阿含宗という宗教297
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霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
■阿含宗関連サイト■
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議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
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http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
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過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.zouri.j...kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC
http://agama.jounin.jp/ @比丘は第二禅で解脱するのかい?www
>阿含宗という宗教296
>654
> オマエもヨル公と同じで阿含経を読んでいないクチだな
オマエこそ深山のレスよく読め。
深山がスレで引用した「心が統一され」は
阿含経ではなく沙門果経だよ。
>まず学説より経を学ぶことで次に学説に意味を確かめればいいのさ
>経典に一目瞭然なことは学説など必要ない
>心が統一されの文句は解脱した時の阿含経の常用句だよ
その「心が統一され」の文句は沙門果経の第二禅にも出て来る。
↓↓↓
第二の禅
比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、
大まかな考察・細かな考察のない、心の安定より生じた喜びと楽のある、
第二の禅定に達して住みます。
『原始仏教 第2号』中山書房仏書林、53頁)
オマエの言うように「心が統一」が解脱なら比丘は第二禅で解脱することになっちまうわな。
解脱は四諦の後に出て来るのだから「心が統一」が解脱であるわけがない。
しかも第二禅では「清浄」「心の安定」まで出て来る。
これらも解脱だと深山は言っとるのだ。
もう話が滅茶苦茶だろwww
↓↓↓ https://youtu.be/Ngw9uuEsCeI
突然ニュースタープロダクションのタレント一覧から雲母の名前が抹消され、
ファンに挨拶も せずニュースタープロダクションを辞め行方不明になったことがある。
実は、大川隆法の性のイニシエーションを受けていたのだ。
大川隆法の調教が終わるまで、エルカンターレ信仰の洗脳 が終わるまで雲母は隔離されていたのだ。
https://togetter.com/li/1186290
映画「さらば青春、されど青春。」に出演した筈の、「幸福の科学」の看板女優の一人、「雲母」がスクリーンから全面削除されている。
所属事務所の一覧からも抹消されてしまった。
アリプロからも、教団からも一切、詳細は語られていない。
教祖三男・裕太氏の妻であり、看板女優の一人でもある彼女に、一体、何が起きたのか!?
ARI Production http://aripro.co.jp/talent/
http://aripro.co.jp/talent/kirara/
★★『幸福の科学』統合スレッドpart875★★
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1524504765/528
雲母がARI Production所属タレント一覧から抹消されている。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1524504765/489
雲母がまた消えた!?
雲母がARI Production所属タレント一覧から抹消されている。
http://aripro.co.jp/talent/
所属事務所の一覧からも抹消されてしまった。
アリプロからも、教団からも一切、詳細は語られていない。
教祖三男・裕太氏の妻であり、看板女優の一人でもある彼女に一体何が起きたのか
ARI Production http://aripro.co.jp/talent/
http://aripro.co.jp/talent/kirara/
前にも雲母は2016年にも、幸福の科学の映画『天使にアイム・ファイン』で主演を務めた後に
突然ブログを閉鎖し、何の挨拶もせず、行方不明になったことがある。
この時も、今回と同じく雲母はプロダクション所属タレント一覧から抹消された。
ネットでは、大川総裁に監禁され、性のイニシエーションを受けていたとのウワサが流れた。
ネットでは、次女愛理沙に対する性的虐待疑惑も流れたこともある。
神託結婚し文殊菩薩と言われていた元妻のきょう子が、実は離婚後ユダ悪魔だったという
驚天動地の変更が行われたことがあり、何が起きても不思議ではない。
http://o.5ch.net/15kn9.png おお!ここが噂の、世に新趣向を発信させられ無い人達が
群れ集う場ですな、何方も桐山師に勝る、世間を納得させられる成仏法を説けない、そんな
ヘタレプロの御意見が仲間内のみで通用、許諾しちゃうんです。って聞きました。
ねっそうでしょ不可残さん!オットこれじゃ残すべからずじゃないか、
改めて 深山さん、キミ同意したまえ 此れで好いのだ。
ワルクチイッテモノゴトガ成就シタタメシハ、ナイゼ。 >>4の続き
>阿含宗という宗教296
>654
>心が統一されの文句は解脱した時の阿含経の常用句だよ
>阿含宗という宗教150
>205 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日)
22:21:11 ID:574E+w79
>「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、 」
をばらばらの内容だと思っているようだが、
「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」です。
>同じ内容をただ別な表現で繰り返しているだけです。
>心が小さな煩悩すらもなくなり、煩悩から清浄になり、煩悩に対して純潔で、
煩悩の汚れがないから安定したのです。
>これは黄廬園経でも同じで、
「定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し 、不動心、 」
とは、「清浄=穢無く=煩無く=柔軟=不動心」であり、
釈尊が煩悩を完全に滅してしまったことを表現を変えて繰り返しているだけです。
>こういう同じ内容の繰り返しの強調は経典ではよく見られます。
>こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。
↓↓↓
「ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道」
(ターナヴットー ビッグ)によれば
八正道では八支全体がより高い段階に進んで行くのとは違って、三学教典てのは目標である解脱へ向けて修行は段階的に進んで行く。
とまあ学説をもとにゴチャゴチャ言わずとも、オマエの言うように「経典に一目瞭然なことは学説など必要ない 」のだから議論の余地無し。
「心が統一」は解脱ではない。
ところで最初に学説に根拠を求めたのは深山だから、その根拠となる学説を出せと言ってる。
それが出せないのだからハッタリ屋だろ。
そして腰抜けでもあるから学説の否定も出来ない。
どうやら仏教学者には頭が上がらないらしい。 >>阿含宗という宗教296
>649ユビキタス
>あなたは過去の議論でのあなたの勝手な思い込みで自分の学説支持したつもり論が正しいと思ってしまっている。
思い込んでいるのはあなたの方だよ。
>654の言うように「経典に一目瞭然なことは学説など必要ない」(いい言葉だね)
ましてあなたの思い込みなどに用はない。
未だに三学系統の修行が何たるかを理解出来
ないようだが「ニカーヤにおける...」をもう一度読んでみ。
東大大学院の論文だからちと難しかろうがww >阿含宗という宗教296
>649ユビキタス
>あなたは深山さんの主張が一つ間違っていると勝手に思ったら、彼の説く話はどれも間違いだと判断するクズ頭脳ですか?
勝手に思うのでなくて彼の話は間違ってる。
だからこちらの指摘に満足に答えられない。
最初から嘘を書いてるからね。
「心が統一」「心が安定」が解脱であるわけがない。
それは経典を見ればわかるし、学者たちもそう解釈している。
それを解脱だとあくまでも主張するのは、そこにある意図があるからだ。
深山幽谷氏はある意図をもとに話を創作する人です。
それが見え見えなんだよ。
彼は仏教から超自然的な要素を排除したい。
だから「心が統一」「心が安定」で解脱してないと不味いのだ。
だからどんなに客観的な事実を突きつけられても受け入れない。
そんな人が説く教団批判など全部が嘘だとは言わないが、殆ど信用出来ない。
批判側にこういう人がいたから自分は阿含贔屓になったんだよ。
そういう意味では恩人かも知れないwww >>4
>深山がスレで引用した「心が統一され」は
>阿含経ではなく沙門果経だよ。
おっとミスっちまった。
沙門果経は阿含経の長部経典の中に入ってた。
削除ねwww 煩悩を滅し尽くした者が阿羅漢だからね。
煩悩を残している阿羅漢向を阿羅漢だと判断した深山王様は裸の王様です。
三結を断じた者が預流の聖者ですから、三結を断じていない預流向は預流の聖者ではありません。子供でも分かることです。 煩悩があっても阿羅漢だ、三結を断じていなくても預流だ、と、あまりにも無知で恥ずかしい判断をしたものだから、深山くんは引っ込みがつかない。訂正することが出来ない。一生、恥ずかしい間違いを、突っ張っていく運命です。 >>12
>煩悩を滅し尽くした者が阿羅漢だからね。
貪を滅し尽くしていない、桐山さんは凡人なんだねw。
ところで、今日は開祖桐山管長の三回忌法要の日なのにこんなところで油売っていいんかい? 前スレ296の658からの続き
>400 :宝生の生活:2011/10/10(月) 15:06:40.61 ID:A1JIaQ6R
> 深山氏は以前アゴン宗信徒と宣言しているがこの言は虚妄と知るべきだ。
>彼は法華宗の堅い信者が真実と見るのである。
桐山さんに指示されたボン行や供養も、教義の勉強も何もしたことが
ない宝生創価さんですから、私が阿含宗で配られた様々な
資料を持っていることが不思議でたまらないのでしょうね。
だが、605でユビキタスさんが書いているように、
私の示した阿含宗の資料は阿含宗側が信者に読むように配った資料です。
阿含宗にとって公式の資料で、内部資料や秘密資料ではありません。
宝生創価さんは読まないで捨てているから、丁寧に保存している私が
理解できないのでしょう?
私はあなたが書いた十年前の書き込みを引用している。
書いたあなた自身でさえも引用できないような文章を引用するから、
驚いているのでしょう?
そういう反応を見ると、あなたがろくに仕事もできなかった人だとわかる。
私が保存している理由がわからないのでしょう?
相手を理解しようとしているのです。
桐山阿含宗とはどのようなものか、宝生創価さんとはどのような
人物かを理解するためには、書いていること、話していることなどを
理解するしかない。
ところが、宝生創価さん、1.5来補さん、ペテン大作さんは相手の主張を
理解しようと努力するのではなく、自分の中にある狭い了見の解釈を
強引にあてはめて、キメツケをしようとする。
三人とも理解力が低く、理解力の低さの自覚がなく、
それを克服しようと努力もしていない。 前スレ296
>603神も仏も名無しさん2018/10/09(火) 23:38:09.34ID:Q2FVN+Pw
>金を貰って書き込む人も居る。
>プロのみがあれだけの資料を駆使するだろう。
理解力の低さを克服しようと努力しないというのは推測ではなく、
宝生創価さんが今回も目の前でそれを示している。
あなたは三結と三毒の区別もつかなかった、これが理解力の低さです。
しかし、問題はその次です。
普通の人は、自分の無知を恥じて、自分の間違いを修正し、
正しい知識を得ようとする。
だが、あなたの反応は違った。
その反応が上記の603です。
自分の間違いを修正することなく、これを無視して、
別件で相手の攻撃を始めた。
これがあなたの人生の縮図です。
宝生創価さんは学校時代も0点のテストを渡されると、即刻ゴミ箱に
捨てて「あの先生は禿げ頭だ」と悪口を言って溜飲を下げた。
だから、ついにあなたの成績がのびなかった。
仕事もこの調子だから、嫌われた。
そこは1.5来補さんやペテン大作さんとそっくりです。
だから、三人とも十年間同じ間違いを繰り返している。
それがあなた方の人生です。
あなたは気が付いていないが、今回もあなたはまた
三十七道品の修行に失敗したのです。
と言われても、何のことかわかりませんよね?
ペテン大作さん、1.5来補さんと同じで、相手の説明を理解できず、
理解しようと努力もせずに、ただ稚拙な自説をくり返して、
相手にツバを吐き掛けているからです。 前スレ296
>638 神も仏も名無しさん 2018/10/11(木) 22:12:14.67 ID:AeuW0H/q
>何チャッテの深山さん、泣き言並べるユビキタス君、君らが頑張っても
>踏ん張っても、跳んでも跳ねても泣こうが喚こうが、阿宗は大丈夫!
宝生創価さんの上記は
宝生創価さんが「踏ん張っても、跳んでも跳ねても泣こうが喚こうが、創価は大丈夫!」
と、そのままあてはまりすよね。
宝生創価さんとは長年の付き合いなのだから、少しはこちらの主張を
記憶してくれると助かる。
私は前から、桐山さんが死んでも阿含宗は残ると主張して来た。
理由も簡単で、宝生創価さん、1.5来補さん、ペテン大作さんのような
信者がいるからです。
オウムのようにテロを起こし、教祖たちが死刑になっても、
残党は今でも存続している。
ましてや、阿含宗が霊感商法の詐欺宗教でも、桐山さんは巧みに社会的な
処罰は免れ、単に週刊誌で下半身を露出して、大恥をかいただけで済んだのだから、
生き残るに決まっている。
阿含宗の教法がどれほど間違っているかを示しても、なんともない信者が
いることは、三人が実例です。
三人とも桐山さんと同類で、嘘が大好きで、嘘が何ともない。
三人とも仏教など興味がなく、単に自分を際立たせたい、
ヲレ様はエライと言いたいだけで、実のところ桐山さんさえも信じていない。
だから、桐山さんの嘘をいくら示されても、阿含宗が仏教とさえも
言えない事を示されても、何にも感じない。
釈迦仏教とはこのようなものだと示されても、関心すらもない。
阿含宗と釈迦仏教が正反対なのを示されても、興味も信仰心も無いから、
愕然ともしない。
あなた方三人のような人は新興宗教の中では少数ではありません。
だから、W田阿含宗は存続します。 >638 神も仏も名無しさん 2018/10/11(木) 22:12:14.67 ID:AeuW0H/q
>何チャッテの深山さん、泣き言並べるユビキタス君、君らが頑張っても
>踏ん張っても、跳んでも跳ねても泣こうが喚こうが、阿宗は大丈夫!
私がここに批判を書き込んでいるのは、宝生創価さん、1.5来補さん、
ペテン大作さんの三人組のような人たちのためではなく、少数だが、
仏教の信仰を求める人が信者の中にいるのを知っているからです。
普通の知性と良識、また恥じる心は持っているが、
知識がないために、桐山さんや阿含宗の嘘に気が付かず、
釈尊の説いた仏教とは何かを知らない。
できれば釈尊が説いた仏教を信仰してみたいと思っている人たちです。
もちろん、こんな人たちは阿含宗の中では少数です。
宝生創価さんなど三人組と違い、彼らは嘘は嫌いです。
三人には一生理解できないだろうが、彼らは嘘は嫌いなのです。
だから、桐山さんの嘘を示せば敏感に反応する。
逆に三人には桐山さんの嘘を示しても反応しなかったから、対象外です。
彼らに釈迦仏教の教法とはこのようなものだと示せば、
すぐに理解できなくとも、あなた方と違い、関心を示す。
品性の卑しい宝生創価さんの価値観を私に押し付けるのはやめてほしい。
私は阿含宗という教団などどうでも良く、普通の知性と良識と信仰心を
持っている少数の人たちに情報を伝えたいだけです。
あなた方三人組と違い、私は釈尊の教法を信じているので、組織には
関心がなく、そこにいる人間が対象です。 >>6神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 13:15:55.23ID:uTy73k8g
>おお!ここが噂の、世に新趣向を発信させられ無い人達が
>群れ集う場ですな
>436 :いうに言えない:2009/07/06(月) 20:52:38 ID:U2oF9Jad
>マアここは 桐山師に対する悪口雑言スレだから 好いけどさ。
宝生創価さんは三十七道品を示されてもそれを悪口だと罵り、
代案を出せと十年前と同じ事を書いている。
1.5来補さんは阿含経や岩波仏教辞典を示されても「預流向≠聖者」を
十年間吠え続けている。
ペテン大作さんは、心の安定が解脱だと書いてある阿含経を
示されても、沙門果経は解脱の順序ではないと指摘されても、
いっさい受け付けず、同じ主張を十年間続けている。
他の信者さんたちは良くこの三人を見てほしい。
擁護側、批判側など抜きにして、この三人の態度をどう思いますか?
阿含宗批判を抜きにして、誰がどう見てもいずれの議論も決着がついている。
釈尊の教法は三十七道品であり、これを示したのだから、
宝生創価さんの要求に応えている。
前スレ79に引用された岩波仏教辞典を見れば、「預流向=聖者」は
もはや議論の余地もない。
前スレの655に引用された阿含経を見れば、
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
が解脱を意味することはあまりに明らかです。
だが、三人は絶対に引っ込まず、根拠を示すこともなく、ただ自分の
同じ解釈を並べてガミガミと罵りや意味不明の勝利宣言をしながら、
何と十年間も書き続けている。
信者さんたちは、この三人に人並みの知性があるように見えますか?
この三人がなんとブッダの智慧を目指す阿含宗の代表信者なのですよ。 >>6神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 13:15:55.23ID:uTy73k8g
>おお!ここが噂の、世に新趣向を発信させられ無い人達が
>群れ集う場ですな
一人ではなく、なんと三人です。
一人だけなら教団の中に少しおかしい人がいても不思議ではないが、
阿含宗の信者はここに三人しかいないのに、その三人が
そろいもそろって、相手の主張をまともに理解するだけの知性がない。
だから、自分が論破されていることがわからない。
犬に理屈を説いても、彼らは理屈を理解するだけの知性がないから、
ワンワンと吠えるだけです。
この三人はこれと同じです。
これが仏陀の智慧を説く阿含宗の信者代表です。
信者さんたちに考えてほしいのは、知人を導きたいと思った時、
その知人がこのスレを見たら、どう思うだろうか、という点です。
批判側は根拠を示しながら主張しているのに、この三人は
その主張を理解できず、何をどう証拠を示されても、いっさい受け付けず、
自分の狭い了見の解釈を繰り返し繰り返し主張し続ける。
この三人は批判側の主張を完全に無視するのだから、
議論にさえもならない状態です。
三人とも行歴は30年を越している阿含宗の先達様です。
これを見た信者さんたちの知人がはたして入行してくれるだろうか?
それとも、阿含宗とはただの狂信集団だとみなすだろうか? >>6神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 13:15:55.23ID:uTy73k8g
>おお!ここが噂の、世に新趣向を発信させられ無い人達が
>群れ集う場ですな
信者さんたちは、この三人は阿含宗の代表ではない、と言いたいだろうが、
桐山さんは因は縁を呼ぶとして、レベルに相応した人たちが集まると説いていた。
桐山さんのこの説によれば、阿含宗に相応した人間がこの三人だということになる。
この三人はこのまま何があろうが、同じことを吠え続ける。
これまでの人生で彼らがして来たように、相手があきれて黙るまで、
何度でも同じ事を主張し続けて、絶対に自分の非など認めない。
この三人の異様な姿は、実は桐山さんと同じです。
桐山さんは偽ビール事件さえも自分の犯罪性をついに認めなかった。
最初は悪因縁のせいにして、次に祖父が斬った霊障武士のせいにして、
ついには仏による十界修行だと仏のせいにした。
誰がみても桐山さんが偽ビールで一儲けしようとしたのは明らかで、
悪因縁や霊障武士や仏なんて関係ない。
だが、桐山さんは一生、断固として自分の非を認めなかった。
この三人とそっくりです。
桐山さんの、因は縁を呼ぶという説を信じそうになります。
この三人が阿含宗の例外ではなく、むしろ、阿含宗そのものを
この三人が具現しているのだということに気が付いてください。
信者さんたちのいる阿含宗とはこの三人のような教団なのです。 >>8 神も仏も名無しさん 2018/10/14(日) 13:21:15.07 ID:mTFgBx7K
>思い込んでいるのはあなたの方だよ。
>>9 神も仏も名無しさん 2018/10/14(日) 13:52:59.38 ID:mTFgBx7K
>勝手に思うのでなくて彼の話は間違ってる。
そこだけに食いついてあとは無視する 気持ちだけは理解できるが、 あなたはそれでいいのですよ 。
この問題は100%あなたと我々では一生平行線です 。
だからこれに決着をつけたいなんて少しも考えていない。
こちらはこちらで言いたいことを述べた、それだけです 。
後は 各自がどう判断するか それで良いと私は言っているのです 。
世の中は各自の主観の集合体かもしれない。
しかしそういったものが揃ってやがて客観というものが生まれてくるわけです。
この後いつものヨル公クズに対して、 まともに相手にしないレスを つけると同じように 、あなたもヨル公クも 同じなんですよ。
だからあなたはあなた個人で我々が間違っていると思っていれば良いだけの話でこちらには関係ない話です。
>批判側にこういう人がいたから自分は>阿含贔屓になったんだよ。
>そういう意味では恩人かも知れないwww
それは情けないな 。我々なんかいてもいなくてももっと自分の考えというものを確立できないんですか? >>12-13
おまえも預流向が聖者だと認める書き込みしてんじゃん。どう説明するよ?
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
529 神も仏も名無しさん 2018/10/06(土) 13:49:30.05 ID:GQibig7j
「預流向とは聖者の流れに入ることで原始仏教では三結を断じた者が得る位であった」←岩波仏教辞典。これが正しい説明だ。これに反する説明は、辞典であったとしても間違いだ。正しい説明を選べる判断力も必要だね。深山王様はこれを知らずに何十年、だよ。 >>17
>ペテン大作さん、1.5来補さんと同じで、相手の説明を理解できず、
理解しようと努力もせずに、ただ稚拙な自説をくり返して、
相手にツバを吐き掛けているからです。
相手の顔を見ないでツバを吐いてもダメです。
ペテンを批判するならペテンに向かって言いなさい。
ペテンなど簡単に反論出来るが、あいつはバカで通じないから相手にしないのさ、それにオレはペテンにではなく擁護側のギャラリーに向けて書いているのだと、ユビキタスみたいにカッコつけてもダメです。
あなたはペテンに反論できないが、それでは悔しいから、ペテンの名前を並べて、反論しないだけで負けたわけじゃないんだぞ、とカッコつけたのです。
そういうのは腰抜けの卑怯者のすることです。
きっと女性にはモテないだろうね。
批判側にはそれでも通用するだろうが、世間では、あなたはペテンに反論出来ないから逃げたと見なされるでしょう。
正に負け犬の遠吠えですなwww >>27 神も仏も名無しさん 2018/10/14(日) 21:39:29.34 ID:8CVFaUuJ
>あなたはペテンに反論できないが、それでは悔しいから、ペテンの名前を並べて、反論しないだけで負けたわけじゃないんだぞ、とカッコつけたのです。
>そういうのは腰抜けの卑怯者のすることです。
>きっと女性にはモテないだろうね。
だからあなたはそれでいいと言っている。
>批判側にはそれでも通用するだろうが、世間では、あなたはペテンに反論出来ないから逃げたと見なされるでしょう。
>正に負け犬の遠吠えですなwww
だから世間に判断させなさいと言っている。 >>25 ユビキタス
>後は 各自がどう判断するか それで良いと私は言っているのです 。
そんなことは言われるまでもないこと。
何を今さら言っとるのだwww
みんなそんなことは分かってるんだよ。
形勢不利だからって急に言い出すなって。
そういうところが女々しいのだよ。
>それは情けないな 。
>我々なんかいてもいなくてももっと自分の考えというものを確立できないんですか?
阿含贔屓の底には実体験があるのだよ。
消える魔球wは確かに効果がある。
批判側のさえずりなど実は関係ないのだ。 ロシアの古い諺にこんなものがある、深山センセイに進呈する。
<小さな湯沸かしはすぐに熱くなる>
イイハナシダナ〜〜でしたよね。 >>29 神も仏も名無しさん 2018/10/14(日) 22:05:08.26 ID:Sl3QuvGI
>形勢不利だからって急に言い出すなって。
>そういうところが女々しいのだよ。
急に言ったのではなく昔から入っているのだが、あなたがいつまでもうるさく女々しいから今更ながら言っているのだよ。
>阿含贔屓の底には実体験があるのだよ。
>消える魔球wは確かに効果がある。
>批判側のさえずりなど実は関係ないのだ。
じゃあ批判側なんてほっといてあなたはあなたの道を進みなさい。
私は邪魔しません。 我々の言ってることに、あなたは目と耳を塞ぐだけで良いのだから。 >>30
>桐山さんは生前自分のことを俺は瞬間湯沸かし器だと言っていたことをあなたは知りませんか? >>20 深山
>ペテン大作さんは、心の安定が解脱だと書いてある阿含経を 示されても、
ついに見つかったのか!!
何という経典か教えてください。 >>29 神も仏も名無しさん 2018/10/14(日) 22:05:08.26 ID:Sl3QuvGI
>阿含贔屓の底には実体験があるのだよ。
>消える魔球wは確かに効果がある。
>批判側のさえずりなど実は関係ないのだ。
そのあなたの実体験 でもってこちらの阿含宗批判に反論したいのであればそのネタで勝負して来れば良いだけです。
そのネタで勝負する際に 、沙門果経の 心の安定が解脱であるはずがないというネタは 関係ない。
だから私は常にネタ毎に勝負してこいと言っているのです。
関係のない話を出してくるな。
それしか反論ネタが無いように思われてしまいますよ。 >>34
>そのあなたの実体験 でもってこちらの阿含宗批判に反論したいのであればそのネタで勝負して来れば良いだけです。
実体験などは、あなたの好きな客観性が無いので勝負する気はありませんな。
>そのネタで勝負する際に 、沙門果経の 心の安定が解脱であるはずがないというネタは 関係ない。
深山幽谷氏からいずれ答えが来るだろうがその前に知りたい。
心が安定が解脱と書いてある経典とは何ぞや? >>30神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 22:06:52.10ID:uTy73k8g
><小さな湯沸かしはすぐに熱くなる>
宝生創価さんも悔しくて何か言い返さないと気が済まないのですね。
器の小さい男だ。
そういうことをして毎回、かえって傷を広げているのがわからない。
>>32でユビキタスさんからこんなふうに返されるとは
宝生創価さんは予想しなかったのでしょう?
だが、あなたや1.5来補さん以外の信者や元信者は予想した。
どうしてかわかりますか?
あなたや1.5来補さん以外の人たちは桐山さんの法話を聞いているからです。
だから、あなたや1.5来補さん以外の信者は絶対に上記のようなことを書かない。
批判側から簡単にやり返されて、嘲笑いのネタを提供するだけだと予想できるからです。
宝生創価さんて、ほんとうに桐山さんの法話さえもろくに
聞いたことがないんですね。
それでいて私に「取材しろ」と吠えていた。
悔し紛れに湯沸かし器を出して私を揶揄したつもりが、
結局、宝生創価さんのさらなる無知が暴露されてしまった。
私に石を投げたつもりで、さらに恥をかいたのがわかりますか? >>27
おまえはペテンか?基地害だな。
おまえが邪教を贔屓しようと、批判側を口撃しようとムダだよ。
阿含宗の桐山靖雄はデタラメインチキ野郎だからな。
いまどき阿含宗を狂って擁護しているのは、アンタだけよ。
ベラベラ擁護しなくていいから、念力護摩と
天才脳を人間のクズのおまえが実証しろ。それが一番の擁護よ。
できねえよな、阿含宗の法はぜんぶインチキだからよおw
およびじゃねえから、もう来るな。このスレ荒らしのクズ。
氏んじまえよw (>>14同意)
開祖三回忌時間に>>9>>10>>12>>13カキコとは○○ですね。大笑いだわ
前スレッド
>629 :神も仏も名無しさん:2018/10/11(木) 17:54:57.16 ID:qX3eK/Ve.net
>さて、ちょっとお知らせ。
>10月14日(日)、アゴン宗開祖三回忌が、なんとレンタル総本殿で行われるんですと!
>某道場のメーリングリストから引用すると。
引用開始>>===============================
日時:10月14日(日)
13時30分から15時15分
場所:総本殿
(京都駅からシャトルバス運行)
XX道場も中継されます。
どうぞご参拝ください。
現在、開祖への御仏花・御供養料の 受付中です。
誓願達成に向けて勧進を行っています。
引用終了>>============= ホラ、阿含宗のデタラメは続いています!
↓ ↓ ↓
阿含宗 最高幹部の和田理事長さんによれば20数年前から解脱供養の霊視を「霊視5人衆」
「霊視五人組」ともいうべき坊主型職員が行なっていたそうです。
これは完全にお約束違反 詐欺的行為です。
解脱供養は桐山靖雄さんが 霊視をし霊障のホトケを特定する、そして戒名を付ける、
護摩修法で成仏するまで供養する、すべて桐山さんがやっているという説明でした。
しかし戒名を付ける、形だけの護摩までは言い訳できても、霊視までどこの誰だか
分からない者がやっていたというのは詐欺です。
皆さんはこの事実を認識してください。
解脱供養は一体10万円で、教団では100体以上やっていなければ守護霊は授からないと
指導していました。
以下、和田さんの発言
↓
「無余依涅槃に入られた猊下のお力をストレートにいただくに
は、猊下直伝の護摩法を修する以外にないのです。私たちが解
脱供養・冥徳供養の護摩法要を営む時、必ず猊下は護摩修法の
本尊と同体となって、成仏力、解脱力をくださり、不成仏霊・
霊障のホトケは成仏します。導師はただ一心に、仏陀となられ
た管長猊下のお力を頂戴して、お護摩を修すればよいのです。」
(『阿含宗報』370号、2頁)
「「では、解脱供養・冥徳供養のご霊視はどのようにして行うの
でしょうか?」という質問が出ると思いますが、もう20数年も
前から、猊下が選ばれた僧侶・職員の計5人が霊視を行ってい
ます。」
(『阿含宗報』370号、2頁) >>30神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 22:06:52.10ID:uTy73k8g
><小さな湯沸かしはすぐに熱くなる>
桐山さんの瞬間湯沸かし器は信者なら誰でも知っているほど有名な話なのです。
桐山さんは自分の短気な性格の言い訳に瞬間湯沸かし器だと言っていた。
彼はワガママで自己中心的な性格で、思い通りにならないとすぐにカッと
なって怒りを爆発させ、周囲に八つ当たりした。
私はそれを目の前で最初に見た時はビックリした。
仏教の聖者様がつまらないことで怒りを爆発させたからです。
まるで、短気でワンマンな中小企業の社長みたいだった・・そのままだが。
職員から、桐山ゲイカがすぐにカッとなるのは珍しくないと教えられた。
だから、例祭で「この馬鹿、つまみだせ」事件を見ても、
それほど驚かなかった。
桐山さんは普通の意味でも人格に相当に問題のあった人です。
だから、人格ではなく、霊格や霊性なんて、誰も検証できないモノサシを持ちだした。
人格という他人が測れるモノサシでは桐山さんは劣っていたからです。
宝生創価さんと同じで、桐山さんは現実的な世界では勝負できなかった男です。 ペテン人間のクズが、阿含宗の擁護やって、スレ荒らししても
ムダムダw
阿含宗なんか昔も今現在もデタラメ、インチキですね〜w
「開祖霊諭」だって
こんな馬鹿げたお話があるのでしょうか? 基地害だなwww
↓↓↓↓↓
ーーーーーーーーーーー
『開祖霊諭』
「昨年、私は、肉体をはなれ、完全に霊魂となってニルヴァーナに
入り、最高最上の霊界である仏界に至った。そして、今年の星まつ
り大柴燈護摩供において、多くの方々から盛大な供養を受け、釈尊
に続く「第二の仏陀」として復活することができたわけである。」
(開祖霊愉、2017年12月)
「来春には、まず以前に法施として授けた「ブータン堂本尊最勝曼
茶羅」を中心とした完全仏教秘法の瞑想法を伝授するつもりである。
そして、諸君が、この瞑想法で修錬を積んでから、今度お授けす
る『霊光秘密曼荼羅』を使った奥義の瞑想法の伝授を行おうと考え
ているので、まずは、しっかりと瞑想法の基本を身に着けておいて
ほしいのである。」(開祖霊愉、2017年12月) >>30神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 22:06:52.10ID:uTy73k8g
><小さな湯沸かしはすぐに熱くなる>
宝生創価さん、1.5来補さん、ペテン大作さんの共通点は
目の前にそれを示されても、それだとわからない。
1.5来補さんは岩波仏教辞典の四向四果の全文を引用され、
「預流向=聖者」とあるのに、「預流向≠聖者」と言い続ける。
宝生創価さんは三十七道品を示されても、それが釈尊の説いた教法だと
わからず、代案を出せ、と言い続ける。
この二人だけでも驚くのに、ペテン大作さんも経典を目の前に示されても
見えないらしく、示せと要求している!?
いったい、この三人の目はどこの何を見ているのだろう?? >>38
阿含宗がデタラメでインチキとわかっているから
開祖の変な三周忌にもいかないんだよw
だいたい8月29だかが命日なのに、
なんで10月14日なのよ。わざわざ日曜日でよ。
人出を気にしてんだろうが。
愛想尽かして行かずに、スレで活動やで。
実際には、ここに来る擁護の人間のクズは
阿含宗なんか信じちゃいないのよ。 >>35 神も仏も名無しさん 2018/10/14(日) 22:39:15.04 ID:Sl3QuvGI
>実体験などは、あなたの好きな客観性が無いので勝負する気はありませんな。
その通りです。わかっているではないか?
ちなみに私はあなたの主観の 実体験を全て否定する気もありません 。
そこであなただけでなく全ての人に言いたいのが、世の中は主観だけでなく客観的にも物事を考えようじゃないかという提言です。
世の中理詰めの客観だけではないと思う。
しかし主観だけでもない。
やはり客観ということは重視して考えるべきではないかと提言しているわけです。 >>43
ほんとそぅですよね。いくら擁護派擁護派言っても行動が伴ってない者のコメントなんてカスだわ。
友引日曜日でも桐山さん命日でなくても、霊界とやらから指示出たんじゃないいんですかぁ教団が日取り決めたのなら。
その法要時間帯にカキコ!?
ビックリでしたわーということは教団信じず深山憎しの負のオーラがムンムン、が見えなくてもコメント読まなくても行動カキコ時間が物語っていますね。 35 神も仏も名無しさん 2018/10/14(日) 22:39:15.04 ID:Sl3QuvGI
>深山幽谷氏からいずれ答えが来るだろうがその前に知りたい。
>心が安定が解脱と書いてある経典とは何ぞや?
心の安定が解脱と書いてある経典が何であるか知りたいのかどうかあなたの 気持ちとは関係なく 言っておきたいことが、
阿含宗の批判とは、仏教とは何であるか?解脱とは何であるか?こういった基本知識がなくても否定批判してしまえるネタがいくつもあるということです。
批判ネタは一つではない。いくつもある。
だから批判側に反論をしたい時はその全部でなくてもいいから その一つ一つのネタに 反論すれば良いわけです。
仮に深山さんも私も全くの仏教無知だったとする。 それでも批判できてしまえるネタがあるわけなんですね。
だからあなたのように心の安定が解脱ではあるかないか?そのネタばっかりにこだわっていて
こんな仏教無知に阿含宗の批判ができるはずがない という持っていき方自体が間違っていると指摘しているのです。
ネタごとに勝負しなさいとはそういうことなんです。
私は>>34で 実体験があるならそれを出して反論して来れば良いと書いた。
しかしそれは主観のものだから 客観性がないから 実は 議論にも なりにくいものです。
だから実は私は実体験ネタを持って来いと言ったのでもなく、 その実体験でもなんでもいいから他のネタ それぞれのネタで
勝負してきなさいと促したのです。 >>4>>7神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 13:10:05.31ID:mTFgBx7K>>10
@比丘は第二禅で解脱するのかい?www
ばかな質問をするもんだよ
ペテン三昧の言いたいことは何だ
心の安定という表現は解脱の常用句に変わりはないのが真実
それを違うと言うなら 経典読まずの仏教知らずというモノだ
大乗仏教を依経としないなら心の安泰 心の安念心の安定という
表現は 解脱者のスタンスだよ
釈迦にアジャータサッツ王が 沙門の果報とは何ぞやと尋ねた
だから解脱者釈迦の答えは 常に解脱したスタンスで回答している
解脱中途の修行者が 沙門の果報を言いきれるわけがないのだ
常に解脱した視点で話すのだから、どの場面も解脱の常用句を以て
各果報を教示しているのは 当たり前のことだ
それと引用したターナヴットー ビッグだかは今話題のアビダルマの
研究書つまりアビダルマ倶舎論の巻き直しであり亜流だろうが
そんな体系づけて挑もうとするから 前スレ653で指摘したように
そりゃ論の塵 浴びダルマ感染症にかかっているだろ というのだ >>44 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/10/14(日) 23:28:38.57 ID:XaHG/Pbg
>そこであなただけでなく全ての人に言いたいのが、世の中は主観だけでなく客観的にも物事を考えようじゃないかという提言です。
>世の中理詰めの客観だけではないと思う。
>しかし主観だけでもない。
>やはり客観ということは重視して考えるべきではないかと提言しているわけです。
物事は総合的に考えて判断しましょうという提言です。
主観ネタがあってもよい。
しかし客観事実の嘘、詐偽ネタも避けて通らず、総合的に考える、ということです。
私もまた総合的に判断して退会を選んだ。 自分は主観で体験があったように感じた。
しかし客観事実としての嘘や詐偽ネタがある。
どちらを優先するか各自で考えようという提言です。 >「心が統一」は解脱ではない。
すべからく議論とは板のオーディエンスを意識するものだ
さて答えれば 釈迦の出家の目的を知ることでわかるのだ
つまり苦の解決だろう
人間はみな未来を楽がうから苦しむわけで
その未来とは最終的に死であり死後を見定めようと
躍起になって恐れ不安を払しょくできんわけだろうや
そこで悟った時に釈迦は 不死の門は開かれたと堂々と
宣言をした 苦の解決 般涅槃だよ
それを無病 無老 無死 無憂寂 無穢汚なる無上安穏の涅槃と
詠んでいる 中阿含経羅摩経
この無病 無老 無死 無憂寂 無穢汚なる無上安穏の涅槃と
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、
汚れなく、[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、
適応し、確立し、不動になると、」
とは同意同義で符合することはハッキリと読み取れるはずだ >>46 ユビキタス
>だから批判側に反論をしたい時はその全部で
>なくてもいいから その一つ一つのネタに 反論>すれば良いわけです。
>その実体験でもなんでもいいから他のネタ それぞれのネタで
勝負してきなさいと促したのです。
だから一つ一つのネタに反論してるだろうww
心の安定、清浄、心の統一 は解脱であるかどうか、これがそのネタだよ。
こちらは解脱でないことを立証するためにいくつかの根拠を出している。
全部主観ではない。
仏教学者の解釈として、
四禅に入ったことの表現(原始仏典 第1巻)
八等至(色禅と無色禅)の自在(パーリ仏典入門)
また沙門果経では第二禅にも出て来る(>>4)
一方の深山幽谷氏は自分の主観に基づく解釈を並べてるだけでこれでは全然勝負にならんな。
批判側にはそれで納得するだろうが、一般社会ではぜーんぜん通用しませんよぉ
あっ違った?
心の安定が解脱であると仏典にあるんだそうだ
(>>20
いやオレ見てないな。
バカだから忘れちゃったのかなww
もう一度見せてください、お願いします。
それなら一発逆転できるかも。
経典に一目瞭然なことは学説など必要ない。
By元下級職員? >>48
>常に解脱した視点で話すのだから、どの場面も解脱の常用句を以て
各果報を教示しているのは 当たり前のことだ
>>51
>この無病 無老 無死 無憂寂 無穢汚なる無上安穏の涅槃と
「このように、心が、正しく定まり、清らかに
らかになり、清浄で、
汚れなく、[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、
適応し、確立し、不動になると、」
とは同意同義で符合することはハッキリと読み取れるはずだ
では何故、学者たちはこの文句を、四禅に入った表現と言ったり、八等至だと解釈して解脱だとしてないんだい?
オタクの説明に従えば四禅=解脱ということになる。
それとも学者たちが間違えたのかい?
それをハッキリしろと言っとるんだよ。 >>51 神も仏も名無しさん 2018/10/15(月) 13:25:06.61 ID:M7cL4DQ+
>つまり苦の解決だろう
>人間はみな未来を楽がうから苦しむわけで
>その未来とは最終的に死であり死後を見定めようと
>躍起になって恐れ不安を払しょくできんわけだろうや
>そこで悟った時に釈迦は 不死の門は開かれたと堂々と
>宣言をした 苦の解決 般涅槃だよ
>それを無病 無老 無死 無憂寂 無穢汚なる無上安穏の涅槃と
>詠んでいる 中阿含経羅摩経
その通りです 苦の解決とは 、人は未来を願うから苦しむわけで、 そこから考えていかねばならない。
そこで悟りを得た釈尊はどうなったか?
病気もしたじゃないですか。老いもした。そして死んだ。
しかし苦の解決は成し遂げたわけです 。
この意味は分かりますでしょうか?
>この無病 無老 無死 無憂寂 無穢汚なる無上安穏の涅槃と
>「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、
> 汚れなく、[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、
> 適応し、確立し、不動になると、」
とは同意同義で符合することはハッキリと読み取れるはずだ
なんだ 同意同義と認めてるじゃないですか ?
つまり、 心が正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく 、心に付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になることが
その苦の解決である涅槃、解脱なんですよ。
色々な表現をしているようですが実はこれは全部同じなんですね。 >>52 神も仏も名無しさん 2018/10/15(月) 13:31:04.38 ID:DLuoLg60
>だから一つ一つのネタに反論してるだろうww
>心の安定、清浄、心の統一 は解脱であるかどうか、これがそのネタだよ。
いいえそれはネタにはなりません。
このスレにおけるネタとは無制限ではありません。
桐山阿含宗に関係するものだけがネタとなります。
桐山さんはこの沙門果経の話を出したことがない。
だからこのネタは阿含宗批判・擁護のネタになりえないのです。 >>53 神も仏も名無しさん 2018/10/15(月) 14:01:52.80 ID:DLuoLg60
>では何故、学者たちはこの文句を、四禅に入った表現と言ったり、八等至だと解釈して解脱だとしてないんだい?
>オタクの説明に従えば四禅=解脱ということになる。
>それとも学者たちが間違えたのかい?
>それをハッキリしろと言っとるんだよ。
それは沙門果経における 説明において その禅定の状況を説明しているわけです。
しかし禅定=解脱ではない。
禅定はあくまでもただの禅定です。
しかし禅定で解脱が成し得るわけでもない。
ただ単にその時の禅定における条件状況を記述したにすぎない。
例えば菩提樹の下で悟りを開いたとありますよね。しかし菩提樹が悟りを開かせたんですか?それと同じことですよ 。
つまり四禅であるとか二禅であるとか八等至であるとか、その程度の禅定の状況で、あなたが同意同義とみなす涅槃を得ていたということになります。
四禅だったから 解脱したのではなく 、解脱の記述をした時それがたまたま四禅だったり二禅だったりしたとこういうわけです。 禅定=解脱ではない。
しかし禅定は解脱を得る条件のひとつではあります。
心が散乱していて解脱が得られるわけがない 。
しかし禅定が全てではない。 禅定以外の 他の実践の複合が解脱をも与える条件です 。
だから 四禅とか二禅とか八等至であるとか その程度の そんなに究極の深い瞑想段階じゃなくても、涅槃の同意同義の 解脱は得られているということを
示していることになりますね。 菩提樹の例えってわかりやすいでしょ?
菩提樹の下で悟りを開いたからといって悟りには菩提樹が必要だという話にはならない。条件にもならない。
ただその環境を綴ったにすぎない。 >>53
では何故、学者たちはこの文句を、四禅に入った表現と言ったり、八等至だと解釈して解脱だとしてないんだい?
オタクの説明に従えば四禅=解脱ということになる。
それとも学者たちが間違えたのかい?
誤読しているのはペテン三昧だろ
すでに煩悩を断ちきった釈迦の視点ででは
どこを解き明かすのもこの明らかで聖らかな解脱眼で
見て話しているだけのことよ
経文に そう書かれているのだから学説は
後について来るのみ
学説が先な訳がないだろう
ペテン三昧は止めたらどうか俱舎論など論外だ >>53
では何故、学者たちはこの文句を、四禅に入った表現と言ったり、八等至だと解釈して解脱だとしてないんだい?
オタクの説明に従えば四禅=解脱ということになる。
それとも学者たちが間違えたのかい?
四禅だろうが八等至だろうが それって三摩地の仮想解脱なの
だから解脱でいう心の安定や安穏が発現し追体験できるのだよ
わかるかな 禅定から覚めたらもとの煩悩ある状態に戻るって
知ってるだろ
学説はただ生真面目にその場面を詳説するのみだ
釈迦の思想を理解したらペテン解釈など大間違いだと解る >>12神も仏も名無しさん2018/10/14(日) 14:48:57.04ID:CBcS/Qrs>>14
> 三結を断じた者が預流の聖者ですから、三結を断じていない預流向は預流の聖者ではありません。
ウマシカが まだ云っている
四向四果など 阿含経にはないし釈迦は説いていないと
前前スレから教えてもウマシカだから頭に入らないだろ
何度 教示すれば済むのだ 釈迦の思想で考え見るのだよ
阿含経にあるのは 預流に向かって預流を得るという
表現の経文句なんだよ この表現が阿羅漢まで続く
それを後世アビダルマ論師が預流に向かうから預流向などとした
すでに阿毘曇毘婆沙論での四向四果を示しただろ
意味を中国で漢訳され仏語として造語されたのだ
ウマシカヨル公の好きな漢訳経典でも掲示するからその無いオツムに
ようく叩きこんで〆ておけ
長阿含経
向須陀オン得須陀オン 向斯陀含得斯陀含
向阿那含得阿那含 向阿羅漢得阿羅漢四雙八輩
是謂如來賢聖之衆 甚可恭敬世之福田
そして四雙八輩是謂如來賢聖之衆が答えのすべてだ 小さな湯沸かしで煮えた湯はポットに移しましょう。
何時までも熱いわけじゃないが長持ちするからです。
深山センセイへ追伸。
小さなエビを餌にすると深い山からアマゾンの噛みつき亀深山センセイが飛び出した。
然し乍らわたくしは、泰然自若びっくりしませんでした。嗚呼残念! >>55 ユビキタス
>桐山阿含宗に関係するものだけがネタとなります。
それは深山幽谷氏に言ってくださいな。
最初にこれを取り上げたのは彼ですよ。
阿含宗という宗教150です。
きっと桐山阿含宗に関係あるからでしょう。
あなたは幽谷氏が当スレと全然関係ない話題を取り上げたと言ってるのと同じです。
幽谷氏に怒られますよww >>60
>わかるかな 禅定から覚めたらもとの煩悩ある>状態に戻るって
それ不味いんじゃないのかい?
オマエさんの話では四禅が終わった段階では
完全には解脱してないことになる。
ところが深山幽谷氏は四禅が終わった段階で
比丘は解脱していて三明で解脱を確認してる
と言ってる。
この解脱とは勿論煩悩のある状態ではない完全に解脱してるという意味だよ。
ここに来て物別れかいww >>63 神も仏も名無しさん 2018/10/15(月) 18:19:29.22 ID:jIwgFHLi
>それは深山幽谷氏に言ってくださいな。
>最初にこれを取り上げたのは彼ですよ。
いいえ、こちらが出しもしない沙門果経を出したのはそちらですが、最初は四禅解脱の話ではなかった。
鞘から刀を抜くように身体から脱け出すような神通力を霊魂の証明ではないかとした。
あなたは不思議大好きな人ですしね。
釈尊は霊魂を説かなかったというこちらの主張ってか、仏教の常識に対して 反論の材料として出したつもりだったんでしょうか。
そうこうしているうちに 心の安定 云々の記述がこれは解脱そのものを指しているという深山さんの指摘に 噛み付いて、
それからあなたの虚しい猛勉強が始まったわけです。
つまりどんどんどんどん 本題から外れていったと言ってよい。
解脱について 阿含宗批判スレて趣旨に合った内容とは、 解脱とは因縁解脱であるとことを証明することです。
因縁解脱とは 単に 煩悩から解放される という桐山さんの言う小解脱ではなく、 無病無老無死とまではいかないまでも、癌などの嫌な病気もにもならない、事故死などもしなくなる運命を変えてしまう御利益を説いた話です 。
これを沙門果経でもなんでもいいから提示しないことには 当スレの趣旨には合いません。
釣りつまり桐山阿含宗の 因縁解脱教学に沿ったものを出さないとこのスレでは無用です。 >>62
それ桐山さんに言ってやって 。
あなた(桐山さん)が瞬間湯沸かし器なんて自慢するように言ってるのは器が小さいからだと。 >>64 神も仏も名無しさん 2018/10/15(月) 18:39:15.12 ID:9SCJ4Nly
>それ不味いんじゃないのかい?
>オマエさんの話では四禅が終わった段階では
>完全には解脱してないことになる。
四禅どころか 九次第定の一番深い禅定をマスターしても解脱は できないんですよ 。
それはもう 感覚器官も思考も遮断するようなものすごい瞑想だから、 それをやっている間は 煩悩が沸き起こるはずもないのですが、
ひとたび禅定が解けたら また元の木阿弥なんです 。
あなたみたいに 深山の野郎やってやるとか。
だから精神の安定、集中の道具として禅定も使う事は使うが、それが決め手ではないのです。
禅定力で解脱するのではないのです 。
別のもので解脱する 。それが八正道の実践です。
四禅の禅定実践の後に記述しただけの話で、四禅で解脱したのではない。
それから解脱を果たした後でも また元に戻ってしまうこともあるんですよ。
解脱を超能力みたいに考えないことです。 226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。
この真理によって幸せであれ。
593 (煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、
心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、
悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を
受けることはない
809 わがものとして執著したものを貪り求める人々は、
憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。
それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を
みたのである。
(『ブッダのことば』中村元、44、110、84、151ページ) 「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適用し、不動なものとなると、かれ(修行者)は、(次のような)理解動作に対して心を傾け、(心を)むけます。」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
ペテン大作さん、1.5来補さん、宝生創価さんの三人組以外の信者さんたちに、
上記と、前スレ655でも引用された>>68の釈尊の言葉を良く読んでほしい。
これが釈尊の説いた解脱です。
ペテン大作さんのように、どこにも解脱だと述べていない、
という国語力の低い人は放置して、まず、信者さんたちに
これが釈尊の示した解脱だということを理解してほしい。
信者さんたちは、解脱とは何かを決めるのは誰だと思いますか?
釈尊ですよね。
桐山さんでも信者さんたちでもペテン大作さんでもない。
釈尊その人が解脱を定義したのです。
定義という言葉を嫌う方もいるだろうが、ここでは
内容を示した、という程度の意味です。
解脱の定義をしたのは釈尊であって、後世の私たちが
それに異論をはさむのはおかしい。
異論をはさむならば、それは身の程知らずです。
その身の程知らずが、桐山さんであり、ペテン大作さんです。 「・・、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ・・」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
信者さんたちだけでなく、仏教徒の中にも解脱を誤解している人たちがいる。
それは、当時のインドで、例えば富士山の山頂のように明瞭な解脱という
目標が示され、それに向かって、宗教家たちが登山を試みたが、
成功したのはシャカ一人だったという考えです。
解脱がわかっており、そこを目指したという考えです。
ペテン大作さんなどまさにこういう考えで、だから、彼は上記の経典に
解脱とはない、などとピンボケなことを主張していられる。
だが、これは間違いです。
釈尊は一等賞で解脱に到達したのではなく、
釈尊の発見した「道」を解脱と表現しただけです。
解脱も涅槃も釈尊が発明した言葉ではなく、当時の宗教家たちが
広く使っていた言葉です。
釈尊はただのそれらの言葉を拝借したにすぎない。
だから、釈尊が説いたことは厳密に言うなら解脱ではない。
釈尊の説いたことを解脱と称しただけです。
では、釈尊が説いたこととは何なのか?
それが上記や>>68です。 「・・、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ・・」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
煩悩からの解放、これが釈尊が説いた「道」であり、解脱であり、涅槃です。
煩悩から解放されたから心が安定し、
煩悩という不浄がなくなるから清浄で純白になり、
煩悩という汚物がないから汚れなく、
心の煩悩からも離れる、
これが釈尊のといた「道」であり、解脱、涅槃です。
桐山さんはこれをレベルの低い道徳だと罵り、
煩悩からの解放を小解脱と小馬鹿にした。
ペテン大作さんも同様にこれが解脱ではないと十年間言い続けている。
他の信者さんたちに冷静にもう一度よく考えてほしい。
仏教の解脱や涅槃は釈尊が決めたことであって、桐山さんや
ペテン大作さんごとき外道凡夫が決めることではありません。
釈尊が、上記や>>68のように決めたら、そのような受けとるべきです。
繰り返しになるが、釈尊は厳密には解脱や涅槃を説いたのではなく、
上記の内容を、他の人たちにも受け入れやすい解脱や涅槃と表現したのです。 「・・、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ・・」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
煩悩からの解放が解脱であるというのが、釈尊の大発見なのです。
富士山の山頂のように解脱が誰の目にも
明瞭に決まっていたのではありません。
バラモン教では、宇宙には真理(梵)があり、その真理と自己(我)が
一体化することが解脱なのだと説かれていた。
ジャイナ教では、自己がカルマに覆われているのだから、
欲望を捨ててカルマを切ることで軽くなるのが解脱だと説いた。
解脱とは何なのか、誰もわからなかったから、宗教によって定義が違っていた。
それを宇宙の真理だのカルマだのと意味不明の内容ではなく、
誰でも自覚できる煩悩からの解放こそが解脱なのだと説いたのが釈尊です。
くり返すが、解脱という目標に到達したのではなく、
上記や>>68の内容を他の宗教家たちが使っていた解脱という言葉を
拝借して表現したにすぎない。
だから、上記が解脱ではないというのは、釈尊に面と向かって、
お前のは解脱ではないと言っているのと同じです。 「・・、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ・・」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
釈尊に向かって、お前のは解脱ではない、と言った勇気ある人が何人かいる。
桐山さん、ペテン大作さん、宝生創価さん、1.5来補さんです。
桐山さんは釈尊の煩悩解脱を小解脱と罵った。
ペテン大作さんは釈尊に向かって上記を解脱ではないと十年に渡り言い続けている。
宝生創価さんは、釈尊の三十七道品を示されても、そんなのは救いでは
ないから代案を出せと言い続けている。
1.5来補さんも釈尊に性欲があり、大目連は害心を持っていたと罵倒した。
ペテン大作さんも、男性機能の低下した聖者などいないと書いていた。
小市民の私はこれらの勇気ある方々を見るたびに身が縮む思いがします。
なぜなら、如来への罵倒は罵倒だけでは済まないからです。
仏教では因果応報と言って、悪業は輪廻を越えて報いが来る。
如来供養が桁違いの功徳を生み出すように、如来罵倒は桁違いの
報いとなって返ってくるでしょう。
ペテン大作さんは、因果応報は仏教には不用、とまで書いていたから、
まったく信じていないのでしょう。
たぶん、後の三人も信じていないのでしょう。
他の信者さんたちはどうですか? 「・・、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ・・」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
桐山さんと三人組が信じていなくても、仏教では因果応報は無視しては
ならない重要な柱です。
阿含経の中でも、為した悪業の報いからはどんな方法でも
逃げることができないと繰り返し説かれている。
実際、大目連の死はその悪業の報いであるとされています。
解脱者でさえも悪業の報いからは逃れることできないのです。
釈尊は、過去の悪業の報いの帳消しを意味する因縁切りは成り立たないと
言っているのです。
釈尊は、人間に生まれ変わることは稀であり、大きな悪業を為した者が
人間に生まれ変わる可能性はほとんどないと説いている。
これだけでも恐ろしいのに、わざわざ如来を罵倒して
悪業を作るなんて、桐山さんと三人組はどれほど勇気があるのでしょう。
それも解脱という一番の中心の内容を四人は嘲笑い、蹴飛ばし、罵り続ける。
四人は三悪道が大好きで、行きたくてたまらないのかもしれない。 「・・、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ・・」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)
信者さんたちにこの四人を参考にして、気を付けてほしいのです。
阿含経に触れる時、注意深くしないと、大火傷を負いかねない。
偽経典の法華経をどう解釈しようが、あれは偽物であり小説だから
善悪を問わず大きな報いなどありません。
しかし、阿含経は釈尊本人が説いた教法です。
桐山さんと三人組のように釈尊の解脱について嘲笑い、
ツバを吐き掛けたらどうなるか?
1.5来補さんなど、釈尊を小馬鹿にしただけでなく、聖者である預流向を
聖者ではないと十年にわたり罵り続けている。
前に書きましたが、仏罰が下るという話ではありませんよ。
因果応報とは自業自得という意味です。
ペテン大作さんのように個人的な憎しみと復讐心から、
1.5来補さんや宝生創価さんのように自惚れや自己顕示欲から、
釈迦仏教を利用してこれらの煩悩を垂れ流しにするのは
非常に危険だから、他の信者さんたちは彼らの真似をしないことです。 >>65
65 ユビキタス
>いいえ、こちらが出しもしない沙門果経を出したのはそちらですが、最初は四禅解脱の話ではなかった。
>鞘から刀を抜くように身体から脱け出すような神通力を霊魂の証明ではないかとした。
全く事実と異なります。
四禅三明を言い出したのは深山幽谷氏です。
これがデビュー作です。
↓↓↓↓↓↓
111 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:37:23 ID:s8pu1w+h
桐山さんは、『般若心経瞑想法』の122頁から釈尊の悟りに
ついて三つの説を紹介しています。
1.十二縁起で悟りを開いた
2.四諦三転十二行相で悟り、後に十縁起を内観した
3.四禅三明で悟り、後に十二縁起を瞑想した
「桐山さんてうまいなあ」と思うのは、普通の説をまずきちんと並べ、
いかにも自分は正統な仏教を理解しているかのように見せかけている点です。
見せかけている、というくらいだから、桐山さんの常で直後にごまかしている。
「これによると、ブッダは十二縁起によって悟ったのではなく、悟りは
四禅三明の智慧によって悟り、
その後に悟りの内容を十二縁起によって瞑想したのだということになる。
この説が最も多い。」(『般若心経瞑想法』124頁)
(以下省略) >>77
沙門果経が出て来ないじゃないですか?
深山さんが出したのはあくまでも桐山さんの般若心経瞑想法における記述です。 >>77
深山さんが桐山さんの般若心経瞑想法を引用して、その中に四禅三明という言葉が入っている、それだけのことじゃないですか?
で、あなたは何をどう噛みついたんですか?この引用に対して。 桐山さんの般若心経瞑想法に書かれてある記述について論じるのは、スレ趣旨に全く沿った 書き込みではないですか? @やるなら三学系統に絞りなさい。
>>68 深山
>226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
>この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。
今ここで話しているのは三学系統の経典における「心の安定、清浄、心の統一」です。
他で説かれる例をもってきて、そこに三学系統での例をくっつけて如何にも自説を本当らしく見せるような姑息な真似は止めなさい。
見苦しいぞ。
やるなら三学系統に絞りなさい。
まあそれでは勝てないかwww
三学形勢の経典においては「心の安定、清浄、心の統一」は解脱でないことは明らかです。 @「心の安定、清浄、心の統一」が解脱でないことは第二禅を読めば分かる。
第二の禅定
「さらにまた、大王よ、比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、 大まかな考察・細かな考察のない、心の安定より生じた喜びと楽のある、 第二の禅定に達して住みます。
かれは、この身体をこそ、心の安定より生じた喜びと楽によって潤し、あまねく浸し、あまねく満たし、あまねく行きわたらせるのです。その身体にはどこも、心の安定より生じた喜びと楽の触れないところはありません。」
『岩波仏教辞典』の「四禅」P355によれば、
「二禅は禅定から生ずる喜び(定生喜楽)」
↓↓↓↓↓↓ @「心の安定、清浄、心の統一」が解脱でないことは第二禅を読めば分かる。
「心の安定、清浄、心の統一」が解脱なら、この比丘は解脱したことになる。
その比丘が何で「禅定から生ずる喜び」に浸るのか?
浸る必要があるのか?
この比丘が解脱したということは既に四禅定を終えているわけだ(解脱に禅定は必要ないという考えは三学系統の経典ではないので全くの論外)
その比丘が何でまたわざわざ第二禅に遡って禅定の喜びに浸らなければいかんのか。
そしてそれを出家の果報(になるかどうか知らんが)として大王に説かねばならんのか?
常識的に考えて全く馬鹿げた話です。
これは比丘は解脱しておらず修行途上であること。
即ち「心の安定、清浄、心の統一」が解脱ではないからだ。
それ以外にありません。
批判側は経典をよく読んでいないからこれに気付かなかったわけです。
「心の安定、清浄、心の統一」は解脱ではない。
少なくともこの経典の中では解脱ではないことは確かです。
経典作者もそのつもりで書いていることは間違いない。
深山幽谷氏は今回の第二禅の話に反論することは出来ないだろう。
そこで例によって他の経典を持ち出して主観(妄想)を並べるであろう。
だが全ては徒労に終わる。
深山幽谷氏は完全に間違ったことを十年間言い続けて反論者の人格を侮辱し続けたことになる。
もし彼に一片の良心でもあれば謝罪して訂正すべきだが、まあ彼には無理でしょう。
これが批判側のボスの正体です。
批判側にはこういう人間が他にもいます。
彼らの言動に惑わされて真実の道を見誤らないことを切に願うばかりです。
合掌。 593 (煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、
心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、
悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。
なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を
受けることはない
ペテン大作さん、 特にここですね 。
これは輪廻がなくなることを説いている。
輪廻がなくなるというのは古くからインドで言われている解脱ですよ。
しかし釈尊の示した解脱とは輪廻がなくなるというのはあくまでも結果であり、それが目的でもないのだが、
とにかく 輪廻がなくなってしまうわけです。
その条件はと言うと、心の安らぎしか説いていないわけです。
だから心の安定が解脱を示しているんですよ。 これで世間が納得すると思っているんだから笑えるよなあ。ペテンクズは。 それとも解脱しなくても 、四禅だの二禅だの八等至で 輪廻がなくなっちゃうんですか?
輪廻がなくなったらこれはもう解脱以外の何者でもありませんよ。 >>79
>で、あなたは何をどう噛みついたんですか?この引用に対して。
何だヒステリーかよ。
そんなに知りたけりゃ読めばいいだろう。
http://souko.zouri.jp/agon01/agon150.htm
何か必死のようだが、
幽谷氏は親分思いのいい子分を持った。
これも彼の人徳かなwww 解脱に禅定は必要はないなんて誰も書いてませんよ 。
解脱には禅定も必要だが、それが全てではないと書いたのです。 >>84
あのさ、言ったでしょ。
二禅で反論してよ。
>>85
クズや〜おはらい♪♪♪
余裕でしょwww >>88
>解脱に禅定は必要はないなんて誰も書いてませんよ 。
いや禅定しなくても解脱した弟子がいたんでしょ?
だから念のために書いたの。
それだけ。 >>89 神も仏も名無しさん 2018/10/15(月) 23:10:01.72 ID:SQKHgJvv
>あのさ、言ったでしょ。
>二禅で反論してよ。
なんでそんなことをお前が勝手に決める?
自分が都合が悪くなると話を限定したくなるんですね。
自分の土俵でしか 出来ない。てかその土俵ってのが土俵にすらなってないこだが。
三学系統の経典もクソもないんですよ。 経典はひとつです。 三学も八正道も同じです。
つまり593の輪廻がなくなる解脱の話には反論できないんですね。 >>90 神も仏も名無しさん 2018/10/15(月) 23:14:04.71 ID:SQKHgJvv
>いや禅定しなくても解脱した弟子がいたんでしょ?
そんなことは誰も書いていません 。
神通力を持たなくて自殺した人がいたと書いたのです。
あなたはやっぱり禅定というものを神通力を持つ技法としか考えてないんですね。 音声変換の 修正忘れ 。
神通力を持たなくて自殺したではなく神通力を持たなくて解脱したに訂正。 だから四禅よりも前の二禅の段階でも 解脱していたと 言っても構わないと昔から言ってるでしょ?
禅定の深さが解脱の決め手ではないんですよ。 >>91
>なんでそんなことをお前が勝手に決める?
>自分が都合が悪くなると話を限定したくなるんですね。
沙門果経の心の安定の話をしてるんだから
沙門果経の二禅の話を優先して何が悪いんだい?
それとも二禅では都合が悪いのか?
ああそうか。
二禅では反論出来ないんだwww
>阿含宗という宗教296
>654
>経典に一目瞭然なことは学説など必要ない
あなたのお仲間の言葉だぞ。
正に金言だ。
心に刻みなさい。
それから相手のことをクズだとかお前とか。
あなたは以前は決して言わなかった。
ついに堕ちるところまで堕ちちゃったね。
もう余裕も無いということか。
二禅で反論できずに降参かwww 七佛通戒というお題を御存じで在ろうが並べる。
1修善奉行 2諸悪莫作 3自浄其意 4是諸仏教
諸氏が引っ掛かって通られないのが、3番目の自ら其の意を浄めるの箇所にある
のだろう、口には解脱云々と言い乍ら体験した形跡が無い、そんな評論ばかりだ。
諸氏が悩んでも何故通らないのか?案外お答えは以外にも簡明である。
4番目の是諸仏の教えが、現代に正しく伝わらなかった故である。
ソモソモ云うならば、成仏が目的で在りながら、どうやると?そうなるのか?誰も知らない。
どうやら成仏は、遠いかなたの空遠く幸い住むと人の言う、憧れなのだろうな、ね!そうでしょ
深山さん、君は物知りだから何か仰るべきですよ、当然成仏に関しての見解をですぞ。
然し乍ら今のこのスレで話題になってるらしい、解脱に関しても誰も知らないの心で在る。
悪口並べて祖師に成った坊さんは過去に居らんよ、此処から改めるのが説法を聞かせる
コツであろうな。合掌 >>92
>そんなことは誰も書いていません 。
>神通力を持たなくて自殺した人がいたと書いたのです。
何か誤解してるようだから言っておく。
>>83
>この比丘が解脱したということは既に四禅定を終えているわけだ(解脱に禅定は必要ないという考えは三学系統の経典ではないので全くの論外)
沙門果経では禅定の後に解脱が来る。
だが三学系統以外の経典ではそうなっていないのがあるかも知れない。
そんなものを持ち出されても困るので、それは論外だと釘を刺しただけ。
別にあなたが言ったことを問題にしたわけではない。 96の訂正、修善奉行ではなく、衆善奉行です。
修繕奉行なら、少々面白みがあるかもしれませんな。
然しながら陳腐な言い回しですね。 >@「心の安定、清浄、心の統一」が解脱でないことは第二禅を読めば分かる。
>第二の禅定
>「さらにまた、大王よ、比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、 大まかな考察・細かな考察のない、心の安定より生じた喜びと楽のある、 第二の禅定に達して住みます。
>かれは、この身体をこそ、心の安定より生じた喜びと楽によって潤し、あまねく浸し、あまねく満たし、あまねく行きわたらせるのです。その身体にはどこも、心の安定より生じた喜びと楽の触れないところはありません。」
だからこれも解脱なんですよ。解脱を表す表現です。
つまりこの後の四禅での記述も解脱を表す表現であり、実はそれだけでなく、それよりも前の大いなる戒などで
占いから離れている果報もまた解脱を表す表現です。
沙門果経は阿闍世王に釈尊の仏道における出家の比丘がその修行によって得る果報を一つ一つ丁寧に説明したものです。
戒定慧の三学ですね。これを一つ一つ丁寧に説明していった。
戒定慧は戒→定→慧の順番できっちり進められ、これはその順番、段階ごとに最後に得る解脱への階梯などを綴った経典だと思ってますよね?
違うのですよ。順番ではありません。たしかに初歩的な戒が先ずあり、最後は真理の観察の慧となるが、あなたが示した論文に書いてもある通り
それは螺旋形なのです。
つまり戒→定→慧ではなく、戒・定・慧→戒・定・慧→戒・定・慧の螺旋構造です。
その証拠に沙門果経では、四禅より後に最終的に四諦の観察の智慧の果報の話となるが、実はこの四諦の観察は、預流向時代から始まってます。
預流向は見道位とされるが、それは四諦の観察をしている位です。
仏道の初歩から四諦観察が始まっている。
だから沙門果経は、三学系統の経典とは戒定慧の三学をきちんと分けて説明した経典だろうが、これは決して順番ではない。
三学系統の経典として、戒定慧の三学一つ一つについてその果報を説明しているだけです。
つまりほとんど解脱の果報の説明ばかりと言ってよい。 >>96 神も仏も名無しさん 2018/10/16(火) 01:03:56.33 ID:0qdLj/ww
>七佛通戒というお題を御存じで在ろうが並べる。
>1修善奉行 2諸悪莫作 3自浄其意 4是諸仏教
後から衆善奉行に改めているが、それだけで済んだとでも思ったか?
1と2の順番が逆だ。
これは経典、法句経にその順番で掛かれているのだから、正しく書かんかい。
桐山さんが目にしたら、この阿含宗の恥さらしが。つまみ出せ、この馬鹿と言われますよ。
和田さんからもつまみ出されます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています