阿含宗という宗教294
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議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
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テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
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過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
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阿含宗という宗教293
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このスレッドは阿含宗批判が目的です。←○ ★《※桐山氏が色○さんを名古屋東急ホテルにお誘いした時の管長ご霊諭》
【御霊諭】平成元年5/4 色★千景
報告書を読んで君の純粋な気持ちと布教の情熱に感心した。
今までにも熱心な信者や弟子が沢山現れたがその中で君は数少ない一人だ、
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた」などという表現は非常に鋭いと思う。
私自身そう思っているが自分では言えない。
今までにこういうことを言ったのは君が初めてだ、君が男であったらとてもよいのだが
女性でも女性でなければできない役がある、弟子になって命がけで修行する気があるなら
弟子にしてあげてもよい。見込みがあると思う、今働いてる所は即時にやめなさい
「抱かれるか殺されるかどっちかにしろ」とか
「✕✕✕」などという男の出入りする不浄の場所に君を置いておけない、
良い結果は生じない私が働く場所を紹介してあげる、東京でも仙台でもどこでもよい
又私の法話が十分に聞けるチャンスのある働き場所を紹介する、
私は七月の名古屋例祭が終わったらその夜東京へ帰る、八日(月)の午後、面接する。
但し、道場では君にだけ会うと君がねたまれるから私の修行場所があるから
そこで面接する、打合せをする。私の秘密電話を教える、
その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を入れておきなさい
(今夜にでも)
まず、○○ー○○○ー○○○○へかける(プッシュホン式でなければダメ)交換手が出て
暗証番号を聞くから✕✕✕✕✕✕✕と答えなさい、プッシュホンで押せばよい(口で答えるのではない)
あとは交換手の指示に従って話せばよい又は私は名古屋の名古屋東急ホテル(○○○ー○○○ー○○○)に
六日の夜泊まる、君も名古屋へ泊まって夜十一時頃私の部屋へ電話をしなさい、
その電話で打合せをしてもよい、
東急ホテルでなくてもよいが要するに人に聞かれないで私に電話をかけられる所に泊まればいいわけだ、
翌日七日、午後に東京で面接する、今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい、
名古屋で泊る費用を同封しておく。
(桐山原稿用紙直筆鉛筆》
https://i.imgur.com/naJpOlM.jpg
https://i.imgur.com/Kbbcrmb.jpg 阿含の星まつり修法地
阿含宗バス乗り場
バラバラ遺体両脚切断部遺棄現場
😵祟りか!
😨呪われているのか!
😱何故こんなことが起きるのか!😵💦
😖土地浄霊結界が破られたのか!
😱★魔の怨念トライアングル★😰
https://i.imgur.com/Cdj1Lrx.jpg
民泊バラバラ殺人
京都山林バラバラ遺体遺棄
https://brandnew-s.com/2018/02/28/kondosakisan2/ ★文藝春秋2014年2月号
オウム死刑囚「井上嘉浩」の獄中手記
155ページ
私の大きな過ちは、解脱とは何か?
独学で求めていく中で出会った
阿含宗の
「霊性の開発による社会革命」
という言葉によくその内容を吟味しないままに
とらわれてしまったことであったと
考えています。
https://i.imgur.com/Auhq94p.jpg 「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
階位「預流、一来、不還、阿羅漢」
内容「預流向・預流果、一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果」
阿羅漢の中身とは阿羅漢向・阿羅漢果です。
阿羅漢果を得ていない比丘が阿羅漢とするのはおかしいというのは、
言っているほうがおかしい。
なぜなら、釈尊が阿羅漢だと決めたのです。
預流果を得ていいない比丘が預流とするのはおかしいというのは、
言っているほうがおかしい。
なぜなら、釈尊が預流だと決めたのです。
釈尊の決めたことをおかしいと批判するのではなく、自分の理解力の低さを
反省するべきです。
どうしても理解できないなら、保留にして、理解している人に説明してもらうことです。
信者さんたちは、桐山ゲイカが説いたのが絶対に正しいとか、
「○○に違いない」という自分の思い込みを捨てて、
経典や学者の解説にあるように理解するべきです。
素人にすぎない信者さんたちが、「聖者とは○○だ」とか、
「阿羅漢とは△△に決まっている」などと主張するのはおかしい。
釈尊が、預流向を含めた預流を聖者とみなし、阿羅漢向を含めて阿羅漢と
みなしたというなら、そのように受け入れるべきです。
そして、このことがそれほど不思議ですか?
桐山さんがこの事例の阿含経を引用しています。 「仏道修行者が五下分結を滅ぼして般涅槃を得て、この世には
もう戻らなくなる、これを有余依涅槃界と名づけます」
(『仏陀の真実の教えを説く[中]』130ページ)
これは増一阿含経の火滅品の一文です。
五下分結を切って、般涅槃を得るのが有余依涅槃だとあります。
阿那含を有余依涅槃だと言っていることになる、と桐山さんは解釈した。
だが、般涅槃とは解脱ですから、阿那含が解脱というのはおかしい。
と信者さんたちも思ったはずです。
桐山さんは捏造した三福道を正当化するために、涅槃と涅槃界が違うなんて
意味不明の解説をしているが、そんなオカルト解釈は必要ありません。
四向四果を理解していれば、何の問題もなく、上記の記述は理解できます。
上記の経典でも、釈尊は不還(阿那含)が般涅槃だとは述べていません。
五下分結を切ったらと言っているのです。
五下分結を切って阿那含果を通過したら、そこに留まる比丘なんていません。
何度も言うように、阿那含果は通過点ですから、阿那含果の比丘なんて存在しない。
五下分結を切ったら、すぐに五上分結を切る努力をしますから、阿羅漢向の境涯です。
五下分結を切ってから五上分結を切るのではありませんから、
比丘の中にはすでに五上分結のいくつかは薄らいでいる人たちもいます。
つまり、五下分結を切ってしまった瞬間に、比丘はほぼ全員が阿羅漢なのです。
もちろん、五上分結を完全に切ってはいないから、まだ阿羅漢向の境涯だが、
分類では阿羅漢、つまり涅槃です。
このように理解すれば、上記の記述は何の不思議もありません。
桐山説や1.5来補説のように「阿那含=阿那含果」などと間違った解釈を
しているから、経典内容が矛盾しているかのように見えるだけです。 「仏道修行者が五下分結を滅ぼして般涅槃を得て、この世には
もう戻らなくなる、これを有余依涅槃界と名づけます」
(『仏陀の真実の教えを説く[中]』130ページ)
阿羅漢の中身とは、阿羅漢向と阿羅漢果であると理解すれば、
火滅品の記述も何の問題もなく理解できます。
桐山さんのような涅槃と涅槃界は違うなどというコジツケのオカルト解釈はいらない。
桐山さんは「果」「向」を位階だと思っていた。
四向四果を理解していなかったから、矛盾を生じ、意味不明の解釈をするしかなかった。
五下分結を切ったのを阿那含だと解釈しているから間違うのであって、
五下分結を切った比丘は、現実には阿羅漢になっています。
理解していないから矛盾を生じているのに、桐山さんは自分の
理解力の低さを棚にあげて、さらにオカルト解釈を加えた。
しかもその馬鹿げた解釈ができる自分を頭が良いと思い込んでいる点は
桐山さんも1.5来補さんも同じです。
桐山さんの間違いを指摘する人は誰もいないし、1.5来補さんは反論を
無視するから、彼らの世界では通用します。 前スレ
>865神も仏も名無しさん2018/07/17(火) 13:16:05.65ID:B50H0Gjh
>私が易しく解説するから、死ぬまでに理解しなさい。聞いて知るは一時の恥。
信者さんたちは1.5来補さんの醜態を良くみてください。
岩波仏教辞典に「預流向≠聖者」と書いてあるなどと嘘を並べたが、
ハッタリだから何も引用できない。
阿含経での釈尊の述べた説明、学者の説明、それを引用した私の説明に
反論しているのではなく、ただ自説のオカルトを一日に何度も書き込んでいるだけです。
つまり、彼は釈尊や学者の説明も私の書いたこともまるで理解できないのです。
彼はこれまでの人生もこの調子だった。
普通の人が理解できる内容も理解できない程度の知性なのに
自分では人より優れた知性を持っていると自惚れている。
現役時代の仕事場でも日常でも周囲から間違いを指摘されても、どこ吹く風で、
上記のように逆に説教を始める有様です。
相手の反論や指摘は無視して、執念深く、相手が黙るまで何年でも自説を唱え続ける。
だから、彼の周囲には「そして誰もいなくなった」。
誰も相手にしてくれないから、ここに毎日来て書き込んでいる。
信者さんたちは1.5来補さんの愚かな姿がわかりますよね?
だが、それは信者さんたちも似たような状態なのですよ。 信者さんたちは1.5来補さんや宝生さんが説く仏教など信じる気はないでしょう。
脳味噌ではなく慢心しか詰まっていない老人の妄想とタワゴトを聞いても
無意味どころか、害があるからです。
だが、それは桐山さんでも同じです。
桐山さんも四向四果という簡単な内容さえも理解していなかった。
四向四果だけでなく、桐山さんは釈尊の説いた解脱の意味を理解できなかった。
因縁解脱、因縁切りなど仏教には言葉も概念もありません。
阿含宗のいう、カルマを断ち切る、など仏教には存在しない。
霊障も霊障解脱も、釈迦仏教はもちろんのこと大乗仏教にさえもない。
阿含宗の柱になっている教義や教学が仏教には存在しない。
それでいて完全仏教??
阿含経を護持すると称して、阿含経で禁止されている護摩を最大の売り物にしている。
阿含経の釈尊は死者の行先を変えることはできないと述べているのに、
阿含宗では阿含経のオシャカの成仏ホウで死者を成仏させるのだという。
阿含宗が滅茶苦茶でおかしいのは子供でもわかる。
信者さんたちも、1.5来補さんと違い、矛盾だらけであることはわかりますよね?
それなら、矛盾だらけの事を信じている自分に疑問の目を向けてください。 おかしいのは桐山阿含宗だけではありません。
今はW田阿含宗になって、本尊から教義まで変わってしまった。
桐山さんは生前、自分の遺骨を祭れとは言ったが、本尊にしろと述べたことはありません。
桐山さんは生前、死んだら開祖霊諭でブッ界から指導すると述べたことはありません。
桐山さんは生前、解脱供養の霊視はイタコ五人衆に任せていると言ったことはありません。
桐山さんは生前、W田さんを後継者として指名したことはありません。
F田さんの護摩は桐山さんの指導の下に行われた。
だが、W田さんの護摩を桐山さんは指導したことはなく、
死後、突然、W田さんが勝手に焚き始めた。
これは全部、桐山さんの死後に出て来たことですから、W田さんのしたことです。
1.5来補さんのように権力なら何でも従う犬タイプなら、W田さんの霊能力も
素直に受け入れられるから問題ないだろうが、
信者さんたちの多くはW田さんに疑問を持っている。
事務方のトップとしての彼女の剛腕は認めても、
彼女に霊能力があるというのは、普通の知性では受け入れがたいはずです。
最近、ヤフーで桐山本が30冊まとめて売りに出された。
30冊の本を買って読んでいたのだから、熱心な信者だったのでしょう。
だが、さすがにW田阿含宗には付いていけなかった。
信者さんたちも参考にしてはどうですか。 もう少しで深山くんも四向四果の仕組みを理解しそうであるの。ユビくんは理解した可能性が高い。が、本当はずっと前に知っていたとか言うだろう。批判派の中にも、深山ユビの間違いに気づいた人がいるだろう。向は目標、果は到達した境地を示す→岩波仏教辞典。 正しいことは覚えて損しない。深山くんは冷静にもう一度、仏教辞典の解説を見たまえ。
仏教辞典は正しいわけさ。深山くんの辞典の説明の解釈が間違いなのだよ。預流向と預流果が同じ階位に入るとは辞典に書いていない。深山くんが勝手にそう思い込んでいるだけなのよ。 一来向と一来果にしても同じこと。
一来向と一来果が同じ階位に属するなんて、仏教辞典に書いてないし、釈迦もそんなこと決めていない。深山くんが勝手に同じ名称だから同じ階位に属すると思い込んでいるだけなのだ。 深山くんは、最新版の岩波仏教辞典の説明と合わせて考えて見たまえ。「向は目標、果は到達した境地」とあるだろう。向は目標の境地を示すということだから、向と果は同じ階位ではないのです。向は到達していないから果より一段階下の階位に属するわけです。 五下分結を断じたら不還ですね。さらに五上分結の一つを断じて合計六結を断じても不還です。七結を断じても不還です。八結、九結を断じても不還です。十結断じたら阿羅漢です。五結〜九結断じたものは不還でもあり阿羅漢向でもあります。十結断じるまでは阿羅漢ではない >>13
「過去の遺産」
「過去の産物」
「過去の遺物」
諸行無常
桐山本
あわれ
https://i.imgur.com/4fJ44qA.jpg 🔥このオバちゃんが霊能者なんですか?
それとも
阿含宗経営のために霊能者のフリをして信者をダマシテルんですか?
https://i.imgur.com/DeHp8kk.jpg もうどうしようもなくデタラメインチキ
まだ信じている奴は頭おかしい 深山くんもそろそろ気づくでしょう?
50点以上の人は合格です、と学校の先生が言ったのに、深山くんは「50点未満は不合格とは言っていない」という論法で、30点を勝手に合格だといい張っているわけです。三結断が預流なのに、断じなくても預流だといい張っている。 >>25
↑この人、
オウムの執行の件以来
更に異常な粘着。
なにか憑依されてるんじゃないか
と感じる >>1スレ立てありがとうございます
>>3テンプレありがとうございます
>>26のオカルト的投稿申し訳ありませんが、>>25さん来補さん?ヨル公さん?投稿が更に異常ですよ? 岩波仏教辞典
「預流 よる[s:srota-panna][p:sotpanna]
無漏(むろ)の聖者の流れに入った者.四向四果(しこうしか)の最初の段階.」
信者さんたちに上記で着目してほしいのは、「預流=預流果」とはない点です。
預流と預流果、預流と預流向を同列には取り扱っていない。
四つの階位と、八つの階位(内容)は混ぜてはいけない。
これはどの仏教辞典でも、どの学者の解説でも、両者を混ぜて書いている人はいません。
だが、桐山さんと信奉者たちが両者を混ぜている。
併記と混合とは違う、ということは1.5来補さん以外の信者さんはわかりますよね?
「四向四果・・・聖者の四つの位」(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
階位「預流、一来、不還、阿羅漢」
内容「預流向・預流果、一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果」
預流の中身が預流向・預流果であって、預流と預流向、預流と預流果を
同じレベルで取り扱うのは間違いです。
だから、「預流=預流果」という桐山説は間違いです。
預流の中身が預流向と預流果なのです。 もし、預流向や預流果が分離し独立した項目なら「、」の打ち方が違ってきます。
「預流向、預流果、一来向、一来果、不還向、不還果、阿羅漢向、阿羅漢果」
このように八つを対等な内容として記載するでしょう。
だが、岩波仏教辞典の四向四果の表記は、
「預流向(よるこう)・預流果,一来向(いちらいこう)・一来果,不還向(ふげんこう)・不還果,阿羅漢向(あらかんこう)・阿羅漢果」
とあり「、」「・」を用いて、預流向と預流果が一組の者として書かれています。
つまり、預流の中身とは預流向と預流果なのです。
八つの分類は対等ではなく、「向」「果」が一組の四つの聖者の階位を表すのです。
預流・・・預流向・預流果
一来・・・一来向・一来果
不還・・・不還向・不還果
阿羅漢・・・阿羅漢向・阿羅漢果
簡単というか、単純でわかりやすい。
これがどうして異説が出てくるのか、不思議です。
この預流から阿羅漢まで四つの階位が聖者であるというなら、
「預流向=聖者」であることは子供でもわかる。
ここまで何度も説明したら、いくらなんでも、1.5来補さんや宝生さんのような
信者は別して、普通の知性のある信者さんなら、理解したでしょう。 四向四果は単純でわかりやすい分類なのに、桐山説と1.5来補説では
「預流=預流果」とみなし、「預流向≠預流」と主張しています。
四向四果が八つの階位だと説明されると(この説明も正しい)、
彼らは八種類の比丘に分類できると考える。
だが、これまでも指摘したように、預流果、一来果、不還果の比丘など存在しない。
三結を切って、しかも欲貪と瞋恚を減らさないようにして預流果に
留まるなんてお笑い比丘は存在しない。
預流果に到達した瞬間に比丘は一来向に入るのです。
預流果、一来果、不還果は階位というよりも通過点です。
「預流=預流果」だという桐山説や1.5来補説では、
預流という聖者は存在しないことになってしまう。
同様に、一来も不還も存在しないことになってしまう。
そこで1.5来補さんは「預流果=一来向」「一来果=不還向」「不還果=阿羅漢向」
という詭弁が始まった。
自説が矛盾したら、素直に間違いを認めれば良いのに、絶対にせずに、
次の詭弁や嘘を並べる。
もちろんこんな詭弁を並べたら自滅する。
信者さんたちは「1.5来補説など阿含宗と関係ないのだから、興味ない」と
いうかもしれない。
だが、実はこの1.5来補さんの詭弁は彼の発明ではなく、
桐山さんが本に書いているのです。 「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀オンの範曙ですから、当然のこと
ながら、天上界と人間界を数度往来します。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 中』200頁)
桐山さんは一来向(斯陀含向)を預流(須陀オン)の範疇だと述べている。
つまり「一来向=預流」で、1.5来補説そのままです。
一方、桐山さんは預流(須陀オン)について次のようにも述べている。
「ちなみに、この須陀オンをめざして修行している人を須陀オン向といいます。須
陀オンに向かっているから須陀オン向です。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 中』197頁)
預流(須陀オン)を目指しているのが預流向(須陀オン向)だというのだから、
預流とは預流向は含まれず、桐山説では「預流=預流果」です。
「一来向=預流」で、しかも「預流=預流果」ですから、
桐山説では
「一来向=預流=預流果」
です。
そこで岩波仏教辞典の四向四果の八つの分類にこの桐山説をあてはめてみましょう。 桐山説「預流向、預流果(=一来向)、一来果(=不還向)、不還果(=阿羅漢向)、阿羅漢果」
このように桐山説では、四つと八つの表記がグチャグチャ混ざるだけでなく、
八つでも四つでもなく、五つになってしまう。
仏教のどこに四向四果が五つの分類だとあるのだ?
桐山説だとこんなふうに支離滅裂です。
そればかりではない。
前述のように実際には預流果、一来果、不還果に留まる比丘など
いませんから、桐山説だと預流向と阿羅漢果しか実在しないことになる。
預流果とは一来向であり、しかし、預流果は一瞬しか存在しないのだから、
一来向も一瞬しか存在せず、同様に、一来果も不還果も一瞬しか
存在しないのだから、現実に存在するのは、預流向と阿羅漢果だけで、
桐山説「預流向、阿羅漢果」
こんなふうになる。
二組ずつの八つの内容からなる四種類の位階、という単純で
わかりやすい四向四果が、桐山さんの仏陀の智慧にかかると、
五つになり、ついには二つになり、意味不明です。 【3.11津波は自民由来!? 安倍逮捕秒読みか!?】 ロシア国防省『日本は地震を偽装した核実験を止めよ』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1531966541/l50
2018年の最大ニュース来たー!? 1.5来補さんはこんなふうに説明されても彼の頭では矛盾が理解できないが、
他の信者さんたちは「預流=預流果=一来向」という桐山説が自己矛盾に
陥ることが理解できたでしょう。
桐山説は最初から間違っているからです。
桐山説では「預流向≠聖者」として預流向を四向四果の中でも
鬼っ子扱いするしかなかった。
なぜなら、桐山さんは聖者の位階を高値で信者に売りたいからです。
うっかり聖者の位階を授けて、退会されたらたまらない。
一方で他教団と差別化するために、阿含宗の信者とは少なくとも
預流向だと言うしかない。
この矛盾を解決するために考えたのが、「預流向≠聖者」です。
これなら、阿含宗の信者は預流向で他宗の信者との差別化ができて、
しかも、聖者の位階を与える必要がない。
永久に預流向のまま留めて、聖者になりたければお金と人を差し出せと
商売に使える。
だから、四向四果を紹介して目標とするように講義してから三十年もたつのに、
預流の階位さえも公式に授けられた信者は一人もいない。
四向四果の階位を持っていたのは桐山さん一人です。
釈尊の教団は、三結を捨てようとしている者はすべて聖者ですから、
ほぼ全員が聖者です。
一方、桐山教団では桐山さんが死んでからはただの一人も聖者がいないことになる。
ここに1.5来補さんという自称聖者がいるが、阿含宗では認めていない。
口に出すと口が腐りそうだから、ためらいながらきくが、
阿含宗ではW田さんやF田さんが聖者ですか。 なぜ預流果や一来向は一瞬しか存在しないと決めつけるのですか?決めつけているのは深山くんだけで、経にも仏教辞典にもそんなことは書かれていない。預流果や一来向は、一来果を得るまでは預流果であり一来向であるわけです。その期間は個人差があるわけです。 桐山説の四向四果は、釈迦が定めた四向四果と同じです。三結断じたら預流、五下分結断じたら不還、十結断じたら阿羅漢、と定めたのは釈迦です。桐山説も同じです。で、預流に未到達の者を預流向、不還に未到達の者を不還向、阿羅漢に未到達の者を阿羅漢向と呼ぶわけです。 桐山説では四向四果の階位が五つになると深山くんが気づいたことはよいことです。そのとうりなのです。釈迦が定めた仕組みでは、四向四果の階位は五つなのです。五つ目の階位が凡位でそれが預流向になるわけです。 四向四果は釈迦の教団です。四向四果の中に四つの聖者の階位と、凡夫の階位が一つ含まれているわけです。しかし、凡夫の位には名前がついていません。預流向の位には名前がないわけです。凡位と呼ぶしかないでしょう。 四向四果は釈迦の教団です。釈迦の教団には凡夫の弟子はいないと思いますか?釈迦の弟子は皆、聖者に到達している弟子だけですか?そんな馬鹿な話はない。聖者に未到達の弟子だっているはずです。それが預流向です。 釈迦は聖者の階位には四つの名前を付けたが、凡夫の位には名前を付けなかった。それだけの話です。預流を目指した凡夫を預流向、一来を目指した預流を一来向、不還を目指した一来を不還向と呼ぶのが釈迦の四向四果の仕組みです 重ねて言うが、桐山説では五つの階位になると気づいた深山くんは、それが正解です。考えてもみなさい。修行はどこの教団だって凡夫からスタートして当たり前でしょう?釈迦仏教は預流の聖者からスタートするわけですか?違うでしょ、凡夫の階位からスタートするのです。 釈迦の教団の階位は、1、凡夫位(預流向)、2、預流(一来向)3、一来(不還向)、4、不還(阿羅漢向)、5、阿羅漢、の五つの階位になるわけです。そして普通は、聖者の四つの階位しか説明されないわけです。 >>25>>35>>36
>>37>>38>>39
>>40>>41>>42
釈迦ではなく桐山説と絶賛自爆中w
重ねて言いますが
アゴン宗は仏教ではなく桐山教 。
《桐山靖雄氏 生前のご霊諭》
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた」などという表現は非常に鋭いと思う。私自身そう思っているが自分では言えない。 (>>3全文)」 >釈迦の弟子は皆、聖者に到達している弟子だけですか?そんな馬鹿な話はない。聖者に未到達の弟子だっているはずです。(>>39)
先ず、釈迦の生きている時代に釈尊の弟子になれたということ自体が凄いと思いませんか?
それを見てさえもいない末世の貴方が「聖者でないのがいる」と釈尊へ吠えまくるほうが異常です。さすが桐山さんのエセ仏教徒と言いざるをえないですよね?
重ねて言いますが
アゴン宗は仏教ではなく桐山教 。
《桐山靖雄氏 生前のご霊諭》
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた」などという表現は非常に鋭いと思う。私自身そう思っているが自分では言えない。 (>>3全文)」
>>43 高原の千草の影の風さやか
そぞろに君のしのばるるかも🍁
靖.
1993.9.12
吉兆で君の名を問う 春の醉 🍶 >>45
高原の千草の影の風さやか
そぞろに君のしのばるるかも🍁
靖.
1993.9.12
https://i.imgur.com/lg8cU8d.jpg 墓場に近き老いらくの
恋は怖るる何ものもなし
此れを真似して酔っただけの桐山さんですよ。誠意を見せていないのが証拠です。哀れな男。 猊下と愛弟子が愛し合い
そして最後は裁判沙汰で憎しみ合いの大喧嘩💔 具体的な例で説明しよう。深山くんが釈迦の教団を訪ねて釈迦の弟子になったとする。すると最初に預流向という称号を与えられ、三結断じて預流という階位を得なさい、と目標も与えられます。これが仏教辞典が説明している、向は目標、ということです。 具体的例、その2。
やがて深山くんは、何年か努力して三結断じて預流を得たとする。すると預流果という称号を与えられ、同時に更に欲貪と瞋恚の二結を薄くした一来を得なさい、との目標を与えられ一来向の称号も与えられるのです。 >>51>>52
>釈迦の弟子は皆、聖者に到達している弟子だけですか?そんな馬鹿な話はない。聖者に未到達の弟子だっているはずです。(>>39)
先ず、釈迦の生きている時代に釈尊の弟子になれたということ自体が凄いと思いませんか?
それを見てさえもいない末世の貴方が「聖者でないのがいる」と釈尊へ吠えまくるほうが異常です。さすが桐山さんのエセ仏教徒と言わざるをえないですよね?
重ねて言いますが
アゴン宗は仏教ではなく桐山教 。
《桐山靖雄氏 生前のご霊諭》
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた」などという表現は非常に鋭いと思う。私自身そう思っているが自分では言えない。 (>>3全文)」
>>43参照
(アンカー長すぎてつけられないのでw) 預流に到達すると預流果という称号を与えられ、同時に更に欲貪と瞋恚の二結を薄くした一来を得なさいとの目標を与えられ、一来向という称号も与えられる。このことが、辞典に説明している、果は到達した境地、ということです。 預流果は、一来向という称号を与えられるのです。預流果は、一来に到達することが目標なのです。それで預流果は一来向という称号をも持つのです。一来向は欲貪と瞋恚を薄くした一来に到達するまでは一来の階位に入ることは出来ないのです。 ただ単純に、深山ユビくんは、預流向には預流という名称が付いているから預流向は預流の階位だと考えた。一来向には一来という名称が付いているから一来向の階位は一来だと、単純に考えたのだろう。しかし、預流向は預流の階位に入れないし、一来向は一来の階位ではないの 預流の階位は三結断じた者の階位と、釈迦が定義しているのです。だから、三結断じていない預流向は、預流の階位には入れないのです。
預流向の名称は、三結断じていない者の名称です。三結断じた者は、預流果の名称を持ち預流の階位に入ります。 つまり、預流向≠預流=預流果、なのです。
一来向≠一来=一来果、なのです。
これを理解しないと、釈迦仏教では修行が進めません。出だしから間違えているからです。 この異常者(>>57等投稿者)は
天が回収するのを
待つしかないですね… 深山ユビくんにとって、平成30年は、初めて四向四果の仕組みを正しく理解した歴史的な年になるかも知れないね。桐山師が輪廻する葦本で、初めて四果の聖者の条件を世に知らしめて、はや40年です。この間、深山ユビくんは正しい四向四果の仕組みを知らないでいたのです 何等の仏道修行もせず、瞑想、勤行、苦行、先祖の祭祀を放棄した
人物たちが、【宗教評論家を気取るスレッド】ってここですね。
いやぁ、案外な事に簡単に見つけましたよ。
名物男が再登場してますからネ。
たまには働けよ >>58
猛暑の炎天下に護摩でも焚きますか?w
天よ、早く回収してくだされとw >869 神も仏も名無しさん 2018/07/17 15:57:28
>阿含宗の信者さんは、W田さんや教団の悪口
>ボロカスに言うけど
>辞めようとしないのはなぜ?
決定的な理由を教えましょう。
批判側はインチキだからです。
これはもはや議論の余地はありません。
批判側は原始仏典の内容を改造した。
自分等に都合良く内容を作り変えたのです。
これは釈尊に対する冒涜であり仏教徒にとって批判側はインチキそのものです。
そのインチキが阿含宗をインチキだと主張しているのだからインチキのインチキということになり、阿含宗は正当であることになります。 深山くんが、桐山説だと四向四果は五つの階位になる、とのレスを見て、深山くんも正しい四向四果の仕組みを理解するのは近い、と判断した。五つの階位で正解なのです。釈迦教団の階位は、四つ聖者の階位と凡夫の階位とで構成されているのです。 例えば、雑阿含経・向経で、釈迦は弟子たちに「五根法を実践しない弟子は外道凡夫だぞ」と、叱っています。ろくに修行もせず、ボーとしてる弟子もいたのでしょう。そのような弟子たちは預流向ではなく、外道凡夫だというのです。釈迦教団にも凡夫はいるのです。 釈迦教団も修行のスタートは凡夫からだと理解したでしょう。すなわち、1凡夫(預流向)→2預流(一来向)→3一来(不還向)→4不還(阿羅漢向)→5阿羅漢、が四向四果の仕組みなのです。四向四果は聖者からスタートするのではなく、凡夫(預流向)がスタートなのです。 深山くんは、預流果も一来向も一瞬だ、とレスしたが、何を誤解しているのか理解出来ないね。預流果(一来向)は、欲貪と瞋恚の二結を薄くして一来に到達するまでは預流果(一来向)のままなのですよ。なぜ一瞬なのですか? 輪廻転生瞑想法〈1〉―理想の自分に生まれ変わる如意宝珠敬愛秘法
これは、来世成仏を説いた本ですので、阿含宗の現世成仏と矛盾する内容です。
多分、教祖は、体が不自由になって現世成仏を諦めたのだろう。
来世に成仏してください。 辞めない決定的な理由が稚拙(>>62)
志しがあってではないのか?
アゴン宗現役信者さんの劣化が此処まで酷くなったことにも愕然。。。。。
●アゴン宗は仏教ではなく桐山教 。
《桐山靖雄氏 生前のご霊諭》
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた」などという表現は非常に鋭いと思う。私自身そう思っているが自分では言えない。 (>>3全文)」 >>69 いや、それを言ったらどこも同じです。
仏教は、ゴータマ・シッダールタ教ですし、
創価学会は池田教です。 インチキのインチキは全部インチキということだよ。
そんなこともわからないのかよ。
それから妖怪ヨル公な、今日からおまえは溶解ヨル公だ。
とにかく暑すぎるからよお、さっさと溶けて蒸発しろや
一来向の称号とか言って基地害だな。
その一来向ってのは阿含宗さんの新しいホリーネームかい。
おいくらで貰えるのよ。教えて教えてよお〜〜♪
これボクのアイディアだからね〜。
阿含宗さん儲けたら大1束でいいからね。 全部インチキではないけど、全部が真実はありません。 >>72
これではどうよ
インチキのインチキは「張りぼての継ぎはぎのゴチャ混ぜちゃんぽん
いいかげんな邪教」ってのは。
阿含宗開祖さんの桐山靖雄さんという人は、
坊さんでもないくせに僧衣なんか着て張りぼて。
四度加行なんかテメエはやってねえのに高額伝法料
ふんだくってよお。教えていることは継ぎはぎのインチキよ。
チベット ブータン スリランカ等の上座部の仏教ミックスして
さらに古神道とか道教まで混ぜ込んで完全仏教だとさ。
全部中途半端しか知らない半端者がでミックス ゴチャ混ぜ
ちゃんぽんよ。
インチキ通り越して発狂してるよ。
それで銭ばっかり搾取する。ホントいかがわしいよ。 >>70
>仏教は、ゴータマ・シッダールタ教ですし
↓
【仏教】
仏教は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。 今時、坊さんなんて、一週間の研修で得度されますからね。
そうじゃなと、あちこちの寺が廃屋になってします。
それより、桐山氏が次に生まれ変わるのは何時なんだろう?
そして、生まれ変わったら阿含宗に入るのだろうか?
それとも、阿含宗の教義は間違っているとして、新たに教団を創るのだろうか? >>75さん
雑阿含経 「盲亀浮木の譬喩」
それに、生きているうちに何度も正すチャンスがあったのにしなかった桐山さん。
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた>>3」などと釈尊を前座に仕立てたしたたかさ。
追いかけて逝った元信者達と待ち受けていた信者達に挟まれて…如何となったのかは天のみぞ知るところですよ? >>71
>インチキのインチキは全部インチキということだよ。
>そんなこともわからないのかよ。
批判側がインチキであることを認めたのだね。
おめでとう!!! >>77
氏ね。!
勝手にほざけゴミが。
チンケな邪教やってる分際でよお。
阿含宗なんかオウムの母体系教団よ。後世はそれでしか名は遺らねえよ。
>>1 スレ立てに感謝します >>76
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた>>3」などと釈尊を前座に仕立てたしたたかさ。
これは傲慢不遜身の程知らずの失礼千番で仏罰に匹敵する業罪でしょう。
合掌。 >>80
そうなのですよ。
桐山靖雄はエロ川さんが送りつけてきた大妄想の作文を
平河社員に見せてこれは凄いこと言ってるよ みたいな。
強引に高◯在住の天道一希(Y氏)とかの説をくっ付けて
「メシア出現」なる本を出した。
「釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた」まさに基地害です。
誇大妄想 もう病気のレベルです。
阿含宗みたいな邪教は衰退に衰退を重ね消えてゆくべきです。
オウムも阿含宗も邪教です。世の中に必要のない邪団体です。 ユビくんが四向四果について、曖昧なレスしかしなくなったのは、預流向を預流の階位に入れるのは間違いだと気づいたからではないのかね?でも、深山くんにそれを指摘するのは忍びない。深山自身で気づくまでは指摘出来ない。それが深山家来の道義なのだとか。考え過ぎ? 異常者(>>82)を回収する
天の声を待っているかと。 重ねてレスするが、深山くん提示の佛教語大辞典のどこにも阿羅漢向を阿羅漢の階位に入れるなんて書いてないし、釈迦も経のどこでもそんなこと言っていない。深山くんが勝手に、阿羅漢の名称で勘違いして、阿羅漢向を阿羅漢の階位に入れただけです。それは間違いです。 阿羅漢の階位に阿羅漢向を入れてはいけないのです。それを明確にするために阿羅漢を得た者を阿羅漢果として、阿羅漢向と区別しているのです。阿羅漢果は阿羅漢の階位であるが、阿羅漢向は阿羅漢の階位には入れないのです。 不還や阿羅漢向はぼ阿羅漢だ、阿羅漢に近いとかは理由にならない。釈迦が不還と阿羅漢と明確に階位を区別しているのだから、それに従わないといけない。阿羅漢向は煩悩が残っているのだから阿羅漢ではない。阿羅漢の階位には入る資格がないのです。 >>79
>稚拙ですよ、坊や。
インチキですよ、爺さん。 火滅品の不還(阿那含)の涅槃界がどうのこうのも、阿羅漢の階位と不還の階位になんの関係もない。阿羅漢の階位は、阿羅漢を得た阿羅漢果の階位であって、阿羅漢に未到達の阿羅漢向が入れる階位ではないのです。阿羅漢向の向とは阿羅漢ではないとの徴なのです。 分かりますか?阿羅漢向の向とは阿羅漢ではない徴であり、阿羅漢果の果とは阿羅漢である徴なのです。その区別のために向と果があるのです。それを無視して、阿羅漢向も阿羅漢果も阿羅漢の階位に入れる深山くんの考えは、釈迦が決めたことを理解出来ていないのです。 >>87
インチキの中のインチキ その中のインチキのトップ
それが桐山靖雄ちゃんです!
(信者の若いムチムチ内弟子愛人にしてました!)
阿含宗はインチキのホームラン王です!
(ちなみに館長はホームラン館長さんです)
そういえばオウム何とか教の教祖も内弟子愛人を侍らせて
金庫番とかに使ってましたね〜
何で似てるんだろうか?
(あっそうだ!阿含宗はオウムの母体系教団だったね!
納得!) 🔥霊視五人衆は
ただちに
氏名を
信者に公表せよ!!
誰が霊視したのか公表もできない解脱供養に一体10万も払えるか!💢
《信者一同》
https://i.imgur.com/cech3uf.jpg 今も5人全員が揃っているなんて誰が言った?
桐山氏は、自分はガンの因縁であると若い頃に言ってたが、
実際に起きたのは脳障害の因縁でしたね。
献身的にご奉仕をしていた会員がガンにかかったときに言った言葉を
全部、桐山氏、あなたに返してあげましょう。
因縁が切れなかったのは、あなたの周囲の因縁に引きずられたからですよ、桐山氏。
また、来世で、我々と同じように修行をしてください、 >>82
曖昧も何もレスしなくなったのは忙しいから。
次号でなく趣味の方で。
夏の高校野球選手権の各地の予選がたけなわで、甲子園以上に力を入れるから猛暑なんて言ってられない。
ちなみにネタなら展開したいものもあるが、そちらは利害不能なのはどうでもよいとして、時間ができてから。
しかしそちらはこの猛暑の折、危険な外出などは避けて、冷房の効いた部屋で書き込みなどしていればよい。
毎日書き込んで充実してるだろ?
道場に足を運んでボン行に励みなさいなんて言われても絶対に拒否して、こちらを選ぶだろ? 相手にされていると思っているんだな。 可哀想な奴w まぁ、深山ユビくんは四向四果の仕組みを何十年も誤解していたのだから、今更2〜3年理解するのが遅れたってどうということもないさ。こちらは同じことをレスするしか手はない。しかし仏教は不思議だね。理解するとすごく簡単な仕組みの四向四果が、なぜ理解されないのかと 三結断じたら預流だと釈迦は定めた。
そして、預流を得ようとの目標に向かっている者を預流向と定め、その目標を果たした者を預流果と名称を定めた。それなのに、三結断じる目標を未達成の預流向を、預流の階位に入れて何で平気なのか?不思議であるね。 預流を目指している者を、預流に向かっているが未到達の者を、その意味を込めた向を使用して預流向と名称を定めたのです。向の意味のパーリ語を私は知らないけどね。預流向とは預流に未到達という意味なのですよ。三結断じていないから預流に未到達なのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています