> 諸々の縁が紡がれて、結び目として「自我」が生じている。という
> ただこれだけで、全てが叙述できていると思うんだけどねぇ
> これ以上、我々に何が必要なんだろうか?

たとえば無明に依存している、おじゃるの場合は

無明に依存しているからこそ
人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする宗教(religion)

神(有為法としての頂点?)
仏(無為法から → 有為法を観照する)

というような対機説法が、わかりやすくて良い

無明に依存している、おじゃるを主体とするのではなくて
(円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない)

(無明に依存することのない)
仏の世界から観照する
本来自性清浄涅槃の世界から観照する

大円鏡智の世界から → 阿頼耶識を観る
平等性智の世界から → 末那識  を観る
妙観察智の世界から → 第六意識を観る

…無の世界も超え
般若の智慧と慈悲をもって
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている(ありのまま観照する)

仏そのものに成っているのなら
そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており修行したり、悟り証したりすることもないはずである