C初めは「仏性」は、『我々の中に』にある・・・だったわけですが、それが
「内包している」から、「我々そのものが仏性である」 となります。
つまり、我々がそのままの姿で仏性である・・・とくるわけです。
一切衆生即仏性 ってなります。

「え? するとオレもしかして仏? ブッダなの?」 となるわけですが、
違いますw  まだ八正道を実践していませんね。
八正道により、 不浄⇒清浄 となって初めてブッダです。
(このあたりまでは、かろうじて、 仏性=仏になる可能性 という意味合いに
とれるかな?w)

では、「全ての生き物は、仏になれる」 は、いいとして、「生き物でないもの」は?
石ころに仏性はあるの?  山や川には仏性はあるの?・・・・となりますな?w

回答は、NO なんです。 少なくとも涅槃経 では、そのようなものは
「仏性がない」 とはっきり否定されています。

ところが、時代が下がるにつれて、「衆生」の意味が拡大解釈されていきます。
この「衆生」に対応する語彙の意味は「存在するもの」と言う意味で、
⇒「この世界に存在する全てのもの」 というように解釈されてしまいます。

「草木国土悉皆成仏」ってやつね。 涅槃経後期 にみえる言葉。
(中国ではおそらく、天台大師智ギ、吉蔵 あたりがこれの有力論者だと思うが わからんw)