>>874
まともな宗教の一切は公共の福祉に反する「はずがない」
なぜならまともな宗教の一切は「利他」を志向するから
利他を志向する根拠は行体系の基礎にある
そして大半のまともな宗教の行体系の基礎は内省により利己愛を弱めることにフォーカスが当てられる

従って信教の自由の限界があるとするならば、公共の福祉に接触するか否か、の司法の判断にあるとは思う
国家が特定の潮流により機能不全になり、司法に影響を行使し、本来であれば公共の福祉に反さない宗教法人を、悪意により公共の福祉に反する、と断定する場合など

従って信教の自由の限界は国家が法に叶って運営されている時、という前提にあると思う