>>601続き

 ヒンドゥ教の哲学では、我々の現象の世界は幻覚(mâyâ)であると語る場合があります。修行でこの幻覚を破ることを勧めているのです。
真理は一つであって、その真理に達すること(梵我一如)を最終目的にしていますが、決して解脱ではないのです。
個我が消えて、真我に達することなのです。これも何かの境地に執着することです。解脱にはなりません。
大乗仏教で語る「法身」も似かよった考えです。真理という絶対的境地を設定して、そこから現象の世界のありさまを説明する。
このような思考には、一つ弱点があります。不二である真理から現象の世界が現れたならば、現象である個が幻覚を破って真理に達しても、その真理は限りなく現象の世界を作り続けているでしょう。
ここで、反論する必要さえもないのです。
全て、人間の頭の中で考える概念に過ぎません。妄想概念の次元を破る方法を語っているのは、ブッダだけなのです。