>>956

>キリスト教綱要において最も深く長く描写されてますよ

神学的解釈な、カルビンには「インマヌエル」の感情的満たし、イエスと共に苦しみという発想がない。
ゆえに、ジュネーブで神政政治で、セルヴェトス処刑などを行うのさ。

神学的抽象化解釈で失ったものは。
マタイの福音書にある。
1章23 「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

インマヌエルをイエスだけの話で終わらせる神学的解釈。

28章
20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

信じたら、そうであるという神学的解釈で終わる、

我々が苦しみ悲しむときに、主が共におられるという思想が失い、
神学的抽象的知識で正しく信じるのいう意味に置き換えられる、
プロテ神学が失ったもの。
ゆえに、繁栄の神学がカウンターで現れた、依存したいのさ。マタイの4章、サタンが誘惑で踊る笑。