自身の足の置き場を、貪瞋痴(五蓋)に置くのではなくて
気づきに置くようにシフトしたいのね。

身口意の反応は、貪瞋痴の反応ではなくて
気づきに留まる意識からの慈悲で選択的な反応をしたい。
それが正思惟からの正語、正業、正命だと思うので。