『聖ファウスティナの日記』を読んで、私の体験を参考にした懸念を書いてみます。

彼女は、キリストが自分の霊魂の状態を優しく深く調べられたと書いています。
私も去年から厳しい取り調べをされたことが何度かあります。でも私の場合は悪魔でした。どうしても神さま、キリストだとは思えません。

神様は私たちの祈りが終わらぬうちに叶えてくださることもあります。私たちを調べる前にすでに一瞬にして把握され、ご存知のはずではありませんか?
それをどうしてわざわざ霊魂を探り知るような行為をなさるのですか。パフォーマンスでしょうか。
ファウスティナは日記を書いていましたが、ある日、イエズスがその日記を覗き込むようにして読んでらしたのをファウスティナが見ています。

あくまでも私の体験と比較してのことですが、私を取り調べた者は、私のことを読めませんでした。
神様なら、私が恋を二回したことをご存知なはずなのに、私の潔白の弁明を聞いて真に受けたのです。
今年に入ってからも、月に一度私の周辺を探るような気配を感じてきました。しかし、すべてをご存知のかたがこんなことを改めてするでしょうか。
一瞬のうちにわかりそうなものではありませんか。

私と違ってファウスティナのキリストは、盲目の人の目をシロアムの水で洗わせて治してくださったように、パフォーマンスをしてくださったのかもしれません。