つまずきというものを考えよう。

私にとってのつまずきは、他者のつまずき要因と同じとは限らない。
またその大きさ、状況、長さ、対象によっても変わる。

黙示録18章
6 彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。
7 彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。

同じ境遇を与えるというよりも、同じ苦しみ方、同じ悲しみ方、なのではないだろうか。
人によって、動じない境遇はあるものだ。
私は夫を他人と分かち合う度量はないが、それができる女はかならずいるものだ。
ハーレム女になることも平気だがそれができるからといって、何が立派なのか。
無償の愛情をささげているつもりなら、私はそんな人間の愛情なんか信じない。
こんな比較は「目には目を」の表層でしかない。