二元世界は幻想です。
だからといって、そこから目を背ける必要はありません。
二元世界を生きているあいだは、現象世界映画が上映されているのです。

上映されている映像から必死に目を反らせて「何も起こっていない」といいたがっているのは、
過去の二元世界の幻滅を解決できていないスピリチュアル・エゴイズムにほかなりません。

「“私はいないとわかった私”エゴイズム」です(「私はいない」が本当にわかれば、
「私はいない」のですから、「私はいない」と語る必要さえなくなります
→「私はいない」ので、「すべてOK」になります)。

過去のエゴイズム(個としての私)が体験してきた二元世界の幻滅が解決していないあいだだけ、
二元世界否定(二元幻想→本質世界をノンデュアリティと呼び、
「ノンデュアリティが真実で、二元は幻想」と語られることもあります。
この人の目にはまだ、「(この人の呼ぶ)ノンデュアリティ(二を見ているので、
ノンデュアリティではありませんが)」と「二元」の二つの世界が見えているのですね〔笑〕。
ただしこれは悪いことだという意味ではありません。
その段階だというだけの話です)が可能なのです。

ノンデュアリティは「二のない一」ですので、二元世界も含みます。
二元世界を否定する必要は、いっさいありません。
二元世界を否定しているということは、それが分離している証拠なのですね!
「二元世界の幻滅」も幻想です。
この幻想から目覚めると、目の前に上映されている映像(二元世界)が、
ありのままですばらしい贈りものだったことがわかります。
ノンデュアリティの中に二元世界がそのままありのままで含まれていることがわかり、
そのすべてがそのままですばらしい贈りものだったことがわかります。

こうして、幻想二元世界最大活用が可能になります!
あとはこれを遊ぶだけ(*^^*)🎵

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