>5章は学生ウパシーヴァやピンギヤへの質問に対しては輪廻前提で問答している

ちと補足説明しとくが・・・・
ウパシーヴァの話のどこが輪廻前提なのかわからんが?w
あれは、通常、「十無記」の話のルーツとされるものなんだが。

ピンギヤの話は、それこそ、最古層の中で、数少ない「輪廻を想定させる表現」の例として
あげられる。 (詳しくは並川などの研究参照。)

しかし、それも全体を通して読めば明らかなように、「輪廻を説いている」わけではないの。
「再び再生しないようにせよ」  って、とこねw

あれは、あくまでも、その前に述べられている教説が主眼なのであって、
「〜〜〜〜〜〜のように心がけなさい。」が主要項目なわけ。

そして、最後に「輪廻を断ち切れ」的な「叱咤する」語句が続く。
このパターンは他にも見られるが、全て「否定的な意味」で言及されている  と
並川言ってるけどね。

なぜなのか?   言うまでもなく当時、インドでは「輪廻転生が常識」として受け取られてたの。
そして、輪廻は苦 として認識されて、「輪廻しないようになること」が目的として、
バラモンは修行していたわけで、 一般民衆にも、釈迦の多くの(輪廻を信じ込んでいる弟子たち)
にも、輪廻に絡めて教えを説く方が理解されやすいわけ。
(釈迦の弟子には多くのバラモンがいたしね。)

言い換えれば「方便」さ。  それで、きちんと「理解するべきこと」がわかるのならばOK
というのが釈迦のスタンスw

だから「前提」というのは間違い。
その証拠に、各、釈迦の言説から「輪廻に関する部分」を除去して読んでみな。
全くそれらの言説(輪廻に関する語句)が、釈迦の教説の趣旨と関係なく、
意味内容が変化しないのがわかるから。