>>61
せっかくの中村先生の論文なんだから、もう少ししっかりと読み解こうよ。

初期仏典には「定」しかない。
ダンマパダには止観を窺わせる記載(「ふたつの事について究極に達したならば」)はあるが、ウダーナの当該箇所には無く、後に加筆されたと推測され、まだ止・観と明確に分化されてない。

とあり、それぞれ教典も引用されているでしょ?
つまり、
1.元々「定」しかなかった。
2.止観という仏教独自の術語が出来た。
3.止と観に分かれた。
んですよ。

あたかも木から葉と花が育って様にね。