【教えて】ピッピの神様【みこころ】
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とある一編の祈り詩
(冬 桜の花に想いを寄せつつ祈りを込めた独り言)
scene:
一面の白銀(ぎん)世界の中で・・・。
−−−
それは、
春の日差し(願い)の元で祈り合い、家族(絆)になる事。
春の陽気(想い)を感じて、慈しみ、恵み合い、家庭(優しき温もり)を築き続ける事。
そこには、風に乗せられ、幸せを告げる福音の鐘の音。
やがて、あなた方は、
夏の暑さ、秋の哀しさ、冬の寂しさを迎え辛さを感じていきますが、
家族であり、自ら望んで家庭を築き続けるなら、
再び春が巡り、鐘の音が旋律となり、
夏に彩り、秋に実らせ、冬澄んでゆき、幸せ煌めいていきます。
そうして、
その家庭は延々と春が巡り、より幸せになって悠久の旅路(幸せの道)を歩み続けていくでしょうね。
今、この時より遥か彼方より更にその先に向けて。
あなた方は、
この約束を誓い、守り/護り、果たし続けますか?
春(幸せ)の詩(うた)を奏で続けますか?
そして、
わたし(達)の愛しき家族になりますか?
2018/11/8
stranger coin
"愛おしき 貴女(あなた)ほんのり 輝いて 恋しき貴女(きみ)は 優しき小熱(こねつ)" つまり、あなたの神のみ心……が分かち与えられたのである。
……あなたはこれらの恵みをさらに積み重ねられるために、あなたの最愛の母、至福なる聖母マリアをわたしの監督者となさった。
そして実に繁くわたしを彼女の愛情に優しく託された。
まるで誠実なる夫が己の母親に愛する妻をゆだねるがごとくに」
(大聖ゲルトルート)
『女性の神秘家・教会博士』ペトロ文庫より >>519
先日、古本屋で購入した本を最初から読んでいただけなのに。
何というタイミングでしょう。 聖霊による導きがあったのでしょう。
お金の無いピッピのために、古本屋へと。 男性の方で、キリストと「内的婚姻」されたという情報がありましたら
お知らせください。 家庭内暴力被害の中1女子、大学生が救う
父親から暴力を振るわれていた兵庫県西宮市内の中学1年の女子生徒(12)の保護に尽力したとして宝塚署は4日、
関西学院大2年の森田悠斗さん(19)=宝塚市=に署長感謝状を贈った。
森田さんは女子生徒の気持ちをほぐして窮状を聞き出し、県警に連絡した。
6月2日夜、森田さんは阪急門戸厄神駅近くの商店の前で、雨宿りする女子生徒に気付いた。
大雨で雷も鳴っていたため、持っていた傘を手渡した。
そのまま帰ろうとしたが、女子中学生が追いかけてきて、涙を流しながら「家に帰れない。父親に殴られている」と
打ち明けたという。
森田さんは警察に行くことを勧めたが、女子生徒が嫌がったため、大学の後輩の女性を呼び、森田さんの
自宅で話をすることにした。
ジュースとお菓子を出し、後輩の女性とともに約2時間話を聞いた。
女子生徒は徐々に打ち解け、時折笑顔も見せるようになった。
森田さんは話を聞く中で、父親の暴力は「しつけとは違う」と感じた。
顔を殴られていると話す女子生徒は、マスクを一度も取らなかった。
「父親と顔を合わすと殴られる」といい、父親が起きる前に学校に行き、夜は父親が就寝してから家に帰る
生活を続けていると打ち明けた。
森田さんは「助けてあげなくては」と思い、「県警なんでも相談電話(#9110)」に通報。
女子生徒は児童相談所に保護され、現在、父親とは離れて暮らしているという。
県警によると、1〜5月に寄せられた児童虐待に関する相談は宝塚署で20件(前年同期比3件増)、
県内全体では768件(同280件増)に及んでいる。
警察官を目指す森田さんは「虐待がこんなに身近だとは思わなかった。女子生徒がこれから幸せに暮らしてほしい」と話していた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201707/0011622973.shtml
イケメン大学生
https://i.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201809/img/b_11622974.jpg イエズスが生きて地上の王国を打ち立ててくださることを信じていた人は、おそらくイエズスの妻となる人間のことも頭にあったと思います。
その人がマグダラのマリアなのか、もっと若い処女か、わかりませんが、ダビデのように国を治めてくださるならばきっと嫁もいるはずだと考えていたと思います。
まさか死んでしまい、復活したと思って喜んでいたらすぐに天へと行かれた「あちゃー」だったかもしれません。
しばらくするとまた来られるから、その時は、どうなるんでしょう。もう人間の営みは途絶え、中性的な人だらけに変えられると信じたのでしょうか。 >>523
その女の子は、SOSの言葉を出せて良かったね。
雨が降り、傘をくれた大学生がいたからこそ、
大学生の親切には応えられない自分の立場の苦しみ、
傘をもらっても家には帰れない苦しみを言葉に出来たんかな。
本当に苦しい時は、なかなか自分から「助けて!」という言葉は出ないもんな。
とは言うものの・・・今どきは女子中学生なんぞに声かけたら通報されるそうじゃん?
俺は爽やかなイケメンだから大丈夫だろうけど・・・
鎌持った暇人に声かけられたら、誰だって通報するもんな。
このあたりはヒジョーに難しいですね。 まとめると、人助けはイケメンしか出来ない、ということですね
分かります >>517
10日も居なかったのは
また、多量に薬を飲んだ?💦 >>528
は?
私は他スレに毎日いますよ。
独占してます。 畑へ行くと俺は毎日 通学の小学生から挨拶されるので、挨拶をし返すが
確かにこちらからは声をかけられんな
回覧板には「声かけ事案何件」と警察の報告が掲載されているもの
もはやこどもに声をかけると犯罪な時代 朝ゴミステーションに行くときは
小学生からおはようございます、と元気に挨拶される。
遅れて一人で登校する子がちょっとうつむいていたりすると
こちらから挨拶するよ^^。 最後の夜のキリストの洗足とマグダラのマリアの涙の洗足がリンクしているのは前から確信してきたけれど、聖書がこの時の様子を
「弟子たちをこよなく愛し抜かれた」と表現しているところにもマグダラへの愛を感じる。
愛し抜かれた〜?なんだ、この表現?とずっと違和感を持ち続けてきた。
そうか、マグダラのマリアからの愛が込められているのだ。
キリストはマグダラから愛されたことの究極を残らず弟子たちに伝えるつもりなのだ。
聖霊はこの「愛し抜かれた」という表現をもって、キリストがマグダラに愛され洗足の儀式によってマグダラをこよなく愛し抜かれたことを伝えようとしている。
その後のマグダラの三十年は、キリストが聖母と暮らされた三十年と同じ至福の期間である。
キリストにとっての特別な人マグダラのマリアを後世に伝えるためだったとしか思えない。 天使たちは喜んでマグダラを天に連れて行き、それが夢ではないことを示すため体を支えて地上に送り返す。
天と地を天使に囲まれて往来するマグダラのマリアはさながら天のエルサレム、その美しきことは『黄金伝説』に収録されている。
マグダラ最期の日、天使がマグダラの足を支えて空中に浮かせていたという。 愛されていた都と聖徒たちの陣営が取り囲まれる描写が黙示録にある。
これはキリストがマグダラのマリアへの愛を洗足行為によって弟子たちに伝えたことから、キリストが愛されたマグダラのマリアとその霊的集団を指しているのではないだろうか。
マグダラは使徒の使徒と呼ばれる。キリストは王の王である。二人は墓の前で歌の歌「雅歌」を情熱的に成就させた。
「マリア」「ラボニ」(ヨハネ16:21)
主は父の家に備えをしたら迎えに来ると弟子たちに約束なさった。
いったいその備えとはどんなものか。 私も本当はよくわからないけど、聖書が聖霊の導きによって書かれたものだと信じれば、こうなる。
キリストの花嫁はマグダラのマリアである。
主ご自身がマグダラの香油と洗足を福音の伴侶とされた。
おそらく彼女が七つの悪霊に憑かれた罪の女であったことと深い関係がある。このようにどんな罪も十字架の福音に癒される。 神の大いなる恵みを受けるため私たちは谷を広げて彼だけを待つ。涙の谷は神の愛の恵みで覆われる。
これが神のエロス、キリストの快楽であると感じる。
妬みは葬られ、主の慰めが勝利する。 七つの悪霊に憑かれた罪の女とマグダラのマリアは別の女性だよ
カトリックでは同一視しているけど。
ぴっぴはもう諦めて、男性を探しなさい わざわざ文学的表現をしてるけど、ようするにキリストとマグダラのマリアのセックスです。
あの洞窟の三十年、マリア(マグダラ)は日に七度祈りました。
神の応答は天への招待です。いつもとは言い切れませんが、マリア(マグダラ)は花婿の部屋で愛されていたと思います。
しかしたびたび地上に返されます。考えようによってはそれもエロスを刺激する要因ですが、地上のエルサレム崩壊とも関係あると思います。
ユダヤ人たちはマリア(マグダラ)とキリストの間にある愛を祝福しませんでした。
弟子たちでさえ信じなかったかもしれません。しかしヨハネは幻の中でマリア(マグダラ)と似た女を見るのです。
教会はこの幻の女が聖母であると見なしますが、状況がまるで違います。もう一人のマリア(マグダラ)のほうがヨハネの幻とつじつまが合います。 ここに聖母の名前はありません。しかしヨハネではカナの婚礼から母も一緒にいることがわかります。
何か理由があって書かないだけではないかと容易に推測されます。
マグダラのマリアはマルタの妹ですが、聖書にははっきり示されていません。ここにも理由があるはずです。だからといって姉妹ではないと結論づけることはできません。
マグダラのマリアがマルタとラザロの姉妹であり、またベタニヤのマリアであることも、他の書物によって証しされているからです。
ルカ8章
すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。
悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、
ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。 失礼 7章の罪の女と、8章の七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ
をカトリックは同一視するが、別人 つまり目立ちすぎるからです。
わざと匿名にしたり、マグダラのマリアではなくてもエピソードとして成立する場合があります。
聖書が伝えたいことはキリストの福音ですから、私のような深読みは一般的に必要ではありません。 >>541
カトリックでも別人です。
最近のことですが。 神さま、キリスト。
あなたが世界の始まる前からお選びになっていた聖母は、どうしてあなたの花嫁ではないのですか? >>531
意外だなw 声かけ事案で機動隊に囲まれても、
封印してた黒ヘルを再び装着して毅然と立ち向かうのかと思ってたw
家庭内の児童虐待って、のんびり対処できるほど時間がないもんねえ。
地域から家庭が孤立して密室化してるんだろうし、割り込むチャンスもそうないね。
雨宿りしてる人や雨に濡れてる人に傘を手渡すとか、ホームレスの人にパンを手渡すとか、
それ自体よりも、「どうなん?大丈夫?」と話しかけるチャンスだもんな。
ちょっと様子が気にかかる子供にも、「白菜食う?」とか声かければいいじゃんw
声かけはしたほうがエエよ? ヒッキーの俺でもしてるし、たいていは大丈夫だw
どっちみち、いずれは死ぬんだし、明日車に轢かれて死ぬかもしれないし、逮捕くらい大丈夫だw
あ、警官とオバチャンらには、普段から顔を売っておいたほうがいいですw
特にオバチャンらは生物界最強だから、いざという時は頼れるからw 主を見上げてみことばを聞くマグダラのマリアが、ふと目を下ろすとそこに主の腰があったと思います。意識せずにいられるでしょうか。
マルタが妹マリア(マグダラ)を主の御側から引き離そうとしたとき、主はマリア(マグダラ)をご自分から離そうとはしませんでした。
私にはイエズスの心の声が聞こえてくるよです。
「多くの男を知っているこの女が、わたしだけに夢中になる日が来る」
イエズスにとってもマグダラのマリアの存在は心地よいものだったと思います。
そして現実となりました。
からの墓の前で狼狽し泣きじゃくるマグダラのマリアにイエズスが現れました。
やがてマリア(マグダラ)は三十年もの年月を天の食べ物で養われ、ありとあらゆる至福を体験することになります。 >>549
その三十年間、マルタは修道院で指導していました。 https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=112501
11月25日 聖カタリナ(アレキサンドリア)おとめ殉教者
?-309年
彼女の遺体は、天使によってシナイ山に運ばれたと伝えられている。
カタリナを敬う習慣は、8世紀ごろに東方教会から西方教会に伝わり、10世紀にはイタリアを中心に広まった。釘を打った車輪と、イエス・キリストとの婚約指輪、剣などを持った姿で描かれている。 >>549
考えてもみてください。
三十年間、地上にいながら隣人とは誰一人接触しませんでした。
食事の準備も洗濯も事務手続きもなく、掃除も排泄もしない生活を三十年間続けていたのです。
ただ天におられる主を慕い求めていました。 さらっと読まないで欲しいです。
三十年間という日々を隣人なしに過ごした人のことを。
それがキリストの福音の伴侶とも呼べる香油注ぎの女であり、主の御足を涙で洗った女であり、マルタを咎めながら主が御元に置いた聞く女であり、墓の前で主の最初のご復活に与った女なのですから。
異端グノーシスはこの女のことを「わたしの妻」と呼ぶキリストのことばを伝えています。
史実なのか想像なのかはわかりませんが、
それほどまでにマグダラのマリアは主の特別な愛を注がれた人物なのです。 もう一人のカタリナ【シエナの聖カタリナ】
カタリナの心と思いから決して消え去ることがなかったある幻視の中で、聖母はカタリナにイエスを示しました。
イエスはカタリナに輝く指輪を与えて、こう言われました。
「あなたの創造主であり救い主であるわたしは、あなたを『信仰』においてめとる。あなたはこれを、わたしたちが天において永遠の婚礼を挙行するまで、純潔に守るがよい」
この指輪はカタリナにしか見えませんでした。
『女性の神秘家・教会博士』教皇ベネディクト十六世 (ペトロ文庫) より イエズスと婚約した女性たちは天国で今、何をしているでしょうね。
「あれ?婚礼は? 」とならなかったでしょうか。 それとも、イエズスはもう何度も多くの女性と
そのたびに結婚したのかもしれません。
婚約した女性神秘家が地上を去って天国へ入れられたときに。 >>557
だから、「天国の婚礼」とは「比喩」文字通りではないのだよ、わかるか?ピッポちゃん。 男性の方で二人のカタリナと同じような体験をしたという情報をお待ちしています。
結婚している女性で二人のカタリナと同じような体験をされた方もぜひ情報をお寄せください。 夢の中で、私は花嫁の控えの間に入れられたことがあります。
たくさんの女性が待機していましたが、男性は一人もいませんでした。 >>563
あほ、神に男女の区別ないわ。御使いに性はない 新しい栄光の復活体にもそれはない。何度も言わせるな 性別なかったらなんでヤハウェ様を父って呼ぶねん。
はい論破。 もともと男しかおらん世界に女を作ったのに、男を花嫁にする必要ないやん。 聖ヴェロニカ・ジュリアーニ
p119
聖ヴェロニカはキリストとの婚姻の霊性をはっきりと示します。彼女は、忠実で真実な花婿であるキリストに愛されていることを体験し、ますます積極的かつ情熱的な愛でこの愛にこたえたいと望みました。
p125
「十字架につけられたキリストはわたしにささやきます。わが花嫁よ。わたしを侮辱した者のためにあなたが行った償いは、わたしの心にかなうものだ。……それからキリストは、十字架から手を離し、自分の脇腹に近づくようわたしを手招きしました。
……するとわたしは、十字架につけられたかたの腕に抱かれていました。そのときわたしが体験したことを、語ることはできません。わたしはキリストの至聖なる脇腹のうちにいつまでもとどまりたいと望みました」
『女性の神秘家・教会博士』より >>567
語ることができない、と言及を避けるときは
じつに怪しいです。 もう一個論拠を見つけましたよ。
ノアの日の悪霊達です。
女目当てでしたね。
はい論破! 聖書は花嫁レースのことなど書いてない。むしろ完成された書物としてマグダラと寄り添うキリストを描き出している。
その後のたくさんの女性信徒たちが見る幻視は何なのか。男性信徒にはない幻視だ。 母親は花嫁になれない。教会も聖母を花嫁にはしない。あからさまにキリストの花嫁だとはしない。さすがにそこは躊躇するだろう。
王と女王ではあるが、息子と母親なのである。息子の花嫁が本来なら女王なのだ。
私は不思議に思う。こんなにも花嫁がたくさん現れることに。でもマグダラほど天使がよく働いた花嫁はいないのだ。
絵画では聖母を運ぶ天使をモチーフとして描く人が多いが、そもそも矛盾している。 大胆に語れば、教会はキリストとマグダラのマリアの婚姻関係をはっきり認めるべきだと思う。聖書をストレートに読めばそうなるのだから。
二千年も経つのに地上の教会が認めないということは、罪が天と地を隔たらせているようなもので、キリストの到来による直截統治を遅らせている。
しかし悪魔たちの終わりの時が来る。そのとき、この二人が現れるのかもしれない。
キリストとマグダラが地上で認められる夫婦として現れるとき、隔たりだった神秘のベールが取られるのかもしれない。
聖母はご自分の名で集められた花環を、マグダラのマリアに献げると思う。中途半端に断ち切られたキリストの婚姻を祝うために。
キリストの恋を成就させるためには地上の人の妬みを払拭しなければならない。
天使たちも知らないと思う。誰が本当の花嫁か。
キリストが選ぶ人を、それが誰でも天使たちは喜ぶ。マグダラを喜んで天国へ運んだのも天使たち。カタリナをシナイ山まで運んだのも天使だという。
天使たちも地上の私たち同様に訓練されているのかもしれない。誰が花嫁でも、天使たちは喜んで迎えるだろう。
そしてマグダラのときもマグダラを花嫁として迎えようとする気持ちはあったと思う。不安や反意などは考えられない。 テレーズが考えている。もしも私が女王ならばと。花嫁になればテレーズが女王だから、彼女は思ったのだろう。冠にふさわしいのは聖母だから、私が女王になれば聖母に冠を渡すと。
テレーズはロザリオが苦手だった。私もだ。
自分のために花環を望む聖母には違和感がする。他人のために、キリストの花嫁のために花環を望む聖母ならわかる。
集められた花環は聖母ご自身にではなく、花嫁となる人へ贈られると私は見ている。それこそ聖母のご性格にふさわしい行いではないだろうか。 ヨハネの黙示録14:14-19
◾穀物は救われる
◾ぶどうは潰される
この真意は、マグダラとの恋が潰されたことへの復讐ではないか?
キリストの体からぶどうが流されて損なわれたが、体は復活している。
イエズスはマグダラに恋をしていた。二人は体の関係を持ちたいという願いを永遠に断ち切られたかに見えた。
しかし地上ではなく天国で婚姻の続きがある。 穀物は淡白だ。ぶどうは甘い。
私の人生のぶどうは何度も潰された。決して報われることがなかった。
私は愛されなかった。誰からも選ばれたことがない。
昔、夢を見たのだ。
私のことが聖書に名指しで書いてあるという。
「ピッピ・シェアトゥは今までもこれからも永遠に誰からも愛されない」
と。
私は神からも見放された。そういうときがある。去年だ。私は祈っても願っても助けていただけなかった。
私を助けようとした天使の体を、神の左手が遮って、私は敵に犯された。発狂した。
誰が私のような残酷体験を耐えられるだろう。誰が反キリストの甘いぶどうを喜ぶだろう。この屈辱をどの聖女が耐えられるのか。
エステルか? 異教徒の王の後妻に選ばれ、セックス奉仕しなければならなかった。
神の計らいはおとめにとって残酷で厳しいものだった。とくに神の民のおとめにとって。 ヤコブより
◾誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。
そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
…私の中にある欲望からイエズスとのセックス妄想が生じて、傷つき泣いて、苦しんでいる。 ヤコブより
◾御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
…私の妄想では求められ愛されているかのようだが、本物のキリストが私を求めているわけがない。 もしも私たちの欲望から引き出された試みによるものだとしたら。
マジックのようなしるしはたくさん聞いた。その一つが薔薇だ。
花嫁たちと奇跡のような薔薇の出現の話を聞く。
うちの木でも冬に薔薇が咲く。たくさんではなく一輪ずつ。これが悪魔の惑わしだったら?
警戒しなくてはならないのだ。終わりの日には悪霊によるしるしが現れる。 聖ファウティナには
「主はわたしなしには幸せになれない」と思われた。
この自信、愛されている自信は、体験から来てるのだろう。
私にもそう信じられたときがある。
長く生きると、この確信もひっくり返される。
もっともファウスティナの人生に理解しがたい苦難もあった。主がお隠れになり、見えなくなることも何度かあったようだ。
しかしそのたびに主はファウスティナに事情を説明なさった。
私には何もない。
むしろ三十年来の質問の答えが、希望を消した。
イエズスは私に言った。
マグダラとの関係を私の予想通りに
「認める」
「引きずっている」
そして洞窟の三十年間、マグダラに与えられた恵みは
「わたしが与えた」 後の世には多くの者たちが悪魔の惑わしに惑わされる
ピッピのキリストの花嫁願望は単なる誤解によるヒステリー症状だ 後の世には多くの者たちが悪魔の惑わしに惑わされる
ピッピのキリストの花嫁願望は単なる誤解によるヒステリー症状だ いちおうなんだけど、花嫁願望はありませんでした。
むりやり承知させられたの! 私、最初の十年間はキリストを憎んでました。
なぜかというと、私がイメージしていた人と違ってたからです。
がっかりでした。
今現在もがっかりしてますが、相手が違うのだから当然ですよね。
…という理解です。
もしかしたら悪魔かもしれません。 婚配機密 正教会
wikiより
新約においてはエルサレムは神の国の象徴であり、新郎新婦の行進も歌も、神の国への入場を象るものである。聘定式で結ばれた結婚の絆が、永遠の関係へと変えられたことが示される[12]。
このあとの箇所に、司祭が「○○や、ここに爾の前にみるこの□□を己の妻(夫)とする、まことにして自由なる望みと堅き決心とをもっておりますか。ほかの女(男)に約束はありませんか。」と、
花婿と花嫁に質問する箇所が17世紀以降のスラヴ系正教会の祈祷書に入れられている[12]。 【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。
池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです
その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華 ら
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ) >>585
ピッピがイメージしていたのはどんな人なの? >>591
あなたは神が戦争で人を殺したり、聖なる山に近づく獣すら石で打ち殺したり、集団の一人アカンが違反していたことで命を取り、
ダビデやソロモンのように多くの妻とエッチさせる神というものをどう見られてますか。
殺意と情欲、こうした矛盾とも向き直ることが求められるのではないですか。 >>592
神さまは最終的にソロモン王国を滅ぼしましたでしょ。
それはソロモン王が大勢の異教の女達を身辺に侍らせたからです。 >>594
あなたは思い違いをしています。
ソロモンは多くの妻とエッチしたことを咎められてはいません。
ダビデを見なさい。ダビデは多くの妻とエッチしましたが、行き過ぎた偶像崇拝はしませんでした。 ソロモンの罪…妻たちの拝む神々を尊重したこと
シャロンの罪…慕われると彼らの拝む偶像を尊重すること http://bunshun.jp/articles/-/9745?page=1
ポリアモリーという生き方 浮気・不倫とは異なる「非一夫一婦制」
2019年の論点100
きのコ
2018/11/27
ポリアモリーとは、オックスフォード英英辞典によれば、全ての関係者の合意のもとで、複数のパートナーと同時に性愛関係を結ぶことを指す。
なお、ポリアモリーの対義語「モノガミー」は、一人だけと性愛関係を結ぶことを意味する。
一度に一人だけの性愛パートナーをもつが、そのパートナーと別れて新しいパートナーをもつことで、人生全体においては複数の性愛パートナーをもつという人間関係のあり方は、シリアルモノガミー(連続単婚)と呼ばれる。 ポリアモリー…アブラハム、ヤコブ、ダビデ、ソロモン
モノガミー…聖書の神の考え方
シリアルモノガミー…モーセの許した方法 >>596
ソロモンの罪・・・おそらく妻たちの拝む異教の神に跪いた。
シャロン・・・慕われても彼らの拝む異教の神に跪かない^^)v
どてちん。でおー
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,-'",´ ,‐v‐、、
,,.!、 ` b,ノ゙-'亅
,' ヽ r‐-v''r---'^'^'^ヽ
! a /ヽ` `ャ、, |
\ ,,. / _,,. ) i < しゃろん、きたぞ、
`T ,-─ '''、'",‐-' |
冫‐- -< 二,./ !
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レスNo.596を拝読致しまして、
私個人の深夜のつまらない駄文(乱文)
自身が相手に対する内なる想いとして、
A:「私は相手から愛されて当然ではありません。
だから私は"隣人愛"で相手を愛します。」
→相手に対する慈しみによる愛情の提供
(能動・優しさ・厳しさ・謙虚(へり下り)など)
→相手に対しての勤勉による献身
→痛み(渇き)に耐えうる強さ(勇気・真摯・誠実 等)
B:「私は相手から愛されて当然です。
だからあなたは"隣人愛"で私を愛して下さい。」
→相手に対する身勝手な愛情の要求(見返り含む)
(受動・甘え・虐待・傲慢(自身を高く上げる)など)
→相手に対しての怠惰による強欲
→痛み(渇き)を恐れる弱さ(臆病・逃避・不誠実 等)
A、Bを前提として、結果相手から"愛されていない(かも知れない)"と分かると、それぞれどうなるのか・・・。
レスNo. 596のソロモンの神・妻に対する愛し方、ダビデの神・妻に対する愛し方は何が元となっているのでしょうか?
(即ち、A、Bのどちら?)
ちなみに、放蕩息子の下りはどんな"文意"?
また、右(或いは左)の罪人は、A、Bどちら?
更に、神の愛し方はA、Bどちらが元?
A、Bが最終的にそれぞれ願い求めるものは?
(悪魔・悪霊が求めるものは?Aの方か?Bの方か?)
もし、自分の相手の好みを選ぶならA、Bどちらを選ぶのでしょうか?
(または、愛される方はA、Bどちら?)
−−−
2018/12/01
stranger coin
別のスレッドにて書き記したものを少し改編したものを此処に書き記す事を失礼致します。 >>601について、
レスNo.の記述に間違いがありましたので、以下の様に訂正させて頂きます。
レスNo.596→No.592・595
大変失礼致しました。 【再臨・怒りの日に真実がその人を懲らしめる】
イザヤ65章〜66章を読んで思ったこと。
これはマグダラのマリアに関する預言ではないか!
遠い島々の者である私が、生き残りのヨハネ(福音書と黙示録)によってキリストとマグダラのマリアの関係を知った。
キリストの福音があるところには必ずマグダラのマリアの香油の記念が語られる。このことは主の御指名による。
復活の日、最初に現れたのがマグダラのマリアの前。主ご自身がマグダラのマリアを相手に雅歌全体を成就されている。
妬みによって散らされた真実を、二千年後、私ピッピによって世界中が再び知る。
二人は一体となって現れた。これが再臨の真相ではないのか。
信じない者は裁かれる。
主の怒りの日に、真実がその人を懲らしめる。 妬みによって散らされたカップルの回復を手助けするのが
私の使命のような気がします。 そんな爆乳のキューピッドはおらん。
余計ややこしくなる。 イエズスキリストとマグダラのマリア
この二人が一体となって、花婿と花嫁として現れることが再臨なのだろうか。
主の最初のご復活は墓の前でマグダラのマリアにおいてだった。
東から西へきらめきわたる早朝の出来事だった。 >>606
かごめかごめの歌詞みたいじゃないか
夜明けの晩
つるとかめがす(つ)べった
うしろの正面だあれ それゆえ、主みずから、あなたがたに
一つのしるしを与えられる。見よ。
処女がみごもっている。そして男の子を産み、
その名を「インマヌエル」と名づける。
(イザヤ書 七章十四節)
この箇所を読むと聖母マリアかなあと思う。
ただインマヌエルではなくイエズスと名づけられたけど。 >>599
ソロモンより優っている自信がおありなようですが
形式的なものだけが礼拝ではありません。
あなたは彼らの信じるものを受け入れています。 知恵者で名高いソロモンさえ、女につまずく。シャロンさんにどんな知恵があるのでしょうね。
イエズスはソロモンの質素な身なりをほめました。シャロンさんはどうでしょうね。 >>608
カトリック聖書の注解によると「子」とはヒゼキヤのことですって。 星占いを信じている人が星占いの神に跪くことはない
血液型占いを信じている人が血液型占いの神に跪くことはない
仏教徒だからって仏像に跪くことはない エンメリックの幻視によると、聖母の死とマグダラの荒野行きが重なっている。
聖母は帰天してマグダラのマリアとも顔を合わせたのではないか。しかし少女のようなイエズスの母では、誰だかわからない。だから老いた肉体を再びまとうことにしたのではないかとも考えられる。
マグダラのマリアは天国への憧れを募らせて、荒野へ連れて行かれたのだ。神が備えた洞窟で残りの地上生活を養われるために。
おそらくマグダラのマリアは花婿の部屋に誘われてたびたびイエズスと二人きりで入っている。
母は入れない。マグダラのマリアが天国へ帰る日まで、女王の冠を聖母が一時的に預かり被らせてもらったのではないかと思う。
私は、マグダラのマリアが天国へ帰ると女王になるにはまだふさわしくなく、花嫁候補を新たに募るしかなかったのではないかとも考えている。
この大胆な仮説をもってその後の婚約譚も説明できると思う。聖女たちは自分のことをキリストの愛する妻のように扱われていると感じる。次々と帰天していくが、王であるキリストにふさわしい者は一人もいない。
女王には優しい気立てと美しさと知恵と勇気も必要だ。マグダラは優しく美しかっただろう。勇気もある。しかし知恵はどうだろう。
聖母の知恵には及ばないのではないか。 【アビラの聖テレサ】
◾聖女は、自分の病との戦いは、弱さと神の呼びかけに抗う心との戦いでもあると認めます。
「…唯一わたしにいのちをお与えくだされるかたは、わたしを助けにきてくださいませんでした。それは当然のことです。幾度となくわたしを連れ戻しにいらしてくださったのに、わたしはそのたびにそのかたを捨てたのですから」
◾当時、聖アウグスティヌスの『告白』に深い親しみを感じていた聖女は、自らの神秘体験にとって決定的な瞬間をこう書き記します。
「突然神の存在がわたしに迫ってきて、神がわたしのうちにおいでになる、またはわたしが神のうちに完全に沈められていることをまったく疑うことができませんでした」
◾実際、彼女は、一五八二年にブルゴスのカルメル会修道院を設立した後、アビラに帰る途中の十月十五日、アルバ・デ・トルメス修道院で亡くなりました。
つつましく次の二つのことばを繰り返し唱えながら。
「ついにわたしは教会の娘として死にます」
「わが花婿よ、今こそ御身とまみえる時です」
◾テレサは、人間の内面の比喩として、七つの住まいをもつ城の構造を述べます。同時に彼女は、蝶として生まれ変わる蚕というたとえを用います。
それは、自然から超自然への移行を示すためです。聖女は聖書、とりわけ雅歌から霊感を受けて、最終的に「花嫁と花婿」というたとえを用います。
◾テレサは言います。「祈りとは、わたしたちを愛してくださっていると分かっているかたと幾度も二人きりで対話をし、友情を深めること」です。
『女性の神秘家・教会博士』ペトロ文庫より アウグスティヌスの『告白』って、
アガペとエロスのあれでしょ? 男性のかたで、キリストの花嫁となられた体験をお持ちのかたはいませんか?
絶賛募集中です。 このほかに英隆一郎神父の『イエスに出会った女性たち』を読もうとしてるんですけど、
短い文章なだけに、めちゃくちゃエロスです。
パラパラ読みの段階で「やらし〜ィ!」と何度呟いたことか。 脳内BGMは、
松山千春で「旅立ち」です。
イントロから…。 サティさん、喧嘩をしてあげる人
ネクザさん、コスプレする人
サロメさん、インディアンラブのネカマの人
ティキさん、逃げちゃダメな人
安堂さん、ガチホ●の人
カムイさん、特別でいたい人
ヨハンネスさん、厨二病の人
バカムートさん、厨二病の人
>>619
このなかでは、安堂さん、かな・・・ >>610
イエス様はソロモンよりも知恵がお有りだと思います。
このイエス様がこの土の器の中に^^
栄華を極めたソロモンでさえもこの花の様に着飾っては・・・いなかった
の件ですね^^
まあ解釈は常識的に^^ >>624
今日の『manna』を読みながらあなたのことを案じました。 >>625
おはようございます
私の事なら大丈夫よ。
でも案じてくれてありがとう。 >>626
あなたは自分自身が被造物に過ぎないのに
自分自身を神にして
偶像崇拝していると思います。 自分中心の偶像崇拝は自分によくしてくれたかどうかで判断します。
シャロンの同類:さくら♂ 「私は大丈夫」
と言う時、すでに主権を犯しているからです。 シャロンを批判する人は死ぬらしいです
ピッピさん、気をつけてくださいw >>627
偶像を礼拝していません。
>>628
デオの事ですね
彼は外見どう見えるか知れないけど近頃珍しく心の純粋な
若者だと思います。あなたには辛く当たったの?
>>430
主に在って、を付け加えるべきでしたね。 >>631
詩編にあるダビデの嘆きはどうですか?
これ呪詛ですか? >>633
まちこさんはダビデか何か?
それとも神か何か? まちこさんじゃなくてシャロンさんだったw
フハハハなところは流石お弟子さんでキャラ被りしてるから間違えてもうた
すみまてん >>635
何時までまちこさんとの仲を煽るつもりですか?
まちこさんはシャロンを失ってしまったのです。 シャロンさんもまちこさんを失ったのです
ただし、一子相伝のカルトはしっかりとシャロンさんはしっかりと受け継いだのです
いい話だなぁ;; >>637
受け継いではいません。
邪悪な霊はイエスの血潮で洗い聖められました。
絆は断ち切られました。
この話題はスレ主さんに関係ない事、ここで話すのは控えます。
>>628ピッピさんスレを汚してすみませんでした。 >>637
サテイさんは確か輪廻思想の信奉者でしたね。
イエスを信じる者は一切の悪しきカルマを
イエスの血潮で断ち切って頂く事が出来るのですよ。 >>639
シャロンさん、普通のキリスト教ではカルマと原罪は何の関係もありまへん
また、原罪と自罪は違うのでシャロンさんの自罪をキリストの贖罪で購うこともできまへんw >>640
気の毒なほどの無知振り^^
クリスチャンには占い(悪霊)みたいなものも当らない。
十字架の死と復活は一切の悪魔の業から人を解放しました^^)v つまり一切の悪の業から自由であると云う事。
これが何故カルト? 贖罪は原罪の贖いのために行われたが一般的にキリスト教の共通認識です
原罪は抗えない罪の重力を生じさせますが、それを贖いました
ただし、依然、罪への重力は働いているので、それと不断の努力で戦わないといけない、が一般的な理解かと まぁ、シャロンさんはまちこさんのお弟子さんだからクリスチャンになったら無謬!アイムリトルジーザス\(^^)/の人だから無謬だし審判とかないんだよねw 名無しの人の言う事なんかまともに信じるお馬鹿さんは
どこにも居ませんよね(笑) 名無しの言うことじゃなくて正確にはシャロンさんの言ってること、なんだけどねw >>646
正確にはお馬鹿なあなたが理解できないだけなんです(笑)
✝
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが
救にあずかるわたしたちには、神の力である
(コリント第一1:18 ) 最後の審判はカルト発言してましたよね
その理由はクリスチャンになれば自動的に救われるから私は最後の審判で裁かれることはない、
とシャロンさんは言ってましたよね?
これはまちこさんのクリスチャン無謬節説だし、それがシャロンさんの最後の審判がない、の根拠になってますよね >>748
どっちみちへーゲンの終末論なんて知りませんわ(笑) >>648
シャロンさんアンカー間違えまくるのなんとかしなよw
最後の審判は正統教義です
ヘーゲン関係ありません
また、>>638じゃなかったの?
>この話題はスレ主さんに関係ない事、ここで話すのは控えます。
>>>628ピッピさんスレを汚してすみませんでした。 >>650
失礼
>>649はサテイさんの↓への返レス
これはまちこさんのクリスチャン無謬節説だし、それがシャロンさんの最後の審判がない、
の根拠になってますよね
私はあくまでへー元の夢占いによる携挙の件で話しています。
最期の審判は携挙とセットになっているでしょ。
とに角、サテイさんはしつこいし悪意が有り、終わった事への蒸し返し、面白半分
相手になりたくないですね。 アビラの聖テレサに限らず、多くの聖人が雅歌からヒントを得ている。
男女のエロスからアガペを想起する人は多い。
失恋からアガペを想起する人がいたとしても、自分の愛する人を愛している、つまり自分自身のことを愛している。 >>651
で、最後の審判はクリスチャンにとってはめちゃくちゃ一般的で当たり前のことであることは理解しましたか? 人の神への愛はエロースですよ
これも信仰においては大事です
アガペーは神から人間への愛です
ちなみに隣人愛も神から人間への愛を隣人に流すのでアガペーです 男女間のエロスからアガペを想起する人は多い。
金持ちと貧乏人の関係でもある。
与える者と受ける者の関係だ。 >>656
裁きや携挙がいつ来るかもわからない不確かな未来にあると
主張する人達が多すぎますのでTT >>657
今夜にでも来ますよ。
金持ちは用事なさい。 なるほど、そういう面を信じて、かみそり・ぴっぴになったのか笑。 お金持ちは用心なさい。
そこに世の甘い誉れや力が集まるからです。
あなたが使うために流れてきたと思ってはいけません。そのお金はあなたの手によって貧しい人たちのために使われるようにと、神様が準備なさったからです。
あなたが神様の代行者として善を行うチャンスをくださったのです。
日産ゴーン社長やZOZOタウンの社長みたいになってはいけません。 昔、ソ連のバレーボールチームにソロコレートという選手がいました。
その選手のスパイクの切れ味があまりにも鋭いので、日本では「カミソリ ソロコレート」と呼ばれました。 >>663
試合中に実況解説を聞いてないとわからないかもしれませんね。 あえて踏もう。666
「かみそりソロコレート」の名付け親は松平康隆氏です。
私もまんまとはめられました。
以下、wikiより引用
◾また、松平は男子バレーボールの人気獲得のために10-20代の女性をターゲットとした。
背が高くスタイルの良いバレー選手は女性の関心を集めるだろうと考え、少女雑誌を中心に男子バレーを紹介した。
やがて試合会場は女性達の声援で満たされるようになった。バレーのファンを増やすために、積極的にバレーの練習を一般公開した。
◾ 話題づくりのために、選手に対して以下のようなユニークなキャッチフレーズもつけた。
中村祐造 - 「ガッツ祐造,チームを世界一に引っ張っていく機関車,率先垂範のキャプテン」
猫田勝敏 - 「世界一のセッター,日本オーケストラの指揮者」
森田淳悟 - 「フジヤマ・ブロック」
大古誠司 - 「世界の大砲」(「世界一の大砲」) >>658
少なくとも今夜には来ませんよ。
未だ艱難時代が来てませんもの(笑)
でも、今夜救急車を呼ぶご家庭は或いはあるかも知れません。
それに私はお金持ちじゃないですよ。 笑ってる場合ですか。
貧乏人は和光なんか行きません。 >>667
>少なくとも今夜には来ませんよ。
携挙が来ませんの意味です。 ピッピさんの心がけは正統すね
だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。
(マタイ 13:35)
それに比べてカルトばぁばときたら…
それにしてもシャロンさんは空中携挙と最後の審判を混同していて裁きはない!と主張してるけど、それって最後の審判で空中携挙は裁きの前にクリスチャンだから救われるという説だから、逆に理解してるみたいやな
ようするに、最後の審判を空中携挙と言ってるってこと
むしろクリスチャンになれば自動的に救われる!なまちこ節は空中携挙のほうが近い しかも>>671は昨日シャロンさんが最後の審判の証拠を出せ!聖書の該当箇所を出せ!と言ってる中の一つなんだよね
やっぱり全部読んでなかったみたいだ
ほんと、怠惰の塊みたいな人だな
聖書ガーーーーとかいいながら何十年もキリスト教やってて聖書を通しで全部読んだことないとか一体どういうことなのだろう、と思うわ
・審判にいつも備えて覚めていなさい
マタイ24:36,42-44、マルコ13:35-37、ルカ12:35,36、黙示22:20
_____
| |l´ ̄ ̄ ̄`l
| ||¶ | ガチャ
| ||______|
| ||ヽ__ ̄l| ̄ ̄ ̄l|
| ||,;⊂⊃;,、 lヽ,,,lヽ ||
| |||´・∀・`( ) || < 輪廻のサティちゃんです
| || つ ̄と( )⊃ ||
└┴――― しーJ  ̄
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| ||¶ |
| ||______| パタン
| |l´ ̄ ̄ ̄`l 彡
| ||¶ lヽ,,lヽ
| || ( )
| ||__ ( )
└┴――' しーJ
>>672
人は信じたいものを信じる、からです。
「私は裁かれない」「聖書より私が正しい」 プロテスタントの正規の神学校では比較宗教学履修は必須です。
キリスト教しか知らない聖職の存在は考えられません。 仏教、そうか、とーいつ、イスラム、エホバを学んだところで
信者になるのとはわけが違います。 教会全体で主の再臨を待ち望むこの季節に
どこのお客さんが
「再臨は来た、もう終わった」
と言い張るだろうか。 主の御降誕の日を「再臨の日」と言う人は誰も居ませんね。 シャロンさんはカルト遍歴で得たシャロンにとっての常識をみんなにフハハハでゴリ押しするだけのカルト老婆になってしまいますた
カルト教会(シャロン)の常識はキリスト教会の非常識…!! 待降節の時期に主の再臨を待ち望むことについては、ピッピのディボーション スレをご覧ください。
(参考レス番)
194 カトリック
196 カトリック
199 リジョイス(ふくいんのなみ) 12月2日 >>680
再臨はないとか終わりはもう来たとか
言ってたよねー?
A.D70年のエルサレム崩壊で預言は終わったというのが、自称最後の良心さんの意見でしたよね? >>683
ごめんなさい
私の書き込みがあなたに益をもたらせず反対にあなたを悩ませる
ものなら以後書き込みを控えます。
少しでも私の記事が読む人の益になるように意図して書き込んだ
つもりでしたから。 使徒信条をディスる書き込みがどうしたらクリスチャンへの益になるんだよ
悪霊退散キエエェエエはシャロン道場の中だけでやっててください >>685
甘やかせてきた責任を感じます。
今や怪物化して手もつけられないのでしょう。
私も心新たに教会の信じてきたことを学び直そうと決意してます。 草取りは小さいうちより大きくなってからの方がやりやすいです。
枝木の剪定もあるていど育っている方がいい。
ヘアカットもmm単位よりcm単位の方が楽ではないですか。
信仰も曲がっている方が矯正しやすいことと思います。 水で地上を洗われたノアの洪水と比較されるくらいの火の洗礼が、
どうしてエルサレムの崩壊ぽっちで済むだろうかと考えてみてほしい。 >>687
前から怪物でしたよ。
最近はおとなしいぐらいです。 キャリアが長いからといって精通しているとは限らない例はたくさんあります。
前にも、天使の守護についてキリスト教自体にその考え方の概念がないなどと穏やかにきっぱり言い切って恥を晒しました。
「自分はクリスチャンだから無謬」ということはないけれど、「しかし他のクリスチャンは無謬ではない」となるともう高ぶり以外にはないですよね。
福音書もろくに読んでないようですから。 >>687
ピッピさんはあんまり関係ないんじゃないですかね
まちこさんの責任は大きいと思います
シャロンさんはカルト遍歴してるので元々ヘンテコなのは前提ですがまちこさん教会でさらに強化されたみたいですからね >>692
私はあの人が雪ちゃんの時代からかばってきました。サマリヤの女さんがいた頃ですよ。
ご本人も誰も知らないでしょうけど。
名無しでしたから。 >>694
わからないんですか。
どんな影響を与えていくか。 一人でも支持者がいれば教祖になれます。
一人でも優しくしてくれたら「お、お、おれは間違っていない」と誤解することができます。
一人でも反対する者がいたら、どんな情勢の変化も可能です。 >>695
考えすぎですよ
ピッピさんよりなるみさん、暇人さん、でおーとかのほうがよっぽど酷いです >>697
忘れてますよ
その中に酷い酷い >>> サティ <<< を入れるのを >>698
気をつけろ。
サティさんの目はあらゆるところにあって、良い者と悪い者を見張っておられるからな。 >>692
シャロンさんは、私のところに来た時は、前の教会関係で精神を病んでいました。
そして、彼女は、ヘーゲンさん関係で私のところに来たのです。
そう、一時は、シャロンさんはヘーゲンさんの本を読んでいたのですが、
時間が経ち、彼女も良くなって来たのと、彼女のヘーゲンさん嫌いがますます酷くなったので、私は彼女から離れることを考えていました。 続き
シャロンさんは、もともと強い人です。
だから、私のところにいたから強くなったということはありません。
元気になって、性格がきつくなったから、私も離れたという言葉が正解です。 >>700
>彼女のヘーゲンさん嫌いがますます酷くなったので
好きか嫌いでしか物事を判断しないのですね。
そいうのは我がまま、を意味します。
何時も神様の道を行こうと願っていました。
我がままの道を行くと必ずお後が良くありません。
必ず苦しむ事になります。
私は真理によって物事を聖別します。
神さまは或る時彼の正体をはっきり見せて下さいました。
あなたを離れる事を長い間躊躇していました。
意識して後ろ髪をひかれる思いを断ち切りました。
>>701
>性格がきつくなったから
信仰が強められたと云う事でしょうね。
感謝です。 >>702
もう一度聞きたいです。
ケネス・ヘーゲンさんのどこが違うのでしょうか? >>702
性格が強くなったという意味は、肉に戻った、ということです。 >>704
違います。
真理に確り立っているからです。
右にも左にも流されません。
確りと信仰に立たせて頂いています。
信仰に立つと「肉に戻った」、と言うのですか?
彼の影響ですね、そういうの。 >>706
はい解りました
あなたのお返事を確り受け止めました。
これから神さまの導きを祈ります。 >>707
誰の影響でもありません。
私には、そう見えます。 >>708
私もきつく言い過ぎました、すいません。
御霊に導かれる者は、誰もが神の子である。と書いてあります。
私も御霊に導かれて、これからも生きて行きます。 シャロンさんの真理w
・聖書は読む必要なし←【new】
・使徒信条を告白する度に違和感を感じるから正統教会に転籍できない←【new】
・空中携挙を最後の審判を間違う←【new】
・UFOの大船団がシャロンを救ってくれる
・公審判はない。既に終わっている。根拠は乾いた…のシーン
・聖霊のパプテズマは悪霊の仕業
・シャロンを呪うものは神に呪われる
・キリストに倣って、はカルトそのもの
・りんごたんのコピペ荒らしは軌道修正のための聖なる行為
・攻撃を受ければ反撃する、がクリスチャンウェイ
・守護天使はカルト
・ラミレス氏は神。ネットを通して多くの問題抱えた人たちの為に祈りされます。
・ネトウヨトミーは恩人、だから私もレッツネトウヨ!
・十字架は栄光は目から鱗
・基本信条ってなに?人間が作ったものでしょ?(笑) これは重要でない私語ですけど・・・
肉の思いならあなたに惹かれています。
しかし霊が引き留めます。
あなたに惹かれる肉の思いに鞭を当てひっぱたく位に。
昔、職場に行く時、気が進まない、行きたくない、休みたい
疲れた、嫌だなあ…等の思いが来た時その思いに鞭を当てた(笑)
一緒 んなの誰でも知ってますよ
シャロンさんは帰りたいけど帰れないだけですよね
老婆の痴話喧嘩なんて誰得なんだろうw >>712
その時は私の信仰も未熟だったと思います。
助けてくださるのはイエス様です。
そこにいて正解です。
その教えにいる人が勝利するのですね。
主の名を呼ぶ者は救われる。これが最高です! サティの話しも 幼少きから すべて精神異常やからね😃
親も医者も知ってる ✝
わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためである
(ローマ人への手紙 6:6 ) >>700
>そして、彼女は、ヘーゲンさん関係で私のところに来たのです。
シャロンさんがまちこ教会に来たのは2chがきっかけじゃなくてヘーゲンを追って来たってこと? ✝
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって、生きているのである。
(ガラテヤ人への手紙 2:20 ) >>714
>その時は私の信仰も未熟だったと思います。
その様にご自分を責めないで下さい。
そして今夜はここまでに致しましょう。
口は災いの元(笑)。
おやすみなさい 神にとってモーセの荒野時代はハネムーンみたいだったという。
モーセが山にこもって一ヶ月後に金の子牛を造り神を怒らせ罰を宣告された民が。
するとマグダラのマリアの洞窟時代もキリストにとってハネムーンだったのだろうな。 詩編八十四篇より
「われは悪の幕屋にをらんよりは 寧ろわが神のいへの門守(かどもり)とならんことを欲ふなり。」
つまり詩編作者は 悪の栄華と虚飾に満ちた世界での生活より、貧しくても「神の家」の「門守かどもり」ガードマンでも良いから 居たいものだと信仰告白しているのです。 アビラの聖女テレサ 『霊魂の城』より
聖母文庫 p413
主なしのその後の人生は、恐ろしい苦痛の年月だったでしょう。ですから、彼女も絶えず主の御足もとに座って観想の喜びに浸っていたのではなかったことが分かるでしょう。
ピッピ談:アビラの聖女はマグダラの後半生が天と地の往来であったことを知らないのでしょうか。
まあ狂おしいほどの憧れに満たされていたのであれば苦痛の30年と言えなくもないですね。 マグダラのマリアは後半生三十年間、1日に少なくとも七度、天使とともに天に上がりました。
1日に七回、毎日主とお会いしたのではないですか?会えない日もあったのかもしれませんけど。 こういうちょっとした不整合によって頭が混乱する。
聖母の亡くなった年齢とか啓示にしては違うし。 【febcの通読表に従って12月からヨハネの黙示録を読む】
男の子を産んだ女が安全な場所で養われている間、竜はほかの子らを残虐に扱った。
マグダラのマリアが洞窟で守られていた頃、弟子たち信徒たちは迫害と殺戮に苦しんでいた。
このことがひな形だとすると、ファウスティナ亡き後の恐ろしい世界大戦も不思議なことではない。
神の敵である竜にも同じ年月の間、活動する機会が与えられるのである。
むしろ余韻がひどいのではないか?
私が去年苦しめられたのはおそらく三ヶ月ほどだ。しかしその前後、凄まじい破壊力がこの体験を取り巻いている。今でも私はトラウマに苦しんでいる。 教会カレンダーには書いてないですけど、カトリック中央協議会の聖書朗読表によれば、12月12日からルツが読まれています。
私は『manna』の学びから理解を深めていることがあります。
それはマントと足元と履物を脱ぐことの意味。それから買い戻しの権利のことです。
ルツがしたこと、ボアズがしたことを、
マグダラのマリアとキリストが再演しているのです。
ぜひルツを読んでほしいです。
バプテスマのヨハネが言ったこと「履物をお脱がせする価値もない」という意味も、そこから深めていけるのではないかと思います。 >>687
ピッピさん、こんにちは
年の瀬になりました、何かと気忙しいですね
お元気ですか?
以前に、私が神道に興味を持つ事をとても懸念して疑いの目を
持たれていましたね、私は神道と聖書の記述が余りにも似ている事に
普通に興味を持ち、調べ始めました。
あなたがそれを偶像崇拝だと懸念されたお気持ちは凄くわかります。
でもね、私は寺院では仏像に、神社では神社の神に決して頭を下げて
礼拝はしません。その点についてはご安心くださいね。 >>730
自分を信じすぎるのも偶像崇拝です。
マルコより
◼するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。
◼ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。 >>732
レスありがとうございます。
しかし私には偶像とする対象(肉なる私)がもうないのですよ。
キリストと共に十字架で死んでしまったから^^
✝
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって、生きているのである。
(ガラテヤ人への手紙 2:20 ) >>732
✝
わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためである
(ローマ人への手紙 6:6 ) あっそうだわ、
ピッピさんは神様を信じない肉なる人(自分も含めて)を偶像と言ってるのですね^^ 何言ってるんですか。
信じていても信じていなくても
私▪た▪ち▪は▪造▪ら▪れ▪た▪者
=偶像です。 被造物の自覚がない人は注意してください。
浮かれ気分で人生ロックンロールしている場合ではありません。
なにせ、主の再臨も知らないのですから。 天使の守護も知らない
主の再臨も知らない
被造物である自分を偶像だと思っていない
まるで茶番です。 使徒のパウロの信仰深さから現れる境地をクリスチャンになるだけで得られてると素朴に信じてる人は、仏教徒になるだけで悟りが得られた!と信じてる人と全く同じ滑稽さがある >>737
神さまはご自分の形に似せて人間をお造りになりました、誰でも
知っていますすね。
そしてやがてこの地球の歴史が終わる事も。でも所謂ハルマゲドン
大患難、終末、最後の審判、空中携挙が近日中に起きると言う説を
信じません。
天使に関しては聖書にあまり頻繁には出てきません。
むしろ救い主イエス様、助け主聖霊の方が天使信仰よりも重要かと。
使徒行伝 4:12
この人による以外に救はない。
わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、
天下のだれにも与えられていないからである」。 しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。
むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
(ルカ 10:20 ) 信じようが信じまいが、終わりの日は来ます。
信じようが信じまいが、準備しておきなさい。 ぴっぴさんはちなみに終わりの日に向けてどんな準備をされているのですか? 主の日、終わりの日を信じない人は
信じない人とともに裁かれるでしょう。 >>746
油断しないように、
信じない人ではなく信じる人にならせてくださいと祈っています。 神様はシャロンさんの心から「主の日は来ない」という信仰を盗んでいかれたのかもしれません。(黙示録 7つの教会への預言を参考に)
いつ、どのようにして私たちの大切なものを奪っていかれるかわからないのですから、目を覚ましていましょう。 神様はシャロンさんの心から「主の日は来ない」という気持ちを抱かせ、信仰を盗んでいかれたのかもしれません。(黙示録 7つの教会への預言を参考に)
終わりのとき現れると預言されたあざける者たちのようになっているからです。
【ペテロ(二)3:
こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」 】
いつ、どのようにして私たちの大切なものを奪っていかれるかわからないのですから、目を覚ましていましょう。 >>750
ピッピさん
どうぞお元気でお過ごしくださいね。 >>752
嫁と妻って、ただの表現の違いなんだ。
じゃあ、ナグハマディ文書でイエズスがマグダラのマリアを「わたしの妻は」と呼んでいてもなんらおかしくない。
だって信徒は皆「イエズスの花嫁」なんでしょう? 心寒き冬の夜(よ)、独り静かに想いながら記す事
(ただの独り言)
scene:
冬夜空の下の街の片隅にて、此の場所に佇みながらただ独り静かに想いに耽けてゆく・・・。
−−−
・・・いつからだったのだろうか。
夜空から星々が見えなくなったのは、いつからだったのだろうか。
俯いて地面ばかり見続けているのは、いつからだったのだろうか。
街のイルミネーションばかり、目で追い掛け続けてしまうのはいつからだったのだろうか。
過ぎ去りし時間(とき)の残滓(おもかげ)ばかりを追い掛け、彷徨い続けているのはいつからだったのだろうか。
私はだんだん切なくなり、哀しき想いに心が染まっていく。
このまま私は何もする気も起きず、独り静かに此の場所で佇み続けてゆく。
時間ばかりが過ぎ、日付も変わり更に夜もふける頃・・・、
ふと気付くと、いつの間にか頬に白い羽根が舞い降りていた。
その時、私の"幼き日々"が思い出されていく。
それは・・・、
夜空の星々に想いを寄せた日々。
雨上がりの空、掛かる虹に心描いた日々。
人々の輝く笑顔に心惹かれた日々。
迎えゆく未来の希望に心踊らせた日々。
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やがて、羽根は小さな雫に変わり、"Advent"私は告げられる。
・・・それは、
未だにまだ持つ、この"想い"を。
未だに夢見る、この"願い"を。
未だに残る、"先への道(未知)"を。
未だに有る、可能な限りの"可能性"を。
そして、小さな雫は風に拭われ消え去り、代わりに"小さな燈"が私の心に燈される。
そして、私は気付かされる。
まだ、生きる事を赦されている事を。
まだ、希望を持つ事を赦されている事を。
まだ、幸せを求める事を赦されている事を。
・・・まだ私は、貴女(きみ)の哀しき涙を、笑顔の涙に変えていく事を赦されている事を。
私は地に俯く顔を表に上げ、朝日が昇る先を力強く見据えながら、
輝く光を浴びて、
此の場所から立ち上がり、一歩前に踏み出し始めていた。
そう・・・何故なら私は・・・、
雫(しずく)る貴女(きみ)の涙の理由(わけ)を始めから知っていたのだから・・・。
−−−
静かに舞い降る雪の夜(よる)、独り紡ぐ想い詩 "Advent"
2018/12/31
written by stranger coin
「"Advent " 心に羽根が 舞い降(ふ)りて 傷心(こころ)の哀しみ 恋心(おもい)の希望に」 エタとナシオン
フランス語で状態、国家を指すらしい。
エタは無しよ! ヘブライ12章
16 また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
17 あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。
25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。 ナメクジ野郎ども消えたか?
アイツらが宗教板の雰囲気をぶち壊してたからな。
よしおと暇人はスレッド破壊者 >>990
意味がわかりません
グノーシス主義やカタリ派がマグダラのマリアをキリストの花嫁と信じるのは
彼らがマグダラのマリアに嫉妬しているからでしょうか >>991
新しいエルサレムこそキリストの花嫁です。一個人ではあり得ません。
新しいエルサレムとはキューブ 第二の天です。詳しくは後ほど 黙示録スレで ナザレのマリアには一人の天使が
マグダラのマリアには神ご自身が現れた ※ 個人の解釈です
私の願い
【すべての人が救われること】
悪霊にそそのかされた地上の人たちは
神の民を取り囲みます
その時、天から神の聖霊の火がくだり、悪霊たちが人間から離れます
我に返って生身の自分に戻った人間たちは弱くなります
悪霊がその人を強気にさせていたのです
キリストに賛美を捧げる祭りが年ごとに開かれ、祭りに上る人が年ごとに増えていきます
祭りに上らず、キリストを賛美しない人たちには災いがあります 雅歌2章より
恋しい人は言います。
「恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。
ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。
いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。
岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ/姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」 ビューティフルイスラエルのカレンダー
ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。
地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。
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