マタイ3章を注意して読めば
聖霊と火のバプテスマが
一つではなく、 二つのバプテスマをさしていること
火のバプテスマはキリストを拒否する人たちに向けられたものであることがわかります。
バプテスマは、つける、浸す行為です。投げ込むと言ってもいいでしょう
火のバプテスマは火に投げ込むこと。
意味わかりますよね
火と水は相克関係にあります
キリストが水の洗礼を受けた時に聖霊が鳩のように下ってきました
水と聖霊のふたつのバプテスマを受けたのです。
「水と霊によって生まれなければ神の国を見ることはできません」
なぜ、「火と霊」といわなかったのでしょうか
火は水を打ち消してしまうし、
そもそも、火は悔い改めない人への裁きを象徴します。
水の洗礼によって悔い改めを経験した信徒に火は不要ですよね