ジャンキーという個人も、和智という個人も、鬼和尚という個人も、おらん
それらが在ると思うこともまた、認識による分別から生じた「隔て」なのぢゃ

この世の中には、「自分という目線から見たときにどれほどの隔てが在るのか」
それらを細かく数えて見ると良いかもしれん。誰それや、誰のもの彼のもの
良いも悪いも綺麗も汚いも必要で不必要などは誰から見てのそうなのかや
そういった分別とか隔てとか、あれもこれも「認識」でしかないなぁって感じで

ぼーっと瞑想しとったらええと思うのぢゃ。気づけば自他一如どころか
「自環一如」。あれま、ぜんぶ環境に過ぎんのでしたか。ってなると思うのぢゃ

それでも、ぜんぶ環境に過ぎんとは言うても、智慧だとか言われよるもので
説かれる暖かいものは普遍に感じれる訳で、都合の良いものばかりではないが

要するに、隔たりと、そうでないものとが、衝突したり、手を繋いだり
なんか全部いろいろあってこの世なのぢゃ。死ねれば隔たりはすべて消えよる
生じようが無くなるぢゃろう。その心地よさを求めるのが仏教であり
それを知るだけで周りと打ち解け気味になるのもまた、元は全部そうだからぢゃ

でもまあ思う存分で良いと思うよ。焦らなくとも皆んないつか死ねる (●´ω`●)yー~