さて・・、
一千億歩譲って、アートマンこそが、求めるべき境地だとして、
一神教系に対しては、どう、折伏する論立てをするんだろうね。  >>神智学


結局、
仏教、禅宗、キリスト教カソリック、キ教プロテスタント、 イスラム教、ユダヤ教、
道教・老荘思想、儒教、古神道、エジプトや南米の太陽信仰、
古代インドの各種信仰、バラモン教・古ウパニシャッド、etc.etc.
の中で、真我やブラフマン等、永遠なる実在から、最も遠いスタンスを取ったのが、
新興外道の沙門達であり、抜きんでて異彩を放ったのがシッダッタだったわけ。
だから、反感を買い、迫害を受け、(イスラムの侵攻があったにせよ)インド本土では潰えたわけでね・・


仮に、仮に、アートマンの肯定が最終段階であったなら、
なぜ、釈子は迫害されねばならなかったのか?
なぜ、諸宗諸外道は合流しなかったのか?
なぜ、「自分たちもアートマンを求めてるんですよ」「自分たちも梵我一体となりましたよ」
 と言わなかったのか?
 (言えば、自分たちもあなた達と同じですよとちゃんと説明していれば迫害されずに済んだだろうに・・・)