0731プリティにならいて
2018/05/17(木) 21:35:57.54ID:nOTJZrHS死んでからの、地獄のイメージから来ていそうですね。
また、水ぜめ、火ぜめの拷問や、洪水、火災の災害の事が、
聖霊、霊性の炎とまぜこぜになっているような気がいたします。
さらに、理的な観点からも、火が水を打ち消すではなく
火は水を生かしている大いなる側面があります。
人間の体は、水分でできているけれど、
循環させたりするには、熱量が必要で
身体は冷やしたら、故障が生じやすい。
水分補給は常に必要ですが、それは冷える事とは違います。
大自然も、熱が海の水を蒸発させて空に上がり、
森林や河、湖など、生物が住むところに慈雨をもたらす
大循環系も、熱がなければ起こせない。
イエスキリスト以前から、水による洗礼はあるのです。
新生に関わる大事にな事であり、世界のあちこちの宗教にも
共通するものがあります。
しかし、それでよいなら、イエスは来られなかったはずです。
まことの聖霊は、炎です。
また、人による災害や自然災害を火の洗礼と呼ぶのであれば、
大洪水などの災害も、水の洗礼と呼ばなくてはなりません。
個々人が受ける霊的な、段階、聖霊、と
ごちゃまぜにしてはなりません。