輪廻については、(原始)仏教は輪廻の基体となる常・一・主・宰の我を認めて無いので、その限りにおいて輪廻とは矛盾しますね。
唯識仏教では、その輪廻の基体を生滅する阿頼耶識に求めているので親和性は高いといえますが、「連続性や同一性が保持されないそれを基体といえるのか?」という見解もあるようです。