うちの婆ちゃんは法華宗の行者だった。
毎朝水をかぶり、母はその音で目が覚めたという。
食事にも気を使い、それに付き合わされる家族は大変だったという。

しかしそのせいか、近所では霊感の強い婆さんとして有名で、
医者で治せない病気を次々に治していたという。
俺は小さい頃の記憶しかないが、確かに不思議な婆さんで、
今日、学校で起こることを言い当てられたりした。

おそらく、天理教の中山みきとか霊友会の小谷喜美とか立正佼成会の長沼妙佼あたり
は、うちの婆ちゃんのもっと凄い人だったんだろう。

昔はそういう霊感行者が巷にいて、神仏の存在を理屈ではなく現実のものとして
人々に示していた。だからこそ昔は信心深い人が多かったのだと思う。

俺が疑問に思うのは、なぜ現代にはそういう人がいなくなり、
そしてなぜ宗教のそういう凄い霊験がなくなったのかということだ。

医療が発達し、生活が便利になり、そういう人物が不要になったからなのか?
宗教家が贅沢になり、まじめに修行をしなくなったからなのか?
ほかになにか考えられる要因はあるのか?

いまでも医療で治せない病気はたくさんある。
鬱病や精神系の病で苦しみ、社会参加できない人は大勢いる。
「甘え」だの「怠惰」だのといって片付けているが、それは医療でどうすることも
できない病に対して、科学万能主義の敗北を認めたくない社会の側の言い訳なんだと思う。

宗教は理屈よりも霊験だ。
とくに神仏の存在を信じない人には、霊験がなによりの布教方法だ。
にもかかわらず、神社仏閣は観光や葬式で生き残ろうとし、
神仏の実在を人々に示す努力をしようとはしない。

新宗教も教祖が代替わりしてからはすっかり霊験が影を潜め、
サークル的なノリや惰性でやっている人たちがほとんどだ。

このままでは宗教は早晩なくなってしまうだろう。
このスレでは宗教の、とくに霊験について語り合っていきたい。
忌憚のない意見交換を求めます。