↓(箕輪先生の説の要旨)
@瞑想の基本は心を何かに結びつけるところから始まります。
結びつける対象は業処kammatthAna と呼ばれます。
また、瞑想はその機能から大きく二つの範疇に分けられました。
Aまず最初に心の働きを静めることを目的とした瞑想が存在しました。
それが、止samatha です。
止は三昧と禅那の二つに区分されます。
Bもう一つの範疇は観vipassanA です。
観は文字通り、観察することが中心となりますが、身体が感じ取っていることをすべて気づき続ける観察です。
Cこのように仏教の中の瞑想は大きく二つの範疇に分かれるのですが、その基本的な性格は、
「心の働きを一つの対象に結びつけること」と、そしてそれに「気づく」ことでした。
止も観も一つ一つ気づくことを行っていますので、それは変わってはいません。
Dなお、注意が必要なのですが、東アジア世界では、観の用語の使用法が少し曖昧です。
たとえば空観という言葉がありますが、それは「一切が空である」と認識し続けることであります。
これは、一つの概念に心の働きを結びつけていますので、観と言われても、実は機能的には「止」の範疇に入ります。
それは原始仏教で範疇分けされた部類に従えば、「随念による修習」の一つに入ります。
それは、あくまでも「止」の働きを持ったものであり、「観」ではないことに注意が必要です。
※まとめ
1.元々「定」しかなかった。
〜瞑想の基本は心を何かに結びつけるところから始まります。
2.その「定」から止観という仏教独自の術語が出来た。
〜瞑想はその機能から大きく二つの範疇に分けられました。