実体も主体も無いですよ。
ただカルマが生まれ、消えていくだけ。川の流れのように。
本来それは誰のものでもないけれど、それを私のものだとして執着するから、自我が生まれ、主体と客体が現われ、
ものごとに実体があるように錯覚し、霊魂などの固定した何かがあると錯覚し、輪廻が続いていく。

全てを手放し、無執着、無我の境地になれば、全ての現象に対して捉われる事なく、新しいカルマを生まない。
実体、主体、霊魂、自我などの妄想は無くなり、生命としてではなく、ただの現象として存在し、最後の肉体が無くなれば完全な涅槃に入る。