主イエス・キリストさまがそう遠くない将来、
再び「この世」へおいでになるかもしれない、
そんな兆しが感じられる昨今。
最後の艱難期が気にかかるところです。
マタイによる福音書24章15節〜28節のなかで、
主イエス・キリストさまは次のように語ってくださっています。

「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、
聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)」
「そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい」
「屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません」
「畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません」
「だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。」
「ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい」
「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです」
「もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます」
「そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません」
「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます」
「さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました」
「だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。
『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません」
「人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです」

「もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。」
「しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます」という御言葉が心に残ります。
艱難の時、その日数はあらかじめ旧約聖書で記されていた期間よりも短くされるかもしれません。