分かる筈がない。
だから、いつも“トンチンカン”なことをいうのですよ(あなたは!)。
私のテーラワーダ批判を「決めつけるな!」などと豪語するのであれば、
何故、この私からの質問には答えないのか! そういうからには、あなたなりの見解がすでにある筈でしょうが?
それを確認するためのキッカケにしようとしたのが、あの質問>>129なのでしたが...。
それほど難しいものばかり読んでいるあなたが、「わからない」筈がないでしょう!
ただ単に、下手に自ら語ってしまって危うい尻尾を出したくないからでしょう?
0253宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/13(水) 14:26:19.08ID:QN8IQ3QK
承狂さんは、それを悪意だといったけれども、
確かに、これは云わば“道場破りの殴り込み”ですよ!
もしも、伝統教義を正しいものとしてこの私からの主張を葬りたくば、逃げることなく正論で対論に挑むことですよ。
自分が正しいと信じるのであれば真正面から、真っ向勝負をすべきです。
そして、それをしてきたのが古株では、七セブンであり、パーピであったりした。
だからその点では、彼らはとても正直者であり、そして、正々堂々としてきた。
だから、あなたが(私からの長文は)読んでこなかったというのでは、その戦いを放棄してるも同然なのであって、
この私に対して、口(異論)を挟む資格などはない。

ということで、
ただ独り言ばかりで、区別すらも不明確な引用文ばかりの投稿で、
自分が如何に多くの高度で素晴らしいもの(書籍やサイト情報)をたくさん読んで仏教に関して知っているかを、
「これでもか!」というほど閲覧者に示したいだけだ、という意図がありありなのです。
なので、そのことを誤魔化そうとしてか、何やらワザとらしく他の投稿者のことは「どうか教えてください! 師匠」とゴマを擦り。
しかし、自分自身については、何も知らない無知なんだといっては猫を被る...。
そして、あなたは投稿することがただ楽しいのですよ。機械マシンのように、ひたすらセッセ.セッセ.と投稿するのがね...。

まっ、とにかく
多分、この私のいってることが気に食わないかもしれませんが、
その投稿規制の少ないという『ひだ =^・ ・^= まり』とか他スレにて、どうぞ思う存分に投稿して下さい
(もしも、規制が少なく投稿しやすかったとしても、そもそもアクセス数が少ないのであればまったく意味がない。
私は5ch「心と宗教」板とでは比較にはならないと見ています) 。
それでも、おじゃるさんの投稿を見たい人は、それを見るでしょう。

以上.
0254おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 14:48:37.49ID:RZkfvJVl

>おじゃるさんの投稿を見たい人は

いまのところ
ほとんど
いないでしょう

たぶん来る人もいないと
おもうけど

ここの 5chは
BBx規制とかがあるので

supre2chへ

http://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
ひだ =^・ ・^= まり

こからに ヨロ m(_ _)m
0255おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 15:04:16.44ID:RZkfvJVl
 
> 自分が納得せず不満を抱えたままただ黙って従うことを意味する

納得できないのなら
無理して
仏教という枠組みの中に入ってこなくても良いでしょう

とりあえず
納得することができたのなら
そのときには

個人的な見解を含めて
全て
手放してから

それから

いわゆる
コップの中を空(からっぽ)にしてから

それから
法水写瓶
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつすように、師匠から弟子へ

という対機説法になっちょるんでつ

もっとも
「個人的な見解こそが絶対である!」と執着している

宝珠殿には

いわゆる
「コップの中を空(からっぽ)にしてから〜…」の意味は、わからないでしょ〜う!
0256おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 15:29:22.53ID:RZkfvJVl
 
> 仏教圏においては“議論行為そのものをタブー視する向き”も確かにあります

議論行為がタブーなのではなくて

議論行為の基となる
個人的な見解

そして
個人的な見解の基となる
我癡・我見・我慢・我愛

そして
我癡・我見・我慢・我愛の基となる

無明の世界の中に住んでいる。ということが問題となるのでつ
  _  _  _

それゆえに
無明に依存している

個人的な見解

という対機説法になっちょるんでつ
0257おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 15:39:24.57ID:RZkfvJVl
 
> この私のいってることが気に食わない

気に食わないのではなくて

今、無明に依存している
今この瞬間において

「個人的な見解が〜…」

といってることに気づいてないでしょ?。ということなのでつ
0258おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 15:58:42.46ID:RZkfvJVl
 
>自分自身については、何も知らない無知なんだといっては猫を被る

中観帰謬の体験をしたことがないので
それゆえに
本当に理解してないのでつ

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

これは確かに
>>192-193
承狂元密教僧が云うように

悪鬼のケンゾク?に取り憑かれて

(無明に依存して)妄想から他人を断罪してる

ということで おじゃりますな?

ところで
悪鬼のケンゾクって何ぬねの?
0259承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/13(水) 17:28:53.94ID:8s4xxE5T
>>258
>>175で「善意で人を惑わす」と書いたのは、おじゃるさんのことで、(笑)
「妄執を真理と説く」と書いたのは宝珠さんのこと。(笑)
おじゃるさんのは「紹介」で宝珠さんのは「論戦」で、ここは議論スレなんだから、マナー違反はおじゃるさんだよ。(笑)

(^。^)特に>>258はヒドイね、俺は宝珠さんを「悪鬼の」とか言ってないのに、言ったことにして「断罪」するとか。(笑)
なかなかイヤラシイ書き込みをするじゃあないか。(笑)
ちょっとムカついたよ。(笑)
0260おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 17:40:42.83ID:RZkfvJVl
 
> マナー違反はおじゃるさんだよ

ということは

戯論とか適当な事を語るスレからも、撤退した方が良いでつかね

「撤退せよ!」というのであれば

戯論とか適当な事を語るスレからも、出て逝く所存で おじゃります
0261承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/13(水) 17:53:48.66ID:8s4xxE5T
>>260
「撤退せよ」とは書いてないよ。(笑)
その調子で「他人の言葉を」利用して全く違う、
おじゃるさんの「意見」を正当化しようとする、
という手口は、宝珠さんと同じだと言ってるの。(笑)

(^。^)俺は誰も「断罪」してないよ、「こうじゃないのか?」とケンカ売ってんの。(笑)
買うなら相手しますよ?って話。(笑)
0262おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 18:04:43.20ID:RZkfvJVl
 
>>261
> その調子で「他人の言葉を」利用して全く違う
> おじゃるさんの「意見」を正当化しようとする
> という手口は、宝珠さんと同じだと言ってるの

ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ

了解で おじゃります

ちなみに
これからの
方向性としては

戦うという方向性ではなく

手放す(ことができるのか?)
というような方向性で逝ってみたい所存で おじゃります

ということで

とりあえず
戯論とか適当な事を語るスレに

おじゃる妄想による妄言を逝っておきます
0263おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 18:31:40.31ID:RZkfvJVl

できれば

せぶん禅師にも

戯論とか適当な事を語るスレ

こちらに来て頂きたい所存で おじゃります

質問とかもある(かもしれない?)ので ヨロ m(_ _)m
0264神も仏も名無しさん垢版2019/02/13(水) 21:40:10.76ID:jPLvLKKB
スレの雰囲気が悪いな
0266おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/13(水) 22:10:44.25ID:RZkfvJVl

いえ
おじゃるの責任で
せぶん禅師は悪くないと思います スマソ m(_ _)m
0267承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/13(水) 22:25:28.12ID:8s4xxE5T
議論スレで空気を読むとはこれ如何に。(笑)

(^。^)この日本教徒どもめが。(笑)
0268神も仏も名無しさん垢版2019/02/13(水) 23:21:15.53ID:XgpoB9MV
>>252
>事の始まりは、この私から仏教界に対して、それまでの無我についての常識を疑うという意味でのアンチテーゼを示したこと。
>及び、邪見(断滅論/唯物論及び三世業論の否定)の蔓延る様に対する危惧に端を発しているのです。

断滅論について詳しく説かれている梵網経では、(主に瞑想によって)アートマンがあると思い込み、
身体の破壊によってそのアートマンは断滅し消滅することを断滅論としているのであって、アートマンの有無には言及していないことに注意は必要です。
加えて言えば色界、無色界の瞑想で捉えたアートマンについてはおそらく否定しています。

梵網経
https://buddha.pink/buddhism/49/

つまり梵網経は我があるという根拠にはなりません。

相応部でブッダがカッチャーヤナに説いたように我があるとかないとかへの断定は極端であるというのがやはりブッタの思想なのではないかと思います。
多分、我のあるなしへの執着は煩悩となって再生の素因となるのですよ。
だから諸々のブッタは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた(中論18-6)のではないかと
まあ来世を望むならば我のあるなしを大いに議論すべきとも思いますがw
0270神も仏も名無しさん垢版2019/02/13(水) 23:35:55.07ID:+Vm2oUM1
骨髄ドナーや献血が増えているそうな。
これまでも、有名人の白血病等多々あった筈だが、ここまでではなかったわけで。

以前、一代が、
日本でも、一人逸材が出るだけで変わるというようなことを言ってたが、
「池江効果」とか「却ってよかったかも」なんて言い方をすると件の大臣の如くになってしまうが、
これによって、血液系の病気の「社会的」サポートが充実していくことにはなるかもしれない。

世の中、何がどう絡んで影響してくかわからんね・・。
0271神も仏も名無しさん垢版2019/02/14(木) 00:08:52.08ID:KawhNoGH
>>264
おじゃるが連投してる時にそう言え
0272神も仏も名無しさん垢版2019/02/14(木) 00:29:07.95ID:8R8kISyF
http://www.fbs.co.jp/news/news162125146.html

桜田五輪担当相の12日の記者団とのやりとり全文は、以下の通り。

記者:池江選手が自ら白血病であること、しばらく休養することを公表した。桜田五輪担当相の受け止めは?

桜田五輪担当相「びっくりした。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿になって戻ってもらいたいというのが、
私の率直な気持ちだ」

記者:競泳の中でも有力な選手だ。

桜田五輪担当相「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手だから、本当にがっかりしている。早く治療に専念していただいて、
また元気な姿を見たい」

記者:これまで池江選手の活躍をどう見てきたか?

桜田五輪担当相「日本が誇るべきスポーツ選手だ。最近水泳が盛り上がっていて、オリンピック担当相としては、
オリンピックで水泳に期待している部分もある。一人リードする選手がいると、全体が盛り上がる。
そうした盛り上がりが若干、下火にならないか、ちょっと心配している。
我々、一生懸命がんばって、いろんな環境整備をやる。
とにかく治療に専念して、元気な姿を見せていただいて、またスポーツ界の花形として、がんばっていただきたいというのが私の考えだ」

記者:池江選手にエールを送るとしたら?

桜田五輪担当相「とにかく治療を最優先して、元気な姿を見たい。またがんばっている姿を期待している」
0273神も仏も名無しさん垢版2019/02/14(木) 12:05:29.99ID:1aia5do2
諸仏両足尊 法は常に無性なり
仏種は縁に従って起ると知しめす 是の故に一乗を説きたまわん
是の法は法位に住して 世間の相常住なり
道場に於て知しめし已って 導師方便して説きたまわん
0274宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/14(木) 16:10:17.02ID:8xRRVrpE
>>245
魔術の起源は、
アトランティス時代にまで遡ります。
神智学的には、現在でも見られるような類の魔術すべては“時代遅れ”のものとして、
そこに価値を認めて人々に推奨するということはありません。

魔術は、
香インセンスと数字とマントラム(呪文)を用いて、
エレメンタリ(現象物質を構成する微細な不可視生命体)に働きかける術です。
白魔術と黒魔術との決定的違いは、それを行う者の意図と目的の違いであり、
白魔術は善意に基いてグループに所属し、高次のディーヴァ存在(善意の妖精/神々的な生命)を動かそうとしますが、
黒魔術は利己的な個人主義に基づきグループとして機能しません。
そして、利己的な目的のためのパワーを求めて“悪の勢力”のフォース(力)を引き出そうとします。

これは密教(金剛大乗)にもいえることなのですが、
その気になれば密教の神秘力も黒魔術的な利己的悪意あるものとして使うことはもちろん可能です。
だから、誰にでも秘術を授けるようなことはできないのです。
0275宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/14(木) 16:15:13.24ID:8xRRVrpE
>>268
とても良い投稿をありがとうございました。
ヤル気のある方の参加については大いに歓迎します。
(私からの投稿は、すぐに返せないことが多々あることをご了承下さい)

尚、いきなりでは分からないのも無理ありませんけれど、
私の主張はこういうものです(以下に要約)。

 ・ブッダはアートマンの有無を説かなかった。つまり、アートマンについては“無記”の態度でした。
  にも関わらず、“アートマンは無い”とするのがブッダの見解であるとして、
  ヒンドゥーを断罪して馬鹿にしたり、軽視するのは止めなさいな。といってるのです。
 ・また、ブッダの教えは、ヴェーダの説くアートマンのようなものではなかったけれども、
  しかし、必ずしも全面否定に繋がるものではないどころか、その逆に、寧ろアートマン思想とも共通する部分が多岐に渡っている。
 ・そもそもが、アートマンは無い”という無我の間違った理解は二千年来の部派の見解であり、現代の仏教諸派のすべてがこの伝統を継承してしまった。
  この間違った違った部派教義の影響を受けて、現存する仏教諸派のすべてが無為、無我、空...
  といった重要かつ、基本的な仏教理論の根幹の多くについて、その理解を間違った。
 ・伝統教義に同意するものとして、“三世に跨る業報輪廻”を私は認めます。
  しかし、世襲制に拠る二世住職たちが増えたことが原因してか、仏教界に唯物主義(これは120%間違いだ)が蔓延り、
  輪廻転生を認めない僧侶や信徒が増えつつあることを私は大いに危惧します。
  そして、彼らの主張の一部には、「アートマンは無い(ブッダが説きもしないことを勝手に決め付け)から輪廻もある筈がない」
  という理解を根底に置いていることが明確に確認できる。

以上ですが、
 宜しくお願い致します!
0276宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/14(木) 16:18:09.66ID:8xRRVrpE
>>前スレ958承狂
>ここのコテだと宝珠さんだけ肚の据えかたが別だよな。(笑)

だから、コレは遊びじゃないのでね。

>>同860承狂
>ド素人が伝統ある余所様の宗教に口出すな!ってなんない?(笑)

きっと、
--ド素人--だからこそイイのだろうとも思うわけです。
バリバリの僧侶や宗門の体制側ドップリさんでは、その“気付き”は難しいのでしょ?
ましてや、“自浄改革”なんてものが望めるべくもない...。
だから、これは外部からの、つまり非体制側のド素人だからこそのものなのですよ。

この私の基本スタンスは世の改善に向けて実行動を採るというものです。
私の妻はとても嫌がりますが(いつも「止めなさいな」って怒鳴られてますよw)、
例えば、TV放送で間違いやデタラメ解説をやっていたら、
TV局までわざわざ苦情の電話をします(いわゆるクレーマーという奴か?)。
もちろん、正しい解答と合わせて「こうしなさい.あぁしなさい」と教える。
担当者からは、「一体、どちら様の教授さんですか?」といわれたりもしますwww
政府や(小泉首相)へもメールでも手紙でも何でも書く。

まず、
“間違い”に対しては声を上げることが、とにかく非常に重要なのです。
それが世を動かす小さな小さな第一歩となる。

この私は、「バタフライ効果」という考え方を支持しているのです。
つまり、一匹の蝶の羽ばたきで起きる空気の動きは極僅かなものですが、
しかし、この僅かな空気の動きが実は我々の知らない領域で様々なものと繋がっていて、
それが結果的には、何か大きな事物の変化となっているかもしれないのだ、という考え方です。
だから、たった一匹の蝶の羽ばたく空気の動きすらも馬鹿にはできないのです。
0277宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/14(木) 16:19:38.91ID:8xRRVrpE
フォトンベルトの件では、
各研究機関へ5ヶ所ほど問合せして、それから、国立天文台には直接電話した。
NASAが公式見解を発表したのは、その後に間もなくしてからなので、
もしかしたら、私からの問い合わせがキッカケとなって
彼らがNASAに問い合わせた結果であったのかもしれないと思っています。
以前、私からの地震予知情報(クリール諸島の大規模地震の危険性について)を新聞社へと送信したこともあるし、
ロシア通信がどうやら私の発進した情報を元に警告を発した可能性もあるとして、
一部ネット上の仲間内ではこれが話題になったことがある(私は民間の地震予知研究者の一人でもある)。
今でも、『日本仏教協会』にデタラメを宣伝するのは止めなさいとも告げるし、
それから、信奉している真言宗智山派の総本山にも、お盆の説明が間違いだらけだとクレームを付けた
(ブッダはそんなことは説いてない!)。だから、たぶん嫌われたと思うw

私が支持を表明している神智学系グループからも、
「ただ祈っているだけではダメだ」“実行動を起こすように”
(それが最も重要である)と、いつも指導されています。
社会の不正義に対に対しては「NO!」といいなさい。
勇気を以て、あなたの意志を表明しなさい、と。

>>193承狂
>「自分は正しい仏教を理解している」という妄想から他人を断罪してるわけだろ?
>これとトサツされたブタの「正しい仏教に導くためにポアしてやろう」なんて極悪非道なタワゴトは、
>なにか違うんだろうか。

いやいや.ジョーダンじゃない!
そんな極悪非道な妄想の類と一緒にしないでもらえます?

唯物主義の間違いについての指摘はプッダからの教えであって、仏典にはその記述が明確なものです。
あなたの三世業報輪廻否定の(仏教的な)不都合を誤魔化すために、勝手にこの私の主張を妄想扱いしないでもらえますか?
尚、同じく私から伝統教義の間違いを指摘したもののすべては、仏典にその根拠が確認できるものばかりです。
私からの伝統教義批判は、その伝統が仏典の記述に反しているからだというものです。
それが、もしも間違いだというのならば、仏典そのものがダメだということに他ならない。
0278神も仏も名無しさん垢版2019/02/14(木) 18:21:33.92ID:4/GVFsZ+
「文言非我、文脈無我」
0279神も仏も名無しさん垢版2019/02/14(木) 18:43:39.12ID:4/GVFsZ+
>私からの 批判は、  伝統が仏典の記述に反しているから
対論者の多くも、仏典の記述に反しているから 貴方を批判してるわけで。

つまり、AもBも、同じ文章を基準としているわけで・・w
じゃあ、なぜ対立してしまうのだろう?

「読み方・解釈、及び原典批判的読み」の、まさに読み方の相違なのだろう。

で、
>もし 間違い ならば、仏典そのものがダメ

ということは、 結局、自分の意見に合致するかしないか、でしかない、 ってことでね。

だから、 自身の(追)体験、相似体験が重要なわけでね・・・。  ┐(´ー‘)┌
0280神も仏も名無しさん垢版2019/02/14(木) 19:16:23.67ID:4/GVFsZ+
その流れで、
ウダーナ8で、何が言われているのか、と。


ああ、
そういえば、宝珠は、田上さんにこそ、凸して確認すべきじゃないかな?w

 「ブッダはアートマンとなった」

の真意をw


まだ御存命と思うけど。 対話ができるかどうかは知らん。
もう、結構な御歳になられているだろうから。
0281神も仏も名無しさん垢版2019/02/14(木) 22:57:17.43ID:YOSLF8+B
アートマンの話と
ブッダの無我の話は違うんじゃないの?
認識不可能なアートマンなる個人の中枢のようなものが、こころの深いところにある
って言うけど
これは、現実の行為とは離れた存在としての我が別個にあるみたいなやつで

静寂の地点のことだろうけど

そのようなものが、あることを、またないことも、問題にしてないのがブッダのほうで

こちらは、現実そのものの、方に溶けてるが

アートマンの方は現実の、根幹にあるところがあり、現実の深海のようなとこに、溶けてる

現実そのものに解放されてる方は、我が消えてるけど

深海に潜ってる方は、残ってる
0282神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 00:11:40.35ID:WQW3tQN8
だから、
(如来蔵本覚思想は又別の議論としてもw)
臨済系(達磨以降の禅系)―特に、「近現代」の禅宗系の教学―に於いて、
「有我」になってないか?という批判があるわけでw

あるともないとも言わないなら、それは無いのと同じなわけで、
全ての教法・行法が、あること前提では成立しない。

もし、(延命十句ではないが)常楽我浄を言うとしても、
少なくとも、それは―或は臨済の言う「真人」、現代禅の言う「仏心」等―が、
 『仏教以前から言われていた「我」(アートマン)』
と同一ではないという建前には、拘らざるを得ない。

勿論、
 「釈尊が有無を避けた≪我≫は、『仏教以前から言われていた「我」(アートマン)』であって、
 『そうではない真の自己』は、明言はしなかったがあるのだ、それに気付くことが悟り(≒涅槃)である、
 という、まさに近現代の臨済禅的なものが、本来の仏法、釈尊が真に説いたことであった」
という仮説を立てることは可能いだけれども。 >>281
0283神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 00:13:23.98ID:WQW3tQN8
その意味では、
もしかしたら、現代臨済宗は、まるっと神智学とイコールだったりしてなw
0284神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 01:14:49.16ID:HmtNfL5O
難しいからアレだけど
真人とか仏心を
マハルシなどの説いたアートマン
つまり
ハートの奥にある静寂と解釈してる人がいるってことはあるだろうけども
元々の意味は
真人といっても、この体と心と、それから、その対象、活動、そのものと離れた別個の存在のことなんか言ってない
だから、この、真人というのは、認識不可能な存在の基盤としてのアートマンみないなのとは明らかに違う
0285神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 01:34:08.14ID:HmtNfL5O
一方は、今現にここで、把握されるところの我の在り方に目を向けているのに対して
もう一方の方は、今現にあるところの我ではない、ほんとうの我が、認識していないところなら存在していると
つまり
今現にある、在り方と違う在り方へと目を向けているのであって
方向性が違う

どっちが正しいかは、わからんけども
0286承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/15(金) 11:53:55.31ID:5GMUpo+M
菩薩様の言であれ、如来位の言であれ、それは月を示したのであって、その指は月ではないって何かにあるだろ。
シンチガクは、その指先を端から見て

「大体コッチ側で、他の指先がアッチ側だから、その交点は大体この辺でしょ?」
って話。(笑)
残念ながら、其々の指先は厳密には違うものを指し示したから意味はないんだがね。(笑)
例えば、視覚を通常の千倍にする方法と、聴覚を千倍にする方法があるとして、
どちらも超人となるわけだが、その働きかける脳髄部分は異なるし、その際の身体機能への留意点も異なる。
それらのプロセスを研究し解明したところで、超人にはならないし、
ましてやゴッチャになんかしたら、そんなものは廃人を作る外法なだけでしょ。(笑)
「輪廻転生とは」とか「悟りとは」なんて、俺には言えないが、(笑)
現実を無視したファンタジーが仏説だなんて話は、指差して笑うわな。(笑)

というか、新興宗教なんかの「仏教も○○も同じ」なんて連中は、
経典片手に「俺らの理解した仏教こそが正しい」って言いたいだけで、(笑)
それは、あの売国テロリストブタ教祖が「解脱者」と詐称したのと同じにしか見えないね。(笑)

(^。^)「本当の釈迦の教え」とか、お前ら何様だっての。(笑)
0287神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 12:30:05.79ID:BLq7x+4Z
独善的な正義感を下手な例えと下劣な言葉で吐き続ける承狂はあぼーんするに限るなw
0288神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 13:44:43.62ID:DWZ1IZzx
スッタニパータのパスーラ経を読みましょう
http://suttanipata.com/afaafaf/

832 (特殊な)偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、汝はかれらに言え、ー「論争が起っても、汝と対論する者はここにいない」と。
0289宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/15(金) 13:58:08.15ID:dMMRDJor
>>245
追記:

召喚と発動のための要素で一つ抜けがありました。
「香インセンス」と「数字」と「マントラム(呪文)」に加えて、
もう一つは、「音」でした。

>>286承狂
神智学は、
そのような研究者(人間たちが行ったもの)に拠る勝手な推論などではなく、
すべてを知り賜える叡智の存在から授けられたものです。

尚、私が普段から述べている仏教理解と仏教知識のすべては
私個人が独自で学習したものであって、それらはいかなる神智学系からの教示とも無関係です。
ただし、もちろん私の仏教理解と神智学とには何ら矛盾はありません。

 『神智学は神々のもち給う智識であるから、それは決して憶測でもなければ学説でもなく、また、些少の人間の知慧が造り出した
神学や教学でもない。それは宇宙の生成と人間の生成と両者の関係(一言でいえば神の経綸とその行程)等の全事実に関する体系で
ある。言い換えれば、それは神々の側より啓示された、かつ不可視の世界より人類を霊導される、高位の存在方みずからが直接体験
によって直知された、宇宙生成学と人間生成学とである。故にそれは信仰ではなく信仰の次元を超えた知識である。』
(H・P・ブラヴァツキー著『神智学への鍵』)
0290宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/15(金) 14:23:20.66ID:dMMRDJor
>>288
私もよく引用させて頂いた経文ですけれど...。

ブッダが在世で、直接に指導された弟子たちであれば、
「論争を挑む彼らなど相手にするでない」は、まさにその通りであると私も思います。
しかし、ブッダが世を去って数百〜数千年と経ていく中においては、
いずれがブッダからの正しい教えであったのかについて、あれこれ論議する必要が生ずることはやはり必然かと。
仮にも経典の記述が正しいものとして信用したいところでありますが、
その経典の記述にも従わず、それに反しているのであれば話にならないでしょう。
私からの指摘は、現存する仏教諸派はすべて経典(原始経典)の記述に反した教義を信奉しているというものです。
すでに私からの論証は終わっていますけれど、また、いくらでもお話します。

まことに残念ながら、
ブッダからの純粋かつ正しい教えは、現存する教団には継承されずに消失したものと見ています。
この経文が、勝手教義を掲げる大乗の出現と、そして、テーラワーダを含めてブッダの教えを失ったことを予言されたものでしょう。
そして、それは確かに現実のものとなったのです。
まだ、できることは経典の記述を再確認して、今ある教団の姿を見直すことです
(そうすることで原始仏教の教えと近づく)。
0291宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/15(金) 14:24:06.21ID:dMMRDJor
 『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
 如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応しているものであるが、
それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさな
いであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。
 これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、弟子たち
の説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心
を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。
 かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典は消
滅してしまうであろう。

 比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間
のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。耳を傾け、了解しようとい
う心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう]と。』
(『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5)
0292承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/15(金) 15:40:51.80ID:5GMUpo+M
>>289
そのデブの婆さんの与太を「信じてる」ってだけだろ。(笑)
「知識です」ってんなら、ブタ教祖の与太も「知識です」から。(笑)
そして、その「知識」を元に宝珠が都合の良いように「解釈」した「仏教」なんだから、
そりゃあ「シンチガクとも矛盾」しなくて当たり前。(笑)

(^。^)そんなに「素晴らしい知識」なら、仏教云々言わずに堂々と「シンチガク」の旗の下でやんなよ。(笑)
それじゃ、世間様に笑われるから「仏教ではー」とか「ガンジーがー」とか使うわけでしょ。(笑)
どんな屁理屈並べようが、やってることは虎の威を借る狐さんだよ。(笑)
0293宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/15(金) 16:00:12.52ID:dMMRDJor
>>292
>仏教云々言わずに堂々と「シンチガク」の旗の下でやんなよ。(笑)

心配は御無用!

別に私自身は何も不足してないし、まったく困っていないから。
だから、仏教界への介入は単に私個人によるお節介だといってる。
尚且つ、私の社会改善活動の一環ですよ。
あなたにいわれる筋合いはない!

「伝統仏教に口出しすんな」のセリフは、
あなた自身が三世業報輪廻(伝統教義)を理解してからいってはどうだい?
0294承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/15(金) 16:14:45.10ID:5GMUpo+M
>>293
「社会改善」には成らないでしょ。(笑)
単なるモンスタークレーマーでしかない。(笑)
世の中は、そんなクレーマーにも漸く問題意識持ち始めたから、
今後もそんな風だとそのうち痛い目を見ますよ。(笑)
つっても、数年後の話だから宝珠は御先祖さんの徳分で大丈夫かもしらんがね。(笑)

(^。^)「仏教に口出しするな」じゃなくて、宝珠は人の道から外れてるよねって話なんだよ。(笑)

宝珠が日本仏教諸宗派に何をしようが、俺は一向に構わんよ。(笑)
どちらも俺には全く関係ないからね。(笑)
0295神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 17:38:52.65ID:UlkSamW+
>>291
ブッダ生前のまだ経典が誕生してない時代の説法に「これらの諸経典は〜」というのは変だと思う。
これは後世に付加された文である可能性がありますね。

また詩文調というのは韻文のことを指すかもしれず、そうなるとスッタニパータや相応部の韻文の部分が外道に由来するものとなるという、
従来の学説とは真逆の考察もできないでもないかもしれません。

まあ原文で諸経典がどう書かれているか、またそれを翻訳したのは誰なのか、翻訳者の註釈はないのか、など気になるといえば気になりますね。
0296神も仏も名無しさん垢版2019/02/15(金) 20:54:26.56ID:WQW3tQN8
古代インド文献研究には、
「苦行者文学」という括りがあって、
仏教興起以前から、「宗教的生き方」「方法論、指南、参考」「戒め・覚書・備忘録」
等の要素が、
「憶えやすい(―日本的に言えば、語呂のイイ・五七五等のリズムに乗った―)言い回し」で残されていて、
その多くが、場合によっては【そのまま】、仏教内部に導入されてたりするらしいからね。
で、厳格でストイックで原理主義的な釈尊なれば、
古くから言われている、(或る種ことわざ的な)言辞を、そのまま利用した可能性も大きいからねぇ・・・ (^^;
0297神も仏も名無しさん垢版2019/02/17(日) 03:04:29.12ID:/cT0mOBJ
宝珠はアセンションについてどういう見解なの?
0299承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/17(日) 17:40:00.40ID:n/6sYEhj
そー言えば、これは書いて無かった気がするんで、書いておくか。

「人類は進化している」「次は霊的な進化をする」という妄想について。

キリスト教の呪縛のごく一部を、進化論が破壊したが、
そのあと、「霊的な進化」、「社会の進化」という妄想が代わりに広がり、ニューエイジなどのオカルトと共産主義という両極端な妄想が生じた訳だが、
この「霊的な進化」という妄想の中の一つがシンチガク。
そもそも「進化」とは、本来は単なる「適応化」という意味でしかなく、
「より良く変化する」なんて話ではない。
人体の「進化」も脳機能の「進化」も増設に次ぐ増設に過ぎず、場当たりてきなものでしかない。
「絶対的存在」が世界を管理するというキリスト教の妄想から、
複雑化する生態や機能に「絶対的存在」の意思を幻想しているに過ぎない。
以前、「キリスト病」の一つがシンチガクだと書いたのはこのためだ。


(^。^)従って、俺から見たらシンチガクも共産主義も同じ穴の狢って話。(笑)
0300承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/17(日) 18:10:30.23ID:n/6sYEhj
だから宝珠は「唯物主義者」を目の敵にしている訳だが、
この「唯物主義者」というのは共産主義者の側であり、
「悪」、つまりキリスト教から派生した「社会が進化している」派に見えている訳。
勿論、連中の考えてる「進化」自体が妄想なので、
この「唯物主義者」も実在はしていない。(笑)
従って、最終的にはポル・ポトのように、「何となく気に入らない」から「悪」とするようないい加減な話でしかない。(笑)

(^。^)要はド派手な色眼鏡かけて「世界は美しい!」とかほざいてるって訳よ。(笑)
0301宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/17(日) 18:22:18.63ID:0I36clLV
>>299
まっ、取りあえずは特に反論しないでおきますけれど...。
では、何故に何処の銀河においても、やがて無機物から有機物が生じて、
最後には意識を持つようになるのかをまともに考察してみなさいな!
そして、その物質を認識するのは意識によってだ。

ところで承狂さん、
あなたの私宛(またはわたしからの投稿に関する)の最近の投稿は、
その殆どすべてが、“わたし個人(個人的な資質など)に対する誹謗中傷と神智学の悪口”に終始しています
そして、肝心の私からのあなたに対する仏教的諸問題については、“逃げ回ってその解答を避けたり”しますね。
こういうのは、議論に負けたことを自ら世間に露呈しているに等しい痴態というものです。
見ている人(閲覧者)にはすぐわかるのですよ!!

それから、
>>275を見れば誰にも一目瞭然で分かるように、
この私からの仏教に関する主張(仏教界に対する批判的意見)は、神智学とは正直いってまったく関係がない。
ヨカッタじゃないですか!...“逃げ口上”のすべてを神智学のせいにすることができて。
(敢えて、こちらは逃げ口を残して上げているだけだというのに...)

いや. もしも本気でヤル気があるのならば、
仏教問題>>275でいつでも全面的にあなた個人と対論しますよ!
私の方は構いませんからね。
0302承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/17(日) 18:36:55.93ID:n/6sYEhj
>>301
「何処の銀河でも」「意識を〜」

(^。^)あぁ、○○星人とチャネリングしてるんですね。(笑)
楽しそうで何よりです。(笑)
0304ヘノモチン垢版2019/02/17(日) 22:37:56.67ID:ZAxstFZf
 エロワは、日本で仏教を学んだフランス人作曲家です。
 ミクロとマクロの反転を表現しているのだと思います。
 大画面・大音響で聴いてみて下さい。迫力があります。

              ↓
Jean-Claude Eloy - "Yo In" Act 1: Dawn. Morning call. Ritual of ...
https://www.youtube.com/watch?v=xM_U4rMWq5Q

Jean-Claude Eloy -- Shanti / "Prémonitions" (1973) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2QAsCaX_0lE

Karlheinz Stockhausen -- FREITAGS-GRUSS (WELTRAUM 1/2 ...
https://www.youtube.com/watch?v=NJfI_wwLbQs
0306神も仏も名無しさん垢版2019/02/18(月) 00:27:19.57ID:PB7UZ+W7
>>298
宝珠の霊的知識にはなんとなく違和感を感じてたんだけど、なんとなく見えてきた。
つまり、宝珠の言う新時代とは、覚者方が扇動して人類を引っ張っていく・・・
そこには、大多数の人類を悟りに導くという、一般的に言われているアセンションのようなものはなく、
今の人類の指導者が、超越的な人物にとって代わるというイメージだろう。
人類はそれについていくだけで、人類自体が高次の存在に変容するという感じはない。
そして通常のアセンションのように、今までの世界が滅びて、高次の世界に変容するという考え方もない。

こういう考え方だと、一般の個人が超越的人物のイニシエート無しに悟りを得ることが出来ないということで、
仏教と相いれないんじゃないか?
また、最終的な新時代の形が、個々人が悟りを得ることじゃなくて、なんら意識的変化なく、超越的な人物に従うことで
地上天国となっていく感じで、仏教の縁起の世界観と相いれないものになってる。
宝珠の言う新時代とは、真実の仏教やキリスト教と相いれるものじゃなくて、物質主義的なオカルト思想のようにみえるね。
ここでいう物質主義とは、メンタリティの問題で、宝珠の言う新世界では個々人の我がバラバラのようなイメージ。
覚者方、一般の人類、それぞれが我の世界を保ったままの新世界
だから、口では霊的なことを語っていても、その発想は唯物思想と同じようなもの。
本来オカルトとは「我」(自分の夢や理想、欲にまつわるもの)の考え方だから、オカルト的な新時代というのはそういう風に、
仏教やキリスト教とマッチしなくなっちゃう。

人類の真実の姿、キリスト教や仏教の教え、新時代、
宝珠の考え方だと、これら3点はどうしても結びつかないだろう。
統合的に話せない。
0307神も仏も名無しさん垢版2019/02/18(月) 21:28:59.23ID:23vF/1bw
まあ、
「高次」なんて概念は、基準取りでどうとでもなるしな。

たとえば、
「種、及び一集団としての総合力」で言ったら、
蜂や蟻の方が、圧倒的に 『優れた「生物」』 だと言わざるを得ないしね。
 (人間のような愚かさもないしw)

でも、西洋(キ教)的価値観、及び神智学的世界観では、
ピラミッドの底辺だから。
0308宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/20(水) 03:41:32.47ID:NcWjMXGU
>>294承狂
>単なるモンスタークレーマーでしかない。(笑)
>世の中は、そんなクレーマーにも漸く問題意識持ち始めたから、
> 今後もそんな風だとそのうち痛い目を見ますよ。(笑)
>(^。^)「仏教に口出しするな」じゃなくて、宝珠は人の道から外れてるよねって話なんだよ。(笑)

いやいや.ジョーダンじゃない!!

わがままが通らず自分の思い通りにならないからといって、
ギャーギャーと身勝手な文句と暴言を吐く社会悪としてのクレーマーなどと一緒にしないでくれます?
政治の世界でもそうだし、これはなんでもそう。社会悪と間違いやデタラメに対しては、
キッパリ「NO!!」を突きつけて、そこを指摘しないと決して良くならないのです。
放置や黙って従うことが最も良くない。

悪政についてもそう。
まずは、声を上げることがとにかく大切。
なので、署名活動とか、時には集会とデモ行進(暴力ではなく)にも参加すべきでしょう。

>>299
>キリスト教の呪縛のごく一部を、進化論が破壊したが、
>以前、「キリスト病」の一つがシンチガクだと書いたのはこのためだ。

一応、誤解を避けるためにいっておきます。
ダーウィンの進化論(不完全ながら)の基本的な線は、神智学は肯定の立場ですからね!
ただし、当然ながらこれには霊的な視点が完全に欠如してますから。
そして逆に、キリスト教神学に対する全面的否定意を説くのが神智学です。
だから、神智学に対して異常なまでにかっこ“攻撃的”なのがキリスト教徒(信者レベル)たちです。
他の諸宗教からは、そういうことは起きていない。

>>302
私は、宇宙論的視点として述べたのです。
つまり、何処の銀河宇宙であろうも、エネルギーから鉱物が生じ、
そこには恒星があって、そして、惑星があり...。
やがて、そこには有機物が発生して生命体となり、遂には自我意識を持つに至る。
それは更に、下等生命から高等生命へと進化していく...
という一連の流れは、必然であるとしてどの科学者たちも考えています。

それから神智学では、
“チャネリング”はしていませんし、もちろん推奨もしません。
それらはすべてアストラルレベルの低活動であって、そこには覚者からの情報はありません。
0309宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/20(水) 03:46:19.53ID:NcWjMXGU
>>295
自分の教え(説法)のことを「経典」としていることについてですが、
中村 元氏も石飛道子氏も同じく、これを「経典」と訳しています。
まだ経典がないにも関わらずと思われたでしょうが、しかし、これは“予言の言葉”なのです。
そういう意味でも、ズバリ「経典」とあってもおかしくないかもしれないということ。

だから当然、
自分の言葉が後に経典として纏められるということくらいはブッダは分かっています。
ここでいう“外道に由来するもの”とは、大乗諸経典のことと見なすのが普通の見解と思われます。
事実、ある意味では仏教のヒンドゥー化であるという評価がなされているのが、近代仏教学の正統評価でしょう。
そして、“如来の説かれた〜諸経典は消滅してしまうであろう。”とは、
シナ仏教と日本仏教においては、漢訳四阿含経が小乗仏教のレッテルを貼られて実際に殆ど顧みられなかった
(天台の推奨する絶対的な価値観としての法華経がメインに置かれてた)ことを意味するものと見られています。

“彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。
それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。” については、
結果としては南方仏教のテーラワーダも含めて、私は然りだと個人的には見なしています。
何故ならば、彼らは経典の記述上における「法」と「一切」、そして「無我」についての教えとは異なる理解にあるからです。
このことはまた、後ほどやります。

>>296
興味深いお話をありがとうございました。

これは特に反論ということではありませんけれど、
ゴータマ・ブッダを“原理主義的”という扱いで述べられることはあまりないように思います...。
逆に、どちらかというと、“反伝統的な革新派”という扱いかと思いますが。
確かに、まずは伝統修行の実践ということで、凄まじい苦行に没頭したことは事実ですが。
0310宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/20(水) 03:48:15.92ID:NcWjMXGU
>>前スレ969 >>同975 >>同977 >>同981
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/969-981
はい、
私も120%同意します。

師や先達が“指導の名の元に”
弟子や後輩に対して“修行と称する”体罰を行うなど言語道断です。
修行を指導することというのは、シゴキや体罰などとはまったく違うことです。
今、ニュースでも日本中で問題となっている通りであり、
至急、改善が望まれるシゴキと暴力が完全に日常化してる相撲界や、
そして、スポーツの世界での実態も同じことですよ。

それらが本当に修行として、指導の在り方として適切であるかどうかです。
あくまでも正当化を図ろうとするのであれば、仏典からその正当性を証明しなければならない。
0311宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/20(水) 04:20:03.53ID:NcWjMXGU
>>306
いえいえ全然、違いますよ。
これらの見方は完全な勘違いと決め付けです。

ニューエージの主張のような、
まるで全人類が一斉に意識の変容を遂げる出来事がある、
という安直な考え方の方こそが漫画チックな妄想なのではありませんか?
私が述べた話というのは、確かに超人的人物の出現についての情報ではありますが、
しかし、それは我々を教え導いてくれる教師の存在を意味するものであって、
その教えを自ら学んで実践していく過程というのは、“あくまでも自分自身の努力と行動によるもの”ですよ。
だから、最終的には個々の人間による個人的な意識の進化の必要性、つまり、一人一人が悟りの達成に至るための経過です。
その基本的な構造というのものは、古代の仏教〜今の仏教だろうとも、
そして、私がこれから起こるとしている出来事の話についても何も変わらない。

そもそもこの話というのは、
当時のゴータマ王子によって予言された後継者であられる“弥勒仏の出現のこと”なのであり、
それがいよいよ現実の社会の中で起ころうとしている、という驚嘆すべき情報を提供するものです。
なので当然、これらの話は何ら仏教の教えともまったく相反しません。
もしも、言えることがあるとするならばこうです。
ゴータマ・ブッダが世を去られて以降〜二千五百年間の仏教世界においては、
ブッダのような存在はついに一人も出現されなかった。だから、覚者からの直接指導というものはなかったです。
しかし、その暗かった時代はとうとう終焉を迎え、
<<弥勒仏と弟子である覚者方からの直接指導の下に我々は前へと進むことができるようになる>>
ということ。
0312宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/20(水) 04:28:20.33ID:NcWjMXGU
 『その時代には、兄弟よ、Maitreya(慈悲に満ちる者)と呼ばれる高貴なる者が世界に現れる。彼は阿羅漢であって、
完全な啓明に達した者である。智恵と正義を備え、幸福なる方であり、世界のすべてを知る方であり、人類を率いる無類の
戦士、デーヴァ達と人類の教師にして、高貴なる者、わたし同様の仏陀である。わたしが今そうであるように、彼はその超
常的な大いなる力によって世界を見通し、且つ、それによって世界中に、デーヴァ達の世界にも、マーラー(魔王)達、ブ
ラフマン達、出家僧達、バラモン達、デーヴァ達にも人類と同様に、その人であると知られるであろう。
 彼はその時代の初めおいて、その時代の中頃において、それゆえ、その時代の終わりにおいても、巧みに規範を公布する
だろう。彼は純粋さにおいて、その中に含まれる霊と言葉の意義の両方において、完全無欠で正しい姿の正命を、わたしが
今それをなしているように、人々に示すであろう。私が今、何百人の比丘と比丘尼の教団を率いているように、彼はその時
には何千人もの兄弟団を率いるであろう。』  
(ディーガ・ニカーヤ第六経『転輪聖王修行経』より)

すでに投稿済のこちらも合わせてご参考願います。
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/84
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/593-594
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/622-624
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/628-632
0313承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/20(水) 05:36:07.60ID:ptXchDol
>>308
○○星人とチャネリング、じゃあないんなら、どーやって
「どの銀河でも〜」
なんて話が出てきたのかな?(笑)
ひょっとして、宝珠さんが銀河を飛び回ってるんですか?(笑)

(^。^)ちょっと俺の処にも飛んできてくれないか?(笑)
0314承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/20(水) 06:18:56.00ID:ptXchDol
>>313
これは訂正。(笑)
>>301は「どの銀河でも〜考察してみなさい」だったね。(笑)
んで、てっきり○○星人とのチャネリングの話でも元に「考察しろ」ってことかと思ったんだった。(笑)
世の中に、なにかしら「どの銀河でも〜意識をもつ」だなんて答えが出せる資料がある訳だ。(笑)
俺はちょっとお目にかかったことないんだが、何の資料を元に「考察」したら、(笑)

そんなバカな妄想

を思い付くのか、教えてくれないかな?(笑)

(^。^)真面目に「考察」したんだよね?(笑)
0315神も仏も名無しさん垢版2019/02/20(水) 09:35:09.28ID:xsVQBvB/
俺は中村元の本で育ったから嫌いじゃないんだけど
よく本の書評とかでこの本は適切に中村元の仏教学を批判しているとか書いているの見かけるんだが
ただその批判の内容って何か分からんのだが
別の現代の仏教学者から見て中村元の仏教学の問題点って何?
0316神も仏も名無しさん垢版2019/02/20(水) 12:15:37.48ID:kpqnymrV
伝統的に(各伝承部派の解釈上で)取られてきている「読み」
よりも、仏教興起以前の文化、価値観から、文を読み、単語を解するところ。
勿論、(奈良さんの謂い同様―といっても、奈良さん自身、中村さんの直弟子だけどw―)
一言で言えば、読み方が「インド的(ヒンドゥ的)」「東洋全般的」なとこ。
各種ある伝承諸文献の読みを、「総合校訂したあとの解釈に一本化している」とこ。
(現行文献の読みとは明らかに違う筈なのであって・・。)

ヒンドゥ文化の中で発生した仏教なれば、「最初期は」「その価値観で彩られ」ていても当然なわけで。
(その意味での、上記の苦行者文学。)
現在伝わる諸文献は、長い年月の中で
「解釈し直されてきた」「敷衍増広、或いは添削されてきた」ものだから。
だから、現行諸派の読み(―片山さんのライフワークは、まさにここにあるわけだけど―)は、
古代インドへ遡るだけでは読み違える。
また、あらゆる術語、文を、系譜抜きで、全部一律に始原へ遡るだけでは駄目だし、
たとえ古くからの言い回し、単語でも、
初期仏教時点で、もっと言えば釈尊その人の段階で、「換骨奪胎」されている可能性もあるわけで。
その意味で、双方向的に、その為の原典批判的研究でもある。

まあ、功罪の「功」の部分が桁違いに大きいから、偉大な学者に変わりないけどね。  >>315
0317神も仏も名無しさん垢版2019/02/20(水) 13:32:14.24ID:xsVQBvB/
>>316
なるほどなるほどいやあよく分かったわw
中村さんは原始仏教的理念型をまず想定して、その始原から解釈しているってことね
批判されるのももっともだわ
俺が中高生の時に中村さんの岩波文庫読んで衝撃を受けたのも、その理念型が明快だったからだしな
その理念型から仏教史を読み解くとただの誤読と誤解の歴史みたいに見えてくるもんな
それで高校生の俺みたいなゴリゴリの原始仏教原理主義みたいな浅はかな考えも生まれてくるわけだしなw
中村さんはヴェーダーンタ学者だから
分かりやすい一元論のヴェーダーンタ的原風景から眺めた理念型の原始仏教が果たして仏教の仏教性をきちんと掬い取っているかという問題になる
実際はその仏教性を掬い取る為の努力こそが喧々囂々とした仏教の歴史ということになるわけだから
そうなるとヴェーダーンタ学者の中村さんの理念型が正しいかってことになるわけっすな
0319神も仏も名無しさん垢版2019/02/20(水) 15:47:43.90ID:xsVQBvB/
俺6年前ぐらいによく名無しで書き込みしてたけど
当時、隠居だの在家だのキリスト教のオカマのおじさんが暴れてたりしたけど
みんな希望通り死んで御仏になった感じ?w
0320おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/20(水) 16:41:38.52ID:jl6ZFdGB

↓キリスト教のオカマのおじさん?

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1322148727/237
てす
237サロメ☆ボウディア ◆k8vHqHA92c 2013/05/01(水) 00:01:47.54
真言宗のビンラディン♪
  _  _

↑↓たぶん別人だと思うけど面白そうな感じもする

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1513948234/754
仏教哲学総合スレ4
754美魔女2018/05/18(金) 00:28:35.130
お肉食べよう

↑たぶん宗教哲学系の人?

間違ってたら スマソ m(_ _)m
0321神も仏も名無しさん垢版2019/02/20(水) 16:53:08.87ID:kpqnymrV
>>309
まあ、確かに、今使われるニュアンスでの「原理主義」には当てはまらないけどw、
「道を歩む者に、最低限必要なことや、押さえておかねがならないこと、
 或いは逆に、あってはならない要素、考え方」等には厳格だった筈だしね。
その意味で、「釈尊自身が想う(→体現している)理想形」ってのは、必ずある筈で、
それを原理とするなら、そこから外れる者は、まさに波羅夷に値するわけで。

また、(特に晩年だろうけど)日日の運用についても、
そうした厳格なラインと一般のラインとの間で落としどころを見つけてたのが
阿難や舎利弗かもしれない、と。

そういうような意味で、
入滅時、「これで、うるさい大長老がいなくなった」という発言が生じた理由として、
(たとえば9条絶対主義みたいなw)原理主義的ところはあったんじゃないかな、と。
「お悟り(涅槃、勝義)」及び「その為の行」に関しては。

(これは奈良さんのおまけ話で、未だ確認取れてないがw)
通り掛かった阿難が、投獄されてる者にすがられて、
(特に仏陀の)出家者は特別な立場を得られるから必死だろうしw、
なんとか助からないか、と相談されて、釈尊は、回心してるならすぐ外に出せばいい、といったらしいが、
阿難は、きちんと手続き踏んで、
王や役人に、「こいつこんなに反省してるし、二度とこんなことなく仏道に邁進するし、私ら先輩がちゃんと見ますし云々」
と説得したとかしないとか。 (有部の毘奈耶雑事辺りの中にはありそうなんだけどね・・)
0323神も仏も名無しさん垢版2019/02/20(水) 17:43:52.53ID:xsVQBvB/
一度仏教議論スレの有名人達でオフ会して欲しいよなww
サロメボウディアとか名前見ただけで吹きそうになったわww
0324おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/20(水) 18:03:45.72ID:jl6ZFdGB

>仏教議論スレの有名人達でオフ会して欲しい

僧侶じゃなくても
全員
頭が、はげた

粗大ごみ扱いされてる
おさーん

だったりして? おじゃる?

(おじゃるは
  社会不適合者なので独身で おじゃります)
0325宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/20(水) 18:43:45.93ID:NcWjMXGU
私から---投稿を---お断りした方は、
二度と(三日坊主じゃなく)出て来ないで貰いたい! 
返事投稿も要らない!!! /怒
0326承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/20(水) 18:56:41.01ID:qGexHP5M
こんな人が「霊的な進化」とか「人格攻撃」とか「本当の仏教」とか言ってるんだから、笑っちゃうよ。(笑)

(^。^)霊的に進化すると、そんなんになるんでっか?(笑)
0329神も仏も名無しさん垢版2019/02/21(木) 00:54:06.58ID:7I3iVvVM
>>311
違うんですよ、宝珠さん、あなたは決定的な間違いをしている。
新時代とは単なる指導層の交代じゃないんですよ。
交代だけだったら世界は何も変わらないでしょ?
人民は相変わらず二元性の世界のままだ。 つまり、カルマのまま旋回輪となって回ってるだけ。
なぜそれを新時代と言えるのか…?
マイトレイアが出ることに依存はない。
だけど出たことによって、多くの人が悟った状態になるから新時代になるんだよね?
そういう預言なんだよ。
マイトレイアが出ただけじゃ何もならない。
全人類が一斉に意識の変容を遂げるのを安直というけれど、それは竜華三会が安直だと言ってるのと同じだよ。

また救世主ってのは、行いによって人々の前に公平に現れるんだよ。
行いにもよらないものが、あの人は救世主でどこそこに居る、っていって現れるんじゃない。
何にもやってないじゃないか。
本当の救世主ってのは、誰が言わなくとも多くの人がその行いを見て、
この人こそ救世主に違いないと思うことで現れるんだよ。
クートフーミーもモリヤもイーストエンドの得たいの知れないヤツなんて
はなから相手にしてないわけ。
世界の7大聖は地球人類が二元性の世界を越えるように努力してるわけだ。
0330神も仏も名無しさん垢版2019/02/21(木) 01:03:27.95ID:7I3iVvVM
>>311
>その教えを自ら学んで実践していく過程というのは、“あくまでも自分自身の努力と行動によるもの”ですよ。
>だから、最終的には個々の人間による個人的な意識の進化の必要性、つまり、一人一人が悟りの達成に至るための経過です。
>その基本的な構造というのものは、古代の仏教〜今の仏教だろうとも、
>そして、私がこれから起こるとしている出来事の話についても何も変わらない。

だいたい宝珠はこのように書いてるけど、覚者方のイニシエート無しに個人は悟りを得られない
というスタンスなんだろ?
つまりここで言ってる個人の努力と行動ってのは、イニシエートを受ける資格を得るための努力であり行動であり、
あるいはイニシエートを潤滑に進ませるための努力・行動というわけだ。
全然仏教と違うじゃないか。
ここのところをどのように整合性をとるの?
仏教にもイニシエートがあると主張するのか、個人で悟ったものでも何らかのイニシエートを受けたのだと主張するのか、
そもそも個人の悟りは存在しないと主張するのか。
宝珠の新時代論を聞いてると、この人は二元性を越えるということを分かってないんじゃないかと思うんだけど、
その辺どうなの?
0331宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/21(木) 03:01:04.54ID:NV0Hex26
>>329
仰りたい趣旨については理解できますし、
私も基本的にはまったく同意しますよ。
つまり、それらの疑念については何も問題はないといっておきます。
あなたがこのグループからの情報を詳しく知るようになれば、
それらの疑念や懐疑については消散するものと思います。

>>330
もちろん、Maitreyaや地上に出現されようがされまいが...
今でも個人の努力と進歩によって個人の意識の進化が起こり、個人の悟りも起こっています。
しかし、これからは地上でMaitreyaと覚者からの直接指導があるということです。
これまではなかった。

すべての人間がその進歩に伴って、
第一段階と第二段階のイニシエーションを受ける際には、
例外なく全員共にMaitreyaの下で彼が振り下ろすロッド(杖)でエネルギーを注がれる内的体験をします。
しかし、その体験記憶は残りません。
第三段階において、人は初めて本格的なイニシエートとなることができます。
この第三段階イニシエーションは、シャンバラにてサナット・クマラ(永遠の少年である世界主/惑星ロゴスの反映)の御前にて受けます。
これを受けた者は初めて、ハイアラキーの一員としての“使命”を無意識的ながら自覚するようになります。
このことはその人が仏教徒であるか、キリスト教徒であるかはまったく関係がなく、また特定の信仰を持つかどうかについても無関係です。
あくまでも、その個人の意識発達に応じて自然と起きる事柄です。
Maitreyaが出現されて以降については、地上で第一・第二のイニシエーションを受けることになります。

尚、Maitreyaは世界教師として人類の前に顕れるのであり、
悟りを求める修行者たちの指導が任務ということではありません。
全人類を救済する方向性で健全な人生へと教え導く役目です。
プロフェッショナルな修行についての細部における直接指導は、
Maitreyaが育て上げた直弟子の覚者方(複数人)が行います。

参考:
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1533070464/278
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/14
0332宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/21(木) 03:02:06.98ID:NV0Hex26
>>319
そうでしたか!
とにかくお元気で何よりでした。

エーと、例えば在家さんについていうと、
この私とはその主張内容の骨組みがほぼ共通路線だったので、
私の方は彼に親近感を持っていましたが、しかし、向こうはそうではなかったのだろうと思います。
実際、この私との間では直接的な対話は殆どなかったのでした。

彼はイエスについて熱心に勉強しており、通常では知り難い情報について欲していましたから、
私から神智学ではありませんが、神智学とは親戚に近いような秘教的組織からの一冊で、
超お薦めとなるオカルト文献を彼に紹介させてもらいました。
彼はすぐに取り寄せて購入して、その内容にはとても満足されていました。
喜んでもらえて私もとても嬉しく思いまして、もし良かったらメールでもとプライベートの交流を呼びかけたのでしたが、
勧誘でもされると思ったのか? そのまま音信不通となって消え去りましたね(苦笑)。

逆に、カラスさんは2ch上では強面で恐ろしい印象でしたが、
メールの会話を何度も交わし合いましたけれど、プライベートではとても気さくな優しい方でした。
やはり、ただの2ch上での作りキャラだったようです。
今は、ツイッター上で自分のコンテンツを立ち上げて更新を続けていますね。
0333宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/21(木) 03:05:24.16ID:NV0Hex26
>>314承狂
>世の中に、なにかしら「どの銀河でも〜意識をもつ」だなんて答えが出せる資料がある訳だ。(笑)
>俺はちょっとお目にかかったことないんだが、何の資料を元に「考察」したら、(笑)
>そんなバカな妄想
>を思い付くのか、教えてくれないかな?(笑)

イヤハヤ.
こんなのは宇宙論的な理解についてのあまりの基本的部分過ぎて、そのソースすら見つけることも困難ですよw

例えば、この“ドレイクの方程式”では、
地球を含めた我々の太陽系のみならず、広く銀河系内のすべてを同じ条件で均一的に地球外文明の数を算出しています。
そのことは地球と地球人類の存在が偶然によるここだけの奇跡などではなくて、
同じような天体と知的生命体が確率的に他にも同様に存在しているという見解を意味します。
もちろん、このような見解はあらゆるすべての星雲と銀河においても然りです。
ということは、一定の法則が全宇宙空間に作用しているという見解だということ。
では、その法則は何故あるのかな?

 『ドレイクの方程式(ドレイクのほうていしき、英語: Drake equation)とは、我々の銀河系に存在し人類とコンタクトする可能
性のある地球外文明の数を推定する方程式である。この方程式は、1961年にアメリカの天文学者であるフランク・ドレイクによって
考案された[1][2][3]ことから、その名を取って名付けられた。「我々の銀河系に存在し人類とコンタクトする可能性のある地球外文
明の数」Nを推測するドレイク方程式は以下のように記述される。
N = R ∗ × f p × n e × f l × f i × f c × L  ただし、各変数は次の通りである。』
(Wikipedia/ドレイクの方程式)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8f
0334承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/21(木) 04:52:46.57ID:1eBGerwB
>>333
「一定の法則が全宇宙空間に作用している〜何故あるのかな?」

(^。^)はぁ、誰かが推定したら、それで「全宇宙に」その法則が「作用している」事になるんですか?(笑)

え?あんた頭おかしいの?(笑)

じゃあ、俺が「宝珠はバカだなぁ」って推定したら、全宇宙でそんな法則が発動するんだ?(笑)
0335承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/21(木) 07:49:12.71ID:1eBGerwB
ひょっとして、在日なのかな?
「推定」って言葉が理解出来てない?
バカカルトも「相当」とか「承る」とか意味が理解出来ない連中だったが、
これはどういう事なんだろう?

(^。^)まさか、本当にカルト信者って在日二世あたりが組織的に?(笑)
やべぇ、俺、消さりたりしないよな?(笑)
0336承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/21(木) 08:15:43.81ID:1eBGerwB
ちょっとお前ら、
「安重根はテロリスト」
って言え。(笑)

(^。^)まさか全員在日じゃあなかろうな?(笑)
0337神も仏も名無しさん垢版2019/02/21(木) 21:44:16.05ID:VPxg6+9Q
(少し上にも、宝珠の反論が載ってるが)、
出会った頃から一貫して、神智学という体系に抱く印象は、やっぱり

 「西洋キリスト教的ピラミッド」なんだよね。

そこには、 「みんな違って、みんな(・∀・)イイ!!」 という視線が欠如してる。


仏教の五道六道の階層は、
確かに「能力」の差異に基づくヒエラルキーと言えなくもないけれども、
けど、そこに優劣は無い。
あるのは、
「仏の教えに近接する機会が多いか少ないか(人身受け難し仏法聞き難し)」
でしかない。
0339神も仏も名無しさん垢版2019/02/22(金) 15:58:08.50ID:qqKHjDQn
あと68日
0340神も仏も名無しさん垢版2019/02/22(金) 21:56:36.89ID:BHAOSlK9
>>332
色々水面下では連絡しあってたんですねw
宝珠さんは相変わらずって感じですがベンジャミン・クレームさんも死んで
今神智学系でリーダー的に情報発信してる人なんているんっすか?
クレームさんで終わりな感じ?
0341神も仏も名無しさん垢版2019/02/22(金) 23:09:23.33ID:Q+KXAhM9
ベンジャミンクレームは神智学を利用しているだけで、ブラヴァツキー直系の神智学とは言えないだろ。
神智学を自分のカルト宗教に利用した。

神智学自体はおそらく本物なんだよ。
だけど、ベンジャミンクレームは悪質な偽物だ。
神智学の内容をそのまんま利用し、自らのカルトに流用した。
これを本物の神智学の継承と思っちゃうといけない。

なぜこういうのにダマされちゃうかというと、その宗教が何を目指しているのか、その先に何があるのかということを、
教義抜きに語れる本質的な幸せ(ゴール)というものを分かってないから。
宝珠はこのゴールを語れない。
ゴールを語ることより、超人たちの出現の方が重要なんだよな。
それがカルトの特徴でもあるわけだ。

ニューエイジと言われる連中もそういう発想で、本質的な人間の幸福のゴールというものを問題視せず、
ただ表面的な奇跡や、我欲的な幸福を求めてる。
しかし、本物の新しい霊的進化を語る人達は、その中にはもちろん、ブラヴァツキーの神智学も含まれてると思うが、
「我」無い世界が人類の真の幸福の世界だと知ってて、そこを目指してる。
またそういう世界が間もなく来ることも分かってる。
根本的に我欲を満足させる思想と違うんだよ。

凄い世界が来るんだー、みんなの知らない超偉人達が出現するんだー、というのは、
我欲を満足させるんだよね。
自分が人より高みに立ちたいと思ってる人は注意しないといけない。
真実の新時代を求める人でも、そういう方向に振られないよう、どんな世界が来るかということよりも、
今やるべきことに意識をシフトさせていった方がいい。
0342宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 03:33:20.99ID:L+LuvJ6H
>>335承狂
>ひょっとして、在日なのかな?
>(^。^)まさか、本当にカルト信者って在日二世あたりが組織的に?(笑)

本来、「在日」という言葉そのものには、何らの差別的意味合いもないのですが、
しかし、あなたのように相手を馬鹿にするための“差別言葉として意図的に使用”する人が時折、見られます。
こういうのは今、社会的にも大きな問題となってきていますから、今の内に辞めといた方がイイですよ!
あなたも一応、仏教徒のレッテルで見られる人間でしょうから敢えて言っておきます。
あなた一人の行う恥ずべき醜態が、そのまま仏教徒に対する低評価へと繋がってしまいますから...。
つまり、仏教徒に対しての悪評の一つになっていきますよ。
だから、今後は辞めておきなさい。
0343宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 03:34:41.49ID:L+LuvJ6H
>>334
>(^。^)はぁ、誰かが推定したら、それで「全宇宙に」その法則が「作用している」事になるんですか?(笑)
>え?あんた頭おかしいの?(笑)

あのだね...
変わってるのはあなたですから。

この地球だけが唯一にして特別。
従って、人類(文明を持つ知的生命体)もこの地球人類しかいない、
などという見解にある科学者などというのは、まずいないですから。
そういうものこそが“キリスト教”的な思考でしょうよ!
なので、これはドレイク氏一人による勝手妄想ということではありませんから
(だから、基本概念として広く支持されているのです)。

この地球だけが唯一の特別ではなくて、
確率論的に他にも同様の惑星が生じていて、その中の何分の一という発生確率において、
地球人類のような異星人がいるものというのが一般的なものであり、そして、これが主流派の見解ですよ。
あとは、その存在の発見確認と、そして、コンタクトの有無成功の問題だとなる。
だから、つまり「エネルギー」→「鉱物」→「有機物」→「生命」→「知的生命体」という
宇宙空間におけるこの発動的な展開は、全宇宙のすべてにおいて同様に働く一定法則に基くものだ、
という意味になる。

また、
では何故、異星人とのコンタクトに成功していないのか? について、
その原因と理由を考察したものが“フェルミのパラドックス”ということになる。
もちろん、この中には地球人類しかいないからであるというのも、確かに一つの可能性としては含まれることになる。
まっ、あくまでもこれは正統科学での一般論にしか過ぎませんが...。

まっ、解らないなら、もうイイからね!
そもそも実際、あなたもココ“論議スレ”には向かないんじゃないの?
レベル的に ???

参考:
(この宇宙に、宇宙文明はいくつあるのだろうか? - 京都大学宇宙総合学)
  https://www.usss.kyoto-u.ac.jp/etc/symp7/ohta_k.pdf
(Wikipedia/フェルミのパラドックス)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
0344宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 03:47:51.17ID:L+LuvJ6H
>>340
私自身も、まだまだ理解が浅いですけれど...

ベザント第二会長の時代以降〜大分裂を起こして、
様々に分派していったこの神智学からの流れですが...
アディヤール派の本家『神智学協会』、ジャッジ派の『米国神智学協会』や『ドイツ神智学協会』、
そして、レーリッヒ派の『アグニ・ヨガ協会』、シュタイナー派の『人智学協会』、
それから、ベイリー派の『アーケン・スクール』とクリシュナムルティ派
などがあって...

レーリッヒとベイリーについては、
ハイアラキーの覚者からのコンタクトをとりつつの活動でしたが、
しかし、今ではどうでしょうか...。たぶん難しいものと思います。

ベンジャミン・クレーム氏によるこのグループ(クレーム派『シェア・インターナショナル』)は、
クレーム氏の師であるヒマラヤの覚者(名前は非公開でしたがベイリーを指導していた覚者である可能性が指摘されています)
からの徹底した指導のもと、非営利・非組織を理想としてやってきました。
たとえば、メンバー間には特別な地位を与えてはならないことや、非メンバーとの如何なる垣根も作ってはならないという指導の通り、
今でも会員制というものを敷かないので会費徴収という収入すらもなく、当然、非会員との区別すらもありません。
日本の新興宗教というのはすべてが会員制です。それは、つまり会員イコールで信者ということであり、
そして、会員を増やすことがそのまま会費集めとなる。
0345宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 03:48:42.72ID:L+LuvJ6H
しかし、覚者とのコンタクティーであったクレーム氏がいなくなって、
今は、この日本においてはカリフォルニア在住の通訳担当:石川氏が中心になっています。
これまでの歴史を見れば、必ず誰かがまた新しい覚者のコンタクティーとして出現してきたのですが、
今のこの私程度の情報収集力では、その情報は残念ながら得られてはいません
(私がこの活動を知った時<約30年前>には、すでにクレーム氏は高齢だったので、
いつかそういう日がくるものという覚悟はもともと持っていましたけれど)。

もしも、新しいコンタクティーが出現しないならば、
それは“その必要性がもうない”ということだろうと思います。

>>306 >>329
私の説明がヘタということもあると思います。
公式サイトで、正確な情報を得ることをお薦めします。

参考:
 sharejapan.(70億人に伝えない/シャア・ジャパン公式サイト)
  https://sharejapan.org/
0346宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 03:49:58.55ID:L+LuvJ6H
>>341
>宝珠はこのゴールを語れない。
>ゴールを語ることより、超人たちの出現の方が重要なんだよな。

いえ、まったくそんなことはありませんから。
決め付けないで下さい!

>凄い世界が来るんだー、みんなの知らない超偉人達が出現するんだー、というのは、
>我欲を満足させるんだよね。

いやいや.
全くそういうことではありませんから。

世界人類は今、大変な危機の中にいる。
世界の工業先進国が天然資源の3/4を消費し、世界貿易の80%を支配し、工業技術と科学的研究成果の殆ど100%を独占している。
それにもかかわらず、先進工業国に生活している人々は全世界の人工の1/4にも満たない。
他の3/4の人々はその残りもので、何とかやっていかなければならない。
こうして、数千万の人間が貧困の中で飢え死にしている傍らで、
金持ちは金銀紙幣を見せびらかし、先進国の庶民らはポケモンGoで遊んでいる。
この人間としての尊厳、その霊性を踏みにじるような冷淡な行為によって第三諸国との間には埋められない不均衡が生じた。
そして、それが紛争とテロの原因にも繋がっている...。
無実の子供たちが戦場で銃を持たされ、少女たちは身カラダを男たちへと売られている。
この日本おいても地震と津波が襲って、多くの人々がコンクリや岩石の下敷きとなって潰されて死に、そして、大切な家族と家を失った。
また以前として、核ミサイルの脅威も残っており、原発事故からの放射能の恐怖も続ている...。
0347宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 03:50:40.84ID:L+LuvJ6H
なのでこれは、
地球人類からすべての戦争を止め、国家や人種や宗教間の違いを超えて全人類が互いに兄弟姉妹として認め合い、
貪欲にもとづいた資本主義競争の狂気から目覚めて、互いに分かち合って飢餓貧困を終焉させること。
地球人類すべてが同じ兄弟姉妹として、互いに愛し合うこと。そして、共に幸せに暮らすべきであるという訴えです。
その「(Maitreyaからの)呼掛けにみんなで応えよう!」ということをこのグループは伝えている。
もちろん、それは個人の我欲というものが破滅的なものであることを教えるものですよ。

>今やるべきことに意識をシフトさせていった方がいい。

今の自分に何ができるか? 
何をすべきかを重視するのはもちろんですよ。

>神智学の内容をそのまんま利用し、自らのカルトに流用した。

そういうレッテル貼りをする人を相手する気はありません。
まっ、ご自由にして下さい!
0348宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 04:52:24.11ID:L+LuvJ6H
こちら北海道では、21日の午後9時22分過ぎに、
北海道胆振東部地震の最大余震として、M5.8最大震度6弱という大きな地震が再び襲った。
そのために震源付近の厚真町は、またまた断水の被害を受けました。
私の地域は、幸い震度3で何事もないけれども、緊急地震警報の音は怖いものがある。
まっ、前日に20年近く飼育している愛魚クラウンちゃん(淡水熱帯魚のドジョウ系/クラウンローチ)が、
大暴れしていたので「こりゃ〜来るな!!」というのは、妻と二人して事前に分かっていた。
この魚は真面目に凄いよ!! かなりの的中率として太鼓判を押せる筈です。

たまたまだけれど、
NNHKで夜中にやってる『オトナの一休さん』をついつい見てしまうw

 『室町時代に実在した「一休さん」は、とんでもないお坊さんだった!
リアル一休さんの破天荒エピソードを、一休さんや弟子たちが残した文献を基にアニメ化。
すべてのオトナたちへ、クスッと笑えて心が楽になるひとときを。』
 http://www4.nhk.or.jp/P4039/
0349宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 04:54:32.87ID:L+LuvJ6H
それから、
七セブンに是非とも視聴をお薦めをしたいのがコレですw
かなり優秀に現象を捉えた“座敷童”の心霊現象ですよ!
確かに、覚者の起こす奇跡に遭遇できるというのはなかなか難しいけれど、
しかし、唯物主義を打破する一役と成り得るものであり、
そして、容易にスポットへといくことができるのが心霊現象ですからw
(尚、TV番組などは所詮、すべてヤラセだと決めつけてる人は見なくてもいいですから。無意味なので...)

『世界の何だコレ!?ミステリー』
  2019年02月06日山形県の座敷童の話(22:10〜35:16)
   https://www.youtube.com/watch?v=Pfzxffsxg10
  2019年2月20日島根県出雲市(25:36〜36:21)
   https://www.youtube.com/watch?v=1U4D8uXv8V4
0350承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/23(土) 05:23:23.28ID:BTW3ldkD
>>343
>>301
>では、何故に何処の銀河においても、>やがて無機物から有機物が生じて、
>最後には意識を持つようになるのかを>まともに考察してみなさいな!
>そして、その物質を認識するのは意識>によってだ
とあるが、
その根拠を出しなさいと言っているんだよ。
確率論的に知的生命体がいるというのは常識だが、
地球と同様に有機物から人類のような知的生命体がでるかは「推定」しか出来ないのは、君のコピペからも明らか。
地球外では、まだ有機体の痕跡らしきものしか発見されてないのに、
何を根拠に「意識をもつようになる」と断定しているのか、答えなさいと言っている。
科学的根拠無しに、推定を断定にしただけでしょ。
日本語が解ってないとしか、思えませんな。(笑)

(^。^)「推定」の意味を解ってないなら、知能に問題があるか、外国人かのどちらかだろ?
それとも知能障害者扱いしてほしかったかな?(笑)
0351宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 05:37:04.08ID:L+LuvJ6H
>>350
ハァ?
(科学的には)未確認なのだから、
それはもちろん推定であり、ただの理論に過ぎないに決まってるでしょ!
何をいってんの???

>何を根拠に「意識をもつようになる」と断定しているのか、答えなさいと言っている。

だから、
地球だけの唯一の出来事とすることこそが無根拠なの。
わかります? ここに起きたということは、他でも起こるものと考えることがごく自然な発想であって、
従って、それが科学的な思考なの。

やってられんわ!
勝手にしてくれ〜
0352宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/23(土) 05:48:20.26ID:L+LuvJ6H
>>345
誤字訂正:
 ×(70億人に伝えない/シャア・ジャパン公式サイト)
 ○(70億人に伝えたい/シャア・ジャパン公式サイト)

大変、失礼しました-大間違いです。
0353承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/23(土) 06:14:53.31ID:BTW3ldkD
宇宙に対して「ま、こんなものだろう」という態度の人は、
仏教に対しても同様に「ま、こんなものだろう」となるし、
自分の信念に対してすら「ま、こんなものだろう」となる。
こうした人は議論しているつもりでも、勝手なレッテルを張り付けて我を通して空気を読む事が出来ない。
悪いとは言わないが、そんなことをしていると、
「人類の霊的進化がー」とか「今、人類は大変な危機にー」なんて言う痛い子になっちゃいますよ。(笑)

(^。^)あ、もう手遅れかな?(笑)
0354承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/23(土) 06:44:51.34ID:BTW3ldkD
因みに、俺は>>350にも書いたように、
「確率論的に地球外生命体がいるのは常識」
として知っているし、否定したこともない。
しかし、宝珠としては俺がキリスト教的であってほしいので、この文章は無視して、
承狂は「地球だけの唯一の出来事」だと考えていると断定する。
同様に
「ここで起きたことは他でも起こるのが」「科学的」だと断定する。
地球で起きたことと、他の星で起きていることが同様だろうと推定する事と、断定することは科学的にも確率論的にも全く違うにも関わらず、だ。
これが、「ま、こんなものだろう」と言うこと。
因みに、「人類の危機」なんてものは人類発生から今まで、つねに直面している。
人と同じで、何時まで大丈夫、なんて保証は一切ない。
ウィルス、隕石、ポールシフトなど、運が悪ければ簡単に人類は絶滅していた。
霊的な進化もあり得ない。
この辺は長くなるから割愛する。(笑)

(^。^)数十レス使って説明書いても、宝珠みたいに都合の悪い所を改変して読むからね。(笑)
0355承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/23(土) 07:24:32.95ID:BTW3ldkD
>>354
訂正
×霊的進化もあり得ない

○人類の、霊的な進化もあり得ない
0356神も仏も名無しさん垢版2019/02/23(土) 23:36:15.67ID:ErwWRwqz
>>346
ほらほらボロが出た〜〜
宝珠さん、違うんですよ。
工業先進国がぁ〜〜  金持ちがぁ〜〜  戦争がぁ~~  数千万人の貧困がぁ〜〜
テロが、地震が、津浪が、少女たちがぁ〜〜

だから、これら一つ一つの問題を解決すべく、超人的な指導者が出現して、
リーダーシップを取るってことでしょう・・・?
お互いが人類兄弟と認め合うようにして、互いに分かち合うようにする。
互いに愛し合うようにする。
これはね、仏教とは違うんですよ。
マイトレイアが人類が兄弟として仲良く幸せに暮らしましょうなんて呼びかけをすることが
マイトレイアの役目じゃない

宝珠さんの新時代ってのは、やっぱり予想通り、二元性の世界の中から脱しきってないんですよ。
二元性の世界の中でなんとかしようとしてる。
それでよくなりますか・・・?
良くならないんですよ。
血で血を洗うようなもんです。

親鸞はそこに気付いたわけです。
自分の思考でああしようこうしようってやったって、どうにもならないってことに気が付いた。
ああしよう、こうしようってのは業なんですよ。
思考は業ということ。  二元性の世界ってのは、業の世界ってこと。 マーヤーだ。
夢の苦しみをどうこうやったって、夢から目覚めない限りいつまでも苦しみは続くんですよ。
夢の中の苦しみを夢の中で解決しようとするんじゃなくて、ただ目覚めればいい。
そこを目指せばいいわけ。
そこを目指すのが仏教であり、弥勒であり、新時代なんだよ。
0357神も仏も名無しさん垢版2019/02/23(土) 23:36:59.87ID:ErwWRwqz
宝珠さんの新時代は、全部マーヤーの中の出来事。
血で血を洗ってる。
泥で泥を洗ってる。
そうじゃない。  蓮の花は泥に影響を受けないということを知らないといけない。
泥と蓮の花は全く相いれないということに気付かないといけない。
そして、泥がいくらあろうと、花は最初からそこに咲いていると気づかないといけない。
自分で泥の中に花を咲かせるんじゃない。
泥の中に花を咲かせても泥まみれだ。

親鸞はいくら泥を被っても、仏の世界には全く影響しないということを知っていた。
泥の汚れ具合が1であろうが5であろうが、泥の中で丈比べをやっててもしょうがないわけ。
1であろうが100であろうが、泥の中にいる限り、同じマーヤーとして平等なんだよ。
仏の世界からすれば関係ない。
泥というカルマは過去世の記録がそのまま回ってるわけだから、自分ではどうしようもないわけ。
泥はそのままに、蓮の花の方にシフトした方がいいわけよ。
それが親鸞の場合念仏だった。

この泥から蓮の花へのシフトが新時代であって、宝珠の言うように泥の中を浄化して
花を咲かせるのが新時代ってことじゃない。
泥ってのは二元性の世界であって、人間の思考が作り上げた世界。
その中でいくら泥を退治したところで、本当の仏の世界、新時代にはたどり着けない。
宝珠はまさに、二元性の世界に捉われた新時代感を
語っているということになるよね
仏教のいう本当の幸せとは何かということも分かっていない。
仏教の大眼目である二元性を越えるということも分かっていない。
0358神も仏も名無しさん垢版2019/02/23(土) 23:50:09.02ID:jlrv2s6C
浄土系A   浄土系B        浄土系C           一神教系(その他新時代系)
 涅槃      涅槃
  ↑
 浄土       ↑
  ↑
 現世    現世→浄土    現世→浄土(=涅槃)         現世→神国
0359承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/23(土) 23:55:26.28ID:daH51kQj
>>357
バカカルトの信者さんですか?(笑)
よくもまぁ、そんなバカな妄想を仏教だなんて言えますね。(笑)
恥を知りなさい。と、言いたい所だが、君らカルト信者は言うだけ無駄だしね。(笑)

(^。^)俺はもう、地獄の亡者相手にするのは諦めたんだ。(笑)
0360おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/24(日) 00:22:36.34ID:7m2rHmrv

>>357

http://true-buddhism.com/shuha/jodo/

たとえば
宝珠殿の場合は
(中国経由の)日本の大乗の

「自力の諸行では往生できず
  仏そのものによって救われる」

ということが理解できないジャマイカ?という感じもする

ちなみに
おじゃるも理解できてないけど…

道元。普勧坐禅儀
(仮設としての)無明に依存することもなく

安心立命に在るのなら
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもないはずである

みたいな? おじゃる?
0361神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 00:40:57.76ID:COwnGsRR
>>359
カルトってのは指導者を崇め奉ることが重要になってくるわけ。
人を幸せにする原理というよりも、指導者を崇めることの方に重きが置かれている。
宝珠の語る信仰はまさにこれで、原理が存在しない。
覚者方の存在がより重要になってる。
こういうのがカルト典型なんだよ。

我の無い世界が本当の幸せな世界なんだ、だから今に在ろう、今為すべきことに気付きを向けていこう、という時に、
どこに覚者方がいる・・・?  どこにカルト教祖がいる?
人ととしての幸福の在り方、原理だけじゃないか。
なぜこれがカルトなのか?

カルトの場合は、これを拝めば運が良くなるとか、教祖を崇めれば人生が良くなるとか、得体のしれないこういう修行をすれば運命が良くなるとか、
きちんと説明できる原理がないじゃないか。
そこを区別しないといけない。

また、我を無くすと言えば、過剰反応を起こす人がいるけど、人間関係でも我の無い方が上手くいくってことは明かだよね。
自分の人生でも我を出さない方が上手くいくことはあきらか。
我が無ければ夜遅くまでゲームをすることもないだろう。
我が無ければ何事も正しい道が選べる
何故これがカルトと言うのか・・・?

>>358
それだとCが正しいわ。
0362神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 00:57:23.48ID:COwnGsRR
>>360
「自力の諸行では往生できず
  仏そのものによって救われる」

まず基本は完全円満な縁起の世界があるってことなんだよね
それが仏の世界ってこと。
この縁起で一体の世界を思考・分別、我によって分断した世界が
今我々が見ている世界というわけ。
分断していると言っても、それは思考・分別による錯覚ということで、完全円満な仏の世界はいつでもそこにあるわけ。
なので、錯覚から脱すれば、そこが仏の世界だということ。

で、「自力の諸行では往生できず」というのが、血で血を洗うということ。
錯覚の中でその世界を良くしよう、良くしよう、夢の中で夢の世界を良くしよう、良くしよう、
想ったってしょうがない。
それではいつまでも夢や錯覚は覚めず、救われない。
「 仏そのものによって救われる」ってのは、最初からそこにある仏の世界が救いだということ。
錯覚から目覚めれば、自然と救われていく。
道元の言ってることもそれと同じだ。
0363おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/24(日) 01:03:05.31ID:7m2rHmrv

>人間関係でも我の無い方が上手くいくってことは明かだよね

それゆえに
>>169とかの

ごく一般的な会社の中で
『知るものと知られるものの二元性を超えている実有が在る!』
というような我見?妄言?を発してたら

『頭が、おかしい人か?』と思われるでしょ?ということで おじゃります

ちなみに
おじゃるの場合は
外道なので
アートマンが有でも無でも
どちらでも良い(興味がない)けど
0364承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 01:05:47.48ID:TIR4t72e
>>361
面倒臭いヤツだなぁ。

「我を無くす」ねぇ。
君は、どこからどこまでが「我」だと思ってんの?
完全に自我がないと植物人間になるしかないが、そういうことかね?
仏教で言う五蘊十二処十八界のどこが我なんだろうね?
或いは大脳生理学または解剖学的に脳髄のここだと言えるのかね?
具体的な話が何も出来ずに、ただなんとなくそー思う、じゃあ、お話に成りませんよ。(笑)

(^。^)その程度で、どーして宝珠を笑えるのか、理解出来ないね。(笑)
0366おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/24(日) 01:29:06.58ID:7m2rHmrv

>どこからどこまでが「我」だと思ってんの?

ふ〜む =^・ ・^=
これは確かに難しいかもしれない

たとえば
唯識学会
第九意識 = 涅槃
知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマン?

あるいは
さとりに達するための修行の障害(覆)がない。無覆無記
それでも
激流のごとく活動している。暴流の如し
(仮設としての)阿頼耶識?

あるいは
さとりに達するための修行の障害(覆)がある
我癡・我見・我慢・我愛
(仮設としての)第七識?
0367承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 01:36:23.98ID:TIR4t72e
>>365
人類が思考出来なくなれば良いって話か?(笑)
思考出来ないってことは、本能のままに野性動物のようになるってことかね?(笑)
隠居か。(笑)
それと五蘊十二処十八界が思考で感得?
言葉の意味も判らんのに適当な事を書くんじゃないよ。(笑)

(^。^)何が「空となる」だよ。(笑)
0368神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 01:41:25.01ID:COwnGsRR
>>363
『知るものと知られるものの二元性を超えている実有が在る!』

真に実有なのは何か・・・? ということを考えた場合、世界に存在する唯一のものは
「今この瞬間の世界」ということだよね。
われわれの今見ている世界は、たとえばAさんは20才でBさんは40才と見ている。
Cさんには10分前にあってその印象で見ている。
それぞれ時間軸の違う見方でみている。
今この瞬間のすべての一体の世界を、一枚の大きな写真として見ていないわけ。
実有があるとすればこの一枚の大きな写真なんだよ。
仏の世界も神の世界も、今この瞬間の一体となった世界のこと。
それが実有ってこと。 実有があるとすればそれだ。

ただそうすると矛盾が生じるのは、確かに今本当に存在するのは、今この瞬間の全ての一体となった世界ということなんだけど、
そうなると、あらゆるものは存在出来ないんだよね。
今この瞬間しかなければ、あらゆるものは存在出来ない。
存在とはわずかながらでも「継続」を必要とするからだ。

じゃあ、我々のこの世界で何が存在を継続させているのか・・・・?
それは、「思考」だよね。
思考分別があらゆるものの存在を作り上げている。
なので仏教では、今に統一して思考分別を越えることを目指す。
つまり、二元性を越えていくということ。

二元性を越え、思考分別が消え、今に在る、ということは、
みな同じなんだよ。

だから、『知るものと知られるものの二元性を超えている(思考分別を越えた)実有が在る!』
というのは、今この瞬間の全てが一体となった世界で、それは実有でありながら、分別で確認できる存在ではない、
ということになるね。
0369おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/24(日) 01:48:57.66ID:7m2rHmrv


↓隠居師匠って何ぬねの?ということで、とりあえず

117 :神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 10:56:42

生命は、思考や議論の対象にはならない
(仮設としての
  無明に依存して
  さとりに達するための修行の障害(覆)がある
  我癡・我見・我慢・我愛に依存して)
ただひたむきに生きる以外には、方法がない
思考も議論も、生命の機能の極一部に過ぎないからだ
  _  _  _

ふ〜む =^・ ・^= これは

何を主張してるのか?わからないので おじゃります
0370承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 01:56:32.85ID:TIR4t72e
>>368
「思考が存在を継続」(笑)
するわけねーだろ。(笑)

「仏の世界も紙の世界も〜」(笑)
一緒にすんな、バーカ。(笑)

(^。^)全く話にならない、あやふやな適当な話だ。(笑)
0371神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 01:58:18.76ID:COwnGsRR
>>367
「思考が出来なくなる」ってのは「思考の停止」を意味していて、
本当の意味で思考を越えたことにはならない。
「思考の停止」ということは、「思考の活動」がうらはらにあるからだ。

たとえば禅をやっている時に、無理矢理雑念を消して思考を停止させても、それは真に
思考が無くなった状態ではないというのと同じ。
根は同じなんだよ。

コインの裏表は一体になっていて、片側だけ語ってもそれは一枚のコインを
「越えた」ことにはならない。

>思考出来ないってことは、本能のままに野性動物のようになるってことかね?(笑)

版画家の宗像志功は、自分が版画を掘ってる時は、手が勝手に掘っている
というようなことを言っていた。
自分が掘っているんじゃないと。
また、弓と禅の中に出てくる阿波研造は、暗闇の中で的の中心に当たった矢の筈の部分に第二射目を当てて、
「それ」が射るのです、私が射るのではない、と言った。

本能のままに野生動物になると、最高の芸術が創作出来て、暗闇の中でも
的の中心に矢を当てることが出来るようになるのかね・・・?
また、もし、これらのことを思考で熟考してやろうとした場合、果たして最高の芸術作品、あるいは、
神業的な技というのは為すことが出来るのかね・・・?

もっと極端に言うと、花はいろいろ熟考して、綺麗な花を咲かせるのかね・・・?
熟考しなければ汚いメチャクチャな花が出来るのかね・・・?
実を成らせるのにいろいろ考えてやってんだ。 
いや、考えたら出来ないだろ。
0372神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 02:12:44.16ID:COwnGsRR
>>370
3歳の自分が20歳になったと君は言うかもしれないが、3歳の自分は20歳にならないんだよ。
もしなったら、20歳の自分の中に、もう一人、3歳の自分が隠れていることになる。

もしそれでも3歳の自分が20歳になるというのなら、3歳になっても20歳になっても変わらず在り続ける
「自分」というものをその中から出してみろ。
その「自分」こそ、思考・分別で継続させているものではないか。
0373承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 02:20:22.72ID:TIR4t72e
>>361
「我のない世界が本当の幸せの世界」
>>365
「我とは思考のこと」
>>371
「思考が出来なくなるとは、思考の停止を意味していて、本当に思考を越えた事にはならない」

思考を越えた世界が幸せなのか、
思考のない世界が幸せなのか。(笑)
何にせよ、単なる思考停止の快楽主義、刹那主義で、仏教ではない。
適当な話を切り継ぎして、判ったふりをしてるだけの悟ったちゃんは、そーゆースレがあるからそっちに行きなさい。

(^。^)あ?ひょっとしてVIPかどこかの板から来てるのか?(笑)
この板は、お前みたいなバカな話を本気で書いてる基地外が大半だから、何も面白くないぞ。(笑)
0374神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 02:34:31.87ID:COwnGsRR
>>373
承狂が面白いのは、こちらの話を仏教的に理解出来ていないで、
批判しているってこと。
本人もそれに気が付いていない。
仏教かじった人だったら分かるんだよね。
だけど、承狂も仏教の本質というか、本当に言いたいことが分かっていない。
だからこっちの言ってることが得たいの知れないカルトのように見える。
ようは、ついていけないわけ。

さて、宝珠も仏教的知識の深い人であれば、たとえそれがスピリチュアル的な主張でも、正しい真理を語っているならば
それが分かるはずだと期待していたわけだけど、それには全く賛成なんだけど、
だけど同じことを宝珠にも言いたい。
そこまで宗教を研究しているならば、そろそろ二元性を越えるということはどういうことか
気付くだろ。
0375パーピマン垢版2019/02/24(日) 04:54:44.65ID:qq+Gfl/1
「観るものと観られるもの」
「二元性を超える」
「思考がじゃまなんだあああああ」

・・・・・・というようなレベルの話は、ここでは相手にされないよw

そういうのは、悟りスレでやるような話w
0376おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/02/24(日) 04:54:58.65ID:7m2rHmrv

>そこまで宗教を研究しているならば、そろそろ二元性を越えるということはどういうことか気付くだろ

仮設としての
無明に依存して暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、心による行為を行う(カルマを積む)

仮設としての
無明に依存して
渇愛に依存して

たとえば
知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマン
という掴もうとしている『想い』が

刹那滅して変化して現れているので

それゆえに
(仮設としての)今この瞬間においても

散りゆく桜と人生の儚さ。という無常であり

(たとえば掴もうとしても、それは)掴むことはできない。というような対機説法であるかもしれない?
0377パーピマン垢版2019/02/24(日) 05:34:38.11ID:qq+Gfl/1
え〜〜〜とねえ、おじゃる。

君は確か、宝珠にこのスレへの書き込みを禁止されていたと思うが?
承狂のスレではOKされてるんだから、そちらに書き込むべきでは?
0378承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 10:45:34.71ID:355xJ9ap
ニコニコだったら、「あたし、そうゆうの嫌いじゃないから」とかコメが流れてきそうだな。(笑)

さて、キモいパーマンは置いといて、(笑)

>>1でも「無我」と「アートマン(我)」とあるし、悟ったちゃんも「我」について変な妄想書いてたから、「我」についてでも。(笑)

俺が昔、聞いたのは「大我と小我」で大我は肯定的に語られてた。
勿論、他の仏教同様に、我とは煩悩に捕らわれた自我という意味で語られてもいた。
悟ったちゃんは「我をはる」という日本社会での常識と仏教の我を混同してたが、
この「我をはる」のが悪いってのは、儒教由来の視点ではなかろうか。
仏教では、「小我」、或いは「我」は凡夫の常であり、人道を含む六道は迷いの世界ではあるが「悪」等とは言わないと思う。
いや、悪趣とか言うな。(笑)
あれ?(笑)
あー、何というかキリスト教的なアレなんだよ。(笑)
仏教等の東洋的なアレじゃなくて、キリスト教的なアレだからアレな訳だ。(笑)

(^。^)まぁ、その、何だ。衆道は悪趣味ってことで。(笑)

補足して蛇足を加えると、キリスト教的な視点では「悪」への恐怖があるんだが、
東洋的な視点では「悪」が通常、常態なんだよな。
だから仏教は慈悲と言い、ヒンドゥではシヴァ神を立て、神道では祟り神を祀る。
宝珠が「仏教はヒンドゥをバカにしてる」とか変な妄想をするのも、悟ったちゃんが「二次元を越える」とか痛いオタクみたいな事を妄想するのも、
この「悪」への恐怖心から、つまりキリスト教的な視点だから生じたものと推定出来る。

(^。^)アレだからアレなんだよな、で判ってくれる奴が少ないから困る。(笑)
え?一人くらい判ってくれるよな?(笑)
0379宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/24(日) 15:17:22.92ID:Y3EHicnM
>>377
パーピ、ありがとうございました。m(__)m
0380神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 16:06:48.28ID:COwnGsRR
>>378
>「我をはる」という日本社会での常識と仏教の我を混同してたが、

これは非常に浅はかな考えで、究極的には「我をはる」ということと、仏教の我というものは同じなんだよ。
承狂 は洞察力の足りない批判が多すぎる。
相手がAを踏まえてBを語っている時に、Aを知らないでBを語ってると思っちゃう。
だからBがてんで分からない。
それで「おまえはAをわかっていない」と見下しちゃう。
パッピーマンもその口だろう。
0381パーピマン垢版2019/02/24(日) 16:10:09.15ID:qq+Gfl/1
>>380

うんうん、そうだねw

オレは、分かってなくて、あんたは分かってるw
0382神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 16:21:30.16ID:COwnGsRR
ちがうちがう、俺は分かってるんだってことを言いたいんじゃなくて、
きちんと誰にでも分かるように具体的に説明してるだろ?
これはこうだ、これはああだと、説明無しに「オレは分かってる」というようなことは言っていない。
だから、説明には適切な反論をしなきゃいけない。

ところがその反論が出来なくて、相手を誤って見下したり、「はいはい、あんたは分かってて俺は分かってないんだね?w」と
相手を分かったちゃん呼ばわりする。
これはこのスレで真っ当な議論をすることを放棄している…、あるいは、真っ当な議論をする能力が無いことを意味してる。
だから、スレにふさわしくないから出ていけ、というんなら、そういう人こそ出ていかないといけない。
正当な議論でかみ砕いて説明しているものを、わずかな意味もない短文で批判する…
これはちょっと問題があると思うよ。
0383パーピマン垢版2019/02/24(日) 16:42:48.41ID:qq+Gfl/1
>>382

いやいや、貴方はわかってるんでしょ?w

オレは、バカだから分かりません。

貴方と議論する気も、反論する気もありません。

これで何がいけないの?w

ただ、お前さんの言ってることは、このスレの趣旨とは少しずれてる気がしたんで、
そういうのは、「悟りスレ」で好きなだけ、自分の境地を語ればいいと思っただけさww

スレ主の宝珠がそういう話をここでやりたいと思うのならば、全然OKさw

オレがとやかく言う筋ではないんでねww
0384神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 17:56:05.52ID:COwnGsRR
>>383
だからズレてないって。
たとえば中論の自性を扱うと、ここではズレてることになるのか?
諸法無我の無我について語ると、ズレてることになるのか?
で、そこに繋がるような、その系列で話しをしている時に、スレ違いだと思うのは
相手の主張を理解せずに、勝手に自分で判断してるってことだろ?
オレ分かったちゃんは実はあんたの方なんだよ。

応用的な話が応用過ぎて、つながりが理解出来ない…、
だから相手の話はスレちがいだ、
こういう発想なのよ。

もともと釈迦の主張する無我とはなんぞや、本質的にどういうことを言いたかったのか?、ってことを
対象にしてもいいわけだろ?
なんで上のレスがスレ違いになるのか。
己が分かったちゃんになって勝手に仕分けしてるからそうなるんだろ。
俺知ってる、っていうオゴリがあるからそうなるんだよ。
0385パーピマン垢版2019/02/24(日) 18:16:06.54ID:qq+Gfl/1
>>384

はいはい、ずれてないねw

好きなだけ語ってくれw

オレは、とにかく関わりたくないのでこれで終了w
0386承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 19:18:27.68ID:355xJ9ap
宝珠、まさかパーマン側には立たないよな?(笑)
君は勿論、悟ったちゃんサイドに立つんだよな?(笑)

d(^。^)仏教を唯物主義者どもより判っていらっしゃるんだもんな!(笑)
0387神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 19:31:44.59ID:xI9YfTND
しょきょは気に入ってないようだがw、
>>362(及び>>357中段)は、(一代じゃないが若干擁護スタンスで行けばw)
浄土系の骨格として、実に解り易く端的だと思ったが?

ああ、しょきょは362にはレスしてないのか・・。 なるほどwww
0388神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 19:46:06.78ID:xI9YfTND
ああ、勿論、本物の一代なら、
「いや、浄土系でも、縁起無我の前提の上にあって、
 決して、(近代真宗教学のような)一神教系・神国建設系ではない!」
と力説するだろうけどw
0389承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 19:51:23.86ID:355xJ9ap
宝珠は否定するんだろうが、
この悟ったちゃんと宝珠の立ち位置は
「伝統仏教が継承した仏教と釈尊の本当の教えは違う」
「霊的な進化」
という点で同じだろ。
尤も、悟ったちゃんは「伝統仏教と僕ちゃんは同じなの」とか言いそうだが、その辺の説明は宝珠には不要だろう。(笑)
で、「全く視点が違う」とか言われそうだが、
「霊的な視点を欠いた伝統仏教はー」
ってのは散々宝珠が言ってたよな?
これと物質主義って対立軸を出したのもね。
宝珠と悟ったちゃんの違い同様に、その「物質主義」にも様々なイメージが人の数だけあるって事にはならないかな?
またアプローチも人の数だけある、とね。
現に俺は霊的な事象を肯定し、尚且、所謂「霊的な進化」という概念は否定するという立場だ。
宝珠は「それも物質主義」と断定したが、じゃあ今回の悟ったちゃんという存在をどう見るんだ?(笑)

(^。^)これも物質主義なのかな?(笑)
0390承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/24(日) 19:59:18.09ID:355xJ9ap
>>387
浄土系のとか、ここで話し出したら余計ややこしくなるだろう。(笑)
個人的には一応法流の内だから養護してたが、思想的にはー、って前にも書いたように思うが、この辺は金剛との絡みもあるから余計面倒臭いし。(笑)


(^。^)大体、お前もあの時「この件は、まだ判断がー」とか言ってただろ。(笑)
0391神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 20:59:31.72ID:xI9YfTND
それは、
個人的見解として、或る図面・或るスキームは想定できるけれども、
それが、当事者に受け入れられる、或いは業界の一説として適しているかどうかは
第三者委員会に委ねた方がいいな、ということw  >>390


極々個人的感想としては、(一代は嫌な顔しそうだがw)、
浄土系の骨組みは、(最終的に解脱・涅槃・正覚がゴールとしても)、
その前段階として、一神教的「すがり」「祈り」「委ね」は、
「信」の在り方として、一番解り易く、堅固で、次(の段階)への土台とし易いだろうな、と。
類似は否めないな、と。

勿論、それら他力的に見えるものも、実は見え方として他力なだけであって、
自力の異相でしかないんじゃないかという気はするけれど。
0393神も仏も名無しさん垢版2019/02/24(日) 23:15:20.25ID:xI9YfTND
いつの時代も、
異人(異界の者、外国人、他共同体の者)は、
「新気」をもたらすものであり、「変革と破壊」をもたらすものであり、
生物的には、「近親交配の異形」を回避させるものであり、
思想的には、「停滞」と「固定化」を溶かすもの
だからね・・。


宝珠スレ議論スレ外道スレ等、結果的に見れば、今から思えば、
色んな人間が口を挟んだことによって、
色んな拡がりを持ちえたからね・・。
0394神も仏も名無しさん垢版2019/02/25(月) 01:30:28.11ID:h7wvAM0t
もう承狂とかパピーマンとはバカとしか言いようがない。
洞察力が非常に低レベル。
相手の言ってることを洞察する範囲が非常に狭い。

たとえばこれ。

「思考が存在を継続」(笑)
するわけねーだろ。(笑)

これも。

(^。^)何が「空となる」だよ。(笑)

相手の言葉も理解出来てないのに、非常に稚拙な「反論」で返してる。
万事が万事こういう感じ。
洞察力の低いヤツの典型だよ。

普通だったらそれはどうなんだ、こうだろう、って、洞察的に議論が始まるんだが、
こういう輩はそれが出来ない。
洞察に乏しくて相手の言ってることが飲み込めない。
それで稚拙な言い返しだけして、相手は全然ダメ、自分は何でも知っているって顔するからタチが悪いよ。

そもそもこういうやつは「空」とか、「自性(我)」とかの説明をさせたら、
ボロ出しまくりでさっぱり分からんだろ。
ただの仏教論的な回答で、それも本質を理解してないから途中で曲がる。
だからマトモな議論を避けて稚拙な言い返しに始終するわけ。
そもそも相手の言ってることが洞察的に理解出来ないレベルって、知識を詰め込んだ幼児だろ。
その知識がなんの役にも立たない。
自分の中で組み立てられない。
こういう連中を見ると毎度ヘドが出るよ。
0395承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/25(月) 05:56:14.23ID:mla9biu0
>>391
それは当然、言うまでもない話。(笑)
そもそも大乗初期から仏菩薩へのそれは方便として使われてたんだし、元より自他力の差別はないよ。
但し、あんなのと浄土宗を一緒にされたら法然上人も浮かばれまいよ。(笑)
悟ったちゃんみたいな連中と一緒にするのは失礼すぎ。(笑)
こんなのとは全く別の話として、あそこは現在反日勢力と合流したってところが個人的に否定する最大要因。
シオンを忘れたらダメでしょ。(笑)

>>393
可能性だけなら、明日、俺がキリスト教徒として目覚める可能性もあるわな。(笑)
縁起して斯くあるんだから、そうゆう業と自戒するならまだしも、議論スレでそーゆー態度はどうかねぇ。(笑)

(^。^)てか、俺のはご当人も言ってる様に、パーマンのと大差ないだろ。(笑)
0397神も仏も名無しさん垢版2019/02/25(月) 22:41:09.12ID:cb94TUYR
仏教でいう「我をなくす」とは「生存の素因を断ち切ること」をいう。
生存の素因を断ち切れば生は尽きたと知ることになる
0398神も仏も名無しさん垢版2019/02/26(火) 02:15:39.68ID:DoDQkafW
宝珠殿、そなたは左に傾いているぞ。
左を見なければならんが、偏って歩いてはならんぞ。
そなたは右を歩きながら、それを中道と思って御座るぞ。
そなたは平面上を行っているから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じているが、
それでは足らんのう。
立体の道を早う悟りなされよ。
正中の大道あるのであるぞ。
左でも右でもなく、嬉し嬉しの道あるぞ。
左も右も上も下も相対の結果の世界じゃ。
原因の世界に入らねばならん。
平面より見れば相対あるなれど、立体に入りさらに復立体、復々立体、
立立体の世界を知らねばならんぞ。
相対では争いじゃ。戦じゃ。
真の世界平和は今のやり方考え方では成就せんぞ。
0399神も仏も名無しさん垢版2019/02/26(火) 02:24:41.89ID:DoDQkafW
道は三つと申してあろう。
三とは参であるぞ。
3スリーでないぞと申してあろう。
無限であるぞ。
平面的に申せば右と左とだけでないぞ。
その右の外にまた左の外に道でなき道あるぞ。
それを善の外道、悪の外道と申す。
外道多いのう。
中の中には中の道あるぞ。
中の中の点は無であるから動きないぞ。
動きないから無限の動きじゃ。
その点の外の中は人民にも動きみゆるぞ。
この道は中行く道ざと申してあろうが。
中の点の道は大神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道じゃ。
わかりたか。
0400宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/26(火) 16:44:18.26ID:rylj4W7n
>>356-357 >>361
 明日、日中に投稿するので宜しくお願いします。
0402神も仏も名無しさん垢版2019/02/26(火) 21:51:09.42ID:StPv9Oak
>>401
イライラは瞋という煩悩です
あなたも仏家なら手放しなさい
0403神も仏も名無しさん垢版2019/02/26(火) 22:25:09.30ID:2ET/C2Cq
原因が一個(一分野、一領域、一事象)だと思ってるとしたら、
社会生活が浅いんじゃないか? >>402
0405神も仏も名無しさん垢版2019/02/26(火) 22:31:01.69ID:2ET/C2Cq
ああ、
自分の鏡像だから、嫌いなのかwww  自己解決
404は忘れてくれ。
0406神も仏も名無しさん垢版2019/02/26(火) 22:43:16.33ID:2ET/C2Cq
補:
ただ、
上座部系に傾倒すると、
ややもすれば、自分の向上(悟り)以外を蔑ろにしがちかな、と。

あっちのスレも、結局、
一人で生きている人だけに許される選択・生き方の話しかしてないわけで。
そこで、
周囲の人間と、協調しながら、支え支えられながら生きねばならない者
(現実的に世俗的生き方から外れることが許されない人々)の呟きに対して、
(それこそw)勝義一辺倒の「いや、欲望の。自我意識の滅は・・・」
なんて話が、どれほどの意味を持つだろうか・・。
現実生活・世俗を捨て得る人間が、この世にどれだけいるか、っつう話でね。


そりゃ、大乗仏教が発生する筈だわw
0407承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/27(水) 01:38:23.91ID:oC9sgg/k
>>406
釈尊の時代だと、社会の繋がりは狭く、人命も軽く、世界も解らないことだらけ。
老後に出家する、という風習もあった。
大乗は、勿論上座に対するアンチテーゼもあったろうが、
社会の安定によって社会が老人を抱える余裕が出て、
社会に様々な意識改革が出来るようになったという側面もあるんじゃないかと思う。
約二千年前に人類の思想は出尽くしたって話もあるが、仏教はその転換期に成るべくして成ったのかなと。
この社会の複雑化、多様化への対応は「進化」と言えるが、
しかし、前にも書いたように単なる「適応化」に過ぎず、どちらが上という話ではないんだよね。

(^。^)上座から見たら、大乗は堕落、世俗化したってのも一面の真理だし。(笑)
0408神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 02:03:36.90ID:htHFSkvo
>>401
981ってこれのこと?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544370283/981

これ的確じゃないよ
もしも悟った人が「見る」、「聞く」とするならば、
「見た」「聞いた」ということが起こったということになる
止まった(気を取られた)ということだよ
つまり執着ということ
もし止まらなければ、「見た」「聞いた」ということが起こらない
見ることと完全に一致していれば、0(ゼロ)だよ
そこには「見る」ということもなければ、「見ない」ということもない
これは、「見るものと見られるものが一つになる」という状態とおそらく同じ
0409神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 13:26:00.18ID:fw3oUsZt
まあ、龍樹まで突き抜けちゃえば、
そういうことになるんだろうけど。  >>408

覚ったからって、霞を食べるようになるわけでもなし、
村の立地通りに道を歩いて托鉢に巡るわけだし、
見えて聞こえてなければ、質問にも答えられず、お説法もできやしない。
0410神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 13:27:25.85ID:7CcqSBr7
>>404
ひとの邪曲(よこしま)を見るなかれ。
ひとのこれをなし、かれをなさざるを見るなかれ。
ただおのれの何をなし、何をなさざりしを想うべし。

『法句経第50偈』
0411神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 13:36:45.75ID:fw3oUsZt
はいはい、わかっております。
ちょっと、リアルの方でイライラ案件があったもんで。(あっちのスレに書いたとき)

ただ、
オウムに入信した子たちの愚かさを、それを自分で見れてなかったからだ、
と、(―彼らを愚かだったと言い切ってしまう姿勢自体も、慈悲が足らん言い方かもしれんが・・w―)
バッサリ言ってるように読んでしまったんでね。

次の日読んだら別に普通だったんで、
咬み付いたワシが愚かだわな。 すまんかったw m(_ _)m
0412宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:27:00.07ID:1VGd73vw
>>401
ヴィパッサナー等々...
それはただ、思考活動に対する制御について様々な手法があるということに過ぎない。
もちろん、それ(思考活動の厭離/遮断)は“悟り”というものでもない...。

私たちのグループやヨーガの技法メソッドはもっと科学的でオートマチックです。
マントラを使用して、チャクラの特性を用いるから。
つまり、思考活動の制御には“苦労”は要らない。
それがヨーガの科学です。

>>406
>ただ、
>上座部系に傾倒すると、
>ややもすれば、自分の向上(悟り)以外を蔑ろにしがちかな、と。

例えば...
アリス・ベイリーに連なり、私たちのグループが掲げる主要テーマは“人類と世界奉仕”です。
私たちの行う伝導瞑想は、エネルギーを世界に伝導する奉仕であり、世界の進化にとって役立つものとして自己を提供するものです。
その内容については、エネルギーの大家にして管理者である覚者方がすべてを行います。
これは純粋にして、世界に奉仕したいという想いがあれば誰にでもできるものです。
自己(の霊的な)成長というのは、あくまで“その結果として起こるもの”であって、自己(の成長)そのものが目的ではない。
本当に、奉仕に没頭するようになったときには、すでに自己のことなどは忘れているでしょう
(これが“忘我”です)。
0413宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:29:18.68ID:1VGd73vw
>>394
う〜む、お見事!!
承狂さんの資質がものの見事に見抜かれてしまっている。
そして、文書力も高くて上手。
こりゃ〜承狂さんでは、とても太刀打ちできそうにありませんね...。

エーと、まずは質問です。あなたについて少し教えてください。
あなたはヒンドゥーも(肯定的に)学んでるのですか?
例えば、“不二一元論アドヴァイタ”とかラマナ・マハルシの教えなどを...。
また或いは、その他ですか?

それから、あなたにだけではありませんけれど、
論議に参加して何度も投稿しようとされている方は、なるべくコテハン(固定ペンネーム)の使用をお薦めします。
何を何処まで対話済なのかを互いに確認して、より円滑に議論を進めるためです。
もちろん、強制ではありませんが。
0414宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:45:48.53ID:1VGd73vw
では、宜しくお願いします。
情報を含めやや長文の連投になりますが...。m(__)m

>>361
>カルトってのは指導者を崇め奉ることが重要になってくるわけ。
>人を幸せにする原理というよりも、指導者を崇めることの方に重きが置かれている。
>宝珠の語る信仰はまさにこれで、原理が存在しない。
>覚者方の存在がより重要になってる。
>こういうのがカルト典型なんだよ。

人の集まる新興宗教を何でもかんでも悪者扱いしたくなるのも分からないでもない
(日本における新興宗教教団の質の悪さは酷過ぎたから...)。
しかし、「カルト」の意味と定義くらいは知ってから使って欲しい(参考ページを読まれたし)。
そして、その上でわたしが支持しているこのグループが、
果たしてカルトに該当するものであるかどうかの判断を願う。

皆さんは、まったく何も知らないでしょうから、
>>344-345に続けて、更に説明させてもらいますと...。
0415宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:47:16.19ID:1VGd73vw
 このグループは、ハイアラキーの(ヒマラヤ在住の)覚者からの指示を受けて、既存の組織活動に拠らない徹底した非営利非組織を理想として掲げて
おり、そのために本部と支部組織だとか、日本仏教のような総本山・大本山・別院等々といったものはなくて、ただ単に、この情報を発信して伝達す
るための制作発行所と各国の翻訳発行所が点在するだけです。それも実態としては、殆んどがただの個人宅であり普通にPCとFAXがあるだけです。
 そして、全員が有志による自発的なボランティアにしか過ぎず、それは、この活動を立ち上げた覚者のコンタクティーであるクレーム氏当人といえ
どもまったく同じです。普通、日本仏教も含めて宗教団体というものは、そこの教祖を中心にして諸幹部らと聖職者たち(といった教団出家と呼ばれ
る人たち)がいて、彼らは信者たちからの献金によって生活していますが、しかし、ここは違う。クレーム氏を含めて全員すべての者がそれぞれ職業に
就いて働いています(クレーム氏は画家です)。
 もちろん、クレーム氏は参加者からの尊敬を一心に集める方ではありますが、しかし、それは奉り上げる崇拝の対象ということではなく、新興宗教
の教祖たちのように何やら銅像を建てていたり、大きな肖像画や写真を礼拝対象として祀っているなどということもありません。
 一人の導師グルをおいて、その導師に従うというやり方はすでに時代遅れです。その導師が間違えば全員が間違う...。このグルーブでは覚者や師に
対する“献身”を説かない。このグループでは覚者からの指導のもと、“グールプ全員による合意”という新時代のまったく新しい未知のやり方をし
ています。このようなグループは、世界中どこを探しても他には存在しません。
0416宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:48:01.66ID:1VGd73vw
 クレーム氏は情報を発信する講演者であって、その依頼を受ければまったくの無報酬で自身のご老体に鞭打って、ロンドンから世界中どこへでも向
かいます。たとえば日本では、毎年5月始め頃〜全国の数ヶ所での講演をして頂いていましたが、それは講演を希望する地域のボランティアたちが自
らの浄財を持ち寄って初めて実現するのです。日本講演では、必ずカリフォルニア在住の翻訳者一人と合わせて二人一緒で招待するので、例えばロン
ドン→カリフォルニア→東京〜日本各地→カリフォルニア→ロンドン、という経路で、その飛行機代と各地での滞在費のすべてを招待する側の有志た
ちが自腹で受持っています。
 そして、肝心の講演会においても、それがどんなに大きな会場を借りた場合でも、すべて“入場無料”を基本としています。これも地域の有志のボ
ランティアで負担しています。東京などでは、2、3千人規模の会場ということもありますが、お蔭さまでいつも大盛況の満員御礼の状態で早い者勝ち
状態ということになっています。希望者でも入れないということすら多々、生じているので、一度でも視聴経験のある方についてはまだ初めての方へ
と席を譲るよう呼びかけています。
 奉仕メンバー間においては、特定の誰かに対して特別な役職を与えたりということはなく、全員が基本的に平等対等の立場にあります。
そして、このグループでは“会員入会制度”を設けていないので、会員非会員いった区別すらも存在しません。当然、会費徴収すらもない。

参考:(宝珠編著『カルトの特徴とは』)
 http://houjugusya.web.fc2.com/cult.htm
0417宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:49:24.86ID:1VGd73vw
では、
私たちがMaitreyaを“崇拝せよ”といっているかどうか、
Maitreya御自身が、自らを“崇拝するよう”主張しているのかどうかについてです。
以下の一部抜粋が、Maitreyaからの言葉メッセージです。

 『「あなたがわたしを見るときでさえ、わたしの後を追いかけてはならない。わたしは信奉者をつくるために来たのではない。
あなたがわたしをひけらかすようなら、あなたはわたしが誰かを知らない。あなたが自分自身の裡に経験するところのものがあなたの富である」
 「教師としてのわたしを探すものはより的に近い。わたしは教える者であるから」
 「わたしは独占されることはできない。わたしはすべての人々に属する」
 「わたしはあなたがわたしを信じることを欲しない。まず初めに、わたしをあなたの裡に体験しなさい。あなたがわたしを体験すると、あな
たは自分の裡にあるわたしの存在に気づくようになるだろう。まず初めに信じなければならないということではない」
 「わたしを崇拝してはならない。もしわたしを崇拝するならば、あなたは自分を低めようとしている。わたしはそれを欲しない。わたしは、
あなたに同等であって欲しい。あなたは至高なる存在の閃光(きらめき)である。あなたはわたしよりも低い存在と考えてはならない」

 「わたしを喜ばせようとしないで、自分自身を幸せにしなさい。そうすれば、それがわたしを幸せにする。もし、あなたが自分自身を大切に
するなら、あなたはわたしを大切にすることになるのである」
 「まず最初に、わたしがあなたのところに『夜中の盗人(ぬすっと)のように』やって来る。というのは、あなたがあまりにも興奮しすぎない
ようにである。少しずつ認識していくにつれて、あなたが食べたもの≠ゆっくりと消化する≠アとができる。認識の中で、あなたはわたし
を知るだろう。主義≠フ中では、あなたはわたしに逆らって戦うだろう」』
(ベンジャミン・クレーム監修『いのちの法則』シェア・ジャパン出版)
0418宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:50:42.75ID:1VGd73vw
>356
>思考は業ということ。  二元性の世界ってのは、業の世界ってこと。 マーヤーだ。
>夢の苦しみをどうこうやったって、夢から目覚めない限りいつまでも苦しみは続くんですよ。
>夢の中の苦しみを夢の中で解決しようとするんじゃなくて、ただ目覚めればいい。
>そこを目指せばいいわけ。
>そこを目指すのが仏教であり、弥勒であり、新時代なんだよ。
>>357
>宝珠さんの新時代は、全部マーヤーの中の出来事。
>
>>374
>そこまで宗教を研究しているならば、そろそろ二元性を越えるということはどういうことか
>気付くだろ。

要するに、それはこういうことですか?
「世界における戦争紛争、自然災害、貧困飢餓...のすべては、
所詮は、その人達の業のなせるわざであって、つまりは彼らの自業自得に過ぎないということ。
だから、そんなもの相手にすることはない。
そもそも、物質現象界そのものが非実在であって、そこには何ら実体がなく、すべてが幻影マーヤーに過ぎない、と。
だから、そんなことにいちいち注意を奪われることなく、ただひたすら自己の修行に専念すべきである。
自己完成の暁には、それら現象界の幻影マーヤーなどは完全に消散するから、元々、無問題だ」と。

もしも、そうであるのならば、
それはとんでもない勘違いだとこの私は思います。
少なくとも、私たちの提示しているMaitreyaの見解(教え)とは、まったく異なる。
0419宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 15:54:35.66ID:1VGd73vw
では、あなたはこのように呼びかけているMaitreyaに対して、
不必要に苦しみ死んでいく者たちをあなたと同じ兄弟であるとして示そうというMaitreyaに対し、
「あなたは、彼らは自業自得で苦しんでいる。そして、それは実体ではない」と、
直接、Maitreyasと対面したときにも「あなたは間違っているよ!」と、面と向かって言えるのですね?

 『わたしはあなたがたの助力を必要とする。わたしの仕事を手伝ってくれるよう、あなたがたに呼びかける。どうしてわたしはこの大量殺戮を
傍観し、わたしの幼き者たちが死ぬのを眺めていられようか? 否、我が友よ、それは出来ない。だから、わたしは再びあなたがたの中に速やか
に戻り、方向を示し、道を教えに来たのである。しかし、わたしの使命の成功はあなたがたにかかっている。真なる人間として分かち合い、共に
平和に生きるか、完全に死滅するか――このどちらかをあなたがたは選ばねばならない。私の心は、あなたがたの答えを、選択を知っている。そし
て喜んでいる。(p.50−51)
 わたしの任務は、あなたがたが兄弟同胞として共に平和に生きる方法を示すことである。これは想像するよりも単純なことである。我が友よ、
なぜなら、必要なのは、分かち合いを受け入れることだけであるから。分かち合いは、実に、聖なることである。人間のすべての進歩の根底にある。
それによって、我が兄弟よ姉妹よ、あなたがたは神との正しい関係を築くことができる。これが、我が友よ、あなたがたの人生の根底にある。分か
ち合うとき、あなたは兄弟の裡に宿る神を認める。これは真理である。単純なのだが、人はこれまでこのことを本当に把握することが困難であった。
この真理を証明する時が来た。 (p.240−241)
0420宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 16:47:55.44ID:1VGd73vw
 現在不必要に苦しむ者たちのために、わたしの心は痛む、非常にわずかな変化で、彼らの状況を改善できるのに。我が友よ、あなたの兄弟たちが、
みじめななかで、悲惨な退廃のうちに死んでいるのに、いかで傍観していられようか。わたしの計画は、これらのわたしの子供たちを救い、彼らを
あなたがたに兄弟として示すことである。わたしの計画はあなたがたすべてを含む。わたしと共に新しい時代へ歩む用意のある者たちは、すべて呼
ばれた。我が友よ、あなたがたの世界を再建するために、わたしを手伝いなさい、そしてこの世界を光の任務に送り出そう。(P.336-337)』
(ベンジャミン・クレーム伝『Maitreyaのメッセージ/いのちの水を運ぶ者』同)

参考:
 恐らく世界配信されたMaitreyaの姿は、ケニア・ナイロビでのキリスト教の集会に出現された時のものと、
 それからこのシリアのニュース報道の映像だけだと思います。
  ・(キリストの再来と奇跡の水/94年頃放映/日本テレビ『スーパーテレビ』)
     http://www.ユーチューブ.com/watch?v=ajp5p0b0-6E
  ・(シリア騒乱の中で“白い天使”の出現としてメディアに現地報道された傷ついた人を助け出すMaitreyaの姿/0:42〜1:10)
    白いローブを纏った大きな謎の男/度々、負傷者を救出するその姿が目撃され話題になったが現地では彼を誰も知らないという。
     https://www.ユーチューブ.com/watch?v=sSGVtJOeXAo

Maitreyaは“慈愛の権化”といわれています。
人間一人一人の悲しみ苦しみの想いを我が事のように感じ取っているといい、
世界大戦での人類の泣き叫ぶ声を聞いて、Maitreyaは今回、時を速めて人類の中に入られたのだという(降臨/1977年7月)。
それを“分かってない者のやることだ”と、嘲笑するというのかな?

ならば、あなたのいう
「すべては彼らの自業自得だから放っておけ! 実体のない幻影マーヤーの出来事(世界人類のこと)など気にするでない」
が、本当に正しい仏教だというならば、そのように教えたというブッダからの言葉を、
仏典(原始経典)の記述をここに提示して下さい!
0421宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 16:51:46.64ID:1VGd73vw
そして、ハイアラキーの覚者方の見解によれば、
「宗教」というものは戦争の原因になりこそすれ、
“人類の世界平和”の達成という観点から見た場合にはまったく役には立たなかった。
宗教者はただ祈るだけで良いとする者も多く、中にはあなた方のように非実在のこととして冷淡な無関心へと至る者すらもいる。
そういう意味においては、“失敗であった”と見ています。
この私もかつて若い頃の一時期はそうだった。あなたと同じように見なしていたのです。
人類社会そのものにまったく興味を失って、家族の繋がりすらも邪魔なものでしかなかった。
すべてを捨てて山野にでも籠りたい、そういう心境に至っていた...。
そのような私を変えてくれたのが、このクレーム氏からの情報でした。
尚、全面的に信頼を寄せるようになるまでには、確認のために丸一年以上を費やしましたが...。
0422宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/02/27(水) 16:52:26.15ID:1VGd73vw
 『私は元来、宗教組織というものが好きではなかった。いずれの教団にもみられる狂信的態度がやりきれなかった。自分達の師や教祖を崇拝し、
教えを感情的に受け入れ、己の幸せにのみ執われ、社会の不正義に無関心な人々の集まりがいやだった。教団という組織の壁を真理の河の自然な
流れをさえぎってしまう。
 心を開いて学べば、各宗教の教えの根本は皆同じである。真理であれば、これは自然なことなのだが、何故か、どの宗教も、宗派も、自分たち
の教祖こそ最高であり、その教えこそ唯一の救いの道だとか、最も正しいのだとして執われてしまう。世界の歴史の中で、宗教の名においてあま
りにも多くの残酷な流血の戦いが闘われて来た。そして現在も、最も野蛮で残酷な戦いが狂信的なイスラム教徒やキリスト教徒やヒンズー教徒の
間で繰り返されている。
 --(中略)--
 アリス・ベイリーの著書を通じて、西洋の秘教学徒の間で親しまれているジュワール・クール覚者はこう述べている――
「人間の神性(霊性)がいつも宗教とか教会や寺院の独占物のように語られてきたことは、地上における悪の勢力の最大の勝利であった」と。
  人間の精神性、霊性が宗教の世界だけで語られ、政治や経済や社会がどれほど堕落した不公正なものであろうとも、切り離して考えられる。
そのような思考態度こそが、今日の世界の状況を創り出したのである。--(略)--』
(訳者/石川道子の紹介『いのちの水を運ぶ者』訳者あとがきより)
 http://www.sjsh.co.jp/Pages/yaku.html

取りあえず、今の私からいえることは以上です。
0423神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 22:02:25.98ID:fw3oUsZt
こういう書き込みを見る度に思うのは、
そもそも登ってる山自体が違うんじゃないかな・・、とw  >>仏教と神智学

その目指してる所が、根本的に違ってるのかもなぁ・・と。
登山だから、あちこちに類似性は見られるとしても、
又、頂上からは俯瞰して下界を臨むとしても、
そもそもの立っている場所が違うな・・と。


で、改めて思うのは、
神智学は、希望願望の上に世界を構築するのに対して、
仏教は、事象の在り様の上に世界を構築しているのだな・・・と。



>>宝珠
やっぱ、君とは、未来永劫相容れない。(断言
0424神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 22:02:43.52ID:fw3oUsZt
あげ
0425神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 22:12:35.12ID:fw3oUsZt
補:
で、大乗仏教(及び特に浄土系)もまた、
希望願望の上にその世界を構築することになる。
だから、特に浄土系近世教学に於いては、
キ教―特に旧約でなく、新約イエスに近接する形で―と相似形になる、と。
0426神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 22:14:20.57ID:fw3oUsZt
その意味で、
以前から感じていて、今もまた確信的に思うのは、
【神智学は大乗仏教】だな、とwww
0427神も仏も名無しさん垢版2019/02/27(水) 23:22:59.70ID:fw3oUsZt
ああ、>>408に一つ補足レスを入れるなら、
P大般涅槃経の阿難への助言かも。(正念相続としても)

阿「(我等出家者・梵行者は)、女性に対してどう接すべきでしょうか?」
仏「見なければよいのです」
阿「見なければ(会わなければ)ならないとき?」
仏「喋らなければ・会話しなければよいのです」
阿「会話しなければならないときは?」
仏「念を確立していればよいのです」

勿論、初期仏教地代には、あまりないケースだろうが、
((近世)禅宗で逸話が何種か伝承されるが如く)、以下の一つを挟んでもいい。

 阿「会話しなければならないときは?」
 仏「触れなければよいのです」
 阿「触れなければならないときは?」

仏「念を確立していればよいのです」

当時としては、喋る以上のことが、出家者と(在家)女性の間に生じることはないかもしれんが、
比丘尼とは、接触する機会も当然あり得るわけで。
(そこで、比丘比丘尼双方に、種々注意事項が加えられていくわけで・・。)


この、「念を確立する(し続ける)」(正念相続)ということが、
即ち
「見ていて聞いていて、且つ見ていない聞いていない。見ずにいて聞かずにいて、且つ見ている聞いている」
ということであり、
「見てい乍ら聞いてい乍ら、それに左右されていない、影響されていない、惹かれていない」
ということなのだろうしね。
0428神も仏も名無しさん垢版2019/02/28(木) 00:33:26.13ID:gXMdlBLA
 「バーヒヤさん、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。
『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。
バーヒヤさん、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
バーヒヤさん、まさに、あなたにとって、見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから、聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、
バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、それとともにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、そこにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、そこにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔存在し〕ないのです。
これこそは、苦しみの終極“おわり”です」と。

 そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤですが、世尊の、この簡略なる法(教え)の説示によって、まさしく、ただちに、〔何ものをも〕執取せずして、心は、諸々の煩悩から解脱しました。
(ウダーナ 1.10 バーヒヤの経(10))
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-3.html
0431承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/02/28(木) 19:09:27.81ID:3221jLHN
>>430
ざっと見たが、大東亜を侵略とか書いてる人が縁起云々とか、片腹痛いわ。(笑)
0432神も仏も名無しさん垢版2019/02/28(木) 20:57:17.43ID:mQ7J3gXq
そこしか見えてないのか・・・w  >>431

上の方に、幾つかレスもあるけど、
お前に日本仏教を云々する資格はねーわ。
ちゃんと目を開けとけ。 ( ゚听)、


これが25年前の論考で、山内さんの一石は更にそれ以前にも拘わらず、
寺院業界全体どころか、当該宗門(曹洞宗)に於いてさえ、
いまだに何の変化も無いってトコが、味わうべきとこであってだなw

また、
「法灯明に偏っている」というのは、片山さんも憂いていた事象だよ。
http://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/35
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110007019221.pdf?id=ART0008941450
0435神も仏も名無しさん垢版2019/03/01(金) 01:46:01.17ID:vw1G44lQ
>>415
まずですね、何が一番問題かっていうと、ベンジャミンクレームが何を継承して
教えを説いてるかってことなんですよ。
ベンジャミンクレームが神智学を正統に継承しているかってこと。
ベンジャミンクレームがブラヴァツキーなりアイリスベリーなりから、このものは霊的能力は本物だとか、
このものの覚者方とのコンタクトは本物だとか、このものは神智学をよく収めていて、継承者としてふさわしいとか、
そういう風に認められたかってことなんです。
誰にも認められてないんじゃないんですか?

神智学の一信者が、突然自分は聖者と交信していると言い出して、自分が独断でいろんな話を
勝手にしてるだけなんじゃないですか?
神智学の有名な誰かに認められましたか?
聖者とコンタクトしていると言うのも自分。  マイトレイア云々言うのも自分。
全部ベンジャミンクレームが一人で勝手に言ってることじゃないですか。
ベンジャミンクレームは神智学の話を聞いているうち、そこに出てくる登場人物エル・モーリヤとかクートフーミとかを勝手に自己の創作に利用して、
自分が来るべき新時代の幕引きをするかのような誇大妄想に浸って悦に浸ってるんですよ。

なぜ一人の人間がなんの継承もなく突然私は聖者とコンタクトしている、もうすぐマイトレイアが現れて新時代来る、と言い出したのを
丸ごと鵜呑みにしてしまうのか。
その個人はなんの証明もされていないのにですよ。
言ってることが素晴らしいというのなら、それは神智学から流用したものですよ。
神智学の信者だったわけですから、いくらでもそういう知識はある。
そこに自分の妄想を重ねて創作すればいいだけだ。
0436神も仏も名無しさん垢版2019/03/01(金) 01:48:52.88ID:vw1G44lQ
>>417
そこで語られてるマイトレイアのメッセージも、神智学的な考え方が反映したものでしょう。
実際にブラヴァツキーが聖者とコンタクトしてメッセージを貰ったとか、アイリスベリーの考え方なんかも学んでいるだろうから、
救世主は宗教を作るものではない(真理を実践するもの)ということは、何もベンジャミンクレームから始まったことじゃなくて、
ニューエイジの考え方の中でも一番の基本的なものでしょう。
誰にでも言えることです。
ましてや、ブラヴァツキーやアイリスベリーの受け売りをするのならなお更。
なので言ってることが素晴らしい、真実の教えを説いてるんだと写るなら、
それはこの手の思想の見識不足というしかない。
初めてこの手の思想を読んじゃうと、ああ今までとは違う、ほんものだ、と思っちゃうでしょう。
だけどいろいろと学んでるものにとって、この手の思想はゴロゴロ転がってる。
受け売りにしか見えない。
(余談ですが、この間までアイリスベリーの著書を持っていた。 古雑誌に出しましたが。)
0437神も仏も名無しさん垢版2019/03/01(金) 01:51:47.34ID:vw1G44lQ
>>418
親鸞は疫病か何かで死者がたくさん出て苦しんでる村を通りかかった時、お経何万弁か読むという願を建てて唱え始めた。
ところが、途中で唱えるのを止めて、その村を立ち去ったんですよね。
なぜか?
この肉体の自分が何かをするんじゃない。
お経を唱えることによって仏の力に頼ろう、苦しんでる人を助けよう、こういうのは全部自力です。
自分の思考、肉体でやったってダメなんですよ。
自分が聖者になってやるんじゃない。  自分が仏の力に通じて人助けをやるんじゃない。
自分が〜〜したい、っていうのは我なんですよ
開け放てば全ては上手くいくんです。 勝手に。
人を助けるのも何をするんにも、まず我を開け放つこと。
そこからです。
自分が救わなきゃ救わなきゃ、こういうのはいつまで経っても我の外には出られない。
人々が苦しんでる、なんとかしなきゃ、みんなを幸せにしなきゃ、自分を幸せにしなきゃ、と思ったら、
まず我を開け放たなきゃ。
わかります?  そういうのは不要なんですよ。
苦しんでる人が助かることが不要なんじゃない。
我でああこう思ってることが不要なんです。
親鸞は阿弥陀様にすべてを任せた。
すべてを任せたら自分は無いんです。
100%の信ということは、自分が無くなるということなんです。
真の世界平和とは、我の無くなった縁起(悟り)の世界のことなんですよ。
物質主義世界の延長に世界平和があるんじゃない。
われわれが感得できないところにすでに縁起の世界という世界平和の元があるんです。
あとは我を無くしてそれを降ろすだけです。
「あなたは、彼らは自業自得で苦しんでいる。そして、それは実体ではない」
だからこそ、自業自得で苦しむ人たちを救うには、輪廻を解脱しないといけないんでしょ?
実体ではないもので苦しんでる世界をなんとかするには、無我を達成しないといけないでしょう?
0438神も仏も名無しさん垢版2019/03/01(金) 01:53:21.20ID:vw1G44lQ
『わたしはあなたがたの助力を必要とする。わたしの仕事を手伝ってくれるよう、あなたがたに呼びかける。」
ベンジャミンクレームの妄想マイトレイアが言っている『仕事』とは、苦しんでる人を何とか救うための手立てということですよね。
ふつう、ニューエイジのカテゴリーに入れられるような人の中でも、本物の人たちは
こういう風には言いません。
救世主が望むのも、新時代が望むのも、その他の聖者方が望むのも、
人々がまず無我になることなんですよ。
人助けは放っておけというんではないですよ。
正しい人助けはどんどんすればいい。 それは基本でしょう。
だけどそれが弥勒の世を到来させる力にはならない。
人間の思考なんて、自分の経験や見えてる範囲でしか答えは出ないんですよ。
そんなもんで人や世界は真には救えない。

>>420
すごく矛盾してるのは、マイトレイアは自分は信者を作りに来たんじゃない、見世物のようにひけらかすもんじゃなくて
人々の幸せにするという実利を求めるみたいなことを言いながら、ビデオではオカルティックな出現の仕方をしていて、
ベンジャミンクレームを含めて信者たちはそれを救世主だと信じ切ってるってこと。
信者を作りに来たんじゃない、という位のレベルでものを語っているわけだから、当然、『そんなビデオを信じるんじゃない。 そんなものに惑わされるな。』
と言うだろ、マイトレアなら。
なぜそんなオカルティックなビデオを信じてしまうのか。

シリアの紛争もそうだけど、もっと悲惨な人たちはたくさんいる。
そういう人の前にマイトレイアは現れたか?
もっと悲惨な人たち10万人は放っておいて、シリアの一人の重症者だけ救たって、
それが何になる?
0439神も仏も名無しさん垢版2019/03/01(金) 01:55:02.87ID:vw1G44lQ
>>418
世界の紛争や不幸を真に解決しようと思ったら、我を無くすことに行き着くんですよ。
世界平和を真剣に考えれば考えるほど、無我でないといけないと思うでしょう。
自分の人生も真に幸福を求めるならば、無我にならないとダメだってところに行き着くんですよ。
だから真に人を救いたかったら、この世の中から不幸を無くしたいと思ったら、我を無くす修行をしなきゃならないってこと。

>>421
『ハイアラキーの覚者方の見解によれば』
これはベンジャミンクレームが勝手に主張してることでしょ?
本当に覚者方が言っていると、誰が証明しましたか?
神智学の著名な人が認めましたか?
ベンジャミンクレームは本物だと、神智学の著名な人の誰が承認しましたか?
そういう人から何も承認されてないようなものの言うことを、
なぜ鵜呑みにしてしまうのか?
これはベンジャミンクレーム個人に対する盲信ですよね。
正統な神智学じゃない。
クレーム本人に対する、突如として現れた個人に対する信仰ということ。
系譜がない。
妄想で語ってても区別がつかない。
病気直しとかのスピリチュアル実績があって信じるんなら話は別だが、
なぜこういうのを信じてしまうのか。
0443承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/04(月) 20:48:06.13ID:Fr7XCyIG
宝珠の中では、宝珠らシンチガクが一番で、
次が悟ったちゃんなどの馬鹿げたオカルトマニア、
霊的な事実を否定する連中には越えられない壁があって、
セブンなどの真面目な物質主義者、
パーマンなどのふざけた物質主義者、
一番下に、おじゃるさんや俺などの霊的な事を認めてるのに、訳の判らない事を言う連中、
って順番だろ?(笑)
これって単に宝珠が気分よく会話できるかどうかってだけで、思想的にはぐちゃぐちゃ。(笑)
単なる感情論なんだよ。(笑)
シンチガクという設定に寄り添って、宝珠が自己陶酔出来る順番ってだけで、論理的な序列ではないって判らないかな?(笑)
つまり、宝珠は議論したいんじゃなくて、エゴを満足したいだけ。(笑)
だから、破綻してる論理でも矛盾に気がつかないし、忠告されても考えずに否定する。(笑)

(^。^)虚構を現実として自己正当化し、絶対の正義を掲げて異なる視点を悪と断罪する、まんまキリスト教徒の所行なんだが、まぁ、認められんだろうよ。(笑)
0444神も仏も名無しさん垢版2019/03/04(月) 21:34:38.06ID:DWEnSW/v
「物質主義者」ねぇ・・w

「物質以外には何も存在しない」というわけではないが、

≪『ソレ』らの、『関わり・構造・相互作用』の上に、
 『形のない、質量のない、体積・空間の専有のない』『影響力・力学的作用』が成立して、
 それらがまた、別の事象に影響をあたえてゆく≫

という考え方は、
たしかに、  【物質依存】  と評されても、返す言葉は無いなw
0445承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/04(月) 21:39:26.72ID:5IB93S6Q
>>444
宝珠がそう言ってるってだけで、俺は物質主義者とは思ってねーっての。(笑)

(^。^)つーか、俺はセブンのことはよく解らんよ。(笑)
とゆーか、俺ごときの批評など気にすんなっての。(笑)
0446神も仏も名無しさん垢版2019/03/04(月) 21:40:33.45ID:DWEnSW/v
だから、
「愛」や「友情」、「喜び」「悲しみ」等等等等等等等等
は、「実際に」「確実に」「確かに」「まぎれもなく」「真実存在」として 『ある、存在する』
と考えるけど、
それらを、【物資】だというつもりは、更々ないしね。

だから、 「諸法の在り様」という言い方で括ろうとする視線の上で、
(いかなる存在も)、【どのようにあるのか?】への考察が重要なんじゃないかね? と。
0447神も仏も名無しさん垢版2019/03/04(月) 21:43:47.56ID:DWEnSW/v
>>446
別に、アンタへのレスではないよw
少なくとも宝珠始め、他色々が絡んでる時は、彼ら及び無名の閲覧者に対してだよ。

その辺は、やっぱ、一番気にするところ。
百人の内、一人でも気付きがあってくれれば本望さ。
0449承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/04(月) 23:45:13.16ID:5IB93S6Q
>>447
了解。
しかし、マトモに見てる人なんて居るのかね?(笑)

(^。^)まぁ、昔からそうそう具眼の士なんてのはお目にかかれないものらしいが。(笑)
0450宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:08:35.04ID:onpwGQ4y
すみません遅くなりました。
エーと、最初はなるべく短めのつもりなのでしたが、
しかし、結果的にはかなり長文での連投になりました。概ね殆どについての返答になったかと思います。
読むのが大変な人もいるかと思いますが、どうかご了承のほどを。
あと当スレでは、内容があるならば長文連投はまったく構いません。
寧ろ、中身の無い短文を羅列した連投や、いつも三行くらいを頻発する人とかは逆にかなり迷惑です。

>>435-439
あなたは、
ただ一方的に批判を述べるだけでこの私からの問いについては無視なのですか?
私からの投稿が長文連投だったということもあるでしょうが、再度、あなたに対して尋ねます。

質問1.
 ヒンドゥーも(肯定的に)学んでいるのですか?
 例えば、“不二一元論アドヴァイタ”とかラマナ・マハルシの教えなどを...。
質問2.
 これについては、あなたには答えて頂きます。
 あなたのいう、その「すべては彼らの自業自得だから放っておけ! 
 実体のない幻影マーヤーの出来事(世界人類のこと)など気にするでない」と、
 そのように教えたという“ブッダからの教え”---仏典(原始経典)の記述---を
 ここに引用提示して下さい!
0451宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:10:37.38ID:onpwGQ4y
それでは更に続けて、
クレーム氏の情報に対するあなたからの批判関連についてです。
これについては、全般的にみれば確かにあなたからの批判的指摘というのは、ごく一般論としては真っ当なものでしょうね。
いいでしょう! だから、そのような指摘があっても確かに致し方ないので...。
ですから、これから述べることというのは反論ではなくて、“ただ単に率直な私からの返答”というものです。

>>436
>そこで語られてるマイトレイアのメッセージも、神智学的な考え方が反映したものでしょう。
>実際にブラヴァツキーが聖者とコンタクトしてメッセージを貰ったとか、アイリスベリーの考え方なんかも学んでいるだろうから、
>救世主は宗教を作るものではない(真理を実践するもの)ということは、何もベンジャミンクレームから始まったことじゃなくて、
>ニューエイジの考え方の中でも一番の基本的なものでしょう。
>誰にでも言えることです。
>ましてや、ブラヴァツキーやアイリスベリーの受け売りをするのならなお更。--中略--
>受け売りにしか見えない。
>(余談ですが、この間までアイリスベリーの著書を持っていた。 古雑誌に出しましたが。)

確かに、
しっかりと神智学を学んだ者にならば(書くことも)“可能なこと”です。
けれども現実にはない。神智学以外からはこのような発言はまず見られないし、そして、実際に何処にもない。
ニューエージものなどは、神智学徒から見ればその違いがバレてしまいます。
 『わたしは信奉者をつくるために来たのではない。わたしはあなたがわたしを信じることを欲しない。わたしを崇拝してはならない。』
と、いっているところなどはないでしょう。同じような精神性が明確に推察できるものは、原始経典の中のブッダの言葉くらいなものです。
 『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』(パーリ涅槃経)を読めば、
ブッダは自分が弟子を導く師であるという自覚すらも特になかったということがわかる。
そして、原始教団〜それ以降もかなり永きに渡って、仏教教団では崇拝対象物を用いることが厳しく禁止されてきた
(それが後には仏足や法輪に始まって、そして、遂に仏像が制作されるに至るわけです)。
0452宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:12:11.65ID:onpwGQ4y
それから質問の追加です。
質問3.
 そのベイリー著とは何の本でしたか? 是非、書籍名を教えてください。

>>435
>まずですね、何が一番問題かっていうと、ベンジャミンクレームが何を継承して教えを説いてるかってことなんですよ。
>ベンジャミンクレームが神智学を正統に継承しているかってこと。
>ベンジャミンクレームがブラヴァツキーなりアイリスベリーなりから、このものは霊的能力は本物だとか、
>このものの覚者方とのコンタクトは本物だとか、このものは神智学をよく収めていて、継承者としてふさわしいとか、
>そういう風に認められたかってことなんです。誰にも認められてないんじゃないんですか?
>>439
>本当に覚者方が言っていると、誰が証明しましたか? 神智学の著名な人が認めましたか?
>ベンジャミンクレームは本物だと、神智学の著名な人の誰が承認しましたか?
>そういう人から何も承認されてないようなものの言うことを、なぜ鵜呑みにしてしまうのか?
>これはベンジャミンクレーム個人に対する盲信ですよね。正統な神智学じゃない。
>クレーム本人に対する、突如として現れた個人に対する信仰ということ。系譜がない。妄想で語ってても区別がつかない。

いやいや...逆にいわせて頂きますが、↑このような判断の仕方のどこが仏教的なのです? 
一体、これらのどこがどう“ブッダの教え”だといえるんです?
あなたの判断の仕方というのは、“レッテルと権威”に拠って信用するということをいってるに過ぎない。
ブッダの教えというのは、そういうのを止めなさいというものですよ。
判断するのは、あくまでも“自分自身の正しい理解と直感”によってですから。
この経文にそのことが明確に要約されています。

 『昔から伝えられてきたからといってただそれだけで伝承や伝統、聖典集の所伝を信じてはならない。
有能そうな者の言葉に依ったり、自分の教師や師匠の権威に基づいて物事を信じてもならない。』
(『カーラーマ・スッタ』)
0453宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:13:58.86ID:onpwGQ4y
 クレーム氏からの教えというのは、確かにアリス・ベイリー(ジュワル・クール覚者の教え)を継承するものですが、しかし、だからといってベ
イリーの既存グループが“Maitreya降臨の主張”をするクレーム氏を承認するようなことはないし、そのことを信憑性の証とする必要もありません。
 まず、あなたは「ブラヴァツキーなりアリス・ベイリーなり...」などと簡単にいいますけれど、彼女ら当人はクレーム氏の時代にはとっくに世
を去っていませんし、そもそも覚者との真実のコンタクトがあったと評価されるアリス・ベイリー(『アーケンスクール』創設者)とヘレナ・レー
リッヒ(『アグニ・ヨーガ協会』創設者)の二人とも、神智学協会の脱会者なのですから。
 この有能なメンバーの二人揃って覚者との通信を主張したために、当時のブラヴァツキー亡き後の二代目会長アニー・ベザントによって、ベイ
リーは除名処分を受け、また、レーリッヒはベザントと袂を分かったのです。
 アニー・ベサントにとってはあくまでも、覚者方と交信できるのはアディヤール神智学協会の“秘教部門”のみでなければならなかったのです
(覚者との通信というのは、亡きブラヴァツキーの他には、メイベルコリンズ、リードビーターといったごく限られた数人のみの特権でした)。
 当時の神智学協会の空中分解と大分裂の主な原因は、ベザントの権威主義的で独善的な管理の在り方にあったのです。

参考:
 『また、マスターへの――マスター方の人格への――完全なる献身が強調された。--中略-- 服従する者は良いメンバーと見なされ、関心を示し、
服従することを拒否する者は脱党者と見なされた。個人の自由は絶えず犯され、リーダーたちの弱点や野心は言い訳された。これらすべてをよく
知っているアリス・A・ベイリー(AAB)は、絶えず繰り返されるこのような活動のメンバーになることを拒否した。』
(アリス・ベイリー著『新時代の弟子道』第1巻・チベット人の仕事の概要)
 http://houjugusya.web.fc2.com/corruption.htm
0454宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:15:23.87ID:onpwGQ4y
 クレーム氏の“Maitreya降臨の主張”が、その他の伝統的な神智学系グループからの承認を得ないのは当たり前のことです。何故なら、それは
“彼らの体験ではない”からです。私も神智学協会メンバーとコンタクトをとったことはもちろんありますけれど、彼らもやはり同様であって、
<自分たちの団体こそが最高である>という固執があって、もしも、覚者からの通信があるならば、必ず自分たちのところである筈だと思い込んで
いるからです。
 けれども覚者方というのは、すでに見切りの付けた団体は御自身の情報の発信拠点としては、二度と使われることがないのです。だから、本家の
神智学協会が認めているとか、ベイリーの団体が認めているとかではなく、自分自身がしっかりとその情報と内容によって正しく判断することだと
いうこと。“権威や伝統”などというものは正しさの保証などにはなりません。
 これは鵜呑みにせず、伝統に洗脳されないために最も重要なことです。

>>438
>信者を作りに来たんじゃない、という位のレベルでものを語っているわけだから、
>当然、『そんなビデオを信じるんじゃない。そんなものに惑わされるな。』と言うだろ、マイトレアなら。
>なぜそんなオカルティックなビデオを信じてしまうのか。

いや、すみませんが意味不明です。
本物ならば、その通りなんでしょうから、そのビデオをMaitreya御自身が批難する筈がないでしょう!(苦笑)
0455宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:16:57.20ID:onpwGQ4y
>シリアの紛争もそうだけど、もっと悲惨な人たちはたくさんいる。
>そういう人の前にマイトレイアは現れたか?
>もっと悲惨な人たち10万人は放っておいて、シリアの一人の重症者だけ救たって、
>それが何になる?

 その負傷者一人の命を救うことがどれだけの意味を持つのかについては、到底、我々のレベルでは判断は不可能です。その人というのは今、亡く
なられるのは非常に困るとても重要な人なのかもしれないし、普段から善意があり努力を怠らない素晴らしい方だからかもしれないし、或いはまた、
全知偏在のMaitreyaならば当然、マスメディアのカメラが来ていたこともご存じですから、敢えて意図的にアピールするという意味もあったという
ことも在り得ます。
 まず、あなたも仏教を学んでいて自業自得、云々...とかいうのであれば、業報の作用というものは動かしがたい絶対的な法だということは理解し
てるでしょう? だからたとえ、それが覚者方やハイアラキーの首長であるMaitreyaといえども、その関与についてはどうしても限度があります。
なので、可哀想なことではあってもこの業報の作用をまるで何か魔法のように帳消しにするようなことは許されてはいません。それでも、彼らの可
能な範囲(カルマの法の許す範囲内)において苦しむ人々の救済と援助のために精一杯、働かれています(彼らには時間の概念などないでしょうから、
我々から見れば24hフルタイムです)。もちろん、死から救うことができる場合はそのように、もしも無理な場合には、なるべく苦痛や恐怖を緩和す
る方向で援けています。実にその報告と情報もSI(シェア・インターナショナル)誌にはたくさんありますから。
 大地震での死者の苦痛の恐怖を緩和したり、湾岸戦争を終焉に至らせたり、米ソ冷戦構造(全面核戦争の恐怖)を無くすべくゴルバチョフに印象付
けをしたり、それから取材TV番組にもあったように、“奇跡の水”(水のエネルギー活性化)を顕したり、“光の十字架”を顕して癒しを行ったり、
そして、何もしてないように見えるときでも常時、宇宙的エネルギーの伝導循環という重要な仕事をされている...。それから、すべての人間の意識
の進化促成、つまりイニシエーションの最初の第一・第二は、このMaitreyaがすべてなされていることですから。
0456宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:18:45.99ID:onpwGQ4y
 Maitreyaによる奇跡の水は、一番最初は91年発見のメキシコ・トラコテでした。続けて92年にはドイツのノルデナウとインドのナダーナです。
2000年11/26のTV放送『特命リサーチ200X』では、「トラコテの水の成分分析をした結果、特別な微生物は発見できなかったが、活性水素が普通水
の10倍含まれている事が分かった。高温・高圧で活性水素は発生するが、通常は結合により消えてしまう。しかし、トラコテ地下の溶岩に含まれる
玄武岩から出る豊富なミネラルによりその消滅が防げるものと推測される。この奇跡ともいえる特別な環境がメキシコのトラコテにはある」というも
のでした。尚、これはあくまでの科学者による推測に過ぎません。また、同じような活性水素水を科学的に電解還元水として造ることができるともし
ていますが、同じものが決して創れる筈がないことについては、このMaitreyaによる3ヶ所の水だけに限って、通常の水よりその比重が軽いことで
分かるのです。ドイツ・フレゼニウス研究所のテストの結果では、そのノルデナウの水が通常の水よりも8%比重が軽いことがわかりました。同様に
して、メキシコのトラコテの水も、通常の水よりも4.4%軽いことが判明しています。これは驚くべきことであって、本来、比重の軽い水というのは
この地球上には科学的には存在し得ないのです。クレーム氏は、「Maitreyaによって水の原子の一定の割合が亜原子に変換され、宇宙エネルギーを充
電された為に起きている現象である」と説明しています。
 番組をご覧になれば、あらゆるすべての難病でその効果が確認されており、完治したことを証明する膨大な証拠カルテが記録保管されていることが
分かります。クレーム氏によれば、最終的にはこのような奇跡の水は世界777ヶ所で発見されるだろうと述べています。88年5月にSI誌上で出現の
予告が発表され、翌6月にアメリカで発見された“光の十字架”は、“光のサークル”という新しいバージョンも含めて全世界中に溢れ始めています。
Maitreyaは、誰も疑うことを止めるまでこれを続けられるようです。
0457宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:55:45.66ID:onpwGQ4y
参考:
 (特命リサーチ200X /病気を治す「奇跡の水」トラコテの水)
  https://www.youtube.com/watch?v=hjQPnqb-Jl8&;t=0s&list=PLdTuL9vR0CUY7aoPWg1iiEiYOHHVvkQmi&index=65
 世界中に溢れる光の十字架とサークル
  https://www.youtube.com/watch?v=1lU39nohQAg
  https://www.youtube.com/watch?v=xwX-K9iCIew (東京都ひばりが丘/西友ストア)
  https://uni.5ch.net/test/read.cgi/psy/1387571518/791(%e6%9c%ad%e5%b9%8c)
  (札幌/東急百貨店、大阪/阪急電鉄本社ビルの驚異的な光のサークル現象)

>なぜ鵜呑みにしてしまうのか?--中略--
>病気直しとかのスピリチュアル実績があって信じるんなら話は別だが、

あなたは、クレーム著をどれか1冊しっかり読まれましたか? 一度は講演会は拝聴してみましたか? 
伝導瞑想は体験してみましたか? それとも、この情報をものの数秒か数分で単純に決めつけて否定し、放り捨てたということでしょうか?
この私の場合には、この情報の真偽について自ら確認すべく、自分自身で出来る限り知ろうとして行動を起こしました。
実に、丸一年以上を費やしてです...。そして、その上で大きな信頼を寄せることとなったのです。
0458宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 03:57:30.80ID:onpwGQ4y
 まず、その教えと情報の背景にある神智学の内容の正確さについては、入手可能な伝統的な神智学文献を片っ端から読み漁り比較しました。当時
は、まだネット環境も携帯もない時代でしたし、若い私は金銭的にも厳しい懐事情だったので、図書館利用を一年も続けました。もちろん、クレー
ム著も取り寄せて、機関誌についてはバックナンバーからすべて集めました(コピー用紙でできたお粗末な体裁だった初期の頃のまで)。
 クレーム氏講演会、及びクレーム氏による直接指導の伝導瞑想会にもそれぞれ3度参加して、クレーム氏を囲んでの内輪での会食にも数回出席
(古い当時はまだこれが可能だった)。クレーム氏から提供される神智学の教えの正確さと素晴らしさもさることながら、最も印象を決定づけたのは
“エネルギー的な体験”によるものが大きかった。初めての講演会の席では、生れて初めて体験する圧倒的なパワーで包まれる素晴らしい経験を得
ました。これはクレーム氏を通してMaitreyaが祝福のエネルギーを聴衆に注ぐというものです(中にはクレーム氏に重なるもう一つのMaitreya顔
を見る人もいるらしい)。伝導瞑想会においてもそう、体の各所(チャクラと経路ナディー)を流れていくエネルギーの感じ方が変化したことに気付くと、
その数秒後にはエネルギーを伝導していた担当の覚者から別の覚者へと入替ったとのクレーム氏からのアナウンスがあります。
 それから、Maitreyaによって顕される光の十字架やサークル現象は、この瞑想会を定期で行っている指定会場のごく周辺にある日、突如として出
現するようになります (これは一度、顕れたら二度と無くなることがありません)。それは熱心な瞑想奉仕メンバーの個人宅も同様です。
 SI誌上の情報では、クウェートに侵攻したフセインを撤退させるとのMaitreyaの側近からの情報が飛び込んできて、その1ヶ月半後には、当時
の湾岸戦争を終結に導いた決定的な出来事として、フセイン大統領の前にクウェートからの撤退を促す“マホメットの出現”を受けたとする報道が
世界中に配信されたのだった。私はリアルタイムでこの出来事の経過を見てきたのです。
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/622-624
0459宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 04:09:32.17ID:onpwGQ4y
 その他、個人的には“Maitreyaの手形”の使用による私個人への援助がありました(世間的には神頼みの御利益程度の話かもしれませんが...)。
そして遂に、この私も1990年頃のことでしたがMaitreyaの肉体(“ファミリア”と呼ばれる生存している誰かの肉体をコピー使用したもの) での
出現を受けて、そのお体に触れて対話したという体験を持ちます。これは私の信に対して、その正しさを証明するために祝福なのでした。
  https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/635-637
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
70億人に伝えたい シェア・ジャパン公式サイト
 https://sharejapan.org/
シェア・インターナショナル・ネットワークの活動紹介
 https://sharejp.info/

クレーム氏の情報に関しては、以上です。
取りあえず、これで終わりにしたいと思います。
もちろん、あなたが受入れる必要はまったくありません。ご自由にどうぞ!!

 ※ 質問の返答は下さい。
0460宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 04:13:54.74ID:onpwGQ4y
石川氏の講演会に直接行かれるのがいいと思いますが、貴重な生前のクレーム氏の講演記録を貼っておきます。

参考:
 2009年ベンジャミン・クレーム名古屋講演会
  1. http://www.ユーチューブ.com/watch?v=aAnYFNWH550 
  2. http://www.ユーチューブ.com/watch?v=7f8p8VI9fzE    
  3. http://www.ユーチューブ.com/watch?v=4TAHMHkyQfA 
  4. http://www.ユーチューブ.com/watch?v=XXt4piFs9lc
  5. http://www.ユーチューブ.com/watch?v=fuMVFIxQIAY
  6. http://www.ユーチューブ.com/watch?v=HiuuZJzl7ls
  7. http://www.ユーチューブ.com/watch?v=r5kmpRoNeVY

規制にて失礼
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0461宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 04:15:04.04ID:onpwGQ4y
それから、
このスレは仏教スレなので、もちろん仏教的にも論考していきますけれど...
まず、あなたの仏教理解であるところの“我を無くすこと (無我の達成) ”について、ハッキリといわせてもらいます。
正直に言いますが、そういうのはゴータマ・ブッダの教えた無我の教説ではないということです。
あなたはたぶん、よく禅僧らが口にするところの“無我の境地(禅の悟り)”なるものと混同しています。
ブッダが説いたのは、「無我だから苦悩を生じる」というものでした。無我というのは本当は、「自己の思い通りにならないこと」をいうのです。
であるのに、無我の境地などというものを目指すわけがないのです。仏教の目指す究極の境地が無我の筈がない。
そんなことをいっていると笑われますよ!(ごく少数の分かってる人から)

ということは、
つまり、「涅槃というのは“無我の状態を脱すること”であり、こうして、“自在(自由)を得る”」ということです。
「無常が苦なのであるから、仏教の境地である苦の滅した状態は無常の止んだ境地(恒常)」です。
そして、「苦なるものが無我なのであるから、苦の滅した境地(涅槃)は、無我を脱した境地」だということ。
「苦なるものは無我である(わたしの我ではない)から、苦の滅した境地(涅槃)はわたしの真実の自己(我/真我)だ」ともいえるのです。
まっ、専門大学を出て伝統宗門に属する僧侶ですら分からないのだから、あなたが特別にダメということではないのですけれどね。
パーリ語が読めればわかるというものでもないし、それが伝統を疑わず鵜呑みにして信じ込んできたことによる弊害というものなのですよ。
そして、以下に示したのが証拠となる経文です。これに従ず、自分たちの勝手理解をしてるのが伝統仏教なのです
(ある意味では、「常楽我浄」を説く大乗のほうがテーラワーダよりも遥かにマシだ!!)。

 『比正たちよ,色は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは我所ではなく,わたくしの我
ではない。如実に正しい智慧を以て是の如くに観るべきである。受は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。... 』
(SN.111,雑阿含経1-91)
0462宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 04:15:54.71ID:onpwGQ4y
そして、「質問2」に対する私からの見解はというと、
“社会の出来事に無関心であれ(関与するな)”というのは、それは出家僧に対するものですよ。
出家僧がいちいちそれらに対して気にしていたのでは、当然、日々の修行に集中できる筈がありませんからね。
それはこの日本仏教でもそうですよ。寺院に籠る一定期間の専門の修行期間については完全に世俗を断って、
たとえ“親の死に目にすら”も会うことが許されない。だから、その覚悟を以て寺院に籠るのです...。
けれども、ゴータマ・ブッダは世俗の大衆たちと接することは絶対に止めなかった。
もちろん、それは出家僧たちへの布施(食事等々)を頂くという意味もあるけれども、
そのことによって同時に、在家や大衆に功徳を積ませることにもなり、
そして、当然のこととして、人間同士の争いについても含めて、正しい人間関係(社会)の在り方について丁寧に教えられた。

七セブンからの言葉(>>406 >>426)にもあったけれども、
あなたの主張するような見解と態度というのは、ブッダ入滅後の“根本二大分裂”の時の長老派(当時の上座部)たちのそれですよ。
彼らは世俗との関わりを完全に止めて山野に引き籠ってしまった。自己の修行に専念するという理由でね...。
これに猛反発したのが大衆部(後の大乗の発展と関わりを持つと見られる)だった。
そして、ついに袂を分かって大衆部は伝統教団を離れていったのです。

これが私の見解です。
0463宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/05(火) 04:51:18.89ID:onpwGQ4y
投稿忘れです。
これがカメラに捉えられたエネルギーです。

>>458
>最も印象を決定づけたのは“エネルギー的な体験”によるものが大きかった。
>初めての講演会の席では、生れて初めて体験する圧倒的なパワーで包まれる素晴らしい経験を得ました。
>これはクレーム氏を通してMaitreyaが祝福のエネルギーを聴衆に注ぐというものです
>(中にはクレーム氏に重なるもう一つのMaitreya顔を見る人もいるらしい)。

アムステルダムでのベンジャミン・クレームの講演中、
 Maitreyaのオーバーシャドウによる祝福で黄金色のエネルギーに満たされた会場(2006年9月20日、オランダ)
  https://sharejapan.org/wp-content/uploads/2016/04/share04-p07.png
同じく、Maitreyaからの祝福のエネルギーを放射するクレーム氏
  http://taraquebec.org/images/sf_july2002.jpg

 以上.
0465神も仏も名無しさん垢版2019/03/05(火) 20:39:36.39ID:kQTxYOI1
一般論として、そういう傾向がある、
というだけだけどね。 >>462
また、根本分裂の因を、『ソコ』に見るのは、200%間違いだしwwwww

言ってみれば、トヨタのネットアンケートの
「「やっぱり」女性は運転苦手ですか?」という設問が立てられたのと同じくらいの
「一般的傾向」の謂い。


少なくとも、諸部派乱立時代の、それぞれの傾向として、というだけ。
また、世俗と関わらない仏教はありえないわけで、
当時そういう潮流があったとしても、関わりが断絶していたわけではなくて、
難しい教理は、出家者が(自らの解脱の爲に)理解すればいいことであって、
庶民は、祈祷や占い、来世の向上でいい、というのが、小乗だから。
関係を断ったわけではなく、住み分け、或いは高校大学で「専攻が違う」のと同じ。
0466神も仏も名無しさん垢版2019/03/05(火) 20:45:00.91ID:kQTxYOI1
音楽や美術を選択する者もいれば、
科学や物理数学を選ぶ者もいる。
それだけの話。それに合わせて、参考書やカリキュラムや方法論が構築されただけ。
絵を描く人間に物理の細かい知識は、
(そりゃ、あったらあったで、様々な発想に繋がるけれどもw)
「基本、必要ない」。
0467神も仏も名無しさん垢版2019/03/06(水) 00:56:15.55ID:9BW06PLH
>>461
>ブッダが説いたのは、「無我だから苦悩を生じる」というものでした。

ちょ、ちょっと待ってくださいよ、宝珠先生
これ、マジで言ってるんですか?

経典にそのような記述はありますか?
0468神も仏も名無しさん垢版2019/03/06(水) 01:19:02.87ID:9BW06PLH
宝珠先生、さすがにこれは酷すぎるよ >>461

「涅槃というのは“無我の状態を脱すること”であり、こうして、“自在(自由)を得る”」
「無常が苦なのであるから、仏教の境地である苦の滅した状態は無常の止んだ境地(恒常)」
「苦なるものは無我である(わたしの我ではない)から、苦の滅した境地(涅槃)はわたしの真実の自己(我/真我)だ」

なんですかこれは?w
「大爆笑である。」って、誰かに言われますよ

『比正たちよ,色は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは我所ではなく,わたくしの我
ではない。』

「苦なるものは無我である」 これは〜〜、「無我が苦ですよ〜」 って言ってるんじゃなくて、
「苦なるものに実体は無い」 って言ってるんでしょ?
とんでもない勘違いしてますよ、宝珠先生
「我」というところに「実体」という言葉を当てはめてみて下さい

メチャクチャだな・・・
0469神も仏も名無しさん垢版2019/03/06(水) 01:31:08.73ID:+TmDSS38
だからこそ、
「有我」であるか「無我(非我)」であるか、
が、メルクマールとなるわけで。
通仏教的には、無我でも非我でもどっちでも、何の変わりもないわけで、
『「有我」でない』という所にこそ、仏教らしさがあるんだろうな、とw
0470神も仏も名無しさん垢版2019/03/06(水) 07:15:53.95ID:p1lKy445
>>467
3.【色】
「色は、比丘たちよ、自己ならざるもの(無我、anattan)である。
比丘たちよ、もし色が自己であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。
また、色において、<このように、わたしの色はあれ、このようにわたしの色はあるな>と、いうようにできるはずである。

4.
比丘たちよ、じつに、色は自己ならざるものであるから、色は病のために壊れる。
さらに、色において、<このように、わたしの色はあれ。このように、わたしの色はあるな>となすことができないのである。

5.【感受】
感受は、自己ならざるものである。
比丘たちよ、もし感受が自己であったのであるならば、この感受が、病のために壊れることもないだろう。
また、感受において、<このように、わたしの感受はあれ、このようにわたしの感受はあるな>と、いうようにできるはずである。

6.
比丘たちよ、じつに、感受は自己ならざるものであるから、感受は病のために壊れる。
さらに、感受において、<このように、わたしの感受はあれ。このように、わたしの感受はあるな>となすことができないのである。
(以下、想行識ど続く)
http://manikana.la.coocan.jp/canon/anattalakkhana.html
0471神も仏も名無しさん垢版2019/03/06(水) 14:25:03.55ID:1QjpeiI0
>>467
身も心も、因縁によってできているものであるから、この身には実体はない。この身は因縁の集まりであり、だから、無常なものである。
もしも、この身に実体があるならば、わが身は、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、その思いのままになし得るはずである。
王はその国において、罰すべきを罰し、賞すべきを賞し、自分の思うとおりにすることができる。それなのに、願わないのに病み、望まないのに老い、一つとしてわが身については思うようになるものはない。
それと同じく、この心にもまた実体はない。心もまた因縁の集まりであり、常にうつり変わるものである。
もしも、心に実体があるならば、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、そのとおりにできるはずであるのに、心は欲しないのに悪を思い、願わないのに善から遠ざかり、一つとして自分の思うようにはならない。
この身は永遠に変わらないものなのか、それとも無常であるのかと問うならば、だれも無常であると答えるに違いない。
無常なものは苦しみであるのか、楽しみであるのかと問うならば、生まれた者はだれでもやがて老い、病み、死ぬと気づいたとき、だれでも、苦しみであると答えるに違いない。
このように無常であってうつり変わり、苦しみであるものを、実体である、わがものである、と思うのは間違っている。
心もまた、そのように、無常であり、苦しみであり、実体ではない。
だから、この自分を組み立てている身と心や、それをとりまくものは、我とかわがものとかという観念を離れたものである。
智慧のない心が、我である、わがものであると執着するにすぎない。
身もそれをとりまくものも、縁によって生じたものであるから、変わりに変わって、しばらくもとどまることがない。
流れる水のように、また灯火のようにうつり変わっている。また、心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も、静かにとどまることがない。
智慧あるものは、このように見、このように聞いて、身と心とに対する執着を去らなければならない。心身ともに執着を離れたとき、さとりが得られる。
(パーリ中部経典より)
0472神も仏も名無しさん垢版2019/03/07(木) 00:42:17.95ID:ybIA6+4x
>>461
>ブッダが説いたのは、「無我だから苦悩を生じる」というものでした。無我というのは本当は、「自己の思い通りにならないこと」をいうのです。
>であるのに、無我の境地などというものを目指すわけがないのです。仏教の目指す究極の境地が無我の筈がない。
>そんなことをいっていると笑われますよ!(ごく少数の分かってる人から)

本当に重症というか・・・
「無我だから苦悩を生じる」んではなくて、無我である「色」に執着してるから
苦悩が生じるんでしょ?
「色」に執着している・・・  「色」に実体があると思ってる、
だから苦悩が生じるんです。
無我自体に苦悩が生じるんじゃない。
無我なるものを、実体があると思って追い求めているから、
苦悩が生じるんだよ
「色」に実体があると思ってるから苦悩が生じるわけ。
わかる?

「色」が無我だとわかれば追い求めないだろ?
そうすれば苦悩が生じないだろ?
だからお釈迦様は、「色」は無我である、って、
みんなに説いてるんだよ

「無我だからダメなんだ〜」ってw  ダメな主体は何だよ?w
「無我」じゃねーよ。
「この世界のありとあらゆるものは無我だから(執着しては)ダメなんだ〜」 ってことなの。
ダメの主体は「無我」じゃなくて、「この世界のありとあらゆるもの」 なんだよ。
主体間違いてんじゃねーか。

宝珠の解釈が珍妙なのは、たとえば >>470 の
 「色は自己ならざるものであるから、色は病のために壊れる。 」
というところで、
「色」は「無我」であるから病で壊れちゃうんだ、だから「有我」にならないとダメなんだ。
「有我」なら「色」は病で壊れることはないんだ。 だからアートマン(有我)を目指そう!
こういう考え。
「色」がそのままになっちゃってる。
「色」じゃなくて、「無我」が悪者になってるw

違うんだよ。
「色」が悪者なわけ。
なぜ「色」が悪者なのかを説明してるわけ。
「色」は無我であるから幻想なんだよ、と。
そこに気付けと。
そこに気付いたら「悟り」なんだよ。
全ての物が無我であることに気付いたら、「悟り」なの。
0473神も仏も名無しさん垢版2019/03/07(木) 00:44:10.29ID:ybIA6+4x
な〜〜にが「無我」が「苦悩」を生じるだよ?
無我であることが分かったら、苦悩が生じないじゃないか。
無我であることに気付かないから、苦悩が生じてるんだろ?
無我であるものを、実体がある(有我である)かのように扱ってるから
苦悩が生じるんだろ?
だから○○は無我なんだよ、△△は無我なんだよ、って、お釈迦様は説明してるわけだよ。
無我であることに気付いて苦悩から脱出しなさいと。

>無我というのは本当は、「自己の思い通りにならないこと」をいうのです。

たとえば3D映像で目の前に自転車があるとする。
この自転車は私のものだ、と錯覚したとします。
そこで誰かが、「この自転車に実体はありませんよ、実体がないから乗ることも
こぐことも出来ないでしょ?」と言ったとする。

この時悪いのは、「実体が無い」ことでしょうか? それとも
「3D映像の自転車」の方でしょうか?
「乗ることもこぐことも出来ないのは、実体が無いからだ、これではいけない、実体があるようにしないと!!」 というのが
あたなたの発想です。
「実体が無い」ことが悪になっちゃってる。
ちがう、悪いのは「3D映像の自転車」(を現実として錯覚する)の方でしょう?
「3D映像の自転車」を現実のものと錯覚して、乗ろう、こごう、としてるから、
自分の想い通りにならなくて苦しむわけだ。
0474神も仏も名無しさん垢版2019/03/07(木) 01:09:20.63ID:ybIA6+4x
本来、乗ることもこぐことも出来ないのは当たり前なわけだ。
実体がないから。
自分のものではないから。

ふつう、乗れもしない、こげもしない自転車を前にして、この自転車に実体がないからダメなんだ、って思うヤツいる?
目の前の自転車に実体がなくて、乗れもこげもしなかったら、ああ〜、これは幻なんだ、
この幻に構っていられない、って思うだろ。
宝珠の場合は、幻想の自転車はそのままに、「乗れもこげもしない」ってことが悪になっちゃってる。
実体がないんだから、乗れもこげもしないのは当たり前。
別に乗れなくたっていいじゃないか。
関係ないだろ。
乗れもこげもしないことが悪になるのは、自転車に実体があると
勘違いしてる時だけだ。

色は無我である(実体がない)から、色は病のために壊れるんだ、無我ってなんて悪いやつなんだ〜〜、と、
病に壊れること自体が良くないことだと思ってる。
病に壊れることが良くない、と思うのは、色に実体があると思ってる時だけだよね?
色に実体が無いと知ることが出来れば、病だろうが、壊れようが、関係ないということになる。

宝珠は有我を目指して、病にならないような、壊れないような、「自己」を目指そうとしてる。
お釈迦様の文章が本来そのようなものだと勘違いしてる。
病も壊れるも実体がないんだから、実体がないと知ってそこから離れればいいわけだよね。
そうすれば、表象的には病のように見えても、壊れていくように見えても、全く壊れもしないし、病でもない、ということになるんだよ。
それが本当の姿。

こういう論理的におかしい人を相手にすると、その分、説明も複雑になっちゃうんだよね。
割に合わないよ。
マトモな人に懇切丁寧に説明するんだったら割に合うけど、
おかしい人ほど説明を複雑にしないといけないし、長文で書かないといけなくなっちゃう。
それでいて成果がマイナスになって帰ってくる。 確実に。
0475神も仏も名無しさん垢版2019/03/07(木) 01:25:51.47ID:ybIA6+4x
>>469
有我という言葉に問題があるような気がするね。
本来仏教は無我(非我)が全てであって、有我と無我の対象ではないんだよね。
つまり、そういう対象でいうと、有我として絶対のアートマンのようなものを
想定してしまうことになる。

「我」というものは有が無か断定されていない中間の状況で、それは、すべては「無我」ということで
このときの「無我」は「有我」の対象ではなくて、マイナスかプラスか、ということではなくて、
ゼロを意味するんだと思うね。
すべては無我なんだと。

ところが、ふつうの人間の反応として、「無我」ということになれば、「有我」を想定したくなっちゃう。
0476神も仏も名無しさん垢版2019/03/07(木) 01:31:13.11ID:or7LAkae
玄沙師備(835〜908)は雪峰義存(822〜908)の下で昼夜となく修行にいそしんだ。
ある時、広く諸方の指導者達を訪ねて修行を徹底させたいと思った。
そこで旅装を調えて雪峰山を出で発った。ちょうどその折、脚の指を石にぶっつけた。
血は流れ、痛みに耐えかねた時、忽然として自己の正体に対し猛烈な反省が沸き起こり言った、

「この身は本来空で(実体の)有るものではない。それなのに、この痛みはどこから来たのか?」

そのまゝ直ちに引き返し雪峰の下へ帰った。
雪峰は慌てて帰って来た師備を見て尋ねた、

「(お前はついさっき諸方を偏参すると言って出かけたばかりなのにもう帰って来た)、
備頭陀、一体どれがお前さんかね?」

  師備は答えた、「私はいつも真実(ほんもの)で嘘を言って人を騙すようなことはありません。」
この言葉を雪峰は特別に喜び言った、
「そういうことは誰でも言う。しかし、この言葉を真実の表現として言う人はいない。」
雪峰はさらに尋ねた、
「備頭陀、お前さんはどうして遍く諸方の指導者の教えを受けに行かないのかね(そう言って出かけたはずではないか)? 」
師備は答えた、
「達磨不来東土、二祖不往西天(達磨はインドから中国に来たのではありません。二祖慧可もインドには行きませんでした。
達磨や二祖慧可が覚ったのと同じ「真の自己」は現在ここにいるではありませんか)。」
こう答えたのに対し雪峰は一方ならず師備を褒めた。
0477宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/07(木) 03:19:15.59ID:akGHuenL
まさか...
酔っぱらってるわけじゃないだろうね?
般若湯の飲み過ぎかwww

そんなにゴチャゴチャはいらないから!
無我だから無常なのであり、無我だから輪廻しているのであり、
そして、無我だから苦悩するのです。
なのに、どーしてその無我を目指すんだい?
「無我だから輪廻して苦しむ」という、それが衆生の姿だ。
なのに、輪廻から解脱して苦を滅した境地(涅槃)が無我なわけがないでしょ。

だから、
空、無我、無常(業報輪廻)、苦というのは、
すべて同じことをただ手を変え品を変えして教えているに過ぎない。
なのに、涅槃が空であったり、無我であったりする筈がない。

空、無我、無常(業報輪廻)、苦はすべて有為についての説明のこと。
無為である涅槃には該当しないから。
にも関わらず、すべてを法として一括りにしてしまった部派の勝手な教義を
ただ伝統として伝承、継承してきたのが現存する伝統教団のすべてです。

一切についての経文を読めば、そこには涅槃が含まれてないのは一目瞭然だ。
それを無視し続けて、自分たちの勝手に創ったアビダンマを信奉するのがテーラワーダと伝統教団。
そのことを指摘したのが水野氏の解説です。

>>472
実体がないのは有為。無我なのは有為ね。
それらは無為の話じゃないから。

簡単な話です。
いい加減に眼を覚まそう!
0480神も仏も名無しさん垢版2019/03/07(木) 23:12:06.17ID:ybIA6+4x
こういう人は前にも見たことがあるけど、なんで通じないかっていうと、そもそも仏教の核となる部分が
理解出来ていない、チンプンカンプンなのよ。
だから、その部分を自分の都合のいいように、自分のレベルに合わせて解釈しちゃうわけ。
そういう人を相手に、いくら理を説いても、長文を連ねても、
書けば書くだけ損をしちゃう。
核がチンプンカンな人に説明も何もありゃしない。
Aを理解するということは、Aを理解する土台が根本にあって、
だからAが理解できるわけだ。
土台がない人にいくらAの説明を、子供にでもわかるように、分かりやすく説明したとしても、
全くチンプンカンプンなのよ。
で、土台を理解しろ、っていうのも不可能なわけ。
なぜなら土台っていうのは、その人の経験の蓄積の賜物であったり、その人の洞察に基づいてるものだから。
この人は仏教の核となる教えを理解出来ない頭をしている、と思った方がいい。

で、そういう人たちを相手にしていたから、龍樹は相手の言葉の矛盾を突くだけにして、
相手の頭で「そりゃ困ったな」と思わせたわけだ。
AだったらBが成り立たないじゃないか、と。
懇切丁寧に説明するようなバカらしいことするより、こっちの方がいいよね。
説明してもムダな相手には、自己矛盾を起こしていることを気づかせるだけでいい。
0481神も仏も名無しさん垢版2019/03/07(木) 23:13:31.86ID:ybIA6+4x
>>477
>無我だから無常なのであり、無我だから輪廻しているのであり、
>そして、無我だから苦悩するのです。

もうこの文章自体がおかしいでしょ。
何が無常なんですか?  無我だったら無常なものはないでしょ。
何が輪廻するんですか?  無我だったら輪廻の主体が無いでしょ。
何が苦悩するんですか?  無我だったら苦悩の主体が無いでしょ。

無我だから苦悩するってw  何が苦悩するんだよ?
何もないじゃないか。

>「無我だから輪廻して苦しむ」という、それが衆生の姿だ。

あのね、無我だから輪廻する主体がないの。  衆生は無我になれないから、自分の身体は実体があると思ってるから
輪廻するんだよ。
無我になれないから苦しむの。

>なのに、輪廻から解脱して苦を滅した境地(涅槃)が無我なわけがないでしょ。

涅槃は無我(空)なわけ。
すべてが空(無我)になるから涅槃になるのよ。

>空、無我、無常(業報輪廻)、苦というのは、
>すべて同じことをただ手を変え品を変えして教えているに過ぎない。

はぁ?  無常が業報輪廻??
無常は「今」を現してるんだよ。
前後裁断なわけ。
無常は 「あらゆるものは(実体として)続かない」 ってことなの。

だからね、空=無我=無常=中道=縁起 なのよ。
=苦 って何だよ?w
空=苦 って、「苦」は「空」を表わすのか・・?
苦しみもがいてる人は「空」を表わしてるのか?

>実体がないのは有為。無我なのは有為ね。
>それらは無為の話じゃないから。

あのね・・・、無為も何もかんも「無我」なの。
無為法が「在る」って言ってるのは本物の仏教じゃないから。
0482神も仏も名無しさん垢版2019/03/08(金) 09:48:06.37ID:oF6B0a8I
五蘊は無我なので無常です
五蘊は無我なので全部かあるいはその中のどれかが輪廻するかもしれません
五蘊は無我なので無常であり無常なので苦です

我(アートマン)は常住なので無常ではなく無常ではないので苦でもないのです
0483神も仏も名無しさん垢版2019/03/08(金) 11:12:46.93ID:oF6B0a8I
ただブッダのいう自己とか実体とか我がものいうのは全くの常住ではないようです

かくあれ、かくあることなかれ、と思えばその通りに変わってくれるもので全くの不変というわけではありません

仏教でいうアートマンとは意のままに変わるものをいうのでしょうか?
0485宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/09(土) 03:49:17.48ID:hdfbnvFP
>>470>>471も私の投稿ではないけれども、
あなた(セブンだろ?)があまりピンボケしたことを書いてるから、
たぶん参考となる良い経文を提示してくれたものと私は理解します。

>「色」は「無我」であるから病で壊れちゃうんだ、だから「有我」にならないとダメなんだ。
>「有我」なら「色」は病で壊れることはないんだ。 だからアートマン(有我)を目指そう!
>こういう考え。>>472

いやいや...
誰も、「ブッダは有我論を説いた」などとはいってないから。
なのに、勝手に“それでは有我論になってしまう”などと慌てふためいているのはそちらなのですよ。
ブッダの説いた本来の“無我の教え”というのは、「アートマンはない」というものではない。
そういう意味もないのだということ。アートマンの有無については、あくまでも無記(沈黙)であって、
そして、真実の自己の追及と具現の必要について教えられていた以上、
あなた方の未熟な理解で以てヒンドゥーを馬鹿にするのはやめておけや!
と、そういってるだけだ。
0486宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/09(土) 03:50:42.52ID:hdfbnvFP
>無我であるから幻想なんだよ、と。
>そこに気付けと。
>そこに気付いたら「悟り」なんだよ。
>全ての物が無我であることに気付いたら、「悟り」なの。>>472

あのね...。
生意気なようだけれど、あなたの説明は百も千も理解した上でそれを敢えて否定してる。
確かに、言い方としてはこういうのはかなりイイ線だけれども、
しかし、一つ決定的にダメなのは、その“すべてのもの”の中には涅槃は含まれないということです。
無我は五蘊についてであって、これは限定意なんです。経文に書かれてある通りだ!
なのに涅槃も無我としたのは部派の勝手(アビダンマ)ですから。
全然、ブッダの教説ではない。

自己、及び自己のものでないものを自己であるとして、
自己のものであるとして誤認している状態が無我の状態ということ。
この状態の意識を変性して、いわばこの無我の境地から解脱するということですよ。
それが涅槃という境地です。なので涅槃が無我である筈かない。
我々の今のこの状態がそのまま無我の境地であって、だから、ここから解脱しなければならないのです。

駒大卒というのは、
所詮は、やはり曹洞宗に着色されてるということなのかなぁ?
まっ、宗門(曹洞宗)の看板を背負ってる以上は、“素直になる”のもなかなか正直いって難しいのでしょう...。
これには除籍処分を受けて、無宗派になり、独立宗派でやっていくくらいの覚悟がないことには無理か。

>>482さんが大正解ですよ!
これはかなり珍しく正しい理解者の投稿だと思います。
0487宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/09(土) 03:52:31.68ID:hdfbnvFP
>>481
あなたの主張など、
いつでも倍返しの百倍返しできるけれども、しかし“疲れる”のでね...。
どうせならば、あなたの理解の根拠を原始経典からここに引用提示してみなさいな。
0488承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/09(土) 05:38:24.98ID:mjGBwh7p
>>485
へぇ?(笑)
釈尊は「真実の自己の追求と具現の必要」なんて説かれたんだ?(笑)

(^。^)釈尊の説いた教えとしてデタラメを言うだなんて、宝珠も堕ちたもんだ。(笑)
0489神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 08:55:50.37ID:3RG4YOju
龍樹においては
空=無我
ではないので注意が必要です

無我、我、輪廻、涅槃、無明、五蘊、六根、といった世俗の真理は言葉で表現できますが、
それらを超えた勝義の真理は言葉では表現できません
それが龍樹や般若経などが説く空です

「中論」第一八章 アートマンの考察
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9529993
0490神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 16:47:53.85ID:Tn/ezvin
>>486

> >>482さんが大正解ですよ!
> これはかなり珍しく正しい理解者の投稿だと思います。

うん、そうだね。


482が正しいからこそ、「文言非我、文脈無我」であり、
アートマンを認める仏教なぞありえない、ということを証明する482だね (´∀`)b
0491承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/09(土) 19:46:53.06ID:3FMjOmDJ
ところで、宝珠は>>351で話は終わったんかな?(笑)
要するに根拠は「地球ではこうだから、他の惑星でもそうなの!」ってだけ?(笑)
それで「考察した」ことになると?(笑)
科学的には様々な可能性が考えられてて、その一つの試案として上げられたにすぎない論理を「根拠」にしたのは、
つまり宝珠の脳内だけで通用する「科学的根拠による考察」ってことで宜しいんだね?(笑)
じゃあ、仏教についても「宝珠の脳内だけで通用する仏教解釈」って可能性が大だと思わないかな?(笑)
実際、>>275でも釈尊の説かれた「修行者にとっては時間の無駄でしかないから考える必要はない」話を、
まるで、釈尊が「真実の自己」をわざと弟子に教えなかったように書いてるしな。(笑)
そんな性格悪い人じゃあ、応供とは言われないよ。(笑)
そして、三世兩重説こそが、「部派」の後付けであり、釈尊は十二因縁を「真実の自己の追求」なんて目的では説かれてないのは「文脈」を見れば明らかだろ?(笑)
勿論、意識界に於いて霊的な様々な事象はあるが、それをどうこうってのは天部の法であり、
仏教、仏菩薩の法門はその一段上の教え。
だから、諸天が礼賛して帰依したんだよ。

(^。^)つまりね、「宝珠の脳内だけで通用する仏教」は仏教以前の話なんだよ。(笑)
0492承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/09(土) 19:54:20.79ID:3FMjOmDJ
あと「物質主義者」ね。(笑)
残念ながら、仏教教壇内部に「物質主義者」なんていませんから。(笑)
それぞれが「仏」を自己のなかに見いだして、
まぁ、中には変なのも居るが、(笑)
それでも何らかの「仏」を礼拝してるんだから、「物質主義者」ではあり得ない。(笑)

(^。^)そして、仏教はオカルト趣味のバカな妄想ではなくて宗教、宗とする教えなんだから、輪廻転生云々なんてのは下の下、入り口の下駄箱程度のシロモノでしかない。(笑)
0493神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 20:01:26.93ID:3RG4YOju
中村:  仏教では、「無我」ということを説くと、世間一般に理解されていますし、それから昔からインドの哲学的な諸学派から、仏教を批判する場合に、「我が無いということを説いている。
それはおかしいではないか」というような批判が出ているんでございます。
けど、仏教の本当の趣旨は、「我執をなくする」ということですね。
我々は、日常の生活を見ましても、始終自分の欲望とか利益とか、そういうことにとらわれて行動する場合が非常に多いですね。
けれど、それは我執にとらわれているものだから。そうではなくて、本当の自己を実現すべきである、ということを、仏教では最初から説いていたわけなんでございます。
「本当の自己を実現するためには、我執を離れよ」ということを、古い時代から長い歴史を通じて、仏教では説いているわけでございます。
それを多くの人が、「無我」と説いているわけです。
それからまたこういう解釈もあるわけです。
仏教では、「無常の教え」を説いておりますね。そうすると、「如何なるものにも本体はない」という、それを「無我」という言葉で表明している場合もございます。
けど、趣旨としては、我々がしょっちゅう煩悩に悩まされていますが、それに支配されないで、「本当の自己を実現せよ」というのが、仏教の建前でございました。

ブッダの人と思想C一切にわがものなし

もちろん、中村先生が絶対に正しいというわけではない。
0494承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/09(土) 20:11:41.29ID:3FMjOmDJ
>>493
じゃあ、釈尊は当然、弟子に「仏陀は本当の自己の追求方法を説く」と何度も強調して説かれたんですね?
「サトリとは、本当の自己の実現である」と。

(^。^)へー、仏教ってそんな教えだったんだー。
「言説不可得」だなんて意地悪なデタラメだったんだー。
0495承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/09(土) 20:26:43.17ID:3FMjOmDJ
お前らはアレだよな?
つまり、初期の仏教でアホみたく経典暗唱したのも、中観が訳の判らない理屈を捏ね回したのも、禅宗がバカみたいにジット座ってるのも、密教が秘密主義でゴソゴソ変なことやってるのも、
全部、無駄に小難しくしただけで、仏教はもっと単純明快で簡単な話だって事にしたいんだよな?(笑)

(^。^)ちょっと何発かブン殴ってもいいか?(笑)
0496神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 20:46:45.81ID:3RG4YOju
>>494
直リンはできなかったので

ブッダの人と思想C一切にわがものなし

をコピペしてググってみてご自分で中村先生や他の先生の言ってたことを確認してください。
その意見にあなたが賛同するかどうかは私には関係ありませんので、いかようにでもご自由に感想を持たれたら良いと思います。
0497神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 20:52:48.68ID:Tn/ezvin
だから、

 「文言非我、文脈無我」
(「見え方非我、実質無我」)

だと。


二百歩譲って、最初期に非我だったとしても、
律蔵大品の「60人阿羅漢の遊行開始時」に、
「我(アートマン)の把捉」が悟りの基準だったとは到底思えず、
また、その後、我を見出した釈子は存在しないわけでね・・・。

 ※(ま、宝珠は、
   林の中で遊女を追いかけて遊んでいた坊ちゃんたちへの声かけ
   を、引き合いに出しそうだが・・w)
0498神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 20:53:59.03ID:Tn/ezvin
平成も終わろうという時代に、
まだ、中村説絶対主義者が存在するとは・・・w
0499神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 20:58:31.39ID:3RG4YOju
>>498

>>493
>もちろん、中村先生が絶対に正しいというわけではない。

誰が中村説絶対主義者なのですか?
0501神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 21:01:39.30ID:Tn/ezvin
ああ、ごめんw  一般論の代表としてスケープゴートにさせてもらった。
素直に謝る。 申し訳なかった。 >>499
0502承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/09(土) 21:09:21.20ID:3FMjOmDJ
>>497
如是我聞曰其大我也又曰其大楽也

(^。^)いらぁあああ〰きんこおふこうしんじーっさーんーまーあーやーあーけーいじょーおーおーおーっしーいーがーあーぶんーんーんーんーんっ!
0503神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 21:12:27.54ID:xjdfmw/L
宝珠さんに質問だけど
2001年の911の3ヶ月前に行われたスティーブン・グリアが主催した40人近い元軍関係者を集めたUFOディスクロージャー(最近ナチュラルスピリットから700ページ近い証言集の「ディスクロージャー」って翻訳書が出た)や
日本の元自衛隊空将が航空自衛隊のOBの証言集を集めたりなんだりで
ほぼUFOが地球に来ていることが分かりはじめたが
クレームさんはUFO問題はどういう考えなの?
0504神も仏も名無しさん垢版2019/03/09(土) 23:24:44.54ID:XNJeSxwH
あと53日

相変わらず ここは凄いな
0505神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 00:44:00.06ID:tC7Xzn5I
>>485
>誰も、「ブッダは有我論を説いた」などとはいってないから。

言ってることが矛盾してるでしょ。
あなたは >>461
「無常が苦なのであるから、仏教の境地である苦の滅した状態は無常の止んだ境地(恒常)」
「苦なるものが無我なのであるから、苦の滅した境地(涅槃)は、無我を脱した境地」
と、言っているのですよ?
恒常というのは「実体がある」ということです。
無我だから無常なんでしょ?
それは、無我じゃなかったら恒常(有我)ということでしょ、文章的には。
恒常ということは実体があるということですよ。

また>>486では、
>いわばこの無我の境地から解脱するということですよ。
>それが涅槃という境地です。なので涅槃が無我である筈かない。

と、言ってるでしょ?
無我でなければ有我ということですよ?  確実に。
表でなければ裏です。
短くなければ長いです。

>自己、及び自己のものでないものを自己であるとして、
>自己のものであるとして誤認している状態が無我の状態ということ。

もうこの定義がおかしいでしょ。
色を「自己のものである」と思ってることが(有)我ってことなんですよ。
本来、自己のものでないものを、自己のものである、と思ってることが有我ってことなんです。

>「色は、比丘たちよ、自己ならざるもの(無我、anattan)である。 >>470
>もし色が自己であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。

この文章でお釈迦様は、色を「自己のものであるとして誤認している状態(有我)」を正そうとしているわけだよね?
色を「無我」と見れれば悟りなわけ。  わかる?
色を「無常」と見られれば、「無我」だと気付くわけ。
色の世界を苦と見られれば、それも悟りなわけ。
「苦」が「無常」や「無我」と同一のものじゃないんだよ。
「世界を苦と見ること」がある意味、悟りの境地なわけ。
「苦」じゃないよ。 「苦しむこと」が悟りの境地なわねーだろ。
宝珠は致命的な読解ミスを起こしてるよね。
0506神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 00:52:53.90ID:tC7Xzn5I
>>486
>我々の今のこの状態がそのまま無我の境地であって、だから、ここから解脱しなければならないのです。

この文章から言うと、我々の今の境地は「色は自己ならざるもの(無我)である」っていう境地を
達成してることになるよね?
悟りの境地じゃないか。
色は自分のものじゃないって突き放してるのに、何物も自己のものではないと空になってるのに、
一体ここから、何から「解脱」するんだよ?
もうすでに無我になって解脱してんじゃねーか。

>無我だから輪廻している>>477
>無我だから苦悩する

宝珠は質問に答えないといけない。
無我なのに、一体何が輪廻するのか?
無我なのに、一体何が苦悩するのか?
無我なのに、一体何から解脱するのか?
0507神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 01:18:06.67ID:tC7Xzn5I
>>486
> >>482さんが大正解ですよ!
>これはかなり珍しく正しい理解者の投稿だと思います。

あなたは>>477で、

>無我だから無常なのであり、無我だから輪廻しているのであり、
>そして、無我だから苦悩するのです。

と言っていますが、最初から無我が確定していれば、
無常の主体はないんです。
通常は、無常であるから無我ということが証明されるんです。
無常は無我の証明のための説明ということです。
あなたは「ゼロだから無常だ」と言ってるのと同じなんですよ。  
ちがう、〇〇は無常だからゼロだ、ということです。
実体が一瞬も続かないってことは、実体としてはゼロ(無我)なんです。

>五蘊は無我なので全部かあるいはその中のどれかが輪廻するかもしれません

これはトンチンカンな文章です。
何が正解ですか?
五蘊が無我ならば、一体何が輪廻しますか?
何も自己というものが無いのに、一体何が輪廻するんですか?

>五蘊は無我なので無常であり無常なので苦です

五蘊は無我だ、五蘊は無常だ、五蘊は苦だ、という見方は悟った人の見方なんですよ。
これが一般の人には出来ないってことです。
だからお釈迦様はそうやって教えてる。

つまり一般の人は、五蘊はわがものである、五蘊は※常住である、五蘊は楽である、って
見てるってことです。

※生まれた時の私、20歳の私、老人になった私、あの世の私、来世の私、という風に、形態が変化しようが
「私」という実体が恒常の状態になっている。
(しかし、そのようなものに実体はない)
この「私」を継続させることが、輪廻につながるんだよ。

>我(アートマン)は常住なので無常ではなく無常ではないので苦でもないのです

常見は仏教ではないので、これを正解とするなら、宝珠の語るものは仏教ではない、
ということになる。
0508神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 03:41:07.79ID:7NtdE80U
あと52日
0509ポッタン師垢版2019/03/10(日) 09:03:22.47ID:oNdCRh7Q
507.無我とは何か。
それは有我を否定したものである。
それは、否定したのであって、無くなる、ということではない。
バカには理解できない。大爆笑である。
0510神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 16:58:04.35ID:EbX7Q3Qh
タイのテーラワーダ僧アーチャン・チャーは、アーチャン・チャーとは誰かと問われて、「アーチャン・チャーは存在しない」と答えています。

諸法無我ですから、自分は存在しません。

存在しないものは滅びることがありません(不死)。

+++

テーラワーダでは、ニッバーナ(涅槃)だけが無為法、つまり常在です。

もし解脱の境地に達したとき、解脱者は存在しません(諸法無我)。

そこには、ニッバーナだけが存在します。

そして、ニッバーナは不滅です。
0511神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 17:03:10.42ID:EbX7Q3Qh
ミャンマーのパオ僧院のパオ・セヤドー問答集より
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352

問16-81 涅槃とは、常、楽、我であると言いますが、これは正しいですか?

答16-81 正しくありません。涅槃は恒常で、かつ寂楽ですが、しかし、無我です。

《法句経》の中で、仏陀は言いました:「諸行無常;無行是苦ママ、諸法無我」(Sabbe saṅkhārā anicca;sabbe saṅkhārā dukkha;sabbe dhammā anatta )
諸行とは一切の色法、心及び心所を含みます。
そして、諸法は、諸行を含む以外に、涅槃と概念法を含みます。
あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。
仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。
諸行は無常・苦・無我ですが、涅槃は常、楽、無我なのです。
0512神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 21:57:27.77ID:FCde3Leo
我(アッター)というものは、実際のところ、単なる概念にすぎず、誰も存在するものはおらず、ただ地水火風といった四大が一時的に結合しているだけです。
私たちは身体を指して、「人」とか「私」などと呼びますが、勝義諦としては「私」などというものはなく、ただ無我(アナッター)であるのみです。

現実には永遠なる自己はありませんし、私たちがそれにしがみつけるような確かなものや、不変のものなどありはしません。

アーチャン・チャー 手放す生き方
https://mobile.twitter.com/AchaanChahBot/status/1103054844993069056
https://mobile.twitter.com/AchaanChahBot/status/1103039733737779201
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0513神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 23:08:35.63ID:tC7Xzn5I
宝珠がどういう風に勘違いしてるかというと、「無我」の「我」を、
絶対不滅のアートマンだと思ってるんだよね。
つまり、これこそ悟りから得られる本物の自己だと。
「無我」から脱するとよく宝珠は言うけれど、この「無我」は、「絶対不滅のアートマンが無い状態」、
ということだろう。
だから、真のアートマンを獲得しなければならないと思ってるわけだ。
一般の人々はこの真のアートマンを失ってる状態だと。 
これが「無我」だと。

>>470に、
>「色は、比丘たちよ、自己ならざるもの(無我、anattan)である。
って書いてあるじゃないか。
無我=自己ならざるもの と。

ここで宝珠はこう反論するだろう。
『色は無我(自己ならざるもの)・・・  つまり、この肉体人間は「本当の自己」ではないものだから、
「本当の自己」を見つけないといけない。 
色が「自己ならざるもの」なんだから、多くの人は本当の自己ではないもので生きている。』 と。
つまり、本当の自己ではないから不幸なんだと。

バカかと。
お釈迦様はそんなことは言っちゃいない。
「本当の自己ではないから不幸だ」ってことを言ってるんじゃなくて、
「本当の自己ではないものを自己だと思い込んでることが不幸なんだ。」と、
言ってるんだよ。
0514神も仏も名無しさん垢版2019/03/10(日) 23:10:06.66ID:tC7Xzn5I
宝珠のイメージを分かりやすく説明すると、たとえば「汚れた窓ガラス」があるとする。
人は「汚れ」が自分だと思ってる。
お釈迦様は、汚れは「自己ならざるもの」なんだと言う。
そこで宝珠は、汚れ・・・ つまり、自己ではないものから脱して、新たな(窓ガラスにくっつく)付着物を
見出さないといけない。
「汚れた付着物」に代わる、「真実の付着物」を探さないといけない。 ・・・と言うわけだ。

ちがうんだよ、お釈迦様は、「窓にくっついたものは全部無我(自己ならざるもの)だ。」と、言ってんの。
で、付着物を自己だと思うことが不幸だと言ってる。
であるから、「付着物が自己ではない」と悟ることが真の幸福の道だと言ってるわけ。
真実の自己を見つけることが幸福だ・・・ ってことじゃなくて、
あらゆるものが自己のものではないんだ(無我なんだ)、って悟ことが真の幸福なんだ、
ってことを言ってるわけ。
ガラスから汚れが落ちればそれで終わりなわけよ。
ガラスの向こうの真実の姿が見えてくるだろ。
汚れの代りに真実の自己(美しい付着物)を探すことを言ってるんじゃないんだよ。
それじゃあ、窓ガラスがちっとも透明にならないじゃないか。

お釈迦様の言ってる「無我」の「我」とは、真実のアートマンじゃなくて、
普段、人間が「私」というときの私だよ。
あれは「私のもの」、これは「私のもの」、って言うときの
「私のもの」ってこと。
なんでこれを「真実の自己」と解釈するのか・・・
ここが出発点になってるから、ここの間違いを正さないと、
いくら議論してもかみ合わない。

大切なのは、窓が透明(無我・空)になることなんだよ
そこで止まりなわけ。
そこからなんらかの「有」に代わるんじゃない。
透明ならないと向こうは見えてこないわけ。
ガラス上(思考上)でああだこうだやったって、窓ガラスを汚すだけなんだよ。
お釈迦様が言ってることは、無我になれ、空になれ、ってこと。
0515神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 06:45:16.65ID:cRoW+PYs
あと51日
0516ポッタン師垢版2019/03/11(月) 08:33:32.08ID:YeDoRE4o
514.無我になれ、空になれ、か。
瓦を磨いて鏡とする、か。窓ガラスを磨く、か。
0517神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 08:37:29.58ID:e3rCxqeS
宝珠にとっては、
窓ガラスが「真実自己(真我、アートマン)」、
汚れが「五蘊(等諸法)、或いは旧態従来の”アートマン”」、
ガラスがきれいになることが「解脱」。
 *(きれいな状態であることが「涅槃」、
   その【涅槃の状態にあるモノ】(ガラス)が「真我(真のアートマン)」)  >>514



たとえば、
ガラスを設定しない、蜘蛛の巣が掛かって視界が曇っている状態を迷いの状態、
それらが取れて、視界がクリアになった状態を涅槃、
としたときに、宝珠の図式でどうなるかは知らんw
0518神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 08:44:51.45ID:e3rCxqeS
その意味では、
神秀も慧能も、明鏡を残す。(十牛で人が残るように)

所詮喩え話は喩え話。
喩えに用いている事柄、モノの世界を超えることが無い・・・。
そこを補うのは、聞く者の想像力とフォーカス能力のみ、と。
0519神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 09:15:30.50ID:e3rCxqeS
>>518

もう一つ、喩え話の成立を阻害する素因があった。 >>想像力、フォーカス力

「(自説に都合のよい)手前勝手な解釈、ピント合わせ」。
0520ポッタン師垢版2019/03/11(月) 10:27:31.29ID:C6gpy13+
518.人が残る。
悟り、は残らない。
人間の世界を超える、ことはない。
なんでか。
0521神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 10:47:34.08ID:e3rCxqeS
そんな難しい話じゃねーよw

指月と一緒で、喩え話は指であって月じゃない。
そして、決して月には届かない。
ただそれだけの評。


話が見えてねーなら黙ってろ。  >>520
0522ポッタン師垢版2019/03/11(月) 11:55:39.29ID:C6gpy13+
521.簡単な話をしているバカである、ことになる。いばるな。
0523神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 12:26:51.49ID:fjtH97gu
物事を難しく言いたがるやつはバカである
と相場が決まっている
0524ポッタン師垢版2019/03/11(月) 13:17:01.52ID:C6gpy13+
523.対象が難しい、から、そうなる。
バカには理解できない。大爆笑である。
0525承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/11(月) 14:40:24.87ID:40bPUcdV
>>524
朝鮮人は朝鮮人とだけ話してなさい。
君達のロジックは日本でも世界でも、勿論仏教でも通じませんから。(笑)

(^。^)あ、キリスト教だけは「霊的に成長」したらオッケーらしいよ?(笑)
0526神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 15:08:25.65ID:YYWE4ajG
我(アートマン)はあるという想い
我(アートマン)はないという想い

こういう答えの出ない形而上のことにはブッダは頑なに無記を貫きまた見解を持たないことをモットーとし

ていたようです。

それはなせかはこのスレを見れば分かるような気がします。

我はあるという想いもないという想いもそれに固執すれば執着となる。
このスレでも想いを手放させない人が延々と議論(戯論)をしていてその終わりがみえない。
悟りの段階では本来は執着は手放さないといけないはず。

無我というのがもし彼岸に渡るための筏だとしたら彼岸に渡ったあとには捨てるものとなるはず。
我についても同じ。

【「中論」第一八章 アートマンの考察】

五 業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。

六 もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。
 ※ 中観派には<定説>というのがないのである。

七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。

八 「一切はそのように【真実で】ある」、また「一切はそのように【真実で】ない」。
「一切はそのように【真実で】あり、またそのように【真実】ではない」。「一切はそのように【真実で】あるのではないし、またそのように【真実】ではないのではない」―――これがもろもろのブッダの教えである。

九 他のものによって知られるのではなく、寂静で戯論によって戯論されることなく、分別を離れ、異なったものではない―――これが真理の特質(実相)である。
0527神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 15:25:50.68ID:e3rCxqeS
だから、
(一代も似たようなことを言ってたが)「非我でも無我でも、変わりない。どっちでも一緒」、
「有我でない」ということだけが了解できれば、それでいい、と。   >>526

ただ、それならば、
≪「無い」と言ってないから、あるんだー!≫
という言説も【容認】しちゃ駄目でしょw
0528神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 15:27:59.81ID:e3rCxqeS
こういう流れになった時、
結局いつも悪者にされるのは「無我(非我)」サイドなんだよね・・。

「あるんだ〜」と叫び続ける奴らは御咎め無し、とw
0529神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 20:39:50.47ID:e3rCxqeS
って、単なる言い訳自己弁護かw


けど、宝珠の「一在家化」が、腹立つんだよなぁ・・w

隠居の方が、まだ 『世俗の生き様肯定』 という面で、一目置けるんだが、
宝珠の 『「不公平は許せん!見返りを求む!」的願望』 は、眉を顰めざるを得んわけでね・・・。
0530神も仏も名無しさん垢版2019/03/11(月) 23:28:43.58ID:3eGkEiVA
>>517
いやいや、宝珠は窓ガラスまで行ってないと思うよ。
宝珠は「無我から脱する」という言い方をよくするけれど、これは「真我アートマン」が無い状態を、
「真我アートマン」が『有る』状態にしなければいけないと言っているわけで・・・
これは窓ガラスをクリア(空)にする、っていう、
類の話じゃないよね。

そもそも宝珠の目には、汚れか、汚れに代わる美しい付着物か、どっちかしか見えてないのよ。
窓ガラスが見えない。 理解出来ない。

仮に宝珠が窓ガラスを真我アートマンだと思っていたとしても、
それすら間違いなんだよね・・
なぜなら窓ガラスっていうのはあくまで空なだけで、本当の仏、或いは仏の世界は、
透明な窓ガラスを通して見る向こう側にあるわけだ。
だからお釈迦様は窓ガラスが有ると言っちゃいけなかったわけだ。
あくまで全ての物は無我、空。
それに徹したとき、初めて向こうの世界が出てくるわけだ。
向こうの世界は窓ガラスに一切干渉しない。
ようは窓ガラス上の「有る・無し」に関係ないわけだから、
一切表現出来ないわけだ。

窓ガラスとは別のたとえで言うと、たとえば、大海につながる蛇口があったとする。
パイプが汚れで詰まってて、大海の水が蛇口から出て来ない。
この汚れが、五蘊、色、ということになる。
五蘊が空っぽになったら、大海の水が勢いよく出てくることになる。
この時のパイプ、蛇口が、窓ガラスと同じであって、これ自体が真我アートマンってことじゃないんだよね。
真我アートマンを仮定するとしたら、蛇口から出てくる「大海の水」なんだよ。
宝珠が想定しているのは「立派な蛇口、パイプ」で、「大海の水」っていう頭は無いと思う。
そこまで洞察出来てないと思うよ。

この喩えだと、大海がブラフマンで、蛇口から出る水が真我アートマンってことになるのかな。
蛇口の水も大海と全く繋がってるわけだから、ある意味同一ということになる。
蛇口やパイプは径路であって、径路はあくまで空っぽ以外の何ものでもない。
「有る」と言ってしまうと蛇口やパイプの世界に何かが「有る」世界を作っちゃう。
窓ガラスの喩えでも、「有る」と言ってしまうと窓ガラス上に何かを作ってしまう。
あくまで「向こう側」は表現の範疇にないから。
0531神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 00:37:14.21ID:UpzJ9UTH
>>530
私の考えたアートマンを発表します、と最初に書いてくださいね。

>パーリ増支部に、「比丘たちよ、この心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩(客塵煩悩)によって汚れている」とある(いわゆる心性本浄説)。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84

これだと汚れを取り除いた透明だがキラキラしたガラスそのものが光り輝く心と見做すこともできるでしょう。
そして恐らくは宝珠氏はその自性清浄をアートマンと同一のものと見做している。

巷に流布しているアートマンの理解では、それは間違いではありません。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/a6/7a1e2fddee54ab95232b91b8ce38ac47.png
https://www.haraacademy.jp/wp-content/uploads/sites/22/zu.gif
これらの図の真我は言わずと知れたアートマンであり光り輝く心、それを取り巻くエゴや無意識などが汚れであり煩悩、ということになるでしょうか。

もっとも、アートマンの定義は人それぞれだと思います。

だから私の考えたアートマンはこうであると、あくまで自説であることを最初に書いた方が誤解がなくていいのです。
0532神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 00:46:09.72ID:hWUwZC6h
だから、

 ( >自性清浄をアートマンと同一のものと )

そういう思考の方向性が、そもそも「反仏教」だと指摘されるのです。  >>531
0533神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 01:00:30.24ID:UpzJ9UTH
>>532
それはその通り。
それをアートマンと認めたらブッダがアートマンの有無について沈黙を貫いていたことが無意味になりますからね。

っていうか、そもそもこの自性清浄が果たして本当に仏説なのかどうかは怪しいとされてはいます。
まあそういったら何が仏説なのか、小乗も非仏でないのか、などと切りがなくなってしまいますが。

ただし、その増支部にある自性清浄の考えと巷で流布しているアートマンの考えは良く似ている。
まあ違いというと、自性清浄の心は形成されたものでアートマンは無為で不滅のものという違いはあるいはあるのかもしれません。
0534神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 01:29:33.47ID:EF7uVzLO
>>531
引用専門のものです、と最初に書いて下さいね。
そして、その引用を、自分なりに勝手に解釈します、と
付け加えてくださいね。
0535神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 01:31:25.23ID:EF7uVzLO
ガラスが勝手にキラキラ輝くか。
ガラスに光が当たってんだろうが。
0536垢版2019/03/12(火) 08:10:55.51ID:VHWDpapd
宝珠さんが無我なれば輪廻するという言い回しを4年前から考えているが
唯物論のような感じがする

立花 隆 リポート 臨死体験
https://www.youtube.com/watch?v=epC5n0F5rEA&;t=67s
このリポートによれば、意識が輪廻すると言う言いまわしの方が妥当じゃないかと思う
議論の対象にはならないと思うがとりあえずアップしておく

>>535
荘子 『荘子』齊物論第二 胡蝶の夢
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。
荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、
自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。
しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。

>ガラスが勝手にキラキラ輝くか。
>ガラスに光が当たってんだろうが。
ガラスが勝手にキラキラ輝くか。
私がに光が当たってんだろうが。

ここでは議論の対象にはならないと思う
0537神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 08:35:42.88ID:EF7uVzLO
もう仏教じゃねーじゃねーか、何なんだよ
妄想はよそでやってよ
議論の邪魔だよ
0538垢版2019/03/12(火) 08:48:49.93ID:VHWDpapd
行き過ぎることもなく、おくれることもなく、世界における「この一切は戯論(虚妄)である」と知って
修行者は、此の世と、彼の世を、捨て去る。蛇が古くなった前の皮を(捨て去る)ように

0539垢版2019/03/12(火) 08:57:27.53ID:VHWDpapd
お邪魔虫は退散しますw
0540神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 09:14:07.68ID:3hOx/R8x
>>535
>>530において

海の水が蛇口を捻ったりするものか。
(蛇口を捻るのは人間だとか瞑想だとか言ってはいけない。ブラフマンは自分の意志でアートマンに分かれてこの世に降りてくるのであって人間がどうこうできる存在ではない)
水に意志などないだろうに。

仏の世界と衆生の世界は透明なガラスで分離されててガラスを割ったりして除けなければ仏の世界に渡れないのか。


まあ例え話など素人がするものではありませんねw
つられてしてしまった私も反省してますw
0542垢版2019/03/12(火) 11:07:55.06ID:VHWDpapd
お邪魔するほどお邪魔してないぜ
三レスだ
おっと4レスになったwww
0543神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 11:17:43.69ID:nX7MEUuG
>>542
>宝珠さんが無我なれば輪廻するという言い回しを4年前から考えているが
>唯物論のような感じがする

こういう次元で話が進んでないって事な。
余計な口出しなんだよ。
0544垢版2019/03/12(火) 11:20:29.94ID:VHWDpapd
それはすまなかった
で、どういう次元なんだ?
0545宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/12(火) 11:31:59.98ID:IZ/qArFy
>>491承狂
>ところで、宝珠は>>351で話は終わったんかな?(笑)
>要するに根拠は「地球ではこうだから、他の惑星でもそうなの!」ってだけ?(笑)
>それで「考察した」ことになると?(笑)
>科学的には様々な可能性が考えられてて、その一つの試案として上げられたにすぎない論理を「根拠」にしたのは、
>つまり宝珠の脳内だけで通用する「科学的根拠による考察」ってことで宜しいんだね?(笑)

あのね...
科学的に様々な可能性が考えられているのは当然のことですが、
けれども、「この地球のような惑星はどこか他にも存在する筈だ。
あとは発生確率の問題と実際上の発見確認の問題だ」とするのが、科学者たちによる見解の一般的な主流ですよ。
だから、生命探査ということを目的にしてロケットだって打ち上げているわけです。
そして、私もその見解には同意するということです。ただし、この私は一定の法則の下に必然のことであると見なしているけれどね...。
とにかくもう、読解力のない人相手にこの話はこれで最後としますから。
あとは勝手にやって下さい!!

参考:
 (【解説】宇宙生命探査、次はこうなる/地球似の惑星はいっぱい)
  https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/050100166/
『生命の居住条件を備えている可能性があり、天の川銀河で最もありふれた恒星である赤色矮星の周囲を回っている惑星は、
600億個にのぼる可能性があると最新研究が示唆した。これは従来考えられていた数の2倍だ。』
  https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8127/
0546宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/12(火) 11:38:57.61ID:IZ/qArFy
>>503
>宝珠さんに質問だけど --中略--
>クレームさんはUFO問題はどういう考えなの?

 クレーム氏の見解によれば、この地球に来訪している宇宙人は主にこの太陽系内からのものであり、特に金星と火星からのが最も多いと
いっています。ただし、彼らはエーテル体であり、想念エネルギーとエーテル質料で創造されたUFOを使用しているので、通常、我々には
不可視なのです。彼らが意識的に波動を下げた時にはじめて我々の視覚に捉えられるのであり、そして、再び波動を上げると一瞬にして、
また視界から掻き消えてしまう。
 ミステリー・サークルというのは、この惑星の放射能悪影響の緩和などのために、彼らに拠って創られています。彼らは、この惑星ハイ
アラキーと連携して働いています。尚、クレーム氏によると邪悪な異星人というのは、現在ではブロックされていて来られないようになっ
ており、その種の情報にはまったく信憑性はないとのこと。

 私自身も過去には数回ほどUFOらしきものを見ており、その中でも特に、この二つの出来事は100%本物との確信を持ちます。一つは、35
年くらい前のとある夕方でしたが、街を囲む山なみの低空をゆっくりと飛行する長さ数百メートルはあろうかという巨大な円盤型でオレンジ
色に発光していた。これを当時の職場の同僚と仕事帰りに二人で目撃した。会話はたったこれだけでした。「おい、見えてるよな?」「あぁ..
見えてる。あれは間違いないよ!」。もう二人して、この世のものでないものを遂に見てしまったくらいの大ショックでした。
 もう一つは30年前くらいで、私一人だけの目撃でしたが、ビルの横でフラフラと太陽光を反射して浮かぶ金属物体でした。これは数十秒〜
1分ほどして一瞬で掻き消えた。私からは、かなりの至近距離でその形がハッキリと見えていた。それは揺れながら、ゆっくり回転していた...。
 まっ、宇宙人なんて、とっくの昔の数百〜数千年以前からこの地球に来訪しており、そして、地球にも住み着いてるでしょうね。
だから、私にとっては、「居るの居ないの?」じゃなくて、そんなものは“当たり前の常識”の話に過ぎない。
0547宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/12(火) 11:44:48.68ID:IZ/qArFy
---お・知・ら・せ---
久しぶりにかなりの人数が湧きましたね。これは大盛況!!(笑)。
次に時間ができたら、無我に関して投稿するつもりでいますが、
できましたら、真面目に討論する気のある方にはコテハンの使用をお薦めしたい(このスレ上だけのものでもOK!)。
何故なら、いつも「それはオレじゃないから」とかいって誤魔化して、ゴチャゴチャになるからw
全員、完全に論破するつもりでいるから、そのつもりでいて欲しい。、

それから、論破された人はそのことを素直に認めて、
「はい、わかりました」とか、「訂正します」または、「今後については検討します」等々、
一言、何かしら挨拶をしてからこのスレを立ち去るように。
いつも、いつの間にか幽霊のようにスゥ〜と居なくなる人ばかりだから。
ということで、それでは宜しくお願いします!
0548スジャータ大山垢版2019/03/12(火) 11:54:49.95ID:nX7MEUuG
>>544
その程度の事は言わずもがな、スレを読んで察知しろよwww

このスレは”伝統仏教的な視座 VS メタ仏教的な視座からの論争”と思ってる。

もっとも、宝珠さんはメタ仏教的な視座と言われるのは嫌がられるかもしれないけど。
唯物とかそんな(低次元の)論争ではない。
0549垢版2019/03/12(火) 12:13:39.40ID:VHWDpapd
>>548
俺は違うね
輪廻転生というものがあるのか
それは無我だからか、我があるからなるのか
単純にこれだけだだよ
文献を己の志向に合させてアップする
だから複雑にもなるし討論にもなるんじゃないか
0550承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/12(火) 12:16:50.13ID:D8CauT0N
>>545
「その見解に同意する」

なんて話じゃあなかっただろ。(笑)

>>301
「では、何故に何処の銀河においても、やがて無機物から有機物が生じて、
最後には意識を持つようになるのかをまともに考察してみなさいな!」

これの何処が「その見解に同意」なんだ?(笑)

あと、>>275の「主張」とやらがどれだけバカな妄想かの説明もしてやったが、

(^。^)お前はそんな風に何も理解出来ないから、これからもツマラナイ妄想で他人様に迷惑かけ続けるんだろうね。(笑)
やっぱ本当は朝鮮人だろ?(笑)
0551スジャータ大山垢版2019/03/12(火) 12:23:11.19ID:nX7MEUuG
>>549
???

それが”唯物論のような気がする”とどう文脈がつながるんだよwww

こんなくだらないことで話を拡散すると、このスレの住人の本筋から離れてしまうから、これ以上の議論は望まない。

タの反証で打ち切らせてもらう。
0552宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/12(火) 12:45:59.31ID:IZ/qArFy
>>503
>>546追記:
近年の石川氏による講演は、
貴重な“UFOの最新情報”が満載ですよ(これが中心の講演ではないですけれど)。
タイミングがよければお気軽にどうぞ! 質問もできます。

★2019年 石川道子特別講演会★
 仙台: 5月12日(日)14時から(開場13時) 日立システムズホール仙台 交流ホール
 名古屋:5月21日(火)18時から(開場17時) ウィンクあいち 2F 大ホール
 大阪: 5月25日(土)14時から(開場13時) 大阪市中央公会堂 大集会室
 東京: 6月2 日(日)14時から(開場13時) 東京・有楽町朝日ホール(有楽町マリオン11F)
  (石川道子プロフィール)
   https://sharejapan.org/ishikawamichiko

>>550
いやいや
己れの未熟を指摘されたからといって、あなたも随分とシツコイなぁ...(苦笑)

科学者たちが、他の天体にも知的生命体がいる筈だと、
そして、「恐らくはいるだろう」という見解に立っているということはだ、
つまり、“無機物(鉱物)→有機物→生命→意識→知的生命体”という、
「この展開はどこの天体においても必然だ」とみているということでしょうよ。
だから、そのことを私は認め、これは一定した法則の作用だろうと私はいってるのです。
では、この流れに拠らない知的生命体を想定している科学上の理論というのが何処かにありますか?
もしも、例えあったとしても、それはかなり奇想奇抜なものであって、とても科学的な主流ではないの。
---お・わ・り---
0553承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/12(火) 13:05:47.94ID:D8CauT0N
>>552
全く理解力がない人だね。(笑)

「恐らくは居るだろうという見解」

「何処の天体でも必然」
というのは全く違う話。
お前が大好きなドレイクの計算式でも「生命が発生する確率」と「知的生命まで進化する確率」を変数に入れてるだろ。(笑)
「何処の天体でも必然」なんて妄想は非論理的かつ非科学的なんだよ。(笑)
バカカルトや朝鮮人と同じで、
「ボクの考えた科学的」とか「ボクの考えた仏教」なんて話は、仲間内だけにしてくれよ。(笑)

(^。^)「まともに考察してみなさいな。」(笑)
0554宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/12(火) 13:37:54.32ID:IZ/qArFy
>>553
いやいや...
頼むから、もう終わらせてくれ〜!(苦笑)

あの〜まさかとは思うけれど...
「何処の天体でも必然」とは、もちろん、【すべての天体にて生命が発生する】という意味ではないですからね。
もしも、そんな風に読んでいたのならば、読解のほども大概にして欲しいわ。
知的生命体が発生する場合には、それは何処であろうと必然的に、
この展開<“無機物(鉱物)→有機物→生命→意識→知的生命体”>を経ることになる、という意味ですよ。
だから、これを法則だといってる。後は、その発生確率と遭遇確立を問題とする理論だということをいってる。
もちろん、科学的にはただの“想定”に決まってるでしょ。これを事実確認するのが観察や実験(探索)だということになるわけだ。

しっかし...
あなたにはちくいち、一から百まで言葉にしないと伝わらないのか?
相手の投稿が読めないから、もう絡まないでくれるか!!!
0555宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/12(火) 13:44:15.76ID:IZ/qArFy
>>554
訂正:
 もしも、そんな風に読んでいたのならば誤読のほども大概にして欲しいわ
 (そんな意味で書いてるわけがないだろうが! そこを勝手に勘違いして鬼の首でも捕ったつもりなのか? アホか!!!)。--中略--
 相手の投稿が読めないなら、もう二度と絡まないでくれるか!!!
0556承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/12(火) 13:50:07.77ID:D8CauT0N
>>554
はい、いいでちゅか〰。
「必然」とは、必ずそうなる、つまり、「明日は日が昇る」とか、「手を離すと物が落ちる」なんて話なんでちゅよ〰。
「発生確率」は、そんな風に成る場合がどのくらいか、
つまり、大好きなドレイクの計算式では「知的生命まで進化する確率が0.01」
でちゅから、
全く同じ環境の惑星100個あっても、知的生命まで進化出来るのは、その中の一個だけ、
なんでちゅ〰。(笑)
わかりまちゅか〰?
100個の中の1個だから、「必然」じゃあないでちゅよ〰?
ちょっと難しかったかな〰?(笑)

(^。^)この程度の簡単な話が解らないなら、仏教哲学なんて手を出すなよ。(笑)
0557承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/12(火) 14:13:09.72ID:D8CauT0N
>>554
「ただの想定」なのに、
「何故に何処の銀河においても、やがて無機物から有機物が生じて、
最後には意識を持つようになるのかをまともに考察してみなさいな!」
なんてバカな事を書いたんだろうね?(笑)
そして、
「知的生命体が発生する場合にはー」とか「ただの想定」とか話を変えようとしてるが、
そんな態度でよくもまぁ、他人にケチを付けられるね。(笑)
しかも「法則」とか、また馬鹿な事を書いてるし。(笑)

(^。^)辻褄合わせたつもりになって勝利宣言とか、馬鹿ん国と同じだね。(笑)
0558承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/12(火) 14:19:24.66ID:D8CauT0N
ひょっとして、宝珠の言う「法則」って、「マーフィーの法則」みたいな「ボクの考えた、よくありそうな話」って意味かな?(笑)
それならそう但し書きしないとね。(笑)
どや顔で「ボクの考えた」シリーズを書いて仏教云々とか言われてもね。(笑)

(^。^)馬鹿かと。(笑)
0559承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/12(火) 14:57:07.34ID:D8CauT0N
>>552
ドレイクら「宇宙人がいる確率はこれくらい、かもしれません。」

宝珠「宇宙人はいる!そして進化はこう!これが法則!根拠はドレイクの計算式!」


(^。^)お分かり頂けただろうか?(笑)
0561垢版2019/03/12(火) 18:13:22.13ID:VHWDpapd
>>551
俺のことはどうでもいいだが
大山さんはどっちの立ち位置で理論を展開しているんだ

>638 スジャータ大山 sage ▼ 2019/03/12(火) 15:49:54.96 ID:nX7MEUuG [66回目]
>訂正
>余談ですけど、阿頼耶識が有根身(肉体)を認識すると有情となり、認識を離れる(=死)と有根身(肉体)無情となります。
>余談ですけど、阿頼耶識が有根身(肉体)を認識すると有情となり、認識を離れる(=死)と有根身(肉体)は無情となります。


阿頼耶識縁起
…すなわち無明を究極原因とし,生・老死を最終結果とする十二の因果の連続体がわれわれ有情(うじよう)のあり方であり,
そこにはなんら固定的・実体的な自我(アートマン)は存在しないという。
原始仏教いらい説かれるこの十二支縁起を〈業感縁起〉といい,
これと,大乗の瑜伽行唯識派の〈阿頼耶識縁起〉,如来蔵思想の〈如来蔵縁起〉,
華厳宗の〈法界縁起〉とをあわせて四種縁起とよぶことがある。【横山 紘一】

[日本における縁起]
 〈縁起〉の語義の解釈には諸説があり,その推移をたどることはさながら仏教教説史を説くことになる。…

結局のところ輪廻するというこですかね?

識は輪廻する

般若心経じゃ
色即是空 空即是色
五蘊即是空 空即是五蘊
識即是空 空即是識

無我が輪廻する
我が輪廻する

いや難しいですねw

まぁ、これだと輪廻前程になってしまいますけど
0562スジャータ大山垢版2019/03/12(火) 18:21:05.74ID:nX7MEUuG
>>561
了解。

返事は、”悟りを開いた人のスレ”に書きます。

晩御飯の用意があるんで一寸時間をください。
0563垢版2019/03/12(火) 20:44:08.74ID:VHWDpapd
>>690
どうもありがとうございます。

>つまり、生滅を繰り返しその都度微妙に変化しつつも相続される非連続の継続体が輪廻しているという見解です。

>余談ですけど、阿頼耶識が有根身(肉体)を認識すると有情となり、認識を離れる(=死)と有根身(肉体)は無情となります。

生も死も一時のくらいなりですかね

輪廻転生に興味のある方は、やはり死んだあとの行く末に興味があるから
書き込むんじゃないんですか

しかし
瞑想の達人も禅の達人も
即今であり永遠の今ということを言っています
これなら十分にわかります

<(_ _)>
0564垢版2019/03/12(火) 20:45:48.69ID:VHWDpapd
あっ、間違えたw
すいませんでした
0565神も仏も名無しさん垢版2019/03/12(火) 22:39:46.48ID:f+ibtzVh
犬山さんの立ち位置は、立ちんぼに中出し3発じゃ。
本人必死で否定してたがID同じじゃ
0566スジャータ大山垢版2019/03/12(火) 22:47:10.24ID:a6Pj5O8g
>>565
何年前のはなしだよ?

それ、お前がスレをねつ造したんだろ?
結局リンク先言えなかったじゃん。
また、ログ記録からも俺ではない事を証明したろ?

オーム信者のやりかねない卑劣な事だな。
0568神も仏も名無しさん垢版2019/03/14(木) 16:17:48.84ID:A5B4SrLu
>>546

宝珠さんありがとうございます!
だいたい自分が別の方面から研究した見解とクレーム氏の話は一致してる感じですね
UFO目撃譚はスゴいですね
やっぱり見てるか見てないかは結構違いますよね
自衛隊の人も結構見てるらしいですからね
かなり参考になりました!
特に議論するところもないのでこのまま失礼します(笑)
0569宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/14(木) 16:23:55.71ID:C6zmyeP7
すみません。もう、1〜3日時間もらいます <(_ _)>
0570宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/14(木) 16:29:37.60ID:C6zmyeP7
>>568
>自衛隊の人も結構見てるらしいですからね

ええ.でしょうね。
航空自衛隊に民間機パイロット(こちらは正直に報告してると身分がヤバくなります)もそうです。

は〜い、また宜しくどうぞ!!
0571糞レス代行業垢版2019/03/14(木) 17:06:00.51ID:0rHK8j1S
★☆★書き込めない人のレス代行します929★☆★©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/entrance2/1481358362/25

25 名前:おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o [] 投稿日:2019/02/07(木) 22:36:43.62 ID:g0kr2yeK

BBx規制で書き込み出来ないので
よろしく
お願い致します

【スレのURL】https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413

【名前欄】おじゃる?

【メール欄】なし(からあげ)

【本文】↓

おじゃるは
書き込み規制対象者になったようなので

ひだ =^・ ・^= まり
http://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2

こちらに
レスを書いて置くので、よろしくお願い致します m(_ _)m
0573宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/18(月) 04:24:19.03ID:eSz3sGGL
お待たせしていますが...
各レスを有る程度書き上げたので、
投稿は、本日の夜間にします。
0574神も仏も名無しさん垢版2019/03/19(火) 02:04:33.65ID:Xqx/Ssni
宝珠さん、無理しなくていいよ
前のレスは忘れて、また新たな話題でやればいい
0575宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 03:58:45.69ID:mEt+3uV1
ゴータマ・ブッダの教えというものは何か? というと、
これは“正しいバラモン”とは何か? そして、“正しいバラモンとなる”ための道を説いたものだということになる
(『スッタニパータ』を参照のこと)。であるから、これは本来、ある意味ではバラモン教の一派だということになるのです。
ただし、ヴェーダの伝統に沿わないゴータマ独自の手法であることから、伝統バラモン教からは“異端派”だということになります。
そして、これが後に、「仏教」として見なされるものとなったのです。

〜と、宝珠的な“前振り”をしつつ...
 いよいよ本題へと入っていきますけれど。

●伝統仏教の教義を信奉するあなた方の理解によれば、
 1.「無我」とは、“アートマンが無い”ことであり、
 2. アートマンは無いから、輪廻の主体(基体)は何か? については、アレかコレか? と永延と混迷を続け、
   中には、「アートマンが無いなら輪廻する筈がない」と、勝手に輪廻否定する者まで出てくる始末...。
 3. そして、「涅槃」という境地は“苦の滅した世界”であり、それは“一切すべてが「無我」であり、
  「空」であるとして見ること”によって達成されるものと説く。当然、その「涅槃」の境地そのものも
  「一切」(一切法)に含まれるから、従って、涅槃も「無我」であり、「空」の状態であるとしてみる。

あなた方の95%以上か、
或いは、ほぼ全員が上記の内容の認識にあるということで宜しいでしょうかね?
(果たして、「いや、わたしは違うぞ!」という人がいるのかどうか?...)

この私、宝珠の理解によれば、
この1.2.3の理解すべてが完全に間違っています。そう、まったく違う!
これら仏教についての重要かつ根本部分を大きく誤認しているために、全仏教教団においては遂に、
ゴータマ王子の入滅以降〜唯一人も完成者たる仏陀を輩出することがなかったのです(阿羅漢はブッダではない)。
このブッダの残した尊い教えが教団から消滅してしまう(正しく理解されない)ことについては、
ブッダはとっくにすべてお見通しであって、そうなることについてはブッダの予言として、
この言葉(>>291『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5)を残れています。
0576宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:02:05.50ID:mEt+3uV1
尚、そうなってしまった原因は単純であって、
単に経典の記述(教え)に従っていないからであるとするのが、この私の主張というものです。
現存する仏教教団のすべては完全に部派仏教時代に形成された教義(アビダンマ)に依存しており、
これ(この教義)が経典の記述と矛盾している、と。
従って、改善されるべきこととは部派仏教の教義の間違いに気付いて、ただ素直に経典に正しく従うということ。
ただそれだけのことです。

○伝統教団の教義1.2.3.に対する私、宝珠の見解 (参照:>>275) は、
 1.「無我」とは、アートマンが無いことではなくて、それらは“「アートマンではない」(正しくは「非我」)
  「アートマンではないものをアートマンと見なすなかれ」”というもの。これは全く異なる意味です。
 2. ブッダは輪廻主体を「識」であると教えました(『ディーガ・ニカーヤ』15.55-71)。
   ただし、これをアートマンと見なしてはならない、ということ。何故なら、アートマンは輪廻しないからです
   (ヒンドゥーにおいては、アートマンは輪廻しないものと説く)。
 3.「涅槃」は「無我」ではなく、「空」であるということもない。無我/空は現象界の性質についてであって、
  「一切法」にのみ限定される。そして、この「一切法」には「涅槃」は含まれていない。勝手に含めたのは部派の所行です。
    
※ 尚、今回の議論においては、“輪廻転生”の有無(ブッダが説いたかどうかも含め)については“深入りしません”。
 話が広がり過ぎてしまうことを避けたいがため、あくまでもキーワードとしての「無我」を中心テーマとします。
0577宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:04:36.64ID:mEt+3uV1
>>574
ご親切に感謝しますm(__)m
でも、書き上げたので(その分は)順次アップしていきます。

それから、新しい参観者もきているようなので、一応、念の為に話しておきます。
確かにこの私は、個人の神智学徒の一人ではありますが、しかし、まるで何か仏教を神智学に利用しようとしているとか、
ブッダの権威を利用しようなどというものではありません。
元々、宗教について特に関心の無かった私が、一番最初に出逢ったのがブッダの教えなのでした。
それにより、当時の未来に失望していた私は生きる希望を得たのです。
しかし、学習が進むにつれてすでにブッダの正しい教えは消失しており、それを修得できる教団はないという見方を持つようになりました。
ヒンドゥーや、そして神智学へと傾倒していったのはそれからのことです。
私の仏教理解というのは、あくまでも私が個人的に学んだ“近代仏教学的な理解”が中心であって、
どこかの神智学系から学んだなどという事実はありません(教えているところはないでしょぅ)。
そういうのは、まったく事実無根の中傷です。

---激論!!---
「無我」とは、“アートマンは無いこと”なのか?
それでは5chで論決するまで参ります♪
       (大好きな朝まで生テレビ!風で〜すw)

尚、複数人を相手にしての労力上...
スミマセンが、一つ一つの投稿に対してなるべく順次、一つずつ向き合って返答するような姿勢でいきたいと思います。
なので、同じような内容が重複投稿されることもあるので、ご了承を願います(繰り返す方が分かり易くなるでしょうし)。
それから、「下の方/新しい投稿では、ちゃんと○○といってるのに〜」...という不平もあるかもしれませんが、その辺もお許し願います。
また、自分宛てではない別のレスで解答となる私からの投稿もあったりするものと思いますので、
どうぞ、なるべく自分宛ての投稿ではなくてもすべてに目を通されることをお薦めします。
0578宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:06:12.49ID:mEt+3uV1
>>469
>通仏教的には、無我でも非我でもどっちでも、何の変わりもないわけで、

いやいや、
そういうのは学者の解説が気に入らないという伝統仏教寄りの言い訳ですよ。

で、ここがとても重要ポイントなんですよ。
どっちでも変わらないどころか、これはまったく異なった見解なのです!
「我は無い」と「我ではない」とでは、まったく全然違う意味となります。まず、「我は無い」という場合には、
これは我の存在の有無そのものを論じているのであり、これは存在そのものが(最初から)無いということをいっている。
しかし、ブッダは“アートマンの有無について”といった形而上学的な態度はまったく示さなかったのです。
だから、これがアートマンについての無記です。もちろん、これは“「アートマンが無い」などと説くということはない”という意味です。
これに対して、「我ではない」という場合には、それはただ「(アートマンとは)違うよ!」と教えているだけであって、
当然、これも「アートマンが無い」などということにはならない。
つまりこれは、別の何処かにアートマンが在ったとしてもそのまま通用する言葉なのです。
そしてブッダは、アートマンの有無については示さなかったので、当然、「我は無い」という意味で無我を語るということはあり得ないのであって、
あくまで、「それらはアートマンではない。アートマンとは違うものだ」といっているまでのこと。だから、この両者は完全に異なったものです。
なので、誤解を避けるために、この教えは「非我」(アートマンにあらず)とするほうがより正しいものとなるのです。

>>472-475
概ね.同意しますよ。特別に反論ということはありません。
ただし、“涅槃は違います”。実体無きものをすべて払い去った後にそのことを覚知する自己があるからです(ウダーナ)。
違うとするならば、それは“個としての固定概念”が消失(超越)し、あらゆるすべての全体と融合した、“
他との分離意識の消えた超絶的な自己”です。なのでこれは、いわゆる“自我(分離した個としての意識)の無い状態”です。
確かに、そういう意味での自己(アートマン)というのは完全に無くなります。
0579宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:07:58.16ID:mEt+3uV1
>>480
>自己矛盾を起こしていることを気づかせるだけでいい。

すべてこちらのセリフです。
はい、私もそのつもりで投稿していきますから。

>>481
>もうこの文章自体がおかしいでしょ。
>何が無常なんですか?  無我だったら無常なものはないでしょ。
>何が輪廻するんですか?  無我だったら輪廻の主体が無いでしょ。
>何が苦悩するんですか?  無我だったら苦悩の主体が無いでしょ。
>無我だから苦悩するってw  何が苦悩するんだよ?
>何もないじゃないか。

「無我」とはいっても、何もない(無)という意味ではありませんからね。
それらはアートマンではない。自己の本性ではないということです。
「無自性」(それ自体で存続しているものは何もない)であるすべての事象というのは、
ただ縁起して流転変滅を続けているだけだということです。
何一つとして恒常不変のものはなく、絶えず移りゆき変化していく...と。
だから、現象界の性質は無常(「常」に在るものが無い)だということ。
物質というものは無常で流転変滅を続けるということであり、人間においては輪廻しているという意味になる。
輪廻主体は五蘊の「識」であり、これが「名色」と結びついて結晶化する(母胎に意識として宿る)のです。
苦悩を感じているのはパーソナリティであり、五蘊の諸性質によるものです。

>衆生は無我になれないから、自分の身体は実体があると思ってるから
>輪廻するんだよ。 無我になれないから苦しむの。

「無我になろう!」などという教えはブッダは説いていません。
それは禅が勝手に言い始めたものに過ぎません。
ブッダの説かれた無我の意味はまったく違うものです。
精々、近いものとしては「我執を捨てなさい」ということ、それについては説かれた。
0580宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:11:33.53ID:mEt+3uV1
>涅槃は無我(空)なわけ。
>すべてが空(無我)になるから涅槃になるのよ。

最初から、今このままで「空」ですよ。
「空」とは、現象界の事象のすべてに実体的な本質はないということを意味しています。
だから無常であり、無常だから苦を生じるのであり、輪廻しているのです。
涅槃はその状態から解脱することです。
従って、解脱した先がまた「空」の筈がありません。それでは解脱してないじゃないですか。
いわば無我の状態(自己の本質を見失っている状態)から解脱するのです。
だから、その解脱した先の涅槃が無我のわけがない。

>はぁ?  無常が業報輪廻??
>無常は「今」を現してるんだよ。
>前後裁断なわけ。
>無常は 「あらゆるものは(実体として)続かない」 ってことなの。

恒常ではなく、流転変滅を続けるということが「無常」です。
人間においては、これは輪廻転生となる。

>だからね、空=無我=無常=中道=縁起 なのよ。
>=苦 って何だよ?w
>空=苦 って、「苦」は「空」を表わすのか・・?
>苦しみもがいてる人は「空」を表わしてるのか?

「中道」は意味が違うから。「空=無我=無常=縁起」これだったならば図式としてはまったく問題ない。
「空」だから「無常」なのであり、無常だから「無自性」なのであり、それは実体的本質の無い状態が「空」だということになるのです。
従って、実体的な本質(価値)のないものを求めているから苦悩が生じているであり、その「空」の状態にあるところにおいて「苦」はあるのです。
だから、「無自性/空/無我」なのです。これが「苦」の生ずる世界です。

>無為法が「在る」って言ってるのは本物の仏教じゃないから。

確かに、「有為法/無為法」というそれ自体はアビダンマ哲学ですからね。
そのアビダンマ教学の間違いを指摘するために、敢えてこれを採り上げつつ説明してるのです。

ところで、あなたはそもそも自分で経典(原始経典)を読んでますか?
0581宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:14:43.92ID:mEt+3uV1
>>488 >>494承狂
>へぇ?(笑)
>釈尊は「真実の自己の追求と具現の必要」なんて説かれたんだ?(笑)
> (^。^)釈尊の説いた教えとしてデタラメを言うだなんて、宝珠も堕ちたもんだ。(笑)

あなたの突っ込みは、すべて結果的にあなた自身の無知を露呈して恥をかくものですよ!
>>493も基本的な理解ですよ。

 『---真実の自己の探求---
 ゴータマ・ブッダが、サールナートで初めて法を説かれてから、ブッダガヤーに向かって遊行する途中のことでした。ゴータマ・ブッダは道から
それて、ある密林の方へと深くわけ入って、とある樹木の下で坐っておられました。
 そのとき三十人ほどの青年たちが、夫人同伴でやって来て、一緒に遊び楽しんでいました。しかしその中の一人の青年には妻がなかったので、か
れはやむをえず遊女を連れて遊びに来ていました。ところがかれらが遊び楽しんでいるうちに、この遊女が持ち物を盗って逃げてしまいました。
そこでその背年は、他の青年たちと一緒に、遊女を探しながら、密林を徘徊しているうちに、ゴータマ・ブッダが、樹下に坐っておられるのを見つけ、
ゴータマ・ブッダに近づいて、女を見かけなかったかどうか、を尋ねました。かれらが事の次第を話したところ、ゴータマ・ブッダは、青年たちに向
かって、
0582宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:16:10.31ID:mEt+3uV1
 「青年たちよ、..…きみたちが女を探し求めるのと、あるいは自己を探し求めるのと、きみたちにとってどちらが勝れているのか」
 「自己を求めることの方が、われわれにとって勝れていると思います」
 「それでは坐りなさい。きみたちのために教えを説いてあげよう」
 「尊い方よ、かしこまりました」(「律蔵・マハーヴァッガ」一四・三)
と言って、四つの聖なる真理(四正論)などについて教えられたと伝えられています。しかしこの探し求めるべき自己は、欲望の燃えさかる我執に満ち
た自己ではない。このことは、ゴータマ・ブッダの遺言といってもよい言葉が残されています。
 「この世で自己を島とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をより
  どころとして、他のものをよりどころとしてはならない。」(二六)(『大パリニッバーナ経」
が伝えられております。これは漢訳の仏典で「自帰依、法帰依」、「自灯明、法灯明」と言われる言葉と同じで、他人を依り所とせず、自己を依り所と
すること、仏陀が説いた真理(法)を依い所とすること、を意味しています。
 その自己はあくまでもゴータマ・ブッダが生前に明らかにされた宇宙の真理、理法と合致する自己であり、我執、無明にまみれた自己ではないこと
は明らかです。これがゴータマ・ブッダの人生の最後の言葉であるだけに、ゴータマ・ブッダの真意をここに見ることが出来るのではないかと思われ
ます。ゴータマ・ブッダの目指したものは、真実の自己、本来の自己を実現することであったのではないでしょうか。 』
(第三七回光華講座『今ならブッダは何を語られるでしょうか? 』前田 專學著)

 『“アートマンをアートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ”“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ〈attanam gaveseti.〉”』
(『マハーヴァッガ』T.13)
0583宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:17:28.87ID:mEt+3uV1
 『自己こそ自己の主である。一体、他の誰が主であろうか?自己がよく調御されたならば、かれは得難い主を得る。(160)。
自己こそ自己の主であり、自己こそ自己の依り所である。それ故に、商人が良馬を制御するように、自己を制御するがよい。』
(『ダンマパダ』380)。

『わたしは自己に帰依することをなしとげた。』
(『ディーガ・ニカーヤ』16/パーリ大涅槃経3.13)

 『なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、「わたしが語る」と言ってもよいでしょう。
また「人々が〔これこれは〕<わがもの>である、と語っている」と言ってもよいでしょう。真に力量ある人は、世間における名称を知って、言語
表現だけのものとして、〔仮りに〕そのような表現をしてもよいのである。』
(『サンユッタ・ニカーヤ』T, 神々との対話3-5)

>>489
>龍樹においては --中略--
>それが龍樹や般若経などが説く空です

私は、龍樹がブッダの教えの最高の理解者であるとか、
『中論』はブッダの教えと同じであるとしてはみていません。
むしろ逆であって、ただ勘違い者を増やし続ける迷惑なものであって弊害ばかりの産物です。
従って、私は『中論』の記述をブッダの教えの根拠としてみていないし、まったく評価もしていません。
0584宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:19:59.03ID:mEt+3uV1
>>490
>482が正しいからこそ、「文言非我、文脈無我」であり、
>アートマンを認める仏教なぞありえない、ということを証明する482だね (´∀`)b

いやいや..文脈からいえば、
尚更、「アートマンは無い」というものではなく、
寧ろその逆であって、アートマン存在そのものを前提にしてることがよりハッキリと浮き彫りとなっていますよ。

>>491承狂
>実際、>>275でも釈尊の説かれた「修行者にとっては時間の無駄でしかないから考える必要はない」話を、
>まるで、釈尊が「真実の自己」をわざと弟子に教えなかったように書いてるしな。(笑)
>そんな性格悪い人じゃあ、応供とは言われないよ。(笑)

“真実の自己を求めよ”という意味でのアートマンの教えは説いた。
ただし、形而上学的な実体を論ずることは時間の無駄ということであって、
それは、「ヴェーダの説くアートマンが無いから」ではない。
そうはいってないから。

>そして、三世兩重説こそが、「部派」の後付けであり、

それは後で、あなたがしっかりと論証して下さいよ。
まずはその根拠を提示願う!!

>勿論、意識界に於いて霊的な様々な事象はあるが、それをどうこうってのは天部の法であり、
>仏教、仏菩薩の法門はその一段上の教え。

(私は)そんな話はまったくしてない。

>>492承狂
>仏教はオカルト趣味のバカな妄想ではなくて

あなたの方こそ勝手な妄想ではなくて、
しっかりとあなたの主張の正当性を示すその根拠となる仏典の記述なり、
資料なりの引用をして説明を願う
0585宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:22:30.28ID:mEt+3uV1
>>493
良い資料に感謝します。

>>498
“絶対”というものはありませんけれど、
しかし私は、中村氏こそ(群を抜いて)最も優れた学者と評価しています。
直訳しかできない学者たちとはそもそも基本レベルが違う。
直訳というものは、原語の単語と文法ができれば誰でもできる(訳に間違いがないか程度は、原語比較ですぐに判明する話だ)。
しかし、中村氏のような深い意訳というのは、その何十倍もの幅広い見識(比較宗教学と古代インド思想哲学の知識)がなければ決してできない。
だから他の人には、中村氏の真似事は簡単にできない。

そして、中村氏の著作には、
伝統信奉者たちにとっては目を覆いたくなる“嫌な指摘や事実”が多いので、
だから、それを嫌う人がいるのだろうということです。

>>497
>二百歩譲って、最初期に非我だったとしても、
>律蔵大品の「60人阿羅漢の遊行開始時」に、
>「我(アートマン)の把捉」が悟りの基準だったとは到底思えず、

「真実の自己を見い出せ」と教えていたことは確かな事実でしょう。
ただし、バラモン達の説くアートマン論には全面賛成しないということに過ぎない。
で、それは「アートマンは無い」などという意味ではないから。
そんなこと説いてもいない。

>また、その後、我を見出した釈子は存在しないわけでね・・・。

はい、それは要するに、“アートマンの有無”について
確認できるレベルにも達してないからでしょうね。少なくとも、この私はそう見ていますよ。
仏教徒たちのレベルは(ヒンドゥーよりも)低いとね。

>>500
田上 太秀著『ブッダの自我と無我について』
この論文は、「アートマンは無い」という論調の伝統信奉者たちには特に広く読んで頂きたいものです。
>>280
昨年、18年にも新刊『道元のこころ』を出していることから在世には間違いようです。
果たして、連絡(メールや手紙等々)は可能なのでしょうかね?
分かり次第、質問状を送信したいと思います。
0586宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:42:46.68ID:mEt+3uV1
>>505
>言ってることが矛盾してるでしょ。--中略--
>それは、無我じゃなかったら恒常(有我)ということでしょ、文章的には。
>恒常ということは実体があるということですよ。

だから、バラモンたちとは全面的な同意はしないのです。

>もうこの定義がおかしいでしょ。
>色を「自己のものである」と思ってることが(有)我ってことなんですよ。
>本来、自己のものでないものを、自己のものである、と思ってることが有我ってことなんです。

だから、「それらは我ではない」と教えたのがブッダです。
それが無我の教えであり、正しくは非我というものです。
「我が無い」ではありませんから。

>色を「無我」と見れれば悟りなわけ。  わかる?
>色を「無常」と見られれば、「無我」だと気付くわけ。
>色の世界を苦と見られれば、それも悟りなわけ。
>「苦」が「無常」や「無我」と同一のものじゃないんだよ。
>「世界を苦と見ること」がある意味、悟りの境地なわけ。

その通りです。
だから、「涅槃は無我だ」なんて主張するのは止めなさいな。
0587宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 04:58:26.29ID:mEt+3uV1
>>506
>この文章から言うと、我々の今の境地は「色は自己ならざるもの(無我)である」っていう境地を
>達成してることになるよね?
>悟りの境地じゃないか。
>色は自分のものじゃないって突き放してるのに、何物も自己のものではないと空になってるのに、
>一体ここから、何から「解脱」するんだよ?
>もうすでに無我になって解脱してんじゃねーか。

達成してるのではなくて、衆生と凡夫の今の状態そのものをいっている。
だから解脱するのは、それら自己ではないものを自己と同一認してしまっている意識状態からの解脱ですよ。
なので、無我からの解脱です(そういう言い回しは仏教では使いませんけれど、
しかし、敢えてあざと極端に表現しているのです。それは、あなた方により違いが明確となるようにです)。

>宝珠は質問に答えないといけない。
>無我なのに、一体何が輪廻するのか?
>無我なのに、一体何が苦悩するのか?
>無我なのに、一体何から解脱するのか?

五蘊の「識」です。一般には「魂」と見なされるものです。
苦悩しているのは「心」ですよ。しかし、これも自己の本性ではない。
何から解脱するのかについては、上記で述べました。

>>507
あなたは、わたしが当たり前のものとして認識している仏教理解を、
ただ一生懸命、繰り返し繰り返し述べているだけですよ。
けれども、あなたは私の述べているあなたの理解とは異なる部分については、まるっきり出来ていない。
それが今のあなたとこの私との差なのです。

>>我(アートマン)は常住なので無常ではなく無常ではないので苦でもないのです
>常見は仏教ではないので、これを正解とするなら、宝珠の語るものは仏教ではない、
>ということになる。

ブッダがそのように説いたというのではなくて、
(ウパニシャッドのアートマンはそういう教え)であり、
ブッダの見解(教説)はこれを否定することにはならないのだ、ということ。
0588宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 05:01:27.09ID:mEt+3uV1
>>510
>もし解脱の境地に達したとき、解脱者は存在しません(諸法無我)。
>そこには、ニッバーナだけが存在します。
>そして、ニッバーナは不滅です。

確かに、自我(低級性質)は消失しますが、
ニルヴァーナをそれとして覚知している自己というはあります。
ニルヴァーナに達したという智が生ずる自己はある。
そのことは、『ウダーナ』に明らかです。

 【比丘たちよ、しかしながら、まさに、『生じたもの』でなく『成ったもの』でなく『作り為されたもの』でなく『形成されたもの』
でないもの(涅槃)が存在することから、それゆえに、『生じたもの』『成ったもの』『作り為されたもの』『形成されたもの』からの
出離が覚知される」と。】
(『小部経典/ウダーナ(自説経』)8:3) 

>>511
>そして、諸法は、諸行を含む以外に、涅槃と概念法を含みます。
>あなたは以下の事に、特に注意しなければなりません。
>仏陀は諸行無我と言ったのではなくて、諸法無我と言ったのです。
>諸行は無常・苦・無我ですが、涅槃は常、楽、無我なのです。

ここが彼ら部派仏教たることのミソ!
敢えて、大乗的な云い回しを用いるならば、つまり、こういうことになります。
この現象界というものは、「無常」「苦」「無我」「不浄」だということ。
そこから解脱した境地である涅槃は、その真逆の「常」「楽」「我」「浄」となる。
涅槃は、「常」-常住で永遠不変。「楽」-苦が無くて安楽である。
「我」-なにものにも縛られることなく自由自在である。「浄」-あらゆる汚れを離れている。
その境地をありのままに体感体現している自己があり、その状態にある者のことを他の者たちが仏さまと呼ぶのです。
0589宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 05:23:33.38ID:mEt+3uV1
「諸法無我」でいう「法」というのは、無我性の“もの”という意味で使われており、
理由としては単にそれだけのことです。経典の記述によっては実際、「諸行無我」とも書かれています。
だから、どちらでも何も問題はないということ。
それから、「一切」について(のあなた方の間違いについて)は、また後でやります。

 『つぎに諸法無我とは、パーリ語でsabbe dhamma^ anatta^ 「一切の法は無我である」ということであって、ここの法とは「もの」のこと
である。元来、法(パdhamma 梵dharma)にはいろいろの意味があるとされる。パーリ註釈書の説明によるれば、法には(1)pariyatti 教説、
(2)hetu 因、(3)guna 徳、(4)nissatta-nijji^vata^ もの、という四つの意味があって、ここでいう法とはこの中の第四の場合である。
 それはnissatta-nijji^vata^「有情なく霊魂なきこと」であって、アートマンとか霊魂のような不生不滅の実体が含まれていないことを意
味し、実体を離れた現象としての存在を指すことになる。この意味で、諸法無我の諸法は諸行無常の諸行と同じ内容のものとなる。実体のない
諸法が無我であるとされるのは当然である。』
(『東洋思想5/水野 弘元著「初期仏教の縁起思想」』東京大学出版会刊p134-135)

 『諸法の法とは、前に法の特質を掲げた中の第四の「無我性のもの」を意味する。これはたんに「もの」ともいえるが、原始仏教では
「もの」というのは「無我性のもの」に限られるから、この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。(p160)』
(水野 弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)

 【ただし『漢訳増一阿含』巻十八、三十六では、ともに「一切諸行無常、一切諸行苦、一切諸行無我、涅槃為永寂」となっており、ここで
は「諸行」を無我と見ている。】
(『東洋思想5/平川 彰著「初期仏教の倫理/無我の立場」』東京大学出版会刊p49)
0590宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 05:28:43.90ID:mEt+3uV1
>>512
ブッダはそんなことは説いていない。

涅槃は「無」じゃないからね。
涅槃は永遠の境地であり、当然、そのことを覚知している自己がある。それが仏ホトケ。

>>513
>「本当の自己ではないものを自己だと思い込んでることが不幸なんだ。」と、
>言ってるんだよ。

そんなことは解ってます。
常識、ごく当り前の話ですよ。
あなたこそ..もう、何が何だかわからず混乱してるのが出てますよ!

>>514
>お釈迦様の言ってる「無我」の「我」とは、真実のアートマンじゃなくて、
>普段、人間が「私」というときの私だよ。
>あれは「私のもの」、これは「私のもの」、って言うときの
>「私のもの」ってこと。
>なんでこれを「真実の自己」と解釈するのか・・・
>ここが出発点になってるから、ここの間違いを正さないと、
>いくら議論してもかみ合わない。

そう、そこが違う!
「無我」の「我」とは、究極にして真実の自己、永遠なる本性としてアートマンのことをいう。
「それらはそのアートマンではない。」「アートマンでないものをアートマンと見なすなかれ!」と、説いているのです。
それが無我ということ。意味としては、「アートマンは無い」ではなくて、「アートマンにあらず」としての「非我」となる。

第一、(バラモンの説く究極の)「アートマンなどは無い」というのがあなた方の伝統教義ではないのですか?
つまり、「無我」の「我」とは、その究極の恒常不変にして永遠なるアートマンのことを意味しており、
“それは無い”という意味として使っている筈です。
なのに、そうではなくて、ただ普通に自己として述べているときの私のことをだというのは、
一体、それはどこの誰の説明なのですか? どこの学者や僧侶による解説なのか? をできれば教えてもらえますか?
もしも可能であれば、その部分をピックアップして引用提示しい欲しく思います。
それとも、これはあなた独自の思い付きオリジナルですか?
0591宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 05:32:28.67ID:mEt+3uV1
>>517
うん、そういうことになるのかな。

>>526
>我はあるという想いもないという想いもそれに固執すれば執着となる。
>このスレでも想いを手放させない人が延々と議論(戯論)をしていてその終わりがみえない。
>悟りの段階では本来は執着は手放さないといけないはず。
>
>無我というのがもし彼岸に渡るための筏だとしたら彼岸に渡ったあとには捨てるものとなるはず。
>我についても同じ。

はい、認めます。

>>527
>ただ、それならば、
>≪「無い」と言ってないから、あるんだー!≫
>という言説も【容認】しちゃ駄目でしょw

いやいや...だから〜
“「無い」とは言ってないから「在る」ことになる”などと、言ってるのではなくて、
“「無い」と言ってないものを勝手に「無い」ことにするな”。あなた方の浅はかな理解で以て、
“ヒンドゥーを「有我論」として馬鹿にするのを止めなさいな”、
と、私はいってるのです。

>>530
>この喩えだと、大海がブラフマンで、蛇口から出る水が真我アートマンってことになるのかな。
>蛇口の水も大海と全く繋がってるわけだから、ある意味同一ということになる。

はい。この私は譬えでいつも、大海の海水がブラフマン。
それを汲み取ったコップの水一杯があなたのアートマンだといってる。
あなたが知らないだけです。

ただし、
これはヒンドゥーの教えであり、
別にブッダがそう説いたとは私はいってない。
0592宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 05:36:18.06ID:mEt+3uV1
>>531
>そして恐らくは宝珠氏はその自性清浄をアートマンと同一のものと見做している。

はい、その通りです。
図解の説明もまったく同意致します。

原語で、その「心」とはcittaチッタであるからアートマンではないという指摘も受けています。
しかし、そのアートマンはアートマンであるという表現はないでしょうから、
その心はアートマンと同じものであるという表現ならば通じます。
その経文の“文意から判断する” と、結果的にはアートマン(の特性)と同じことになるものと思います。
ただこの単語だけを切り取って、“「cittaチッタ」だから違う”では経文の文意をまったく無視しています。
これが大乗の「仏性」であり、「如来蔵思想」の発展となったブッダの教えだと私は思います。

>>532
ここだけ唐突に、
後代の(異思想による)付加挿入があったという見方は不自然だと思います。

>>533
はい、周知しています。
0593宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/19(火) 05:41:13.14ID:mEt+3uV1
>>549
とても、大切な視点だと思いますよ。
>>561
>識は輪廻する--中略--
>無我が輪廻する >我が輪廻する
>いや難しいですねw

“アートマンは輪廻しない”は、ヒンドゥーにおいて説かれています。
輪廻するのはjivaジーヴァ(個我/魂)であって、これはアートマンではありません。
そして、このジーヴァこそは仏教の説く「識蘊」だと理解します。

 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に立ち帰るわけですが、その
明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
 師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言って、正反対に理解している。
また行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)
存在しない》(と、正反対に考えている)。-----これが無明なのです。」』
(シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』U散文篇.第2章49-50/岩波書店刊)

ラマナ・マハルシもこう述べています。
 『知覚認識できる対象には[現象としての]終わりがあり、知覚認識する主体をジーヴァ(個的生命)であるとするなら、ジーヴァ
(個的生命)とて現象としての終末がある。現われ出るものは何かを見い出し、その現象の破壊(最後)を見極めれば、不滅の真実在
sat (Self) を覚智現成し、アートマン Atman とは何かを覚了する。新たに現われ出るようなものはいずれ消え去ることになり、それ
はジーヴァ(個的生命)あるいはその知覚認識対象であって、アートマン Atman ではない。』
(Talks 1_0704)
0594神も仏も名無しさん垢版2019/03/19(火) 08:07:34.92ID:Q8+KAzAa
(昔、哲板でも展開した話だが)、

≪述部だけ(動詞形容詞形容動詞だけ)で構築されてるのが、仏教的世界観(≒悟りの世界)≫

なんだけどね・・。
『主語があるから、苦悩が生じる』、と。
それは要するに
『私(我)があるから、苦がある』、とw


『私が、走る』、のではなく、『走っているという事象のみがある』、と。
『私が悟る』『私の涅槃がある』、のではなく、『悟る』『涅槃がある』だけだ、と・・・。

事象のみの世界に怖れを感じる者は、そこに自我(主語)を建てたくなる。

尤も、それこそが、
一般的な、普通の、世俗という現実に即した、社会生活・共同体生活を営む者の、「生き物として正常な」感性ではあるが、
それは、悟りの世界を基点にした時には凡夫としての顛倒であって、
だからこそ、「この法は見難い」と言われ、梵天勧請のエピが伝えられ続ける所以でもあり、
ダニヤの章(或いは法句愛品)に象徴されてくるわけで・・・。
0595神も仏も名無しさん垢版2019/03/19(火) 08:09:59.96ID:Q8+KAzAa
◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集

〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/602

〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/643
0596承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/19(火) 08:52:55.20ID:DvVnzWUw
>>581>>584
「三世両重説の論証」とか。(笑)
お前も大好きな仲村先生も書いてるし、Wikipediaにも書いてるような、仏教を学んだものには常識の話を、なんで俺が説明しなきゃならんのだ。(笑)
そーゆーのは、お優しいセブン先生らにお願いしな。(笑)
しかし、隠居と同じように「生命」を崇めてるのに、釈尊と龍樹菩薩の評価が真逆なのは笑ったな。(笑)
隠居にも何回も説明して、全く理解されなかったが、「生命」とか「意識」なんてものは、
科学的にはまだ定義付けさえ出来てないんだよ。(笑)
釈尊も、切りがないから考えるなと説かれたの。(笑)

(^。^)勝手な妄想して楽しむのは自由だが、それを「仏教」とか「科学」で、権威付けすんのは止めなさい。(笑)
0597神も仏も名無しさん垢版2019/03/19(火) 09:08:58.69ID:Q8+KAzAa
また、中村訳の功罪を、「直訳」か「意訳」かの違いでしか見えてない所が、
そもそも何も見えてない証拠であって・・・w >>585

片山さんも、結構意訳してるけどねぇ・・。
寧ろ、中村さんこそ、『【原義に拘った】直訳』だったりするしねぇ・・。(Snに顕著だけれど)

直訳と意訳の間には、無数の選択肢があってね・・・。訳し方がその二種しかないと思ったら大間違い。
(つか、自国語(の文法)に合わせようとすれば、自ずと意訳にならざるを得ないわけで・・。)



各種写本の発見ラッシュ以降、上座大乗中国日本、あらゆる方面で
考察・解釈の仕切り直しを余儀なくされている時代に、何言ってんだか・・・。
0599神も仏も名無しさん垢版2019/03/19(火) 19:39:57.87ID:Q8+KAzAa
ふむ・・
直近の流れは、この辺と絡むんかな・・・  >>595

〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/437
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/438
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/439
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/442
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http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/491
0600神も仏も名無しさん垢版2019/03/19(火) 23:27:17.38ID:Q8+KAzAa
598揚げ
0601神も仏も名無しさん垢版2019/03/20(水) 02:32:22.61ID:kL6AjEt6
>>580
>最初から、今このままで「空」ですよ。
>「空」とは、現象界の事象のすべてに実体的な本質はないということを意味しています。
>だから無常であり、無常だから苦を生じるのであり、輪廻しているのです。

この文章はちょっとおかしいんですよね…
「無常だから苦を生じる」、んじゃないです。
「無常なものを常に続く(実体が在る)ように執着する」から、苦が生じるんです。
無常だけだったら苦は生じない。
真実、無常ということがわかれば、悟りなんですよ。

同じように、「空」であれば「苦」は生じません。
「空」と「無常」というのは仏教的にポジティブな言葉なんですよ。
しかし、「苦」はネガティブです。
「この世界を苦と見ること」は、ポジティブな言葉です。
それは悟った人の見方だからです。

なので、「苦」と「空、無常」がイコールなわけない。
それから、「無常」であるから「空」ということであって、「空」だから「無常」
という説明はちょっとおかしい。
「無常なもの」が「空」なんであって、衆生が先に理解できるのは、「無常」ということなんですよね。
いきなり先に「空」が来ない。
「よいか、実体の無いものは・・・」 な〜んて説明にならない。

それで、無常であれば輪廻するものは何もないです。
無常なものを実体があると思う・・・・  実体があると思ってる(執着してる)から、輪廻するんです。
無常だから輪廻するっていう語法はおかしいです。
0602神も仏も名無しさん垢版2019/03/20(水) 02:35:16.36ID:kL6AjEt6
>>580
>従って、解脱した先がまた「空」の筈がありません。それでは解脱してないじゃないですか。
>いわば無我の状態(自己の本質を見失っている状態)から解脱するのです。
>だから、その解脱した先の涅槃が無我のわけがない。

あなたはまだ空の本質をわかってない。
空を「無」のことだと思ってる
空と言ったからと言って、仮にあなたの言う「超越的な自己」を
否定しているわけじゃないんですよ。
むしろ空じゃないとそれは成立しないんです。

絶対的な「一(いち)」とは何でしょうか…?
それは必然的に「無限」を表わすんです。
有限であれば少なくとも、内側と外側という、二つがあることになります。
これでは「一」ではない。

「無限の一」ということであれば、空を本質としないと困るんです。
中身が空っぽじゃないと困る。
そして無限であるわけですから、全体としてどこまで行っても「空」ということになるんです。
もし「空」が損なわれると、「一(いち)」もまた損なわれます。
0603神も仏も名無しさん垢版2019/03/20(水) 02:37:52.63ID:kL6AjEt6
>>580
>「中道」は意味が違うから。「空=無我=無常=縁起」これだったならば図式としてはまったく問題ない。

あなたは中道の本質もわかってない。
中道は=空、=縁起 なんですよ  =諸法無我でもあり、=諸行無常ということ。
単純な話、たとえば、「晴れ」と「雨」があるとします。
「雨」はズボンや靴が濡れて不快だ、「晴れ」の方がいい、と思ったとします。
価値判断が働くわけですね。
ところが、価値判断の主体が無くなったら… 雨の被害を受ける主体が無くなったら・・・ 不快の主体が無くなったら、
どうなりますか?
「雨」と「晴れ」の差が無くなるわけです。
「雨(不快)」と「晴れ(快)」が平等になるわけです。
平等になれば、「不快」と「快」という相対的な両極が消えるんですよね。
差がゼロになれば、相対的なものは保てなくなる
意味をなさなくなるわけです。  これが「空」ということです。
そしてこの両極を越えた道が、「中道」ということです。
なので、もう一つ付け加えると、「中道」=「平等」、「空」=「平等」ということになります。

>その「空」の状態にあるところにおいて「苦」はあるのです。

空の状態において、中道において、平等において、「苦」というものはありません

>だから、「無自性/空/無我」なのです。これが「苦」の生ずる世界です。

無自性空において、無我において、「苦」の生じる世界ということはありません。

宝珠さんの文章が膨大なので、おいおいまた反論していきます。
0604神も仏も名無しさん垢版2019/03/20(水) 17:35:04.78ID:QX17m9s5
598揚げ
0605ポッタン師垢版2019/03/20(水) 17:46:50.39ID:N3VDG+M6
603.雨と晴れ、との差がなくなる、ことはない。
大爆笑である。
0606承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/20(水) 18:37:36.57ID:zGd7y6ma
>>605
だから、ウゼーんだよ、朝鮮人。(笑)

(^。^)おまエラの存在が大爆笑なんだよ。(笑)
0607神も仏も名無しさん垢版2019/03/20(水) 18:57:02.50ID:QX17m9s5
江戸末期から明治期の「近代居士禅」
の弊害の象徴が「悟りスレ系」の連中。

明治期から昭和初期の「西洋仏教学の洗礼」
の弊害が「議論スレ系」の連中(自分含w)。
0608承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/20(水) 19:04:13.31ID:zGd7y6ma
>>607
俺や宝珠は違いますから。(笑)

(^。^)オカルトブーム世代のお花畑だよな、宝珠?(笑)
0609神も仏も名無しさん垢版2019/03/20(水) 20:41:35.93ID:QX17m9s5
>>608
「オカルトブーム世代」と「ユリ・ゲラー世代」と「韮沢・矢追世代」との違いは?w
0610承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/20(水) 21:11:01.52ID:zGd7y6ma
>>609
俺的にはオカルトブームは70年代から現代までのサブカルチャーの思想背景。(笑)
要は現実からの逃避と見てる。(笑)
ノストラダムスからUFOとか仙道、最近は輪廻転生アニメ。(笑)
学生運動のころは逃避先が共産主義で、もっと遡れば仏教のフダラクや極楽往生。(笑)
釈尊は、現世の修行者へ涅槃に行けと指導したけどね。
現実は辛すぎるから。(笑)

(^。^)因みに俺はシカイセンで、宝珠は「霊的な進化」。(笑)
0611神も仏も名無しさん垢版2019/03/21(木) 15:15:59.66ID:ETCepY7b
第三「一切の章」は一〇経からなる。
 その第一「一切経」は、仏が比丘たちに、「一切」とは何かを語り、
それは六内処(眼・耳・鼻・舌・身・意)と六外処(色・声'香・味・触・法)である、
と説かれたものである。ちなみに、「一切」には
@一切の一切(一切知言、A処の一切(四地)、
B有身の一切(三地)、@場所の一切(五門所縁)の四種が知られ、
ここはAの「処の一切」が意趣されている。

(片山相応部冒頭概説)

そして 598揚げ
0612神も仏も名無しさん垢版2019/03/21(木) 22:02:44.22ID:UMNmebjd
>>590
>「無我」の「我」とは、究極にして真実の自己、永遠なる本性としてアートマンのことをいう。
>「それらはそのアートマンではない。」「アートマンでないものをアートマンと見なすなかれ!」と、説いているのです。

あのですね、○○はAではない、△△もAではない、××もAではない、という、
いわゆる「非A」というのは、「Aである」と、錯覚してる人たちに言うわけですよね。
たとえば夢を見ている人が、現実だと思ってる場合。
これは現実ではない、あれも現実ではない、それも現実ではない、といって、
錯覚であることを教えようとしているわけです。

で、>>470を見て下さい。
ここでは体や感受、識別作用などが、錯覚の対象になっているわけです。
なにかに錯覚しているから、「そうではない」、といって、否定しているわけですよね。
問題は、何に錯覚しているかですよ。

仮にこれがあなたの言うように「超越的な自己」、だったとすると、凡夫は体や感受、識別作用を
「超越的自己」と錯覚していることになります。
われわれ凡夫は普段、体や感受、識別作用を「超越的自己」と錯覚していますか?
体がスーパーマン並みに何かをやれば「超越的自己」と錯覚してもおかしくはないですが、
一般の人たちが考えるのは、「体」は普通に自分の体だよな?、ってことですよね?
自分の体が「超越的自己」だ、なんて思う人は一人もいない。
それは感受であれ、識別作用であれ、同じです。
体も感受も識別作用も、何一つ「超越的な自己」を連想させるものはありません。
なので、>>470の非我の「我」が、「超越的な自己」であったらおかしいというのはわかりますよね?
0613神も仏も名無しさん垢版2019/03/21(木) 22:03:51.54ID:UMNmebjd
>>590
では何がしっくりくるかというと、普段、人間は、体は誰のものと思ってるでしょうか?
感受は誰のものと思ってるでしょうか?
識別作用は誰のものと思ってるでしょうか?
バカではない限り、それらを「他人のもの」と言う人はいないでしょう。
また、「超越的な自分だ」、という人もいません。
あきらかに、それらは、「自分のもの」、と言いますよね
だからお釈迦様は、「それらは自分のものではない」、と言ってるわけです。

仮に、人々が「超越的な自己」だと錯覚していないで、いきなり「超越的な自己」の説明をしたとします。
「よいか、あなたたちの体があるだろう、それは超越的な自己じゃないんだ、超越的自己だったら病気になどなりはせぬ、
識別作用があるだろう、それも超越的自己じゃないんだ、感受もそうだ。」
聞いてる人は「???」ですよ。
「そんなこと知ってるし・・・」と思うでしょう。
だから宝珠さん、あなはこの簡単な文章を誤読してるんですよ。
0614神も仏も名無しさん垢版2019/03/21(木) 23:31:41.13ID:+YaNH5DK
277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

279 「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

今生きているこの世界が無常であり苦であり無我であるのです。
それ以上ごちゃごちゃ思弁を凝らす必要はありません。

またブッダのことを大いに評価しているヒンドゥー教の聖者でもブッダは自分達と同じように本当は有我論者であった、とは言いませんでした。
ブッダはアートマンについてはあるともないとも言ってない、これで話は終わりですそれ以上ごちゃごちゃ思弁を凝らす必要はありません。
ブッダの本心は無我だった、有我だったというのは個人の想像の話に限られそれを人に押し付けるものではありません。
0615ポッタン師垢版2019/03/21(木) 23:39:43.24ID:HsyBX7Js
614.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0616神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 00:42:51.35ID:g3iSoHBf
>>614
あなた文章がメチャクチャじゃないですか。

>今生きているこの世界が無常であり苦であり無我であるのです。

無常だから「苦」なのですか?

「(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。」と、
上に書いたばっかりじゃないですか。
無常ということが分かれば、ひとは苦しみから遠ざかるんでしょ?
なんで 無常=苦 と言い張るんですか?

何度も言うように、無常であるものを実体があるように錯覚しているから、
「苦」が生まれるんですよ。
「明らかな知慧をもって観る」と書いてあるじゃないですか。
無常というのは明かな智慧を持ったときに、
わかるものなんですよ。
明かな智慧を持っていなければ、無常ということはわかりません。
世界が無常に見えない。

その次の278で、
>「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに・・・・
と、書いてあるでしょう?
明かな智慧で世界を「苦」と見るんですよ。
明かな智慧がなければ、世界を「苦」と見れないんです。
世界を「苦」見れないから、自分の体も含めて、
いろんなものに執着しちゃうでしょ?
それで「苦」が生じるんですよ。

いいですか、この世界が「苦」だから、「楽」にしないといけないってことじゃないんです。
この世界が「苦」だとわかったら、「苦」から遠ざかり離れることが出来るんです。
この世界が「苦」だとわかったらそれで完結なんですよ。
悟りなんですよ。
278に自分でコピペしてるじゃないですか。
0617神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 00:55:04.85ID:g3iSoHBf
>>614
279だって、あなたの解釈だとおかしくなるでしょ?

>「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな知慧をもって観るときに、
>ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

もしここでいう「我」が、あなたの言う通り「超越的な自己」だったら、
「一切のものは超越的自己ではないんだ」と明らかな智慧を持って観ることが出来たら、
ひとは苦しみから遠ざかることが出来るんですか?
すべてのものが「超越的自己」ではないとわかったら、清らかな道になるんですか?
文章がおかしくなっちゃうじゃないですか。

なんで「超越的な自己」ではないと見れたら、苦しみから遠ざかることが出来るんですか。
「超越的な自己」にならないと、「苦」を克服できないんでしょ?
見れただけじゃダメでしょ。

「超越的な自己ではない」と見れただけで、「苦」から逃れられて、清らかな道に入れるんですか?
それだったら、「超越的な自己」になる必要がないじゃないですか。

「無我」が「苦」なんでしょ?
「超越的な自己」ではないことが、「苦」なんでしょ?
それだったら何で、「超越的な自己ではない」、と見れたら、「苦」から逃れられて清らかな道に入れるんですか?
言ってることが真逆じゃないですか。
0618神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 01:20:51.19ID:g3iSoHBf
>原始仏教の重要な教説である「無常・苦・無我」説

ってとあるサイトに書いてあったけど、この「無常・苦・無我」って並べて教えと解釈するの、
仏教学者か何かが、こういう書き方を勝手に作ったのかね・・・?

原始仏教の重要な教説は、「無常・世界を苦と見ること・無我」、なんだよ。
「世界を苦とみること」、ってところを勘違いしちゃって、「あ〜、苦というのは重要な教えなんだな」と、
頭の悪い仏教学者が考えたんだろ。
「世界を苦とみること」という、仏教の教えの本質と照らし合わせた文章形態を
正しく見ることが出来なかった。
「世界を苦とみること」と、「苦」が、イコールだと思っちゃったんだな。
なので、文章が長いので、「苦」の一言に縮めちゃった。

違うんだよ。
「世界を苦と見ること」と、「苦」というのは、決定的な違いがあるんだよ。
一方は悟りの領域で、一方は凡夫の領域なわけ。
一体どこのバカが「無常・苦・無我」と並べたんだよ。
学者はこれだからダメなんだよ。
0619神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 01:28:34.48ID:kxOeJrKY
>>616-618
しつこい
あと君はそういう話が大好きそうだが俺はもう飽きたので個別に反論はしない
ただ一つ、人に自説の押し付けはしないことだな
0620神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 08:06:49.56ID:4eGdZ+vv
現在の争点
1、「一切」の範囲
2、「無我」という表現の正当性、是非
3、「無為(なるもの)」の在り方・在り様について
4、涅槃を「見る」主体(→真我)の必要性


1に関しては、相応部当該箇所(の訳)を、ざっと眺めてみたが、
註をも見れば、宝珠のように「十二処」限定とまではいかないが、本文は、ほぼそれに尽き、
≪「無為(涅槃)」は、その中に入らない、「無為法」という呼称・分類が話をややこしくした≫
ということでFAでよいかな、と。 ここに関しては宝珠は別に間違っていない、と。
ただ、その代わり、今度は3に関わってくる。(そこで>>598
0621神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 09:06:36.55ID:4eGdZ+vv


反論してたのは宝珠だけで、
貴方は何も発言してなかったと思うけど? (´・ω・`)    >>619
0622ポッタン師垢版2019/03/22(金) 10:14:43.59ID:yBZRLiC2
620.現在の争点。の4、が悟り、である。バカには理解できない。大爆笑である。
0623承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/22(金) 13:35:11.88ID:Nf8gQImF
>>622
このように、「何かを私は得た、コレが涅槃という境地に至った証だ!」という連中は、バカカルトと同類のエセ仏教徒であり、朝鮮人と同類の虚言癖でしかない。(笑)

(^。^)おまエラは日本人じゃないんだから、さっさと日本から出ていけ。(笑)
0624ポッタン師垢版2019/03/22(金) 14:18:24.41ID:yBZRLiC2
623.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0625神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 18:31:04.00ID:4eGdZ+vv
現在の住人
宝珠、直近ID g3iSoHBf 氏、紹興、ぽったん、、規制おじゃる、時々パーピ、(&ワシ)

寂れたなぁ・・w
(中身のある書き込みのできる人材が少なすぐるw)
0626神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 18:53:49.64ID:4eGdZ+vv
ま、
議論としては出尽くしてて、
今現在も、アートマンスレでの遣り取りの再演でしかないしね。
≪『再演』にしかならない≫ ほど、論点と証左は明らかだ、と。


あとは、それらについての個々人の解釈・理解の相違しか残ってない。
同じ文言を、互いに論拠にしている喜劇とでも謂うべきか・・・。
0627神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 19:11:44.47ID:4eGdZ+vv
そして自嘲自省揚げ
0628承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/22(金) 19:22:33.57ID:Nf8gQImF
釈尊は弓矢の形状や材質や由来を問う前に行しろと言われたのに、
お前らときたら、やれ「この文献にはー」とか、やれ「何とか博士はー」とか、やれ「アストラル体がー」とかばかりだろ?(笑)

(^。^)観音様でも呆れ果てると思うぞ?(笑)

あと、朝鮮人と並べられると紹興酒さんはご立腹だと思います。(笑)
0629神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 19:32:21.05ID:4eGdZ+vv
そりゃ、紹興酒の方が、半島系の酒よりは遥かに美味いと思うけどw



ただ、マジレスすれば、
文献無視はあり得ない。

文献(原典批判的研究含)で体験を「確認する、検証する」
―一代に言わせれば、師匠による倹単も含めて、だがw―
ことを蔑ろにすれば、
オウムにしろ大川君にしろ桐山君にしろ、宝珠にしろ在家にしろカラスにしろ隠居にしろ、

 「言ったもん勝ち」

でしかないし、
彼らの発言を却下する正当性を持ち得ない。
0630承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/22(金) 19:47:26.87ID:Nf8gQImF
>>629
そーじゃなくて、比較同定の話よ。(笑)
勿論三宝に帰依するのは大前提です。(笑)
例えば、我等中観系統の皆でコケにしてるトクシブでも、もしかしたら口伝で自性の否定をしてたかも知れない。(笑)
少なくとも、経典の軽重を測って釈尊の本意を探る学者先生方よりは、トクシブの僧侶の方が行者としては真摯な態度だと思うがな。(笑)

(^。^)此義如何。(笑)
0631神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 20:57:04.74ID:4eGdZ+vv
トクシブの僧侶=宝珠=在家=カラス=隠居

という等式を成立させ得るなら、貴方の言う通りでしょう。

別に、学者最強説を唱えているわけではないのでw
個人的な選り好み・好き嫌いで評価してるだけwww
0632承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/22(金) 21:11:00.13ID:Nf8gQImF
>>631
その等式はwww

(^。^)一切論無戯論性故応知般若波羅密多無戯論性♪
0633神も仏も名無しさん垢版2019/03/22(金) 21:42:37.88ID:4eGdZ+vv
つーか、その辺は、
こういうことだと思うから。

〔内的体験の不確実性及び確認検証可能性〕

☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/619
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/631-632
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/656-657

参:
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/698
【@規制】心と宗教板避難所総合【@鯖落】
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/42-48

(さらに参:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/601-604
0634神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 00:33:42.45ID:Ho8uYM4d
仏教って難しいんだね
0635神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 05:31:04.61ID:kPHjXJtn
あと39日
0636神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 05:35:01.50ID:kPHjXJtn
--佛教論議の伽藍スレ-- 第四巻
0637神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 08:54:41.50ID:Ho8uYM4d
要するに清浄な自己を求めよというのが仏教の言ってることだよね?
0638神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 09:12:44.43ID:xNLshty/
だから違うって、不垢不浄なんだよ
中道ってこと。
わかんねーだろうな・・・。
0639神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 09:31:09.09ID:Ho8uYM4d
マジでわかんないから、わかりやすく解説してくれない?
0640ポッタン師垢版2019/03/23(土) 11:41:08.40ID:ofCn4+oQ
637.清浄な自己、か。
それを、どのように、求める、か。の問題である。
その方法論の問題である。
バカ坐禅か、バカ瞑想か。
0643ポッタン師垢版2019/03/23(土) 16:47:21.95ID:ofCn4+oQ
慧能が言う。本来無一物。
0645神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 20:16:02.22ID:F/iW7qyD
8:1 (因縁略)。
『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。
そこには、地(paThavI)もなく、水(Apo)もなく、火(tejo)もなく、風(vAyo)もなく、
空無辺処(AkAsAnaJcAyatana)もなく、識無辺処(viJJANaJcAyatana)もなく、
無所有処(AkiJcaJJAyatana)もなく、非想非非想処(nevasaNNAnAsJJAyatana)もなく、
この世(loka)もなく、あの世(paraloka)もなく、月・太陽(canima-suriya)の両者もありません。
比丘たちよ、私は、そこに来ること(Agati)も、行くこと(gati)も、止(とど)まること(Thiti)も、
没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))。
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』

8:2 (因縁略)。
『「不屈(anata)というものは、見難い(duddasa)。
なぜなら、真理(sacca)は見易いもの(sudassana)ではないからである。
知る者(jAnato)に、渇愛(taNhA)は洞察され(paTividdha)、
見る者(passato)にいかなるもの(kiJcana)も存在しない(natthi)。』
0646神も仏も名無しさん垢版2019/03/23(土) 20:24:37.50ID:F/iW7qyD
>>645

  passato natthi kiJcanaM は、 (男性中性)同じ主格として

 「見る者」【は】、 「いかなるもの」【としても】、 ない
  passato          kiJcanaM       natthi

と読めるんじゃないかと、今ふと思ったw
0647神も仏も名無しさん垢版2019/03/24(日) 05:07:02.64ID:6kEAxnBd
あと38日
0648神も仏も名無しさん垢版2019/03/24(日) 12:40:02.68ID:M5K0hSSc
『四諦 (cattari sacanni)を如実に,聖 道の慧 (ariyamagga・panna)によって知る者に,見る者に,
有 などに屈する渇愛は存在しない。』

知る者、見る者は同一主体ってことかな。
渇愛を理解した人が見る時には、それら渇愛は存在しない、と。

たとえばそれは、「この世界の存在というものを深く洞察して知っている人の目には、この世界の存在というものは存在していない(実体がない)ように見える。」
ということと同じ。
洞察して知っている人の見え方が、どういう見え方か、という
説明なんじゃないか。

「自分というものが無くなった人」という言葉がある場合、矛盾しているように見えるけど、
「人」の部分が無いと、完全に「無」になっちゃうし、「人」を「自己」と思っちゃうと、
「自分というものが無くなった」ことにはならない。

有無というのは人間の思考の領域で、涅槃は思考(有無)の領域外のことだから、
勝手にふつうの人間が涅槃を有無として扱ってはいけないことになる。

ふつうの人間の思考側から言えば、すべての物は幻想だから、
ありとあらゆるものに実体は無い、で終わりなんだよね
幻想がすべて実体のように見えてる人に、涅槃は洞察できない。
もし洞察したら、それらは幻想の世界の上に構築していることになる。
たとえば、夢の中で「目覚めた人」を洞察したら、夢の中で「目覚めた人」を目指すことになるだろう
夢から出られない

だから、夢の中ではあくまで、これは夢ですべてのものに実体はない、で終わりということだろう。
0649ポッタン師垢版2019/03/25(月) 08:21:04.06ID:n8c6+H5m
648.バカ丸出しである。大爆笑である。
0650神も仏も名無しさん垢版2019/03/25(月) 09:36:24.91ID:gkbuzQcn
あと37日
0652ポッタン師垢版2019/03/27(水) 01:21:24.51ID:KpD+0V+M
651.ニャンゴスター、か。大爆笑である。
0653神も仏も名無しさん垢版2019/03/28(木) 00:52:14.84ID:Qv2X7Fye
『「私は一切の有類の中にありながら、虚空のように、唯一であり、一切の有類は私の中にある」
ー このように見ている者は [再び] 生まれることはない。』

『〔真理を〕認識した者にとって、一切の存在物がまさにアートマンそのものになったとき、一なること(ekatva)を見た人にとっては、
そこにいかなる迷妄があろうか、いかなる悲しみがあろうか』

『(アートマンは)行為主体でもなく、対象でもなく、結果でもないから、
また内も外も含み、不生である。ーーー から、どうして、誰が、それに対して 
「(これは)私のものである。」「(これは)私である。」という観念を
持つことが出来るであろうか。』

『ただ、一としてのみ見られるべきである。』
0654神も仏も名無しさん垢版2019/03/28(木) 01:21:09.43ID:iEwiFQj0
ヒンドゥー教の聖者でもブッダのことを尊敬している聖者はたくさんいる
ただしそれらの人たちはブッダは本当は有我論であったとは決して言わない
逆にブッダは無我を説いたから本物だと言ってる聖者もいない
0655宝珠真範& ◆SojY0GLQ0zOa 垢版2019/03/28(木) 16:03:30.27ID:77Ho5dWe
>>653
ウパニシッャッドの聖句ありがとうございました。
まさに真理は一つ。ただブッダを含め、様々に説かれているだけと感じます。

>>654
はい! 然り
0656神も仏も名無しさん垢版2019/03/29(金) 00:11:42.86ID:p3cSNViQ
(臨済)禅家が持て余す(w)延命十句の常楽我浄を、
神智学的に読み解いてみてほしいもんだw        >>655

つか、「【文言】上」は、ここぞとばかりに引用してもいいくらいなのに。
それとも、「【文脈】上」使えない?w
0657承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/29(金) 01:20:51.41ID:GavmiYV8
>>654
天皇陛下を尊敬している外国の要人は多数いるが、
それらの人々は天皇陛下の本心がどうとか言わない。
逆に天皇陛下の本心だとデタラメな事を言って世界中から嘲笑われるのは朝鮮人だけ。

敬意とは、そういう話じゃあ、ありませんからね。(笑)

(^。^)仏家は釈尊に帰依してるから経典に依るけど、お前らは自らの盲執に執着するから良いとこ採りに右往左往する。(笑)
0659神も仏も名無しさん垢版2019/03/29(金) 08:31:08.72ID:yg4JNMPY
 
真俗二諦
その当時の、その地域の人々に仏教を理解せしめるためには
その当時の、その地域の人々にとっての世間的な「想い」を一応認めて
その理解のうえで、仏教を理解せしめるという
対機説法としての?
 ↓

常楽我浄の

仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
 ↓

スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない

彼岸に到着しているのなら
対機説法としての
 ↓

インドの人々にとってのアートマンも
常楽我浄も
菩提分法も
必要はない(筏の必要はない)

>有我論であったとは言わない

みたいな?
0660パーピマン垢版2019/03/29(金) 10:26:05.58ID:nnPxrX51
>>859
>おじゃる

君は、スレ主である宝珠に書き込みを遠慮するように言われてたはずだ。

それは、コテを外せばOKというものではないでしょう?
まさか、コテを外せば分からないだろうとは思ってないだろうが。

貴方が、拒否されたのは、
@他者の見解を曲解し、それをその人の見解として述べる・・・・・「〜〜みたいな?」
Aコピーの連投に終始し、決して自己の言葉として述べない。
B分からないことを質問するのであれば、その回答に対して「ありがとうございます」
 の一言でいいものを、「それは・・・・・みたいなことでおじゃりますな?」と
 コピペを貼り付け、結局は質問ではなく、自己の見解の押しつけ(それも、しばしば
 論点がずれてる)の繰り返し。

・・・・以上のようなことが原因だと思うけどね。

「・・・・・は、〜〜〜です。」 「・・・・・・は、違います。」 のようにはっきりと自己の見解を
述べるようになるまでは書き込みは止めた方がいいでしょう?

貴方はかつて、一代に「仏教を学ぶにあたって、どのような本から学んでいけばよいか?」
と尋ねた際にも。結局、そのアドバイスを全く無視し、従来の書き込み方式を続けている
と言う事実があります。

これからも、そのやり方を続けるつもりならば、自分のスレでやりなさい。
貴方と対話を希望する人は、そこであなたと対話をするでしょう。
0661宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 11:48:02.01ID:tYLRvfsk
>>660
ありがとうございました!! (感謝)。
さすがですね(一代が認めただけのことはある)...。
いつも沈着冷静に各投稿と流れを読んで分析し、しっかりとその意味を把握している。
頭が下がりますm(__)m
0662神も仏も名無しさん垢版2019/03/29(金) 12:00:06.75ID:V1f2NYnf
スレがとっ散らかるのが嫌なのかな?
0663宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 12:07:45.24ID:tYLRvfsk
〜皆様へ
なかなか投稿の時間が取れないことも多くて、
どうか気長に宜しくお願い致します。どうもすみません。
-------------------------------------------------------------------------------------------
---お知らせ---
今夜、素晴らしいドキュメントがTV放送されるようです。
仏教の関心のある方には必見かと思います。
私は勤務なので録画して見ます。

NHKEテレ1
午後10時00分〜 午後10時45分
ドキュランドへ ようこそ!「輪廻(りんね)の少年」
 『パドマ・アンドゥは「リンポチェ=輪廻転生の高僧」とされる存在。しかし、中国のチベット政策のために、ラダック地方と“本家”と
の接触は限られ、パドマも“特別な才能”を失っていく…世話役のウルギャンの勧めで、少年は「本来あるべき自分になるために」雪降るチ
ベットを目指してインドを横断する旅に出る。長く険しい道のりの末に、たどりついたチベット仏教寺院。そこで2人が見つけたものとは─』
 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4471/1418034/
 https://www4.nhk.or.jp/docland/
-------------------------------------------------------------------------------------------

>>596承狂
これは大変、失礼しました。
「三世両重説」は十二縁起に関する話ですよね。
うっかり、“三世業論についての否定”の話として勘違いして読んでしまいました。
ここに謝罪をします m(__)m
0664宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 12:20:13.74ID:tYLRvfsk
>>656
>つか、「【文言】上」は、ここぞとばかりに引用してもいいくらいなのに。
>それとも、「【文脈】上」使えない?w

あくまでも“大乗の教義”なので、意識的に殆ど採り上げて来なかったということ。
大乗は、当時の上座部に反旗をひるがえして独自の創作経典を制作していったのだけれども、
その創作過程においてヒンドゥーを取り込み利用していくという流れにおいて、
しかし結果的には、テーラワーダが誤解し放棄してきた“ブッダ本来の説かれた「真実の自己」の探究”
という最重要なキーポイントへと独自に近づくことが出来たのだということ。
これを一般的には、“ヒンドゥー化”(反仏教的)と称して批難する評価があるわけですね。
私は読誦経典の一つとして、観音の御縁日(毎月18日)や納骨堂での読経などで唱えています。

>(臨済)禅家が持て余す(w)延命十句の常楽我浄を、
> 神智学的に読み解いてみてほしいもんだw       

<<「無常」「苦」「無我」「不浄」>>とは、真逆の世界が涅槃の<「常」「楽」「我」「浄」>>となる。
なるで、涅槃が無我である筈がないのです。セブンの説明にあった「この現象界が無我であるということを悟ること」によって、
という言い方はもちろんとてもイイと思います。現象界が「無我」だと悟って、その「無我」から解脱して「我」の境地へと至るのだと。
>>588の私の説明というのは、真言宗智山派の機関誌における解説を元にしたものです。
(真言宗)だから、より「常」「楽」「我」「浄」の理解が明確なのだと思います。
0665宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 12:21:53.61ID:tYLRvfsk
神智学的な視点での違いは特にないと思います。
もしも、強いてあげれば、「我」についてはウパニシャッドのアートマンを、神智学的な表現と理解において更に具体的に説かれるだけです。
神智学ではこれを「モナド(真我)」、「神の閃光キラメキ」、「スピリット(霊)」(心霊学用語の「霊」とは異なる)といっており、
“ロゴス(神)の分霊”がモナドであり、このモナドが神の意志と御径論に沿ってこの現象世界に自身の「魂 ソウル)を反映していく...。
これが“霊の物質化”です。
魂が物質界の輪廻転生によって獲得してきた人生経験の記憶データのすべてを上位のモナドが吸収して、
これらすべての人間の体験記憶がロゴス御自身の経験値へと加味プラスされていく...。これらが物質の霊化だとされます。
魂は一定基準の必要経験を獲得してその役目を終えると、モナドへと再吸収されて“消滅”します。
これが神智学的な意味での“輪廻の終焉”となります。
0666宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 12:26:10.28ID:tYLRvfsk
>敢えて、大乗的な云い回しを用いるならば、つまり、こういうことになります。
>この現象界というものは、「無常」「苦」「無我」「不浄」だということ。
>そこから解脱した境地である涅槃は、その真逆の「常」「楽」「我」「浄」となる。
>涅槃は、「常」-常住で永遠不変。「楽」-苦が無くて安楽である。
>「我」-なにものにも縛られることなく自由自在である。「浄」-あらゆる汚れを離れている。
>その境地をありのままに体感体現している自己があり、その状態にある者のことを他の者たちが仏さまと呼ぶのです。>>588

「禅」(禅宗)は、ただ黙って信仰対象としての“お釈迦様と「禅」修行一本”に絞ってさえいれば
テーラワーダ的な諸派になれたところを(それが望ましいという意味ではないが)、あくまでも大乗の一派としての位置付けと枠組みの中にあって、
その流れの中で「やれ観音様だ〜」、更には「豊川稲荷(神)だ〜」とやっているから自身の内に葛藤を抱えているのです。
『大悲心陀羅尼』を含めてかなり密教化した観音と、そして、以前にも述べたように豊川稲荷の荼枳尼天は関わるべきではないバケモノでもあるし
(元々、これを導入したのが真言宗ですが、とっくに密教の中に取り込まれていた)...。
まっ、何はともあれ“思い通りにならない苦の領域”から解脱して、自在(観自在菩薩=観音菩薩)を獲得した涅槃の観音は、
衆生を救済すべくこの現象界において三十三化身を顕して虚空に遍満している、と。

つまるところ、この現象界を「無我」だと悟って「我」に至るのと同様、
現象界は「空」だと悟って「涅槃」に至るとみれば、「空」に対する「自性清浄.如来蔵.仏性.我」
についての論争などは即座に解消するでしょう !?
0667承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/29(金) 12:54:17.42ID:GavmiYV8
>>663
三世両重説の否定は良いの?
三世両重説が三世業報の根拠じゃないの?
相変わらず宝珠の仏教解釈は訳が解らん。(笑)

あと、>>664の智山派の言う「我」は大我のことで、宝珠らの想定する「本当の私」ではありません。
「文脈」を汲み取るとそうした事が書いてないのは明白のはず。(笑)

(^。^)密教は、特にこうした誤解を招く大胆な記述が多いので、俺は素人にはお薦めしない。(笑)
0668垢版2019/03/29(金) 13:17:24.79ID:p3cSNViQ
宝珠は、上の方で長文書いてた人を、やっぱりワシだと思ってたようだなw

ほぼ賛同同意見だけど、ワシじゃないw
0669延命十句バリエーション垢版2019/03/29(金) 13:22:40.26ID:p3cSNViQ
観世音。南無仏。
与仏有因、与仏有縁、仏法僧縁、常楽我浄。
朝念観世音、暮念観世音。念念従心起。念念不離心
              『延命十句観音経霊験記』(白隠)

觀世音。南無佛。
與佛有因、與佛有縁。佛法相縁、常樂我「淨」。(二水の浄)
朝念觀世音、暮念觀世音。念念從心起。念佛不離心
              『太平御覽』卷六百五十四 釋部二 談藪の条

観世音。南無仏。
与仏有因、与仏有縁。仏法相縁、常楽我浄。
朝念観世音、暮念観世音。念念従心起。念念不離心
              『仏祖統紀』巻第三十七 文帝 元嘉二十七年

觀世音。南無佛。
與佛有因、與佛有縁。佛法相縁、常樂我情。
朝念觀世音、暮念觀世音。念念從心起。念佛不離心
              『太平広記』卷百十一 報應十 王玄謨の条

觀世音菩薩。南無佛、南無法、南無僧。
佛國有縁、佛法相因。     常樂我淨、有縁佛法。
              『佛説高王觀世音經』(白隠)
0670神も仏も名無しさん垢版2019/03/29(金) 14:17:38.99ID:8s0Tm+GF
>>655
どういたしまして!


『最高アートマンが認識主体の対象であるならば、これは無明によって誤って想定されたものである。
ーーー と伝えられている。 
[このアートマンが]縄に[誤って想定された]蛇のように排除されるとき、[このアートマンは]不二である。』

『無形のものと有形のもの、行為と潜在印象は、無明のために、その見[=純粋精神]が混迷した人々によって、
アートマンに誤って想定されたものである。
それゆえに、[天啓聖典は]、「そうではない。[そうではない]といって、[それらを]見を本性とする
[アートマン]から排除し、見のみを残したのである。』
0671宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 14:56:40.23ID:tYLRvfsk
>>667承狂
>三世両重説の否定は良いの?
>三世両重説が三世業報の根拠じゃないの?
>相変わらず宝珠の仏教解釈は訳が解らん。(笑)

十二因縁そのものが本当にブッダ本来のものかが確信が持てません。
十二因縁のそれ自体、すべてが部派に依るものであるかもしれません。
ですが、業報輪廻は仏典すべてに貫く根幹ですよ。
もしも、これもダメならば仏典そのものすべてが無価値だということですから。

>あと、>>664の智山派の言う「我」は大我のことで、宝珠らの想定する「本当の私」ではありません。
>「文脈」を汲み取るとそうした事が書いてないのは明白のはず。(笑)

常・樂・我・浄の「我」を“真実の自己”とするのは、
割とさまざまな方によって採用されている見解ですよ(引用は一例です)。
また私は、「大我」とは真実の自己が具現する様についての言葉だと見ています。
もしも、それがまったく違うというならば是非、その違いをここに示してもらえます?

『★常・樂・我・浄
 涅槃(究極のさとり)の徳を4つに分けて示したもの。「常」は消滅変化をまぬがれている徳、「楽」は生死の苦しみを解脱している、
「我」は真実の自己を得ている徳、「浄」は迷妄を離れて清らかである徳、である。』
(中村 元著『仏教のことば/生きる智慧』主婦の友社刊)

>俺は素人にはお薦めしない。(笑)

あぁぁ.. シロウトで悪かったね(爆)。
下手な僧侶より解ってると思うけど...。
0672宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 14:59:18.77ID:tYLRvfsk
>敢えて、大乗的な云い回しを用いるならば、つまり、こういうことになります。
>この現象界というものは、「無常」「苦」「無我」「不浄」だということ。
>そこから解脱した境地である涅槃は、その真逆の「常」「楽」「我」「浄」となる。
>涅槃は、「常」-常住で永遠不変。「楽」-苦が無くて安楽である。
>「我」-なにものにも縛られることなく自由自在である。「浄」-あらゆる汚れを離れている。
>その境地をありのままに体感体現している自己があり、その状態にある者のことを他の者たちが仏さまと呼ぶのです。>>588

「禅」(禅宗)は、ただ黙って信仰対象としての“お釈迦様と「禅」修行一本”に絞ってさえいれば
テーラワーダ的な諸派になれたところを(それが望ましいという意味ではないが)、あくまでも大乗の一派としての位置付けと枠組みの中にあって、
その流れの中で「やれ観音様だ〜」、更には「豊川稲荷(神)だ〜」とやっているから自身の内に葛藤を抱えているのです。
『大悲心陀羅尼』を含めてかなり密教化した観音と、そして、以前にも述べたように豊川稲荷の荼枳尼天は関わるべきではないバケモノでもあるし
(元々、これを導入したのが真言宗ですが、とっくに密教の中に取り込まれていた)...。
まっ、何はともあれ“思い通りにならない苦の領域”から解脱して、自在(観自在菩薩=観音菩薩)を獲得した涅槃の観音は、
衆生を救済すべくこの現象界において三十三化身を顕して虚空に遍満している、と。

つまるところ、この現象界を「無我」だと悟って「我」に至るのと同様、
現象界は「空」だと悟って「涅槃」に至るとみれば、「空」に対する「自性清浄.如来蔵.仏性.我」
についての論争などは即座に解消するでしょう !?
0673宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 15:03:45.30ID:tYLRvfsk
>>668
>上の方で長文書いてた人を

ん? どれのこと?
>>481>>505とかならば、七とは見てなかったけどね。

>>486
>駒大卒というのは、
>所詮は、やはり曹洞宗に着色されてるということなのかなぁ?
>まっ、宗門(曹洞宗)の看板を背負ってる以上は、“素直になる”のもなかなか正直いって難しいのでしょう...。
>これには除籍処分を受けて、無宗派になり、独立宗派でやっていくくらいの覚悟がないことには無理か。

↑あっ、それからこれは撤回します。ていうか訂正ですね!
別に、宗派宗門の看板を捨てる必要はないです。ただ自分自身がしっかりと理解をすればいいだけ。
そして、今の自分に与えられた環境の中で精一杯の努力向上をすればそれでいいのです。

>>672
失礼、操作ミスですm(__)m
0674宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 15:06:56.22ID:tYLRvfsk
つまり、私の理解を開陳するとこういう感じになります。

“仏教発祥以前”の完成者たちの教えについては、仏教では「過去七仏」などといわれている。
実はこれこそがインドにおいて、聖賢リシたちによるヴェーダの伝承(文字化以前)とされているものなのです。
しかし、完成者の出現は遂に絶え、気の遠くなるほどの永い年月を経てこれらの教えはただの言葉だけとなって形骸化し、
祭祀中心となり、数々の迷信が蔓延っていった...。
そんな時代に、バラモンたちによって永く待ち望まれ予言されていた完成者の出現。目覚めた者であるブッダが遂に誕生することになる。
それがゴータマ王子の生誕でした。王子はその予言の通り、見事にブッダとして目覚め、その教えを説き始める。
こうしてブッダは、当時のバラモンたちの間違いを次々と指摘していった(それはヴェーダにおいて伝承された真理そのものの否定ではない)。
アートマンではないものをアートマンだと勘違いしているバラモン達、それはつまり、自己の魂ジーヴァを自覚するに至った超人的な行者たちだった。
確かに、彼らは驚異的な能力を獲得していたが、ブッダはそれらはまだゴール(涅槃)ではないこと。
彼らがアートマン(ではないものをそれとしてみる)を誤認していることを指摘した。
それがバラモン六十二見についての教え(パーリ長部『梵網経』)だった。
0675宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/29(金) 15:07:44.05ID:tYLRvfsk
ブッダは、彼らバラモンたちと自分が同類視され、教えが混同されることを避けるべく、
敢えて伝統的なヴェーダの教え方を採ることをやめて、認識できるレベルにない者に無駄なアートマンについての形而上学的な教えを説くことはせず、
必要な過程と実修行のみに専念することを指導する経験主義を貫いた。その目的は、真実の自己の探究であり、真実の自己の獲得とその具現だった。
それがアートマンのみをニルヴァーナだとするバラモン教と、真我(真実の自己)の実現こそがニルヴァーナだとするブッダの教え方との違い。
無くなるべきは、煩悩によって汚れた我執まみれの自己としての「自我」のことだったのだが、
ブッダが世を去って数百年が過ぎて、現象界においては(未完成者によっては)知覚され得ないアートマンのことを、
それはアートマンそのものが無いからであるとする勝手な誤解が部派仏教によって説かれるようになった。
その間違った無我の理解が、口伝によって(経典の記述とは矛盾するにも関わらず)二千年以上もの永きに渡って脈々と伝承されることとなる。
師(及び先達)から弟子へと絶対的な真理(ブッダが説いたもの)として伝承され、それを疑うことは決して許されなかった
(自分の愚かな頭で考えることはすべて我見であるとして排除され、それはブッダに対する不敬と冒涜として見なされた)。

しかし今日、近代仏教学の進歩によって仏典の研究が進み、彼ら伝統上座部と経典の記述との矛盾点が明確となったのです。
このことを認めたくない伝統教団の僧侶たちは、修行しないただの文献学者らの戯言として批難するのに必死となっているということ。
それが今の仏教界の姿なのです。


また、暫く席をはずしますm(__)m
0676承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/29(金) 16:53:49.55ID:GavmiYV8
>>674
これだとジャイナ教の教祖はブッダを詐称したって話だね。
「ヒンドゥを馬鹿にするな」と因縁をつけた人とは思えない御言葉ですな。(笑)
>>675
これは、釈尊が「本当の私」を知っててわざと弟子達に教えなかったとなる。
または釈尊が言ったことを直弟子達が伝えなかったとなる。
それは釈尊が人を見る目が全く無かったと言うのと同じで、共に釈尊を侮辱した話です。
いずれにせよ、そんな人の仏教なのに、釈尊はーとか経典がーとか言うのは矛盾した行いですね。
>>671
「業報輪廻は仏教経典全てにー」
例えば無記にはありませんね。
般若心経にもありませんね。
観音経、つまり普門品第二十五にもありませんね。
「全てに」って意味は判ってますか?

「真実の自己とするのは、わりと様々な方がー」
主婦の友とかの一般向けではなくて、専門家の書籍ではどうかな?
宝珠さんも、「ちさひろや著作」の仏教本でここの議論してほしくは無いだろ?

学者さんらの話は、まぁ、パーマンとかでやってくれ。
俺は「継承されてきた仏教」の側なんで、仮に文献学的に釈尊の本当の話が伝承と違っても全く関係ないから。(笑)

(^。^)信仰ってのは、その程度でどうこうなる話ではありませんので。(笑)
0677神も仏も名無しさん垢版2019/03/29(金) 18:29:43.44ID:p3cSNViQ
常楽我浄について、
(有名無名どっちでもいいけどw)どっかの(禅家)和尚の解釈・法話なりでも挙げてくれば、
少しは、センスあって日本(禅)仏教の展開も見えてて
且つ自分なりの評価評論を加えられるくらいは事柄を理解できてるかな、
と評価してやってもいいものを、
手垢のついた中村元とか・・・・www  orz    >>671   (玄侑宗久は願い下げだけどw)

中国日本発祥の常楽我浄に、インド系「学者」の見解持ち込んで何の意味があるのか?と。


宝珠はホント劣化したな・・・。  ;д;
0678承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/29(金) 22:33:01.42ID:9NMWvHOf
結局の所、宝珠の「論拠」とか「勉強した」のは、一般向けの「分かりやすい仏教の本」って事ですね。
だから「龍樹菩薩」を否定して、その後継である日本仏教のつまみ食いもしてしまう。
禅宗と大乗なのに変な話になった一部宗派を除いて全てが龍樹の系譜なんだから、宝珠が期待する話なんか無いのも判らない。

(^。^)こーゆー人にも分かる「ような」書き方をされた中村先生は、賛否両論あるが、それでもやはり大乗の系譜である俺なんかは尊敬するよ。(笑)
0679宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 06:13:02.60ID:lQSdb2U6
>>677
>中国日本発祥の常楽我浄に、インド系「学者」の見解持ち込んで何の意味があるのか?と。

その指摘の意味については理解できないこともないけれども...
しかし、「中村氏だったら、当然、それくらい分かってるだろう」というのは、
そんなに私個人の勝手な過大評価でしたかね?
中国日本発祥の思想(仏教解釈)だから、
これは大乗僧侶や大乗専門の研究者(そんな人がいる?)でなければ正しく判る筈がないとでも???

それから〜
一体、どこに禅僧による良い解説があるのか私は知りませんし、
ただし一応、こんなものは見つかりましたけれどね...

『常楽我浄 いつも変わることのないまごころ、何をしても楽しい思いやり、
本当の自分に巡り会い、この世の中で清らかな心の教えに触れることができます。』
(臨済宗円覚寺派管長/横田南嶺 述『延命十句観音経のはなし』)
 https://runrig-marketing.jp/syanai/wp-content/uploads/2016/02/%E5%8D%81%E5%8F%A5%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E7%B5%8C.pdf

これは臨済僧侶ですが、
「何をしても楽しい思いやり」とか、こんな解説しかできないのかなぁ〜と、逆にガッカリさせられます。
ネット上の僧侶解説なんてこんなものばかりですよ。
一応、ここでは「我」は「本当の自分」のことと説明されていますよね。
やはり、これなら私が取り上げた真言宗の解説のほうがイイでしょう。あなた方の嫌いな“真実の自己”ともいってないし。
それとも真言宗はお嫌いだったかな? 密教だし...。

そして、本当に酷いものになると、
“「常楽我浄」なるものは何も無いのだと知ること”が悟りなんだと説くようになる。
これは、つまり唯物論(唯物主義者による涅槃境地の否定とか)ということなのであって、
こういうのはブッダによって完全否定された見解ですよ。
禅の坊さんには、やはりそういうのが多くなる傾向なのだろうとこの私は見ています。
一応、ここに禅の坊さんらしいアホ解説の一例を上げときますから(宗派不明)。

参考:活かして生きる 〜放禅寺の寺便り〜
 https://blog.goo.ne.jp/cotou/e/c86b092c69690931f2aba9459723db36
0680宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 06:16:46.90ID:lQSdb2U6
承狂さんへ
>>671追記:
>あと、>>664の智山派の言う「我」は大我のことで、宝珠らの想定する「本当の私」ではありません。
>「文脈」を汲み取るとそうした事が書いてないのは明白のはず。(笑)

確かに、そこ(その機関誌)では“真実の自己”のことだとは述べられてはいません
(ただし、承狂のいう「大我」という文字も出てきてないけどね)。
そして、>>588でもその通りに、特に“真実の自己”のことだとは私は書かなかった...。
では一応、その機関誌から原文そのものを紹介しておきますから。
これは、“お釈迦さまの三大行事に参加しよう”ということで、「花まつり」「成道会」「常楽会」の三つについて解説したものです。

『また、お釈迦さまは、この世は「無常・苦・無我・不浄」であると説かれました。これが仏の世界では逆になり、
「常・楽・我・浄」の四徳となります。
  常--仏の世界は、常住で永遠に変わらない 
  楽--仏の世界は、苦がなく安楽である
  我--仏の世界は、なにものにも縛られず自由自在である
  浄--仏の世界は、一切の汚ケガれを離れている
真言宗智山派では、涅槃会を四徳の最初の二つの「常」「楽」の二字をとって「常楽会」といいます。』
(『生きる力SHINGON』vol.94のp9/発行:総本山智積院内「真言宗智山派宗務庁」)
0681宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 06:18:12.02ID:lQSdb2U6
これは、つまり涅槃とは、“自在の境地”なのだといっているのです。
私からはこの前、原始経典の教えの理解で、無常であるから(にも関わらず、これが永遠であることを願い、
実体のないものを実体視し、そして、自分のものとしようとするところに)苦が生じる。
その苦とは、“思い通りにならないこと”だといいました。
だから無我なのだと。それは、自己の本性であるアートマンではないからですよ。
もしも、アートマンであれば、そういうことにはならない。
何故なら、あらゆるものごとが“自在”だからです。それがアートマンの根本性質なのだから。
だから、「それら(五蘊)はアートマンではない」と教えているのです。それが正しいブッダの無我の教えです。
“真実の自己”を実現したならば、それは当然、“自在の境地”(それが大乗の説く観自在菩薩の境地)ですから。
真実の自己でなければ自在ということは在り得ない。

ところで、
その「大我」について、その本当の正しい意味を早く教えてくださいよ!
あなたはプロ(元僧侶)なんでしょうからね。こちらシロウトは期待して待ってますから。

>>676承狂
>これは、釈尊が「本当の私」を知っててわざと弟子達に教えなかったとなる。
>または釈尊が言ったことを直弟子達が伝えなかったとなる。
>それは釈尊が人を見る目が全く無かったと言うのと同じで、共に釈尊を侮辱した話です。

はぁ? 明確にありありと説いてるでしょ!!
経典にもあのようにしっかりと残されているというのに、
勝手にそれを無きものとして扱うあなたがたこそがブッダを侮辱してることになるのです。
>>581-583で示したその証拠については無視するのですか?
『マハーヴァッガ』T.13、『ダンマパダ』380、『ディーガ・ニカーヤ』16/パーリ大涅槃経3.13、『サンユッタ・ニカーヤ』T, 神々との対話3-5
あなたは、いつも自分にとって都合の悪いところは逃げるし、そして、無かったことにする。
けれど、そういうところを閲覧者の皆さんはすべて見てますよ!
0682宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 06:20:11.83ID:lQSdb2U6
つまり、ブッダが説いたものとは、「真実の自己を求めよ!」、
「(真実の)アートマンであるものを正しくアートマンとして見よ!」と、いっているというのが真義なのですよ。
ただ単に、バラモンたちと同じ教え方をしなかっただけです。
もしも、彼らと同じやり方だったならば、結局、バラモン教(そのまま)でイイんだと誤解されてしまうから。
それだとゴータマの没後には、ブッダの一生涯を掛けた尊い教えがすぐに掻き消えてしまうでしょうからね。
それだけは、何としても避けたかったのです。

まっ、あなたに向けて一生懸命に語っても上の空でしょうけれど、
この私は閲覧者のために書いてますから。

>これだとジャイナ教の教祖はブッダを詐称したって話だね。
>「ヒンドゥを馬鹿にするな」と因縁をつけた人とは思えない御言葉ですな。(笑)

いやいや.別にこれは馬鹿にしているのではなくて、マハーヴィーラ(ジナ)がいくらジャイナ教徒たちによって「ブッダ」
(ジャイナ教は仏教と同時期発祥の兄弟的な宗教であり、「呼称」を含めて共通事項も実に多いことで知られる)として讃えられようとも、
この私は決してそうは見なさないし、正しい仏教理解からもそれが認められていないことは正当な判断ですよ。
ゴータマ王子とマハーヴィーラが直接に交わったという記録はないけれども、
しかし、その弟子たちや信奉者は互いに接触していることは記録からも明らかとなっているので、その違いについてもよく分かっています。
単純明快にいうと、マハーヴィーラは禁欲苦行主義者だということ。
ゴータマ王子はその世界から足を洗った方(それでは悟りには達せられないと知る) なのですから、
当然、仏教視点からはマハーヴィーラがブッダではないことは明白なこととなるのです。
もしも、ただ自らがブッダを自認して、その弟子たちがその人を讃えていれば真実の仏陀だということになるんだったら、
それこそただ言った者勝ちだということになる。
麻原が、「わたしは最終解脱者だ!」と宣言して、それを信じる弟子が集っている。
「わたしはエル・カンターレ(地球の至高神)だ。そして、ブッダの再誕だ!!」といってる東大卒の商社マンに集っている教団もある。
「池田SGI名誉会長こそがお釈迦様の再誕だ」と崇めている人たちだって大勢いる。
0683宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 06:24:50.53ID:lQSdb2U6
ヒンドゥーの話とは一緒にしないようにしよう!
「アートマンを説く有我論のヒンドゥーは間違っている」という話そのものが、
まったくの誤解であることをこの私は仏典から論証しているわけです。
ヒンドゥーの教えは、彼ら(ヒンドゥーのアヴァターラ方から)の“実経験”にもとづくヒンドゥー独自の教え方として在るものですよ。
その中身を解ってない者(仏教徒ら)が、それを非難する何ものもない。

>「業報輪廻は仏教経典全てにー」
>例えば無記にはありませんね。
>般若心経にもありませんね。
>観音経、つまり普門品第二十五にもありませんね。
>「全てに」って意味は判ってますか?

業報輪廻なしでは仏教理論そのものが成立しないの。それが「すべてに」ということです。どう.解る?
死ねばただ終わりで、その後に再誕をしないのならば、この一生涯でブッダにまで成れなかった者はただそこまでで終わりだということ。
なのに、その為にわざわざ禁欲をして、日々を厳しい修行で明け暮れるなどストイック馬鹿によるナンセンスの極みでしょうが!
それだったならば、自分の好き放題に生きた方が得に決まってるじゃないか!!
今生だけでブッダに成らなければならないのならば、
生まれつきの難病ですぐに亡くなられる子供や障害を持って生れて来る人は最初から他の人と同様に学習することが不可能だ。
その不条理はどうしてあるのか? 健常者ですからブッダには成れないのに、最初からそのようなハンデの中で生まれる赤子は何故、現れるのか?
例え、学び途中で人生を終えようとも決して無駄ではないのは、その成果が死後にもちゃんと持ち越されるからだ。
果報は行為に応じてある。修行の達成も同じであり、修行の努力は死んでそれで終わりではない。その続きについては、いずれ再び学習の機会が来る。
仏典ではそう明確に説いてる。「四向四果」「声聞衆」の教えにも明らかですよ。
それが信じられない(人の転生などないと思う)のならば、仏教を信じるのも辞めたらどうだい?
0684宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 06:29:50.21ID:lQSdb2U6
おいおい!
特に書かれていない部分だけを勝手に抜き出してきてどうする?
仏典全体との関係と整合性において理解しないでどうするの?
もしも、「無記」との関係で説明できるというならば、是非ともあなたにそれをお願いする。
否定派の誰にもできなかったその偉業? が、あなたにはできると...。
できれば、それは後での方がイイかな。今は、「無我」をテーマにしてるから。
そして、そのデタラメはこの私が叩き潰すから!!(いや、ちょっと言葉が荒いか..反論させてもらいますからね)

>俺は「継承されてきた仏教」の側なんで、仮に文献学的に釈尊の本当の話が伝承と違っても全く関係ないから。(笑)
>(^。^)信仰ってのは、その程度でどうこうなる話ではありませんので。(笑)

まっ、「信じ続けるのが信仰だ」というならば、確かにそうでしょ!
何教を信じるも自由だし、それを信じ続けることも自由です。
学者の研究がどうだろうとも関係ない...。

でも一応、これは書いておきますね。

『彼らが信仰を捨て去ったように,そなたもまた信仰を捨て去れ。そうすれば死の領域の彼岸に至るであろう。』
(『スッタニパータ』1146)
0685神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 10:01:20.09ID:Jwr9MaLT
「良い解説」だなんて一言も言ってないと思うが・・w  >>679


(原始仏教系・スッタニパータなどと同様w)ネット検索で山ほど出てくるブログやページから
禅宗関係者のものを拾い上げれば済むこと。

青松老師のそれも、どこから引っぱってきたかと思えば、
映画やドラマのあらすじや予告編のような意訳じゃねーかw
「私たち(凡夫・衆生)は、このように受け止めて、(世俗の)一日一日を生きていきましょう」
という総括で、全てが解説されたとでも思うんかね・・。
(禅家の場合、一般向けの法話講演と提唱は全く違うしw)

自分は、そんな通説、概説、偏見でヒンドゥを批判するなと言うくせにwww
0686承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/31(日) 11:08:34.93ID:GAKPsq7V
>>680
えー、俺は最低限のことしか知らない元下端ハゲだから、こうゆうのはセブンとかの現役がやるべきことだと思うんだが、まぁ、書けるとこまで書いてみる。
各自、鵜呑みにしないで自分で裏取りしてな?(笑)

前にも書いたように、大乗仏教は、中観の上に成り立ちます。
観音さんの三昧地もやはりそうです。
ところで、宝珠の想像する「仏教」とは、
まず真理としてシンチガクが根底にあって、
業報輪廻➡本当の私が輪廻転生して業を受ける!➡無我は間違いでなくてはならん!➡龍樹は間違い!
てな所ですが、(笑)
その経典の読み方の杜撰さ、お粗末さは>>461>>477に付いたレスを見れば瞭然でしょう。
また、「想定」と「必然」を混同してたり、「三世兩重」と「三世業論」を間違えたり。
というか、三世両重から時代が下って三世の業報という布教用の解りやすい話が出たと思うんだが。(笑)
ところで、俺は「大我」って密教の独自の言葉かと誤解をしてたんだが、(笑)
大乗とかでも使うそうですね。(笑)
「小我と大我」とかでググれば、宝珠の好きな「真我」と同じ意味だとか出てます。(笑)
まぁ、俺と宝珠は所詮この程度の人なんだが。(笑)
で、輪廻転生する個人主体云々という話は、前にセブンとしたような気がするんで、前略。(笑)

(^。^)ウガでもなく、ムガでもなく、ウガでないということもなく、ムガでないということもなく、ウガでムガということもなく、ウガでムガではないということもなく、……。(笑)
0687承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/31(日) 11:10:58.62ID:GAKPsq7V
では、あんまりなので、一言。
ちょっと「輪廻は皆否定しないよね?」って聞いてみ?

(^。^)お前らが「物質主義」とか呼んでる連中もみんな「当たり前だ!ふざけんな!」って肯定するから。(笑)
0688ポッタン師垢版2019/03/31(日) 11:19:37.22ID:MAwpiH6N
687.輪廻は否定する、が正解である。
大爆笑である。
0689宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 11:43:36.73ID:lQSdb2U6
>>687承狂
ハァ〜??? 
あなたは今まで私が立ててきたスレの一体、何処の何を読んできたの?
いやいや.伝統信奉者の七セブンなどは唯物論者であり、そして、転生の否定者でしょ!
しかし当然、伝統仏教においてはもちろん肯定される。唯物論についても否定されます。
ただ七のような特定個人が勝手に否定してるだけですから(禅者に多い傾向)。

絶句...
0690宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 11:46:17.42ID:lQSdb2U6
>>687
追記:
まさか、また輪廻は認めてるが転生はない、とか言い出すのではないでしょうね。
だとしたら、まったく懲りないな...。進歩、学習能力なし。
0691宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 11:47:31.23ID:lQSdb2U6
では、ここで一つ。
あなた方の嫌いな中村氏の著作からの一部を紹介したいと思います。

 『このように理想的な倫理的な行為を実践する主体としてのアートマンを認め、本来の自己(アートマン)を追求していくことによって、
現実の人生の苦を乗り越えていこうと、最初期の仏教では独自のアートマン論を展開していました。しかし、決してアートマンを形而上
学的実体と見なすこともせず、また「アートマンが存在しない」と否定もせず、アートマンの形而上学的な性質については完全に沈黙を
守っていたのでした。--中略--
 ですから、精神的な物質的な五つの構成要素、あるいはその機能は、すべてアートマンならざるもの(非我)なのです。それを敷衍フエンし
ていえば、人々が対象として把握しようとするいかなる形而上学的なものも、あるいは機能もアートマンではない(非我)。またアートマン
に属さないと説きます。このような教えは、じつは形而上学的な、具体的に把握されうるすべてのものに対する、人々の執着や煩悩を取り
除くための教えだったのです。解脱への実践目標を達成するための教えでした。

    物質的なかたち(または感受作用・表象作用・形成作用・識別作用)は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみである
   ものは非我である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはわがアートマンではない。正しい知慧でもっ
   てこの〔道理〕を如実に観ずべし。(『サンユッタ・ニカーヤ』)』

 この段階でも客観的実体としてのアートマンを認めるのでもなく、「アートマンが存在しない(無我)」というのでもなく、ただアートマン
の存在については沈黙していました。』
 (中村 元著『ブッダ伝--生涯と思想--』p204-205角川文庫)

と説明し、更には、「アートマンはない」という意味での「無我説」はパーリ語経典にはなく、
それが初めて登場するようになったのはサンスクリット語経典からなのだという。
そして、後代に説かれる明確な無我説を展開したのはあなたがたの嫌う『説一切有部』なのだといっています。
どうやら、経典の比較研究によってそこまで分かっているということです。
0692宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 11:48:51.92ID:lQSdb2U6
ここで昨年の夏に取り上げた石飛道子氏との対話についての感想を述べさせてもらうと、
女史からの返答内容というのは、本当に気持ち悪いほどこのスレの七セブンとまったく同じものでしたね。
要するに、それだけ七の見解というのは個人的なデタラメではなくて、正しく伝統仏教に沿ったものなのだろうということが分かる。
それで私から、ではあなたの著作にあったあの見解は今では捨てたのか? と、問い質してみると、
いやそんなことはない。今でもその通りだ、と答えてきたのでした。
このトンチンカンな返答は一体、何を意味するのか? というと、つまり、これはここの承狂と同じなんだなということが分かるのです。
要するに、学問上の事実と私の信仰とは違うということです。
研究によって確認される事実を、学者としてはそれを認めるけれども、
しかし、私個人は長老たちによって伝承されてきた教えを信じるというものでしょう。
実は最近の女史は、あのテーラワーダ長老のスマさんと親しく交流を深めており、
長老が女史の住まわれる北海道へときたときには行動を共にしているのです。
つまり、通訳をしたり、互いに会場で講演をされたりしてるのです。。
そこで女史はスマさんから、“石飛道子氏は、日本において仏教を最も正しく理解している天才的な学者”
として称賛されているのですね。
0693宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 11:50:07.18ID:lQSdb2U6
因みに、この私がこれはもう辞めたのか? と、
質問した女史ご当人による著作の一文(及びサイトでの女史の説明記述)とは、これのことです。

 【つまり、自己はあるまたは自己はないと書くことができるか、ということが問題となる。もしこのように述べられるのであれば、「自己」は、
おそらく「法」と呼びうる存在であり、そして、当然「生じ滅する存在」とブッダが承認したことになるのである。
 しかし、このようなことは阿含経典の中には見当たらない。これにかんしては、中村元博士の『原始仏教の思想』(上巻一六五頁)にも、初期仏
教では「アートマン(アッタン)は存在しない」とは説かれていない、と明言されている。
 したがって、ブッダにとって「自己」は生じ滅する法ということはありえない。もし、ブッダが「自己はない」と語ったとすれば、当然生じ滅
する法として「自己はある」も語っていなければならないからである。ブッダの公式に載せられる語でなければならないからである。--中略--
 それだから、ブッダは「自己はない」とは語らなかった、そして、もちろん「自己はある」とも語らなかった。いや、語りえなかったと述べた
方がいっそう正しい。(p161-162) --中略--
 実際には、阿含経典では「無我」は「自己でない」の意で用いられていることがわかるだろう。ブッダが「自己はない」は説きえないことがはっ
きりしている今となっては、これは当然のことだが。】(p166)
(石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社2005年刊)
0694宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 11:50:47.09ID:lQSdb2U6
 『anattan(無我、我ならざるもの)の語は、ブッダも使います。ブッダの教えの中で重要な用語です。これは、「主語+述語」の文の、述語に
置かれます。「苦であるものは、我ならざるものである(=我ではない)」ということで、「無我」は「我がない」という意味ではありません。「我
ではない」という意味です。
 ブッダの教説の中では、attanが主語におかれて「我がない」とか「我がある」とかいう文は作ることはできないのです。『ブッダ論理学』の
【難問5】にあります。彼の教説は、生じ滅するものだけを扱うからです。しかし、生じ滅する「色」が、我ならざるものであることは、述べる
ことができます。述語には、規定はありません。だから、「無我(我ならざるもの)」という言葉も出てきます。ただ、いつの頃からか「無我
(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代頃かな)
これは、経典を作りかえたとかそういうことではなくて、解釈として、このような解釈が入ってくるということです。』
(管理人エム著/マニカナ掲示板過去ログ2739.)
0695ポッタン師垢版2019/03/31(日) 12:11:47.24ID:MAwpiH6N
694.我=アートマン、はない。
大我=アートマン、はない。
大爆笑である。
0696ポッタン師垢版2019/03/31(日) 12:27:20.73ID:MAwpiH6N
真我=アートマン、はない。
大爆笑である。
0697宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 12:56:37.60ID:lQSdb2U6
おい! ポッタン師? とやらさ。
スレは1000で終了してしまうんですよ。そしたら、また新しく建てにゃ〜ならなくなる。
どうせ、人のいうことなんか聞かないだろうけど、それらは...1度の投稿に纏められるでしょ!
携帯からの投稿なのか? は、知らないけれど(いや、それにしてもだ...)
だからもう、あなたは二度と出て来なくて宜しいから。
0698ポッタン師垢版2019/03/31(日) 13:02:49.34ID:MAwpiH6N
697.バカの宣伝隊長の言い分、か。
大爆笑である。
0699神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 13:42:26.89ID:aDeyBZxL
>>677
常楽我浄はインドで成立した大乗涅槃経(大乗大般涅槃経)で説かれているので中国日本発祥ではありません。
大乗涅槃経では、如来常住、一切衆生悉有仏性、なども説かれています。

なお、この大乗涅槃経は読んだり聞いたりすると功徳があるありがたいお経であると、「大般涅槃経 名字功徳品」にて説かれています。

大般涅槃経 名字功徳品 第三
https://blogs.yahoo.co.jp/petero_rom/41067873.html

んな馬鹿な!
とか思って大般涅槃経を誹謗すると一闡提という成仏できない人になるので気をつけましょう。
0700神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 14:01:54.18ID:aDeyBZxL
無記は毒矢の喩えで有名な箭喩経ですかね、あとヴァッチャ火経やアーナンダ経でも形而上のことには無記ですが。

それらの経典や般若心経や観音教普門品偈も輪廻前提ですよ。
そもそも、仏教における苦が生病老死であること、お釈迦様は菩提樹下で生存の素因を滅却して解脱した時に「これが最後の生である」と言ったと自称していふこと、
解脱智見において「生は尽きた〜もはや後有はない」としていることから、苦からの脱却、苦を度する、解脱というものは二度と再生しないことであります。
つまり、経典に苦と書いてあれば輪廻について書いてあることになります。

細かく見ていくと

マールンクヤプッタよ、『永遠であるのは世界である』という見解があろうと、あるいは、『永遠でないのは世界である』という見解があろうと、あいかわらず生があり老いがあり死があり、愁い、悲しみ、苦しみ、歎き、悩みがある。
わたしは、(自らにより)見られた法において、それらは破壊されたと教えるだろう。
(箭喩経)
ここに輪廻という言葉は直接には出てきませんが、
「あいかわらず生があり老いがあり死があり、愁い、悲しみ、苦しみ、歎き、悩みがある。
わたしは、(自らにより)見られた法において、それらは破壊されたと教えるだろう。」
とは涅槃に入り二度再生しない(=後有はない)、輪廻からの解脱のことを説いているのを読み取るべきですね。

種種諸惡趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
(観音教普門品偈)
ここからも輪廻を読み取らないと。

照見五蘊皆空 度一切苦厄
(般若心経)
これも輪廻前提であることがわかります。一切苦と書いてあれば生も含まれるそれを度するということは輪廻からの解脱を意味します。
0701ポッタン師垢版2019/03/31(日) 14:06:36.56ID:MAwpiH6N
700.輪廻がない。
輪廻からの解脱もない。
バカには理解できない。大爆笑である。
0702神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 14:33:58.78ID:Jwr9MaLT
>>699
だから、それを言ったら、古代インド仏教以前からある話。(それこそアートマンとして。)
十句観音経が、インド由来の(≒バラモン教由来の)お経だとでも言いますか?
インド的解釈(→大乗涅槃経的読み)でいいなら、中村さん一人で十分だよ。
また、そこで問われるのは
「大乗涅槃経は、(先祖返りをして)永遠なる真の自己を説き始めた」
という仮説の検証でしょう。

けれども、今問われているのはそうじゃない。
十句観音経のその四文字が、近現代禅宗の中でどう読まれているか、
の話じゃなかったか?
勿論、それが、「大乗涅槃経の解釈がベースである」ということであってもいいけれども、
それなら、大乗涅槃経と(近代仏教における)十句観音経の流行との関係性が示されねばならない。
その上でようやく、
「近現代禅宗は、(真のバラモン教としての)真我を、”アートマン”を説こうとしている」と見做すかどうか、
という次の話題へ繋がってくわけ。
0703神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 14:45:38.88ID:Jwr9MaLT
或いはまた、高弟東嶺円慈の註釈でも引いていれば可愛げのあるものを・・。 >>679

常。無常計常、常計無常。
楽。苦計楽、真楽計苦。
我。無我計我、真我計無我。
浄。不浄計浄、浄計不浄。
真浄縁因、即一心帰命諸仏智徳、冥加了因即性徳自現義。正因同前句。
(東嶺円慈釈/白隠全集八巻拾遺)

常。人これ、無常を常なりと解し、常なる法を無常と見、
楽。苦なる世間を楽となし、真の安楽(法)を苦と想う。
我。無我なる我を我と抱き、真我を無我なりと錯誤する。
浄。不浄なる六身を浄と為し、浄なる行を不浄と為す。
真浄の縁因は、諸仏の智徳に一心に帰命することにあり、さすれば、仏の性徳自ら現ずること必定なり。
正因即ち、根本因は前句に同じ。
(→自己の本仏と面前の妙法、既に不二合一なることを明かす)。
(春秋社「延命十句観音経霊験記」/伊豆山格堂)
0704宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 17:12:05.31ID:lQSdb2U6
>>699
情報ありがとうございました。

>>702
イヤハヤ.七セブン!
「中国発祥だ」だなんて嘘をいってたら成仏できなくなるとさ!
(おっと危ねぇ〜!! オイラも巻き添えを喰らうところだったわw)

まっ、元々最初から転生なんて信じてはおらず、
今生で死んだら、それでもう二度と母胎に宿ることはない、というのが七の見解なのだから、
それはつまり、今生でブッダにまで成れなかったら、それですべてがお終いということなんだな!!
だから、ヨカッタじゃない! その思ってた通りなんだからさ。

それとも、
七は本気で今生だけでブッダに成るつもりで、日々精進していたということなのかな?
もしも、それだったならば本当に頭が下がる想いだ。
金夜TVでやったチベットのリンポチェなど問題ないくらい素晴らしいことです。
是非、供養したいくらいだ!

とはいえ、
本題としては、「常楽我浄」の正しい意味は何か? が、
解ればそれでいいことだけれどね...。
0705神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 17:39:20.97ID:Jwr9MaLT
>>704
そうじゃねーよw

近現代の十句観音経解釈が、本当に大乗涅槃経に則ってるか?が重要なの。
「道元の本覚思想」問題も、同じ構図なのw
0708神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 17:46:47.54ID:Jwr9MaLT
十句観音経を見る時に、大乗涅槃経に常楽我浄があるからといって、
「わーい、仏説だー!」とか、「ちゃんとインド経典に根拠があってよかったぁ・・嘆」
と安心するほど素直じゃないんでねw
0709承狂 ◆AHZLgKnOHuTj 垢版2019/03/31(日) 17:48:07.20ID:GAKPsq7V
>>690
宝珠は、>>687から、仏教のいう「輪廻」と、宝珠のいう「輪廻転生」は別のことだとは読み取れないので、こんなレスになる。(笑)
>>700はその通り、輪廻を読み取る事も出来るけど、
「個人主体が輪廻する」という話は読み取れないんだよね。(笑)
縁起してるから、輪廻してるし、本質的なものはないし、無常だし、無我と読み取れる訳だから。(笑)
以て「空」の一文字に約された訳だが、
宝珠解釈だと、「本当の私」についてだけは「不生不滅不垢不浄不増不減」ではないし、「意識界も無い」事もなく、「無明が尽きることも無く」って事も無く、「苦集滅道も無く」も間違いで、「無所得を以ての故に」も間違いな訳だ。(笑)
龍樹菩薩以来の般若経典群も大否定しといて、論拠をその般若経典群に求めるというね。(笑)

(^。^)ちょっと面白かったよ。(笑)

あ、こっから先は中観派の論になるから反論とか説明は一切しません。(笑)
なので、逃げたとか知らないんだとか悦に入ってて下さい。(笑)
では、サラバじゃ。(笑)
0710神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 17:49:36.84ID:Jwr9MaLT
単語、術語が共通して存在する事と、
その語によって指示される概念、考え方が同義である・共通するものかどうかは別問題。

まさに、無我や無為に関して、宝珠が抱いている相違が、そこにもあり得るよ、と。
0711神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 17:53:25.08ID:Jwr9MaLT
>>707は、ご希望なら、
(強調記号入れながら)6レスくらいには削ってレス入れることも吝かでないよ。 >>宝珠

ノシ
0712宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 18:13:46.45ID:lQSdb2U6
>>711
はい。
解説できるのならば、どうぞ宜しくです。
ただし、シロウトにもわかる優しい説明でね。

>>709承狂
>宝珠は、>>687から、仏教のいう「輪廻」と、宝珠のいう「輪廻転生」は別のことだとは読み取れないので、こんなレスになる。(笑)

いやいや意味不明ですよ。
私のいう転生とは、仏典のこのことでいいんだけど。
(『スッタニパータ』278)(『ディーガ・ニカーヤ』『沙門果経』出家の功徳2:93〜94)
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/21

是非とも、
これがどう一個人による輪廻転生のことではないというのか? の、あなたの説明を願う!!
今回は絶対に逃げないように。あなた元プロ(密教僧)なんだから!!

>では、サラバじゃ。(笑)

おやおや?
また、逃げるのか〜い!!!!!!!!
今回もまた逃げるのならば、もう二度とここに来なくてもいいからね。
0713ポッタン師垢版2019/03/31(日) 18:27:18.67ID:bN7tIANl
712、輪廻転生は科学の問題である。
それは仏教の問題ではない。
バカには理解できない。大爆笑である。
0714神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 19:15:49.16ID:aDeyBZxL
>>703
>我。無我なる我を我と抱き、真我を無我なりと錯誤する。

・無我なる我を我と抱き→凡夫の顛倒(有為の顛倒)
・真我を無我なりと錯誤する→二乗の顛倒(無為の顛倒)

残り3つも同じでこの註釈はインドで成立した大乗大般涅槃経に沿っていると思います。
0715神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 20:10:45.28ID:Jwr9MaLT
>>714
そう。
格堂さんが解説するように、
「本来は」、≪大乗涅槃経の常楽我浄≫に立脚した「常楽我浄」である筈のもの。

問題は、
『近現代(特に現代)の仏教者・禅家が、ちゃんとその上に乗っかっているかどうか』
が一つ。(六祖以降、「己事究明」が「アートマン究明」になってないかどうか?)
もう一つは、
『そもそも、大乗涅槃経で掲げられた「常楽我浄」が、釈尊その人に反してはいないか』
ということ。(田上さんの修士論文もまた同じ。)
永遠常住なる存在を希求していないか(→自身の永遠を望んでいないか)? と・・・。
0716宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 20:13:00.90ID:lQSdb2U6
>>709承狂
>宝珠解釈だと、「本当の私」についてだけは「不生不滅不垢不浄不増不減」ではないし、「意識界も無い」事もなく、
>「無明が尽きることも無く」って事も無く、「苦集滅道も無く」も間違いで、「無所得を以ての故に」も間違いな訳だ。(笑)
>龍樹菩薩以来の般若経典群も大否定しといて、論拠をその般若経典群に求めるというね。(笑)
> (^。^)ちょっと面白かったよ。(笑)

この私は、そんな発言など何一つしてないから。
参加したての新しい人が、へぇ〜そうなんだと勘違いするようなデタラメを書くんじゃないよ。
こりゃ〜もう、ほとんど犯罪レベルだぞぉ(怒)
破戒僧もいいところだ。あんたは訴えて遣るぅぅぅ〜

>>713
もしも、本気でヤル気あるんだったら相手してやってもいいぞ!!
その変わり、こっちの問いには必ず答えてもらうからな。
そんな幼児の三行レスなんかじゃ〜
とても返答の説明は無理だぞ。

まずはPC買え!!
0717神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 20:15:40.53ID:Jwr9MaLT
そう。

宝珠というか、神智学の方向性は、
『所詮、【自己の永遠】【永遠なる自己】の希求、仙道の如き【不老不死】の希求になってないか』
ということ。
昔の遣り取りで言えば、不公平の帳尻合わせをのzんでるだけじゃねーのか?と。
一位もビリもない、皆で手を繋いで一緒にゴール、
みたいな似非平等じゃねーのか? と。

ああ、なんか当時の遣り取り思い出したらイラついてきたwww   凡夫だなぁ・・・(しみじみ) orz
0718解説でなく、局所引用なw垢版2019/03/31(日) 20:48:15.31ID:Jwr9MaLT
常楽我浄は涅槃(さとり)の四徳と――。
――煩悩・迷いの火を吹き消した状態を言い、「滅」と訳され――。
「四徳」の「徳」は優れた性質を言う。
涅槃には有余(有余依)涅槃・無余――
以上の小乗の――、大乗は無住処涅槃・不住涅槃を説く。
生死・迷界に住せざるのみならず、
衆生を敘うため、涅槃・覚界にも住しとどまらざる
真の涅槃という意である。
==
 「常・楽・我・浄」は
【凡夫(仏の教えを知らぬ凡庸な人)の「四顛倒」(四倒)】と
【涅槃の「四徳」】の二種に区別される。「顛倒」は道理に背く見解を言う。
「凡夫の四顛倒」とは、
【無常を常、苦を楽、無我を我、不浄を浄と思う】ことである。
凡夫・凡人といえども無常の世の姿を見ていないわけではないが、――、
【いつまでも一切が存続するように考えている「常見」に】とらわれている。
この「常見」「常顯倒」に対し、仏教では
「諸行(変じ滅ぶ一切の存在・現象)無常」を説いた。
「常」とは「永遠」の意である。
『涅槃経』聖行品第十九の「諸行無常、是生滅法。
生滅滅己、寂滅為楽」の諸行無常偈(雪山偈)は有名で、
わが「いろは歌」にも――。
==
0719神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 20:49:21.44ID:Jwr9MaLT
四顛倒の第三は「我顛倒」である。
「我」は「常一主宰」の義とされている。
【おのれの内に一の主宰者があって常住なりと認めること、
実体的・個体的の自我を認めること】は誤りである。
それ故仏教では「諸法無我」を説く。
人を含め、すべての存在には実体が無い。
自己は五蘊和合の存在に過ぎず、空であり、
常一主宰者を自己に認めることはできない。
しかるに凡夫は
【「我」に執らわれ「我愛」に陥り、利己に奔る】。
「諸行無常」が現象を時間的に観ているのに対し、
「諸法無我」は現象を空間的に観ている。
何れも一切の実体は認められず、畢竟空なる理を示している。
==
 さて素朴な「常想」を打破するためには
「諸行無常」観を説き、「心念処」を説くのは適切であったが、
しかし【人々はその消極性に甘んずることができず】、
【積極的な「常」「永遠」を求めざるを得ない】。
そこで大乗の涅槃はついに「無常」をさらに否定・超克して
【高次元の「常」の世界に出た】。涅槃の四徳の一としての「常徳」である。
大乗は無常に対立し無常の外に常を求めることをせず、
【無常のただ中に常を】見るのである。
それは思慮分別を絶した深い体験的な世界である。
==
0720神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 20:50:59.09ID:Jwr9MaLT
 涅槃の四徳の第三は
凡夫の四倒の一たる【「我見」を転じて「我徳」とする】。
凡夫が「我」としているのはいわば小我である。
小我を超克して無我に入り、【無我に徹すれば「真我」が現われる】。
それは「大我」であり、【自在の妙用をなす「自在我」】でもある。
小我を脱すればすべてが我れならざるは無きに至る。
真の主体性の実現と現代風に言うこともできよう。
ただし「無我」と言っても単なる無意識・無心の段階に留まってはならない。
そこからさらに一歩を進めなければいけない。
「無心猶隔万重関」である。ここが極めて難関なのである。
==
 以上、『十句経』本文の「常楽我浄」について、
『涅槃経』に基づき、凡夫の「四顛倒」が涅槃の「四徳」に転ずること、
「四徳」の内容について概観した。
 そもそも『涅槃経』には小乗の――大乗の――。
「涅槃の四徳」は大乗のそれに述べられているものである。
小乗の――は釈尊の死を中心としてその前後のできごとを記したもので――。
身心滅した「無余涅槃」に入るということである。
大乗『涅槃経』は『法華経』と並び、
【仏を仏たらしめ、覚者を覚者たらしめる根源は法であり】、
【法は永遠に変らない】ものであるから
【仏には生死が無い】とする【「法身常住」】を説く。
――。そしてこの永遠性の法は
【同時に普遍的】なものであるから
【「仏凡一体」「一切衆生悉有仏性」】である。  〔→更には煩悩則菩提、本覚・始覚へ〕
悉有仏性ではあるが、凡央・衆生が有する
【仏性は】【煩悩・惑に覆蔵されていて】【露われていない】。
前述の如くこれを「如来蔵」と言う。
==
0721神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 20:51:58.66ID:Jwr9MaLT
天台では空仮中の三諦を――。
一切は無自性の故に「空」であるとする空諦(真諦・無諦)、
一切は縁に依って仮に存在すると肯定的に見るのが仮諦(俗諦・有諦)、
空・仮と一面的に考えず、この二つを越えた存在の第一義を示すのが中諦(中道第一義)である。
そしてこの三諦が究極において別々に隔歴することなく
「相即(融合)」すると見るのを「三諦円融観」と言う。
==
原始仏教においては「中道」は主として
「不苦不楽の中道(苦行と快楽の両極端を排斥)」
を意味していたが、大乗においては、
形而上的体験的に、対立を絶した不二・空の意に深められた――。
「涅槃の四徳」としての「常楽我浄」は、
凡夫の「常見」としての常楽我浄と、
それを否定する「断見」としての小乗の無常・苦・無我・不浄の、
二つの四顛倒・四倒見を超克した境地である。
常・無常を超えた絶対的の常、
苦・楽を超えた絶対的の楽.
我・無我を超えた絶対的の我.
浄・不浄を超えた絶対的の浄 が四徳の常楽我浄で.
それは「空」の世界の四面を表わしている.
==
0722神も仏も名無しさん垢版2019/03/31(日) 20:54:30.55ID:Jwr9MaLT
>しかし【人々はその消極性に甘んずることができず】、
>【積極的な「常」「永遠」を求めざるを得ない】。
>そこで大乗の涅槃はついに「無常」をさらに否定・超克して
>【高次元の「常」の世界に・・・・・・
0723パーピマン垢版2019/03/31(日) 21:35:45.98ID:OqAzpJGP
>しかし【人々はその消極性に甘んずることができず】、
> 【積極的な「常」「永遠」を求めざるを得ない】。

そしてここから、二種のバカ・・・・・先尼外道と自然外道が生まれるとww
0725宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/03/31(日) 23:42:09.63ID:lQSdb2U6
>>717
一体、何が神智学なんだい!
だから、そうやって自分の無理解を
いつまでもいつまでも神智学のせいにして説明責任を逃げるんじゃないっていうの。

いやいや.望むも何も...。
今、ここで問題にしてるのは“ブッダの教え”でしょうよ!!
で、涅槃とは常住にして永遠の境地だと認めるのかな?
そして、ブッダが教えたのは、真実の自己の探究とその実現であるということは理解したのかな?
つまり、涅槃の境地とは真実の自己(真我)の実現のことなのだと認めますか?
それが涅槃を、自分が涅槃に達したものとして自覚する所以だということを。
そして、無くなる自己とは、煩悩に塗れた自我意識なのであり、
低級な性質の自己のことをいってるに過ぎないのだということを。

これらすべては経典内容と何も矛盾しない。
矛盾してるのは自分(あなた)の頭の中だということ!!
もう、さっさと素直に白旗を上げなさいな!
意地っ張りは、ただ見っともないだけだ。

以上.
0726神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 01:49:08.27ID:Oe74HNWc
>>694
「苦であるものは、我ならざるものである」って・・・  一体この文章、どっから持ってきたんだよ?
この文章だと、「苦であるもの」は、「我」ではないけど存在する、っていう
含みを持っちゃうぞ。

同じように、「色はアートマン(真実の自己)ならざるもの」 っていう文章にしちゃうと、
「色」が「偽の自己」として存在することになっちゃう。
もう、おまえの主張はめっちゃくっちゃだよ。

そもそもアートマン(真実の自己)とは「一」として全ての物を内に含んでいるから、
>>470の文章を、「○○はアートマン(真実の自己)のものではない」、という風に読み取るのはおかしい。
ありとあらゆるものはアートマンに包含されていて、アートマンのものではないものなんて無い。

しかし、アートマンを今の自分と別異のように扱って、目指すべき対象としたり、
自己が変化(進化)して達成せられるべきものとするのは、
非常に誤ってる。

釈迦の教えが錯覚を取り除くことに始終しているのは、基本的に、我々の自己の内奥が
唯一性のアートマンであることを知っているからだよ。
自分とは別に目標にするものではなく、また、自分を変化(レベルアップ)させて得られるもんじゃない。
そういった自分とは別のものじゃなく、「本来」なんだよ。
だから、全体を一としてみる唯一性ではなく、「個」としてみる錯覚を無くせばいいと言ってるわけ。
その錯覚を無くせば、「本来」なわけだ。

宝珠の考え方は、本来の唯一性のアートマンからも外れてるし、仏教の教えからも逸脱してる。
もうこれは宗教でもスピリチュアルでも何でもないよ。
狂ってる。
0727神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 01:57:00.08ID:yjLFs5x2
>>725
>つまり、涅槃の境地とは真実の自己(真我)の実現のことなのだと認めますか?

涅槃の境地とは真実の自己の実現である
とお釈迦様は説法しましたか?

如来の滅後は完全なる涅槃に入るので輪廻から解脱するようなことは説いていたと思いますが
・「如来は死後存在する」のではない
・「如来は死後存在しない」のではない
・「如来は死後存在し、かつ、存在しない」ということはない
・「如来は死後存在するのではなく、存在しないのではない」ということはない
と箭喩経でマールンキヤープッタの問いに対して答えていて、死後に完全なる涅槃に入れば真実の自己が実現するというようなことは言いませんでした。

スッタニパータ
1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

ヴァッチャ火経
「五蘊として如来を認知する者は、如来にはその五蘊は捨てられており、根を断たれたターラ樹の幹のように消滅し、未来に再び生じないものであることを認知するであろう。
ヴァッチャよ、如来は意識という呼び名から解き放たれており、大海のように深く、無量であり、〔底が知られない。
それゆえ再生するというのは適切でなく、再生しないというのは適切でなく、再生しつつ、しかも再生しないというのは適切でなく〕再生するのでもなく、再生しないのでもないというのは適切ではない」

どこにも死後般涅槃すれば真実の自己が実現するとは説かれていません。
0728神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 01:57:17.25ID:yjLFs5x2
生きてる間の涅槃については無記です。
ウダーナの涅槃に関する経でも「そこには識別される何かがあるのではなく、またそこでは私は何も説かない」と引き算で説明していることはしていますが、結局は無記です。

もちろん経典を色々と足し合わせて「ブッダはこう悟ったのだ!」と個人が思うのは自由ですが、それが真相だとか人に押し付けるものではないと思います。

もちろん、お釈迦様本人の言葉で「涅槃に入れば真実の自己が実現する」と説いている経典などがあって、私がそれを知らないだけという可能性も多々ありますが。
0729神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 02:15:01.33ID:yjLFs5x2
>>726
バラモン教の仙人であったヤージュナヴァルキヤにおいては認識されるものはアートマンではありません。
つまり、お釈迦様が色とか識とか眼識とか耳識とか名付けた認識の対象となるものはアートマンとはされません。

 ヤージュニャヴァルキヤ
  「非らず。非らず」 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』 
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/yajnav.htm

ただし、お釈迦様のいうアートマンとはヤージュナヴァルキヤのいうアートマンともまた違うようで、不壊であると同時に思う通りになるもの(苦ではないもの)をお釈迦様はアートマンとしていたようです。
アートマンの有無について聞かれた時は答えるのを避けていましたのはご承知の通りですね。
0730神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 06:18:25.80ID:Oe74HNWc
>>729
全然間違った解釈をしている。
アートマンとは認識主体そのものであって、そしてアートマンとは「唯一」のもであって、
「一切」がアートマンであって、一切が認識主体であるということ。
なので、本来、「認識対象」というものは存在しない。

もし、「認識対象」というものが存在したら、そこには区別(差別)が起こることになり、
アートマンの唯一性を破壊することになる。

もし、色はアートマンではない、識別作用はアートマンではない、と、区別すれば、それ自体が認識対象を見ていることになり、
「認識主体」と「認識対象」に分裂していることになる。

『実にその人にとって、一切が自分自身のアートマンになった場合に、
かれは何によって何ものを嗅ぐことが出来ようか。』
(ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド)

『しかし、他を見、他を聞き、他を認識する場合には、それは小である。
・・・・しかし小は死すべきものである。』
(チャーンドギヤ・ウパニシャッド)

『この世において多様であるかのように見るものは、死から死に至る。』
(ブリハット・アーラニヤカ・ウパニシャッド)

「色とか識とか眼識とか耳識とか」を認識対象として、これらはアートマンではない、と、
区別するのではなくて、アートマンと平等と見れなければ、唯一性は保てない。

アートマン以外のもの(認識対象)は存在しない。

『しかしアートマンにおいて一切万有を見、一切万有においてアートマンを見るものは、
それから畏縮することはない。』
(イーシャー・ウパニシャッド)

『一切万有の中にかくされているこのアートマン。』
(カタ・ウパニシャッド)

『最高の自在主は一切万有の中に平等に住す。』
(バガヴァッド・ギーター)
0731神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 06:29:25.90ID:Oe74HNWc
>>>>729
>不壊であると同時に思う通りになるもの(苦ではないもの)を
>お釈迦様はアートマンとしていたようです。

だからそれは >>470 を、勝手に、
自分なりに解釈したんだろ?
な〜にが 「お釈迦様はアートマンとしていたようです」、だ。
勝手に決めるなよ。

>アートマンの有無について聞かれた時は答えるのを避けていましたのはご承知の通りですね。

何が「ご承知の通りですね。」だ。
気持ち悪いなぁ〜
言ってることが矛盾してるだろうが。
お釈迦様が言及を避けるってことは、示唆することも避けるってことだ。
バカじゃねーか?
ご承知の通りだったら、「無我」は「真実の自己ならざるもの」じゃなくて、
「(単なる)自己ならざるもの」じゃねーか。
アートマンの有無について回答を避けてる人が、「それはアートマンじゃない」「これもアートマンじゃない」っていうか?
よく考えろ。
0732神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 07:26:04.23ID:yjLFs5x2
>>729-730
改めて
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/yajnav.htm

ここに書いてあるヤージュナヴァルキヤのアートマン論を理解できるまで何度も読んでください。

そして

この『非らず。非らず』(neti neti) という(ことばでのみ表される)アートマンは
捉えることができない。捉えられないから。
壊れることがない。壊されないから。
こだわりがない。こだわらないから。
つながれず、動揺せず、損なわれない。
ああ、認識の主体を何によって認識することができようか。

の意味が分かるようになってくださいね。

認識の主体を認識したら認識した瞬間にそれは認識の客体へと変わり認識の主体ではなくなる。
ですから非らず、非らず、でしかアートマンは表現できない。
色は認識の客体だからアートマンではないのですよ。
受想行識も客体だからアートマンではないのですよ。

あとお釈迦様がアートマンの有無について聞かれた時に答えるのを避けていたのは事実でしょう。
もしあなたが事実ではないというのなら
http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2016/12/03/095850
http://manikana.la.coocan.jp/canon/kaccayanagotta.html
を読んで事実ではないということを確認してください。

合掌
0733神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 13:30:03.19ID:Oe74HNWc
>>732
こいつアホだぁ〜
ときどきコイツ出てくるよね
あたかも自分が知ってるかのように、教師ぶってるやつ。

一番気持ち悪いのは、こういう言い方しちゃうところ。

>の意味が分かるようになってくださいね。

こいつは自分の論が一番正しいと思ってて、しかも、それを論証しなくても
世間に通用すると思ってる。
非常に幼稚な、自己中心的な態度。

「○○はこうなんだよ。」 までだったらまだいいよ。
こいつが気持ち悪いのは、
「○○はこうなんだよ、だから考えを改め治してくださいね。」 というところ。
ここまでくると仏教の議論以前に、精神的な回路に問題があるというしかない。
こういう人は議論スレや、公共の場所でやるんじゃなくて、自分の妄想を自由に語れるブログとか、
ツイッターでやるべきだよ。
あるいは独自で自分のためのスレを立てるか。
ここで割って入られたら迷惑以外の何ものでもない。
0734神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 13:40:56.20ID:yjLFs5x2
>>733

人のことを言う前にまずあなたが
>>731
で使っている

>気持ち悪いなぁ〜
>バカじゃねーか?
>よく考えろ。

という言葉遣いから見直した方がいいと思いますよ。
>>733での言葉遣いもまた酷いですけどね。
0735神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 13:51:12.68ID:yjLFs5x2
読み直したら私が書いた

>>732
>あとお釈迦様がアートマンの有無について聞かれた時に答えるのを避けていたのは事実でしょう。
>もしあなたが事実ではないというのなら
http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2016/12/03/095850
http://manikana.la.coocan.jp/canon/kaccayanagotta.html
>を読んで事実ではないということを確認してください。

この最後の一行が自分でも分かりにくいかな、と。

を読んで事実ではないというあなたの言い分が正しいのかどうかを確認してください。

に改めさせて頂きます。
0736神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 13:59:27.37ID:Oe74HNWc
>>732
それで、コイツが愚かななのは、自分のレスで自分の間違いを
暴露しちゃってるところ。
理解しないでしゃべってるから、そういうことになる。

>この世の万物がそれによって認識するその当の本体を、人は何によって認識できるのか。

って、書いてあるだろ?
真にアートマンを知ってる人は、認識対象が存在しないことを知っている。
認識対象が存在しないということはどういうことかというと、すべてがアートマンに帰してるときだよ。
すべてが認識主体であれば、どうやってその認識主体を認識できるのか、一体誰が認識し、アートマンを認識対象に出来るだろうかと
そのウパニシャッドは言っている。

色がアートマンのものではない、となれば、そこに分離が起こる。 つまり、認識対象が生まれる。
つまり有無の二元性が生まれる。

『二元が存在するかのように思われる場合は、AはBを見る。』
(ブリハッド・アーラニカヤ・ウパニシャッド)

二元性が存在しないというのは、アートマンに全ての物が帰一し、唯一になってるから
対象が存在しないということだ。
ありとあらゆるものがアートマンにならなければ、アートマンの唯一性が壊れる。
すなわち、二元性が生まれる。

また一方で、「そうではない、そうではない」、というのは、アートマンを全体として捉えようとした時だ。
アートマンとはこういうものだと、定義づけをしようとしたとき。
そのとき、アートマンを対象としてしまってることになる。
ならば、認識対象としている認識主体は誰か? という誤りが起こる。

アートマンを個として捉えると、内と外が生まれ、認識対象化され、外側から見ていることになる。
だから、そういう風に捉えようとすることに対して、ただ、「そうではない、そうではない」として、
アートマンを個別化することを避けるんだよ。

『内も外もなく』
(ブリハッド・アーラニカヤ・ウパニシャッド)
『内も外も含み、不生であり』
(ムンダカ・ウパニシャッド)

全ての物をアートマンに包含すると見た場合は、すべてにおいてアートマンが遍満すると見るのが正しい。
「すべてのもの」を外側から対象化するとしたら、それは「そうではない、そうではない」 ということになる。
0737神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 14:08:37.35ID:Oe74HNWc
>>735
「Aは自己ではない」という文章と、「自己は存在しない」という文章が
違うということに気付け。

「Aは自己ではない」というときは、「自己」の存在自体の有無を
判別しているわけではない。
仏教は二元性を越えた中道を本分としているから、有無に関してはあくまで
「非有非無」の立場をとる。
0738神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 14:20:19.47ID:Oe74HNWc
補足:
相対否定で「そうではない、そうではない」といって唯一性を示すのも、
「すべてがアートマンである」、といって唯一性を示すのも、
二元性を排除するということ関して同じなんだよ。

「すべてがアートマンである」ということは、「相対否定」と同じということ。

たとば、「鳥も雲も花もアートマンである」というとき、アートマンは限定されていない。
すべてが無限のアートマンになっている。
ところが、「アートマンとは○○というものだ」と限定するとき、内と外、認識主体と認識対象、など
二元性が生まれる。

だからこの二元性を生み出すような限定がアートマンにおいてなされようとするとき、「そうではない、そうではない」といって、
その限定を解除するわけだ。
相対否定ということが、「そうではない、そうではない」の真意ということ。
0739神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 14:57:19.94ID:Jel9xS3/
>>734
貴方と問答している人はセブンといって臨済宗のお坊さん

臨済宗では罵倒したり足で蹴ったりの暴力的指導が当たり前
だからセブンも自分の暴言は正しいものと思っている
それが臨済宗の伝統なのだから
先輩の雲水の暴力的指導に耐えきれないといっぱしの臨済宗の僧侶にはなれない
優しい僧侶では荒々しい臨済宗僧侶会で渡り歩けないからね
0740神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 15:16:49.79ID:bUPUxDnI
おいおいw
ワシは、彼とレスの遣り取りしたことは一度もないぞ? >>739
IDくらい確認しとけよ。
口が悪いのは認めるけどw
0741パーピマン垢版2019/04/01(月) 15:17:20.59ID:LSpGBD21
ID:Oe74HNWc は、セブンじゃないよw
0742パーピマン垢版2019/04/01(月) 15:18:24.62ID:LSpGBD21
セブンは、もっと口が悪いwww
0743神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 16:36:55.35ID:yjLFs5x2
>>736
やはり読めてないですね。

「この世の万物がそれによって認識するその当の本体を、人は何によって認識できるのか」
というのは
「ああ、認識の主体を何によって認識することができようか」
と同じ意味です。
ですから、非ず非ずでしかアートマンは表現できないわけです。

あと、全てにおいてアートマンは内在している、と全てはアートマンである、では意味が違うのにあなたは一緒くたにしていることに気づいていますか?
鳥や雲や花がアートマンであるというのと鳥や花や雲にもアートマンが内在している、というニュアンスの違いに気づいていますか?

内も外もないというのはアートマンには内も外もないということでしょう。

>塩の塊には内も外もなく、完全に味の塊であるように、このアートマン(自己)には内も外もなく、完全に英知の塊のみである。
>(ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド4巻5章13節)

引用するなら部分だけではなくこのように全体を引用しないと。

『内も外も含み、不生であり』
(ムンダカ・ウパニシャッド)

これについてはあなたもお読みになっているでしょうシャンカラ本に記載のパリサンキヤーナ想念
https://blogs.yahoo.co.jp/advaita_com/29360240.html
において、その言葉の直前にこの言葉があります。

>また、私を信愛する者もその反対の者も、身体と感覚器官の集合体のみに注意を向けて、
>〔私に〕好ましいもの、好ましくないものなどを結合させようと願い、その結果、善業と悪業などを得るのである。
>善、悪の業を得るのは、それらの人々のみであって、不老、不死、不畏の私ではない。

ここを無視して自説に都合の良い言葉だけ引用しては駄目です。
善悪の業をえるそれらの人々と、不老不死父畏の私は違うのですから。
あとアートマンの解釈もウパニシャッドによって微妙に違うし、それらをまとめたシャンカラは最終的にはアートマンブラフマンに帰するけども幻影のマーヤというものももってきていたはず。
あなたは現象世界のマーヤまでアートマンそのものだと言っているようですが(鳥や花や雲の例から察して)、それは違うのではないですか、と問わせて頂きましょう。
0744神も仏も名無しさん垢版2019/04/01(月) 23:57:38.10ID:Oe74HNWc
>>743
こいつ気持ち悪いほどアホだぁ〜

>「この世の万物がそれによって認識するその当の本体を、人は何によって認識できるのか」
>というのは
>「ああ、認識の主体を何によって認識することができようか」
>と同じ意味です。

だからぁ、>>736に、

>認識対象が存在しないということはどういうことかというと、すべてがアートマンに帰してるときだよ。
>すべてが認識主体であれば、どうやってその認識主体を認識できるのか、

って書いてあるだろ?
おかしなこと言ってんじゃねーぞ。
何が、やはり読めてませんね、だ。  気持ち悪いなぁー

>あと、全てにおいてアートマンは内在している、と全てはアートマンである、では意味が違うのにあなたは一緒くたにしていることに気づいていますか?
>鳥や雲や花がアートマンであるというのと鳥や花や雲にもアートマンが内在している、というニュアンスの違いに気づいていますか?
>内も外もないというのはアートマンには内も外もないということでしょう。

こいつ気持ち悪いわぁー
内在じゃねーよ、何もわかってねぇじゃねーか、こいつ。
「アートマンが内在している」って、主体と述語に分離してんじゃねーか、バカが。
認識主体と認識対象に分かれないって言ってるのに、なんでアートマンが何かをするんだよ、バカが。

で、こいつが全く分かってない、ってのが明らかになったんだけど、内在ってことは、アートマンと鳥、花、雲などは別ものだってことだよね。
分別しちゃってる。  
こういう典型的な二元性の文章を書きながら、平然とウパニシャッドの文章をコピペして
知ったかぶりしてくる。

挙句の果てには、重要箇所の抜き出しを、全体の文章を抜き出さないといけないと、
難癖をつけ、知ったかぶりして全体をコピペしたものの、全く意味が変わらないというw
バカじゃねーか。
0745神も仏も名無しさん垢版2019/04/02(火) 00:05:34.77ID:7WxZmlgB
シャンカラはウパニシャッドの相対否定を越えて、アートマンを説明しようとしているのであって、
ウパニシャッドの真意がわからないやつがシャンカラの教えを見ても、
曲解するだけで理解なんて出来ないだろ。

あと、アートマンの教えの基本はウパニシャッドだからな。
シャンカラの文章を真意もわからずに絶対視して、ただコピペすればいいってことじゃないからな。

こいつ、全然自分の言葉で語ってないだろ。
自分で理解してないのに、ただウパニシャッドだ〜、シャンカラだ〜、と、コピペ引用が主体になっちゃってる。
自分で咀嚼出来てない。
ただ表面的な理解だけで、わかったと思ってる。
バカじゃねーかコイツ。
気持ち悪いなぁ〜。
虫唾が走るよ
0746神も仏も名無しさん垢版2019/04/02(火) 00:18:49.46ID:7WxZmlgB
>>743
>内も外もないというのはアートマンには内も外もないということでしょう。

だからそう書いてるだろうが、オレがウパニシャッドから引用して。
頭大丈夫か?

それで、おまえはその意味分かってないだろ?
なぜ内と外が無いか。

オレが前のレスで説明したから、今は答えられるかもしれないけど、
全然意味わかってなかっただろ。
全部丸写しじゃん。
0747神も仏も名無しさん垢版2019/04/02(火) 01:20:13.40ID:aAkqhLVD
>>744-776のレスを拝読して、これ以上やりとりしても決して分かり合えることなく悪い方向に向かうだけなのがよく分かりました。
互いにとって益がなく戯論を繰り広げるだけだろうというのがよく分かりました。
もうこれ以上レスはしません。自分まで口汚くなりたくもないですしね。
>>744-776の人はその人が信じるアートマンをどこまでも持ち続けたら良いでしょう。
0748神も仏も名無しさん垢版2019/04/02(火) 01:34:14.54ID:7WxZmlgB
>>743
>あなたは現象世界のマーヤまでアートマンそのものだと言っているようですが(鳥や花や雲の例から察して)、
>それは違うのではないですか、と問わせて頂きましょう。

稚拙な判断を基に反論したり、引用したり、こういうやつは議論するのが大変。
こいつの稚拙な理解をいちいち尻拭いしてから反論しないといけない。
「アートマンそのものだ」というのは、オマエの稚拙な理解でそう聞こえるわけだよな?
おそらくコイツは、アートマンというものを限定していると思ってるんだろ。

違うんだよ。
認識主体のみであれば、他に一切の認識対象は存在しない
すべてがアートマンに帰一すれば、すべてがアートマンにおいて平等になるんだよ。 わかるかな? わかんねーだろうな。

アートマンにおいて平等ということは、それらが「空」になるということ。
あれもこれもアートマンで区別がなければ、どうして鳥、花、雲、というものが実体を持っていることになる?
何がマーヤーがアートマンだ、ボケナスが。

こいつは唯一性の特徴を理解出来てないよね
こっちの言ってることが何を言ってるんだか分かってないんだろ。

何もかもがアートマンだったら、アートマンを明示出来てると思うか?
「雲がアートマンだったら雲の内と外が出来るだろう」って、こういう稚拙な考えしか出来ないんだろ。
バカじゃないか?
雲も鳥も、花も、その隣の空間も、右も左も、上も下も、みなアートマンだったら
アートマンを明示できるか?
限定することが出来るか?
内と外があるか?
よく考えろ、このボケナス。
0749神も仏も名無しさん垢版2019/04/02(火) 01:44:06.33ID:7WxZmlgB
>>747
今後一切話しかけないでくれ。
汚い言葉を使うのは、あなたがあまりにも気持ち悪い態度をとるからだよ。
自分の考えてることは正しい・・・ ここまで思うのはよい。
だが、あなたは間違ってるからこうしたほうがいいよ、的なことを言うのは、もはやどちらが正しいかを計る議論じゃない。
議論にはならない。
最初から自分の方が高レベル、相手が低レベルだと見下して、そのような態度でレスをするもんだから、
議論じゃなくて、まるで「師」のように振る舞ってる。
こういうヤツはもっとも議論スレで嫌われるということを気づいた方がいい。

おまえの主張を土台にいろんな議論を展開したとしても、そこにあるのは
矛盾と御解釈に気付くだけだよ。
試しにやってみるといい。
コピペではなく、自分の言葉で語ったら、あっという間に矛盾に陥るから。

それが分かってるから、自分の言葉で語れない。
コピペ引用で議論したつもりになってる。
こういうヤツは議論スレに来るべきではない。
時間の無駄。
0750宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/02(火) 05:32:55.81ID:xxm5SiiQ
>>726
>この文章だと、「苦であるもの」は、「我」ではないけど存在する、っていう
>含みを持っちゃうぞ。

いや、何も間違ってはいない。
仏教が説くところの苦を感受するのは“仮和合の自己”のことです。
それはつまり、形而上的な意味での実在(実体)という意味ではなくて、
日常において、我々が普段から自覚し意識するところの状態の自己です。
つまり、いつも歯を磨いたり、上司に叱られたりしてる自己のことだ。
仏教では、それはアートマンではない自己だというのです。

>ありとあらゆるものはアートマンに包含されていて、アートマンのものではないものなんて無い。

あなたのそれは「一元論」でしょう。
『ウパデーシャ・サーハスリー』とハマルシは読むから一元論の内容は分かってる。
しかし、“ブッダの教えは一元論ではないから” (要するに「二元論」なのです)。
一元論の視点だけを唯一の絶対のものとして、元々、一元論ではない教えについて述べているこの私を、
「それは一元論ではない」といって批難するのは完全にアホのやることだ。
0751宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/02(火) 05:34:18.75ID:xxm5SiiQ
>釈迦の教えが錯覚を取り除くことに始終しているのは、基本的に、我々の自己の内奥が
>唯一性のアートマンであることを知っているからだよ。

いやいや.そんなことは解ってる。
ただし定説上、仏教的にはウパニシャッドのアートマンとの同一性はまだ認められてはいない。
あくまでもただ個人において、そう読み解く者がいるというだけだ(私の様に)。

>だから、全体を一としてみる唯一性ではなく、「個」としてみる錯覚を無くせばいいと言ってるわけ。
>その錯覚を無くせば、「本来」なわけだ。

百も承知だ。

>宝珠の考え方は、本来の唯一性のアートマンからも外れてるし、仏教の教えからも逸脱してる。
>もうこれは宗教でもスピリチュアルでも何でもないよ。

仏教は二元論だ!
二元論で説くところがブッダの特徴であり、ブッダ独自の素晴らしい手法なのだということをだ。
それがわかってからココに来な!! 知ったかさんよ。
【でなければ、あなたとは対話しない(時間の徒労でまったく無意味だから) 】
何故、ブッダは一元論にて教えなかったのか? それが解ってからココにおいで。
一つだけアドバイスをしよう。一元論で得意になっているようだけど、『ギーター』は読んだのか?
『ギーター』のクリシュナを教えを理解すれば、
あなたのようなアホ(一元論のみを唯一絶対の真理とする見解者)はいなくなるから。

>狂ってる。

「鏡」は無いのか?

とにかく、出直して来な!
あなたには以上だ!!! お・わ・り
0752宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/02(火) 05:38:44.71ID:xxm5SiiQ
>>750
誤字訂正:
 正-(ラマナ)マハルシ
0754神も仏も名無しさん垢版2019/04/02(火) 22:21:23.08ID:w4wXCkCQ
今、クローズアップ現代で、
元号の案の考案者捜しをやってるが、
NHKまで、そこまでやらんでも・・、と少々げんなり・・。
勿論、世間の興味として、或いはエンターテインメントとして、
或いは、何らかの経済的波及、知的文化的啓蒙として、
今の時代には、あってもいいムーブメントかもしれんけど、
NHKだけは、そういうミーハー要素とは一線を画していて欲しかった・・w

いや、わかる。
(日本人としてという面もあろうが)、
娯楽を求める現代人・知的遊戯を楽しむ文化人、人生に余裕のある生を生きていられるものにとっては、
実に、興味をそそられる話。

けれども、
「元号の主たる考案者が知りたい!」 ってのと
「涅槃を知覚する主体が知りたい!」 ってのと、
全く同じなのよね・・・。
0755宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/02(火) 23:35:51.54ID:xxm5SiiQ
>>754
>元号の案の考案者捜しをやってるが、

『報道ステーション』でも万葉集の研究家○○らしいと紹介してましたね。
取りあえず、見た目も響きもイイので決まって良かったと思います。

>「涅槃を知覚する主体が知りたい!」 ってのと、
> 全く同じなのよね・・・。

う〜〜ん。そんなに腐らないのぉ!
あのね...別に主体が知りたいのではなくて、
仏典から明らかな諸事実を無視して、ヒンドゥーをコケにしているから指摘してるだけ。

ただ伝統仏教が勝手に、
経典の記述から読み取れる涅槃の知覚主体を示唆する文言を無視して、
部派教団の勝手教義であり、ブッダが言いもしなかった(と見られる)「アートマンはない」という意味での「無我」を説き、
「涅槃には何一つ主体なるものはない」といい、そして、>>581-583でも示した通りの、
“探究すべき真実の自己”“自己の主である自己(真実の自己) ”“完成者である真人”の教えも無視して、
「涅槃には自己なるものはない」と言い張る。
そして、自分らの未熟かつ無理解を棚上げしておきながら、
ヒンドゥーを「有我論」として馬鹿にする...。

まっ、結局は、
信仰なのだから何でも自由でいいんだけれども、
自分らの勝手な誤解にしか過ぎない“ヒンドゥーを「有我論」として馬鹿にする”
その醜態さえ辞めるならば、別に私からは何もいうことはない。
あとはどうぞお好きなだけ自分らの信仰を続ければ、それでいいこと....。

たった、それだけのことですよ。
0756神も仏も名無しさん垢版2019/04/03(水) 00:27:24.05ID:FsM/KYMB
>>750
あなた、そもそも日本語がおかしいんだよ。

>「苦であるものは、我ならざるものである(=我ではない)」

苦であるものは「我」ではないのは当たり前。
「苦」は「自己」じゃなくて、「自己」が感じるものだよね・・・?(笑)
だからお釈迦様は、「色、識別作用、感受」などを、「自己」と錯覚するな、
と言ってるんだよ。
色が、識別作用が、感受が、(自己が、)「苦」を感じるだろ?
もうメチャクチャじゃないか(笑)

>しかし、“ブッダの教えは一元論ではないから” (要するに「二元論」なのです)。

ここもメチャクチャ。
本来ウパニシャッドのアートマンも、ブッダの教えも、二元論は元より、
一元論をも超えてるんだよ。
だから、「そうではない、そうではない」 ということで、相対否定をしているわけ。
一つの特定された何かを示してしまったら、必然的に、相対的なものを生み出してしまう。
だからハッキリと言ってはいけなかったわけ。

>仏教は二元論だ!
>二元論で説くところがブッダの特徴であり、ブッダ独自の素晴らしい手法なのだということをだ。

仏教の「楽」とは何だよ?
ふだん、われわれ「自己」が感じる「楽」か?
瞑想して頭がスッキリして「楽」になった〜、という「楽」のことか?
違うだろ。(知ったかさんよぉ〜。)
座を組んで「無」を目指すのが仏教か?  ちがうだろ。

仏教の「楽」とは、「苦楽」を越えた中道にあるんだよ。
「無」を目指すんじゃなくて、「無と有」を越えたところに、本当の「空」があるんだよ。
(わかるかな〜? わかんねーだろうなぁ・・。)

二元論を越えたところに一元論があるんじゃないんだよ。
二元論を越えた中道・・・・ イコール 「空」なんだよ

もうね、あなたは仏教は愚か、スピリチュアルも全然分かってないし、
それでは本質は見えてこないだろ。
印象としては、スピリチュアル知識の低レベルな人が、下手な仏教やウパニシャッドの知識を得て、
こねくり回してるという感じ。
だから支離滅裂。

ちょっと、議論のレベルが合わなさ過ぎて、こっちが書いてることや、時間が、
もったいない感じ。
ここまで教えてやる必要があるのかと・・。
0757宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/03(水) 03:37:07.14ID:8CsUThK2
>>727-729
>涅槃の境地とは真実の自己の実現である
>とお釈迦様は説法しましたか?

では、例えばですが(上手な譬えではありませんけれど)、
それじゃ〜まるで、「赤ワイン」のことを「“赤色のアルコール”を飲んだら美味しかった」とその人が言った言葉(文章)には、
直接、“「赤ワイン」を飲んだ”とは書かれてなかったから、この記述は“「赤ワイン」のことではない”といってるようなものでしょう。
もちろん、別の飲物ということも在り得ますけれど、しかし、それは文章の前後と全体との繋がりで読み解けば理解されます
(つまり、赤ワインのことを敢えて別の表現でいっただけだったのか、或いはまったく別の飲物かは...)。
ですから、あくまでも文意から読み解かないことには意味がないと思う。
私は、経典の記述から、それは十分に分かることであると主張しています。

ただの繰り返し重複となってしまうため、
後はすみませんけれど、七セブン宛てのレス>>576-578 >>674-675 >>681 >>755...等々を
ご覧頂きたいと思いますm(__)m
0758宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/03(水) 03:39:25.98ID:8CsUThK2
>>756
では、「中道」について少しお話してあげるから、後はおとなしく黙って“消えな!! ”。
“涅槃は中道だ”とはいわない。「中道である」とか、「〜ではない」とかさえも超えた領域ですから。
そもそも「中道」というのは「道」のこと、“涅槃に至るための道”のことであって、ゴールである涅槃のことじゃないから。
具体的に言うと、中道とは「八正道」のことをいう。それは“涅槃に至るための八つの道”です。
涅槃は何ら縛りもない。自在そのものですよ。

ということで、あなたの話は〜
ゴールに向かうための道(方法論)をゴールの状態そのものと履違えてるということだ。

>二元論を越えたところに一元論があるんじゃないんだよ。
>二元論を越えた中道・・・・ イコール 「空」なんだよ

はいはい。
あなたの願望はどうぞお好きにして!

とにかく、
『ギーター』のクリシュナに学びなさい。
一元論と二元論の関係、非行為と行為の道の関係が示されているから。
0759神も仏も名無しさん垢版2019/04/03(水) 15:53:26.79ID:FsM/KYMB
>>758
「道」というのはその人の「歩んでいる姿」、ということなんだよ。
本来の人の正しい姿ということ。

正しい姿を示しながら、そのように歩みなさい、ってこと。
いわば、ゴールでもあり、目指すものでもあるわけ。
もっと深くいうと、仏教の本義っていうのは、手段とゴールが
同じ(平等)にならなければダメなのよ。

道を方法論としてしまったら、「正見」を直ちに実践しなければならなくなる。
「正見」がいきなり出来るか?
「正見」が方法論だとするならば、「正見」は「涅槃」と別になる。
筏のように捨て去るべきものとなる。
そんなバカなことがあるか?


「迦旃延よ, この世人はたいてい二つ (の極端) に依っている。 『それは有る』 と 『それは無い』 とである。 」

「迦旃 延よ, 世間の集起を如実に正慧もて見るひとには, 世間において無がなくなる。
迦旃延よ, 世間の滅 を如実に正慧もて見るひとには, 世間において有 がなくなる」

「迦旃延よ, 『一切のものが有る』 というのは, 一つの極端 (一辺) である。 『一切 のものは無い』 というのは他の極端 (第二辺) で ある。
之等の両極端 (両辺) を受けないで, 中を 以て如来は法を説く」

もし方法論というなら、聖なる弟子になる成り方を教えるべきだろ?
方法論なのに、いきなり聖なる弟子からスタートするわけないだろ。

「ヨーガに専心し、一切を平等に見る人は、自己(アートマン)を万物に存すると認め、
また万物を自己のうちに見る。」

「人がその知識により、万物の中に唯一不変の状態を認め、区別されたものの中に区別されないものを認める時、
それを純質的な知識と知れ。」
0760神も仏も名無しさん垢版2019/04/03(水) 20:39:17.18ID:+Fa55Rrk
何も捉われることが無い、ってのは、
言い換えて見れば、

大海に身一つで浮いているようなもんで、
それをこそ、釈尊は「涅槃」だと看破したわけでね・・。
錨も鎖も“もやい綱”もない。ぷかぷか「事象の変遷=縁起」の波に漂うだけ。
そこに、「絶対的に揺るがない足場(自我・真我)」や「すがりつくべき大木(=自我・真我)」が
『あるだろう』『あってほしい』なんて俗っぽい願望を抱くのが愚者でなくて何なのか?とw

浮いていることに堪えられない者だけが、確かなコアを希求する。
0761神も仏も名無しさん垢版2019/04/03(水) 20:45:43.31ID:+Fa55Rrk
浮いていることに堪えられない者は、
縋り得る「島(洲)」を求める。

その時、釈尊が示したのは、
「波の中で、波に乗りながら一定の姿勢をキープするテクニック」
だと思うんだよね・・。

で、それが。「法」であり「自己」である、と。(大般涅槃経)

さて、この「自己」は、いったいどういう自己であろうか?
0762神も仏も名無しさん垢版2019/04/04(木) 00:09:13.88ID:RwFR0Eo9
水に触れないよう橋をかけて苦しみの海を渡る人がいる。
木々を蔓縄で結びつけて筏を作って苦しみの海を渡る人がいる。
真理を見る者は、すでに渡り終わっている。
0763神も仏も名無しさん垢版2019/04/04(木) 12:14:48.70ID:RwFR0Eo9
「敵と味方に対して平等であり、また尊敬と軽蔑に対しても平等であり、寒暑や苦楽に対しても平等であり、執着を離れた人、
毀誉褒貶を等しく見て、沈黙し、いかなるものにも満足し、住処なく、心が確定し、信愛に満ちた人、
彼は私にとって愛しい。」(「バガヴァッド・ギーター」第十二章)

「執着を捨て、成功と不成功を平等のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。
ヨーガは平等の境地であると言われる。」(「バガヴァッド・ギーター」第二章)

「自己との類比により、幸福にせよ、不幸にせよ、それを一切においても等しいものと見る人、
彼は最高のヨーギンであると考えられる。」(「バガヴァッド・ギーター」第六章

「この世では、決定(けつじょう)を性とする知性は唯一である。決定を欠いた者たちの知性は、多岐に分かれ、限りない。」
(「バガヴァッド・ギーター」第二章)


「すべての欲望を捨て、願望なく、『私のもの』という思いなく、我執なく行動すれば、その人は寂静に達する。
アルジュナよ、これがブラフマンの境地である。」(「バガヴァッド・ギーター」第二章)

「すべてのものに敵意を抱かず、友愛あり、憐れみ深く、『私のもの』という思いなく、我執なく、苦楽を平等に見て、忍耐あり、
常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、私に意(こころ)と知性を捧げ、私は信愛するヨーギン、彼は私にとって愛しい。」
(「バガヴァッド・ギーター」第十二章)
0765神も仏も名無しさん垢版2019/04/05(金) 00:22:29.93ID:aoVv/8mH
>>760
>>761
パピーマンみたいな文章だな。。。
非常に低レベル
矛盾に満ちてる

>大海に身一つで浮いているようなもんで、
>それをこそ、釈尊は「涅槃」だと −−−
>錨も鎖も“もやい綱”もない。ぷかぷか「事象の変遷=縁起」の波に漂うだけ。

縁起の波に漂う『もの』があるから、こういう文章になる
『縁起』という時には全ての物が一体で、わけ隔てなく、『漂うもの』 な〜んてのは存在しない
もし存在したら、その瞬間『縁起』が破壊される。

『縁起』の波に漂ってるものの状態が涅槃だなんて、まるで縁起を理解していないし、
涅槃の考え方も大きくズレてる
こういう大きなズレを平然とやらかして、オレ仏教知ってるっていう顔をするのが
パピーマンの特徴

最近文章のおかしなヤツが多いよね。。。。
波にプカプカ浮かんでるのは涅槃だと。。  だと言いながら、浮いてることに耐えられない??
なんなんだこりゃ
涅槃の状態にあるものが、浮いてることに耐えられない、だと。。。

そして極めつけは、波乗りをするテクニックだと(爆)
どこまで行っても『波乗りをするもの』、『浮いているもの』、 
縁起から分離した『もの(独立した主体)』が現れる

この人は縁起をわかってないし、そもそも仏教というものをわかっていない
仏教を洞察できないレベル
これはパピーマンの特徴なんだよ
0766宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/06(土) 03:49:48.49ID:spJ/hbbD
>>765
パーピは、まず殆ど私のスレにおいては、しっかりとコテハンを名乗ります。
対して、七セブンは気分のイイときだけ名乗りますが、しかし、多くの場合は名無しです。
そして、恐らくこの内容と文体からみてこれは七に間違いないでしょう。
これらの下手クソで陳腐な譬え(本人はご満悦)が七の特徴でもありますw
七とは現役禅僧のオッチャンのことです。

そして、この投稿の中で問題となる残念な部分というのは、
ブッダ自らが説き、しっかりと経典にも残されている“真実の自己”の探究の教えを、
勝手にそれらは、「自己がなければ困る...自己を欲している」者の主張のせいへと摩り替えようとしている点です。
ここまできてしまうと、もう、これはブッダの教えに対する非礼と侮辱になってくるものと思います。

確かに、
自分が何十年も信じ続けてきたものが間違いだったと認めることは、
やはり、途轍もなくとても悲しく苦しいものだということはよく分かります。
何故なら、この私もその同じ経験を乗り越えてきたからです。
しかし、勇気を以てそれを乗り越えなければならない...。
本当は、それは悲しい出来事ではなくて、より真実に大きく近づいた喜ばしい出来事だということ。
祝うべく有難いことなのだということを。
0767宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/06(土) 03:52:57.85ID:spJ/hbbD
>>763
私が学ぶようにいってるギーターの教えの部分とは、こういうことですよ。
文章が長くなるので下記リンクに譲りますが、これが以前にした投稿の詳細です(必読必見!!)。
尚、ここでいう「(行為の)遠離の道」及び「哲学サーンキャ」とは、
「一元論アドヴァイタ哲学」や「ジニャーナ・マールガ(知恵の道)」のことです。

 『(行為の)遠離と行為の実修とは、ともに至福(解脱)をもたらす。しかし両者のうちでは、行為の実
修が行為の遠離よりすぐれている。哲学サーンキャが得る境地は、実修者ヨーギンによっても達せられる。
哲学と実修とを(同じ結果を生ずる点で)同一であると見る人は、真に見る者である。しかし、力の強い
者よ、行為の遠離は行為の実修なくしては容易には達せられない。』
(『バラモン経典/原始仏典』ギーター第五章より/中央公論社刊)
 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1466328423/751-756

まっ、仏教徒がギーターを学んだリ、奨めることもないだろうとは思いますが、
しかし、これをしっかりと理解するならば、勝義一辺倒のアホ(私たちは今のこのままですでに悟りの状態にある。
ただそのことに気付いていないだけだといい、だから、特に何も修行すらも要らないとまで言い出す始末)になることはない。
それから、この私が『中論』を認めないのは、ブッダの説かれた有難い二元論の教えを自分勝手に一元論へと組換えようとしているからです。
仏典があれば、『中論』は要らない(私個人の趣向ですが...)。
0768神も仏も名無しさん垢版2019/04/06(土) 10:34:29.96ID:+WqAyTkG
空は実体とか有ではない(かつ無でもない)ので一元論というのは違うと思います。
0770神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 00:58:59.42ID:0oJ2r7lB
>767
まずブッダが説かれたのは、二元論ではないのは明かですよね。
それは>>759のカーティヤーヤナに語った文章でも明らか。

>『一切のものが有る』 というのは、一つの極端 (一辺) である。 『一切のものは無い』 というのは他の極端 (第二辺) で ある。
>之等の両極端 (両辺) を受けないで, 中を以て如来は法を説く

有と無を越えるというのは、有と無がゼロになるということ。
つまり、「相対的な価値判断」が無くなるということです。
「相対的な価値判断」が無くなれば、両者は平等になります。 
差が無くなるので、「どちらでも同じ」、という状況になります。
たとえば、「病気でも健康でもどっちでもいいよ」、「晴れでも雨でもどっちでもいいよ」、
「暑くても寒くてもどっちでもいいよ」、ということと同じです。

なにかの基準において平等ということではなく、空において平等ということですね。
健康基準3において平等ということじゃない。
健康+6も3に見える、病気−6も3に見える、ってことじゃないです。
健康と病気が消えて、まっ平になる・・・

このとき、病気や健康そのものが現象的に消えるということではなくて、価値判断が消えるということです。
これが「空」ということですよね。 「無」じゃない。
中道というのは「空」のこと。
価値判断が消えて両極が平等になれば、両極が有っても意味をなさなくなる。
無いのと同じ。

ブッダが説いてるのは中道ということで、二元論を越えてる
全ての物が平等になる道、空になる道ということで、「一」なる存在も説いていない。
なので、一元論をも超えている
0771神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 01:00:08.68ID:0oJ2r7lB
>>767
ウパニシャッド等のアートマンも、全てのものが平等で、相対を越えているということで
言ってることは同じ。
だから、「このアートマンはただ『そうではない、そうではない』と表現されるにすぎない。」
ということになる。

これは言葉のあやみたいなもんで、アートマンという一元的なものが表現されているが、その内容は、一元的には表せないものだ、
という説明が、いくつもなされてるわけ。
一元的と見てしまうと、自分とアートマンは別で、修行によって達成するものとなっちゃう。
事実、あなたはそうなってるわけで・・。
一元的と見ると、内と外がある存在と見てしまうんだよね。
そこであなたみたいな弊害が起こってくる。

結論的には、ブッダが説いたのは二元論と一元論を越えるものだってことと、中論も一元論ではなくて
一元論をも超えるものだってこと。
0772宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/07(日) 01:13:24.22ID:FR5bXNow
>>769
そういうのは、あくまでも禅の立場のものでしょう。
ハッキリいって禅には仏典は要らないし、要するに全然、読んでないから(苦笑)。

>>770-771
「中道」や「空」を連呼すれば分かってるつもりになってる典型ですね...。

>結論的には、ブッダが説いたのは二元論と一元論を越えるものだってことと、中論も一元論ではなくて
>一元論をも超えるものだってこと。

“そのもの”を指し示すことは不可能です。
それが言語における限界性なのですから。
よって、ブッダの教えは二元論であり、そして、中論は一元論なのです。
だから、教えとして“説いたら”、そのときそれはすでに“そのもの”からは外れたただの「論」になる。
「論」以外を述べることはブッダにも不可能ですから。

>>768
ですね!
「空」というのは、この現象界の実態とその性質を言い顕したものです。
“現象界の事象のすべてには実体がない”という意味です。
なので、これは要するに現象界のことを説明した言葉ですから、
これを「涅槃」のことだとするのは大間違いなのです。

伝統信奉者によく見られる勘違いが、この涅槃は「空」であるというものです。
“現象界が「空」であることを悟ることによって、〜涅槃に至る... ”という表現は間違いではないけれども、
しかし、“涅槃が空である”と述べている経文を見つけることはできませんから(あると思う人はそれを提示して下さい)。
同じようなものとして、先ほどの“涅槃は中道である”というものもない。
“中道(〜を歩むことによって)によって涅槃に至る”というのは当然ありますが...。

前回、「中道」とは、「八正道」のことであると説明しましたけれど、
この八正道というのは、すべてに必ず「正」がつくのです。
つまり、これは“正誤”という二元論における「正」だということです。
涅槃というものは、その正誤も超えているし、仏道における善の歩みにおいても同じく、
涅槃においては、その善悪の二元も超えているわけです。
0773宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/07(日) 01:20:55.13ID:FR5bXNow
>>770-771
まっ、これ以上は相手するの辞めておきますよ。
* 何度も投稿するつもりならば、コテハンをお願いしたいと思います。

あなたのいいたいことは判らないでもないし、
大変、勉強されていることはよく分かる。それは評価しておきます。
0774神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 01:30:13.82ID:n/PjHZRL
「不生不滅の法性」─「空」についての大きな誤解
(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/052.html

小川一乗の唯物論的な真宗の解釈、輪廻の解釈はどうかと思うが、この空についての論文はケチのつけようがないと思います。
空は何かの根源となるものではないし、個人が空性を悟って空と合一するというものでもありません。
0775神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 01:51:53.85ID:0oJ2r7lB
>>767
たとえば、ある惑星には(登りの)坂道しか
なかったとします。
平坦な道、下り坂という概念が無い。
相対的なものが無いので、価値判断が生じません。

なので、「上り坂はキツイ(平坦な道・下り坂は楽だ)」、という概念が発生しない。
とすると、その惑星の人にとっては、上り坂が「あたりまえ」になるわけです。
だから価値判断無しに、淡々と登っていく。
中道と同じことになるわけです。

それで、「行為の実修」、ということですが、これは道元禅師の言う、
「只管〜」と同じことです。

「お前の関心は行為にのみあり、決して行為の結果にあってはならない。
行為の結果を、おまえの動機としてはいけない。」

これは例えば、座禅というのは「雑念を無くすため」にやるもんじゃありません。
「無」を目指すものじゃない。
「ただ行う」ってことです。
「ただ行う」というのは前後裁断の「今」にある状態で、価値判断が収束している状態。

たとえば、面接を受ける時に緊張する・・・・
緊張しないで面接を受けれることを「善」とし、面接のときに緊張してスムーズに
受け答え出来ないことを「悪」とする。

とすると、この人は、「善」の結果を求めてあれこれやりくりすることになります。
面接の前に緊張しないようにしようと、心をあれやこれや計らう。
この人は、相対的な概念の世界で生きてる、ということになります。

もしもこの人が、緊張する、しない、という善悪はさておいて、
「ただ面接を受ける」ということにしたとする。
善を目的とするんじゃなく、悪を排除することを目的とするんじゃなく、
「ただ行う」。
そうすると、やがてこの人は、「行う」ことが目的となって、
「結果」が目的とならない。
「結果」・・・ つまり、「善・悪」という相対的な両極が止んで、空(平等)になる。
これが、「行為の実修」、ということ。
0776神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 01:52:36.23ID:0oJ2r7lB
>>767
「行為の実修」を短絡的に、「〜〜になるための修行」と捉えると、それは「結果」を求めた行為ということになって、
相対的な世界に捉われていることになる。
相対的な世界を脱するには、「〜〜になるため」ではなく、「只行う」、ということ。
それが中道(空)につながる。

上り坂しかない惑星でも、坂道を行くときは相対的な概念が働かないから、価値判断もなく、
「ただ登る」、ということになる。
登ってる時に、「坂道はキツイな」、「平坦な道はいいな」、と、
良し悪しの相対的な概念は起きない。
0777神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 01:54:28.09ID:n/PjHZRL
>>772
八正道というのは龍樹でいう世俗諦のことで世俗諦は言葉による分別が必要なので正が付くのはもっともか、と。

涅槃が空であるのは、まず涅槃においては識別作用はないということ、これはスッタニパータなどで散々説かれていたと思いますが空は無分別ですから識別作用は死滅しています。
次に前にも書いた覚えがありますが、涅槃について具体的な自説経の涅槃に関する経において、

 「比丘たちよ、その場所(処)は存在する
――そこにおいては、まさしく、地なく、水なく、火なく、風なく、虚空無辺なる〔認識の〕場所なく、識別無辺なる〔認識の〕場所なく、無所有なる〔認識の〕場所なく、非想非非想なる〔認識の〕場所なく、この世なく、
他世なく、月と日の両者はない。
比丘たちよ、そこにおいて、また、わたしは、まさしく、帰る所(現世)を説かず、赴く所(来世)を〔説か〕ず、止住を〔説か〕ず、死滅を〔説か〕ず、再生を〔説か〕ず、
これ(涅槃)を、依って立つところなきものと〔説き〕、〔対象として〕転起されることなきものと〔説き〕、まさしく、〔転起された〕対象ならざるものと〔説く〕。
これこそは、苦しみの終極“おわり”である」

と説明していますが、涅槃とはこれと示すものは何もない、識別作用がなく無分別な境地であると言えると思います。

涅槃を知覚するのは五蘊で構わないと思います。
同じ自説経のバーヒヤの経で
「見られたもののみが有るであろう。聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう〜そう出来れば苦しみは終わります」
と説かれています。
見たり、聞いたり、思ったり、識ったりしても想念を働かさなければ行識と進みません。
ですから涅槃を体験するのは想受滅定と言われているのだと思います。
0778神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 01:59:34.20ID:0oJ2r7lB
>>775)に補足

・実修ヨーガの中にあって、
 執着を捨て、成功・不成功に対して心を平等に保ち、行為せよ。平等心こそ実修とよばれる。

・結果を(行為の)動機とする者はあわれむべき者である。(2-49) 心の実修を修めた者は、この世において善行と悪行の二つを
 捨てる。それゆえに、おまえは実修に専念せよ。
0779神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 02:10:40.42ID:0oJ2r7lB
>>772
>“そのもの”を指し示すことは不可能です。

だからこそ、一元論をも超えているのです。
相対を否定しているってことは、二元論を否定していることと同じですよね。
その上、一元的にもそのものを指し示すことは不可能である、ということになると、
一元論をも超えているということになる。

>“現象界の事象のすべてには実体がない”という意味です。
>なので、これは要するに現象界のことを説明した言葉ですから、
>これを「涅槃」のことだとするのは大間違いなのです。

現象界が「空」ということになれば、この世のすべてのものは平等になる。
たちどころに戦争なんて無くなりますよ。
この世を空と見ることが出来ない・・・・ だからこそ「苦」があるわけで、
戦争があるわけです。

「空」というときには、あらゆる「個我」が無くなっているときで、
それが「縁起」ということになります。
「個我」が相依性によって繋がっている、ということが明らかになれば、「個我」は消滅するんです。
これが「空」ということ。
「縁起」とはワンネスのことで、個我が一つもない状態で
初めて成立するものです。

だから「空」は、アートマンにも繋がるんです。
「空」がないとアートマンは成立しない。
(だからといって、そのアートマン(ワンネス)が内と外のある一つの存在ということではない。)
0780神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 02:25:26.79ID:0oJ2r7lB
>>772
>前回、「中道」とは、「八正道」のことであると説明しましたけれど、
>この八正道というのは、すべてに必ず「正」がつくのです。
>つまり、これは“正誤”という二元論における「正」だということです。
>涅槃というものは、その正誤も超えているし、

言葉の説明というのは、注釈がすべてなんですよ。
たとえば、「アートマンは○○というものだ」、というとき、「アートマン」と言ってるから「一元論」とするのは早計なんです。

「アートマン」とは「内と外がない」、とか、「そうではない、そうではない」で現されるとか、
その説明を見ないとダメです。
つまり、注釈によって「相対を越えている」、「内と外のある一つの存在ではない」、という風にされていたら、
そのように受け取らないといけない。

で、「正見」というのも、>>759の、カーティヤーヤナの「正見」とはどういうものですか?
という問いに対して、「無と有の両極が無くなる見方だ」、と、説明しているわけです。
つまり、相対を越えているということ。
なので、「正」と書いてあるから「正誤」の二元性の話をしているだ、と、
短絡的に受け取ってはダメなんですよ。
「正」というのは、「無と有が無くなる(平等になる)正しい見方」、ということ。
「正見」とは二元を越えた見方、ということ。
つまり、中道を見るということが「正見」ということ。
0781宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/07(日) 03:15:39.50ID:FR5bXNow
>>775-776
もう一つ、おまけ。

ご理解開陳の全般においては、まぁまぁ良しとしても...
しかし、一番最初のそれしか知らないことを「中道」と同様に見なすのは如何なものかと?
ていうか、意味合い的にはそれは全然、異なるものだと思いますよ!

まったく北朝鮮のこと(からの偏った情報)しか知らない人間と、
一方、自国(北朝鮮)以外の、世界の諸外国についても知っている人間が採る
自国と世界の関係における姿勢の「中道」とはまったく違うものです。

“両極端にならない中道”と“それしか知らないこと”とは同じではないですから。
中道とは目指すべき理想の歩み方であって、しかし、もう一方の、
それしか知らないことのそれが最も良いものであるとは限らないのです。
だから、これはそういう意味ではない。

>>774
小川氏当人の持つ、
唯物主義者+伝統仏教的ニュアンスから感じられてくるウパニシャッド否定意については同意しないけれども、
それでも、論文全般においてはなかなか良い解説かもしれませんね。
それから説一切有部の説く、“法の実体視”に対する批判という意味合いもまったく同様なのでしょうが、
しかし、“法の永遠性”については動かし難い事実として認めざる得ないものと思う。
「如来が出現しようがしまいが、諸法の法性は存続している」(原始経典の縁起真如/大乗の諸法実相)

>龍樹の「空」においては、「不生不滅の法性」とは、
>「縁起しているものは、自性として生じたり滅したりしているのではない
>という事物の在り方が真実である」という意味です。それ以外の意味がそこにあるわけではない。
(小川一乗)

はい、これについてはイイ!!
0782宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/07(日) 03:29:47.88ID:FR5bXNow
>>770
>中道というのは「空」のこと。

だから、これも違うって!

「中道」は理想の歩み方、正しい姿勢と見解のことです。
しかし、「空」にはそのような意味はまったくないから。それは理想でもなければ望ましいものでもない。
「空」とはこの現象界の実体、その状態そのものをいってるだけですよ。
そう、小川氏の説明が正解です。「それ以外の意味がそこにあるわけではない。」 (小川一乗)>>781

ただ、自分の知ってることだけを書き連ねられても...
見ている側は困惑するだけですね(苦笑)。
0783神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 13:11:55.28ID:0oJ2r7lB
>>781
>ていうか、意味合い的にはそれは全然、異なるものだと思いますよ!

価値判断が停止する、という例を示したかったわけです。
わかりやすく。
価値判断が停止するという点については、全く同じ原理なんです。
他と比べることが起こらない。

坂道としては同じですよ。 まったく。
地球でも、その惑星でも、全く同じ坂道を登っていると仮定します。

地球の場合は、「この坂道キツイな」「ここに坂道が無ければ良かったのにな」、と、
価値判断が起こって「両極」が生起します。
その惑星ではもちろん、両極が生起しませんから、「上り坂」についての一切の価値判断が起こりません。
これが両極に対する中道と同じなんです。

つまり、「上り坂」というものは全く同じで消えていないが、「上り坂」に対する「両極」の
価値判断が消えるんです。
(比較して)キツイとか、楽だとか。

この両極が消えることが「空」ということで、その両極が消える道のことを、
「中道」というんです。
中道 = 「両極に捉われない道」 という風に訳すことが出来ます。

このときの両極は相依しているんですよね。
「下り」があるということは、「上り」が意識されているんです。
「(坂などの)起伏のある道」、ということがあれば、「平坦な道」、というものがあるわけです。
「起伏のある道」、ということがなければ、「平坦な道」、というものがありません。
そのような価値判断は起きない。
惑星の例では、ちょうどこのような相依性による生起が、意図的に
起きないようにしたわけです。
中道の状況を意図的に作り上げたということ。

また、「起伏のある道」と「平坦な道」という価値判断の両極は、相依しているから
単独では存在出来ないんだ、(実体がないんだ)、という状態が
「縁起」というんです。

惑星の例では、「起伏のある道」、という価値判断の一辺は、
単独で存在出来ません。
単独で存在出来ないので、「上り坂」という価値判断の概念が
消滅するわけです。
0784神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 13:19:55.87ID:0oJ2r7lB
>>783
>「中道」は理想の歩み方、正しい姿勢と見解のことです。
>しかし、「空」にはそのような意味はまったくないから。それは理想でもなければ望ましいものでもない。

その「正しい姿勢」、「見解」とはなんでしょう・・・?
それは、「両極に捉われない姿勢、見方」、ということです。
それが「中道」ということ。

相対的なものが「空」になる、あらゆる二元性のものが「空」になる、
そのようなものの見方が、「正見」というのです。

だから、「中道」 = 「空」 = 「縁起」 ということになるわけです。

すべてのものがアートマンになったとき、そこに価値判断は起きますか?
それは惑星の例で示された通りです。
0785宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/07(日) 15:05:20.29ID:FR5bXNow
>>783-784
あなたのような自分勝手な屁理屈を展開するならば、
そりゃ〜もう何でもありでしょ! 
だから、どうぞあなた自身はあなたの好きにやって下さいよ。

>すべてのものがアートマンになったとき、そこに価値判断は起きますか?

「なったとき」ではなくて最初からなってるの。ただ、我々にはそれが分からないということなの。
そして、最も肝心なのことというのは、この二元世界で生きる通常の我々にとっては、
現実的に理解して実践可能なものは、世俗諦(二元論)だけなのだということ。
だから、今のこのままで「すでにアートマンだ! 涅槃そのものだ!」などと連呼したところで実際には何も進展はない。
あなたに『ギーターを』読めといったのは、そのあなたの“勝義的な一辺倒の愚”に気付けということなの。わかる?
以下のこの部分を、あなたは毎日、読誦すると良いのでは?

 『(行為の)遠離と行為の実修とは、ともに至福(解脱)をもたらす。しかし両者のうちでは、行為の実修が行為の遠離よりすぐ
れている。(5-2) 哲学サーンキャと実修ヨーガとを、異なった(結果を生ずる)ものとして愚者は語るが、しかし賢者はそうではない。たと
えそのいずか一方にでも正しく専念すれば、両方の結果を得る。(5-4) 哲学者サーンキャが得る境地は、実修者ヨーギンによっても達せら
れる。哲学と実修とを(同じ結果を生ずる点で)同一であると見る人は、真に見る者である。(5-5) しかし、力の強い者よ、行為
の遠離は行為の実修なくしては容易には達せられない。実修を修めた聖者は直ちにブラフマン(宇宙の最高原理)に到達する。(5-6)』
(『バラモン経典/原始仏典』ギーター第五章より/中央公論社刊)
0786神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 16:58:32.43ID:0oJ2r7lB
>>785

>>782
>「中道」は理想の歩み方、正しい姿勢と見解のことです。
>しかし、「空」にはそのような意味はまったくないから。それは理想でもなければ望ましいものでもない。
>「空」とはこの現象界の実体、その状態そのものをいってるだけですよ。

これについては何度も言うように、>>759に載せたカーティヤーヤナの問答で明らかです。

「大徳よ、正見、正見と申しますが、大徳よ、正見とはいったい、どういうことでございましょうか?」

「カッチャーヤナよ、この世間の人々は、たいてい、有か無か二つの極端に片寄っている。

カッチャヤーヤナよ、正しい智慧によって、あるがままにこの世間に生起するものをみるものは、
この世間には無というものはない。
またカッチャーヤナよ、正しい智慧によって、あるがままにこの世間から滅してゆくものをみるものには、
この世間には有というものはない。

<これがわたしの我なのだ>ととらわれ、執著し、こだわるところところがなく、ただ、苦が生ずれば苦が生じたと見、
苦が滅すれば苦が滅したと見て、惑わず、疑わず、他に依ることがない。
ここに智が生ずる。カッチャーヤナよ、かくのごときが正見なのである。

カッチャーヤナよ、<すべては有である>という。
これはひとつの極端である。
また、<すべては無である>という。
これももう一つの極端である。

カッチャーヤナよ、如来はこれら二つの極端を離れて、
中によって法を説くのである。」

これを見てもまだわかりませんか?
中道というのは「二つの相対を越えた道」、ということ。
それはどういうことかというと、両辺が無くなるということ。
そして、そのように見ることを、「正見」、ということ。

あらゆる相対が無くなるということは、すべてが平等になるということです。
そのとき、相対を持っておのおの差が生じていた「個我(実体)」が、無くなる(空になる)ということです。
これはもう、疑いようがないですよね。
上記の文章からみれば。

またこれは個人の見解や妄想ということじゃないです。
中道が空を説くというのは、一般的な見解といってもいいものなんですよ。
あなたが知らないだけ。
0787神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 17:29:17.58ID:0oJ2r7lB
>>785
あなたはまず、「行為の実修」というものが何を指すのか
全然分かってないでしょう?

「行為の実習」とは「結果を目的にしない」、ということです。
なぜなら「結果を目的とする」ということは、分別の価値判断が働いている、
ということになるからです。
結果を求める、というのは、相対的な価値を求めていることになるんです。

・結果を(行為の)動機とする者はあわれむべき者である。(2-49) 心の実修を修めた者は、この世において善行と悪行の二つを
 捨てる。それゆえに、おまえは実修に専念せよ。

「心の実修を修めた者は、この世において善行と悪行の二つを捨てる。」
というのは、二元性、相対を越えるということです。
つまりこれは「中道」のことを言っているんです。

「行為の実修」というのは前にも言った通り、「只行う」ということです。
「結果本意(相対的な価値本意)」ではなく、「行為本意(今行っていることに意識を向ける)」ということです。

もう一度例を上げると、
たとえば、バンジージャンプをしようとするときに、「不安」が起きたとします。
このとき、「不安」を「安心」に変えてから飛びこもうと、あれやこれや息を整えたり、意識を反らしたり、
計らったりすることが、「安心」という結果を求めた行為、ということになります。
つまり、相対的なものに引っかかったものの行為、ということになります。

反対に、心に不安があろうと、それはそのままに、只飛び込む・・・・ それが「行為本意」、
そういう行いをすることが、「行為の実修」、ということになります。
不安や恐怖は消えるわけではなくても、不安や恐怖に捉われなくなる。
不安と安心という相対的なものが、主体にならなくなる。
それは、不安や安心という相対的なものが無いのと同じです。
つまり、それら両極が空になったのと同じ。
どちらでも行為には関係ない、ということで、価値としては平等なわけです。
0788神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 17:30:18.89ID:0oJ2r7lB
>>785
そして、「行為の遠離」というのは、これもあなたは全く分かってないでしょうが、
これは親鸞の「信」と同じなんです。
100%完全な「信」というのは、「全てを託する」ということなんですよね。
相対的な価値判断をもとに、ああだこうだしない、ということ。
人は多かれくなかれ、だいたい相対的な価値判断をもとにああだこうだして苦しんでいるわけです。
病気になったら不安になる。
なんとかしないとと、余計なことを考えたり、右往左往するわけです。
相対的な価値判断をもとに、良い「結果」を求めるからです。
「結果」を求めて行為する。

100%の「信」があれば、すべてを任せられるので、良いも悪いもすべてお任せ・・・
そうすると、相対的な価値判断が止むわけです。
つまり、中道に至るということ。

ただ、100%の信というものは、そうそう簡単に出来るもんじゃない。
そこで、「行為の実修」・・・ 念仏があるわけです。
念仏は阿弥陀様に救われようとする、「結果」を求めるものではありません。
もし、救われようとして「結果」を求めるなら、それは相対的な価値判断ということになり、
「行為の実修」にはなりません。
阿弥陀様にもう既に救われているんだ、ということを基に、
念仏をしているわけです。

相対を離れて行う行為のことを、「只」と言います。
相対がないから、何かを求めるということがないから、「只」ということですね。
この相対を越えることを、「行為の実修」というわけです。
0789神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 21:15:40.51ID:5/NtSIbc
まぁ、
(幼虫が繭蛹を越えて)「完全な隠居化」を果たした、
ということだろうかね・・・。   >>宝珠
0790神も仏も名無しさん垢版2019/04/07(日) 21:44:27.13ID:5/NtSIbc
宝珠の欠点は、ただ二つ。

 ・「不公平の清算」及び「これまでの不幸の“見返り”と”補償”の希求
 ・「この世に存在するのは事象のみ」ということが受け入れられない
   (→『主体(「私」)のない事象』は存在しない、というこだわり)

寧ろ、
「事象のみの事象」(―こういう滑稽な言い方をしなきゃならないほど宝珠がイカレてるって証左でもあるがw―)で、
世界は構築されてるわけで、
その中に、「意志(≒個我)」を盛り込む余地はあるんだろうか・・?
0792パーピマン垢版2019/04/08(月) 00:14:56.52ID:LjPRMiD9
>・「この世に存在するのは事象のみ」ということが受け入れられない
>   (→『主体(「私」)のない事象』は存在しない、というこだわり)

通常の世俗における世界観・・・・また、キリスト教やその他の宗教的世界観でも
「わたし」が存在することが、まず全ての前提になっている。
ということは、仏教の世界観の方が圧倒的少数派であって、さらにその仏教の中においてさえ
「わたし」の存在を前提として説かれてきたことが、あまりにも多いw
(悪いことすると地獄で罰を受けるとかねw)

主体を排除した事象のみ・・・・を受け入れるというのは、やっぱり難しいんだよw
でも、そこを納得できなければ、少なくとも釈迦のいう仏教はわからんでしょ?w

人間は、ある行為に焦点をあてたとき、必ず「何が?」とその行為の主体を問題に
してしまう。  行為を単なる一つの事象に落とし込み、その主体を問わない視点は
やっぱり難易度たかいんだろうなあw
0793神も仏も名無しさん垢版2019/04/08(月) 09:32:18.83ID:CyciMyeY
お釈迦様がTwitterトレンド入りしてるから思い出したけど、今日はお釈迦様の誕生日。
0794神も仏も名無しさん垢版2019/04/08(月) 20:44:36.19ID:WJqVUrrA
お釈迦様は4月8日に生まれるがこの生まれがお釈迦様にとっては最後の生まれとなる。
35歳くらいの時に悟りを開き如来(真如から来た者)、仏陀(目覚めた者)、つまり修行完成者となった。
80歳の時の3月15日に入滅したとされる。

さて、お釈迦様にはアーナンダという直弟子がいたがアーナンダはお釈迦様を越える120歳まで生きたとされる。
なぜアーナンダはそこまで長いきできたのか?
それはアーナンダが修行完成者(梵行完成者)であったからと思われる。
修行完成者は請われれば寿命よりも長くこの世にとどまることができる。
アーナンダはお釈迦様からそのことを直に教えられたので知っていた。
もちろんアーナンダは修行完成者であり煩悩を燼滅したので必要以上の生存欲はない。
だが彼には多聞第一としてブッダの教えが正しく伝わるかどうかが気がかりで死ぬに死ねなかったのかもしれない。
アーナンダは後輩の弟子に修行完成者は請われれば寿命を伸ばすことを伝え、それを察した弟子が出来る限り長くこの世にとどまって下さいと懇願したので120歳まで生きることができ、お釈迦様の教えを正しく伝えることができた、のかもしれない。
0796神も仏も名無しさん垢版2019/04/08(月) 22:32:35.31ID:CyciMyeY
>>794
その説はなかなか面白いですねw

ちなみに私が持っている大般涅槃経は増谷文雄氏の訳ですが、
それでは「アーナンダよ、もし欲するならば、如来は一劫でも、それ以上でも、生を保つことを得るであろう」と訳されていて、
如来はほぼ不死身となっています。
この訳が正しいのならあるいは如来常住はこの辺が起源なのかもしれませんね。
0797神も仏も名無しさん垢版2019/04/08(月) 23:13:02.70ID:8v+ljQOq
自演を疑いたくなるほど、
どちらも在家臭の強いレスだな・・・。
0798神も仏も名無しさん垢版2019/04/08(月) 23:44:02.35ID:GOKI8UEV
こいつは例の、気持ちの悪いやつだろう >>796
0800神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 00:27:56.37ID:xHmOqjYd
Twitterで「花祭り」で検索したら続々とツイートされてますね。
形はどうであれ仏教に帰依ないし心惹かれている人がたくさんいるようで何だか安心しました。
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?aq=-1&;ei=UTF-8&fr=yjapp3_ios_hp&p=%E8%8A%B1%E7%A5%AD%E3%82%8A
0802宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/09(火) 12:24:23.29ID:4k/SszXp
>>800
私のところでは不動尊をお祀りしているのですが、
この日(花祭り)は祭壇に、(「誕生仏」まではありませんけど)「白象」と“水面に散華を浮かべた飾りつけ”をしています。
寺院に行ける場合には、私も甘茶掛けの供養をしてきます。
 http://houjugusya.web.fc2.com/elephant.jpg

>>801
寺院での本格的な花祭りに初めて参加したときは、この私も少し驚かされました。
でも、参拝する側にとってはなかなか楽しめる変わった行為ですよ。甘茶も飲ませて頂けるし...。
その意味も伝承と合わせて理解するとなかなか微笑ましいものがあります。
まっ、果たして本当に甘茶掛けをお釈迦様が喜ばれるかどうかは分かりませんけれどね(笑)

「誕生仏」というのは、生まれてすぐのお釈迦様が、
右手で天を指さし左手で地を示して自分が「天上天下唯我独尊」であると示したとされるポーズの仏像のこと。
しかし近年は、“お釈迦様って随分と威張って偉そうな人だったんだ”などと批難されるのを避けようとして、
意図的に、「これはすべての人間一人一人が唯一独自の存在であり、そして、皆それぞれに等しく尊いと示したもの」といった、
まるでSMAPの名曲、「世界に一つだけの花---もともと特別なOnly oneオンリー・ワン」的な話へとすり替えたところが圧倒的に増えましたね...。

これはとても残念なことですね!
どーして、そうやって無知なる大衆たちの批難の目から弱腰になって逃げてしまうのか!
これはどう見ても、明らかなに自分が目覚めたひと仏陀であるとの自覚を周囲へと向けて宣言したものです。
それは我々が威張り散らすのとはもののレベルが違うこと。
ゴータマ王子は仏陀となるべき人としてバラモンに予言された者であり、そして、それが見事に成就してこの世に誕生された方です。
究極の完成者たる者は必ずそのことを自認し、その高次の意識境から初めての自覚のメッセージを発するのです。
そして事実、世界にゴータマ王子の他には仏陀という存在はいなかったし、そして、それ以降も二度と出現されることがなかった。
これは、そういう意味のことを伝えている逸話です。
確かに、実際には後付けの神格化かもしれませんが、その意味としては変わらない。
0803神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 14:57:22.77ID:IpUTwKm1
>>802 実際、出家在家を問わず、日本の仏教って権力志向でエラそうだもん。
クリスチャンみたいに社会的弱者救済ってやらないよね。
寺社がホームレスに寝食を提供したりしないじゃん。選挙かカネか教団の利益ばっかし。
0804宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/09(火) 15:56:38.30ID:4k/SszXp
>>803
まぁ.有り余った財力(布施)からの一部寄付金はやってたりしますが...。

今回、真言宗智山派の活動としては、
檀信徒に北海道厚真町の復興と被災者供養を願って「(大師御法号)写経」と「添え護摩ぎ」を書いてもらい、
その売上金全額を厚真町へ寄付。書き上げた写経と護摩木で柴燈護摩を焚いて祈願供養するイベント法要を企画しています。
日程未定ですが、5月頃に開催予定とのこと。
私も妻と二人で少し書きました...。
0805神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 16:06:28.97ID:ykR1iIaK
>>804 寄付とか売名じゃなくて、貧困家庭やホームレスの救済はしないの? 生活保護や再分配強化するよう野党に投票呼びかけるとかは、利権絡みで出来ないだろうけど。
0806神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 16:10:03.13ID:+XS94E37
未だに勘違いしてる人も多いけど、日本のお寺は一般家庭だから。
お寺でそういう活動が少ないのは、一般家庭でそういう活動が少ないのと、
実は同じ理由。
0807神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 18:00:38.41ID:IpUTwKm1
>>806 理由にならんな。アメリカのクリスチャン活動は一般家庭の人間が中心でボランティアで弱者救済やる。日本仏教は冷たい。
0808神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 19:20:40.77ID:+XS94E37
>>807
理由にならないことを示したいなら、
「アメリカの家庭でなく、日本の家庭でどうか」に言及しなきゃ意味無くない?

>>807は、他国を比較事例としての

 「日本人は”そういうこと”をしていない」

というデータ紹介にしかなってないと思うけど? (´・ω・`)



で、もっと言えば、
「キリスト教系の福祉活動へのベクトル」と「仏教系の福祉活動へのベクトル」の対比
でしかないよね。 807は。  
0809神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 20:16:03.20ID:IpUTwKm1
>>808 要するに仏教は他者救済をしないってこと? 寺にお布施してればそれでOKなの?
0810神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 20:59:16.18ID:ZBu/Kn+5
現象面での救済と、仏教の根本の目的はちがうから。
現象面での救済を仏教に求めるっていうのが、
そもそも間違ってる

仏教を慈善団体と勘違いするなと。
0811神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 21:08:07.66ID:IpUTwKm1
仏教の根本の目的は何? 解脱して灰身滅智すること? そうして超然として現実に困っている人は放っておくのが仏教なの?
0812神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 21:39:25.50ID:+XS94E37
>>811
そういう人は、大乗仏教に邁進すればいい。

仏教の基本は「個の救済」。
それに付随して(慈悲が顕れて)、「他者への“助言”」が両輪となる。
0813神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 21:40:46.68ID:+XS94E37
もし、本気で、『他者を救える』と思っているとしたら、
宝珠や在家並みのお花畑と言わざるを得ない。
0814神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 21:45:18.54ID:IpUTwKm1
>>812
>>813
やっぱ小乗の人って我さえよければいいっていうのは本当なんだね。
大乗の人もそうなのかな? ところであなた方はあなた方の信じるところに従って、必ず解脱できるの? 
またそのように修行しているの?
0815神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 22:17:31.32ID:IpUTwKm1
>>813 「解脱してから他者を救う」って言うのは「カネを稼がないと、施しも出来ない」っていうほどの意味なら理解できるが、解脱して仏陀になるまで誰も助けないでいいのかね?
0816神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 22:36:23.40ID:+XS94E37
>>815
そもそも

 「助ける」

って、何をすること?


「食べさせる」こと?「金品を施す」こと?
「生活の様々な場面を物理的時間的に補助する」こと?
「行政、国に働きかける」こと?「様々なデモや社会運動によって自治体や社会を動かす」こと?
「友達のいない人間のともだちうになる」こと?「恋人のいない人間の恋人になる」こと?
「母親或いは父親のいない子の母親父親になる」こと?
「学校へ行く時間の無い子(金銭的余裕のない子)に教育費等支援する」こと?
災害でひな生活する人たちに、新たな住宅を提供する」こと?
「仕事がなかなか決まらない人に、職を提供する」こと?
「災害で地域産業が壊滅した地域に、再生の為の資金援助や人寄せ、魅力の再構築再宣伝をする」こと?
「不治難病に侵された人の病を治す」こと?「怪我をした人障碍を負った人の怪我や障害をなくす」こと?
「手足を失った人、視覚聴覚を失った人に、手足や視覚や聴覚を取り戻させる」こと?
「全国のホームレスに食事を提供する」こと?


つか、>>814>>815は、
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1551435418/
とか
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1475096945/
とかで質問すべき。

貼っておいてあげる。
0817神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 22:41:15.77ID:+XS94E37
つか、
この話も、永遠のテーマなんだろうなw

何度出てきてる話題か数知れないが、
「過去スレ嫁」とかだと、また怒られるしなぁ・・・  orz
0818神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 22:43:37.48ID:+XS94E37
あ、一つ参考ワードを。

「全人類総出家(≒総解脱)」はあり得るか?また、是とし得るか否か?
0819神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 22:50:57.72ID:IpUTwKm1
>>816 それ全部全て出来るのが仏教じゃないの? 少なくともキリスト教はそれ全部がイエスの愛で叶うとしている。仏教では、それは出来ないことなの?
0820神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 22:56:25.71ID:IpUTwKm1
>>818 総出家したら社会は成り立たない。と言うか人類が終わるよね? それを目指すのが仏教だとしたら、他の宗教に滅ぼされるのもむべなるかな。インド仏教が滅ぼされ、チベットが中共に侵略されたのも仕方なくなる。
0821神も仏も名無しさん垢版2019/04/09(火) 23:40:40.87ID:ZBu/Kn+5
キリスト教ってのは元の教えもそうだけど、現代ではとくに、
『愛』がその教義の基本となってるから。

だから布教者は、必然的にそれを証明するために、
他者救済をやらなければならなかったわけ。

教義の証明であって、本当にその人の心でやってるかどうかわからない。
やってる人は、キリストの教えを守ってるという満足感にも浸れる
それが目的で、本人も知らずしてエセ救済者になってる場合がある。

なにはともあれ、キリスト教は他者救済(愛)が教義そのものになっているので、
それが教義の実践ということで、キリスト教が他者救済をやってるということじゃなくて、
キリスト教そのものの現れ方なんだよ
だから、宗教は他者救済をやるべきだっていう、安易な発想は
短絡的というしかない。

それから、キリスト教の本当の証明、本当の実践とは、マザーテレサ並みに自己を投げうって、
本当に底辺に身を投じて他者を救済することだから。
金だけ出して満足したり、いいことしてエゴを満足させる程度のものじゃないから。
そういうやつらは逆に地獄に落ちるぞ。
0822神も仏も名無しさん垢版2019/04/10(水) 00:16:51.70ID:r/98R04Z
>>821 821氏は地獄へおちたく無い訳だね。その価値観は誰にとっても普遍的と言えるから是と出来ると思う。
仏教の地獄とキリスト教の地獄は違うものと思うのだが、なぜ仏教徒であろうあなたが、
キリスト教の信仰のありかたを評価して地獄へ落ちるか否かを決められるのか?

”それが教義の実践ということで、キリスト教が他者救済をやってるということじゃなくて、
キリスト教そのものの現れ方なんだよ ” それはキリスト教が仏教より勝れた点では無いか?
他者救済をしない宗教に意味があるなら、救済が目的ではないならなんのために仏陀は出世間したのか?
仏陀の説いたところは衆生に対しての救いでは無いのか? 仏者は自分の事だけを考えていれば良いのか?
0823神も仏も名無しさん垢版2019/04/10(水) 02:19:45.54ID:dX4iWw88
宝珠さん、なぜキリストが彼を13番目と呼んだかわかりますか?
歳差運動によって一星座の時代が約2000年…
一時代には必ず一人の救世主が出現する
水瓶座の時代は新時代、新時代の救世主が現れるわけです

「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。
その人について行きなさい 」
 - 新約聖書 マルコの福音書 第14章13節 -

なぜ、キリスト教は13という数字を忌み嫌ってきたのでしょうか?
なぜルシファーを悪魔としたのでしょうか?
それはなぜかというと、それが自分たちを滅ぼすものだと
知っていたからです

キリストの弟子たちはある時夢を見ます
12人の祭司がいて、ある者は多くの罪と不正行為を犯し、ある者は男と床をともにし、
ある者は自分の子を犠牲としてささげ、ほかの者は妻をささげ、互いに称賛し、謙遜しい、
キリストの名を唱え、自分たちの行いは不完全なのに、犠牲は完全に行っている…

弟子たちはそう言うと、心が騒いだ

キリストは言った
「なぜ心を騒がせるのか? その祭司たちは皆、私の名を唱えているのだ
本当にわたしはあなたがたに言う 彼らは私の名によって、
恥ずべきやり方で、実がならない木を植えた」

「あなたがたが見た12人はあなたがたである。 あなたがたが見た犠牲として捧げられていた牛は
あなたがたが迷わせて祭壇の前に連れて行った人々である。」

「しかし、『終わりの日に彼らは恥に落とされる』 と命じられるのは主、宇宙の主である。」
0824神も仏も名無しさん垢版2019/04/10(水) 02:39:32.96ID:dX4iWw88
最後の晩餐とは時代の終わりのことです
魚座… キリストの時代の終わり
そしてそれは同時に、新時代の幕開けを意味します

水瓶を持つ男についていくと、二階に案内されます
この『二階』というのが、次元の上昇を意味します
つまり、アセンションです

前時代から新時代へ移るとき、新時代が前時代を『殺す』という
型を演じなくてはならない
その型がどうしても必要だったわけです

イエスは言った
「おまえは後の世代の批難の的となり、… そして彼らの上に君臨するだろう。
最後の日々には、聖なる世代の元に引き上げられるお前を彼らは罵るだろう。」

宝珠さん、13番目の救世主の彼こそ、マァイトレイヤなのですよ
0825神も仏も名無しさん垢版2019/04/10(水) 10:44:13.54ID:Fkc6VXQj
> 仏陀の説いたところは衆生に対しての救いでは無いのか? 仏者は自分の事だけを考えていれば良いのか?

スマナサーラさんとこの印象だと、修行する人が救われる教えで、修行の中に他生命への善行為がある感じよね
悪い行為をせず、善の行為をする、善い思考をして瞑想はもっとがんばるってやってるイメージあるわ。なんとなく
0826神も仏も名無しさん垢版2019/04/10(水) 17:38:00.21ID:+bT/7lvJ
>>814
一般的に人々が求める救いというのは、此岸における喜怒哀楽のことでしょう。
それはどれだけ助けても生老病死を繰り返す世界。
一方、仏法が与える救いというのは、彼岸に渡り越すこと。
生老病死を乗り越えること、涅槃に渡り越すこと。

この世(此岸)の尺度で人助けをしたいのなら、医者や自衛隊にはかなわないし
その尺度で判断するなら仏教に限らず、どんな宗教もほとんど役に立たない。

つまり、助けるといっても、その判断の尺度が全く違うということだと思います。
言葉は違うものの、>>810と重複しますね。
0827神も仏も名無しさん垢版2019/04/10(水) 19:33:21.47ID:/p9xEYYe
>>819
お前馬鹿か?

仏教は、
超能力者、権力者、事務職エリート、慈善事業のリーダー、寄付集め、NPO法人立ち上げ、社会運動者、プロ市民、etc.
養成の教えじゃねーよwww
0828神も仏も名無しさん垢版2019/04/10(水) 19:37:09.82ID:/p9xEYYe
>>822

だから、
神話的描写でありながら、
仏伝中最大(いや、第5番目か・・w)のエピソードとして伝承されねばならなかったのが、
「梵天勧請」なんですよ。
0830宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/11(木) 16:23:45.40ID:uK0SEzLi
なんと...ついについに、
ブラックホールが撮影されました。
おぉっ、驚愕ですよね! 

エーと以前、『全日本仏教会』に苦情のメールしたからなのか、
サイトの花まつりの説明が改善されて前よりも良くなってますね。
その昔、神智学系の書籍のタイトルを直させたこともある...。
たった一人からの小さな声(意見)ではあっても、その正当性が認められれば採り入れられることがある。
真実は、(いつか)必ず勝利する!!!

>>829
旨い!!
こりゃ〜座布団十枚だな!
こんなに凄い唄があるんだね...(苦笑)。

まっ、この私は事の最初から〜
とても“厄介な嫌われ者”となるべくして自ら5chに登場したのであって、
仏教徒たちから称賛される人気者になるとは露ほども思っていないから...。

>>811 >>815
ID:IpUTwKm1さん。
私は、全面的にあなたのご指摘に支持を表明します!
あなたは間違ってなどいないし、これはとても大切な指摘をしていると思います。
0831宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/11(木) 16:25:32.35ID:uK0SEzLi
>>805
確かに、
宣伝的なアピール効果もあることについては認めますけれど、
しかし、これは純粋にして真言宗としての被災者救済と(僧侶と行者/信者の)修行の一貫として取り組むものであり、
決して宗団の売名目的などではないとこの私は見ています。
そして私は、人の祈りと写経の効果、そして、特に密教の護摩祈祷の持つ力を信じています。
今回のように、参加料(浄財)がそのまま寄付にもなるのならば尚、良いことでしょうし、
私はいつも、「良いこと」については素直に支持を表明し、
相手が誰であろうとも「ダメなもの」には、No,を突きつけます。

真言宗というのは、死者供養には最も力を向ける宗派なのです。
それは、ブッダが死者救済について教えられたからであり、
仏教というのは元々、そのように死者供養にはとても熱心な宗教なのですね。
そして、バラモン譲りの護摩祈祷にはその効力が大きいものとみています。
対して、>>816-817は禅僧の七セブンと思われますが、この人のように、
「葬儀や死者供養なるものはすべて生きている人間のためのものであって、
死者のためになるものなどは一つもない。人間、死んだら、それですべてお終いだからだ」という、
トンデモナイ非仏教の唯物主義者が僧侶の袈裟を付けて布施を受けていたりもするのです。
だから、ある意味では“詐欺師”のようなものです
(殊、禅僧にはこういうタイプが多いようだが、もちろん全員がそうというわけではない)。

「死者供養(死者救済)も分かるけれども、
しかし、生きている人間の方がもっと大切な筈だ」という声については、もちろん、それはその通りであるとこの私も思っています。
ブッダはもちろん、困っている人や苦しんでいる人がいたら、自分の出来る範囲で手を差し伸べるように教えられた。
それは一般人はもとより、当然、仏教の在家信者や出家僧であっても同じことですよ。
無視? 放置?...。仏教の役目じゃないからだって?
「そんなことをしても“本当の救済”にはならないから、そんな暇があったら自己修行に専念すべきだ」って。
〜そんなものは、仏教でも何でもないから。
0832宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/11(木) 16:28:03.75ID:uK0SEzLi
>>822
>それはキリスト教が仏教より勝れた点では無いか?

ですね!
ハッキリいってしまうと、この私の目から見てきた印象としては、
敢えて一括りでいって仏教信者というものは、他の諸宗教の信仰者よりも意識レベルが非常に低いです。
完全に負けてます! 私はエホバの信者さんともよく会いますし、話もしますが感心しきりで段違い。
仏教信者は彼らの爪の垢を飲んだほうがイイ。
0833垢版2019/04/11(木) 16:57:26.61ID:v6now+nW
偽善宝珠藁
0834神も仏も名無しさん垢版2019/04/11(木) 23:24:15.17ID:P5gnuCdE
>>831 真摯なご回答有り難うございます。仮に831宝珠さんとお呼びします。
禅僧は他者救済に非常に消極的と言う理解でよろしいですか? 
禅も上座仏教も禅観で仏果を得ることにばかり熱心でより良い社会建設は目指さないように
感じています。
”困っている人や苦しんでいる人がいたら、
自分の出来る範囲で手を差し伸べるように教えられた。 ”
恐れ入りますが、仏陀がそのように説かれている経典はございますでしょうか? 
0835神も仏も名無しさん垢版2019/04/11(木) 23:31:07.08ID:P5gnuCdE
>>828 梵天勧請は仏慧を秘せず説かしめ給えと梵天が仏陀に懇請したことでしょう?
そもそもキリスト教と関連がない。キリスト教には十界互具の概念もないしGodの概念は仏教とは相容れない。
0836神も仏も名無しさん垢版2019/04/11(木) 23:33:26.86ID:v6now+nW
自分で、条件を限定しちゃってるじゃん・・・w  ┐(´ー‘)┌  >>834

>”困っている人や苦しんでいる人がいたら、
>自分の出来る範囲で手を差し伸べるように教えられた。 ”
>恐れ入りますが、仏陀がそのよ


  >自分の出来る範囲で
0837神も仏も名無しさん垢版2019/04/11(木) 23:35:13.08ID:v6now+nW
>>835
>そもそもキリスト教と関連がない。

そりゃそうでしょうよwww
キ教とは、その「出発点、根源的理念」から大違い(―というか真逆な価値基準―)なのですから。
0838神も仏も名無しさん垢版2019/04/11(木) 23:38:29.40ID:v6now+nW
>>837
別に、キ教に関連させた上での梵天勧請ではなく、
世間出世間の視線の方向性・価値基準の差異を踏まえた上で、
尚、世間と関わり続けねばならないという宿命と責務の表れだからだよ。

キ教なんぞ関係ない。
0839神も仏も名無しさん垢版2019/04/12(金) 00:19:33.61ID:jUOlf2pD
セブンよ、ニルヴァーシュにアミダドライブを装着し、サトリプログラムを起動するのじゃ。
セブンスウェル現象を発動させるのじゃ。
0840神も仏も名無しさん垢版2019/04/12(金) 14:59:07.69ID:X528vZOz
>>834
現代人は輪廻転生なんてないと信じているので、その時点で話が噛み合わないのは
仕方が無いのですけれども、一応説明させて頂きますと、輪廻転生を前提とした場合、
仏教が本来的に教えていることは、必ず生老病死で終わる六道を改善するよりも、
六道から抜け出すことを教えている、ということだと思います。

仮にここが人間社会ではなく、犬猫などの畜生の社会で、我々が犬猫だったとします。
そして、前提として個々の衆生が自業自得で六道輪廻していると仮定してから判断して
みて下さい。

個人の生き方の正解は、畜生世界を改革することではなく、そこから抜け出すことだ
という判断が出てくる思考過程が見えてきませんでしょうか。
0841神も仏も名無しさん垢版2019/04/12(金) 15:00:41.30ID:X528vZOz
三車火宅の喩えにしても、他の方便にしても、どれも結局同じ方向を示しているはずです。
大乗だろうと最終的には同じことだと思いますよ。
0842神も仏も名無しさん垢版2019/04/12(金) 20:33:04.17ID:lU328n+U
知識ではなく行いこそが人々を繋ぎ、そして現在過去未来を繋いでいく、それを実践して多くの衆生を救済してのが空海。
民間の学校を作ったり、ため池や治水などの公共事業を通して、一人一人の心に火を灯し、力を合わせることの大切さまで説いた。
この人は仏教を単なる知識ではなく、今現実に苦しんでいる人々を救うための教えまで昇華させた日本史上でも稀有なお坊さんだと思う。
衆生を直接救うという意味では、行基や一遍も空海と同じく尊敬できる。
https://youtu.be/jKUhkj-PJb0
0843神も仏も名無しさん垢版2019/04/12(金) 21:06:29.31ID:W/F3TBEl
衆生を直接救うためには、
医学を極め、教員免許も取得し、特殊車両の免許もとり、
化学薬学の知識も学び、建築設計の知識も供え、
幼児教育の機微も学び、婦人科医療の知識技術もマスターし、
経済学も税制も、ITも株式も視野に入れ、
法律及び凡例は全て完璧に記憶し、
夫婦も含め男女の関係・心理的駆け引きも理解し、
外交も軍事も力関係を見極め、
発達障害や身体障碍の家族のサポート法もマスターし、
そして、人生生活、あらゆる苦悩の解決策を助言できなきゃならんわけだ。



仏陀って、んと、スーパーマンだな。   嘲笑
0845神も仏も名無しさん垢版2019/04/12(金) 21:09:36.61ID:W/F3TBEl
ブッダは魔法使い・超能力者じゃない。
0847神も仏も名無しさん垢版2019/04/14(日) 13:40:11.85ID:M2GNQG7E
四諦と縁起らしい。

意訳すると、苦しみは自分自身が創り出しているが、それは解決できる
ということじゃないですか。
0848神も仏も名無しさん垢版2019/04/14(日) 14:56:54.92ID:tE7ywj1+
>>847
苦しんでいる自分がいるというのは錯覚で
自分というものは本当はいないのだから(無我)そのことに目覚めれば苦しみも消えるという真理
0849神も仏も名無しさん垢版2019/04/14(日) 15:40:38.27ID:17OvOmyL
>>848
無我とは、本来肉体は細胞(細菌)などの生物の集合体でできていて、自分という意識も脳(本能も含め)が作りだしたものであり本能的に生きることに執着してるだけで、肉体(カラダ)も地球や宇宙みたいな生命の集合体でしかないということかなと思うのですが。違いますか?
0851神も仏も名無しさん垢版2019/04/14(日) 21:01:20.65ID:Q3MbxH1U
>>849
違う。(と思うw)

「物」があるかないか? ではなく、
変化の可能性あるものを、不変化だと思いたい、不変化に維持したい、
そして、
全身を投げ出して寄りかかり得る柱が、自分の傍に(或いはどこかに)立っている、
という願望に縋ることが、「我」(或いは真我)を求めることであり、
そのようなものはない(→寄りかかろうとする柱もまた、不安定で固定化されていない)
というのが、諸法無我の骨子かと。
それは、物だろうが、思想だろうが愛だろうが友情だろうが優しさだろうが、形無き物でも同じかと。
0852神も仏も名無しさん垢版2019/04/14(日) 22:26:01.01ID:6chCtyR7
ん?  なんかおかしいぞ。

自分が頼るべき [我] (不変化に維持したいもの)が無いのじゃなくて、
そもそも頼りたい自分というものも無いということだよ

仏教でもスピリチュアル的なものを否定したい人は、この自分を抜きに語ることができない
だから本当の真理がわからない
0853神も仏も名無しさん垢版2019/04/15(月) 00:58:36.96ID:o+EsaX4e
>>848
人は、光に照らされている身体を、誤って発光体であると見なすように、見者(=アートマン)であるかのように現れている心を、「私である」、「見者である」と考える。
それ故に、人は混迷に陥り、真実の自ら(アートマン)を見出だせないのである。

身体・感覚器官から起きる一連の苦痛は、私のものでもなければ、私でもない。私は不変であるから。
何故なら、この一連の苦痛は実在しないからである。
これは実に、夢を見ている人が見る対象のように、実在しないのである。

無知に基づいて人々は頭痛などのために自分自身を「私は苦しんでいる」と考える。
見者(=アートマン)は苦しんでいる対象とは別ものである。この見者は認識主体であるから、苦しむことはない。
誤って「私は苦しんでいる」と考えるために、人は苦しむのであって、苦しんでいる心を見るために、苦しむのではない。
苦を対象として見ている者は苦しむことはない。

(シャンカラ)
https://gamp.ameblo.jp/zen-is-right-here/entry-12166409915.html
0854神も仏も名無しさん垢版2019/04/15(月) 11:00:59.34ID:n2AjITag
自分がいないという思いが出たときにポコンと心から力が抜けて、
消えなかった苦しみが流れていったことがあったのですが、
それを再現するには、観るもの(観照者)も自分ではないと手放していくのが
(私の場合は)良かったです

体温も自分ではない、
集中する(観ようとがんばっている)心のエネルギーがあるがそれも自分ではない、
観照者も感情に巻き込まれたり、カルマの影響に流されるもので究極的には
コントロールできるものではなく自分ではない、とかやっていると
すべてへの手放しが起こって、ポコンと心から力が抜けるのが再現できてるっぽい感じに
なることがあるので、その手放した状態を維持する感じで
(自分を手放したら、自分をそのまま手放した状態のままでいるようなアドバイスを
プッタタート比丘が書いていたのでその方向を使っています)
サレンダーにも近いのかなとも思いましたが
0855神も仏も名無しさん垢版2019/04/15(月) 13:26:51.47ID:XF5Wx7UR
だからそれが『心身脱落』だって。
0856神も仏も名無しさん垢版2019/04/16(火) 01:11:53.84ID:md7tSlVB
>>854
>自分をそのまま手放した状態のままでいるようなアドバイスを
>プッタタート比丘が書いていたのでその方向を使っています

これは具体的にはどんなやりかた?

>観るもの(観照者)も自分ではないと手放していく

もちろん、観察者は自分ではないですけど、観察者はただ見ているだけで
ことさら自分ではないと思う必要は、ないのではないですか?
0857神も仏も名無しさん垢版2019/04/16(火) 04:17:30.98ID:3Z2Wdbs+
854です

> これは具体的にはどんなやりかた?

非二元などに対して批判的な内容のページになってしまうのですが、以下のページだったと思います
http://buddhadasa.hahaue.com/kami/muga-6.html
この人の涅槃の定義は、少し特殊かもしれませんが


> 観察者は自分ではないですけど、観察者はただ見ているだけで 
> ことさら自分ではないと思う必要は、ないのではないですか?

完全にコントロールを手放すようなことが必要なのかなとも思っていますが
自分の場合、本当の自分を意識していたときは、それがうまくできない感じだったので。
(手放しをしている状態でも、たんたんと必要な行動は取れる感じの手放しです)
0858神も仏も名無しさん垢版2019/04/16(火) 22:30:31.02ID:md7tSlVB
>>857
なるほど。
本当の自分を意識していたときというのは、たとえば、怒りの感情に対して、冷静に客観視している本当の自分(観察者)を
意識していたということではないかな…
それだったら、今をありのままに見つめる真の観察者ということではなく、思考によって作られた客観視ということだから、
自分ではないと否定する必要があると思う
(その場合は観察ではなく、単に怒りの感情を抑圧して観察者側に回っただけだから、違うように見えてこの二つ主は同じ)

ただ、あるがままに手を付けずに、純粋に観察できる場合は、とくに否定する必要もないような気がするけど・・・
もしも感情に対して冷静な観察者ということであれば、それは作られたものだから
否定するべき対象ということになると思うけど。

それで、【自分ではない】というやり方は、具体的にどういう風にやるんだろ?
たとえば、怒りの感情が起こった時に、「これは自分ではない」。
歩いてる時に気が付いたら、「今歩いてるのは自分ではない」。
なにかを考えている途中で気付いたら、「今考えているのは自分ではない」
頭痛がしたら、「今頭が痛いのは自分ではない」。
こういう感じでいいんだろうか?

頻度的には気が付いたときにやるのか、それとも間を置かず次々とやるのか…

あと、座って瞑想しているときのやり方は、どうやるの?
「今呼吸をしているのは自分ではない」
「今考えているのは自分ではない」  って言う風な感じでやるのか…

あと、>>854のポコンと力が抜けるという以外に、何か特別な感じが
あったということはない?
0859神も仏も名無しさん垢版2019/04/17(水) 01:52:04.09ID:PVouFJKN
> 頻度的には気が付いたときにやるのか、それとも間を置かず次々とやるのか

何かをこれは自分だ、ととらえているのに気がつくたびに、それを手放している感じです

最近は慈しみの念を(起きているときは)保つ方法をメインでやっているため
微妙に記憶頼りの回答になっている部分があったら申し訳ないのですが
その方法で再現できてるっぽくなってました

> あと、>>854のポコンと力が抜けるという以外に、何か特別な感じが 
> あったということはない?

最初は自分がいないという感覚と、
あと首や肩、後頭部のあたりからもとても力が抜けていたのは覚えています
同時に今まで観ていた強い怒り等の苦しみがなくなった感じでした
0860神も仏も名無しさん垢版2019/04/17(水) 17:36:49.74ID:+8QaO1z1
>>859
なるほど、間違いを修正するみたいな感じで、怒りなら怒りにはまった時に、
「これは自分ではない」と観想すればいいんだね

それで、少しやってみたんだけど、このやり方はいいかもしれない
通常は怒りを観察するというとき、対局に怒りに左右されない冷静な自分を作っちゃうんだよね
感情に左右されずに客観視する第三者を作っちゃう

でもこれは間違ってて、そういう観察者になろうとしたとき、感情に左右されないに
しようとする力が働いちゃう
で、結局、怒りを抑圧して、自己を変化させてるだけになりかねない
あるがままを手を付けずに観察が出来ないわけだよね

ところが、怒りなら怒り、行為なら行為を、「これは自分ではない」と観想するときは
自分ではないということだから、突き放すことができる
突き放すとは……、怒りをそのままにしても不都合がないわけだ
自分のではないから
どんな悪い状況でも、何も変える必要がない

このやり方だとスムーズにあるがままに観察できる
そのまま、あるがままに触れることなく、いい意味での客観視が出来るようになるね

実践的にやっている人のレスは、どんなものでも参考になるね
最近は脳内実践だけで語ってる人が多いから、こういうレスは非常に貴重
ありがとう
0862854垢版2019/04/18(木) 18:58:16.00ID:1vRJEOnU
>>860
これは自分ではない、というのは、自分がいる、という感覚を手放す目的のために
使っていた感じですね。自分の場合。
クセで観照者などを意識して、自分がいる、という感覚が出たときにやったりしていました

> ありがとう

こちらこそ、ありがとうございました
お話ができたことで、良い刺激になりました
0863宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:14:53.01ID:dSqMqTez
投稿がかなり遅れました...。
度々、こういうことがあるので、何卒ご了承を願います。

>>848-857
「無我」についての議論は最近もしたばかりであり、そして、すでに論決しています。
どうかこれまでの投稿を遡って読まれますようお勧め致します。
読めば、頑なに“伝統という迷信”に固執を続けて仏典の記述に従わない伝統仏教と
その信奉者たちの姿がよりハッキリと浮き彫りになっていることが分かるかと思います。

『バガバッドギターのアートマン
 ここでいうアートマンは、彼らにとって本当の自我という意味であり、生まれず、死なず、
変化も何もしない状態のもので、私たちが無為、あるいは涅槃と呼ぶものと同じ状態です。』
 http://buddhadasa.hahaue.com/kami/muga-6.html

さすがはプッタタート比丘、なかなかイイことをいう!
この方は、「涅槃をアートマンと呼んでも良いのだが、仏教では人格化を避けてこの表現を使わないのだ」
と語ったともされているので、やはり、同じテーラワーダ長老でもその理解度はケタ違いのようです。

>この人の涅槃の定義は、少し特殊かもしれませんが

その辺については、
つまり、間違った伝統(迷信)を信じ続ける大多数の伝統教団と、
真実に気付いている極少数派との違いだろうと思います。
0864宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:25:38.30ID:dSqMqTez
>>844
いやいや..
そんな勝手に勝利宣言のような投稿しないでもらえます?
実際、一体どちらが“愚劣”かをこの私が明確にしますから!
>>845
もちろん、空想世界でのSFアニメのような存在ではないけれども、
しかし、あなたが方が考えているような“ただ頭のイイだけの哲人にして性格の優れた道徳人”
といったものがブッダなどではないですから!
あなたのような理解じゃ〜伝統教団からだって笑われてしまいますよ!!
(まっ、何割かの禅僧レベルの支持は得られても、テーラワーダ及びその他の大乗からは総スカンでしょう!)

>>843
>衆生を直接救うためには、
>医学を極め、教員免許も取得し、特殊車両の免許もとり、
>化学薬学の知識も学び、建築設計の知識も供え、--略--

しかし、ホントに...
性格の悪いイヤミだよなぁ〜コレは禅僧特有のか?(苦笑)

別に、誰もそんなことは言ってないから。
困っている人に自分の出来る範囲で手援けするという“善意(善行)”のことをいってる。
それを否定する仏教などは何処にもないから!
0865宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:27:53.52ID:dSqMqTez
>>842
素晴らしい投稿をありがとうございました。

空海のそれは苦しむ貧しい大衆の中へと自ら入っていき、人々と一緒に汗を流したからこその名声であり、
それが広く宗派を超え約千二百年の時を経ても「お大師さま」と親しまれている所以だと思います。
ただひたすら密教寺院に立て篭もって、大衆にはとても理解のできない密教の最奥秘教の構築を云々...
なんてだけだったならば、決してそれはなかったでしょう。

確かに、
空海の場合には希に見る超天才だったのでしょうけれど、
しかし、だからといって、>>843のようなイヤミをいう何ものもないから!
我々にはそれと同じことができないによせ、>>842の姿は大師が示した見習うべきお手本であり、
そして、称賛すべき理想の姿だということ。
0866宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:28:58.09ID:dSqMqTez
>>832
彼らキリスト教徒の意識レベルの高さの理由とは、
この日本でクリスチャンとして生きるには、
周囲からの嘲笑とキワモノ扱いを生涯において受け続ける自覚とその信仰を貫く強い覚悟が必要となるからです。
だから、生半可な想いではとてもできないことです。
彼らは常に、自分のことを「イエス様が見ている」、「こういう時にはイエス様ならば何て言うだろうか?」と、
自問自答しながら暮らしているのです。そして、聖書を片時も離さずに読んでいる。
その言葉を守ろうと努めている。だから、とても彼の心は清められているのです。

ところが日本の平均的仏教徒らというのは、
経典を読まないし読んでない。読んでもその教えなどは守らない。
その一つの理由としては、クリスチャンが教えに魅かれて入信するのに対して、
日本の平均的仏教徒というのは、その多くが遺骨をお祀りすることを目的にしているだけで、
仏教の教えに魅かれたから寺院に関わっているわけではないといった檀信徒がその大半を占めているからです。
そして、僧侶においても世襲が多いこともあってか、経典(教え)を読まない教えを守らない者がとても多いし、
教理の誤解からか唯物主義者も多い。また、単なる会社勤め的な職業感覚で寺院の収益を見ているだけといった僧侶も多い。
仏教の派によっては、ブッダ釈尊を見下し、単なる宗祖レベルの弟子に過ぎない人物をブッダよりも上位としたり、
ブッダが唯物論を教えたものと大真面目に考える僧侶が寺院にいたりするという、
こんな愚かしい宗教は世界広しといえども仏教界の他にはありません。
0867宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:30:24.00ID:dSqMqTez
>>840
ご説明の全体的な内容は私も周知しています。
しかし、それでも「放置しておけ!」という教えは仏教にはない。
また、常連の七などは僧侶でありながら六道輪廻の転生を信じずに語っている...。
立ち去った承狂も元僧侶でありながら同じく信じてない。
そういう意味においては六道輪廻からの解脱を理由として果て嵌らない僧侶も多い。

>現代人は輪廻転生なんてないと信じているので、

もう少し、このことについて正確に述べると、
「日本人の国民性調査」や朝日新聞による世論調査などではかなり明確なデータは出ており、
神仏の存在について肯定的に解答したのは全体の約81%、死後の世界については70%でした。
そして、死後の世界をあるとハッキリ解答する人は44%おり、
更には、人間は死後に生まれ変わると信じる人は(調査により)29.8%〜35%いるということ。
この転生を信じる30%前後の人というのも、実際には、これしかいないことを示すものではなくて、
転生についての正しい理解と情報を知るならば、死後の世界を信じる人からのもっと多くの支持があると見ていいでしょう。
 https://www.ism.ac.jp/editsec/toukei/pdf/63-1-163.pdf
 http://blog.livedoor.jp/youchan1201-puchan/archives/39523291.html
 http://www.circam.jp/reports/02/detail/id=5097
0868宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:34:17.48ID:dSqMqTez
〜正直いって、
一部の有名寺院では巨大伽藍の中で数百万もの煌びやかな衣を纏って暮らし、
高額な設定料金(これも布施の扱いだが...)にて巨額の布施を集めては私腹を肥やし続け、
信者から頂いた大切な浄財を資金運用と称してPCで株式ゲーム。挙句の果てには何億もすられて裁判沙汰...。
そして、高僧たちは互いに派閥をつくっては権力闘争を...。
中でも「真言宗」は、密教法具一式と内陣の豪華さで際立ってる印象を受けるし、
成田山などは特に“金権イメージ”は強い...。

ここで、二つほど“祝福”のメッセージが届ているのでご紹介します。
神智学系グループが提供するすでに降臨されているMaitreyaからのものと、
もう一つは、神智学グループからも本物のアヴァター(覚者である5段階以上のイニシエート)の一人として認定されている
ラーマ・クリシュナの一番弟子、スワミ・ヴィヴェーカーナンダからの言葉です。
0869宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:35:36.42ID:dSqMqTez
 『政治家は戸惑う、なぜならイデオロギーを持つ人々をコントロールすることができないからである。しかし最も権力にしがみつく
者たちは、「天国への道はただ一つしかない」と信じている宗教的権威者である。しかもこれら宗教指導者たちはどんな生活の仕方を
しているか。彼らの生活様式はどんなものか。おそらく王様のようであろう ―― 宮殿やジェット機や防弾ガラスを備えた車など。
 クリシュナは掘立て小屋に住まわれた。これが本当の神聖である。今日も同様に、サイ・ババ(インドにおける比類のない霊的教師)
は小さな部屋の簡素なベッドに寝る。真のメッセンジャー(使者)とは、地上で人々と共に働き、人々と共に食べ、人々を癒し、助け
る者である。その他の者たちはイエスの模範から外れてしまった。
 宗教の指導者たちは「これまで彼らがやりたくなかったことを、今度はしなければならなくなるだろう」とMaitreyaは言われる。
彼らはやがて自分たちの城を出て、より簡素な環境の中に住むようになるだろう。なぜなら簡素ということは「心の裡にある主と共に
いる」ための重要な要素であるから。』
 (ベンジャミン・クレーム監修『いのちの法則』1988年4月〜“Maitreyaの言葉”/シェア・ジャパン出版)
0870宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:41:49.64ID:dSqMqTez
 『世俗の仕事というものはない。すべての仕事は宗教であり礼拝である。
 もし君が君自身の救済を求めるなら、君は地獄へ行くだろう。君が求めなければならないのは他者の救済だ。そして、もし君が他者
のために働いて地獄に行かなければならないとしても、それは自分の救済を願って天国に行くよりも価値がある。
 幾百万が飢えと無知の中で死んでいる間は、それらの人びとに代償を払わせて教育を受けていながら、そのような境遇を強いられた
人びとに一顧も与えぬ連中のひとり、ひとりを、私は裏切り者とみなす。わが国にたとえ一匹の犬でもが食べものが無くている間は、
私の宗教はそれを食べさせることだ。
 神を求めて君はどこに行くのか。貧しい人々、不幸な人々、弱い人々は神ではないのか。まず彼らを拝めばよいではないか。なぜ、
ガンガーの岸で井戸を掘ろうなどとするのか。この人々を君の神としたまえ---彼らのことを思い、彼らのために働き、彼らのために絶
えず祈れ---主が道をお示しになるだろう。』
 (スワミ・ヴィヴェーカーナンダ語録『霊性の師たちの生涯』日本ヴェーダーンタ協会)
0871宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:44:18.41ID:dSqMqTez
>>813
>もし、本気で、『他者を救える』と思っているとしたら、
>宝珠や在家並みのお花畑と言わざるを得ない。

ほほ〜う!!
もしも、これを“お花畑”だといってるんだったら豆腐の角に頭でもぶつけてこい!!
この地上で餓死する人々が大勢いるのは、単に自称先進国が貪欲によって資源と食料を独占している結果に過ぎないということ。
だから、正しく分配されるならばただの一人も餓死する者は出ない。
従って、これは人類が達成しなければならない当然のものです。

それは実に簡単なことであって、
世界の先進国の各国政府が動くだけのこと。
しかし、そのためには当然、世界国の全国民の理解と支持が必要です。
この情報を伝えるのはその理由によります。
0872宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:45:21.31ID:dSqMqTez
人間としてしなければならない当然のことに対して、
これを不可能なお花畑の話だと嘲笑したり、無視と無関心を示すのが仏教などという話は何処にもない!

>世界人類は今、大変な危機の中にいる。
>世界の工業先進国が天然資源の3/4を消費し、世界貿易の80%を支配し、工業技術と科学的研究成果の殆ど100%を独占している。
>それにもかかわらず、先進工業国に生活している人々は全世界の人工の1/4にも満たない。
>他の3/4の人々はその残りもので、何とかやっていかなければならない。
>こうして、数千万の人間が貧困の中で飢え死にしている傍らで、
>金持ちは金銀紙幣を見せびらかし、先進国の庶民らはポケモンGoで遊んでいる。
>この人間としての尊厳、その霊性を踏みにじるような冷淡な行為によって第三諸国との間には埋められない不均衡が生じた。
>そして、それが紛争とテロの原因にも繋がっている...。
>無実の子供たちが戦場で銃を持たされ、少女たちは身カラダを男たちへと売られている。
 ---中略--
>なのでこれは、
>地球人類からすべての戦争を止め、国家や人種や宗教間の違いを超えて全人類が互いに兄弟姉妹として認め合い、
>貪欲にもとづいた資本主義競争の狂気から目覚めて、互いに分かち合って飢餓貧困を終焉させること。
>地球人類すべてが同じ兄弟姉妹として、互いに愛し合うこと。そして、共に幸せに暮らすべきであるという訴えです。
>その「(Maitreyaからの)呼掛けにみんなで応えよう!」ということをこのグループは伝えている。
>もちろん、それは個人の我欲というものが破滅的なものであることを教えるものですよ。>>346-347
0873宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:51:16.35ID:dSqMqTez
それから今回、調べてもなかなか分からなかったのですが、
現在の仏教学においては、仏教における社会的な善行(奉仕活動)というのは
“仏教福祉”という名称にて論じられているということが分かりました。
これはもちろん、“仏教が関わるべきことではない”という意味などではなくて、
仏教思想から見ても当然、“社会的な奉仕としての福祉にも取り組まれて然るべきもの”
として見られているということをいっています。

まず、この私が真っ先に思い浮かべるブッダの教えとしての他者に対する善行のエピソードとしては、
元殺人鬼アングリマーラが難産に苦しむ婦人に出逢ったとブッダに報告したところ、
ブッダはアングリマーラに対して、婦人のところへと戻って真実語を唱えて安産を祈るよう指示されたということ。
ブッダは、「おまえのすべき修業は他にある。そんな余計なことでおまえの気がそがれてはいけない」などとは言わなかった。
そうではなくて、婦人を救うべく再度、行ってくるようにと命令したのです。このことを理解するのはとても重要なことです。
もしも、ここでアングリマーラがそんなことをしても無駄であるとか、
自分には関係のないことであるし、ブッダにも煩わしい想いをさせてしまってはならないものと考えこのことを黙っていて、
それが後々バレたとしたならば、まず確実にブッダから大目玉を喰らってガッチリ叱られていたことでしょう。

(「真実語」には体内の毒を除いたり、山火事を鎮めたり、等々の不思議な力があるものと見なされています。
学者は単なる古代の俗信だとしますけれども、しかし、ブッダがいうのだから、間違いなく何かしらの効力があるものとこの私は信じます。
そもそも読経に不思議な効力があると信じられるに至ったのも、“経の言葉それ自体が真実語そのものに他ならない”からです。)
0874宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 11:59:36.46ID:dSqMqTez
 『それからというもの、尊者アングリマーラは戒めを守り、清貧に甘んじ、熱心に修行を重ねていきました。そんな折のことです。
尊者がいつものように朝の托鉢のためサーヴァッティーの町に赴くと、一人の女性が難産で苦しんでいるのを見つけました。心痛めた彼はブッダ
のもとに帰ると、あいさつをして片隅に座り、町で見たことをブッダにお話しました。
 「ああ、なんと人々は苦しんでいることでしょう」
それに応えてブッダはこう言われました。
 「アングリマーラ、おん身はもう一度サーヴァッテイにおもむくがよい。おもむいて、その婦人にこのように告げるがよい---婦人よ、わたしは生
まれてこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを、と」
 「師よ、それはわたしにとって、知りながら嘘をつくことになりませんでしょうか。師よ、なぜならわたしは故意に多くの人の命を奪いましたから」
 「アングリマーラ、それではおん身はもう一度サーヴァッティにおもむくがよい。おもむいて、その婦人にこのように告げるがよい ---婦人よ、わ
たしは尊い道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらん
ことを、胎児に安らかさあらんことを、と」
 「師よ、かしこまりました」
尊者はもう一度町に赴くと、師の教えに従って、その婦人にいった。

 「婦人よ、わたしは尊い道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安
らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
するとその女性の苦しみはおさまり、胎児は安らかに生まれた。
それ以後、尊者アングリマーラはさらに修行を深め、遂にまがうことなき悟りの境地へと達っせられた。』
(『マッジマ・ニカーヤ』第86経/アングリマーラ経)
0875宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 12:02:39.22ID:dSqMqTez
仏教の根本教理においては、
“善行による功徳によって転生毎における自己の境地が上がる”ということなのであって、
これ無しで、ただ単に瞑想その他の専門的な修業によって解脱して成仏できるなどということはあり得よう筈がなく、
当然、そのように説いている仏教なるものも存在しないということ。
そのことを示そうとして編纂されたものが、ブッダの過去世(の善行)物語としての『ジャータカ』です。
『ジャータカ』(本生話)は、ブッダの前世における数々の功徳を示した547 話からなり、
ブッダが過去世において、どの様な善行をし、どの様な功徳を積んだから、
この世で仏陀になることができたという因果が語られているのです。
仏陀といえどもこの世で悟りを得るには、この世に生まれてからだけの修行だけでは十分でなく、
前世において、何十回、何百回と生まれ変わる度に様々な善行を積んだ結果であるということ。
0876宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 12:05:00.18ID:dSqMqTez
七セブンの主張のようなもの、
つまり、善行を無視して座禅などの専門修業のみで涅槃に至るということ決してあり得ない。
ましてや、(彼は前世を信じないから)今生のみで涅槃に達せられるなどということは不可能です。
当然、そんな教えは仏教には存在しない。

『Dhp.223 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみに
うち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。
224 真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しいなかから与えよ。これらの三つの事によって(死後には天の)神々のもと
に至り得るであろう。(中村元訳[1978]p.41)
223. akkodhena jīne kodhaṃ asādhuṃ sādhunā jine, jine kadariyaṃ dānena saccenālikavādinaṃ. /
224. saccam bhaṇe na kujjheyya dajjā appasmi yācito etehi tīhi ṭhānehi gacche devāna santike.(Dhammapada, p.63)
Dhp.376 その行ないが親切であれ。(何ものでも)わかち合え。善いことを実行せよ。そうすれば、喜びにみち、苦悩を滅する
であろう。(中村元訳[1978]p.63)
376. paṭisanthāravutt' assa ācārakusalo siyā, tato pāmojjabahulo dukkhass' antaṃ karissati.(Dhammapada, p.106)

Sn.第三章第五節
青年よ。実にあなたがそのように与え、そのようにささげるならば、多くの福徳を生ずる。誰であろうとも、実に、与える人、
施主であり、寛仁にして、施しの求めに応じ、正しい法によって財を集め、そのあとで、法によって獲得して儲けた財物を、一人
にも与え、さらにつづいては百人にも与え、さらに多くの人にも与える人は、多くの福徳を生ずるのである。
(中村元訳[1984]p.101)
0877宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/23(火) 12:35:49.67ID:dSqMqTez
SN.第一集第一編第四章第二節
「曠野の旅の道づれのごとく、乏しき中よりわかち与える人々は、死せる者どものうちにあって滅びず。これは、永遠の法である。
或る人々は、乏しき中からわかち与え、或る人々は、豊かであっても与えない。乏しき中からわかち与えたならば、〔その施与は〕
千倍にも等しいと量られる。」(中村元訳[1986a]p.49)

SN.第一集第三篇第三章第四節
17 尊師はこのことを説かれた。……師はそのとき次の詩をとなえてくれた。―
「弓術巧みに、体力・勇気のある青年を、国王は、戦のために傭えよ。生れが良いからとて臆病者を傭ってはならぬ。また聡明な
人は、たとい生れは賤しくても、行いが立派で、堪え忍び柔和である性質をしっかりと具えている人を、尊敬してもてなすべきで
ある。楽しい庵を作って、学識多き人を住まわせよ。水のない林には泉をつくり、嶮しいところには通路をつくり、信じ喜ぶ心を
以て、心の真っ直ぐな人々に、食物・飲料・硬い食物・衣服・臥床を与えよ。譬えば、雨雲が電光の花輪をかざし百の尖塔を示し
て雷鳴を轟かし、大地に雨降らし、高いところも低いところも満たすようにし、信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意
して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ。心に喜んで、撒き散らし、『与えよ』『与えよ』と語る。かれは、天が雨降らす
ごとくに、その轟きを発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ。」(中村元訳[1986a]p.212)』
 (『仏教福祉思想の研究』立正大学大学院社会福祉学研究科/吉村 彰著)
 http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/5285/9/A1_text.pdf


 以上.
0878神も仏も名無しさん垢版2019/04/23(火) 16:45:29.82ID:cDmVf9KR
宝珠は本当に馬鹿だな。
しかも、
自分は、「云ってもいないことを指摘するな」というくせに、
他人に対してはそれをする。

善行、助けが要らないと、どこの誰が言ったのか?
単に、「餅は餅屋」という話をしているだけなのに。
上の方で、餅屋に大工仕事を頼もうとしている馬鹿が居たから、
それはちょっとおかしいんじゃねーの?と疑義を挟んだだけなのに。 ┐(´ー`)┌
いや、昭和のお父さんの日曜大工じゃないがw、
得意な人好きな人いるだろうし、実際必要に迫られて、皆何かしらやってるだろう。
日曜大工をするなと言っているのではない。
それは、本来は大工の仕事だ、と言っているだけ。

何がおかしいんだろうか?
0879神も仏も名無しさん垢版2019/04/26(金) 23:51:28.10ID:4b94dj+9
>>863
> 「涅槃をアートマンと呼んでも良いのだが、仏教では人格化を避けてこの表現を使わないのだ」
> と語ったともされている

>>857のページでも「あるいはアートマンを苦の終わりと解釈しても構いません」と書かれていますが
「しかしもしそうなら、仙人が説明したものはまだアートマンではありません。
なぜならアートマンがあると捉えることは、まだ苦が残っている証拠だからです」とも続けていますから、
徹底的な無我論のほうが、自分がいなくなって楽になる部分と相性がいいと(プッタタートさんの)
「論客の自我」のところでは判断されているのかと感じました
0880神も仏も名無しさん垢版2019/04/29(月) 04:27:14.78ID:7nsqMvVT
あと2日
0881宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/30(火) 02:06:52.10ID:AbE9Xmgc
偶然、28日朝のNHK-Eテレ『日曜美術館』で「京都の大宇宙-東寺」というのが放送されたのを見ました。
その中で、真言宗十八本山トップら高僧にて東寺灌頂院で厳修される真言宗最高儀式ともいわれる秘儀、
“後七日御修法”の様子を史上初でTVカメラが初めてとらえていました。しかし、よくも撮影を許可したものだと驚かされました...。
それと今更なんですが、東寺内部の立体曼荼羅を構成する各仏像には、どうして、何一つ供物が捧げられていないのか?
燈明一つとて設置されてないのは何故なのか? それから伽藍も仏像も何一つ、修復や色塗りされていなくて、
すべてがただの放置状態に見えることが非常に残念に思います。今は、その一部が東京へと持出されて展示会の最中らしい。
尚、番組の再放送予定は以下の通りです。
【放送局】 NHK総合
【放送日】 5月2日(木)13:05〜13:58
【放送局】 Eテレ
【放送日】 5月 5日(日)20:00〜20:45 再放送
【放送局】 BS8K
【放送日】 5月 5日(日)19:30〜 再放送
  ※Eテレ放送「日曜美術館」の内容は東京国立博物館「東寺展」の紹介です。
     
東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺
(空海がどうしても伝えたかった、密教。)
 http://toji.or.jp/
特別展「国宝 東寺−空海と仏像曼荼羅」
 https://toji2019.jp/index.html
東寺/立体曼荼羅の仏像
 https://i.pinimg.com/originals/ac/06/f0/ac06f0a8b4fc03b7f386a141e045cca6.jpg
0882宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/30(火) 06:07:17.46ID:AbE9Xmgc
>>878
 現象界(二元世界)の改善などといったのものは、スピリチュアルにもならない話しだと切り捨てた一元論者の登場もあり、また、
“仏教は慈善団体ではない”とか、>840のように、“仏教というのは、六道を改善するよりも <<六道から抜け出すこと>> を教える
ものだ”という意見も頂いた。
 確かに仏教は、六道輪廻からの解脱を説くものであり、最終的には自己の解脱のみならずすべての生きとし生けるものの解脱を理
想とするものでしょう。しかし、だからといってジャータカが示しているような地道な善行の積み重ねによる境地の向上という基本
を蔑ろにしたのでは本末転倒というものでしょう。
 
 まっ、七がそうではなくて単に、“貧困家庭やホームレスの救済”については僧侶には不向きなので、その道の専門に任せたほうが
良いという意見ということであれば、それも分からないこともない...。人間にはそれぞれ得意と不得意、向き不向きといったものが
あるから。だから、自分にできる分野での救済(善行)という意味においては、僧侶には僧侶の、つまり、僧侶に適した善行と僧侶だか
らこそできる善行もあると理解することはできる。法話を聞かせたり、亡き者たちの菩提を弔ったり、法要の導師を勤めたり...は、
もちろん、確かに僧侶としての善行にはなるでしょう。
 では、“貧困家庭やホームレスの救済”はしなくてもいいということになるのかどうか? そういったまるで無関心のような態度は如
何なものでしょうかね? 私は、不得意ならば不得意なりのことはできると思うし、やはり、僅かでも手を差し伸べることはすべきで
はないかと思う。料理の苦手なご主人でも、奥さんに変わってたまに料理を作ってあげれば、多少は下手くそではあっても奥さんから
(助かったということで)とても喜ばれます。
 僧侶たちもたまには、例えば“炊き出し”とかでもいいから(寺院から)外へとくり出すといいのではないかな。僧侶には器用な方が
多いし、精進料理の担当や経験者ならば美味しいものが造れる筈。たとえ宣伝目的ではなくても、僧侶たちによる炊き出しということ
であれば世間の目も大きく変わることになるでしょうね!
 これは、一つの意見としてです。
0883宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/30(火) 16:02:43.62ID:AbE9Xmgc
>>881
あっ、そうそう...。
この番組を見て思ったことで、つい言及し忘れたことがあります。
空海が唐に渡って密教を短期間で修めて日本に持ち帰ったその以前、19歳の若き日に修めたという虚空蔵菩薩求聞持法のこと。
どの歴史書や学者の解説でも淡々と時系列的にただそのことが紹介されるだけなのですが、
何故、空海が普通に20-30年は掛かるとされる密教の修得を僅か2年足らずで成し遂げることができたのかというのは、
この求聞持法成就に拠るものであったということを絶対に忘れてはならないのです。
これなしで、ただ単に学業優秀で「秀才だった」とか、「稀に見る超天才だったから」ということではないのだということ
(師である恵果から僅か2ヶ月間で金胎両部の秘法を授かり、実質的には約一年足らずで殆どを修得している)。
この求聞持法というのは、一度見聞きしたものは絶対に忘れることがないという古代インドから伝承された驚異の超人的記憶増強の秘法です。
空海の生涯と密教伝承の経緯というのは、すべてが運命づけられ、そして、空海によって意識的に計画されたものでした。
0884宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/30(火) 16:03:48.28ID:AbE9Xmgc
参考:
 『何故、恵果和尚は自分の死期が近いのを知りながら千数百人の弟子がいるのに他国の空海を待ち密教の後継者として伝法灌頂したのか?
それは恵果の師である不空三蔵の遺言だったからです。大暦9年(774年)6月14日長安の大興善寺で密教第四祖の不空は死の床にいて弟子の
恵果を呼び次の様な遺言を述べたのです。「恵果よ、わしの命はもう絶える。そなたには金・胎両部の秘法を伝えたが、この密教は唐ではやが
て滅ぶであろう。そこでわしは東の国へ密教を伝えたい。わしの命は東の国へと移りそなたと再びめぐり合い、そなたの弟子になるだろう。」
と言い遺して翌15日未明にこと切れたのです。師の言葉を信じ恵果はずっと待ったのです。不空が死んだ時、日本は宝亀5年(774年)6月15
日でした。同じ日の未明に空海は誕生したのです。空海の母の玉依御前は自分が出産する前にインドの高僧が胎内に入ってくる夢を見たと述べ
ているのです。不空はこうして空海として生まれ変わり30年後に遺言どおりに恵果の弟子になるために唐に遣って来るのです。待ちに待った
再会なので恵果はとても喜んだのです。そして後継者となった空海は恵果から僅か2ヶ月間で金・胎両部の秘法を授かり、その年の12月に恵
果和尚は臨終を迎えたのです。空海を枕もとに呼び「師弟の関係は永遠である。そなたは早く日本に帰り密教を広めよ。わしの魂は先に日本に
行き、そなたを待ちこんどはそなたの弟子となるだろう。」と空海に遺言して息絶えたのです。そして恵果の魂は日本で生まれ変わり覚鑁と言
う空海の孫弟子になったのです。ちなみに聖徳太子の生まれ変わりとされた聖宝と言う孫弟子もいるのです。これら全てが偶然に起きたことだ
と思いますか? これらの全てがドラマの台本の様に決められていたのです。これこそが時空を超えて行なった不空と恵果の最大な秘法なのです。』
 (真言密教雑学)http://www1.plala.or.jp/eiji/ZATUGAKU.htm
0885宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/30(火) 16:04:22.95ID:AbE9Xmgc
 『興教大師さまは弘法大師さまの師である恵果和尚の生まれ変わりと言われています。鳥羽上皇さまはある日、夢に恵果和尚を見ました。他日、
興教大師のお顔を間近に見ると夢で見た恵果和尚と全く違うところがないと気づき、それ以後興教大師さまに鳥羽上皇さまは深く帰依するよう
になられたそうです。以後、鳥羽上皇さまの絶大な外護を得て興教大師さまは高野山の頂点に立つことになるのです。』
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4775884&;id=58419737
 http://taroukun-rekishi.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-b739-12.html
『聖徳太子は「私は日本国に三度生まれる。その名にはともに聖の字がある」と予言した。すなわち、聖徳太子、聖武天皇、聖宝の3人である。』
 (『東大寺要録』)
0887宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/04/30(火) 22:32:27.96ID:AbE9Xmgc
>>883-885
不空 (自分は生まれ変わって東の国から来て恵果の弟子になると予言)
→恵果(予言の成就者である待ち人「空海」が来てすべてを伝授して寿命が尽きる。
   次は空海の弟子となって転生すると予言)
→空海(不空の生まれ変わりを自認)
→覚鑁(鳥羽上皇から恵果の生まれ変わりと見なされる)

この“不空密教の奇跡”とも映るこれら一連の流れも密教の法であれば十分に可能なこと。
そのことは密教の聖地チベットを見れば明らかで、密教の継承と発展のために自ら意図して転生してくる高僧リンポチェたちと、
そして、繰り返し転生を続けているとされるダライ・ラマ法王にそのことがよく現れている。
密教には、転生の行き先をコントロールする秘術があるということ。
0888宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/01(水) 00:19:19.45ID:e4GwvEfa
>>886
多くの過疎ってる寺院では、
このように収益不足と経営難にあるということなのかな...。
この方も寺終いなのか、他の僧侶に明け渡すことなのかはよく分からないけれども、
しかし、僧侶そのものを辞めるわけではないのだから、今後も僧侶としての勤めを継続したり、
或いはまた、住職の責務から解放された身軽さを生かして自己の修行へと打ち込めたら良いね。
0889宝珠真範& ◆SojY0GLQ0zOa 垢版2019/05/01(水) 04:53:45.25ID:e4GwvEfa
>>879
そもそも「仙人」という言葉自体が、元々、完成者を意味するものではないし、
ゴータマ王子が出家して最初に付いた二大仙人が涅槃に達してなかったことなど分かりきった話です。
ところで、このページをジックリと拝読して、今回よくよく分かったことは、
この私のプッタタート比丘に対する高印象は、単なる私の早とちり買い被りによる過剰評価であったということです。

 『ここで少し説明をさせていただきます。ここで「その方」あるいは個人を管理する主人は、どれもアートマンを意味しています。ここで
いうアートマンは、彼らにとって本当の自我という意味であり、生まれず、死なず、変化も何もしない状態のもので、私たちが無為、あるい
は涅槃と呼ぶものと同じ状態です。』といいつつも、しかし、最終結果としては、
 『私たち仏教教団員にも「涅槃は本当の自分」と信じる人がいますが、同じように何かを迷って涅槃と執着しています。何かを自我と感じ
る気持ちが少しでもあれば、本当の涅槃が現れることはありません。涅槃が現れた時には、自我という感覚は残っていないからです。』といって、
残念なことに間違ったアビダンマの無我論に固執していることが明白だからです。

 とにかく、あーでもないこうでもない...と、ただ屁理屈ばかり。もう.ウンザリです。
「自我」と「本当の自我」...。要するに、所詮はテーラワーダの僧侶など、「マイトンド」と「ジーヴァ」と「アートマン」の違いすらも分か
らない無知からくる混乱者でしかなく、アビダンマ無我論の固執者に過ぎないのだということ。

 まっ、言っても分からない者には、どうぞお好きにしてもらう以外にはないということです。
信仰は自由だから!
0890神も仏も名無しさん垢版2019/05/04(土) 11:34:40.26ID:mChiLJHt
令和4日目
0891宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/04(土) 17:55:52.44ID:TltbX2qt
“霊泉と清瀧のお不動さん”

 今回、8日連休だったGWの妻との旅行ドライブの途中、霊泉が湧き出ているという室蘭市の清瀧不動尊に参拝してきました。
ことの謂れは、明治の開拓時代に食料を求めて散策して山中深くへと入った3人の男たちがこの良質な浄水を偶然見つけ出した。そして、
この湧き水の話を聞きつけた同じ地元の長く眼病に悩んでいた方がこの水で眼を洗うのに泉へと通っていたところ、ついに治癒し、感謝
の想いで自らが彫った不動尊像をお祀りした。これが「眼病に効験のある霊水」として口コミで人々に広がり、参詣する人が増えていっ
たという。
 しかし、村から人が出ていって無人の山中となって数十年が経過し、泉の話が人々の記憶からも忘れられた大正5年のこと。もともと
ご神託のあった沖本妙道師という女性が夢のお告げを受けて山中に分け入り、夢のお告げの通りにこの霊泉を探し当てた。以来、この方
がこの場所にお籠り修行するための道場を設けて弟子を育成してきた(伝統的にここでは代々女性がトップに着いている)。これが成田山
青龍寺を経て、今日、真言宗醍醐派の『天神山清瀧寺』となっています。
 私も参拝後に、この有難い泉を80リットルほど汲ませて頂きました。泉の汲み場周辺も綺麗によく整備されていて、四国八十八ヶ所の
簡易霊場となっています。
0892宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/04(土) 17:59:07.90ID:TltbX2qt
---“お不動さま”のエネルギーか!?
  ついにオーブの凄まじい乱舞を動画にとらえた---

 これまで自宅でお祀りしている不動尊の祭壇を何度となく写真撮影してきたけれども、しかし、特に霊的な現象なるものはただの一つも
確認できませんでした。いつも、それにしても1枚すらも何も映らないものだなぁ〜と、逆に感心していたところ。今回、たまたま動画撮
影によって、祭壇のある部屋中を飛び交う驚異的なオーブ乱舞の様をとらえることに成功しました。
 私がこれまでTV番組などで見てきた僅か一つか二つだけのスーと静かに動く程度のレベルなどではないので、恐らくこれほどのオーブ現
象の動画はどこにも存在してないのではないかと思う。色は半透明〜白が殆どで、たまに綺麗な水色も見られる
 私の理解としては、これは不動尊の持つ強烈なエネルギーであり、不動尊の化身にして眷属としての三十六童子の御霊が動画にとらえら
れたものではないかと思います。というのも、この数十ものオーブの中の一つが必ず私の周囲に纏わりついて離れず、数十キロ先の勤務先
にも、そして、今回の数百キロ離れた旅行先にも着いてきており、こうしてこの私のことを守護して下さっているからです。
 これが唯物主義者らのいう、オーブというものはすべて空中に漂うただの埃ホコリが、今日の高性能と化したデジカメによく映るようになっ
たものに過ぎないか、または、レンズに生じるただの光化学現象であると断言する馬鹿タレどもの理論では決して説明がつかないことにつ
いては、私の動画を見れば一目瞭然です。
0893宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/04(土) 17:59:50.58ID:TltbX2qt
 職場の駐車場に止めていたマイカーの車内から撮影したものには、車外に出ていたオーブが後部座席サイドの窓ガラス部分から車内へと
凄いスピードで入って来る瞬間がとらえられています。雪が解けて間もないこの時期の仕事帰りはまだ寒く、この時の窓ガラスは閉めたま
まで絶対に開けていない。にも関わらず、オーブは凄いスピードのまま窓ガラスを無きもの同然に通過している。だから、ホコリなどの物
質ではないことは一目瞭然です。また、車体のCピラーの陰から突如として見え出す様はレンズの光学現象では説明が付かないのであって、
これは当然、Cピラーの背後にあって映らなかったオーブがCピラーを過ぎて見えてきたことを意味しているもの。
 近く、機会があれば不動尊寺院の主幹にでも見て頂こうかと思っています。

>>889
訂正:
 ×「マイトンド」
 ○「マインド」
0894神も仏も名無しさん垢版2019/05/04(土) 21:49:03.24ID:cL/hGAql
動画見た〜い
0895神も仏も名無しさん垢版2019/05/08(水) 07:20:10.85ID:5LWG1Whe
講談社学術文庫から先月出た『ブッダチャリタ』いい本だな
日本って何気にこういうブッダの定番的な伝記ってないよな
0896宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/08(水) 22:42:52.51ID:pMtIqy1F
>>895
情報ありがとうございました。
早速、私も取り寄せます。
0897神も仏も名無しさん垢版2019/05/09(木) 00:01:29.37ID:MHEyUO67
日本仏教は、
ブッダ個人よりも、法身としての釈迦「如来」、大日如来、
が、礼拝祈願対象だから。

でも、幾つかのエピソードだけを押さえた「仏伝」は、
絵本や紙芝居等で、『固定的』ストーリーとして結構流布してると思うけど?
0898神も仏も名無しさん垢版2019/05/09(木) 00:05:22.66ID:MHEyUO67
ああ、
でも、日常で、
家庭で、祖母から孫へ、長老から若手へ、
といった形での「伝承物語・説話」としては、(江戸前期頃は分からんけど)
近現代仏教においては、仏伝は蔑ろにされてる感はあるかも・・
0899仏教棄民の大山垢版2019/05/09(木) 01:45:06.54ID:wxkP8fkR
>>895
ちなみに、それ中公の大乗仏典シリーズの再活字化だったかと思います。

中公は確か今2000円なので、そちらを購入されるよりはリーズナブルかと。
0900神も仏も名無しさん垢版2019/05/09(木) 18:06:47.89ID:lfag8lcE
ブッダチャリタ読んで分かったのは俺って仏教分かったような気になってたけど
織田信長や曹操よりもお釈迦様の人生の流れが物語的に曖昧だったってことだな
祇園精舎にもブッダガヤにも鹿野苑にも行ったのにね
仏教入門者にはホントちょうどいい感じだよ
0902神も仏も名無しさん垢版2019/05/11(土) 05:11:36.90ID:gg7tmAuO
 
https://samgha.co.jp/shop/products/detail/812
2018/07/23
テーラワーダと禅
「悟り」への新時代のアプローチ

曹洞宗.藤田一照
アルボムッレ・スマナサーラ

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RB209C4ZOVUWQ/ref=cm_cr_arp_d_viewpnt?ie=UTF8&;ASIN=4865641270#RB209C4ZOVUWQ

藤田師の質問
「出世間のための、一番の中核となる部分は何でしょうか?」に答えて

長老が
「私がいる」という
自我
(アートマンがある)の錯覚を破ったところで、悟りの…
0903垢版2019/05/15(水) 22:45:31.62ID:7n/9Mifq
>>173
おじゃるさんよ、こんなところに書いていたのかい?
仏教の教学のためとは言え、ご苦労さんです。
そもそも自分は我(=アートマン)が実有で未来永劫不変で継続するものだ〜とは
一言も言っておらず、おじゃるが何故そのような指摘をするのか甚だ心外だ。
自分の過去レス(大昔過ぎて無いか?w)を見れば分かるだろうが「生きている間〜は
我は間違いなく有るのであり、(仏教で無〜の連発の延長線上の無我で、我は無い〜のではない。)
我が死んだ後、我は有るのか無いのか分からん。(仏陀の無記だ〜)有るとも言えず無いとも言えず〜
だろうよw なんせ、死んだ人が生きている人間に死後の世界は有るよと連絡できないのだからな。
しかし、連絡できないから無いとも断定できないだろ。連絡できないのは「有無」に関しない事だからな。
仏教から吸収するべき事は神秘的な事は何一つなく単に「慈悲」「智恵」の2点に集約されるだろうよ。
その「智恵」の方は仏陀の時代と今ではものの見方が根本から違うから今なりに見るべきだと言っているだけだ。
智恵の視点は変わっているのに大昔の見方に縛られてそれに固執する〜なんてのは仏陀が生きていたら叱責するだろうよw

仏陀の時代の縁起(これがある時それがある〜)なんてのは今の量子力学世界の元では却下されるだろうよ。
今はこれがある時であってもそれはないかもしれない〜だw
常に慈悲と智恵の精神で生きていけば多少は仏教的ではあろうなw 自分は酒を呑むから仏教信者ですらないがw

まあ、しかし死後世界は無記(有るのか無いのか分からん)とは言っても無我の教えは仏陀の教えの根幹だから
仏陀は死後の世界というのは無きものと見ていたのだろうな。ならば輪廻転生も無いとするのが仏教的ではある。
する主体が無いものを議論しても無駄だからなw ←仏教においては〜w
0904おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/05/16(木) 02:29:04.57ID:jAdXPw3a
 
>>903
紐師匠.本人?
(他人の名前を勝手に拝借してる)なりすまし?

>そもそも紐師匠にとっての自我意識は
>未来永劫不変で継続するものだ〜とは一言も言っておらず…

https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E6%88%91%E6%84%8F%E8%AD%98-72345
(仏教ではなくて)
コトバンクとかの場合は
(仮設としての)時間の変化とともに自我意識も変化している

議論するのも面倒なので↑これで良いんジャマイカ?

ちなみに
(中観帰謬ではなく)
中観自立の場合は
(仮設としての)世俗の世界においての
(仮設としての)自我意識を(仮有なるものとして)認めます
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B

おじゃるは
ここのスレは入店禁止になってるのでこちらに ヨロ m(_ _)m
 ↓

ひだ =^・ ・^= まり
http://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181
0905おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/05/16(木) 03:14:37.47ID:jAdXPw3a
 
ウィキペディア参照

智慧
(世俗的な賢しらな識別ではなく)
好き嫌いをすることなく.平等性智をもって
世事を離れた叡智や、世事を見通す叡智

慈悲
苦しみを取り除くこと
苦集滅道

(仮設としての)
我癡・我見・我慢・我愛に依存している
四苦八苦.生老病死
愛別離苦.怨憎会苦.求不得苦.五蘊盛苦

↓おじゃるツイッターも ヨロ m(_ _)m
https://twitter.com/proco_ozyaru/with_replies
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0906おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o 垢版2019/05/16(木) 04:53:11.50ID:jAdXPw3a
 
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して、すでに渡りおわり
彼岸に到着して
解脱智見しているのなら

我所である.という想いではない
我である.という想いでもない
自我意識である.という想いでもない
アートマンである.という想いでもない
そして
輪廻している.という想いでもない

解脱智見しているのなら
苦集滅道への想いも手放して逝く
もはや(解脱智見する為の)筏の必要はない

おじゃるユーチューブも ヨロ m(_ _)m
https://www.youtube.com/channel/UCCVKSZrf1ut4jDlCZm0aLWQ

今↑現時点では神社とかの画像で おじゃります ヨロ m(_ _)m
0908宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/18(土) 18:52:52.66ID:5q04Aj4R
>>903
これらはただの唯物論です。
あまりにアホらし過ぎて、特に議論するつもりもない...。

仏教では唯物論は説かない。ブッダは非真理(最低の見解)としてそれらを明確に否定された。
仏教で論じている我(アートマン)とは、ウパニシャッドの説く究極のアートマンのことであり、
そして、アートマンには、実に四つの段階レベルがあることを知らなければ話になりません。
 1.日常の自己(この生きている肉体と精神)、2.死後の心霊存在(カーマ・ローカやブータ、そして餓鬼)、
 3.輪廻主体としての識/魂(ジーヴァ)、4.自己の本性である究極のアートマン(真我)
そして、ブッダは死後の世界(意識の存続)は明確に説かれたのであって、無記ではないから。
『中部経典/第十八経(闍尼沙経)』で死んだビンビサーラ王の心霊(夜叉.ジャナヴァサバ)と対話し、
『雑阿含/好戦経』には、モッガラーナの観た幽霊(死後に苦しんでいる亡者)を死後の報いとして認めるブッダの説法がある。
『スッタニパー.754』では、“「非物質的領域に住む諸々の生存者」が再びこの世に転生して来る”と説いた。
すべてが勉強不足、認識不足、無知・誤解の塊です。

>その「智恵」の方は仏陀の時代と今ではものの見方が根本から違うから今なりに見るべきだと言っているだけだ。
>智恵の視点は変わっているのに大昔の見方に縛られてそれに固執する〜なんてのは仏陀が生きていたら叱責するだろうよw

これには共感しますが、だからといって上記の内容が覆るというわけではない。
まっ、とにかくお元気そうで何よりでした!
0909宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/18(土) 18:53:31.90ID:5q04Aj4R
>>907
この投稿文章、それ自体は特に何も間違いはないと思います。
が、しかし、勝義厨というわけではないけれども出家主義の過剰偏向が社会的に問題となる...。

まず、第一点目として、
 確かに、専門修業に専念できる境遇に身を置けるならば有利となることは間違いがないけれども、
 だからといって在家生活のままで進歩向上できないというものではない。在家だからこそできることも多々ある。
そして、誤解されてはならない重要事項としての第二点目は、
 出家して命懸けで修行に没頭しさえすれば、今生の内に完全解脱できてニルヴァーナに至るなどということはないということ。
 これを信じてしまうと、親や子供を捨ててまでも出家する価値があって、すべてを捨てて出家した者の勝ちなのだということになってしまう。
 つまり、これがオウム出家騒動の原因となっているということ。ところが、実際には仏道に入ってからも完成までには何回もの転生経験を要する。
 そのことについてブッダは、四沙門果(四向四果)の教えとして、須陀洹(預流)〜斯陀含(一来)〜阿那含(不還)〜阿羅漢〜如来として説かれている。
 そして、ブッダ御自身も多くの過去世での善行があってこその結果なのだということを示す意図で書かれたのが『ジャータカ』の存在です。
 尚、ヒンドゥーでは、この何生涯も掛かるという注意書きがあまりにも希薄ではないのか? 
 これがヒンドゥーにおけるマイナスポイントと、この私は見ています。
0910垢版2019/05/18(土) 20:05:11.43ID:lBUW6fBT
>>908
宝珠さんもお久ですなあw
経典に神話や誇張表現はつきものだが、それらを100%一字一句全て信じるのは馬鹿だろうよw
おっと失礼ww 己が信じるのは勝手だが公の場で「これが真実!」と指摘するのはいかがなものか?
程度に抑えて言わなければ、また馬鹿どもがよってたかって攻撃してくるからなあww 用心用心w

なんせ宝珠さんはをコレらを心底信じているトンデモ人間でしたなw→ 「人間は水中で無呼吸で
何年でも生き続ける事が出きる。人間は飲食呼吸をせずに何年でも生き続ける事が出来る。人間は空も飛べる。〜などなど}w

確かに仏陀は母親の脇から生まれたと仏典にあるのだから、超人仏陀は死んだ人間との連絡も取れたのかもしれないねえw
仏典に出てくる悪魔も単なる修行上の精神的障がいという象徴ではなく文字どおり悪魔が出てきて仏陀に囁いた〜とw
まあ、仏典から何を学ぶかを選択するのも個々人の自由なわけだし、頑張ってくれw
自分は仏教から神秘的な側面を採用しない。仏陀の「来て見てみよ〜」という言葉からも訳の分からん事を信じよとは言わなかった
だろうよ。「来て見てみよ〜」は信仰とは正反対のベクトルの言葉だからな。死んだ人間と交信した〜なんて事は普通の人間には
行って見る事は出来ないだろうよ。
0911垢版2019/05/18(土) 20:50:52.02ID:lBUW6fBT
おっと付け忘れてたわ。
輪廻転生が有る〜というのなら何が輪廻転生するのか?
何かしらが輪廻転生したとして、ソレは今生の「我」とどんな関係があるのか?

いずれにせよ、又どんな回答であれ仏教の無我と相容れないものだろう。
ならば仏教においては輪廻転生は無いし死後の我も無いとした方が教えには適っている。
0912垢版2019/05/18(土) 21:46:19.98ID:lBUW6fBT
さらに付け加えればww
>>908
>仏教で論じている我(アートマン)とは、ウパニシャッドの説く究極のアートマンのことであり、
>4.自己の本性である究極のアートマン(真我)

なんでも構わないが仏教ではそのアートマンは明確に否定されているぞw
アートマンの否定=無我=仏教の根幹の教え〜でしょう。
これを「そうではない〜」と言うのなら「仏教では〜」という仏教看板は降ろさなければ詐欺だww
0913宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 07:26:22.03ID:YWp1WjTp
>>910
>宝珠さんもお久ですなあw

う〜む。
一応、まだ元気はあるけれども年齢的な肉体の劣化に悩まされることが増えましたね...(苦笑)。

この私は、
神話や経典聖典の類いをすべて鵜呑みにする人間などではないから。
そして、仏教徒として仏教経典の記述のすべてをそのまま信じる原理主義者でもない。
ただし、どれが迷信であり、どれがただの神格化であるか。
また、どれが真実であり、真実足り得るのかを個別に識別しながら読む。

>なんせ宝珠さんはをコレらを心底信じているトンデモ人間でしたなw→ 「人間は水中で無呼吸で
>何年でも生き続ける事が出きる。人間は飲食呼吸をせずに何年でも生き続ける事が出来る。人間は空も飛べる。〜などなど}w

それはあなた方が無知だからです。
もちろん、そのまま普通の人間にはできないが、完成者(ホトケ)というのは我々とは異なるから。
物質界の諸法則を超越する能力を獲得した完成者はその支配を受けない。
あなたは単なる唯物主義者であり、唯物論などは間違いだということをまだ知らないレベルです。
この私は、物質科学の説く常識では在り得ないことが事実として在るということを自ら如実に体験してきたし、そして、理論的にも納得している。
その上であらゆる超常的な話の中から、真実足り得ることとただの神格化と見なす方が適切かどうかを判断しています。
0914宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 07:27:45.12ID:YWp1WjTp
>確かに仏陀は母親の脇から生まれたと仏典にあるのだから、超人仏陀は死んだ人間との連絡も取れたのかもしれないねえw
>仏典に出てくる悪魔も単なる修行上の精神的障がいという象徴ではなく文字どおり悪魔が出てきて仏陀に囁いた〜とw
>まあ、仏典から何を学ぶかを選択するのも個々人の自由なわけだし、頑張ってくれw

 だから、この私を丸呑み信仰者らと一緒にはしないように!
“ブッダが右脇(右脇腹)から産まれた”という逸話は単なる神格化であると私は見ています。
 世界中にある偉大な宗教の始祖たちに共通するのが神秘的な生誕の話であって、それがそのまま絶対的な神格化の象徴となっている。
処女懐胎の信仰は有名なキリスト教におけるイエスに限らず、その他の多くの宗教でも同じく採用されており、そして、ブッダとて例外
ではありません。
 ブッダの場合には、六本牙の白象が右脇から入る(もしくは牙を差し込まれる)というマーヤ夫人の霊夢に合わせて、その右脇から産ま
れたという話になっている。これはブッダは普通の人間ではないという絶対的な神格化を図るためと、インドにおける伝統として肉体の
右半身が清浄だとする伝統的な観念があって、逆に不浄と見なす左手での握手というのは相手に対する大変な失礼となるから気を付けな
ければならない(尚、正しくは人間の右手側はエネルギーの放出側であり、左手側がエネルギーの流入側であるので、左手からの不浄の流
入を避けることが望ましいという意味なのであって、左手がそのまま不浄であるとする話はまったくの誤解からきている)。そして、カー
ストによって生まれた肉体上の部位には違いが説かれているという伝統に沿って、釈迦族の王子であったブッダはカーストのクシャトリア
なので腕(その脇)から産まれたことにしたものでしょう。その結果としての「右脇」なのです。
 パーリ聖典では、普通の夫人は座って産むけれどもブッダは立ったままで産まれたともされていて、とにかく通常とは異なることが強
調されているのです。因みに、仏典の記述にはないにも関わらず、南インドの遺跡上のレリーフではブッダが反対側の“左脇”から産ま
れたものとなっている。
0915宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 07:29:05.34ID:YWp1WjTp
 『プルシャ(巨人)という大きな原人の口から生まれたのは、バラモン。両腕から生まれたのが、クシャトリア、両腿から生まれたのが、
ヴァイシャ、両足から生まれたのが、シュードラという伝説がありまして、お釈迦様は、クシャトリアなので、腕。右側が清らかなので、
腕。それより、脇かな?って考えなのですね。』(中村元『ゴータマ・ブッダI』春秋社、1992年)。

参考:
私の住む地域(北海道の田舎町)でのブッダの誕生を祝う“花まつり”(5/12)の行進を目前にした白象の画像です。
 http://houjugusya.web.fc2.com/IMG00220_Film4.jpg

>>911-912
 仏教においては輪廻(転生)は明確に説かれています。
 転生の主体は“魂ジーヴァ”であり、それが仏教(『DN.15』)の説く「識」(アートマンではない)です。そのことはまた、『DN.23パーヤーシ・
スッタンタ』や『長阿含第七経/弊宿経』においても説かれています。
 魂と今生のパーソナリティとしての意識との関係については、魂の持つカルマの総計(全転生における総記録データ)に適い、尚且つ、前世の
業の果報として相応しい肉体と精神的資質を形成したものが今生の我(自己)です。つまり、カルマに相応しい境遇と夫婦のものへと転生して、
その魂が母胎内で肉体と精神を形成しているのです。要するに、魂の反映した存在が今生のその人の“精神と心”です。

 それから、現・仏教教団の説く教義はすべて部派仏教から継承されたものであって、本来のブッダのものではありません。
“アートマンは無い”という教義は部派の持つアビダンマという創られた教義ドグマからきており、その一部は仏典の記述とまったく異なります。
仏典に見るブッダの教えによれば、ブッダはアートマンは無いなどとは一度も説きませんでした。そして、分かっていることは、現象界において
はアートマンは捉えられないということと(アートマンとは元々そういうものなので、そのことがアートマン存在の否定意とはならない)、当時の
バラモン達の中にはアートマンを実現している聖者がいなかったこと(アートマンではなく、彼らは魂ジーヴァ・レベルでの合一の境地に過ぎな
かった)。そして、アートマンの有無については、ブッダはその明確な解答を控えたことであり(無記)、その理由についても分かっています。
0916宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 07:30:17.76ID:YWp1WjTp
参考:
 『「非我なるものを我と見てはならない」という最初期仏教の教えからすれば、我すなわちアートマンの存在を否定するものでないことは明
らかである。むしろ、積極的に、凡人のとらわれている自我観をすてて、真実の自己(アートマン)を実現すべきであると教えている。
---中略--- 第一の理由は、原始仏教から部派仏教になると、無我の考え方が変容したことである。すでに前項で見たように、原始仏教におけ
る無我説は、決してアートマンが存在しないとは説いておらず、むしろ実体として固執する種々のアートマン論の過誤を指摘して、論理的実
践的な意味における本来の自己あるいは真実の自我の探求を教えた。その後、アビダンマ教学の盛んな部派の時代に進むと、積極的にアートマ
ンは存在しないと主張することとなり、本書の編纂された時代は、こうした考え方が支配的であった。したがって、仏教の無我説は時代の変遷
とともに、その解釈が大いに変わった。』
(『東洋思想5/早島鏡正著「無我思想の系譜」』東京大学出版会刊)

 『atmanという言葉は必ずしも否定の対象となっていないのである。以上のように、古い経典ではatmanやattaと言われた我の否定ではなく、
atmanでないものをatmanの如くみることを斥ける意味で無我を説き、atmanをatmanとして正しくみ、“真実の自己をたずねよ”といっている
のである。非我なるものを我とみてはならないというのである。この意味で、佛陀の教えは必ずしもインド的なものから全く別であったといっ
てはならないであろう。ところが、やがて此の“アートマンでないもの”ということが“アートマンを有しない”という形容詞として用いられ、
我の存在の否定の意味をもつようになり、これが、部派佛教の考え方となったのである。我を常一主宰と規定して、そのような何者かがあると
するのが、輪廻転生を説くバラモン教のおしえであり、其にたいしてそのような我はないというのが釈尊の教えであると考えたのである。この
ように、古い経典に用いられた「我」の理解がどうして解釈の違いをおこすことになったのであろうか。恐らく、かの『ミリンダ王問経』に見
られるような、ギリシャ的な思想の影響をうけて形成された説一切有部の教学の性格によるのであろう。』
(武邑尚邦著『東西思潮と仏教思想』)
0917宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 07:31:37.70ID:YWp1WjTp
「アートマンは無い」が無我の教えであるなどというのは、
部派時代に生じた誤解がそのまま今日まで継承されてしまったものです。
それが近代仏教学の常識です。
なので、現・テーラワーダではこの事実を何とか蔑ろにしようとして必死となっているのです。

あのね...紐さん。
まず今のあなたに必要なことはその唯物論の間違いに気付くことです。
尚、唯物主義者というのは話や理論によっては絶対に理解できない頭をしているので、
自らそれを経験しない限りは無理なことです。そのための自らの実行動を起こすよう私は推奨します。
たった一度、唯物論が間違っていたことさえ知るならば、あなたの人生はこれまでとは100%激変することを保証します!
あなたは優秀なところが多いから、このままでは勿体ない...。
0918宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 07:44:56.48ID:YWp1WjTp
>>914
>仏典に出てくる悪魔も単なる修行上の精神的障がいという象徴ではなく文字どおり悪魔が出てきて仏陀に囁いた〜とw

あっ、これが一つ抜け落ちてました。
私は、仏典中の「悪魔」とはすべて精神的な葛藤の象徴だと理解しています。
ブッダは自ら、弟子の質問に対して悪魔とは自己におこる五蘊のことだと明快に解答しています。
つまり、煩悩が生ずる器官である自己の五蘊が苦悩をもたらし、修行の邪魔をする悪魔なのです(南伝相応部経典23-1等々)。
また、仏典中の結果としては良くない見解のことを象徴的に悪魔(悪魔の誘惑)と表現しているのです。
この私を原理主義者らと一緒にしないように...。
0920パーピマン垢版2019/05/19(日) 16:08:30.04ID:k6d3EfE/
>この紐さんは中身はセブンさんだろ?

wwwwwwwwwwwwwww

紐とセブンは、基体論や輪廻転生に対するスタンスでは被るところはあるが、
仏教というものに対する向き合い方の差異は歴然。

同一人物視されると、お互いが不愉快になると思うぞw
0921垢版2019/05/19(日) 17:43:49.11ID:VIycjBsk
ww 唯物論者ならば「死後は無い。生きている間だけ我が有る。〜」だろうが、
自分のはコレとは似て非なるものだ。
「死後は不明(分からない)が生きている間は我は有る。」この両者は同じではない。
このように自分は唯物論者ではないが、むしろ唯物論者の方が宝珠のような神秘主義者よりは
遥かにマシだとは思うがなw こちらから見れば神秘主義なんてのは精神的倒錯者に他ならない。
能力への欲望、渇望〜が根底にあるからそのようになるのだろうよ。

そもそも、我が有るか無いか?なんてのは存在論そのものであり、存在論は宇宙は有限か無限か?と問う
形而上学と同じ範疇のものだ。これに回答する事能わず〜というのが正しい姿勢であり、有るとか無いとか
言うだけ無駄って事だ。そもそも物の実体〜なんてのを言い出したら実体がある物って何だ?って事になる
だろうよw

仏陀の姿勢はこれに沿ったものだっただろうと推察する。つまり形而上学の議論は無駄〜というのが根底にあり
我が有るか無いか?も基本的には非有非無(いわゆる空〜って奴だ)の見解でどちらとも言わなかった。と・・
敢えて言えば、生きている間は非我(何物も我が物ではない。自分の身体ですら我が物ではない〜)で,死後は無我で
自分固有のアイデンティティ、魂と言おうがアートマンと言おうが呼び名は何でも構わんwがそんなものは無いとは思うが、
死後の事は(形而上なので)分からんので無記〜とっなったんだろうよ。非我、無記、無我〜いずれにせよアートマンを
肯定する姿勢ではないわな。

仏教からアートマンの肯定を汲み取る団体もあろうが、そんなものは却下するわ。所詮、何をどのように学ぶかは個々人の勝手だからなw
仏陀の「来て見てみるように〜」や「教師の握りこぶしには隠されたものなはい〜」という言葉を自分は信じる。仏典から神秘的なことを
汲み取ろうとすれば、このような表現は出来ないだろうよ。 また自分はセブンとは異なり伝統に固執する姿勢も認めない。
伝統依存の仏教者などそこら辺にいる在家信者にも及ばない愚か者だと思う。
0922神も仏も名無しさん垢版2019/05/19(日) 18:50:43.13ID:PiqHk1HS
いや、紐はここまで突っ込んだ話はせんわ〜
0923宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 19:02:29.50ID:YWp1WjTp
>>919
>>920パーピの言う通り。
セブンは伝統仏教の信奉者として、また禅僧として、
そして、まったくの個人的な見解というスタンスにて堂々と自分の意見を述べてきた。
これまでにもそれらしき形跡は皆無であり、
今になって急に、他人に成済ます必要性などまったくない。
紐さんと七セブンの文体も分かっています。
これは異なる別人です。

>>922
wwwww
0924宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 19:07:30.77ID:YWp1WjTp
>>921
私は別に、
「ブッダがウパニシャッドの説く究極のアートマンを説いた」などとはいっていないから。
それについては無記の態度(在るとも無いとも示さずに)であり、そして、ブッダが説いたものは、
「真実の自己こそ完成者の姿であるということ。であるから、あなた方は真実の自己を求めよ!」というものでした。
対する伝統仏教の主張というのは、「涅槃では自己は無い。従って当然、究極のアートマンなどは無い」というものです。
学習者はこの二つを対比して、それぞれが自分自身で考えればいいこと。
それと、まだ勘違いが酷いけれども、ブッダは死後の世界を無記とはしていないから。
死後の生存については無記という意味と、ウパニシャッドの説く究極のアートマンについては無記というのではまったく異なる話です。
あなたのいう、死後の生存は無記という主張は仏典の記述には皆無であり、
逆に究極のアートマンではない死後生存については明確に教えられた。
だから、私はいくらでもその経文を提示可能ですけれど、
しかし、あなたの主張するような意味での無記を経文から提示することは不可能ですから。
それは単に、あなた個人が自分が死後については確認できないと述べているに過ぎず、
もちろんブッダの主張などではない。

唯物主義者の話の件。
今は話しても無駄だろうから、これで辞めるけれども。
死後の世界を完全否定していた科学者が自らの体験によって肯定側へと衣替えし、
日々、そのことを講演して歩いているという著名な科学者はいるが(この変更者は何人もいる)、
けれども、その真逆の変更をした科学者の話というのは皆無です。
唯物主義者というのは所詮、単なる情報不足と理解不足、そして、体験不足でしかない。

そして、これは願望でも渇望でもなくて、
私自身も物質科学では否定されている超常現象をしかと確認しましたからね。
(科学の)間違いは間違いです。
0925パーピマン垢版2019/05/19(日) 19:29:39.01ID:k6d3EfE/
>いや、紐はここまで突っ込んだ話はせんわ〜

wwwwwwwwwwwwwww

紐、なんかバカにされてるぞw

お前は、突っ込んだ話できないんだってw
0926宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 19:36:45.49ID:YWp1WjTp
追記:
>>924
>対する伝統仏教の主張というのは、「涅槃では自己は無い。従って当然、究極のアートマンなどは無い」というものです。

この主張は、アビダンマのものであり、
仏典そのものには確認されないものです。
一応、念のために。

そして、
プッタタート比丘のようなものは、殆ど混乱状態に陥っているのか?
でなければ、本当は分かっているくせに単に認めたくないだけの悪足掻きです。>>889
0927学術垢版2019/05/19(日) 19:44:05.49ID:ISKuw0Fd
死後の世界は保険の様にでも存在するべきだよ。何か事故や戦死、事件、病気があったとき
救いがないのはみんなイヤだろう。
0928神も仏も名無しさん垢版2019/05/19(日) 20:03:16.61ID:PiqHk1HS
紐は我はあるというスタンスだっただろう。
実体はないという言葉を認めてなかっただろう。
ついでに空も認めてなかった。

ではここに現れている紐に聞こう。

釈迦の教えで価値があるものは紐は何と主張していた?
何度も書いてたから答えられるだろう?
0929神も仏も名無しさん垢版2019/05/19(日) 20:04:21.07ID:PiqHk1HS
あと非我と無我を分けたりしてなかったと思ったけどな。
0930fusianasan垢版2019/05/19(日) 20:19:01.70ID:bpeCOdX2
言っとくけど別人  
0931垢版2019/05/19(日) 20:19:58.10ID:bpeCOdX2
あ、ふしあなさん使えなくなってたの忘れてた。
0932神も仏も名無しさん垢版2019/05/19(日) 20:27:53.33ID:bpeCOdX2
5chはIPプロバイダ表示できないのか。



宝珠その他の倒錯は、
「主体」というものの「在り様」に、
絶対的な存在性、或いは、堅固で確定的な、不変化な「何ものか」を嵌めこんでいる所。

心は万境に随って転ず、という句があるけれども、
「主体が存在する」ということは、確かにその通りであって、そうでなければ、
行も、悟りも、布施も、説法も、衆生済度も、何一つ成立しない。

が、  だが、  だ。

それらは、所縁によって顕現している事象に他ならない、というのが、「縁起」の骨子なわけでね・・。
万境に随って現れているのが「我」なのさ。
0933神も仏も名無しさん垢版2019/05/19(日) 20:43:39.36ID:bpeCOdX2
たまさか現れている自我に縋ることが、滑稽な愚行でなくて何なのか? と。
0934宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 20:45:42.68ID:YWp1WjTp
>932
それらは、
すべて有為の話に過ぎないからね。
テーラワーダの信奉者たちと同じだな...。

(無為と有為を)混同しないように。
勘違いはすべてそこ!
0935宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/19(日) 20:47:54.11ID:YWp1WjTp
>>925
進歩向上でしょ♪
あれから何年が...w
0936神も仏も名無しさん垢版2019/05/19(日) 21:48:14.77ID:bpeCOdX2
>>934



混同のしようもなかろうに。

むしろ、
「有為なる自我を無為なる自我へ変換しようとしている」
のが貴方方ではなかろうか?とw
0937垢版2019/05/19(日) 22:04:34.26ID:VIycjBsk
宝珠さんよww
仏陀の有名な毒矢のたとえ話があるわな?
その問われた各問に対してあなたは何と答える?
例の「宇宙は有限か無限か?〜」といくつか問うた奴の中に「仏陀(如来)の死後〜」の状態を聞くのもあったわな?

悟った仏陀やアラハントは輪廻転生しない(消えて消滅〜)が凡人の衆人どもは輪廻転生を繰り返す〜か?w
その様な、偏った考えを自分は却下する。 仏陀が超常現象をかなえる超人だったならば何故80歳で普通の人間と同じように
死んでしまったのか? 飲まず食わず息もせずで生き続ける事が出来るのだろうよ? アーナンダの返答に従って死んでしまったというのか?
仏教の解釈において自分はそのような馬鹿らしい選択はしない。

自分(紐)が本物か偽物か?ww 知りたければ数年前の自分のレスを探して読み返せばいいだろうよ。
こういう奴らは紐の名前の由来すら知らんだろうが。
0938神も仏も名無しさん垢版2019/05/19(日) 23:15:42.15ID:OFLqQQEs
 
>紐の名前の由来

たしか
「もし前世と現世が紐のようなもので繋がっているとするのなら
  その紐のようなものを見せてくれ!
  前世と現世が繋がってるということを
  証明して見せてくれ!」

という感じで
紐師匠は輪廻否定派だけど
どういうわけか
紐というコテを
強制的に憑けられてしまった

ということで.めでたし!めでたし!
0939宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/21(火) 01:29:36.40ID:zj3Q7L5j
>932 >>936
しかし、七は諦めが悪いね...。

>絶対的な存在性、或いは、堅固で確定的な、不変化な「何ものか」を嵌めこんでいる所。
>それらは、所縁によって顕現している事象に他ならない、というのが、「縁起」の骨子なわけでね・・。>>932

はいはい、ぜ〜ん〜ぶ-「有為」についての話です。
“絶対的な不変性のものなどは一つも無い”というのは、この有為についての説明です。
「無為」はその真逆の“絶対性”に決まってる。だから、我々はそれを求めてるのです。その価値があるからだ。
所縁に拠って変化して止まない事象の一時期的な仮の姿には価値を見ない。それを求めないということ。
しかし、無為(涅槃)は縁起のない境地のことであって、恒常、不変にして永遠の領域だ。だから価値がある。
永遠のもの以外に真実の価値を認めないのがインド思想だ。同じく仏教もその一つ。
仏典の何処を何を読んでるんだか....?????  また、一から勉強をやり直せよ!!
0940宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/21(火) 01:33:28.07ID:zj3Q7L5j
>むしろ、「有為なる自我を無為なる自我へ変換しようとしている」>>936

いやいや..だから、
“無為なる自我”へと勝手に変換してるのではなくて、
それは“完成者としての真実の自己”ということでしょう!
だから、これは私どもの勝手な話などではなく、ブッダ自らが説いて経典で残された言葉です。
あなた達の方こそが勝手に、涅槃においては自己なるものは何も無いなどと経典にはないアホ論を説いてる。
その無くなるものとは煩悩のことであって、それを時と場合においては「自我」だともいい、「個我」などともいってるのです。
何故ならば、それが“分離意識”のことだからですよ。「わたしとあなた」、そして、「わたしと何々...」といって、
完全に自分とは別のものとして見なす意識状態のこと。
だから相手を攻撃し、それを破壊しようとするのです。そして、最終的には自分自身をも損壊してまう...。
しかし、完成者における真実の自己の意識はそうではなくて、個としての認識も持ちつつも分離意識が完全に消散消滅してしまう。
すべてのすべてが己自身であるという驚異的な意識境へと入る。
だから、そこでは攻撃する者もいなければ攻撃される相手もいない。すべてが自分自身なのだから...。
そのすべてが自身であるという意識状態については、今の我々には想像すらもつかない超越的で超絶的な世界であって、
その時になって体験しなければとても分からない境地です。
だから、消散消滅するのは分離意識としての自我意識のことですよ。
それらは、「低我」とか「低級性質」ともいう。

“完成者としての真実の自己”、それはブッダの教えであり、それはちゃんと経典中で説かれているもの。
あなた達の方こそ経典の記述と矛盾することは言わない方がいいでしょう!

もしも、これでも分からないのであれば、
当分の間はあなたとはこの問題で話しても無駄ですね...。
もちろん、認めたくないならばそれも結構です。それもあなたの自由なのだから。

ということで、
私としてはあなた方の一日でも早い成長を待っています!!!
0941神も仏も名無しさん垢版2019/05/21(火) 06:53:59.06ID:9wY+BwYj
テーラワーダは、
私/私のもの、と言えるものがない、諸法無我、となったときに
精神的な苦しみがなくなる体験をした修行者がいた

第四禅定ぐらいで↓みたいなのが見えた、と主張する者がいた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3#%E7%95%A5%E6%AD%B4

そういうのが先にあって、理論はあとからつけたように思える
0942神も仏も名無しさん垢版2019/05/21(火) 14:51:20.28ID:mJhwQcm7
>>940
だからw

>完成者としての真実の自己
>私どものもの勝手な話などではなく、
>経典で残された言葉です

経典に残されていない、勝手な話だと、何度も言ってるじゃない。
どこをどう斜めに読んでも逆さまに読んでも、そのような解釈は導けないの。
そういうのを、隠居や一在家流の「勝手読み」と云うの。

>勝手に、涅槃においては自己なるものは何も無いなどと経典にはないアホ論
どこをどう斜めに読んでも逆さまに読んでも、そのような解釈しか導けないの。
それが、「体験と伝承に裏付けられた読み」なの。


>それはちゃんと経典中で説かれているもの。
どこにも説かれていないの。


前に誰かも言ってたが
>すべてが自分自身なのだから
そこにはもはや「自分自身」が無くなるでしょうが・・。 ┐(´ー`)┌
そこには、(超人的能力の有無なぞ関係なくw)「個」なぞありようがないでしょうが・・。

もはや支離滅裂通り越して血迷い過ぎだわな・・・。  >>宝珠
0943垢版2019/05/21(火) 23:17:42.56ID:7adNWq7P
>933
>たまさか現れている自我に縋ることが、滑稽な愚行でなくて何なのか? と。

仏陀の自灯明法灯明の言葉に唾を吐きかける一句だなww さすがセブンだwww
伝統崇拝もそこまで行くと立派なもんですわw まあ、自分は伝統無視で自由に生きますわw
0944神も仏も名無しさん垢版2019/05/22(水) 03:33:53.15ID:Aq16JZle
62 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

103 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。

160 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

380 実に自己は自分の主(アルジ)である。自己は自分の帰趨(ヨルベ)である。故に自分をととのえよ。──商人が良い馬を調教するように。

(以上ダンマパダ)

五 業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。

六 もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。
 ※ 中観派には<定説>というのがないのである。

七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。

八 「一切はそのように【真実で】ある」、また「一切はそのように【真実で】ない」。「一切はそのように【真実で】あり、またそのように【真実】ではない」。「一切はそのように【真実で】あるのではないし、またそのように【真実】ではないのではない」
―――これがもろもろのブッダの教えである。

九 他のものによって知られるのではなく、寂静で戯論によって戯論されることなく、分別を離れ、異なったものではない―――これが真理の特質(実相)である。

(以上中論第一八章 アートマンの考察)
0945神も仏も名無しさん垢版2019/05/22(水) 16:48:38.78ID:Aq16JZle
尊師「なすべきことをなし終え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、『わたしが語る』と言ってもよいでしょう。
また『人々が、これこれは我がものである、と語っている』と言ってもよいでしょう。
真に力量のある人は、世間における名称を知って、言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいのである。」

>真に力量のある人は、世間における名称を知って、言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいのである。

これは龍樹のいう世俗諦として、仮に「私が語る」とか「我がものでえる」と語っても良いということではないかなと。
勝義においてはそう言った言語表現はなく全ては空であるので我(という概念)のあるなしは関係がなくなる、
もっともこれは龍樹の観念でブッダの思想と完全に一致してるかどうかは定かではないですが。
0947(^。^)ノシ垢版2019/05/29(水) 07:20:11.68ID:yxXTdSKP
>>792
例えば本邦の神道などでは、先祖を纏めて「氏神様」としたり、靖国では「A級戦犯」も朝鮮人も纏めて英霊として合祀してますわな。
「わたし」が前提なんてのは、キリスト教以降のものではないかな?
また、仏教が「主体を〜」とあるが、何度も繰り返すが「仏教は修行者に対して説かれた教え」なので、主体は修行者だろ?
或いは輪廻し縁起してる一切とも言えるか。
キリスト教以降、世界は個人主体という視点、自他、身心、善悪などという分別、差別が常識となり、その色眼鏡を色眼鏡と認識出来ないように薫習されてて、
これを俺はキリスト病と前から言ってたが、お前さんはついぞ認めなんだわなぁ。(笑)

(^。^)まぁ、みんなそうなんだから別に問題無いんだがね。(笑)

ほな、さようなら。(笑)
0948宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/05/29(水) 15:57:02.90ID:HKgCDEg3
>>947
おおっ!
Syoukyouronzya お元気そうで何よりw
0950垢版2019/05/30(木) 20:35:48.65ID:3iC8iZN1
仏陀の自灯明を無視する輩は己の頭で考えて選択する事をしないw
日蓮宗だろうが禅宗だろうが丸のみは駄目だろうよ。例え仏陀の言った事ですら
己の頭で考えて捨てるべきところは捨てる。
他者の言った事を丸のみ(所謂、伝統ってやつだわなw)して、我の姿勢は正しい〜なんて
やったら仏陀が生きていたら叱責するだろうよw 仏典にもそんな表現があったよなあww
伝統に従うなかれとねww
0951宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 10:06:04.11ID:hz+sSwDo
981KBか...。
1000レス使い切ることができるのか?

>>949
ゴータマ王子は元々、
自己の苦悩と世界についての疑問を解消すべく道を求めた。
だから、自分こそが世界を救おうなどということで出家したわけではないのであって、
ただ、自分が悟りを開いて仏陀となったその経験により、
世の中の真理真実(実相)と成仏の仕方(仏陀と成るための方法)を説いて廻ったことにより、
その結果として、個々の人々を救済していることになったのです。


>>943>>950
この紐さんのご指摘は正しい!
ブッダの説かれた我々が求めるべき“真実の自己”ついては、
この“自灯明法灯明”の教えをその一つとして上げている学者はかなり多いということ。
これが暗闇の中での頼るべき灯であり、激流(業報輪廻の川の流れ)の中での救いの洲ということでもあるから。
これこそがブッダの説かれた弟子たちへの最後の遺言とする見解は根強い。
その頼るべき自己の灯とは、もちろん煩悩塗れとなっている愚かな自己のことでないことは明らかです。

まったくその通りであって、
“伝統”だからといって(正しいものと決め付けて)信じてはならない、
というのがブッダの重要な教えですよ(『カーラーマスッタ』)。
そして、古くて間違った固定観念を手放すことを「信仰を捨てよ!」(『スッタニパータ』) といっているのです。
それには、とてつもなく大きな勇気がいるものです。
石飛氏は無我の誤解を自らが学者として十分に知っていながら、それでもスマサナーラを信用する方を選択してしまった勇気の無い人。
七セブンは、経典には真実の自己の探究の教えは説かれてないなとど、まるで三猿の逆バージョンのような
“事実に眼を塞いで見ないフリ”をする卑怯者だと思う。

つまり、一般素人(紐さんのような)よりも
専門大学を出たプロの僧侶のほうが優れているなどということはないと示す典型例ですね。
>>944-945 この方も七セブンよりは分かってます。

紐さん。
私はあなたの姿勢を高く評価しますよ!
0952宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 10:36:41.99ID:hz+sSwDo
“過熱する御朱印ブームに対する対策には”

 すでに報道で知られる通り、過去最大級の御朱印ブームの到来です! これはパワースポット・ブームに端を発して寺社巡りも盛んとなり、そこから十
年来の御朱印ブームが起こった。そこへきて更に、今回の「令和」元年の日付や特別御朱印を希望したための異常なまでの過熱ぶりが問題となっている。
その目的の多くは、ただの記念としてやスタンプラリー感覚での収集コレクションが主なものですが、中には転売を目的とした不徳義漢までもいて、ネット上
では1枚がなんと27万円以上とか30万円という金額で取引されたというから驚きである。
 それからまた、「御朱印代金300円〜を払ったんだから早く書け!」的な、まるで寺社をサービス業か何かと勘違いしているようなお客さま感覚の人も多
くて、中には職員を怒鳴りつける者までいたという。また1人1枚というルールを無視して、「自分が欲しいものはこれではない」といって、頂いたばか
りの通常御朱印を破り返し、さっさと希望の特別御朱印を新たに書くように求めてきた人もいるというのだから本当に呆れるばかりだ。それで遂には、御
朱印の授与を取止める寺社まで出てしまった...。

 この事態に対する対策というのは、私はたった一つだと思う。
要するに、御朱印を授ける条件を厳しくし、“元々からあった本来の姿”へと戻すことだ。
0953宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 10:37:55.33ID:hz+sSwDo
 御朱印というのは、四国八十八ヶ所霊場札所の遍路巡礼にも見られるように、本来は“正しい作法に沿って礼拝して、「納経」をした者に対してその証
が授かるというもの”です。「納経」とは、文字通り“経を納める”ということであり、本来は「写経」をしてそれを納めていたのです。ただ単に観光巡
りで立ち寄って手を合わせただけ、お賽銭を入れただけでもただ御朱代金300円を渡しさえすれば誰でも貰えるというものではなかったのです。
 起源的には、最初は『法華経』だったそうですが(膨大な写経時間を要する)、現在、四国を中心に全国で採用されている基本は『般若心経』一巻です。
写経というのはなかなか大変なもので、これを正しい作法にて丁寧に書き上げるとなるとと、1枚でもゆうに丸1時間位も掛かる。これが後には、写経で
はなくても「納札」(ご挨拶として自分の名前やお願い事を書く小さな専用の札紙)を納めて、そして、直に“読経をすること”でも良い、というように簡
易化されて今日に至りました(読経の内容は、「心経」を中心にその札所に適する「御法号」や「各種真言」を読誦/各霊場にて確認のこと)。ですので、本
当に読経もしっかりと捧げたかどうかをその寺院の住職なり、または職員なりが確認のため見届けている中でこれは行われるものなのです。神社であれば
当然、それは祝詞だということになるでしょう。 
0954宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 10:38:30.30ID:hz+sSwDo
 今後においては、このようにしなければ頂けないものが御朱印であるとなったならば、もう、ただのお気軽な観光記念や安易なスタンプラリー収集とい
う感覚の者はいなくなる筈です。人前で、しかも僧侶や宮司が見ている中での読経や祝詞を聞こえる声で読誦するというのは、素人にとってはかなり難し
いことであり、ハードルが高い。そして、気恥ずかしさを克服してのかなり勇気の必要な行為です。
 だからこれは、「それでも頂こう!」という人でなければ、とてもこの納経作法や祝詞読誦はできない筈です。しかし、それでも本当に欲しい人というの
は自ら読経の練習をするでしょう。
 確かに、このように本来の厳しいスタイルへと戻すことへと統一するならば、間違いなく参拝者が大幅に減るでしょう。けれど、それは止む得ないこと
です。こうして正しく“振るい”に掛けるのです。これで来なくなる人間というのは、最初からただの御朱印入手の目的の人だけなのですから。
 もちろん、御朱印を頂かないという普通の一般参拝については、これまで通り誰でもできるので観光参拝も別に問題なくできます。
0955宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 10:39:19.79ID:hz+sSwDo
 この私も仕事の合間を見ての車巡礼を経験した。結願(定められた全ヶ所の札所を巡り終えること)には何泊もして、それでも丸6年半を要しました。
私が巡礼したのは『北海道不動尊三十六霊場』というものでしたが、実際には巡礼期間中に増設された番外の8ヶ寺を入れた不動尊44ヶ寺と、その他にも
北海道八十八ヶ所霊場の不動尊寺院の数ヶ寺を含めて全部で約50ヶ寺余りの巡礼でした。総距離としては、本家の四国八十八ヶ所の1.400kmに対して、こ
ちら北海道では、その更に倍以上の3.000kmだとされていて、北海道の札所では八十八ヶ所と不動尊三十六ヶ所を共に兼ねている寺院が多いので、この不
動尊三十六霊場巡りについてもほぼ同じくらいの総距離となっていると思われます。
 北海道の札所では、事情的に住職夫妻やご家族だけで営まれている小さな寺院が多くて、職員や御朱印書き専門の書家などはとても雇えないところばかり。
また、住職は檀家廻りの外出が多いのと、中には本業(法務)以外の復業で生計を立てているところもかなりあるので、基本的には直筆の手書きではなくて、
手書き作成したものから複写コピーした御朱印となっています。
 私の時には、実際は1/3位が留守でした(この場合には、代金を納めてから置かれてある御朱印1枚を自分で貰ってきます。なので日付についても自分で
筆書します)。そして、1/3位には住職がおり、残りの1/3は住職の奥様か担当している信徒が対応されたという感じでした。それから、必ず到着前には電
話連絡しなければならないのが北海道の基本ルールとなっており、私の場合は到着の30分位前に携帯電話しています。
0956宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 10:40:03.57ID:hz+sSwDo
 実際、私自身の巡礼参拝の場合は、予め別に用意した般若心経の「写経」したものと、そして、お決まりの「納札」の二つを奉納しています(持参の写経
が不足の場合には泊まり先でも追加の写経)。読経については約20分位(準備かたずけ含めて30分近く)は掛かるボリュームとなるように自己編纂したオリ
ジナル勤行次第にて読誦しました。私はただ件数を多く廻ることを目的とはせず、だいたい1ヶ寺は見学を含めて40分、住職からのお接待や談話があれば
50〜60分をみています。
 それから、北海道の不動尊三十六霊場用の専用掛軸というものは無いので、結願して集め終えた御朱印を自分で縮小コピーしたものを業者購入の掛軸にて
依頼して特別に表装作成した。なので世界にただ一つしかないオリジナルの不動尊掛軸を作成できました。これを高野山の奥之院にて箱書き代行をして頂い
た後に成田山寺院(民間不動尊信仰のメッカ)へと持ち込んで開眼祈祷をして頂きました。今は、実家において大切にお祀りしています。
0957宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 11:01:32.00ID:hz+sSwDo
>>942
---七セブンへ

 先日、偶然に見たNHK「こころの時代」は、シリーズ「禅の知恵に学ぶ」(全6回)の第二回放送だった。
 しかし、同じく禅の僧侶ではあっても、ここの山川 宗玄氏(臨済宗正眼寺住職/正眼僧堂師家)の話は、どうやら七とは全然、違うものよだなぁ〜と、この
私は受け止めました。この方は、仏教(禅)の修行は悟りを目指すものであり、それは「小我」である今の自分から言葉の表現を超えた大いなる存在としての
「大我」(「本来面木」= 本来の自己の姿)となることだといった。
 「大我」というと、承狂さんがこの前、この大我が仏教の目指すものであり、それはウパニシャッドのアートマンとは異なるものだといいつつも、しかし
検索によっては、その明確な違いを見つめけることができなかったと述べていたことを思い出します。私もこの山川氏の説明であれば、別に「それは違う」
などとは何も文句をいうこともないだろうということ。そう、無くなるものとは「小我」のこと。この今の状態の煩悩塗れでちっぽけな意識であり、他者に
対して分離意識しか持てない「低我」(低級な自我意識)としての個我のことです。そして、涅槃においてはこの分離意識を超越した大いなる意識としての
「大我」、つまり、“本来の自己(自性清浄心) =である「真我」(真実の自己) ”に目覚めること。そして、その確立に成功した存在がブッダなのだということ。
0958宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 11:02:21.93ID:hz+sSwDo
 七は、そもそも唯物主義者だから、まさか涅槃を断滅状態のことかなんかと混同してるわけじゃないだろうね? まるでこの七のいうような、すべての自己
なるものは何一つ無いということではなくて、正しくは、それは涅槃を涅槃であるとして認識している者(自己)のことです。この自分が涅槃の状態にあるこ
とを自覚している自己があることについては、『ウダーナ』においても明らかなこと。その人がブッダであるかどうかは如何にして分かるのかというと、自分
がブッダであるかどうかというのは他人が決めることなどではなくて、涅槃にあるとの自覚(涅槃ではないものとの明確な違いがあることにより)が生じる自分
自身の内によってですよ。ただ、ウパニシャッドの説くアートマンについては、その明確な解答を避けただけです(無記)。
 また、同じNHK「こころの時代」で「ブッダのめいそう」と題して話をされた東京大学教授/蓑輪 顕量氏の場合には、それ(涅槃の自己)は“我を超えた超我”
であるとも述べています。

シリーズ「禅の知恵に学ぶ」(全6回)。
 https://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2019-05-19/31/2654/2008338/
 https://www4.nhk.or.jp/kokoro/33/
0959宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 11:03:55.50ID:hz+sSwDo
>経典に残されていない、勝手な話だと、何度も言ってるじゃない。

それは、(ごく一部のアホを除いて)仏教学の常識にして統一的な認識ですから。
 『ゴータマ・ブッダの目指したものは、真実の自己、本来の自己を実現することであったのではないでしょうか 。』(前田 專學)
 『釈尊は遊楽に耽っている青年たちに向かって「婦女を尋ね求めること」よりも「自己を尋ね求めること」を薦め、そしてかれらを出家させたという。従前
のインドでは<アートマンの探求>という表現が形而上学的な意味に理解されていたのを、ブッダが倫理的な意味に改めたのである。無我の倫理は法の実現を
めざす努力であり、それは真実の自己を実現することにほかならない。』(中村 元)
 『無我の立場でも我は認められている。むしろ無我の否定によって、自我への執着を減じて、それをこえたところに、自己の真実のすがたを発見しようとす
るのが、無我説の趣意である。』(平川 彰)
 『ブッダは本来の自己とは何か、真実の自己はいかにして実現されるかを追究した。凡人のとらわれている自我観をすてて、真実の自己(アートマン)を実
現すべきであると教えている。』(早島 鏡正)
 『古い経典ではatmanやattaと言われた我の否定ではなく、atmanでないものをatmanの如くみることを斥ける意味で無我を説き、atmanをatmanとして正
しくみ、“真実の自己をたずねよ”といっているのである。』(武邑 尚邦)
 『自己を説くアートマン論者も顔色なしと言いたくなるほど、ブッダは積極的に自己を語っている。そして、そのように積極的に「自己」を語る理由も明ら
かにするのである。このように、真実を見極めたものは、自己を語る人々が用いる言語表現を用いようと、その言語表現にしばられることがない。』(石飛 道子)
0960宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 11:06:55.81ID:hz+sSwDo
>どこにも説かれていないの。

七には、これが読めないのかな? 
“逆見猿(事実に眼を塞ぐ) ”にでもなったか?? ---()書きで理解を援けますか...

 『“アートマン(真実の自己)を(そのまま正しく)アートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ”“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ”』
(『マハーヴァッガ』T.13)
 『自己(真我)こそ自己(あなた)の主である。一体、他の誰が主であろうか? 自己(自身)がよく調御されたならば、かれ(あなた)は得難い主(真我)を得る。(160)。
自己(真我)こそ自己(あなた)の主であり、自己(真我)こそ自己(あなた)の依り所である。それ故に、商人が良馬を制御するように、自己(自身)を制御するがよい。』
(『ダンマパダ』380)。
『わたしは自己(真我)に帰依することをなしとげた。』
(『ディーガ・ニカーヤ』16/パーリ大涅槃経3.13)
 『なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人(真我を実現した者)となった修行僧は、「わたしが語る」と言ってもよい
でしょう。また「人々が〔これこれは〕<わがもの>である、と語っている」と言ってもよいでしょう。真に力量ある人は、世間における名称を知って、言語表現
だけのものとして、〔仮りに〕そのような表現をしてもよいのである。』(『サンユッタ・ニカーヤ』T, 神々との対話3-5)
0961宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 11:13:30.80ID:hz+sSwDo
>それが、「体験と伝承に裏付けられた読み」なの。

いやいや、だから紐さんのご指摘の通りですよ!
そんなことだから、部派以降〜約二千年間も間違った無我の理解をそのまま黙って継承し続けてきたのです。
こうして、まともなインド人の誰からも相手にされなくなり、遂にインド仏教は絶えてしまった...。
だから、仏教が栄えているのはインドの伝統を知らない異国の地ばかり。
つまり、ブッダの予言通りですよ(SN.20.7.4-5)。正しく継承している教団はどこにも存在しない。
皆無です。

七とはもうすっかり付合いが永くなってしまったけれども、
これを以てあなたとの“無我についての対論”は終わりにしたいと思います。
七がどういう選択をしようとも、それは本人の自由なのだから...。


 以上.
0962パーピマン垢版2019/06/01(土) 11:32:22.85ID:ryanyL6k
>この方は、仏教(禅)の修行は悟りを目指すものであり、それは「小我」である今の自分から言葉の表現を超えた大いなる存在としての
>「大我」(「本来面木」= 本来の自己の姿)となることだといった。

wwwwwwwww

だから違うんだってw
お前は、「小我」=世俗の自分、個我、一般的なそれぞれの個

「大我」=本当の「自分」、真実の「自己」、「真我」、・・・・・みたいに捉えているが、

「大我」にまず、「個別性」を観るのが間違い。 貴方の「大我」、私の「大我」じゃねえんだよw
一切の差別性を除去した末の、「自己とは本来、何であるのか?」・・・・・単なる五蘊の縁による
集積・・・の事実を指示して「大我」と言ってるに過ぎないのw

「一如」という語彙で表すと、スピ系のアホが、「そうです。みんな繋がってるんです。ひとつなんです。」
とか言い出しそうだが、その徹底的な個別相の否定の上に成立するのが「大我」なの。

「本来の面目」と言っても、それは「真実の自己」・・・・・この『自己』という語彙を使って説明する
坊主が多いから誤解を生じるんだがw  個人の中に存する究極の基体 なんてもんじゃねえのw

その坊主の言い回し「本来の自己の『姿』」・・・・・この『姿』を仮の現れという意味ではなく、
何か自己の中の究極の実体 みたいな意味で言っていたとしたら、とんでもない似非坊主だぞww
0963宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/01(土) 16:53:26.07ID:hz+sSwDo
>>962
>とんでもない似非坊主だぞww

そうかなぁ...?
本当に厳しい修行を経験してきた素晴らしい指導者としての高僧という好印象を受けましたけれどね。
まっ、とにかくパーピにもこの番組を見てもらいたいところです。
シリーズの続きと再放送もあるから。

番組では、行雲流水の僧堂内での素晴らしい修行とその様子も紹介されてる。
しかし、その中で一つだけ気になったのは、
夜座といってせっかく布団に入ってもまた深夜に一人づつ戸外縁側での座禅修行に勤しむところ。
それが順番待ちのために一番の下っ端の者は、結局のところ本当の睡眠時間が僅かに1〜1時間半しかないらしい。
これを毎日続けていると死にそうなくらいボロボロになるというもの。
睡眠はしっかりと獲った方が健康にも良く頭もスッキリして、実際の修行も進むと思うのだが...。
この殆ど苦行的ともいえる練行(睡眠さえも奪い取るほどの頭陀行)については、私はやや疑問の思う。
果たして、ブッダも当時は弟子たちに対して睡眠時間を1〜2時間しか与えないような指導をしていたものかどうか。
そんな実態については、この私は聞いたことがないのだけれど...。
ただの私の勉強不足かな?

医学的には、睡眠不足の日々を続けている者の肉体は正常には機能できずに短命となる。
私もほぼ3時間くらいという生活を15年以上も続けたことがあって、それで体がおかしくなってしまった...。
仏道は健康目的ではないけれども、しかし、ある程度の肉体健康にはないと修行も進まないように思うのだが?
0964神も仏も名無しさん垢版2019/06/01(土) 17:04:21.68ID:HU1f7Dbp
このスレには本職のお坊さんよりも僕の方が仏教に精通しているという人が大杉
0965パーピマン垢版2019/06/01(土) 17:11:15.85ID:ryanyL6k
>>964

このスレで本職はセブンだけだよw
0966ポッタン師垢版2019/06/01(土) 17:18:15.28ID:ZvnXxsur
963.さとれば坐禅はしない。修行はしない。
バカには理解できない。大爆笑である。
0969宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/03(月) 01:55:14.19ID:WHMefUOH
>>967
これはとても意義深いものをご紹介ありがとうございました。
>>968
こちらは時間をもらいますm(__)m 

>>966
笑われてるのは、あなたの方じゃないのか?
いったい何処にその修行無用の完成者がいるんだい?
悟れば座禅(修行)は無用などとそんな分かりきったことで得意になるな。
ところで、あなた自身はどうなんだい? 
これまでどんな修行をして、今は何をしてる?
それとも自分は無用とでもいうつもりか?
0971神も仏も名無しさん垢版2019/06/03(月) 20:51:09.12ID:EFgpiLZs
ああ、

一個、古いレスにコメントしておくか。

>>585
>「真実の自己を見い出せ」と教えていたことは確かな事実でしょう

これ、常に、引き合いに出される、律蔵大品の遊女を追いかける若者達のエピだけど、
『教えて』はいないんだよねぇ・・。 (宝珠が何を勘違いしてるかしらんけど)
『声かけ』なんだよね。

【その後】、試しにブッダの話を聞いてみようと思い、耳を傾けた彼らに対し、
【何が説かれたか?】
そこでも、アートマンの希求が説かれただろうか?(この時の内容の詳細は伝わっていない)
もし、そこでアートマンが説かれていたとしたら、
初転法輪は何だったのか? 五比丘に対してはアートマンなぞ微塵も説かれていないというのに。
つまり、

 真の初転法輪は遊女を追いかける若者たちの時に為された

という、仏伝の一大改訂がされねばならないということだw
0972ポッタン師垢版2019/06/04(火) 06:09:15.28ID:1tNVAukE
969.唯物論者が修行して悟る、ことを目指す。
私は観念論者であるから、唯物論者のように修行はしない。
観念論者には、観念しかない。
よってして、修行するj必要がない。
真理は簡単である。
バカには理解できない。大爆笑である。
0973垢版2019/06/04(火) 22:56:55.62ID:17D9SsTv
我が有るとか無いとか無駄な論議だろうよw
決まっているだろうよww
「生きている間は」我は間違いなく有り「死んだ後」は我は有るのか無いのか不明。
有るのか無いのか不明だから「空」というんだよww

生きている間確実に有る「我」こそ自灯明の「自」だ。
仏教の無我はアートマンの否定そのものであり、輪廻転生の否定でもある。死後の消滅も指している。
アラハントだけ死後消滅して悟っていない衆人は輪廻転生で生まれ変わる〜なんてのは理屈に合わない。
悟った人間、悟れなかった人間、凡人、愚人、賢人、皆死後は同じ経過をたどるだろうよ。
輪廻転生なるものが有るとすれば、それは一般的に思われているようなものではなく、
死ぬ人間の念が残された人間に影響を及ぼす〜という形では有るかもしれないが、
それは輪廻=生まれ変わりでもなんでもない。輪廻転生という言葉の定義を定めてから
議論しなければ無駄だろうよ。大体、輪廻転生ほど定義があやふやな言葉は無いww
0974ポッタン師垢版2019/06/05(水) 06:26:36.85ID:ZPLHkN+d
973.輪廻転生は迷信である。なんでか。
0975神も仏も名無しさん垢版2019/06/05(水) 20:10:45.50ID:oPIMiffn
その意味で、
唯物論でもなく唯心論でもなく唯識でもなく霊魂・真我でもなく、
「縁起」の世界なわけさ。

華厳の世界観が、どこまで許容されるかはそれぞれかもしらんけど、
少なくとも、「物質」か「精神(→エネルギー体?)」か、
ではなくて、
個物か抽象的在り様かも問わず、  「因により縁による『事象』の変遷」 こそが、
世界の実相だと見るべきだと思うのよねん・・。
そこには、三世の時制も恒常普遍な基体も真我も、存在を許されない筈なのさ。



http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1551435418/
0976ポッタン師垢版2019/06/06(木) 18:17:05.42ID:sQ4xj9Ki
975.バカ丸出しである。大爆笑である。
0977神も仏も名無しさん垢版2019/06/06(木) 19:39:54.15ID:H8pa4Cqh
知識だけの人間に爆笑されても、無視するしかないでしょw >>976



で、(ココ重要だけどw)
実は、宝珠も「知識だけ」なんだけど、自覚がないんだよねぇ・・w
「見た!」「聞いた!」だけで。

少し前に、この辺つついたけど、「見た!」の一点張りだったし。  ┐(´ー‘)┌
0978ポッタン師垢版2019/06/07(金) 07:07:53.08ID:4/N9ms2/
977.知識のないバカが言う、ことである。
大爆笑である。
0980神も仏も名無しさん垢版2019/06/07(金) 18:58:35.30ID:8jt8I4WC
こういう 「見え方」 の面でも、 「体験」 かどうか?
ってことを宝珠には確認したつもりだったんだけどね・・。

まるで映画を見るような 「見た!」 じゃ、意味ないんじゃね? と・・・。
0981垢版2019/06/07(金) 19:57:26.64ID:V+5UU2vw
何度も繰り返すが、仏教を語るにおいて厄介なのが言葉の定義があやふやなものが多すぎるという点だw
「輪廻転生」しかり〜「縁起」しかり〜ww
仏教初学者のために語句の説明という無駄な時間を割く事はしない〜等と偉そうな上から目線で言っても、
そう言っている本人ですら言葉の定義を理解しているのかどうかも疑わしいものだww
輪廻転生も単なる生まれ変わりの意味以外の意味で言う輩もいれば、縁起もこれが有る時それが有る〜という
意味以外の意味で言う輩もいるww
所詮、定義の定まらない言葉が羅列するものを題材に上げて議論すること自体が意味のなさない事である。
比縁性の縁起など現代の量子力学世界では認められない。現代においては、これが有る時、それが有る可能性は〇〇%〜。
となり、100-〇〇%はこれが有る時であっても、それは無い〜となるわなw
そうではなく、龍樹の相互依存(条件)の意味での縁起ならば認められるかもだw この両者は言葉の定義として異なるので
単に「縁起」等というのではなく「比縁性の縁起」なのか「龍樹の縁起」なのか宣告して言ってもらわなければ聞く方が判断不可能だろうよw
隠居氏の言う通り龍樹の世界観は縁起においては正しいと言えるだろう。
0982神も仏も名無しさん垢版2019/06/08(土) 22:32:12.52ID:EPhRmrb0
 よっこらしょ。
    ∧_∧  ミ _ ドスッ
    (    )┌─┴┴─┐
    /    つ. 日  曜 |
   :/o   /´ .└─┬┬─┘
  (_(_) ;;、`;。;`| |

  土曜日は無事に終了しました
  ありがとうございました
  もう書き込まないでください
 
0983宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/10(月) 11:50:39.16ID:ZwJVms9n
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1551435418/953
>特に、こういうスレだと、皆、「物しか存在しない唯物論」一種としか考えてないしね。
>愛や友情や悲しみや喜びが無いとまで言い出す始末w
>人殺しも問題ないんだろ?wとか悦に入る輩の何と多いことか・・。
>そういう問題じゃねーだろ?と。

イヤイヤ全然、それは違うから。
だから、濃密物質(有機肉体)だけしか見ていないことを指して唯物主義というのではなくて、
あなた方が「精神」だとか「心」とかいっているものののすべては“脳内神経科学”によって説明できるものであり、
そして、死後においては、あらゆる意識存在が断滅(崩壊消滅)するものと見なす見解のことをいう。
従って、人間というものは死後においても脳内神経科学では認められていない意識生存があるという理解になければ、
それらはすべては唯物主義だということになる。

七セブン、
あなたはそのことを何一つ認められないのだから、紛れもなく純粋な「唯物主義者」ですよ!
唯物主義者による見解、つまりは、その唯物的視点からの理論説明なるものが「唯物論」だということになる。
0984宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/10(月) 11:51:32.79ID:ZwJVms9n
>アートマンを認めるが如く、スピリチュアルな何がしか(エネルギーか霊体かアストラル体か知らんけど)
>を認めるくらいなら・神智学のように真我を認めるくらいなら、
>甘んじて唯物論の烙印を受容するさ。 ( >>宝珠 w )

おいおぃ、テキトウに語りなさんな!
ブッダは仏典において、死後をも存在する意識について明確に述べています。
従って、ブッダの教説は唯物論などではないから。
そして、その一部については、心霊主義者によって「霊体」(エネルギー)と呼ばれ、
また神智学によっては「アストラル体」と呼称されているのだということであって
もちろん、死後の意識体についてはテーラワーダからも公認のものだ(当然、大乗世界においても常識)。
尚、これらはもちろんウパニシャッドの説くアートマンのことではない。
であるから、両者を自分勝手に混同したり、また意図的に両者をゴチャ混ぜにしてデタラメを語るのはいい加減に止めなさい。
恥ずかしいから...。

簡潔にいうと、
仏教的にはアートマンについては「無記」であり、
そして、“霊存在”については当然あるものとしてこれを説いた。
七へ、テーラワーダスレに深入りするのはいいけれども、
無知にして愚かな唯物論などというものは、彼らからも絶対に認められることはないぞ。
0985宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/10(月) 11:52:36.03ID:ZwJVms9n
>>977 >>979-980
一体、どのことについての話なのかはよく分からないけれど、
もしも、この私が証言した心霊現象の目撃談などことをいってるのだとしたら、
勝手な決め付けと勘違いも甚だしい限りですよ。

どうして、
そんな“スクリーン映像のようなイメージ”話へと勝手にすり替えるのかな?
私が目撃したものは心霊存在が引き起こしたポルターガイスト現象のことであって、
それは現実の物体が勝手に動く様を自分で目の当たりにしたという話ですから。
だから、これは純粋な物理現象ですよ。ただし、運動エネルギーの元となった起因が
心霊存在(不可視の意識存在)のよるものだったということ。

その他の体験すべてが同じく物理的な現実での出来事ですから。
だから、私個人の脳内妄想や幻覚などと決め付けられることはとても心外ですね!!
(七は、どうしてもそういうことにしたそうだが?) 
いや、逆にこっちからすれば何かしらの“イメージによる神秘的な体験”とやらも、是非してみたいものです!
0986宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/10(月) 11:53:43.64ID:ZwJVms9n
--- 私(宝珠)がこれまで体験(目撃)した主な超常現象を列挙!! ---
 @ UFO目撃(超巨大母艦を二人で目撃。他にも瞬間移動で掻き消える凄いシーンもある)
 A ポルターガイスト現象(約1ヶ月間以上も2Fまでの階段を上って来る足音と不可視の存在あり/初回は息遣いも聞こえつつ、
開いていた引き戸が勢いよく勝手に閉まるという衝撃現象だった)
 B 飼猫が死亡した翌朝、この猫に付けていた鈴の音がした。外を猫が散歩していると聞こえる音色がいつも同様にハッキリと聴こえた
 C 虫の知らせ1(強い揺れの地震でも大丈夫だった部屋の蛍光灯が、出張から帰宅したら落下していてグチャグチャ。実にその留守だった
数日間に親しい知人が亡くなっていた)
 D 虫の知らせ2(深夜未明に玄関のドアノブを回す音がガチャガチャと鳴って、異変に気付いてすぐドアを開けて確認したが誰もいなかった。
尚、周囲は辺り一面が砂利なので走れば音で分かる。また、すぐにドアを開けて確認したから到底、見えなくなるまで走り去ることなどは物理
的に不可能なこと。翌日、その時間帯に親族が亡くなったことを知らされた)
0987宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/10(月) 11:54:48.96ID:ZwJVms9n
--- 神仏の霊験関係!! ---
 a.神仏に対して罰当たりな暴言を喚き散らす者をこの私が叱りつけた瞬間、その人の頭上にあった数十sあろうかというズッシリ重い額縁が
突然落下して、頭スレスレの数センチ前で停止して無傷だった。もしも、これが当たっていたら重症は避けられなかったろうと思う。その人は
その場で平伏して謝罪、自分の不敬を反省した。
 b.とある不動尊行者にお伺いを立てたところ、「あなた(宝珠)のところの不動尊は何かに閉ざされてはいないか」との指摘あり。驚きつつ、埃
防止のため透明プラケースに入れていたお不動様をただちにお出しして謝罪した。
 c.またある時、同じ不動尊行者からの指摘では、あなたのところの不動尊があなたは時折り無茶をするからとても心配されているとのこと。
実にその数日前、大雨の中を札所巡礼に出発すべく準備をしていたが、突然、原因不明の強烈な睡魔に襲われてその場から動けなくなって爆睡
してしまった(初めての出来事だった)。眠りから目覚めてTVニュースを見たところ、なんと自分の行き先だった峠の道路が大規模に崩壊したと
ころだった。もしも、そのまま行っていればそこに巻き込まれたか、立往生となった可能性は高かった。私はただちに自宅の不動尊に感謝の意味
を伝えて供養を捧げた。
 d.遂に、神智学系の伝道師クレーム氏のいうMaitreyaのファミリア(存命中の人間の肉体をコピーして物質化してそれを纏う)と奇妙な出逢い
を体験した。この出来事で、更にクレーム氏からのMaitreya情報の真実性を確信した。
 e.自宅の不動尊を祀る部屋にて凄まじいオーブの乱舞現象を動画に納めることに成功した。それらがホコリ(塵)による誤認やレンズの光化学
現象などではないと確信した。
常時、1個のオーブがどこまでも自分に附いてきているところなどから、個人的には不動尊が放つエネルギー、守護して下さっている眷属の三十
六童子の御霊ではないかと推測。>>892-893

因みに、@〜Dは仏道とか霊性の修行とは殆ど関係ないものなので、誰にでもすぐに遭遇可能なものです。
どうです? かなり親切な説明でしょ!!
0988宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/10(月) 11:56:32.96ID:ZwJVms9n
>>972
ポッタン師へ
とにかく、あなたと“対話が成立する”ということがわかって、私はそのことに驚いたわ!!
けれど、あなたのアホさ加減を示す投稿内容をそのまま認めることはできない。

唯物論者というものは悟りなどは目指さない。
唯物論者は科学の成果を最上と見なしているから、
科学の知識には悟りなどはないし、そのための修行も要らない。
知識を修得する勉学と科学の発展を促す更なる研究があるのみ。
修行は、科学を超えたところにある真理実相(悟り)を知りたいと望む者が行うもの。
その涅槃の境地を自ら目指して修行する者は唯物論者の筈がない。
従って、まだ涅槃の境地に到達してない者が行うのが修行ということ。
そしてまた、あなたのような“アホな固定観念の呪縛”から解放されるために修行する。
誰でも、正しい修行に拠らない限り、その呪縛(愚かな観念)から解放されることは決してない。
そんなことすらも分からないようでは、大爆笑だなっ!!
0989宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/10(月) 12:28:38.54ID:ZwJVms9n
>>973 >>981
紐さんへ
仏教用語の意味は基本的には最初から定まっており、当然、その定義もすでに決まってる。
ただ中には、僅かに誤って理解している者や間違った使い方をしている者がいるというだけのことです。
だから、あなたが分かってるか分かってないか、というだけの話。

とにかく...あなたが唯物主義者なのはもちろんご自由ですよ。
しかし、それを勝手にまるでブッダが説いたかのようにいうのはとんでもない話だということ。
ブッダがどう説いたか説かなかったのか? については、
その唯一となる言行録として残された仏典/原始経典に拠らないでは確認のしようがない。
であるから、あなたも仏典/原始経典の記述を根拠にして頂きたい。
それ以外のブッダがこういったあぁいったの話はすべてその個人の勝手な妄想の類でしかない。

そして、そもそも「仏教」というのは森羅万象についての“謎を解明するもの”などではないので、
あなたの疑問に対して明快に説かれているということは元々ない。仏教にそれを求めても無理なことです。
仏教というのは、ブッダの体験主義によって弟子の信に基いてただひたすらに道を歩むもの(修行するもの)でしかない。
もしも、どうしても「物質」と「霊」の知られざる関係について、「転生」のメカニズムの真実について(知的に)知りたければ、
本物のハイアラキーの覚者方(歴史の表舞台で知られていない覚者)からの
指導と協力を得て成し遂げることができた唯一無二の知識である神智学を学ぶことです。
その知識の集大成にして真理の百科事典としての『神智学大要』全巻を、まずは黙って読むことを奨めます。
あなたとの対話はすべてそれからです(でないと、とても話にならないから...)。
これを読めば何故、アインシュタインの愛読書が神智学の原典、
ブラヴァツキー著『シークレット・ドクトリン』であったかを理解できるでしょ。
現・今の人類にはこれを超える知識はどこにも与えられることはない。

トランス・ヒマラヤ密教叢書
『神智学大要』(全五巻/計九冊)
アーサー・E・パウエル編著/仲里誠桔訳
 http://www.shuppansinsha.com/kikan_trans1.html
0990宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/11(火) 11:40:48.95ID:YSdASxm7
>>971 七へ
以前から2ch(今は5ch)には時折、
初転法輪(初転法輪経)にはないから“「輪廻」(思想)はブッダの教えではない”、とかいう理論の人がいますよね。
つまり、それほど重要なことであるのならば絶対に初転法輪の中で説かれている筈だというもの。
だからこれは、七も同じ論法なわけですよ。

そもそもが、
どうして重要なことであれば絶対に初転法輪で説かれているものと決めつけるのかな?
「初転法輪」というのは、どうみても単に一番最初の説法という意味合いでしかないのであって、
これが最も重要な経文であるという意味合いにはならないから。
実際には寧ろその逆なのであって、初転法輪というものは悟りを開いたその喜びを表現しているエピソードなのだということ。
悟りを開いたこの喜びを伝えたい。で、まずは共に修行して苦労を分かち合ったあの仲間たちに是非ともいち早く伝えたい、という想いです。
しかしながら、この経文の中で輪廻について特に述べられてないのは当たり前ですよ。そんなことは彼にとっては当然のことであって、
そのため(輪廻から解脱するため)に修行していたのですから。
だから、この経文の中では「これが“最後の”生存である」とブッダは宣言してるのです。
なので、わざわざ「輪廻」と述べるまでもないこと。

初転法輪というのはただどう行ったらゴール(涅槃)だったのかをまるで
「まずは右折して、そして次に左折して、そのあとはただひたすら真っ直ぐに進むとゴールだったぞ!」とその喜びを伝えているだけです。
それが中道、八正道、四聖諦...などということになったに過ぎない。
そして実際的な、具体的内容というものは、その他の後々の経文において次第に展開されていくことになるわけです。
だから、そもそもが初転法輪経の中に仏法のすべてが解き明かされているということではないということ。
いや寧ろ、重要な詳細内容というのは後でジックリと展開されていく...。

というわけで、「アートマン」も同様であって、
初転法輪の中でアートマンが説かれていなかったから、などの理由はまったくのナンセンスでしかない。
0991宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/11(火) 11:43:07.12ID:YSdASxm7
>>975七へ
縁起の世界においては、
三世の時制も恒常普遍な基体も真我も、存在を許されない筈だって?

いやいや.だから、
アートマン(恒常普遍の真我)というものは、元々の最初からして現象界で捉えられるものではないということなのであって、
それを何故か今更になって鬼の首でも捕ったかのように、縁起の世界にアートマンが在る筈がないといって威張られたって困る。
そんなものはお笑いの失笑でしかないの!!

縁起の世界は「有為(法)」の話であって、元々から無為(法)であるアートマンにはまったくの問題ですから。
そのことをよく分かりつつもそれでも認められない可哀想なテーラワーダ長老(プッタタート比丘)
 『ここでいうアートマンは、彼らにとって本当の自我という意味であり、生まれず、死なず、変化も何もしない状態のもので、
私たちが無為、あるいは涅槃と呼ぶものと同じ状態です。』(論客の自我/バガバッドギターのアートマン)
に対して、まだそのことすらも分かってない七セブンとは一体、どちらが重症なのか?

それからね、
三世に跨る業報とは縁起作用のことですからね。
コレ.初歩的な理解ですから、ソコは勘違いしないように!!
0992神も仏も名無しさん垢版2019/06/11(火) 14:06:11.73ID:znVMfgzA
>元々から無為(法)であるアートマン


何それw
だから、何度も何度も何度も何度も、
『ソレ』は、(ヒンドゥでは正しいのかもしれんがw)お釈迦さんの説示したところではない、
と言っておろうに・・・。 ┐(´ー‘)┌
0993垢版2019/06/11(火) 20:14:56.34ID:yz3yauVi
仏典から真我を取り込みたければご自由にw
良いんでないの? 仏典をどう読もうが個々人の自由だ。
仏陀も個々人が何をどう捉えるかは個々人の自由であると言っていたような?
所謂自己責任下での自由という奴だw 仏陀の「教師の握りこぶしに隠されたものは無い」
「来て見るように」という言葉を真実と捉えればそこに神秘主義などが入り込む隙間などない。
私はこちらを真実と認め、神秘主義的表現を退ける。宝珠が逆に神秘主義的世界観を仏典から
汲み取るにならばどうぞご自由にw

仏陀はキリスト教のように闇雲に「信じよ〜」とは言わなかったのも事実だろうw
「来て見てみよ」の現実主義的世界観こそ仏陀だと私は思うwww
0994垢版2019/06/11(火) 20:49:44.47ID:yz3yauVi
>三世に跨る業報

そんなものは無いだろうよw 信じる信じないは個々人の自由だw
0995宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk 垢版2019/06/12(水) 17:04:48.99ID:3M5y0BSw
>>990
訂正:
 ×「彼にとっては当然のこと」
 〇「彼ら(五比丘)にとっては当然のこと」
(二段目の七行目)

>>992
だからどこの誰も、
「アートマンは無為法だとブッダが説いた」などとはいってないから。
そして別に、七がアートマンを無いものと見なしていようとそんなことはどうだっていい。

このプッタタート比丘の言葉(理解)
 『ここでいうアートマンは、彼らにとって本当の自我という意味であり、生まれず、死なず、変化も何もしない状態のもので、
私たちが無為、あるいは涅槃と呼ぶものと同じ状態です。』(論客の自我/バガバッドギターのアートマン)
は、正解なのだということ。
そして、己の無知で愚かな視点から、ヒンドゥーをアートマンを説く間違った低き宗教などと侮蔑するのはやめておけ!
といってるまでのことだ(まっ、確かに七はしてないが伝統テーラワーダの仏教者たちのことだ)。

>>993-994
そう。信じないのはあなたのご自由です。
それを誰も責めてなどいない。
ただ、あなたがブッダの教えを信奉しなければいいだけのことです。
なので勝手に説かれていることを改変しないように!

もしも、ブッダがそんなことを説くわけがないというのであれば、
仏教はブッダの正しい教えではないとして、それを認めなければいいのです。
もしあなたが、ブッダの正しい教えは現仏教とは異なるということを論証できるというであれば、それがあなたのやるべきことです。
できないのなら、ただの文句や不平や誹謗中傷でしかない。
0996神も仏も名無しさん垢版2019/06/12(水) 19:17:41.78ID:wN2f3Vki
>>991
> そのことをよく分かりつつもそれでも認められない可哀想なテーラワーダ長老(プッタタート比丘) 

神意識あたりの見え方でも私、私のもの
というニュアンスがずいぶんなくなったりするし
見え方が違ってくるお
0997垢版2019/06/12(水) 20:26:43.05ID:qtL2o6rs
ww
>ただ、あなたがブッダの教えを信奉しなければいいだけのことです。
>なので勝手に説かれていることを改変しないように!

これって私の事? 宝珠自身の事だろうよww
0998神も仏も名無しさん垢版2019/06/12(水) 22:21:26.51ID:T75uIke6
>>995
>侮蔑するのはやめておけ


だからw
これも、
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
言ってることだが、
侮蔑じゃなくて、 「違う」 と言ってるだけ。
貴方が、勝手に侮蔑だと感じてるだけの、貴方自身の受容の仕方の問題でしかないのw

do you understand, OK?
0999神も仏も名無しさん垢版2019/06/12(水) 23:55:36.40ID:T75uIke6
たとえば、本音を言えば、
キ教イ教等一神教系の考え方・世界観を肯定することは永遠に無い
(謝った世界観(・・・顛倒妄想)だと見做している)わけだが、
相対しているとき、或いは、共に祈りを捧げねばならないとき等もあるし、
「アプローチの相違であって、【(個々の)心の安心】に関しては、等価だ」と思う。
ただ、その「アプローチの相違」、「安心」するための方途(方便、手法)には、
明確な相違があるという点は押さえるべきだと思うし、そこを無視したら、
道を踏み外す(反社会的新興宗教系・スピ系と混濁する)危険性を増やすことになるわけで・・。
実際、オウム関連はまさにソコだし。


で、やっぱり、思い起こされるのは片山さんの台詞で
「仏典を読んでください」
に尽きてしまうわけでね・・・。  ノシ
1000神も仏も名無しさん垢版2019/06/13(木) 02:14:24.56ID:AkPAOJ2s
 
    ,__      | >>999さんがちゃんと成仏できますように…
    /  ./\    \_____________________
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